想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

干し草のある風景から想う

2016年12月12日 | エッセイ

震災6年12月12日

 

 毎年、11月下旬~12月にかけて、国交省が堤防の草刈りをやってくれています。これが、風物詩のようになり、環境美化にもなっています。単に刈り取るだけでなく、干し草として、機械で丸めてくれるので、非常に地域の景観にもいい影響を与えてくれています。朝のウォーキングもすがすがしい気持ちでできます。

 これを横目に見、しばれる気味の冷気に包まれての朝の一日は最高の気分です。自然よありがとうと思わず声が出てしまいます。

 しばれる感じの朝の冷感ほど、自然からの大きな贈り物です。それに、感謝しつつ今日も、ウォーキングです。Viva nature!です。

 朝のすがすがしい気分は千金にも値します。始めよければ終わりよし、気持ちよい一日がこんな所から始まります。今日も、周りの景色に感化され、気温3℃で今年一番の冷え込みでしたが、いいスタートが切れました。

 昔から、環境は人をつくるといいます。また、孟母三遷の教えもあります。いい環境は値千金です。人はその中ですくすく育ちます。人はすべて環境がつくるといっても過言でないと思います。自分で周りとできるだけいい環境をつくり、周りの環境をよく整え、そこで、生活することが何よりも生きるエネルギーになります。

 生きるということは環境とどう付き合い折り合いをつけるかです。そして、周りとどう調和していくか、そして、調和は流動というエネルギーにかえてこそ、また、生きる価値につながるのです。

 

 昔から、何かを為した人は、その環境の中で生まれ、その環境を変え、自分の動機付けにしエネルギーに絶えず新しい息吹を与え、己の精神を覚醒させ、力にしてきたのです。

 周りが明るくなれば、そこにたくさんの生き物が集まって来ます。不平不満や愚痴は周りを暗くします。なるべく物事は明るく考え、明るく考えれば己の呪縛から取り放たれるのです。

 昔、こんな話を聞いたことがありました。バレーボールチームの不満ばかり言っていた選手を切ったらそのチームがよくなったというお話です。それは、不平不満が明るい芽を摘んでいたのです。ものは考えようです。努めて明るく考えたいです。そうすれば明るい方へ変わって行くのです。

 真っ暗い洞窟でさえよく見れば一条の光が差し込んでいるのです。洞窟に入った瞬間はまだ、暗さに目がなれないので、明るさに気づかないのです。悩みに入っている状況です。それが、段々、暗さになれると不思議に明るさに気づくのです。人間は相対的に生き物ですので、明るいところから急に暗いところに入ると、ちょっとした明るさには気づかないのです。

 では、今度は、逆説的に考えてみましょう。照明の技術が発達し、文明国家ほど、夜が明るくなっています。宇宙から地球を眺めるとそのことがよく分かります。北朝鮮は明かりがあまりみえません。

 現代人は明るさ場ばかり求めますが、闇があるから天空の星は美しく輝いてみえるのです。最近はどこもかしこも、暗い暗いといって、街灯をつけたはいいのですが、却って闇夜を忘れてしまい、自然の畏敬から遠ざかってしまっているのも不幸なことです。

 ですので、青少年に取って、キャンプファイヤーや炭の火おこしは貴重な体験です。どのことは沢山体験して大人になってもらいたいです。

 闇があるから光も生き、光があるから、闇も生きて来るのです。すべてこの世は相対的な世界です。絶対的に誰もが、金持ちになったらどうでしょう。その途端に金持ちでなくなってしまいます。貧乏人がいるから金持ちがあり、金持ちは貧乏人の上に乗っかかっているようなものです。ものは、考えようでもあるし、人がいる限り世界は相対的なものです。

 昔、経済学で「限界効用逓減の法則」を学んだことがありましたが、物が豊富にあるようになると、ある限界を超えるとそれが豊をもたらすどころが苦痛でさえあるようになるという学説でした。

 まあ、これにも、随分大げさな名前を付けたものだと思った時期がありました。このことは、わざわざ大学の経済学部へいかなくても、何事も程差を知る賢い人は体を通して知っていたのだろうと思います。

 やたらと定義付けし、格調高く述べているだけで、本質は庶民誰もが、知っていたのでしょう。このように、学歴もおなじようなものです。

 最近猫も杓子も大学に行きたがっている風潮がありますが、中学の勉強がしっかりできていれば、社会に出ても大丈夫なはずですが、どういう訳か、分数ができなくても、大学に行く風潮が、私には理解できません。

 多分余分なことをして、GDPを挙げている受験産業に毒されているのではないかと思います。資本主義も行き過ぎるとこのような無駄なGDPを沢山量産してしまいます。

 人でなければできない、介護や福祉、教育、人の命に直結する食料や農業、食育の分野もだいじです。医学も大事ですが、薬偏重になっている傾向は健康保険制度の悪い面が出ているのでしょう。医療漬けの風潮はいけません。人間の本来持っている生きる力をもっと出させる健康を大事にしていきたいです。最近、やっと、健康寿命が言われてきたのはいい傾向です。

今の子を見ていると、自分で考えれば、分かることを、急いでいるのか、考えないで短絡的に塾や外部に求める依頼心が目立ちます。義務教育の目的は自立への基礎なんですが、結果として依頼心の強い人間が多くなっているのは、どこかに問題があるのでしょう。

 義務教育も教育基本法のお題目だけはいいのですが、結局依頼心のある人間ばかりをつくり、自立を遅らせているように思えてなりません。その間、潤うのは受験産業だけです。

 一人探しの旅とは己を知ることです。己の誕生の目的を知ることにあるのでしょう。己が分からなくて、すぐ、人の助けを借りる社会はやがて衰退してゆくでしょう。

 自分で考え、自分とは何か、自らの分け前とは何か、考えても、考えても、どうしても分からないとき、人に教えを請うのです。最初から、結論だけを求めすぎです。結論にいたる過程をもっと大事にしないと本物は生まれません

 それに関して、私たちの時代は工学部全盛時代だったと思います。高度経済成長の待っただ中にそだちました。ですので、理系というと工学部がすごいとすり込まれていましたが、理学と言う考えもあると分かったのは少し後になっていました。この工学と理学の違いについては、いつか、まとめてみたいと思います。この差の違いは私の人生にも大きな影響を与えました。

太陽と
空と
空気と

植物が
織りなす
朝の風景

ぴりっとした
冷気に
全身が包まれ

歩くことの
幸せを
しみじみ想う

そんな
自分を
見つける
朝6時10分

軽やかな
歩先は
寒風を
友とし

適度な緊張と
心地よさを
はらんで

遠く
明石連山の
白い峰を
ときおり
感じながら

今日も
前へ前へと
歩みを進める

ときおり
お早うと
行き交う人と
声を交わす


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