想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

梅一輪

2023年01月26日 | エッセイ
コロナ4年1月26日(ウクライナ、ロシア戦争2年)

梅一輪
  一輪程の
     暖かさ
  
    服部嵐雪

 この時期になると不思議に浮かんでくるのが、この句です。今は寒波襲来で日本列島は震えておりますが、何度も温かい清涼剤のような爽やかな句でいつも和まされています。俳人も素敵だなと想います。
 俳人と言えば、奥の細道で有名な芭蕉のことば、不易流行も私が好きで好んで使う言葉であります。私の中にもいつも不易流行が潜んでいます。どちらも捨てがたく、それらが表裏一体となっているところが、心に響いてくるのでありましょう♪昔から深遠なものに共感を抱く私でもあります。
 後期高齢者ともなると、新しい世界への旅立ちの事も気になって参りますが、努めて今、その刹那を充実させる事が一番かと想って毎日を生きております。刹那の連続が人生であり足跡にもなります。しかし、努めて足跡は見ないように、いつでも前を向いて行こうと想っている私でもあります。還暦を過ぎた頃から、心身の健康も気になり、歩く時は下を向かない。ぐっと目を開き遠くを見て歩こうと決めて来ました。お陰様で毎日の生活も大分前向きになったかなと想います。
 昔見た映画に清く貧しく美しくというタイトルの映画があった様に想いましたが、清貧な思想の美しさが際立った昭和の名作だと想います。今の時代では、絶対表現不可能な昭和の良き時代の映画でした。君の名はなども、忘却とはわすれさることなり、忘れえずして忘却を誓う我が心の悲しさ、なんていう情緒も浮かんで参ります。
 今日はこの辺にしておきます。

下のリンクをご覧下さい。



https://www.instagram.com/reel/Cn2vr75Pdn3/?igshid=YmMyMTA2M2Y=
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75歳が生き生きするシニア像とは?

2023年01月11日 | エッセイ
コロナ4年1月11日(ウクライナ、ロシア戦争2年)
 不易流行、諸行無常、世の中は刻々変わっています。コロナやウクライナ侵攻を誰が予見したでしょう。この変化の激しい時代、私たちシニアはどうこの難局を生き抜いていったらいいのでしょう。今日はそのことを考えてみます。
①過去のシニア像
 ・65歳で引退し年金暮らしを満喫する。
 ・過去の資産にしがみつきそれを守るだけで精いっぱい。
 ・遺産を清算し妻や子供に残す。
 ・自分が培って来た技能、智慧を残された人に伝承し若い世代を育てる。
②新しい時代のシニア像
 過去のシニア像は引き継ぐのは勿論、それにプラス、培った経験や智慧をもとにシニア世代自ら、健康で身体が動く限り新しい時代を切り開く。そんな時代なんだなとつくずく最近は感じています。
 私も後期高齢者となりその責任が求められているのだなと実感しています。いわゆる不易の面は残しつつ、流行の面を若者と共に作り上げていくという気概が肝要かと想います。その気概はオーラとなり少なからず周りにも影響を与えます。
 いわゆる波動が惹起されるのです。人生はリズムです。波動です。その波は瞬時に伝播します。
 今後、年金は減額傾向のこともあり、自分で財テクしていかなくてはいけません。今、数々の金融商品が溢れかえっていますが、その方面の知見も大切です。益々そういうシニア像が求められる時代になったなと想います。
 事をなす時、意識の面では年齢は忘れて、時代に対処していく必要があります。それには、いつでも頭を赤ちゃんの頭、すなわちタブララサ(無の状態)にし、いつでも本質に戻り、そこから新しいものを生み出していくのです。クリエイティブなことをするときは伝統や常識は敵になります。何事もゼロベースで考え、そこから、本質に迫り新しい時代を切り開くのです。創造とはまず、本質に戻るところから始まるのです。
 このことは一朝一夕にできることではありませんが、これからの若者は若いうちからこの辺のことに道筋をつけながら進んでいく必要があります。その為の健康は最優先です。
 年金に変わる財源を自分で生み出し、また、新しい人間にとって有効な社会の仕組みを作り上げていかねばならないと想います。
 そういう時に経験値に裏付けされたシニアは大いに力になるのではと考えています。
 身体が動く限り、年齢を忘れてそのことに生涯を掛けようではありませんか。まだまだ、シニアは捨てたものではありません。今後はそんな年齢を忘れたシニア像が求められる時代になったなと想っています。
 ITは若者だけのものでなく、シニアも自然に使えるのが肝要です。いわゆる読み書きITです。
 若いから、年寄りだから、男だから、女だから、国籍も関係ありません。皆同じ人間という所から考え行動していけばいいのです。皆同じ地球上の生物の一員です。まあ、千里の道も一歩一歩、一歩後退二歩前進し、失敗は成功への一里塚と考えて、自分で感じ、自分で調べ体験し、気づき、そこから次のステップに発展的に思考することが大切です。
 生活科と総合学習はその為にできたのです。そうこうしているうちにもシニアはいつか永遠の旅立ちがやってきます。そしたら、その時、考えればいいのです。
 健康なうちはどこまでもポジティブ思考ですすみましょう。強い自己肯定感に支えられ、つまずいてもいい、そこからまた、新しい何かを掴むでしょう。
 人間はやはり考える葦でありましょう。「人間は自然のなかでもっとも弱い一茎(ひとくき)の葦にすぎない。だが、それは考える葦である」 とは、17世紀フランスの思想家パスカルのことばであります。
 広大無辺な宇宙に比べれば、人間は無に等しく、「一茎の葦」のごとく弱く悲惨な存在にすぎませんが、それは「考える葦」であり、思考によって「宇宙を包む」ことができます。
 ここに人間の尊厳があり、偉大さがあります。このような偉大と悲惨、無限と無という相矛盾しあう二律背反のなかで、揺れ動く人間の存在を、パスカルは「考える葦」ということばで象徴させているのであります。
 このか弱き「人間」の代わりに「シニア世代」を当てはめればまさに新しい時代のシニアの像にぴったりくるでしょう。健康に留意し百歳まで頑張りましょう。人生百年時代がやって来たのです。
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75歳なって分かった。英語が聴き取れないわけ?

2023年01月01日 | エッセイ
コロナ4年1月1日(ウクライナ、ロシア戦争2年)

 なぜ、日本人は長く学校教育で、英語を学習して来ているのに会話ができないのか?最近、SNSに接していて、なんとなく分かるようになった。
 それは頭で理解するのでなく、感覚の問題なのだ。喋ったり聴いたりするのは、理解とは違う。
 赤ちゃんを思い出して欲しい。どこで覚えたかと想うほど、いつの間にか言葉を発している。聴くと喋るが一体として出来てくるのだ。
 単語で覚えるのでなく、センテンスそのものを一つの単語として耳に入らなければ
理解できないはずだ。
 また、abcdefgは
ア(a)、バッ(b)、クッ(c)、ドッ(d)(ザッ)、エッ(e)、ファ(f)、グッ(g)、ハッ(h)、ジュ(j)などがあり、この音を中心にして生の言葉を耳からだけ聴く習慣を会得しないと多分いつまでたっても英語は話す聴くができないのが、最近分かって来た。
 いかに今まで私たちが受けて来た英語学習が読み書きに偏っていたことが分かった。これは戦後の日本教育の失敗である。国は何をしていたのか、国を信じていた私の怠慢を恥じる。なぜ、そこにもっと早く気づけなかったのか?
 今後はabcエイビーシーではなく、アッ、バッ、クッ、ドッ、エッ、ファなどと音の発音に慣れていかないといけない。
 また、聴き取れないのは、単語でなく、How you doing. What’s up?などのセンテンスそのものを一つの単語として聴き取れる力が無いと聞き取りができない事も容易に想像できる。
 もっと、分かるようになるには、もう少し長いセンテンスも1つの単語として聴き取りができるようになりたい。
 例えば、I\'ve been in Japan(アイブビニンジャパン).やNot only in Japan, but also in the U.S., there is such a custom.これくらいの長いセンテンスも一つの単語として覚えておくと多分いいのではと想う。
 難聴気味で中高音がだいぶ聴き取れなくなって来ているが(子音が聴き取りにくい)少しずつでも頑張って字幕なしでも英語が分かるようになりたい。
 もっと、早く、この事に気づけばよかったな。
コメント (2)
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出口を考えてから入らないと、大変な事に!

2023年01月01日 | エッセイ
コロナ4年1月1日
(ウクライナ、ロシア戦争2年)
 明けましておめでとうございます。先程、初日の出を見て来ました。今は帰ろうと想っていますが、行きは良い良い帰りは怖いで、渋滞となり、なかなか帰れませんので、こうして車中でブログを書いています。
 まさに、ダークパターンでして、サブスクが、契約はすぐできるのに解約には沢山の関所を通らないと解約できない仕組みと同じだなと想っています。
 これにこりて、来年は帰り道の事も考えて初日の出を楽しみたいと思いました。それにはどこに駐車するかという場所選びがキーポイントです。 
 さて、ついにコロナも足掛け4年目、with cronaの時代に入りました。ウクライナ侵攻も戦争に変わり今年も大変な年のようです。できれば今年は劇的に平和に転換する年になればと神様にもお祈りしてます。戦争だけは早く終わってウクライナにも平和が戻って欲しいです。
ps
車の中で書いています。




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