井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

海の水平線

2014年11月28日 | ドラマ

小説版「わが家」は、とっくに校正を終えて、12月4日の出版を待つのみだが、

土壇場で編集者の方からメールで問い合わせが来た。

「海の地平線」とありますが、よろしいのでしょうか、と。

むろん、よろしくはない。

水平線にしてください、とお答えしてからしかし、「海の水平線」という

言い方もいいのだろうかと、しばし悩んでいた。

水平線はほぼ通常、海なのだから。

しかし、湖の広いのには水平線があるし、他に呼び名もないし、

中国に行けば河にさえ水平線はある、ということでまあ

「海の水平線」という言い方でもよかったか、と今は思っている。

「海の地平線」というごとき間違いは時々する。短文を

打っている間はさすがにないが、長文を続けていると一瞬

エアポケットに落ちたみたいに、脳の言語回路が上手く

つながらない魔の瞬間がある。

本を出すときは、作者、編集者、校正の専門職と三者が目を皿に点検しても

ミスを見逃すことがある。

自分のミスではなく、レアだが、編集者か校正者の思い込みミスの例もある。

「つま恋」という小説で、「目交」という言葉を用いた。

今にして思えば、一般に流布されているたぐいの言葉ではもうないので、

ルビを振っておくべきだったのだが、印刷段階でとんでもない

ルビが振られていて、めげた。しょせん作家の責任になるので。

「目交」に、「めまぜ」だかなんだか、そんなルビが振られていて、

文章の意味すら通じなかったのだが、正しくは「まなかい」である。

目交をよぎる風景、というごとき使い方をして小説でも

そのような文脈で用いていたと思う。

それがなぜ「めまぜ」なのか、そういう読み方すら無いし、意味も通じずいまだ

謎であるがしょせん、作者である私の責任である。

最初から用心してルビを振らなかった私が悪い、ということなのであろう。

毎日新聞社さんから、短文の依頼があった。

文庫本を取り上げて論ずるのであるが、まだ決めていないが

三島由紀夫の「金閣寺」にするかもしれない。

三島を、その語彙の豊穣さゆえに読めない層が増えつつあり、由々しきことだと

常々、日本語のやせ細りゆくさまを懸念しているのでそのことを、いささか

述べるかもしれない。まだ決めてはいないが。

こういうブログでは、さほど気を張っているわけではないのでミスタイピングも

語句の誤使用もある。

だが端くれとはいえ、文筆のプロである以上、それは言い訳にはならないだろう。

末筆になったが、向井くんが結婚するそうで、となるともし、彼と次に

組むことがあれば、人物像を設定する時微妙に違って来る。

何が、と明確に言えるたぐいの事柄でもないのだが、その役を

通してみる役者への世間的印象というものがある。

「わが家」での向井くんは必然的に独身である設定だが、思えば

ギリギリセーフの時期に書いたわけだ。

こうして写真を見ていると、それぞれの俳優さんのスタジオ外での

素顔がふと思い出される。

村川絵梨ちゃんの、よく動く人懐っこい目がなつかしい。

「妹」というイメージが、これほどそぐわしい女優さんもあまりいないような

気がする。

 

表紙の絵は、ドラマの中の1シーンから取っていて、布団を叩いているのは
田中裕子さん演じる母親であり、帰っても来ない家族たちそれぞれの
布団を今日も、いつ誰が帰って来てもいいように、お日様に当てているのである。