軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

胡蝶蘭の花が開く様子

2019-01-28 12:10:08 | 日記
 ショップ・オープンのお祝いにいただいた胡蝶蘭。秋までは外に出しておいたが、今は室内に取り込んで育てている。その中のいくつかが花芽をつけ、咲き始めた。

 蕾が開き始めて、完全に開ききるまで約2日かかることが判ったので、2400倍のタイムラプスで撮影を試みた。その様子をご紹介する。


胡蝶蘭の花が開く様子(2019.1.25 00:22~1.26 18:45 2400倍タイムラプスで撮影後編集)
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ぐんま昆虫の森

2019-01-25 00:00:00 | 
 今の軽井沢は、外気温の最高温度が数度、夜はマイナス7度近くまで下がる日が続いていて、春から秋にかけて多くの蝶が訪れていた我が家のブッドレアも、今は数mm~1cmほどの小さな冬芽を残して葉を落としている。もう、だいぶ長い間蝶を見ていないななどと考えていて、蝶温室があるという、群馬県の「ぐんま昆虫の森」に蝶の観察と写真撮影に行ってみようと思い立った。


ブッドレアの冬芽(2019.1.16 撮影)

 「ぐんま昆虫の森」へは、軽井沢からは上信越道・関越道・北関東道を利用することになるが、伊勢崎ICで降りると、そこから一般道を約25分ほど北に走ったところにある。夏には大勢の子供たちで賑わっていたと思われるが、この日は平日でもあり訪れる人もなく、駐車場に停められている車もまばらで、ひっそりとしていた。


道路沿いにある「ぐんま昆虫の森」の案内標識(2019.1.11 撮影)

 駐車場に車を停め、施設入り口横の自動券売機でチケットを購入して、広い園内に入った。この入り口から目指す蝶温室のある昆虫観察館までは、だらだら坂をしばらく歩くことになる。遊歩道沿いには、クヌギ、コナラなどの木が植えられているが、今は葉をほとんど落としてしまっている。


坂の途中から昆虫観察館の全体がよく見える(2019.1.11 撮影)

 昆虫観察館は地上3階の作りになっていて、本館入り口は3階部分にあり、坂を上りきったところに設けられている。またこのほか道路を挟んで食草・育成温室と別館のミュージアムショップや地下1階に設けられたフォローアップ学習コーナーなどもある。この昆虫観察館をはじめとした、ぐんま昆虫の森の基本設計及びフィールドの実施設計は、安藤忠雄建築研究所によるもので、昆虫観察館本館は2002年に着工、2004年に竣工している。

 ここまでくる遊歩道からは、このガラス張りの立派な「蝶温室=昆虫ふれあい温室」の外観がよく見通せるように、道がつけられているようだ。


「昆虫ふれあい温室」のある昆虫観察館入り口(2019.1.11 撮影)



 玄関を入ったところには、入園者数が150万人を超えたことを示す掲示があり、入園者数不足で赤字経営との話を聞いていたが、改善傾向にあるのだろうか。

 
入園者数150万人を祝う掲示(2019.1.11 撮影) 

 途中、パネル展示や、飼育ケースに入れられたクワガタ類、カブトムシなどを見ながら、目的の「昆虫ふれあい温室」に向かった。この温室は1,100平方メートルの広さがあり、建物の2階部分から入り、緩やかなスロープを下り、1階から外に出るように設計されている。中央部分には大きな滝や渓流が作られている。

 以前、伊丹市昆虫館(2017.4.7 公開本ブログ)や橿原市昆虫館(2018.8.17 公開本ブログ)を訪れたことがあるが、温室面積としてはこれらを若干上回る規模と思われた。内部は22℃程度に保たれ、湿度も高く持参したカメラのレンズは一瞬にして曇ってしまったので、しばらく撮影の方はお預けとなり、出迎えてくれた蝶を眺めることから始まった。


たくさんのオオゴマダラが出迎えてくれた(2019.1.11 撮影) 

 先の2か所の蝶温室でも同様であるが、オオゴマダラの数がここでも一番多く見られた。その他、リュウキュウアサギマダラ、ツマムラサキマダラ、シロオビアゲハ、タテハモドキ、タイワンキチョウなどが見られたが、今回美しいツマベニチョウとイシガケチョウを見ることができたことがいちばんの収穫であった。


オオゴマダラ(2019.1.11 撮影)


リュウキュウアサギマダラ(2019.1.11 撮影)


ツマムラサキマダラ(2019.1.11 撮影)


タテハモドキ(2019.1.11 撮影)


タイワンキチョウ(2019.1.11 撮影)


シロオビアゲハ(左♂、右♀ 2019.1.11 撮影)




ツマベニチョウ(写真下:左♀、右♂ 2019.1.11 撮影)






イシガケチョウ(2019.1.11 撮影)

 中でも、イシガケチョウの生きている姿を見るのは初めてで、以前訪ねた伊丹、橿原の蝶温室でも見ることができなかったものであっただけに、ついつい夢中になってたくさんの写真を撮影した。

 若いころ、「原色日本蝶類図鑑」(1964年 保育社発行)のイシガケチョウの項を見て、次のように書かれていたので、もしかしたら自分でも大阪でこの蝶を採集することができるのではと期待を持ち、箕面滝から勝尾寺の方まで採集に出かけたことを思い出す。

 「いしがけちょう
印度から、台湾・沖縄を経てわが国の半ばに定住する本種は、北上する蝶類中新進の代表である。・・・関西では1929年9月9日大阪府下箕面において最初の記録がある。当時としては珍しい出来事であったが、近年大阪市内においてさえ、5頭も採集された事実があり、府下各地に採集せられている。・・・路上・岩石湿地などに翅を開いたまま展翅された標本のように静止する。・・・」

 イシガケチョウの一番上の写真など、まさにここに書かれているとおりで、展翅標本そのままの開翅状態である。また、イシガケチョウの眼には中央に線が入っていて、半眼状態で眠そうに見える。このことは、今回ぐんま昆虫観察館の展示説明で知った。


中央に線が走り、眠そうに見えるイシガケチョウの眼(2019.1.11 撮影、上下を逆さにしている)

 この昆虫観察館を出ると別館と食草・育成温室に通じる道がある。別館内の地下1階部分には広いフォローアップ学習コーナーがあり、多くの関連書籍が利用できるようになっている。また、この施設設計をした安藤忠雄氏関連の書籍コーナーも見られた。


別館の地下部分にあるフォローアップ学習コーナー(2019.1.11 撮影)
 
 食草・育成温室の建物に入り廊下から室内に展示されている飼育箱や蛹を眺めていたら、中から職員の一人が出て来て、声をかけてくれた。自由に室内を見学してもいいとの誘いを受け、室内で飼育中のオオゴマダラ、リュウキュウアサギマダラ、ツマムラサキマダラ、ツマベニチョウ、シロオビアゲハなどの幼虫の飼育の様子と、これらの蝶の蛹を見せていただいた。

 ここでも、飼育している幼虫の食草は毎週石垣島から空輸しているという。


ホウライカガミを食べるオオゴマダラの幼虫(2019.1.11 撮影)


リュウキュウテイカカズラを食べるツマムラサキマダラの幼虫(2019.1.11 撮影)


ツルモウリンカを食べるリュウキュウアサギマダラの幼虫(2019.1.11 撮影)


ギョボクを食べるツマベニチョウの幼虫、蛇に擬態しているとされる(2019.1.11 撮影)


ミカンの葉を食べるシロオビアゲハの幼虫(2019.1.11 撮影)

 前翅長60~75mmと、国内産の蝶では最大級とされるオオゴマダラだが、幼虫の大きさも大きく50mm以上あって、ツマムラサキマダラの幼虫と比べるとその違いが判る。


オオゴマダラ〈左〉とツマムラサキマダラ〈右〉(2019.1.11 撮影)

 オオゴマダラの蛹は羽化が近くなると金色の構造色が強くなり、とても美しい。次の写真では羽化直後の成虫の姿も見られる。


オオゴマダラの蛹(2019.1.11 撮影)

 ツマベニチョウの蛹を見るのは初めてであったが、無造作に紙の上に置かれていた。羽化が近くなると、成虫(♂)の前翅先端の紅色が、蛹の殻を透して見えるようになる。


ツマベニチョウの蛹(2019.1.11 撮影)

 ところで、これまでにも温室内で通年蝶の姿を見ることのできる伊丹市昆虫館や橿原市昆虫館を訪ねてきた。開館時期は伊丹市昆虫館が1990年11月10日、橿原市昆虫館は1989年10月10日である。一方、今回訪問したぐんま昆虫の森の開館は2005年8月1日と、少し遅れてのスタートであった。

 ぐんま昆虫の森沿革についてはホームページに「目的及び沿革」が掲載されているが、1997年に構想がスタートしている。現在名誉園長を務めている矢島 稔氏が構想段階から参加してきたことが、氏の著書「蝶を育てるアリ」(文春新書 2002年発行)の「あとがき」に記されていた。

「・・・(私の信条である)『実物を自然の中で自分で探す』ということと、ほとんど同じ発想で群馬県の小寺弘之知事が実体験のできる施設を提案された。私が設立委員会に招かれ、その『ぐんま昆虫の森』計画の立案を依頼されたのは、数年前のことであった。場所は勢多郡新里村で、広さは四十八ヘクタールある。・・・まさか理想としてきた夢の施設が現実になろうとは思ってもいなかった私は、これを半生のまとめにしたいという思いで、準備室のスタッフと計画を練っている。・・・これほどの規模の施設は日本にはもちろん、世界にもない。・・・つまり、ひと昔前の”昆虫少年”を一人でも多くつくりたいと思って、前例のない新しい施設をつくりつつある。・・・」

 尚、この「蝶を育てるアリ」の著者のプロフィールによると、矢島 稔氏は、大学卒業後、東京都多摩動物公園に勤務し「昆虫園」を開設。1964年、月刊誌「インセクタリウム」創刊。1987年、多摩動物公園園長となり、翌年「昆虫生態園」をオープン。1999年より群馬県立「ぐんま昆虫の森」園長として今に至る。」とある。

 最後に、この広大な「ぐんま昆虫の森」の全体像を、同館発行のパンフレットから引用させていただく。次回は、フィールドで昆虫をみることができる季節に訪問してみたいものと思っている。


「ぐんま昆虫の森」フィールドマップ




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いとこ会と確率

2019-01-18 00:00:00 | 日記
 母方のいとこが定期的に集まり、一泊の旅行をするいとこ会、名称は「こすもす(秋桜)会」を続けている。”こすもす”という名前は、母の実家の姓から”秋”という1字を採ったものである。

 こまめな幹事役のSさんたちが、祖父母、親、子世代を含む四世代の名簿を作ってくれていて、ここには、祖父母に始まり、9人の親世代、18人の我々いとこ世代、そして36人の子供世代の名前が記されている。各世代の配偶者を合わせて、合計91名の名前と生(没)年月日をここに見ることができる。


大阪・箕面でのいとこ会の余興風景(2009.10.16 撮影)


大阪・箕面でのいとこ会参加の女性陣(2009.10.17 撮影)

 二年ほど前に、鹿児島に住んでいる従弟と、その姉の従妹とその娘の3人が私の母を訪ねて大阪に来たことがあった。

 その時、この「いとこ会」のことが話題になり、従弟のYさんが「いとこ会の名簿を見ていると、同じ誕生日のペアがたくさんあって、少し不思議に思う」と話した。

 実は、私も同じことを感じていて、確率論的にみてどんなものか計算してみたいと思っていたのだが、その時はどのような計算をすればいいのかすぐに思いつかず、そのままになっていた。今回思い立ってこれを実行することにした。


淡路島でのいとこ会(2010.11.26 撮影)


淡路島でのいとこ会(2010.11.27 撮影)

 名簿に名前のある91人の中に、誕生日が同じペアが11組存在している。その内、一組は双子で、私の母とYさんの母である。また、叔父の一人だが夫婦で同じ誕生日、それも年月日すべてが同じという組もある。

 双子のケースを他のケースと同様に扱っていいものかどうか、疑問の残るところであるが、とりあえず91人の集団に、11組の誕生日が同じペアがいる確率を計算してみることとした。

 この計算は意外に面倒である。


叔母のマジックショウ(2012.3.17 撮影)

 ウィキペディアには、「誕生日のパラドックス」というページがあって、ここで誕生日が同一の2人(以上)がいる確率を議論している。集団の人数と、その中に誕生日が同じ2人が見つかる確率のグラフは次のようである。これによると、70人しか集まらなくてもその確率は99.9%を超え、50%を超えるのに必要な人数は、わずか23人で、その時の確率は50.7%(0.507)であるとしている。集団の中に、同じ誕生日の2人が見つかる確率は、意外に高いのである。


ある集団に同じ誕生日のペアがいる確率(ウィキペディア「誕生日のパラドックス」
⦅2017年9月28日 (木) 09:16⦆より)

 ここで、パラドックスという言葉は、論理的な矛盾に基づいているという意味でのパラドックスではなく、結果が一般的な直感と反しているという意味でのパラドックスであるとしているが、確かに、誕生日の数が(閏年は除くとして)365種類あることを考えると、上の確率計算結果は直感とは合致しないように思える。

 ところで、ここで採用されている計算は、誕生日が同一の2人以上がいる確率であり、誕生日が同一の2人が一組だけ見つかる確率ではない。計算方法は下記のようなもので、余事象を用いて行われていて、上記のように直感との比較をするのであれば、これでいいのかもしれないが、今私が求めようとしている目的には使えないと思われた。

 ウィキペディアを始めとして、ネットを検索して見つけることができるもののほとんどは、n人の中で同じ誕生日の人が少なくとも2人いる場合の確率P2を計算で求めていて、その方法は、n人の誕生日が全て異なる場合の確率p1を計算して、この確率を1から引くという方法である。

p1(n) = 364/365x363/365x362/365x・・・・x(365-n+1)/365 = 365!/365^nx(365-n)!

p2(n) = 1-365!/365^nx(365-n)!

となって、n=23のとき、p2=0.507・・となり、50%を超えるという訳である。


有馬温泉でのいとこ会余興風景(2013.11.3 撮影)


有馬温泉でのいとこ会参加メンバー(2013.11.4 撮影)

 では、誕生日が同一の2人が複数組見つかる確率を計算するには、どうすればいいか。余事象によらない、直接事象計算をする別な計算式を使わなければならない。この場合の方法として、トランプのポーカーの手ができる確率計算の方法などがあり、これらを参考にすると次の確率計算の方法が適当と思われた。

 n人の中で同じ誕生日の人が一組だけ見つかる確率の計算法は、n人から2人を選ぶパターン数をXとして、誕生日のパターン数Yは365であり、2人のペア以外の(n-2)人の誕生日のパターン数Zは、先の2人とは重複しないように順次選ぶと、

X = n(n-1)/2, Y = 365, Z = (365-1)(365-2)・・・(365-n+2)

であり、これらすべての積を、すべての誕生日のパターン数Wで割ることで、その確率が得られる。

W=365^n

であるから、n=23 の場合の結果は

XxYxZ/W=0.363

である。この値はウィキペディアが示す、少なくとも一組の同じ誕生日のペアが見つかる確率 0.507に比べるとだいぶ小さい値になるが、ウィキペディアの場合には同じ誕生日の組み合わせの、他の多くのパターンが含まれていたことを考えれば理解できるであろう。

 では、91人の中で同じ誕生日のペアが11組見つかる確率はどうなるか、同じ方法を用いて計算してみる。計算の方法は、91人から2人のペアを11組選ぶパターン数をXとして、誕生日のパターン数Yを365,364・・・と11組に対して順次減らし、2人のペア以外の(91-22)人の誕生日のパターン数Zは、先の22人、11組とは重複しないので、

X = 91(91-1)/2x(91-2)(91-3)/2x・・・x(91-20)(91-22+1)/2/11!, Y = 365x(365-1)x・・・x(365-11+1), Z = (365-11)x(365-12)x・・・x(354-91+23), W = 365^91

であるから、計算するとその確率は、

 XxYxZ/W = 0.054

という結果になる。

 さて、この約5%強という結果をどう見ればいいのか。迷うところであるが、かなり珍しいということになるのではないだろうか。従弟のYさんと私の直感は当たっていたということになるのかもしれない。


淡路島のイングランドの丘でコアラを見る(2015.10.4 撮影)


鳴門でのいとこ会参加メンバー(2015.10.4 撮影)

 ところで、今回誕生日が同じ人のペアが多数見つかることを共に指摘したYさんと私であるが、我々の母親は双子であった。昨年私の母が亡くなり、すでに二人ともこの世にはいないのだが、この双子の叔母と母のそれぞれの子供を見ると、叔母の子供は、女(3=女・女・男)・女(2=女・男)・男(2=女・女)の3人、母の子供は、男(2=男・女)・女(3=女・女・女)・女(2=男・女)の3人と順番が異なるが共に女2人と男一人の3人である。またそれぞれの孫の数も()内に示した通りで、女5人、男2人と同じになっている。更に、叔母の長女の娘の一人と私の娘の職業が共にCAであった。

 大正生まれの私の母と、叔母とは双子として生まれたが、生後すぐに私の母は養女として、祖父母の友人の家にもらわれていった。満州でのできごとであった。その後、母は自らが双子であったことを知らずに、一人っ子だと思って育ったという。結婚後に、或ることから自分には双子の妹がいることを知ったが、その時にはその妹は、鹿児島の枕崎に嫁ぎ、暮らしていた。

 このように、遠く離れ育った双子の2人の家族の間に、いくつかの共通点があることにも、確率論的な興味がわく。叔母と母とは、後年近畿大学と東京大学の双子を研究するチームからの依頼があって、協力していたと聞いたことがある。一体どのような調査であったのか知りたくなってくるのであるが。

 妻に、妻の側にも私の場合と同じような資料があるかと聞いたが、そんなものはないという。91人もの親類の生年月日の判る名簿があることのほうが、よほど珍しいということらしい。


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蘇民将来と初詣

2019-01-11 00:00:00 | 日記
 国道18号線を使って上田方面に出かけることが時々あるが、道路沿いに一風変わったモノを見かけていた。妻に聞くと、「蘇民将来」ということばが返ってきていた。埼玉県飯能市にもこの「蘇民将来」ゆかりの「竹寺」があり、若いころ行ったことがあるとのことで、その寺では、木彫り・六角柱状の「蘇民将来符」を参拝者に頒布していたという。


上田市の国道18号線・国分西交差点にある「蘇民将来符」をかたどった案内塔(2019.1.7 撮影)

 しばらくの間、それ以上深く調べることもなく、日が過ぎていたが、今回年始に長野市に出かける機会があり、ふとしたことから、またその話題になった。調べてみると、、正月の7日と8日に上田市の八日堂(信濃国分寺)で行われる縁日で、この「蘇民将来符」を参詣者に分けていることが判った。

 7日の午後1時から、寺が用意した「蘇民将来符」の頒布があり、翌8日の朝8時からは、地元の組織「蘇民講」が用意した七福神などの絵入り「蘇民将来符」の頒布があるという。どうも、この蘇民講製の蘇民将来符を手に入れようと、遠く東京、関西方面からも参詣者が来るらしいので、我々は、予想されるこの混雑を避けて、7日にお参りをすることにして、信濃鉄道を利用して出かけてきた。


信濃鉄道の信濃国分寺駅(2019.1.7 撮影)

 最寄りの駅は、信濃国分寺駅であり、これまでにも一度だけこの駅を利用したことはあったが、様子が一変していた。静かで乗降客もまばらな駅であったのが、この日は多数の参詣客がいて、八日堂まで途切れながらではあったが参詣の人の列ができた。

 18号線沿いにある、山門までくると、そこから縁日の屋台が始まっていて、細い道路の両脇には、ずっと奥の方までこれらの店が続いていた。久々に見る、ヤキソバ、たこ焼き、チョコレートバナナ、串焼き肉などの店を通り過ぎ、本殿に近くなると縁起物のだるまを売る店が増えてきた。高崎のだるまと同じようなものである。


国道18号線沿いにある八日堂信濃国分寺の山門(2019.1.7 撮影)


山門をくぐるとすぐに屋台の列が続く(2019.1.7 撮影)


縁起物のだるまを売る店が多くみられる(2019.1.7 撮影)


後方に本殿が見えてくる(2019.1.7 撮影)
 
 我々も参拝者の列に加わり、お参りを済ませてから、本殿両脇に設けられた「蘇民将来符」の頒布所に向かった。


信濃国分寺本殿(2019.1.7 撮影)


お参りする人々(2019.1.7 撮影)


本殿脇の「蘇民将来符」頒布所(2019.1.7 撮影)


大小さまざまな「蘇民将来符」が頒布されている(2019.1.7 撮影)

 大小さまざまな大きさのものが台の上に置かれていたが、私たちは、大きめのもの(高さ20cm)と、一番小さく紙で包まれているもの(高さ9.3cm)とを買い求めた。それぞれ、5千円と千円であった。小さい蘇民将来符を包んでいた紙には、蘇民将来についてという説明が書かれていた。


本殿脇の頒布所で求めた大小2種の蘇民将来符(2019.1.8 撮影)


小さい方の「蘇民将来符」の包み紙にはそのいわれと、蘇民将来についてが書かれていた

 「蘇民将来符」に書かれている文字は大・小どちらも同じもので、6つの面に大福、長者、蘇民、将来、子孫、人也と2文字ずつ書き分けられている。


6つの面に書かれている、大福、長者、蘇民、将来、子孫、人也の文字(2019.1.8 撮影後合成)

 この蘇民将来符については、ちょうど信濃国分寺のすぐ目の前、18号線沿いにある上田市立・信濃国分寺資料館で、「蘇民将来符展」が開催されていたので、立ち寄ってきたが、展示品の他に「蘇民将来符-その信仰と伝承-」という小冊子も受付で販売されていて、先ほどの包み紙にも説明はあったが、さらに詳しい情報を得ることができた。


上田市立・信濃国分寺資料館正面(2019.1.7 撮影)


上田市立・信濃国分寺資料館で販売されていた「蘇民将来符-その信仰と伝承-」の表紙

 それによると、蘇民将来信仰は、中国から伝わったとみられる民俗信仰で、「蘇民将来子孫人也」と書かれた護符を持っているものは、災難をまぬがれ、その子孫は富み栄えるという説話にもとづいているという。最も古い護符としては、京都府の長岡京跡から奈良時代(710-794)末期のものが発見されていて、現在は、青森県から鹿児島県トカラ列島まで、全国約50か所に蘇民将来信仰が伝わっている。

 この蘇民説話の中身であるが、和銅6年(713)に中央官命により作成された報告公文書のひとつとされる、「備後国風土記」に、わが国で最も古い蘇民逸話がある。この原文を要約すると次のようである(上田市立・信濃国分寺資料館発行の「蘇民将来符-その信仰と伝承-」より)。

 「・・・むかし、武塔神が求婚旅行の途中宿を求めたが、裕福な弟将来はそれを拒み、貧しい兄蘇民将来は一夜の宿を提供した。後に再びそこを通った武塔神は兄蘇民将来とその娘らの腰に茅の輪をつけさせ、弟将来たちは宿を貸さなかったという理由で皆殺しにしてしまった。武塔神は『吾は速須佐雄の神なり。後の世に疫病あらば、汝、蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむ』と言って立ち去った。・・・」

 また、今回の展示では、信濃国分寺に伝来する「牛頭(ごず)天王之祭文」を見ることができたが、これは、室町時代の文明12年(1480)に書き写された、年代が判明している日本最古の牛頭天王祭文とされ、上田市指定文化財になっているもので、ここにも前述の「備後国風土記」同様、蘇民将来信仰の起源が述べられている。
 
 「備後国風土記」との相違点だけをみると、神名が武塔神でなく牛頭天王となっている。牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神で、除疫神として京都の祇園社(八坂神社)等に祭られているものである。また、「弟将来」は「小丹長者」となり、「兄蘇民将来」は「蘇民将来」となり、小丹長者の妻が蘇民の娘とされている。さらに、「備後国風土記」における茅の輪と呪文は「祭文」では「柳ノ札ヲ作テ蘇民将来之子孫也ト書テ」と変わっている。この「柳の札」が現在の信濃国分寺の蘇民将来符にあたる(上田市立・信濃国分寺資料館発行の「蘇民将来符-その信仰と伝承-」より要約)。

 過去のある時期には、柳の木の札に「蘇民将来之子孫也」と書かれていたことを伺わせる内容である。

 今回のこの蘇民将来符展は撮影が禁じられていたので、詳細を伝えることができないが、このほかに江戸時代後期の八日堂縁日の様子を描いた「八日堂縁日図」が展示されていた。ここには、363人の人物が描かれているが、薬師堂と境内東西で現在と同じ六角形状の蘇民将来符が分けられる様子が描かれている。

 これらのことから、現在と同様の木彫り・六角形状の蘇民将来符は少なくとも江戸時代後期には作られ、頒布されていたことが判る。

 館内のこの特別展とは別の場所には、上田市内の民家が収集していた明治期からの蘇民将来符や、蘇民講が作成した七福神が描かれた蘇民将来符が展示されていた。


上田市内の峯村家が収集した蘇民将来符の展示用説明パネル(2019.1.7 撮影)


峯村家から寄贈された明治16年から平成2年までの蘇民将来符(2019.1.7 撮影)


七福神の描かれている蘇民将来符(2019.1.7 撮影)

 蘇民将来符の製作であるが、原木はドロヤナギで、樹高は15m~20m、直径は30cmほどになり、材質が加工しやすいことからマッチの軸木やツマ楊枝、箱材などに用いられているものであるという。そして、ドロヤナギという名は、ドロノキあるいはハコヤナギと共に上田地方の通称で、正式名称はヤマナラシというポプラの仲間の植物であるとされている(前出蘇民将来符-その信仰と伝承-)。

 しかし、「原色牧野植物大図鑑」(2008年 北隆館発行)で確認すると、ドロノキとハコヤナギは別種で、ドロノキの種名(和名)はデロで、ハコヤナギの種名がヤマナラシであり、ドロヤナギという名は見当たらなかった。どちらも、ヤナギ科・ハコヤナギ属に属する、雌雄異株の高木であるとしている。

 もう一つの資料、「植物の世界-68号」(1995年 朝日新聞発行)にはドロヤナギの名が見られた。ヤマナラシとドロノキの2種の名が別種として紹介されていて、ヤマナラシはハコヤナギとも呼ばれ、ドロノキは別名ドロヤナギとも呼ばれ、和名のドロノキは、北海道松前地方の方言名デロに由来するとしている。

 最後にウィキペディアを見ておくと、ここでもドロヤナギはドロノキの別名として扱われていて、そのほかドロ、ワタドロ、ワタノキ、デロ、チリメンドロといった別名も紹介されている。ヤマナラシ、別名ハコノキはここでも別種の扱いである。ともにヤナギ科ヤマナラシ属として分類されている。

 属名が出典により異なっているが、これはときどき見られることで、両方の名が使われているようである。

 これらを整理すると次のようになる。


ヤマナラシとドロノキ=デロの分類と別名の比較表

 上田市発行の先の資料には、”ドロヤナギ”は、四月に褐色の穂状の花をつけるとあるが、これはデロ=ドロノキの特徴であり、ヤマナラシ=ハコヤナギの花穂は雌雄ともに緑色である。さて、蘇民将来に使われているドロヤナギとはヤマナラシ、デロ=ドロノキのいずれであろうか、それともこの両方が区別されずに使用されているのであろうか。


原色牧野植物大図鑑のヤマナラシの項


原色牧野植物大図鑑のデロの項

 樹種のことはさておき、毎年11月に入るとこの木の原木を切り出し、12月1日に作り初めの行事である「蘇民切り」を行った後、各蘇民講の家ですべて手作業で護符作りが行われる。ドロヤナギの木は、原則として割木を用いず真中にシンが通った材を使用するとされている。1月7日には寺に納めて護摩の祈祷を受けたものが、一般に頒布される。

 現在、全長1cmほどから27cmほどまでの大きさの異なる、9種類の蘇民将来符が作られていて、小さい方から「ケシ」・「平ジ」・「二番中」・「中」・「中ジク」・「中大」・「大」・「大ジク」・「大々」という符号で呼ばれているという。私達が購入したものは、「平ジ」と「中大」だろうか。尚、この中の「平ジ」の蘇民将来符に限って、年間を通して寺務所で頒布が行われているという。


購入した2種の蘇民将来護符の底面(2019.1.8 撮影)

 今回購入した蘇民将来符の底を見ると、国分寺・八日堂の印が見えるが、木目を見るとシンは真中ではない。近年、山中に自生するドロヤナギの発見が困難になってきているとの話もあるので、中サイズ程度のものは割木を用いざるを得なくなっているようである。

 蘇民将来符の方は、物珍しさも手伝って購入したのであったが、昨年からガラス・ショップを始めているので、商売繁盛を願って「マネキネコ」も1つ買い求めて帰路についた。


まねきねこ(2019.1.8 撮影)
















 
  
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ガラスの話(12)ガラスの中の動物

2019-01-04 00:00:00 | ガラス
 明けましておめでとうございます。2019年は亥年ということで、ショップ用にと娘がイノシシの彫刻が入っているガラス器を撮影して、年賀状を作ってくれたのでお届けする。今年も本ブログをよろしくお願い申し上げます。



 ここで使用したガラス器は、高さが150mm、口径が86mmとやや大きめのビアグラスといったところ。透明ガラスに、薄く赤いガラスを被せてから、彫刻を施してあり、チェコのエーゲルマン(Egermann)工房で作られたものと思われる。

 ガラス表面に彫刻を施す技術がいくつかある。このイノシシを彫刻している技法は、その中のグラビュール(フランス語)またはカッパー・ホイール・エングレーヴィング(英語)と呼ばれている技法で、非常に微細な彫刻が可能なものである。

 ガラス器の全体は次のようなもので、イノシシの他に鹿が2頭と、その周辺には鳥、木、草が配置されている。


イノシシや鹿が彫刻されているビアグラス(2019.1.2 撮影)




ビアグラスに彫られているイノシシと鹿(2019.1.2 撮影)

 グラスを回転させながら、周囲に彫刻されている動物を見ていただこう。


イノシシと鹿を彫刻したガラス器(2019.1.2 撮影)

 今回は、手元にあるガラス器の中から、動物が彫刻されているものを紹介させていただく。次に見ていただくのは、透明ガラスカップ部全体にグラヴュール法による彫刻が施され、その中に鹿などが描きこまれているワイングラス。カップの下の方には犬と鳥も彫られている。グラスは、高さ133mm、カップ径64mmであり、描かれている動物も小さいため、彫刻の精細度は、前のビアグラスに比べてずいぶん粗く見える。このワイングラスの製作年代は19世紀で、同じくエーゲルマン工房のものである。


鹿などを彫刻したワイングラス(2019.1.2 撮影)


鹿や犬が彫刻されているワイングラス(2019.1.2 撮影)





ワイングラスにグラヴュール法で描かれている、鹿、犬、鳥(2019.1.2 撮影)

 ここで用いられている、グラヴュール法について、Barbara Norman の著書(ENGRAVING AND DECORATING GLASS - Methods and Techniques, 1972年 Dover Publications, 発行)を参考に、簡単に触れておく。


ENGRAVING AND DECORATING GLASS - Methods and Techniques - の表紙

 この本では、成形後冷却したガラスに彫刻(エングレーヴィング;Engraving)する方法として、次の3方法を紹介している。

1.ダイアモンド・ポイント・エングレーヴィング(Diamond Point Engraving)
2.ドリル・エングレーヴィング(Drill Engraving)
3.カッパー・ホイール・エングレーヴィング(Copper Wheel Engraving)
 
 ダイアモンド・ポイント・エングレーヴィング法は、文字通りダイアモンド・ペンシルの尖った先端でガラスに点刻を施したり、細い線を刻んで、絵画的な表現をする技法を指す。古くはローマ時代に始まったとされるが、ヴェネチアで16世紀に発展し、さらに17世紀から18世紀のドイツやオランダ、イギリスで大流行したとされる。

 電動ハンド・ドリル(リューター)にフット・スイッチを組み合わせて彫刻する方法が、ドリル・エングレーヴィングである。ダイアモンド、カーボランダムなど種々の材質と形状のドリル先を選ぶことができ、便利な方法であるが、繊細な表現を行うには、次のカッパー・ホイール・エングレーヴィングに及ばないとされる。

 最後のカッパー・ホイール・エングレーヴィングは、回転軸の先端に、直径5mm~100mmの銅製や石製の円盤をつけて、ガラス表面を彫刻する方法である。回転円盤には効率よくガラスを削るために、油で粘った研磨材をつける。この技法の始まりは非常に古く、古代メソポタミアに遡ることができるが、ガラス工芸に使われるようになったのは、16世紀頃のドイツ、ボヘミアであるとされる。現在は、モーターを使用して回転させているが、昔は足踏み式で行われていた。この彫刻には、絵画的才能と彫刻的才能の両方が要求されるために、ガラス工房の中では、技術者として最も高い地位が与えられているという。制作には長い時間がかかるため、作品はとても高価なものになる。

 ここでは、そうした高価なものを、お目にかけることはできないが、手元にある動物が彫られたカッパー・ホイール・エングレーヴィング作品のいくつかをご覧いただいて、雰囲気を味わっていただこうと思う。

 最初は、ほ乳類から。4番目に猫が出てくるが珍しい。



鹿が彫られているグラス(チェコ製 H207mm, D78mm 2019.1.2 撮影)



馬が彫られている花瓶(チェコ製 H170mm, D90mm 2019.1.2 撮影)



犬が彫られているオペーク・ツイスト・ステムのワイングラス(ドイツ製 H190mm, D68mm 2019.1.2 撮影 )



猫が彫られているオペーク・ツイスト・ステムのワイングラス(ドイツ製 H190mm, D68mm 2019.1.2 撮影 )

 次に鳥類。これが一番多い。



フクロウが彫られているエアー・ツイスト・ステムのワイングラス
(イギリス製 H165mm, D95mm 2019.1.2 撮影 )



ミソサザイが彫られているエアー・ツイスト・ステムのワイングラス
(イギリス製 H165mm, D95mm 2019.1.2 撮影 )



ニワトリが彫られているオペーク/カラー・ツイスト・ステムのワイングラス
(イギリス製 H140mm, D68mm 2019.1.2 撮影 )



水鳥が彫られているカラー・ワイングラス(チェコ/モーゼル社製 H185mm, D85mm 2019.1.2 撮影 )




2種の鳥が彫られているフィンガー・ボウル(アメリカ/ホークス社製 H60mm, D115mm 2019.1.2 撮影)






4面に水鳥、フクロウとコウモリ、ハトなどが彫られている大型ボウル
(イギリス製 H133mm, D240mm 2019.1.2 撮影)



2羽のサギが彫られているワイングラス(ヴェネチア製 H260mm, D75mm 2019.1.2 撮影)

 次に魚類。これはあまり見かけない。現在手元にあるのはこの1セットだけである。


種々の魚が彫刻されたデキャンター、ワイングラスのセット
(デキャンター:H220mm, D120mm/グラス:H155mm, D85mm 2019.1.2 撮影 )

 昆虫では蝶が見られるが写実的でなく、たいてい図案化されている。昆虫ではないが珍しいところで蜘蛛も見られる。



蝶が彫られているオールド・ファッション・グラス(アメリカ製 H95mm, D80mm 2019.1.2 撮影 )



蝶が彫られているフィンガー・ボウル(イギリス製 H60mm, D130mm 2019.1.2 撮影 )



3頭の蝶が彫られている皿(アメリカ製 H40mm, D150mm 2019.1.2 撮影 )




蝶と蜘蛛が彫られているフィンガー・ボウル(イギリス製 H60mm, D130mm 2019.1.2 撮影 )

 以上はすべてカッパー・ホイール・エングレーヴィング法で彫られている。

 最後に、エングレーヴィング法ではないが、珍しいエナメル彩色で馬車の絵が描かれているゴールド・サンドイッチ法によるグラスを見ていただく。ゴールド・サンドイッチ法とは2つの相似形のタンブラーを使い、小さい方のタンブラーの外側に金箔を貼って、これにエッチング文様を施し、あるいは今回紹介するようにエナメルで絵を描いて、大きい方のタンブラーにぴったりとはめ込み、口縁を封じたものである。



馬車が描かれているゴールド・サンドイッチ・ゴブレット(ボヘミア製 H93mm, D68mm 2019.1.2 撮影 )

 では、この辺で。今年は災害のない年になりますよう。
 





 






 

 




 
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