想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

コロナ禍という現代の物の怪(け)

2020年04月28日 | エッセイ

コロナ元年4月22日

   戦争が終わって僕らは生まれた。戦争を知らずに僕らは育った。…で始まる歌の通りに私たち団塊の世代は育ってきました。今も懐かしい昭和の時代が写真と共に蘇ってきます。   

   このまま、平和のままに終わるかに思っていた団塊世代の人生も、東日本大震災を体験し、今回はまさに未曾有のウイルスとの戦争にまで突入してしまいました。まさに、第三次世界大戦の様相です。人類危うしです。このままでは、いつ終わるとも分からない気もしてます。

 これで、オリンピックが中止に追い込まれれば、日本経済に大きな打撃となるでしょう。その前に、世界経済は大きくパラダイムシフトを余儀なくされるでしょう。こうなれば、第2の世界大恐慌を上回ることになります。リーマンショックの比ではなくなります。

 世界は今、国家を超えて、物流や情報で大きくつながって来ています。石油は物流の停滞で、大きく消費が減少し、マイナスの値段が付くなど、前代未聞の出来事が起こっています。ここに来て、石油製品の消費拡大を続けて来た世界経済も大きく方向転換をせざるを得なくなりました。石油の需要も省エネの流れや大気汚染問題もあり減少せざるをえない中でのパンデミックです。

 今まで私たちは、地震やミサイルなど目に見えるものの脅威にさらされてきましたが、今回のミクロの世界の出来事で、目に見えぬだけに余計に恐怖を感じてしまいます。

 これだけ、科学が進んでいると言われる現代でも、まだまだ、未知な事だらけなんです。うがった見方をすれば、現代人は科学のおごりにうぬぼれてしまっていたのです。自然は諸行無常が本質であり、絶えず変化しているのです。新型コロナも益々変化し人々を悩ますことになるでしょう。はやい段階でのワクチン開発が待たれます。

 昔、我々は未知なる物を物の怪(け)と称して恐れて来ました。平安時代の貴族がそうでした。その、中身が代わって来たのです。それが新型コロナです。ですから、人は平安時代の貴族同様それを恐れるのです。いつの時代でも未知なる物におそれを抱くのが人間なのです。

 中国武漢から発したウイルスはあいにく春節の時期と相まって瞬く間に世界に拡散してしまいました。そんなに怖いウイルスだと中国が分かっていれば、こんなことにはならなかったのに残念でなりません。特に中国と関連が深い一体一路のイタリアやイランはひどくやられました。日本とて例外にはなりませんでした。今は医療崩壊寸前の状態でどうにか持ちこたえているのです。

 

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日本のコロナ対策、私権と公権のはざまで、政治はどう決断するのか?

2020年04月26日 | エッセイ

コロナ元年4月26日

 諸外国に比べて日本のコロナ対策が気になります。というのも、韓国、アメリカ、中国、イギリスなどの諸外国に比べると、実に緩やかな方法をとっているからです。オーバーシュートをなくし、医療崩壊を起こさないということはいいのですが、警戒宣言を出し自粛を要請しても、強制力がないので、なかなか効果的にいってません。外に出歩く人の数が希望の80%減にならないのです。頼みは国民の自律心の高さに頼るしかないのです。お金を配ることで実行を促すこともある程度は必要でしょうが、これにも限界があります。

 今までのやり方を継続していたら、いつ、終息に向かうのか、最近少し、心配になってきました。ある日突然、オーバーシュートが起こるかもしれません。それからでは、手がつけられなくなるのです。諸外国の様に、一時は大変かもしれませんが、強権的にやらないと、だらだらち、同じことを繰り返す危険がどこかに残っているのです。蛇の生殺しにならないかと心配になるのです。有事の際は、ある程度の民主は押さえても強権的にやらないとだめなんです。

 日本は民主国家ですから、各人の権利を最大限尊重することはいいことなの、ですが、その前提には各人が公共の福祉のことも考えることのできる広い道徳性を持っていることが大切です。現実はややもすると、経済優先の生活が身についていて道徳性よりも経済性が優先の世の中になっているようです。こういう時こそ、道徳国家日本でありたいものです。その前提がないと自粛には無理があります。

 自由とは放縦の自由ではないはずです。各人がやりたいことをやり、天に唾すればそれは必ずや各人の身にそれが降りかかってくるのです。愚かな人の行動の唾がまじめにやっている人にもかかって来たらやりきれません。法改正を即刻にしてまで、速度を持って実行して欲しいです。いつまで、この生殺しの状態が続くのでしょうか、そろそろ国民も我慢できなくなってきているのではないでしょうか。最大限の私権を尊重した上での公権力の発動を考えないと大変なことになります。

 ですから、日本のような民主国家がこのような自粛を要請するには各人の自律ができていないと駄目なんです。これはもう、義務教育までに育っていないといけないのです。しかし、何度言っても守れない人が一定数存在します。今回の有事では、そのためにほころびが出てしまいます。ここでは、自粛ばかりでなくもう一歩踏み込んだ法改正で公権力を強化する必要があります。我儘を許さない法規制がどうしても必要です。そうしないと、正しいことをしている民衆にも被害が及びます。民主主義はその前提の上に成り立っているのです。

 もし、自粛を要請しても守れない人がいる限り、一定の強制力を国に持たせて、罰則や個人を束縛するしかないのです。現行の法制度の中でも最大限私権を制限するしかないのです。今は有事です。こういう時は、ある程度私権を抑えてもやむを得ないのではないでしょうか。しかし、これは慎重にして大胆に、そして、速度を持ってこそ、実効性があります。速度が必要なんです。

 その為には、カリスマ性のある指導者が今は必要なときではないかと思います。清廉潔白であり、判断力、決断力があり、実行力の富む政治家の出現が国家を救うのです。優しいだけではだめなんです。ぶれないで、遠くを見つめて、決断できる人物が必要です。そんな政治家こそ、この混迷な民主主義の時代には必要です。

 今は、世界の有事であり、個人を言っている場合ではありません。個人対コロナではなく、国民対、人類対コロナと大きなとらえ方をしていかないといけないのです。

 

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コロナ禍、混迷の秘密とは

2020年04月10日 | エッセイ

コロナ元年4月10日

 報道では最近、新型コロナの話題で持ちきりです。そんな中、私なりにコロナについて気がついた事をまとめてみました。どう、コロナとつきあっていけばよいのだろうか?それには敵を知らなければなりません。皆さんも真剣に考えてみてください。

 さて、今回のコロナは人類を脅かす感染症のパンデミックを引き起こしています。このまま行くと、日本も危ないのではと危惧してしまいます。とにかく、何がなんだか分からないまま感染してしまうのです。ミステリアスな部分が多く狐に摘ままれた感もします。人類の存亡にも関わってくる問題です。

さて、このウイルスは

★罹患してからの期間が2週間と長い。
★潜伏期間が長く、いつかったかが分かりにくい。
★ウィルスなので目に見えない。
★罹患しても無症状の人が多い。
★陽性から陰性になった人が再度陽性になって悪化する。(実際は再度陽性ではなく、ずっと、陽性のままなのではないのか。)
★罹患者を見つけにくい。(かかっても外見は健常者と一緒の人が多数いるので)
★陰性と言われた人の中に陽性の人が紛れ込んでいる。
★治療法が見つかってない。(新種のウイルスであり、抗体もなく、ワクチンも新しく開発しなければならないので、このウイルスの正体を解明するのに時間がかかる。)
★全人類の抗体ができたかを見つけるまでに莫大な時間がかかる。(抗体検査を気軽に受けられない。)
★抗体能力がいつまであるかも定かでない。
★自然治癒力に頼るしか術がない。
★ウィルスが外界でどれだけの期間生きているのか定かでない。
★症状の出る人とそうでない人との違いがまだ、しっかりと特定できていない。
★手鼻以外の目からもウィルスが侵入するので、防ぐのが大変。

  結論としては対処方法になるが、治療法も薬もない現実では、自然治癒力をいかに高めておくかが正念場となる。その為には、睡眠、栄養、心の持ち方が重要。ストレスとどう対処するかの処世術が大切。ストレスに弱いと致命的である。ワクチンができるまでやウイルスの解明まではまだまだ時間がかかるようなので、長期に渡りお付き合いしていくこととなる。まだまだ、目に見えないウイルスとの戦いはつづく。長いお付き合いになる。
 
 
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