軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

雲場池の水鳥(14)エクリプスー3/3

2021-10-29 00:00:00 | 野鳥
 9月下旬になり、エクリプス状態が終わり、繁殖期の美しい構造色の頭頸部と元の羽衣や明るい黄色の嘴を取り戻したマガモ♂であったが、撮影していてもう一羽別のマガモが混じっていることに気がついた。

 そろそろ渡りの季節が始まり、いちはやくマガモ♀がやって来たのかと思ったのであったが、よく見るとこのマガモはくちばしの色から判断すると♂であり、エクリプスと判断された。
 

繁殖期の羽衣に戻ったマガモ♂(左 エクリプス①)とともに泳ぐ、新たに加わったマガモ♂(手前 エクリプス②)。右奥はカルガモ(2021.9.25 撮影)

 雲場池に夏の間とどまっていたマガモ♂はすでに繁殖期の美しい羽衣に変っている。こちらをエクリプス①とすると、この新たに出現したマガモ♂はエクリプス②ということになる。

 このエクリプス②は、北から渡ってきたのであろうか、それとも軽井沢周辺のどこかで夏季を過ごし、雲場池に移動してきたのであろうか。これら2羽のエクリプスは換羽の進み方にかなり違いがあるので、私にはエクリプス②こそが、北方で換羽し、軽井沢に飛来したばかりのもののように思えるのだが。

 このエクリプス②を追ってみると、次のようである。この日は鳴き声をあげながらエクリプス①やカルガモの後を追うようにして泳いでいた。


雲場池に新たにやって来たエクリプス② (2021.9.25 撮影)

雲場池に新たにやって来たエクリプス② (2021.9.25 撮影)


雲場池に新たにやって来たエクリプス② (2021.9.25 撮影)

【9月30日】
 先ずエクリプス①のその後の様子から。すっかり繁殖期の美しい羽衣に変わっている。呼び名だが、次の写真まではエクリプス①を用い、その後はエクリプス①では誤解を招く恐れがあるので、マガモ①と呼称を変更する。

エクリプス①のその後(2021.9.30 撮影)


エクリプス①のその後(2021.9.30 撮影)

エクリプス①のその後(2021.9.30 撮影)

 次は、エクリプス②。9月25日との比較ではまだ変化がなく、羽衣は♀によく似た色と模様をしている。

エクリプス②(2021.9.30 撮影)

エクリプス②(2021.9.30 撮影)

エクリプス②(2021.9.30 撮影)

エクリプス②(2021.9.30 撮影)


エクリプス②(2021.9.30 撮影)

【10月3日】
 前回から3日後、この日撮影したエクリプスは頭頸部に変化が起きていて、羽衣も急に変化したのかと思ったが、よく見るとエクリプス②とは別な個体であることが判った。

 マガモの個体の識別は普通私には出来ないが、このエクリプスは嘴左横に黒点があることに気がついた。新たに加わったこの個体をエクリプス③と呼ぶことにした。

 エクリプス③の頭部はまだら模様が目立ち、撮影条件によってはみすぼらしい状態に見える。この日エクリプス②の姿はなかった。

新たに加わったエクリプス③(2021.10.3 撮影)

エクリプス③(2021.10.3 撮影)

エクリプス③(2021.10.3 撮影)

エクリプス③(2021.10.3 撮影)

エクリプス③(2021.10.3 撮影)

エクリプス③(2021.10.3 撮影)

 同日のマガモ①は次のようである。

繁殖期の羽衣に戻ったマガモ①(2021.10.3 撮影)

繁殖期の羽衣に戻ったマガモ①(2021.10.3 撮影)

繁殖期の羽衣に戻ったマガモ①(2021.10.3 撮影)

繁殖期の羽衣に戻ったマガモ①(2021.10.3 撮影)

【10月6日】
 この日は再びエクリプス②が雲場池に姿を見せ、エクリプス③と同時に観察することができたので、2羽は間違いなく別個体であることが確認できた。また、この日マガモ♀の姿も見られ、本格的に渡りが始まったことが感じられた。

 先ずマガモ①から。

すっかり繁殖の姿になったマガモ① (2021.10.6 撮影)

 続いてエクリプス②。

遊歩道から伸びた木に興味を示すエクリプス② (2021.10.6 撮影)


羽をひろげるエクリプス② (2021.10.6 撮影)


エクリプス②(左)とマガモ①(2021.10.6 撮影)


紅葉の始まった雲場池のエクリプス② (2021.10.6 撮影)

 次はエクリプス③。エクリプス②に比べると、羽衣も頭部も早めに繁殖期の姿に戻りつつあることが判る。

エクリプス③ (2021.10.6 撮影)


くちばしの左側に黒点の見えるエクリプス③ (2021.10.6 撮影)

 次は姿を見せ始めたマガモ♀。


マガモ♀ (2021.10.6 撮影)

 この後もしばらくは観察を続けたが、大きな変化がなかった。雲場池の紅葉も少しづつ進み、観光客の姿も増え始めた10月25日に、およそ1週間ぶりに出かけてみると、水鳥の数と種類が増えていた。

 マガモは30羽ほどに増えていて、既に繁殖期の羽衣になっている♂も多いが、中にはエクリプスも混じっている。キンクロハジロも群れになって泳いでいた。また、久しぶりにオオバンの姿も見られた。
 
【10月25日】
雲場池に戻って来た多くのマガモ(2021.10.25 撮影)

雲場池に戻って来たマガモたち(2021.10.25 撮影)

繁殖期の羽衣をとりもどしたマガモ♂(2021.10.25 撮影)

紅葉の反映する雲場池を泳ぐマガモ♀(2021.10.25 撮影)

新たに飛来してきたマガモ♂エクリプス(2021.10.25 撮影)

マガモのペア(2021.10.25 撮影)

マガモ♂エクリプス(左)とマガモ♀(2021.10.25 撮影)


キンクロハジロの群れ(2021.10.25 撮影)


オオバン(2021.10.25 撮影)

 この群れの中には見覚えのある、嘴に黒点のある個体が混じっていて、エクリプス③と確認された。

マガモ♂エクリプス③(手前)、マガモ♀(左)とマガモ♂(2021.10.25 撮影)

 これまで、図鑑で見ていただけであり、一度実際に出会ってみたいものと思っていたマガモ♂のエクリプスに思いがけず出会うことができ、初夏から秋にかけての変化の様子もある程度観察できた。さらに、おそらくは北で換羽し、渡ってきたであろうマガモ♂のエクリプスも加わり、両者の換羽時期の違いを確認できた。

 紅葉の時期を迎え、続いて多くのマガモや他のカモ類も戻ってきた。撮影した写真を見ると、これといった特徴のないエクリプス②は他のよく似たエクリプスに混じってしまい、判別がつかなくなったが、嘴左側に黒点のあるエクリプス③は特定できた。繁殖期の羽衣に戻るにはもう少し時間がかかりそうである。

 エクリプスの観察はこれで終了する。




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期日前投票

2021-10-28 23:00:00 | 日記
 今回の衆議院選挙では思いもしないことが起きていて、ちょっとした騒ぎになっている。

 ショップを開いている関係で、我々夫婦も期日前投票に出かけてきたが、比例代表選挙の投票コーナーで、目の前に掲示されている各政党名とその略称を右端から順に確認していて、オヤと思ったのは、国民民主党と立憲民主党の略称が共に「民主党」となっていることであった。

 見間違いかと思って何度も見直したが、どうもそうではないようであり、すべての投票を終えて、自宅に帰ってからも、そのことが頭から離れない。

 両党が同じ略称を使うということで合意してそのようにしたのかとも思ったりしたが、まさかそんなことはないだろう。では、やはり私の見間違いか、このところ何かにつけて間違いが多く、自信がなくなってきているのでそんなことも考えてみた。

 思い余って、友人でタウン紙の出版社に勤めるHさんに電話をかけて事情を説明したが、まさかね!という感じであった。Hさんはその後すぐに知人で立憲民主党所属の町会議員に電話をかけて確認したが、返事は「そんなことは絶対にありえない。見間違いに違いない」とのことであったという。

 絶対!と言われると、私の見間違いということになるが、自分では現地で何度も目をこすって確認してきたので、やはり納得がいかない。仕方がないので、投票所に戻り確認することにして家を出た。

 期日前投票所はまだ開いていて、入り口にいた案内係の女性に疑問点を話すと、一旦事務所奥に入り、担当の若い女性と一緒に、例の政党名が書かれた紙片をもって現れた。

 それを見ると、間違いなく「民主党」という略称が2か所にある。担当の女性の説明では、両政党からの申請でこのようになっているという。では得票数はどうなるのですか?と聞くと、正式党名を書いて投票した数に応じて「按分」するのだという。

 私の見間違いでなかったことが確認でき、この女性の説明も理解できたので引き返したが、改めて別の疑問と何とも言えない不快感が残る出来事である。

 帰宅して、Hさんにはその報告をし、お騒がせしたことを詫びた。また、ネットで検索をして、すでに各新聞社がこのことを報じていることを知った。

 最初に目についたのは、福井新聞の10月21日付けの記事で、次のような内容であった。

「2021.10.21(木)  7:55配信 福井新聞
 立憲民主党も国民民主党も略称「民主党」…書いたらどうなる?福井県選管に複数問い合わせ 衆院選2021比例代表

 期日前投票所の記載台に掲示された紙。立憲民主党、国民民主党ともに略称は「民主党」となっている=10月20日、福井県福井市役所(許可を得て撮影)
 <ここに掲示された紙の写真があるが割愛>
 10月20日に期日前投票が始まった今回の衆院選では、立憲民主党と国民民主党いずれも、比例代表の党名略称が「民主党」となっている。福井県選管には「投票用紙に民主党と書いた場合、どうなるのか」「間違いではないか」と複数の問い合わせが寄せられている。 ・・・県選管の説明では、立憲民主党で判別できる例は「立憲」「立民」など。国民民主党は「国民民主」「国民」など。
 「民主党」と書いた場合は、両党の有効得票数に応じて割り振る「案分票」になる。自由民主党や社会民主党があるため「民主」は無効票となる。総務省は2020年9月、両党が衆院選比例代表の党名略称を「民主党」と届け出たと発表した。公選法は複数の政党が同じ略称を使うことを禁じていない。県選管には10月20日、市町選管や有権者から問い合わせが5件あった。県内のある陣営もこの日、略称が同じだと知った。期日前投票の記載台の掲示で気付いた支援者から「知らずに民主党と書く人は多いのでは」と指摘があり、選対幹部は「明確に判別できる記入を今から周知する」と話した。2019年7月の参院選比例代表は、立民が「りっけん」、国民は「民主党」を使った。」

 この略称に関する総務省の発表はここでは2020年9月とあるが、別の総務省の資料として2021年7月21日現在の資料に次のようなものがある。



 政党から総務省への届け出によると、確かに国民民主党と立憲民主党からは共に「民主党」という略称が届け出されていることがわかる。

 しかし、当然予想される選挙時の混乱を、あえて無視して、同じ略称を受け付けるのは一体どうしたことか。

 公職選挙法には次のような項目があるので一部を引用すると。

「第68条の2
【同一氏名の候補者等に対する投票の効力】

1.同一の氏名、氏又は名の公職の候補者が二人以上ある場合において、その氏名、氏又は名のみを記載した投票は、前条第1項第8号の規定にかかわらず、有効とする。

2.第86条の2第1項の規定による届出に係る名称又は略称が同一である衆議院名簿届出政党等が二以上ある場合において、その名称又は略称のみを記載した投票は、前条第2項第8号の規定にかかわらず、有効とする。

3.省略

4.第1項又は第2項の有効投票は、開票区ごとに、当該候補者又は当該衆議院名簿届出政党等のその他の有効投票数に応じてあん分し、それぞれこれに加えるものとする。

5.省略」

 これによると、公職選挙法では複数政党が同じ名称、略称を使用することを想定しており、その略称を記載した投票の処理についても定めている。今回の「民主党」という略称の重複についても、想定内のこととなるようである。中央選管としては、両党からの申請を受理せざるを得なかったということだろう。

 しかし、それでいいのかという疑問は残る。

 この点に関してウィキペディア「按分票」には次のような記述がすでにみられる。

 「按分票 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
   2021年10月25日 (月) 03:13 。 

 按分票(あんぶんひょう)とは、自書式投票において、その記述だけで判断すると複数の候補者や政党に該当しそうな記載である票を指す。
 公職選挙法では『按分』という表記を使っているが、常用漢字を使う場合は「案分」と書く。
  • 2021年10月に行われる第49回衆議院議員総選挙
    • 比例区において、立憲民主党と国民民主党がそれぞれ略称を『民主党』と届け出ているため、投票記載台に表示されている略称である「民主党」と記載された投票は開票区ごとの得票割合に応じて両党に按分票の配分がなされる見通しである。
    • 島根1区では読み仮名がいずれも『かめいあきこ』(うち1人は亀井亜紀子)となる2人が立候補したため、按分票が発生するとみられるが、島根県選挙管理委員会は10月20日現在、対応を明らかにしていない。」
 上で、福井新聞の記事を紹介したが、新聞各紙の論調もネットで見ることができるが、見出しだけを見ると次のようである。

日本経済新聞 2021年10月21日 18:11
 比例「民主党」票は案分 総務省、参考例を通知

茨城新聞 2021年10月22日 9:00
 衆院選 略称同じ「民主党」困惑 立民と国民 両党「正式名記入を」

信濃毎日新聞 2021年10月23日 11:03 
 「民主党」はどう扱う? 衆院選比例代表略称 「立民」「国民」が重複

沖縄タイムス 2021年10月24日 05:00 
 立民も国民も「民主党」 比例代表の政党略称  有権者困惑 「民主」なら案分

毎日新聞 2021年10月25日 17:40 
 略称「民主党」で投票しないで 立憲と国民、重複理由に呼び掛け

佐賀新聞 2021年10月28日 6:45 
 比例政党で同じ略称 「民主党」なら立民と国民に案分

山形新聞 2021年10月28日 10:58 
 略称同じ2政党、扱いは 比例投票、問い合わせ次々

 一部誤解に基づく記載もあるが、いずれの新聞も、淡々と事実を書いている。

 期日前投票で発覚したことであるが、総務省、中央選管そして何よりも政党自体がこの事を3か月も前に判っていながら、何も手を打つことなく衆院選を迎えることとなった。

 公職選挙法がこうした事態を回避することなく、あり得ることとして認めていることも驚きであるが、だからといって確実に起こり得る混乱を止めることをしなかった関係部門の態度は今後議論になっていくのではないか。

 一時は自身の目を疑い、年のせいかなどと思った今回の出来事であった。


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軽井沢の夜話ー1/3

2021-10-22 00:00:00 | 軽井沢
 ふとしたきっかけで知り合うことになったT氏のお誘いで、「軽井沢の夜話」に参加した。

 9月29日の夕刻開催されたこの夜話に参加するために、私のショップからもほど近い会場の「やなぎ書房」に着くと、入り口でT氏に迎えられたが、中には20人ほどが座ることのできる長いテーブルがセットされ、その上にワインやおつまみ類が並べられており、すでに集まっていた皆さんは飲んだり食べたりを始めていた。

 この夜は、ここで松井孝典東京大学名誉教授の「宇宙から俯瞰する人類1万年の文明、ウイルスはどこから来たのか」という題でお話を聞くことができるのであった。


2021.9.29開催、軽井沢の夜話のパンフレット

 また、この夜話には外交ジャーナリスト・作家の手嶋龍一氏も参加することが事前に知らされていたので、私は以前購入して読んでいた氏の小説の中から「ウルトラダラー」を選び、サインをしていただこうと持参した。

 当日の会場はT氏が旧軽井沢に最近オープンした書店であり、入り口近くには手嶋氏の数種の近著が平積みされていて、集まった方々は手に手に購入したその著書を持ちサインをしてもらっていたのであった。

 私が「ウルトラダラー」を差し出してサインをお願いすると、手嶋さんは「これは私の大切な小説です」と言いながら穏やかな表情を浮かべて表紙を開いたところにサインをしてくださった。


手嶋龍一著「ウルトラダラー」の表紙カバー


「ウルトラダラー」にサインをしていただいた

 ほどなくして松井さんの話が始まることになったが、手嶋さんは「138億年の宇宙の歴史を、7分間に纏めてわかりやすく話ができる人は松井孝典さんをおいては他にはいない」とユーモアを交えながら松井さんを紹介した。

 ビッグバンに始まる宇宙の歴史、太陽系と地球の誕生、そして地球上での生命の誕生と人類による文明といった壮大な歴史物語を聞いたのであるが、聞いている時はなるほど、ふんふんと思っていても、メモを取っていないので、後になってみると詳しい内容、特にウイルスについての部分はよく思い出せない。

 ある程度話が進んだ時に、手嶋さんが「宇宙には、地球以外に生命体が存在しているという証拠は得られているのですか?」と質問したが、その答えは「今のところNO」であった。地球に似た「地球もどき」惑星は数多く存在することが判ってきたが、生命の存在についてはまだ確認できていないのだそうである。

 広大な宇宙にはどれくらいの数の星(恒星)があるか、そしてその星を取り巻く惑星の数はどれくらいあるか。その中には地球と同じように生命が誕生している惑星があるのだろうか・・・といった問いかけは古くて新しいものである。

 しかし、人類はいまだその答えをもっておらず、今もその答えを求めて探求を続けているということである。

 現代科学はこうした人類普遍の疑問に対して、一つ一つ答えを出し続けている。松井さんもまた生命の起源についての答えを求めて今も研究活動を続けておられるが、そうして得られた最新の成果を、第一人者から聞くことのできる機会はとても貴重なものであった。

 宇宙に、地球以外にも生命体が存在しているという証拠はまだ得られていないものの、理論的にはどうかと言えば、その可能性は大いにあるというのが松井さんたちの考えである。具体的に数字を挙げながら、確率論的に話をされたのであった。

 講話が終わり、「せっかくの機会だから、質問のある方はどうぞ」という手嶋さんの言葉に促されて、最初に私が質問した。

 それは、講話の最後のところで松井さんが話した、次のような内容に関してであった。
 
 「若い有能な政治家さんに、宇宙にロケットを飛ばして、その中に地球の微生物を搭載しておけば、いつの日かこれがどこかの地球に似た惑星にたどり着いて、そこで地球上で起きたような進化の道筋を辿るようになる・・・と提案している。」というものであった。

 地球上の生命の起源については、無機物から地球上で自然発生したとする、これまで信じられてきた説の他にも、宇宙起因説があることは知っていたが、松井さんの上記の提案に関連して、「我々もまた、宇宙のどこかの知的生命体が意図的に送り出した微生物が地球に到達して、そこから進化したとの説もあるようですが・・・」と質問したのである。

 これに対して、「それはクリックの説ですね。」との松井さんの回答であった。クリックとはDNAを発見したワトソン、クリックのあのクリック博士のことである。こうした説をクリック博士が唱えていたとは知らなかった。

 この件については、それ以上の話の展開はなかったが、この後「夜話」にふさわしく、Tさん、手嶋さんも加わって、宇宙と地球・生命、人類文明に関する楽しい話題が続いた。

 松井さんは最近トルコ政府の許可を得て、トルコ・シリア国境近くの遺跡の発掘・調査を行っているということだが、これは1万年前の人類最古の文明の遺跡である可能性のあるものだそうである。

 また、中には、「地球人類は100年以内に滅亡するそうですから、皆さん好きなことをして、楽しみましょう」といった話も飛び出して、一層ワインが進んだようであった。

 この後も、当初予定の午後8時以降に2次会が予定され、より高価なワインとおいしい料理が提供されるというT氏のアナウンスもあって、ほとんどの人は残ったが、私は2次会には出ないという基本方針なので、ここで一足先に失礼することにして、T氏にお礼の気持ちを伝えて、迎えに来てくれた妻の車で自宅に帰った。

 この夜の話題に触発されて、帰宅後も「宇宙と生命」について情報を整理してみている。これまでは、オパーリンの化学進化説や、ユーリー・ミラーの有機物合成実験など若いころに得たものがそのまま記憶に残っているだけで、これらを超えることがなく、断片的な知識しか持ち合わせていなかったからである。
 
 松井さんが言われた、「クリック博士の説」とはどのようなものか。地球上の生命の誕生とどのような関係があるか、これも知りたいと思ったし、宇宙に有機物さらには生命の存在を確認しようとする試みがあることは知っていたが、これをただちに地球上の生命の起源と結び付けて考えるものとは理解していなかったので、地球上の生命の起源が宇宙にあるかもしれないという説が、松井さんたち、多くの科学者に検討すべき対象として認識されるようになっているというのはちょっと意外だったからでもある。

 たしかに私自身も、最近のコロナ騒動に触発されて、改めてウイルスや人間の免疫システム、RNAやDNAの構造と機能などについて調べる機会があったが、そのあまりの精緻な仕組みについて知るほどに、こうしたことがすべて地球上で限られた時間内に無機物から発生し、進化した結果であるとは考えにくいことだと思うようになっていた。

 今回のこの「夜話」では、松井さんから確率論的に数字を示しながら、地球上で無機物から有機物が、そして生命が誕生し、その後進化を遂げて人類に至るという、これまで最も確からしいとされていた考えは、極めて確率が低い現象であり、そのために宇宙起因説もまた検討すべき説と考えられていると教えていただき、なるほどと納得したのであった。

 松井さんの考えをもう少し詳しく知りたいと思い、ネットで検索していて、NHKのラジオ第2放送「カルチャーラジオ 科学と人間」で、今回の「夜話」の内容に近いものが「地球外生命を探る」というテーマで13回にわたり語られていたことを知った。

 この放送は、毎週金曜日の午後8時30分から9時まで放送されていたが、放送日と各回のタイトル、およびお話の概要はNHKのホームページに記されていて次のようである(残念なことに第1回と2回の概要は閲覧時点ですでに削除されていた)。

第1回  2021年7月2日 金)   生命とは何か
第2回  2021年7月9日(金) 細胞の定義
第3回  2021年7月16日(金)  生命の定義
  宇宙において生命とはどのように定義できるのでしょうか?それは地球外生命を
 探るうえで大切なポイントのひとつです。今回は、生命を物理的にとらえ、生きて
 いるとはどういうことかを解説、視野を宇宙に広げて生命の定義について考えま
 す。 
第4回  2021年7月23日(金)  生命を形づくる分子
  地球の生命を形づくる分子について取り上げます。生命を形づくる分子はたくさ
 んありますが、なかでも水、脂質、炭水化物、核酸、タンパク質は特別です。これ
 らの分子が体内でどのような働きを担っているのか解説します。
第5回  2021年7月30日(金)  生物のエネルギーはどのように作られるのか?
  生物のエネルギーの元は太陽です。太陽からエネルギーをどのように吸収してい
 るのか、リボソーム、ミトコンドリア、葉緑体といった3つの細胞小器官を取り上
 げて解説します。
第6回  2021年8月6日(金) すべての生物は電気発生装置
  生命は根源をたどると電子あるいは陽子の流れに依存しているといいます。今回
 は、化学反応と電子、陽子の流れという点に着目し、生命のいろいろな現象を説明
 していきます。
第7回  2021年8月13日(金)  生命の起源=いつ、いかにして、どこで生まれたのか?
  地球のようにさまざまな鉱物をもっている岩石惑星では、鉱物の表面で化学反応
 が進むことにより生命が生まれるという考えがあります。今回は、地球外生命の可
 能性も広がるといわれる、深海における「熱水噴出孔仮説」をとりあげて生命の起
 源について解説します。
第8回  2021年8月20日(金)  地球とは何か?地球もどきの惑星との違い
  地球という惑星は、どんな惑星なのでしょうか。その特徴を大気組成や地球の内
 部構造などから説明、さらに地球に似ている「地球もどきの惑星」との違いについ
 解説します。
第9回  2021年8月27日(金)  地球環境はなぜ安定しているのか?
  地球は他の惑星と違い、温暖かつ湿潤な気候で安定しています。こうした気候に
 よって微生物が進化し生物圏が生まれたと考えられます。今回は、どのようにして
 安定した地球環境が保たれているか解説します。
第10回   2021年9月3日(金) 地球が特別である理由:生命誕生後にその進化が起こった
  地球上生物の進化は「原生代」(約25億年前~約5億4千万年前)という時代の前
 後でまるで違ったといいます。この時期に何が起きたのでしょうか?今回は、地質
 学的な観点から生命の進化を考えます。
第11回   2021年9月10日(金)  生物進化が起こる惑星の条件
  地球上の生物の進化は、原生代の極端な寒冷化現象によってもたらされたという
 説があります。生物の進化に重大な影響を与えられたとされる大規模な環境変化、
 スノーボールアース(雪玉地球)について解説します。
第12回   2021年9月17日(金)  フェルミの問い
  “もし宇宙人がいるとしたら、一体彼らはどこにいるのだろうか?”―物理学者エ
 ンリコ・フェルミが発した有名な問いです。「フェルミのパラドックス」といわれ
 るこの問いに対し、これまでの研究でどういうことがわかってきたかお話ししま 
 す。
第13回   2021年9月24日(金)  星と惑星と生命
  銀河系の中で地球のように海があって、海底に「熱水噴出孔」があるような惑星
 を探しだせれば、生命を見つけることができるだろうと松井孝典さんはいいます。
 シリーズ最終回は、惑星がどのように形成されるのか説明したうえで、生命の誕生
 に適した惑星の条件についてお話しします。 
 
 これらの内容は、NHKのホームページ(https://www4.nhk.or.jp/P3065/)の「過去3か月の放送」で見ることができるが、順次消されていくようなので、10月21日現在、見ることができるのは実際には第4回以降だけである。

 また、「聴き逃し配信」というところでは、過去の放送を聴くことができるようになっているが、こちらも現在第9回以降だけになっており、それ以前の放送については「配信終了」になっていた。

 しかし幸いなことに、YouTubeにはすべての放送内容がアップされていることが判ったので(13回目の後半部分は見当たらなかったが)、第1回から3回のタイトル情報も上記のように確認することができ、またその内容も聴くことができた。内容の詳細はここではこれ以上紹介することはしないが、放送のタイトルにある「地球外生命を探る」という内容は、とりもなおさず、この地球上の生命はどのようにして誕生したかを探ることでもあった。

以下次回
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雲場池の水鳥(13)エクリプス-2/3

2021-10-15 00:00:00 | 野鳥
 渡りの季節が過ぎてからも、北に帰ることなく、雲場池に一羽だけ残ったマガモ♂は換羽してエクリプスの羽衣を見せてくれているが、その様子を前回に続いて見ていただく。

 この頃になると頭頸部の緑/青色の構造色の羽はすっかり抜け落ちている。

【6月30日】
雲場池に1羽残ったマガモ♂エクリプス(2021.6.30 撮影)

雲場池に残り、カルガモと一緒に泳ぐマガモ♂エクリプス(中央 2021.6.30 撮影)

 この後の夏期期間は、雲場池に出かけることもほとんどなく、記録も途絶えたが、50日ほど経過した8月19日に撮影した写真には、この1羽のマガモ♂エクリプスが写っており、継続して雲場池にとどまっていたことがわかる。

【8月19日】
雲場池に残り、カルガモと一緒に泳ぐマガモ♂エクリプス(左 2021.8.19 撮影)

雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.8.19 撮影)

雲場池のマガモ♂エクリプス(右 2021.8.19 撮影)

ショウブの葉を倒した寝床でくつろぐ雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.8.19 撮影)

ショウブの葉を倒した寝床でくつろぐ雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.8.19 撮影)

【8月26日】
雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.8.26 撮影)

ショウブの葉を倒して作った寝床でくつろぐ雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.8.26 撮影)

ショウブの葉を倒して作った寝床でくつろぐ雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.8.26 撮影)

【8月27日】
ショウブの葉を倒して作った寝床でくつろぐ雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.8.27 撮影)

 9月中旬に撮影した次の写真を見ると、頭頸部の構造色が少し戻り、頸から胸にかけての羽色も濃くなり、羽衣も変化しているのがわかる。くちばしの色も黄色みが増してきている。

【9月12日】
繁殖期の羽衣に戻り始めた雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.9.12 撮影)

繁殖期の羽衣に戻り始めた雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.9.12 撮影)

繁殖期の羽衣に戻り始めた雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.9.12 撮影)

繁殖期の羽衣に戻り始めた雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.9.12 撮影)

繁殖期の羽衣に戻り始めた雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.9.12 撮影)

繁殖期の羽衣に戻り始めた雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.9.12 撮影)

繁殖期の羽衣に戻り始めた雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.9.12 撮影)

繁殖期の羽衣に戻り始めた雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.9.12 撮影)

繁殖期の羽衣に戻り始めた雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.9.12 撮影)

繁殖期の羽衣に戻り始めた雲場池のマガモ♂エクリプス(2021.9.12 撮影)

 何かの理由で夏季の間も雲場池にとどまり、その結果、普通なら見ることができないようなエクリプス状態への変化の様子を見せてくれていた1羽のマガモ♂であるが、秋が近くなるにつれて、今度は次第に頸のあたりに緑/青色の構造色の羽色が混じるようになり、我々も見慣れた「青首」に戻りはじめた。

 そして、さらに10日ほど過ぎた9月25日に、突然繁殖期の羽衣に変化した姿を見せた。これが、あのエクリプス♂が変化した姿かと疑ってみたが、他にそれらしいマガモ♂もいないので、間違いないと思えた。

【9月25日】

美しい繁殖期の羽衣を取り戻したマガモ♂(2021.9.25 撮影)

美しい繁殖期の羽衣を取り戻したマガモ♂(2021.9.25 撮影)

 こうして、雲場池に1羽だけ夏の間もとどまり、繁殖期の羽衣からエクリプスに変化し、またもとの繁殖期の状態に戻るという一連の様子をみせてくれたマガモ♂であった。
 これで、雲場池のマガモ・エクリプスの観察も終わりになるかと思ったところ、思いがけないことが起きた。

 以下、次回。


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ポール・ジャクレーと蝶

2021-10-08 00:00:00 | 
 しばらく前から奥歯の調子が悪く、治療しなければと思いつつ、夏の間はショップを休まず開いていたこともあり、なかなか歯科医に行くことができなかった。

 9月になり繁忙期も過ぎてようやく時間がとれるようになったので、かかりつけの歯科医の予約をとり見てもらえることになった。

 ずいぶん前に治療をしてあった奥歯だが、歯根が虫歯になっているようで、先生はいつもの調子でブツブツと治療の難しさを耳元でつぶやいている。

 こちらは、もう諦めの気持ちになっているので、どのような治療になっても仕方ないと思っているが、何とか抜かない方向での治療をしていただけるようである。

 この日の治療が終わり、待合室で待っている間に、いつものように受付にいる奥様とあれこれ雑談をしていたが、その時、「ポール・ジャクレー」の版画展に行きましたかと尋ねられた。

 軽井沢町追分宿郷土館でポール・ジャクレーの版画展が開催されていることは、ポスターなどで知っていたが、8月1日から始まっているこの版画展は、繁忙期でショップを休まず開いている時期と重なっていたこともあり、また特別深い関心があったわけでもなかったので、ショップの定休日が復活している9月になってからもまだ見に行っていなかった。

 奥様の話では、版画はもちろん素晴らしいが、ポール・ジャクレーは蝶のコレクターでもあり、かなりのコレクションを持っていたとのことであった。奥様はかねて、このブログを見ていただいているので、私達夫婦がチョウ好きであることをご存じであった。

 2枚あるからと、いただいたこの版画展のパンフレットを帰宅後に見てみたが、次のような記述があるだけで、この中には蝶に関する内容は特にみあたらない。

 「フランス人浮世絵師とも言われたポール・ジャクレーは、1896(明治29)年、パリに生まれました。父親の仕事の都合で3歳の時に来日して以来、没するまで日本で暮らし、日本の文化と風土を深く愛しました。
 ジャクレーは、日本各地に加えて南洋の島々や朝鮮半島などを旅し、そこに住む人々に目を向け取材し、江戸時代以来の浮世絵版画の技法に基づく緻密で色彩豊かな作品を生み出しました。
 戦時中の1944(昭和19)年、ジャクレーは疎開のため軽井沢で暮らすようになりました。戦後も東京に戻ることなく、軽井沢にアトリエを構え、ここで多くの作品を制作し、1960(昭和35)年、64年の生涯を閉じました。
 本展では、ポール・ジャクレー没後60年を記念して、国内では初めて、ポール・ジャクレー全木版画162点を2期に分けて紹介します。また、写真・書簡・遺愛品などの資料により、軽井沢での生活や創作の様子なども併せてご覧いただきます。・・・」

ポール・ジャクレー全木版画展のパンフレット(表)

ポール・ジャクレー全木版画展のパンフレット(裏)

 ただ、よく見ると、このパンフレットの表に採り上げられている版画の題名は「馬の鈴草、トンダノ、セレベス島」とあり、なるほどポール・ジャクレーが蝶に興味を持っていたことを窺わせる。

 ウマノスズクサは日本ではジャコウアゲハの食草として、アジア各地でも多くのアゲハチョウ類の食草として知られている。

 展覧会に行けばもっと詳しい情報が得られるであろうと考え、次の定休日には佐久方面に出かける用があったので、妻と相談して、途中追分宿に立ち寄り、この「ポール・ジャクレー全木版画展」を見に行くことにした。

「ポール・ジャクレー全木版画展」の会場軽井沢町追分宿郷土館(2021.9.29 撮影)

追分宿郷土館の入り口(2021.9.29 撮影)
 
 追分宿郷土館に着いて、版画作品を楽しみながら展示会場内を一回りしたが、展示されているのは、版画作品の他には、版木、写真・書簡・遺愛品などの品々で、お目当てのチョウに関する品は全くなく、解説パネルなどを見てもそれらしい記述は見当たらない。

 帰り際に、これも何か蝶に関する情報が得られるのではと思い、10月2日にイベントとして予定されている「教養講座」「フランス人浮世絵師ポール・ジャクレーと軽井沢」の聴講を館員さんにお願いしたが、残念なことにすでに満員であった。

 10月17日に追加講演があり、こちらはまだ余裕があると教えていただいた。この追加講演は元は8月1日に予定されていたのだが、コロナの関係で一旦は中止になっていた日仏交流史研究家のクリスチャン・ポラック氏による基調講演で、「ポール・ジャクレーと軽井沢」と題するシンポジウムの中のものである。

 この講演への参加申し込みを行い、展覧会の図録を購入して追分郷土館を後にしたが、この図録に収録されている文章を読んでいて、ポール・ジャクレーの蝶コレクションに関する記述を数か所、それとチョウ標本と一緒に写っているポール・ジャクレーの写真を2点見つけることができた。次のようである。
 
 「・・・戦時中の1944(昭和19)年、ジャクレーは疎開のため軽井沢で暮らすようになりました。・・・蝶のコレクターとしても知られるジャクレーは、虫取り網を持って森を歩き、また文化人・芸術家や地元の人たちとの交流を深めました。・・・(『ごあいさつ』から)」

 「・・・夏には、ニッコウキスゲ、ヤマユリなどは野原や別荘の庭などどこにでも咲いており、ユリの好きなポール・ジャクレーは庭にも沢山植えて楽しんでいました。オダマキ、スズラン、スミレ、キキョウなどの野草や、ツツジ、シャクナゲ、山桜などの花木も多く、花に集まるアゲハ蝶などを採集することもありました。蝶と言えば30,000点を超えるコレクションを持っており、書斎の壁面を埋める標本箱に囲まれ、しばしは眺めて楽しむのが憩いの一時であったかと思います。
 南米やニューギニアなどに産する、モルファ、アグリアス、鳥に間違えられる程の大きなアレキサンドリア、トリバネアゲハなどの希少種も、採集を職業としている人と文通、交渉しながら収集していました。トリバネアゲハなどは作品の背景にも描かれています。軽井沢の地元の蝶では、アサマモンキ蝶、スミナガシ、アサギマダラ、ミドリヒョウモン、ミヤマカラスアゲハ、ミドリシジミ、コムラサキ、ウスバシロ蝶などが集められていましたし、またオオミズアオやアケビコノハなど蛾の標本も収集されていました。・・・(『ポール・ジャクレーと軽井沢』羅 智靖から)」

 「ジャクレーは少年時代から浮世絵の収集を続け、1920年には浮世絵番付の『前頭』として登場するほどであったが、1929年最初の南洋旅行以降は、世界の蝶を集めることに熱中する。そのコレクションは3万点となり、ジャクレーの没後、大阪市立自然史博物館に収蔵されている。蝶の標本を精緻に描いたデッサンがある他、蝶はしばしばジャクレー作品に登場している。蝶の羽の美しい色彩は、水彩画や木版画を制作する際にインスピレーション源ともなったと思われる。・・・(『フランス人浮世絵師ポール・ジャクレーと軽井沢』 猿渡 紀代子から)」

 「・・・『ベランダに出てみると、捕虫網をつけた棒を手にしてニコニコしながらジャコレーさんが立っていた。『いまごろちょうちょうがでているんですか』『一週間前から出てきましたよ』という話であった。春とはいっても、軽井沢ではまだあちらこちらに冬の根雪が残っているのに、もう蝶がとんでいるとは知らなかった。『いま黄タテハをそこで一匹捕りました』という。(高原の四季 幅 北光著)』
 ・・・ジャクレーは蝶の蒐集家としても知られ、当館所蔵の幅の自筆原稿『版画芸術家ポール・ジャコレー(二)によれば、『自分のアトリエの隣に一室と、玄関の左側の大きな一室を蝶の部屋としてざっと三十万匹を数える蝶を種属別に区分して整理していた』という。・・・(ポール・ジャクレーと幅北光との軽井沢での交流 大藤 敏行 軽井沢高原文庫副館長)」

写真1:羅 永漢と 42歳(1938年)
写真2:蝶のコレクションとともに 軽井沢 56歳(1952年)
   
 これらの内容から、ポール・ジャクレーが軽井沢在住中に蝶の採集を行っていたことがわかるが、それにも増して世界の蝶標本を採集業者から手に入れていて、その数が3万点にも及んでいたことは驚きである。世界の蝶の種数は現在約1万6000種とされているので、コレクションの数の多さが実感される。また、そのコレクションは現在、大阪市立自然史博物館に収蔵されているという。

 この図録には、前期・後期の2回に分けて行われた展覧会の全版画162点のうち、53点が収録されているが、その中で蝶が描かれている作品は次の2点である。

61 蝶、南洋 トリバネアゲハ、オオゴマダラ
79 仙人掌(サボテン)、南洋 トリバネアゲハ

 ところで、ポール・ジャクレーコレクションが収蔵されているという大阪市立自然史博物館といえば、私も蝶の展示を見に行ったことがあり、ブログでも紹介したことがある(2017.8.11 公開当ブログ)。


大阪市立自然史博物館の入り口(2017.7.19 撮影)  

 ここの展示品に、「所変われば・・・世界の蝶」として、多くの蝶が世界地図上に展示されていたが、この中にポール・ジャクレー所蔵の標本が含まれていたのだろうか。

所変われば・・・世界の蝶 1/2(2017.7.19 撮影)

所変われば・・・世界の蝶 2/2(2017.7.19 撮影)


同、部分拡大(2017.7.19 撮影) 

 それとも、ポール・ジャクレー・コレクションは特別な扱いを受けて保管され、あるいは展示されているのだろうか。

 大阪市立自然史博物館のHPを見て、「収蔵標本」→「昆虫研究室」→「特色のあるコレクション」とクリックしていくと、「ポール・ジャクレーチョウ類コレクション」に行き着く。ここをクリックすると、3頭のウスバシロチョウの写真と共に、「有名な版画家のポール・ジャクレーが収集したコレクション。当館のチョウ類コレクションの基本となったもの。」との説明文が見られるが、それ以上の情報は得られない。

 「特色のあるコレクション」に戻ると、ここには24項目のコレクション名が記されていて、その中には「ポール・ジャクレーチョウ類コレクション」の他にも、
・チョウ類基本コレクション(ポール・ジャクレーコレクションを含む) 
・岡村宏一チョウ・甲虫類コレクション
・住吉薫チョウ類コレクション
・小路嘉明チョウ類コレクション
・加藤信一郎チョウ類コレクション
といった多くのチョウ類のコレクション名を見ることができる。これらはチョウ類の収集家が寄贈したものではないかと思われるが、逆にこうした多くのコレクションに埋もれてしまい、ポール・ジャクレーのコレクションは収蔵庫に眠っているようであり、どのような内容のコレクションか、やはり確認はできない。

 そんなことを考えながらさらにネットを検索していて、興味深いブログに出会った。
 「大阪市立自然史博物館、ポール・ジャクレーのアレキサンドラトリバネアゲハ - 旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー」(2017.11.1 公開)
である。

 これは、この大阪市立自然史博物館の関係者のもので、ポール・ジャクレーのコレクションについて書かれていた。一部引用させていただくと次のようである。

 「・・・フランス人ポール・ジャクレー(1896~1960)は1899年以来、両親と共に日本に住み、版画家として名を成した人ですが、蝶のコレクションにも熱心に励んでいました。太平洋戦争後の日本と言えばまだまだ経済的に恵まれない時代でしたが、そのさなかにドイツのスタウディンガー&ハンクス商会に、アレキサンドラトリバネが入荷して、3ペアが日本に来ました。
 1ペアは後に国立がんセンター研究所初代所長となる中原和郎氏が入手、後に国立科学博物館動物研究部長になり、国の天然記念物であるヤンバルテナガコガネを新種記載した黒澤良彦氏と共に著した「世界の蝶」(1958年北隆館発行)に掲載され・・・僕もこの本を買い、むさぼるように読み、海外の蝶へのあこがれを募らせたものです。この1ペアは国立科学博物館に入ったけれども、今や朽ちて見る影もないと言われています。
 次の1ペアは先祖伝来の土地を売った資金で大阪の田中龍三なる人が買いました。この標本を専門は蚤の研究ですが、蝶に造詣が深い京大教授阪口浩平氏が引き取り、彼の死後、他の標本と共に阪口コレクションとして三田市にある「兵庫県立人と自然の博物館」に入ったはずですが、田中龍三氏のアレキサンドラは見当たらないと言われています。
 3番目のペアは前述のポール・ジャクレーが購入し、ジャクレー亡きあと大阪市立自然史博物館がジャクレーの他の標本と共に一括してポール・ジャクレーコレクションとして購入しています。
 1番目、2番目の標本はこのようにして、現在無きに等しいことがわかっていますが、大阪市立自然史博の3番目のアレキサンドラの現状は果たしてどうなっているのだろうか?標本の探索は自然史博外来研究員の僕に突き付けられた課題に思えました。・・・
 
 何ヵ月かをかけましたが、結局1階では見つからなくて、2階に挑戦せざるを得ませんでした。何回かの探索の後キャビネットの前の通路に他の標本箱が高く積まれている場所に来ました。「ああっ、これを動かさないと見られない。もうやめとこか」と思ったのですが、ここまで頑張ったのに・・・との思いと「虫(蝶)の知らせ!?」を感じて、定温に保たれて涼しいはずの特別収蔵庫で汗をかきかき標本箱を移動させました。
 後ろに隠れていたキャビネットの標本箱を一つ一つ疲れた身体で期待を抱きながら覗き込んでいきました。「ヤッタア!」ついに探し当てました。他の2ペアと違って、たぶん当時の姿のままで無事保管されているのを確認しました。整理されていなかったのは少し残念でしたが、大阪市民の税金を無駄にしていなかったこの大阪市立自然史博物館を誇りに思った瞬間でした。
 下に掲げた2枚の画像がまぎれもないジャクレーの貴重なです。」

 アレキサンドラトリバネを発見した時の様子が詳細に綴られていて、コレクションが大切に管理されていることが窺える。ただ、この文章からも、ポール・ジャクレーの蝶コレクションはこうした希少な種を含んでいるものの、特別な扱いは受けておらず、まとまった展示もなされていないと推察される。
 この文章の後には、この希少なアレキサンドラトリバネアゲハのペアの写真が示されている。

 こうして、ポール・ジャクレーコレクションにまつわる話はおおよそ理解できたのであった。

 ここまでの原稿を書き終えた10月1日、軽井沢町の広報誌「広報かるいざわ」が新聞と共に自宅に届いた。

 その表紙には軽井沢でのポール・ジャクレーの写真が大きく掲げられ、続くP2・3には「特集 フランス人浮世絵師ポール・ジャクレー」が掲載されていて、展覧会の図録でも見られた、チョウ標本を前にしたポール・ジャクレーの写真も掲載されていた。

広報かるいざわ 2021年10月号表紙

広報かるいざわ 2021年10月号P2

 





 





 

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