かつて私の親友が皇族方と懇意で、仲立ちして私を紹介したく思っていたようなのだが、
当時は私は全く無関心で、そのうち親友は早逝してしまった。
その彼の奥様が、私の誕生日を祝ってくださるといって来てくださって、しかし締め切りの都合でお互い行きつけのイタリアンレストランで落ち合ったのが、一昨日のこと。
悠仁さまのお話になったのだが、奥様曰く
「娘がお会いしました」
はい?
「娘がかこちゃまと、同級生なんです」
え?
「御所内や宮家のことはお話しできないのですけど、先生だから特別に」
と娘さんがお宅にうかがって、そのとき遭遇した悠仁さまのこと、紀子さまのご様子、他微笑ましくて聞き入ったのだが、むろんここには書けない。
ただ「非常に仲のいい姉弟ですよ」ということぐらいは、書いてもいいだろう。
書けなくて残念。口元がほころぶ逸話である。
親友の奥様も紀子様にはご学友の母親同士としてお会いになったそうだが、
「こんなにグラウンディングのしっかりした女性に私は会ったことがありません」
グラウンディングは、要するに地にどっしり足がついて動じない様子だろうが、さもありなんと思う。
大変なお立場だと思う、これまでのさまざまなことを振り返るに。
乏しい予算の中で「家計のやりくり」、3人の子育て、ご自身の学び、ご公務、神事と
息もつけぬ日々の連続の中、いつもすっとお立ちで、しかし随所に工夫を凝らし気を配られていることは、ヘアスタイルひとつ拝見しても、手間がかからぬショートでしかし、和服にも即転用できるスタイルで風に乱れ見苦しくならぬよう、固めていらっしゃるお気遣いである。
心屈することも悲しみも時にはおありであろうと拝察するが、しかし常に淡々と微笑みを絶やさず、それは、強さに他ならない。宮家に嫁ぐ際の並々ならぬお覚悟を感じる。
皇后陛下の真似ばかりなさっていると批判する人がいて、私などは驚くのだが、そのどこが
いけないのだろう。皇后を規範に動かれるということは、個性を殺すということであり、しかし
皇室で求められるのは実に、無私なのであり、民間から持ち越した半端な個性などそもそも
浮世に潔く捨てて来ねばならぬのが、皇族の一員になるということなのだ。
戸籍なく、本来人格すらなき特殊なお立場の人々を、民間の例をあげつつ語る人々がいるが根底で勘違いしている。2673年間続く、日本最高位の神道の祭主の家であり、
世界のプロトコールにおける天皇陛下は、大統領、あらゆる王族がたの上にランキングされる。そういう特殊な上にも特殊なご家系に連なるのであるから、なまなかなお覚悟では務まらず、ある意味では神域で永久に巫女を務め続けるほどの禁欲的な心構えが必要なことなのであって、いかに「私」を後回しに、民優先にお考えになれるかということが
資質として求められるところであろう。
個性を捨て、しかしそのことによりかえって個性が光り、人格を捨て去ることで人より上の挌を得る、皇室というのはそういう逆説的世界なのである。
もし、「人間性」や「人格」「自由」を求めるなら、皇室存在の意義が希薄になる。
王室とは画然と一線を引くのは、祭祀を常に行うご一家であり、そのお祀りする対象が神であると同時にご先祖であるという・・・これを神話の一範疇と捉えようと、実在であると断じようと、それはいずれでもよい。
その特殊性を国民合意で認めるところに、皇室の存在意義はある。
国と国民を第一義に置いた」祭祀あるがゆえの皇室であり、そこで祭祀に仕える方々には、一般を超えた並々ならぬ強い意志と高い精神性が要求される。
内容はわからなくても、こちらの口元までほころびます。
紀子妃殿下は庶民の目から拝見しましても、スーパーウーマンを超えたようなお方です。それでいて、あのたおやかさを増していかれるお姿に、報道は少なくても日本人女性として尊敬の念は高まるばかりです。
秋篠宮家は日本の救いです。
美しく聡明で、何でもおできになるのに、出しゃばらず、偉ぶらず、気品があり、常に何かを学び続けているお姿は、私にとって理想の女性そのものでいらっしゃいます。
それなのに、マスコミは妃殿下を出来過ぎだと叩き、旧宮家が売りでマスコミに出られている男性は、秋篠宮殿下、妃殿下がどれだけ皇室に貢献しているかを一切語らず、皇太子殿下の祈りは本物ですといい、皇太子妃殿下の擁護のためには昭和天皇陛下が皇后陛下とともに公務された事実も隠して発言していることに私は強く憤りを感じております。
皇室はまた日本人のお手本としての存在も大きいと思うのですが、頑張る人こそが評価されるということも、ぜひお手本となって日本人に夢を与えて頂きたいと思います。
訂正しつつ、やや推敲しておきましたが、まだ不備があるかもしれません。
常に両陛下が戦後一歩一歩築かれてきた「平和と祈りの皇室」を意識していらっしゃる様子が折々にうかがえます。
両陛下が皇太子ご夫妻時代の美しい家族愛と国民への無私の慈愛先祖=神への敬意とを受け継いでいらっしゃいますよね。なおかつ、内親王殿下の留学、ホームステイ、親王殿下の学習院に囚われない学びなど、様々な新しいことにも挑戦されていて、まさに「伝統を守りながら時代に即した公務」を体現されているのは、一国民として誇らしいものです。
記事内のエピソードからは、公の「無私」と私の「人間味あふれる温かさ」を感じました。親王殿下もすくすくとご家族の情愛に育まれていらっしゃるようで、先の恐竜博物館での聡明・活発なご様子が浮かび、益々鮮明な印象になりました。
また素敵なエピソードなどあったら、是非ご紹介ください。
なんとも言えない美しい優しさ、愛くるしさ、気品あふれるお姿、純粋無垢、いかなる言葉を持っても言い表せないほど、感激したことを覚えております。又、当時、日本にこの様な素敵な方が居られたのかと、しばし、お写真から目を外すことが出来ませんでした。
秋篠宮殿下と紀子様、とてもお似合いのお二人でした。
さて、お二人は眞子さま、佳子さまのお二人の内親王を得られました。
その後、待てど暮らせど、御懐妊の報道が成されません。下々の思考で、もうお子様は必要とされて、いないのだろうかと?不信に思っておりました。
よもや、御懐妊される事を止められるとは!
この理不尽、妻として、母として、そして女として、この最悪の期間をよくぞ乗り越えられたと
感無量です。
宮内庁より、お子様願望、何なんでしょうか、
どんな言葉をもって語ればよいのかーーー
しかし、八百万の神々は、秋篠宮家を日本を守っておいででした。
まちに待った紀子様の御懐妊、喜びと共に健康な親王の御誕生を疑いもしませんでした。
2006年9月6日、なんと喜ばし日でしょうか、
元気な親王様がお生まれになりました。
未来の日本国の天皇陛下です。
日本が世界に誇る悠仁親王、愛らしく凛となされたお姿、可愛さ、抱きしめたいほど。
悠仁親王はとても立派な耳をお持ちです。
こような大きな立派な耳の方は民衆の声を良く聞いて下さるとのことです。とても良い、日本国の元主になられる事、間違いありません。
もうすぐ、お誕生日,7歳になられます、毎年お誕生日のお写真を楽しみにしております。
ご先祖さまを大切にされる方は、男性、女性問わず、お肌が綺麗です。年齢に関係なくシミがあってもシワがあってもキメが整っていて柔らかいように思います。ご先祖というのは木で言えば幹の部分です。ご先祖様を大切にすることは、自分へ栄養を与えていることでもありますから、当然と言えば当然ですが。
心根の美しさが表に出てくる姿なのでしょうか。
ご公務での皇后陛下を、母がわりと近い距離で拝見したことがあり、肌の美しさに興奮して帰ってきたことを思い出します。おそらく醸し出されるオーラに圧倒されての興奮もあったのだと思いますが、とにかく、お肌が!お肌が!としばらくその話を聞かされました(笑)。おそらく紀子妃殿下もそうなのだろうなと想像いたします。本当に女性の憧れです。
あ、いや・・・どなたかのお肌がどうのとか言ってませんので(笑)
ええと、ツギハギのお墓が・・・あ、いや、なんでもないです。
嫁ぎ先のご先祖さまを大切にすることは、ご主人の、そして子供の、ひいては仲間入りさせてもらった自分の、幹に栄養を与えることになりますよね。
枝である私達まで健康であることは、なんとありがたい事かと思います。
あ、いや、心身の調子を崩しやすいあの親子さまがどうのと言ってるわけではありません(笑)
先生のお肌も綺麗ですよね。バンキシャで拝見してそう思います。
変な話ですみませんm(__)m
民草の一人として心から弥栄をお祈り申しております。井沢先生嬉しいお話をありがとうございます。
私の友人の一人にバリバリの反皇室派?がいました。若い頃見たらしい奥崎謙三のビデオに影響されたりしたようです。
ところが数年前のある日、都内をご移動中の両陛下のお車に彼は偶然に遭遇し、皇后陛下のお手ふりを本当に間近で拝見したそうですが、なんと彼はそのたった一度の経験で、大転換!大ファンになってしまいました(笑)
興奮して語ったのには「車の中にキャッチライトがあるのか?と思うくらい、お二人の周りが明るく輝いてたんだよ。あれが後光か・・・って生まれて初めて思った」んだそう。
そして「どう言ったらよいのか分からないけど、何か物凄く有り難い存在だ、と言うのが分かった」のだそうです。
理屈抜き・・・なのだと思います。御身を削って臣民の為、国の為、祈って下さっている。そのご存在のありがたさ、崇高さは。。
西行が伊勢神宮で詠んだとされる「なにごとのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」
私達が皆、素直にこの西行のような心持でご皇室を戴いて行けたら、もしかすると世界で一番幸せな国になれるんじゃないか、と思ったりします。
それと・・・くおんさんの「木の幹」、丸ごと同感です!コメントへのコメント、反則でしたら申し訳ございません!
国のため民のため無私で祈る御心に
感応するのではないでしょうか。
宮中内の連綿と綿密に続く祭祀は
だてではないと思うのです。
祭祀の途絶えが皇室の途絶えです。