想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

益々必要視される教科「人体」の特設化

2022年01月17日 | エッセイ
コロナ3年1月17日
 定年退職して、痛烈に感じたことがあります。それは、人間でありながら、いかに人体の事について知識がなかったかと言うことです。肉体は生命つきるまで自分について回ります。だから、人体の理解は終生必要なんです。
 我々凡人は何かあると何も考えずに薬を服用する。医者にすぐ行く。医者は医者で問診、診察は少なめで、すぐ、薬を勧めて患者は薬漬けになってしまう。薬の点数を考えながら治療する。
 今の医療を制度の根本から考え直していかないと、医療という尊厳ある行為も経済活動になってしまう。
 医者は医者で理想に燃えてなっても、最後は患者を診るよりも病院経営をどうしても考えてしまう。
 患者は患者で医学知識がない為、どうしていいかわからない。医師に言われれば、何も言えない。今は、情報が溢れている。その気になれば、藪医者よりも良く知っている。
 今後は、義務教育で小学生から「人体」を教科として特設し、消化器から神経、筋肉、骨、痛み、栄養、内分泌、心等を人体として総合的に把握出来る知識を誰もが身に付ける事ができないか。年を追って順に義務教育終了迄にはある程度、医者にかかる前の自分の状態がどうであるかを自分なりに理解できる様な力を身に付けさせることが、できないかと考えている。
 特設すれば、できるのだが、なぜ、国は特設できなきのか?疑問が残る。
 また、必要以上に医者と薬に頼らない新しい制度の創設や現在の保険制度の見直しも進めたらと思っている。
 医療と教育は両輪である。心の問題を薬で治そうとする風潮を憂う。やはり、心の治療は根本が人のアナログ的な発想がまずもって、大事な気がする。
 病院に行けば、必ず病名がついてしまう。その病名が正しければ問題がないが、怪しいものも沢山ある。特に精神的な病は一括りに病名がつけにくいものだが、やはり、病名はつく。
 特別支援教育の中でも、手っ取り早いのか薬を服用している子も最近はたくさんいる。それも、心療内科でも沢山の薬が出ている様である。心の問題は詰まる所、人のたゆまない愛情から解決の先が見えてくるものだと思う。今後は医療を効率性や便利さから解放し、全人的アプローチで当たって欲しいと願っている。
 そのためにも、西洋医学一辺倒となっている医師免許に東洋医学も大いに加えたらどうかと思う。全ての治療はまずもって人間理解から始まり人間理解に終わる。人間そのものを深く統合的に捉えて、初めて治療ができる。
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かくも不思議な人の能力とは?

2022年01月12日 | エッセイ
コロナ3年1月12日

 女房が、朝、こんな事を言っていた。幼保園での出来事だ。
 かるたやトランプをやろうとすると、何枚も取る子は、やりたがるが、取れない子は、やろうとすると、そこから逃げ出すそうだ。そりゃそうだろうと思った。それが当たり前の事だと思う。それは、そこは、彼に取って居心地が良くない事を体験しているのだ。神経衰弱やかるたは、その絵札を記憶していないと取れない。と、いうことは、その子はその時の感情や雰囲気をしっかりと記憶していたのだと思う。
 数や絵札の記憶には劣るかも知らないが、無知を自覚する能力にはたけていたと、考えれば納得が行く。
 記憶にもややもすると、今は、知的な記憶ばかりが目立つ知育教育の弊害がそこには現れているとしか言えない。
 かるたを楽しんでいる子はその絵札を記憶する能力は確かに高いだろう。しかし、大切なことはその時の状況把握をしっかり感性で受け止めていて、自分にとっては、その場は向いていないと自覚できる能力もまた、大切だろうと思う。状況把握や情的記憶はしっかりと心に刻んでいたということはそれはそれで、しっかりと評価しなくてはいけない。
 認知症への理解も似ているところがあるなと思った。それは、単なる言葉や数の記憶は薄れても、感情なり心の記憶においては、しっかり残っている人もいるということだ。単なる物忘れだけで判断するのでなく、人間をトータルで眺めることが大切だなとつくづく思う。
 そう考えると、今の世の中は偏差値とやらで、やたらと評価する教育が横行しているなと思う。
 もっと、感性面や多方面からその人を評価することが出来れば、その人を生かせる道がたくさんあるのになと思う。いわゆるダイバシティで考えると社会だ。ワンパターンで人を捉えては、各人の個性は伸ばせない。
 デジタル化時代で一番大切な事は、状況把握や感性や情動の記憶力がしっかりしていることだ。それこそ、人が人たる根本になる。やはり、徳育、体育があっての知力だ。
 脳での記憶でなく、心や体全体での記憶や状況把握能力が大切な時期に来ているなと思った。
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自然界とは妙なるもの、幼いころからの回想から

2022年01月10日 | エッセイ
コロナ3年1月10日

 自然界とは、かくも妙なるものかと、いつも感心してます。自然界から学ぶことが多い毎日です。まさに自然は最高の師です。
 自然界というと、私の幼少期にこんなことがありました。私は星や宇宙が好きで、掘っ立て小屋に上がって、星を見ていたことがありました。星を見ていると、あれがお母さんの星で、これがお父さんの星だなと空想をしていたこともあり、そんな子供でした。宇宙には地球と同じ星があるのかなとか、突拍子の無いことを考えたものでした。
 また、同じ星を長く凝視して見ていると不思議なことを発見しました。それは錯覚でしょうが、その星が周りをくるくる動き回る様に見えるのです。実際は動いてないと、心では想っているのですが、そのように目に映るのです。そんな星空が実に心地よく感じていました。、不思議ですね。
 そんなわけで、子どもの頃は天文学者になりたいなんて、想った時期もありました。その頃から、神秘なものに畏敬の念を持っていたのかも知れません。
 墓石に今、感謝と畏敬の念を刻むことにしています。そして、昨年、新しいお墓も決めて来ました。
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