命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

ご先祖様とのご縁でしょうか

2024年04月23日 18時35分48秒 | ひと口法話

当山にお越しになられる方の大先祖様のほぼほぼが、

同じ神様に行きつきます。

不思議なご縁としか言いようがありません。

 

現在では、

仏教でお祀りさせている霊をご先祖様をお呼びしておりますが、

仏教が日本に入って来るまでは、神道でのお祀りでしたので、

その神様をご先祖様としてお祀りしていたのです。

 

 

ですから、我々日本人の大先祖様は、

〇〇の神様ということになります。

 

その神様の大先祖様と、仏でお祀りしておられるご先祖様との

絆が途切れてしまっているのです。

 

多くの家で、お宅のご先祖様はすごい方ですと

お伝えしましても「うちの先祖は大したことありませんよ」という

お答えが返ってきます。

 

これらの多くは、間違った先祖祀りをしているために

家が没落したに過ぎないのです。

 

どの家でも何十代も遡れば、立派なご先祖様がおられるのです。

 

だから、令和の時代まで、〇〇家が残っているのです。

 

その神の大先祖様との切れた期間を修復して結び直すために

四家先祖供養があるのです。

 

そして、大先祖様との途切れた期間を短期間に修復するために、

霊界施餓鬼一粒萬福法要があるのです。

 

神様の大先祖様と仏の先祖様をお祀りされますと、

凄いことが起こります。

 

神様のお札をいただいてお祀りするだけでは

ダメです。

ちゃんとした修法をしてお祀りする必要がございます。

 

合掌

 


お不動様は、タケノコ堀りの名人?

2024年04月17日 19時18分38秒 | ひと口法話

本日、いつものように四家先祖供養を

お勤めしておりましたところ、

第2駐車場に行くようにと、お不動様からお言葉がございました。

 

この場所は、タケノコとワラビがよく生える場所です。

 

タケノコを掘るようにとのことでした。

お昼ご飯も食べずに。山主と貞観とで出かけました。

 

こんなしんどいことをして大丈夫なのかと心配しておりましたが、

しかし、いざタケノコを掘るための鍬を振り下ろすと、

一撃でタケノコが飛び出しました。

 

偶然ではなく、8個ぐらいのタケノコを名人の如く、

簡単に掘っていました。

 

なぜ、簡単に掘れたのか?

 

実は、タケノコを掘ってしんどくなれば、貞観に怒られるので、

お不動様に掘ってくれるようにお願いしたのだそうです。

 

なるほど…ね。

おかしいはずです。なんとも見事な腕前でしたから。

 

お不動様がタケノコ堀りのお手伝いをしてくださっていたのでした。

お不動様は、タケノコ堀りの名人でした。

 

合掌。

 


みんな、ご縁のあるご先祖様

2024年04月12日 18時40分43秒 | ひと口法話

当山にご供養をお申込みいただく皆様は、

みんなご先祖様の代からご縁のある方々なのです。

 

偶然にブログやホームページを見られていたわけではないのです。

 

ご先祖様が長い間、探し回りようやく

命光不動尊にたどり着いたのです。

 

ながーい年月をかけて当山のたどりつかれるのです。

大変なご苦労だと思いませんか。

 

先祖がもちろんのこと、子孫のために

この家を何とかせねばの一心で探しまわった結果、

たどり着いた目的地です。

 

相談者の横でご先祖様(見えてません)は、土下座してまで、

「ここで供養をしてください」と嘆願されておりましたが、

ご相談者は、「この間、他で、盛大に法要をしたので、お金がありませんから」と

ひと言。

 

当山の霊界施餓鬼一粒萬福法要をすることで、

現在の悩みが解消されると、ご先祖様が供養をお願いしておられるのでしたが、

ご先祖様の願いごとは、叶いませんでした。

 

誠に残念でなりません。あれから問題はどうなったのでしょうか。

 

合掌


その生き方が「業」を積むんですよ

2024年04月10日 21時03分47秒 | ひと口法話

どんなに偉い人でも多かれ少なかれ、

生きている限り業を積んでいます。

 

前世で善行と呼ばれる行いをしていた人でも、

業があります。

 

そんなこと、ありませんよ。

私は何も悪いことをしていません。とおっしゃる皆様へ。

 

一番の業は、

食べられる食材を惜しみなく、捨てる行為です。

賞味期限切れと称して、何でも捨てたがる日本人。

沢山作っては余らして捨てる行為。

 

食べ物は、人間に食べて欲しくて生きていたわけではありません。

みんな、子孫を残すために命を繋いでいるのです。

 

また、きれい好きな日本人は様々な洗剤を使い、

大量に水を汚し海を汚染しています。

 

植木や草を取り除き、

鳥や小動物の生き物の住処をなくしています。

 

雑草は要らないと、除草剤をまき散らし、土壌を汚染しています。

 

ゴキブリ、蜘蛛、ムカデ、蜂、蟻、田畑の虫など

自分たちの食料となるものを食べる生き物は悪物扱い。

 

害虫と呼ばれる多くの生き物を必要をしている別の生き物がいるのですが、

人間されよければ、自分されよければの元、

害虫の駆除は当たり前の日本。

 

業は生きている限りつくもの。

当たり前のことなのです。

 

それを現世の生き方でどう少なくするか。

また、先祖代々積んできた業をどうはかしていくのか

それが大事なのです。

 

当山の霊界施餓鬼一粒萬福法要では、故人の作った

多くの業をはかすことが可能です。

 

しかし、全ての業をはかすことは不可能です。

 

なぜなら、我々は生きているからです。

生きている限り業は作られるものなのです。

 

合掌


ひたすらに続けることが大事である。

2024年04月03日 18時43分48秒 | ひと口法話

ものごとが成就するには、

そのものごとに値する時間とお金がかかります。

 

その為人は、毎日欠かさず努力するしかないのです。

ひたすら、繰り返し繰り返し、同じ事を繰り返す。

それが結果として現れてくるのです。

 

どんなことでも結果が出るには、

時間がかかるものです。

 

諦めたら終わり。

 

供養も同じです。

ひたすら、供養をし続ける。

続けることで必ず、必ず効果が現れます。

 

雑草は抜いても枯らしても、

暫くすれば生えてきます。

 

それは、

我々の目に見えない小さな種が飛んできて発芽したり、

もともと下の方に埋もれていた種が発芽したに過ぎません。

 

何も無い状態から生えたのではないのです。

 

先祖供養の因縁も同じです。

その時期になったから業となって現れたのです。

 

供養を始めますと、業の軽いご先祖様から順に成仏していきますので、

業の深いご先祖様は時間がかかるのです。

 

ご先祖様も毎日、毎日、ご供養されることで、

霊界で修行する機会を与えられますので、

成仏しやすくなります。

 

現世で人に迷惑をかけるような行いをしていた人は、

死んでからも行いが悪く、

成仏を好まない霊となり、子孫に悪影響を及ぼすのです。

 

霊が助けを求めてきている時がチャンスです。

 

合掌