犬養万葉今昔―犬養孝先生著「万葉の旅」を訪ねて

犬養孝先生名著「万葉の旅」記載の万葉故地309箇所を訪ね、先生が撮られれたのと同じ場所に立った写真撮影を目指す紀行。

■今昔197三重

2008年05月15日 | 今昔(6)三重県 京都府 滋賀県
★伊勢神宮と皇室 東国との往還 海洋へのあこがれ の歌
 三重の万葉故地は 護岸工事で 趣を喪失



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■今昔198名張の山

2008年05月15日 | 今昔(6)三重県 京都府 滋賀県
★持統天皇6年(692)3月の伊勢行幸に伴ったであろう
 当麻麻呂(たぎまのまろ)の妻 夫の安否を思っての自問自答歌
 



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■今昔199いざみの山

2008年05月15日 | 今昔(6)三重県 京都府 滋賀県
★いざみ山は 三重県飯南郡と 奈良県吉野郡との境の 高見山
 松阪からバス 高見トンネルの手前 「落方」下車 徒歩30分 舟戸の集落にて



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■今昔200河口の野

2008年05月15日 | 今昔(6)三重県 京都府 滋賀県
★聖武天皇の天平12年(740)10月
 九州で起こった 藤原広嗣の乱の連鎖を恐れての 天皇巡行同行時の歌
 河口の野は 建物に さえぎられて・・・
 



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■今昔201波多の横山

2008年05月15日 | 今昔(6)三重県 京都府 滋賀県
★悲運の皇女 十市皇女(とおちのひめみこ)の死を予感しての「常処女」か
 夫大友皇子を壬申の乱で亡くし 父天武の元での辛い日々 



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■今昔202まとかた

2008年05月15日 | 今昔(6)三重県 京都府 滋賀県
★松阪市外の東黒部にて
 遠方 松の疎林の足元は 亭々たる護岸 南海・当南海地震の備え



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■今昔203伊勢神宮

2008年05月15日 | 今昔(6)三重県 京都府 滋賀県
★大伯皇女(おほくのひめみこ) 大津皇子の深夜の訪問を受け
 帰した後の 弟への不安と慕情



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■今昔204伊勢の海

2008年05月15日 | 今昔(6)三重県 京都府 滋賀県
★志摩の安乗(あのり)岬
 堤防を越えて 岩洗う波の足元に寄せる岩礁にて
 



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■今昔205鳴呼見の浦

2008年05月15日 | 今昔(6)三重県 京都府 滋賀県
★鳥羽の小浜あみの浜 向かいは答志島(次項「手節岬」)
 小さな砂浜にも テトラの関




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■今昔206手節の崎

2008年05月15日 | 今昔(6)三重県 京都府 滋賀県
★手節の崎(たふし→とふし→とうし)=答志島の岬 黒崎
 神島(右)は見えるが 伊良湖崎(左)は霞んでいる
 三角テトラ(?)が目障り




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■今昔207京都

2008年05月14日 | 今昔(6)三重県 京都府 滋賀県
★恭仁京、山背道、奥丹後浦島伝承地
 主として山城国を中心とした故地
 観光京都とは趣を異にする万葉故地を どうぞ!



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■今昔208恭仁京(一)

2008年05月14日 | 今昔(6)三重県 京都府 滋賀県
★万葉第四期に入り 世相は混沌とする
 天平8・9年 悪疫流行→藤原不比等の四子死亡
             →橘 諸兄 台頭
 天平12年10月 藤原広嗣の反乱
          →聖武天皇東国行幸
          →伊勢・美濃・近江へて新都恭仁京遷都



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■今昔209恭仁京(一)

2008年05月14日 | 今昔(6)三重県 京都府 滋賀県
★恭仁京新都には 寿ぎの賛歌が多い
 政情安定を見ないなか 新都に賭ける意気込みと 短期に終わる不安が
 人々のこころに ないまぜになっていたのであろうか

 海住山寺への山道からみる 瓶原(みかのはら)・泉川は 見晴らしはるけく



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■今昔210恭仁京(二)

2008年05月14日 | 今昔(6)三重県 京都府 滋賀県
★三年余の恭仁京
 天平十六年(744)難波遷都 十七年平城復都で
 荒れにし都と化す
 宮址論争のあおりで 石碑は寝かされたまま いにしえ思う



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■今昔211鹿背山

2008年05月14日 | 今昔(6)三重県 京都府 滋賀県
★恭仁大橋から見る 鹿背山
 流れは 泉川(木津川)



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