犬養万葉今昔―犬養孝先生著「万葉の旅」を訪ねて

犬養孝先生名著「万葉の旅」記載の万葉故地309箇所を訪ね、先生が撮られれたのと同じ場所に立った写真撮影を目指す紀行。

■今昔324四国

2009年07月31日 | 今昔(10)四国 九州(一)
四国 
万葉故地は 数少ない
その中 柿本人麻呂の「さみねの島」
     額田 王の「熟田津」 は 出色
いざ 四国の海へ ”今は漕ぎ出でな”



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■今昔325さみねの島(一)

2009年07月30日 | 今昔(10)四国 九州(一)
さみねの島 この響き 語感
いかにも 爽やかで 美しい 島の姿が 浮かんでくる
人麻呂言う 「名くはし 狭岑の島の・・・」 まさに その情景

いま 島は 坂出からの埋め立てにより 島ではなくなった

残こる砂浜 ナカンダの浜 西ノ浜 に立ち 陸を背に 海を望めば
かろうじて 昔日の面影が 浮かぶ・・・ 
(情景は 今昔326・327を ご覧ください)




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■今昔326さみねの島(一)

2009年07月29日 | 今昔(10)四国 九州(一)
左上写真:陸続きになった「さみねの島」
右下写真:西ノ浜




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■今昔329熟田津

2009年07月26日 | 今昔(10)四国 九州(一)

【平成21年6月27日 掲載】


額田王 著名歌
男を思わせる 雄渾な響き
新羅征討の 全軍鼓舞する ために 詠われたか
(「万葉歌みじかものがたり」掲載による 先行掲示)
  「万葉歌みじかものがたり」<熟田津に>へ



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■今昔331九州

2009年07月25日 | 今昔(10)四国 九州(一)
いよいよ 九州に入ります
九州と言えば 
筑紫歌壇の福岡
玉島川・ひれふりの嶺の佐賀
壱岐・対馬 と続きます




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■今昔333香春

2009年07月24日 | 今昔(10)四国 九州(一)
JR日田彦線 香春かわら
駅前から北 工業地が 続いている
街並みが切れ 少し行くと そこはもう 大和の山野を 思わせる風景
「~香春は吾家かはるは わぎへ~」
を 感じ取れる 田野がある




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■今昔334鏡山

2009年07月22日 | 今昔(10)四国 九州(一)
河内王
持統三年(689)大宰の帥となる
 同八年 筑紫の地で 没すし
ここ 豊国の鏡山を 永遠の墓所とする
異郷の地に 眠る 王のせつなさ
鏡山の森に 風は過ぎ行く




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■今昔332福岡

2009年07月22日 | 今昔(10)四国 九州(一)
福岡の万葉故地
大宰府 そこは 「遠の朝廷みかど
九州全体を 総管するとともに 国防・外交・貿易の拠点
当然 先進文化の流入地として 中央に伍して 文化の華が咲く
また 一方では 中央から派遣された 官人たちには 
「天ざかるひな」には 変わりなく
何かにつけ 望郷の念の湧く 日々
生まれた「筑紫歌壇」の花々
こうした 思いが 滲む 歌々




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■今昔335大宰府(一)

2009年07月21日 | 今昔(10)四国 九州(一)
筑紫万葉の中心
それは 大宰府
筑紫歌壇を 率いる 大伴旅人 64歳での赴任
筑前守 山上憶良 このとき69歳
老齢歌人二人を軸に 展開される 歌会の数々




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■今昔336大宰府(一)

2009年07月20日 | 今昔(10)四国 九州(一)
老齢赴任の 大伴旅人
着任早々 同行の愛妻を失くし
望郷 二度と奈良の都を 見られないのでは との思い
やっとの 帰京の機会を得た 旅人に
憶良は 鳥のように お送りして 飛びかえってくるものを
と 詠う
都の 官人にとって 筑紫は やはり 「あまざかるひな」なのだ




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■今昔337三笠の社

2009年07月19日 | 今昔(10)四国 九州(一)
神功皇后が 土酋熊鷲を討つとき つむじ風で 御笠が飛んだことから
その名が出た との伝説の社

今 整備された 道路沿いとなり 三笠の社の神も さぞかし騒々しいことであろう




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■今昔338水城

2009年07月18日 | 今昔(10)四国 九州(一)
白村江の大敗を受け
大宰府防備のため 設けられた 水城
いまも その後を 留めている
当時の 歴史事実が ここに見られる

大宰府帥の任を終え 都へ帰る 旅人
大宰府の 日々の 感懐を 水城の上で 思いいたしたにであろうか




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■今昔339大野山

2009年07月17日 | 今昔(10)四国 九州(一)
山上憶良の 「日本挽歌」のうちの 一首
大伴旅人 大宰帥として 就任間もなく 同行の妻 大伴郎女を亡くす
旅人に代わり 我が身として 詠う憶良

大野山は 大宰府都府楼の北方背後に 東西に連なる山地




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