想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

秋の深まりは野菊から

2019年10月29日 | 我が家の庭
震災9年10月29日

秋も深まり、野菊の花が美しく咲き始めました。園芸用として、以前に買い集めましたが、丈が長い為、露地に下ろして植えています。名前は残念ながら、忘れてしまいました。11月に向けて、色々な菊が咲き誇ってきます。文化の日前後には、どこも菊の香りでいっぱいになるのでしょう。









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百年に一度の災害が日常的に起こる時代に突入

2019年10月24日 | エッセイ

震災9年10月24日

 温暖化の影響で考えられない洪水が随所に発生している。今回の台風19号がもたらした被害の大きさに唖然とするばかりである。これも、前提である周りの気象が過去と様変わりして来ていることに起因している。従来の常識が通用しなくなっているのだ。

 基本的に過去の統計から現在の災害を判断するのが、普通であるが、前提であるはずの周りの気象が温暖化の影響で大きく変わって来てしまっている。その為、過去からの推測が困難になっているのだ。いわゆる自然がパラダイムシフトしてきているのだ。だから、100年に一度の災害と今までは言っていたが、それでは今の災害が説明がつかなくなっている。百年に一度が毎年来ているのだ。だから、そういうつもりで、これからは台風と向き合わないといけない。過去の延長に今があるのではないのだ。

 堤防も過去の雨量で高さが決まっていたが、雨量が毎年安定していれば問題ないのだが、年々雨量の増加が顕著に大きくなって来ている現在、このままでいけば、同じような災害が、毎年起こってしまう。自然は文字通り自ずと然るべきなので、どうすることもできない。自然は自然のままに行動するだけ、自然には罪はない。要はその自然を人間が理解して、災害にならないようにするしかないのだ。

 昔は堤防など無かったのだから、広い平野を高いところから、低いところに向かって、自由に流れていたはずだ。右に行ったり左にいったりと…。それが自然だったのだ。そこへ、無理矢理堤防を作り、周りに人が住むようになり、過去には流域だった低地が市街地になってきているから災害が起きてしまう。堤防のなかった太古の昔のように、一段高い所に住居を持っていた頃は、川も自由に平野を流域にして流れていたのだ。堤防を作り、水の流れを変えてから、災害が発生するようになってしまった。水も生き物である。低いところへ低いところへと流れるのだ。不自由を強いられ狭い川の中を流れるようになってから、堤防の決壊が始まった。いったん堤防が切れればそこから外へ水が流れ出すのは自明の理である。

 また、最近は益々温暖化で台風の勢力が強くなり、大量の降雨があるから大変だ。従来の川幅と堤防では水を支え切れなくなっているのだ。しかも台風で暴風雨の範囲が広くなっているから、大きな流域に雨がふり、それが、最後に一つの大きな河川に流れて来るから、より大きな災害になってしまう。


 最近の気象の変化は、治水は百年の計では遅くなってしまう。今からでも、即刻、国交省は堤防をかさ上げするしかないのである。人の命の価値の重大さを考えれば、百年の計で無く、一年の計で行動化していかないと、どこかでまた、大きな被害が出てしまう。一刻も速く、国で調査をし、危ないところの河川を特別予算化して修復していくしかないだ。それをしなかったら、自然は正直だから、来年も同じような大きな災害を起こしてしまう。起こった後の財政処置を考えれば、前もって今からでもその予算を事前に使うしか無いのである。ここは政治の力で是非早急に手を打ってもらわないと困る。国は戒厳令を敷いてでもやるぐらいの勇断をしなくてはいけない。

 

 災害が起こった後では遅い。莫大な予算をかけてでも、財政措置をし、行動に今すぐ移してほしい。東北大震災の時には日本が潰れるかと思ったが、そのことを思えば極端な財政出動も可能だと思う。まさに、天の一大事である。このことは、後々にしてゆけばゆくほど、大きな傷跡を残すことになるだろう。もう、待てないのだ。

   今の自然は過去の例と根本的に違って来ているのだ。雨の量が格段に多くなっているのだから、従来の堤防ではもう、その雨量を支え切れなくなっているのだ。

 そういえば、線状降水帯という言葉も昔はあまり聞かなかった。最近は九州がこれによく襲われている。この対策も早急にしなくてはいけない。一つ所に雲が留まって大量の雨を降らすのだ。先日の台風19号の時、私たちの町でも、もう1時間、同じ雨が降り続いていたなら、堤防の水が溢れて洪水になっていただろうと思うとぞっとする。

 これからは、毎年、どこかが大きな洪水に襲われてしまうのだ。ほんとに怖い話だ。今回は私たちの町も紙一重で助かったという感じだった。

 

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秋の風情 秋は紫色と共にやって来る

2019年10月17日 | 野山散策
震災9年10月21日
 
 先日まで、真夏のような残暑が続いていたと思ったら、ここ2,3日は急激に温度がさがり、長そでが必要な感じになりました。また、台風19号の爪痕もあり、ニュースも連日放映され、温暖化に心を痛めています。自然ですので、どうすることもできません。一方秋は日増しにその深まりを増して来ています。
 
 昨日も、いつもの所を散策していますと、随所に秋の気配を感じました。昨年たくさん見つけたタマゴダケもなぜか、今年はありません。

  そんな中、久々に見つけた桔梗の花、野草の中で、紫がひときわ目立ちました。周りを見てみたのですが、そこに一輪だけ咲いていました。緑の中で周りと溶け合って咲いている様はまさに日本的だといえるでしょう。一輪だけというのはこうも目立つものかと思いました。

  周りを緑に囲まれ、他とのかかわりの中で咲いていた一輪だからこそ、美しかったのだと思いました。
 
 それから、こんなことが浮かんでまいりました。昔から、紫という色は日本では高貴な色だったんだなという事を…。それだけ、日本は、自然を大切にしていた証拠だと想います。紫の風呂敷、紫の黒髪、紫式部等、醤油を紫というなど、歴史上の言葉の中に紫が沢山出てくることでも日本人と紫は切っても切れない関係があるとわかります。花しょうぶやアヤメも基本的には紫ですね。それから、アケビ、藤の花も紫です。
 
 日本においては、聖徳太子が定めた「冠位十二階」の制度において、「紫」が最上位の位階を示す色であったことから、その貴重さがわかります。
 
 さて、私たちの近くにも桔梗寺というお寺があります。日本三大桔梗寺の一つです。場所は遠州森町にあります。そこは遠州の小京都という別名もあるぐらいで近くには寺院が沢山あります。森の石松の菩提寺もあります。新東名が開通してからは、ICも近くにありますので、観光で訪れる人も多くなっているようです。

   そこで見る桔梗と今回の桔梗では同じ桔梗でも違って見えるから不思議です。人の心とは実に奥が深いなと感心してしまいます。少ないからこそ、価値が増すのです。
 
 
左側が虫くいになっているのが残念です。
 
 
 
釣鐘人参でしょうか、いたるところに咲いていました。これも、薄紫でした。
 
 
萩の花でしょうか。
 
 
不如帰の花です。これも、薄紫です。
 
 
我が家の岩ギボウシです。これも、薄紫です。
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サツマイモの収穫、始まる

2019年10月12日 | 家庭菜園
震災9年10月12日

  先日、サツマイモを収穫致しました。ベニハルカです。紅と名前がつくだけあって、水に濡らすと、その鮮やかさがひときわ目立ちます。ねっとり系の人気銘柄です。最近、1番人気のサツマイモではないでしょうか。
  先日も、天ぷらにして食べましたら、その甘みがすごかったです。見てよし、焼き芋でよし、蒸してよし、干し芋でよしと、どう調理しても美味しいです。まさに、サツマイモの頂点に立っています。
  写真は収穫後水に濡らしますと、赤みが一段と鮮やかになり、食欲をそそります。まだ、ほんの一部を掘り起こしただけですので、これから、どんどん収穫が始まります。









上の葉っぱに対して、収穫が下のものになります。結構葉っぱが多かったですね。
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車庫入れができない高齢者、その訳とは?

2019年10月06日 | エッセイ

震災9年10月6日

 
  最近よく高齢者によるドライバー事故が問題になっています。その1つにバックで車庫入れができないというのがあります。そのことについて考えて見ますと、思い当たる節があります。体が硬くなって来ているのです。ですから、努めて体を柔軟にする努力が人一倍求められます。その為にストレッチやラジオ体操はお奨めです。
 
 現在、私は卓球をやり始めてから5年ぐらいになりますが、練習に入る前に毎回、ラジオ体操をします。その時、一緒にやっている人を見て色々想う事があります。そのことを箇条書きにしてみますと、
 
・視野が狭くなり、180度横が見えなくなる。
・前屈が困難になり膝を伸ばしたまま、下の物を拾うのが困難になる。
・体を反らすことができにくくなり、後ろの物がみえなくなる。
・速いテンポについていけなくなり、ラジオ体操が遅くなる。
・高温域が聞こえづらくなり、ichi ni 等の子音が聞こえなくなる。
・見当識障害に陥り、状況把握が困難になる。
・とっさの反応が鈍くなる。
 
等があげられ、若いときとの違いが分随分出てきています。体が硬くなり、神経の衰えと共に五感もだいぶ劣化してきているのです。高齢者は経験値だけは人一倍あると思いますが、何せ、体は衰えて来ているのです。それを自覚しないと大変な事が起こってしまうのです。アクセルとブレーキを間違えたり、バックがうまくできないのもうなづけます。首が硬くなって後ろが見えづらくなって来ているのです。また、個人差が大きくなっているなと思います。
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