想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

器用貧乏と「あれかこれか」から思う

2016年12月01日 | エッセイ

震災6年12月1日

 

ソースネクストeSHOP

 器用貧乏という言葉があります。辞書には
{なまじ器用であるために、あちこちに手を出し、どれも中途半端となって大成しないこと。また、器用なために他人から便利がられてこき使われ、自分ではいっこうに大成しないこと。}
と、あります。器用なことはいいことなんですが、得てして、中途半端になったり、人に使われるだけの人間になりやすいということを言っているのだと思います。

 器用貧乏と似ている言葉に「人がいい」というのがあります。辞書には
{人柄がよい。気立てがよくて、他人の言いなりになりがちである。}
とあり、これも人に使われるだけの相手に取って便利な人間になってしまいます。

 ですので、器用の先に何があるかの目的意識をしっかり持つ必要があります。そうすれば、今時の世の中、色々な手段がありますので、それを駆使するマルチ人間になるのです。

 文明が進めば進むほど手段は多様化していきます。情報は過多となり、しっかりした目的意識を持っていないと情報の海で漂流することになります。

 そのことを防ぐ為にも、器用だと思われ、色々なことができることは素晴らしいことですが、いつも、漂流する危険と紙一重だと肝に銘じておく必要があると思います。

 ですので、その傾向のある人はできるだけ、何の為に今のことをやっているかという強いベクトルを持って、行動することが肝要かと思います。器用が仇になっては本末転倒です。器用を生かして器用に振り回され、負けてはいけません。

 そうです。今日ほど情報が溢れている時代はありません。だから、我々が行動するときは、「あれか、これか」の選択を迫られるのです。その選択の連続が人生なのです。選んでいるだけで人生が終わってしまっては何にもなりません。

 よく、食堂に入ってメニュー選びに時間がかかりすぎる人はいませんか。それと、同じです。自分の行く道は決断を速くすることが大切です。

 器用な人はその範囲が広いが故に、選択に時間を取られ右往左往することになります。それには、しっかりした決断力がひつようです。

 熟慮断行という言葉があります。熟慮は断行の為にあります。熟慮だけでは何の価値もありません。断行してこそ、熟慮も生きて来るのです。優柔不断は、情報の海に俳諧することになってしまいます。

 それを乗り越え、正しいベクトルに方向を定め、そこに進むのです。今の時代はITを中心として情報が溢れる時代です。しかし、両手に情報を持ってしまったら、片方の手が使えなくなってしまいます。片方の手はいつも空けて置く必要があります。

 情報がいくら多くても、生きている人間は、唯一、一人なんです。そして、人生80~100年の中で一生を終えるのです。

 

 韓国時代劇でも「強い心を持って」と、よくいわれたせりふが思い浮かびますが、強い心を持って、その方向へ辛抱強くベクトルを向けていく必要があります。

 多用な価値の中から、ベクトルに沿った人生を選択し、強く信念を持っていきることが大切だとあらためて思うこのごろです。

 人生はある意味、選択の連続であります。私の中でも色々な選択肢がありました。その都度、選択した結果今の自分があります。

 実存主義者のキルケゴールがうまいことを言っています。「あれかこれか」です。高校生の時に習った倫理社会のその言葉が今でも思い浮かんで参ります。

 要するに、ぶれないことです。選択肢は無限ですが、めざすはただ一点です。熟慮し決断し、選んだならその道をまっすぐ進むことです。

 後、4か月で私も古稀を迎えます。80歳まで後10年となりました。私の人生もまだ、色々なことがありましょう。100歳というと思い浮かぶのが、1970年3月31日、日航機「よど号」のハイジャック事件に巻き込まれた日野原重明先生です。

 彼は、温かく、お人柄も素晴らしいばかりでなく、今も104歳現役医師として働いています。テレビで姿を拝見するたび、尊敬してしまいます。

 ハイジャック事件は自分の意志でなったことでしょうか。因縁果の論法でいけば、何かの縁があり、巻き込まれてしまったのでしょう。そこには、人知れず大きな力が影響したのでしょう。

 人生何があるかわかりません。自分で選択しているつもりでも、大きな力の中で動いているのでしょう。それが、運命と言われることかもしれません。

  運命には自分の運命と自分以外の周りの大きな運命があります。自分で生きていると思っても、大きな運命と共に生きているのです。

 運命を呼び寄せるのが自分であるなら、因縁果ということである意味説明もつくでしょうが、これからは逃れることはできません。ただ、運命には個人である程度変えられるものと、そうでないものがあるようです。

 運命を変えて行くことは縁を変えて行くことかもしれません。縁により自分の運命が決まっているのかもしれません。

 

 さて、長く生きていると色々あるものです。紆余曲折しながらも、しっかりした方向感を持って進むことが大切です。残された人生でなく、いつも、これからの人生を切り開くつもりで生きてゆきたいです。

 畏敬の念と尊敬、感謝はいつの時代でも大切なことだと思います。人生なるようになり、なるようにしかならないのですが、心のキャパシティだけは余裕を持っていきたいです。

 諸行無常で時代は流れて行きますが、トランプさんの出現により、世界も大きく変わって行くかもしれません。

 私たち団塊の世代は戦争とは無縁な平和な時代を生きて来ました。これからも、未来永劫、平和な時代が続くよう祈りを捧げます。

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