想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

ポトスライムを増やしてみたViva nature!

2022年08月28日 | 園芸
コロナ3年8月28日
 ポトスライムがだいぶ伸びて来たので、挿木で増やすこととしました。増やし方としては、挿木か根をつけた株分けがありますが、今回は挿木を選び、その土の代わりに多孔質で、水の浄化作用がある炭を試しに使ってみました。そこに水を入れて挿すだけの簡単な方法です。
 珪酸塩白土と言うのは鉱物ですが「ソフトシリカ」や「ミリオン」などの商品名で知られています
 水栽培の根腐れにはとても有効です。今回はその代わりに多孔質である炭を使って見ました。水が腐らなければ必ず発根するはずです。今のところ順調に推移していますので間も無く発根して来るでしょう。
 ポトスライムの魅力は、みずみずしい黄緑の葉にあります。日頃の手入れとしては水やりと、葉に艶がなくなったら液肥を与える事です。そうすると、急に元気になって葉に艶が出てくるから不思議です。
 眺めているだけで癒されるポトスライム君、今日もありがとう。今日も感謝と畏敬の念の毎日です。
 ここにも、生かされている自分と言う自らの分け前があります。
 諸行無常の毎日、後期高齢者となり我が肉体は劣化していきますが、精神は益々充実していきます。やがて、その肉体がなくなった時が天命です。そこに近づいて行く自分を自覚しながら生活してます。まだまだ、やりたい事、やれる事は沢山残っています。一歩後退二歩前進で進みます。試行錯誤の毎日です。Viva nature!
✳︎参考までに、ビバ(viva)はスペイン語やイタリア語で、「万歳」を意味する言葉です。
ビバ(viva)の本来の意味は「生きる」や「生命」という意味ですが、「万歳」という意味で使われることが多いです。私はこの言葉の語感が好きでよく使っています。この言葉を使うと今を生きている自分が浮かんで来るから不思議です。まさに、言葉は言霊ですね。







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風に揺れる小鬼百合の花(詩)

2022年08月13日 | 
コロナ3年8月13日(ウクライナ侵攻元年)

 いつもの散策コースをウォーキング、昨年も今頃咲いていたから、そこへ行けば今年も咲いているかなと想い訪れてみた。案の定、昨年と同じ場所で咲いていた子鬼百合、もう1年が過ぎたのか、月日の立つのは速いものだとあらためと想った次第である。
 昨年よりは花の数も多くなっていたように感じた。この分では数年先が楽しみだ。

小鬼百合の花

湖面を
さざ波に乗り
忍び寄って来た
風は
そうっと
子鬼百合の
頬をなぜる

花は一瞬
顔を赤らめ
うつむきながら

ゆうらゆら
ゆらゆうら

リズミカルに
湖面の青さと
踊る

次から次へと
さざ波に乗って
風が来る

いつまで
みていても
飽きない

傍らの
葦の葉も

なぜか
一緒に
揺れていた

ある夏の日の
出来事

✴︎下の文をタップすると、動画に飛びます。







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運命は変えられないが、想いは自由

2022年08月12日 | エッセイ
コロナ3年8月12日(ウクライナ元年)
 オギャーと生まれてこの方、75年を無事ここまで生きて来ました。感謝感謝と畏敬の念の毎日です。
    困った時の神頼みという言葉がありますが、それは、私が嫌う言葉です。そんな自己中な願いが叶うはずもありません。自分の想いでやっているつもりでも、長いスパンでとらえれば、結果的にはお釈迦様の手のひらで遊ばされているのです。実は途轍もない大きな力によって生かされているのが見えないだけです。赤い糸は恋の世界だけのお話ですが、我々が生活する世界はもっと崇高な世界から見えない糸で操られているのです。通常はなかなかこのことに気付けないのも人間です。
 困った時の神頼みのように、自分の想いだけで、そんな身勝手なことが出来ることでもないのです。だから、畏敬の念を捧げても、〇〇してくださいとお願いはできないのです。だから、彼には感謝と畏敬の念しか表しようがないのです。
 仮にお願いして一時的にせよ、自分の欲求が通ったとしても、それは刹那のものであり、やがて、それはあるべき所に落ち着いてゆくのです。ペンキもいつかわ剥がれて行くのです。形あるものはいつかはこわれるのです。まさに諸行は無常であり、とどまりたるためしなしです。
 じゃんけんの勝ち負けも回数が少ないうちは強い弱いがあるでしょう。しかし、それも、回数を重ねれば重ねるほどに必ず勝ち負けの確率は確実に1/2に限りなく近づいてゆきます。火山の噴火も同じです。圧縮、爆発の後はまた、もとの静かな状態に戻ります。
 人生は自分で生きていいるようでいて大きく捉えれば、結果生かされているのです。小さなエゴと大きな偉大な力の間で大きな力に引き寄せられていくのです。それが定めであり運命でもあるのです。よく考えれば大きな力に見守られているといってもいいと想います。
 では、個人の尊厳は個人の自由はないのではといわれるかもしれません。そんな事はありません。その大きな力の中で自由に羽を伸ばせばいいのです。そして、その大きな力に後は任せればいいのです。後は大きな力に感謝し畏敬の念を持って尽くせばいいのです。それで、人の心は落ち着くものです。「人智を尽くして天命を待つ」まさにそれです。人智を尽くすのが個人の自由さや意思であり、天命を待つのが運命です。大きな力は物理でいえば自然の摂理であり宗教的に言えば信仰でもあり、神様でもあるのです。
 だから、個人は大きな力から与えられた自分という自らの分け前でもあり、かけがえのない個人でもあります。そう考えると、必然的に個人の自由とは大きな意思の範囲内での自由になります。その範囲内で自己は成長の伸びしろを広げてゆけばいいのです。その範囲内で想う存分自分を発揮させればいいのです。それが個を活かす事であり、そのように設計されてこの世に誕生していいるのです。個人の尊厳とはそのことなのです。
 最初から神様が決めてくれた人生だからと他力になるのでなく、自分で切り開くのが人生だけど、大きくはお釈迦様の掌で行動しているんだという謙虚さも大切です。
 だから、私はいつも神社やお墓で手を合わせる時、そんな気持ちで合掌礼拝をしています。そうすると、自ずと、謙虚な自分と大きな力が見えてきます。成るべくして成っている今の自分が浮かんでくるのです。自分で生きているようでこの世は結果生かされているのだなという気持ちです。
 そんなことは私は信じないという人もあるでしょう。それはエゴでそう言っているだけであって根本は人間である限り、その手のひらからは逃れられないのです。それが見えるか見えないかの問題なのです。それは、肉体と精神のバランスの問題であり、肉体>精神の状態がそうしているのです。仏教ではそれを欲とか煩悩だとか言っています。
 そんな時、いつも浮かんで来る言葉があります。それは亡き父の「幸せは東にも西にも北にもない、南(皆身)にある」と、いう言葉です。酒好きで、意思の弱い父が生前いつも言っていました。
 そんな父でも、酒が覚め朝になると、毎日仏壇に向かって般若心経を唱えているのです。摩訶不思議といえば不思議です。幼少期はそんな父を毎日見て育ってきました。
 そんな父でしたが、駅で弁当の売り子をやっていた時期もあったようです。また、家具職人でもあった父は、若い頃、単身、家具道具を持って、ふるさと浜松から京都へ向かいそこで働いたこともあるようです。
 偶然といえば偶然ですが、私も3か月会社員として、京都に勤務したことがありました。また、亡き兄も、数年、染色デザイナーとして京都にいたことがありました。今思えば、京都と何かと縁があったのでしょう。不思議な縁です。裏で大きな力が働いていたのでしょうか。
 さて、話は変わって、どんな状況になっても、幸せは皆身、すなわち我が心に中にあるのです。それを他に求めてはいけませんという事です。幸せは他に求めるのでなく自分で切り開き創り出していくものなんです。
 自分で自分の心はどうにも変えることはできるのです。不幸と想えば不幸になるし幸せだと想えば幸せになります。それが精神という可塑性なのです。今流にいえばフレキシブルに対応ができのるのが、質量も形も持たない心(たましい、霊魂)でもあるのです。
 現世に生きているという事はこの肉体と心が一緒になって存在しているということです。現世では肉体が邪魔をして心を支配している状態が色々な問題を起こしています。肉体>精神の状態です。これを肉体=精神のバランス状態に持っていくことが大切です。
 また、老いて行くにしたがって肉体は劣化していくわけですので、肉体<精神の状態に持っていくのが老後の素直な生き方かなと想います。形あるものはいつか滅びゆくのですが、反面、精神は歳を重ねても。磨けば磨く程輝いていくのです。その輝いた、いい遺伝子を肉体に刻み、次世代の残すのが我々世代の役目です。
 そして、それはやがてまた、新しい物に生まれかわり諸行無常に変化してゆくのがこの世です。生物は一世代を終わるとその現実を生きた遺伝子に残して次世代へと繋げていくのです。ですから、できるだけ、いい遺伝子を残すように現世のエネルギーをそこに注ぐべきです。


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摩訶不思議、人格とは?そこから何を想う

2022年08月10日 | エッセイ
コロナ3年8月10日(ウクライナ元年)
 私たちは何気なく人格という言葉を使っていますが、この言葉こそ分かっているようで分からない非常に広い概念を含んでいます。それだけ、格式の高い言葉でもあります。
 よく、人格を否定されたという言葉を日常使うこともありますが、その中で考えると分かりやすい気もします。この言葉はまさに哲学の本質をつかんでいるような格調の高い言葉です。人間だけが持つ多分に精神と肉体を統合した言葉だろうと想います。
 私なりには人格とは自分という個性ある私を作っている根本にあるすべての中心にあるものだろうと想っています。そこはまさに自分を制御できる中枢でもあります。そこは精神と肉体が混在として存在しています。まあ、組織の中核でもあり、司令部そのものです。
 そこが崩れると統合失調症を始め精神や肉体が変調をきたすようになるのです。そもそも指令が制御できなくなった状態が病気です。人間の身体は日々変化していますが自然治癒力で制御できていれば、少しぐらいの波風なんぞ、何のそのです。
 人間が誕生して以来その遺伝子を何世代にも渡って体に埋め込んで来ているのです。ですから、私はまず、第一にこの自然治癒力を最大限信頼してます。そこを補完するのが医療だろ理解しています。
 健康とはそこの司令部がしっかりしていて体全体をうまく制御している状態です。どこかで火事が起こっても、消防車がすぐ、出動で消火できれば何ら問題ありません。消化が長引くと発熱症状となって現れてくるのですが、ですが、通常は自然治癒力がありますので、やがて鎮火するのです。
 多分、健康だと想っている人でも、今日は調子がいまいちだなという状態のときはあります。これがリズムです。バイオリズムという言葉もあります。生きていいる限り、このリズムから逃れることはできません。この波を理解し上手に日常を渡るのです。リズムのない世界なんてもともとないのですから、宇宙とて惑星の自転公転があり、重力があり、大気とて場所により差があります。だから、その差を埋めようとして風という大気の流れが生ずるのです。それが自然な状態です。血圧も一喜一憂しません。高い時も低い時もあります。それはそう必要があってそうなっているのです。リラックスすれば血管は拡張し血圧はさがります。恐怖を感じた時は血管は縮小します。もしもの時を感じて出血を抑えるのです。
 大切なことは医療が先にあるのではなく、まず、自然治癒力が先にあるのです。非常事態になった時のことを考えてみましょう。まずは、この自然治癒力を最大限使います。それで治ればそれでよしです。それを補完するのが医療です。この順序を間違えて病気を作ってしまっていないだろうかと、反省しなければいけません。この病気も通常はやがて鎮火します。
 人の身体を考えてみますと、司令がすべてに行き渡る為の大きなルートは血管と神経系統です。そこをメッセージ物質と酸素や栄養が行き来しています。だから、この血管と神経系統はことの他大切です。このルートに異変が起こる状態が病気だといえるでしょう。酸素は送られないわ、メッセージ物質も届かないわけですから、大変です。
 人格の司令部がツーといえばカーと答えるチャンネルをいつも健全に保つよう努力したいです。そうはいっても、後期高齢者ともなると、衰えて来ている身体を感じ始めています。まあ、いくつまで生きるか、すべては神様(自然の摂理)の御心次第です。「感謝と畏敬の念」を持って過ごす毎日です。石碑にも「感謝と畏敬の念」と刻むよう家族にはいってあります。
 人間とはほんとに不思議なものです。また、人間につていどこかでじっくり掘り下げていきたいと想っています。
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ご注意!ダークパターン、至る所に落とし穴?

2022年08月03日 | 消費者問題
コロナ3年8月3日(ウクライナ侵攻元年)
 
 今は、ネット通販が盛んに行われ、アマゾンや楽天でお買い物をするのが当たり前の時代です。そんな中で先日こんなことがありましたので、ダークパターン問題の1つとして紹介します。ご利用中の方はご留意願います。
 それは、アマゾンでプレミアム会員資格継続の変更をしようとしたときのことです。アマゾンはそれでも、世界一お客様を大切にしているのを売りにしているので満足していたのですが、NHKが先日、本人が亡くなってからの口座から会費が引かれているという記事を目にし、私も自分の年、75歳にもなると、考えさせられましたので、早速手続きを取りました。自動継続ではなくて、1年毎に契約を見直すのです。
 実際それを自分でやってみて、その変更方法の複雑さにびっくりしてしまいました。とにかく、変更画面に行くまでが4つの関所を通らなくてはいけない画面構成になっていました。また、そこまでにたどり着くのに場面、場面の文面を見て判断するのですが、どう考えても、日本語表記がおかしく、そこでリンクをクリックしたら、画面終了になってしまうか、とんでもないことになってしまうようなあやふやな表記になっていて、最終局面には、まともな解釈ではたどりつけないように設計されているようでした。
 普通は自動更新でやるのですが、1年限りに変更するだけで、4つの関所を通らないとそれができないなんて、詐欺的な画面構成だなと想いました。アマゾンの担当者にもそのことをお話したら分かってくれたようで、今後検討するとのことですが、これはもう、業界では当たり前の確信犯だなとぴんときました。最初から、そう、設計されていたとしか考えられないのです。
 自動継続か1年限りかを最初の画面で選択できていれば、二択ですのでお客さんもすぐ判断できるのですが、わざと1年限りの画面を奥へ奥へと押しやって、すぐ、1年限りのボタンは押させないような仕組みでした。
 常日ごろからアマゾンは「世界一お客を大切に」を合言葉にしている会社として、私なりに信頼していたのですが、今回は騙された感じです。その設計が実はダークパターンなのです。実に巧妙に設計されていました。
 明らかに最初からそれを意識して設計した画面構成でした。だから、アマゾン担当者は私との電話応対には、私に押させる代わりに「アマゾン側でやります。」と、いったのだという事も分かりました。
 その事を想うと日本でも早急にアメリカを見習ってダークパターン防止法でも作って消費者保護の法制化を急いでほしいと想いました。
 しかし、日本では、現状、その言葉すら知らされてないようで、消費者センターの方でも知っている方は、殆ど皆無のようでした。まだ、日本ではこのダークパターンという言葉を知らない人が多過ぎます。この言葉を国民運動として、広げて健全なネット通販ができる社会をつくる必要性を今回強く感じました。
 まだ、アマゾンはいい方です。特にひどいのがヤフー関連です。皆さんもペイペイ決済をしている方もいるかと想いますが、ペイペイの支払いとポイント付与、残高、請求書などの関連は誰が見ても分かりにくく、早急に改善が待たれます。なぜ、こうも複雑に作らなければいけないかと考えてしまいます。
 また、ヤフーにメールが知られると、沢山のメールが押し寄せ、それを解約するだけでも、大変な労力です。デジタルや社会を脅かすこのダークパターンを早急に防止しないと、だまされる人が沢山出るでしょう。特に、未経験な青少年に影響が多いと想います。お気をつけください。
 そのほかでも、クレジットなどを使っていると、やたらと、リボ払いに誘導してきます。ぼやぼやしていると、間違って、リボ払いボタンを押しそうになってしまいます。押したくなる場所にこのリンクが張られているからです。これもダークパターンの典型例です。日本でも早急に利用者保護の為にもダークパターン防止の法制化が急がれます。
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