犬養万葉今昔―犬養孝先生著「万葉の旅」を訪ねて

犬養孝先生名著「万葉の旅」記載の万葉故地309箇所を訪ね、先生が撮られれたのと同じ場所に立った写真撮影を目指す紀行。

■日めくり万葉集Vol・2(241)いざ子ども

2014年02月19日 | 日めくり万葉集
NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。

【三月十三日】放映分

いざ子ども 早く日本やまとへ 大伴おほともの 御津みつの浜松 待ち恋ひぬらむ
《さあみんな はよ日本やまとへ 帰ろうや 御津の浜松 待ってるよって》
                         ―山上憶良やまのうえのおくら―(巻一・六三)


【万葉歌みじかものがたり】をのこやも》

 でも 夢に見る
あの 御津みつの浜での 盛大な見送り・・・

難波なにわの津を出て の津へ
そこ からが 大変であった
出航 した船は 嵐に見舞われ 筑紫に戻り 
再度の船出は 翌年よくとし
忘れ もせぬ あの恐ろしい波の音 海の色・・・ 
唐土もろこし 
むきだしの山肌 巻きあげる黄砂きいろずな 濁り水
大和 の 青い山 白い砂 清い流れを 
どん なにか恋しく思うたことか

いざ子ども 早く日本やまとへ 大伴おほともの 御津みつの浜松 待ち恋ひぬらむ
《さあみんな はよ日本やまとへ 帰ろうや 御津の浜松 待ってるよって》
                         ―山上憶良やまのうえのおくら―(巻一・六三)

あのとき すでに四十二 若くはなかったが  唐土もろこしへのつかいに列し 青雲のこころざしに 燃えていた
しかるに 帰朝後に待っていたのは 十年余りのむなしい日々
その後 伯耆守ほうきのかみに任じられはしたが 
よわいは 五十七を数えていた
地方官の任務に耐え 一度はみやこの職に着いたものの 
六十七の歳 筑前守ちくぜんのかみを命じられ 天離あまざかひな

でも  筑紫は 楽しかった
旅人たびと殿を中心とした 筑紫歌壇かだんが なつかしい
旅人 殿は 赴任早々 奥方を亡くされたのだった
鬱々うつうつたる日々 せめてもの慰みにと 催されたうたげの数々
七夕 の宴
梅花うめはなの宴
あのころの友 小野老おののおゆ 沙弥満誓さみまんせい・・・
みな  遠くなった

筑前守 任解かれしは昨年きょねん
みやこに戻れはしたが もう 役目とてない
世をうとう 歌みの日々が 過ぎて行った
今 やまい このていたらくだ
藤原八束やつか殿が 川辺東人かわべのあずまひとをして 見舞いに寄こして下された
果報者かほうものよ 憶良 まだ 友が
「見舞いの礼に 八束やつか殿に この歌を
 憶良めは まだまだ 死なぬと お口添くちぞえを」

をのこやも むなしくあるべき 万代よろづよに 語りくべき 名は立てずして
丈夫ますらおと 思うわしやぞ のちの世に 名ぁ残さんと 死ねるもんかい》
                         ―山上憶良やまのうえのおくら―(巻六・九七八)
天平 五年(733)
社会派歌人うたびとは 帰らぬ人となった 享年七十四




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