井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

言葉

2014年08月28日 | 日記

日本語について書いたら、私のブログを読みに来たのは政治的関心が動機で
あったけれど、言葉遣いにも興味があるとコメントを頂き、ありがたいことである。

しかしながら、思うに政治もまた言葉とは不可分であるとも思う。
なぜなら政治的思惟もまた言葉で形作られるからだ。

たとえば言葉を簡素化した余り、豊穣ではない言語で
思考するので、驚くべく幼稚な政治意識を持つ国がある。
元々さして豊かな言語を持つ国ではないのに、更に
簡素化してしまった結果である。

言葉は伝達の「道具」ではないのだ。美意識であり、文化であり、歴史であるという側面を忘れると、すべてが貧しくやせ細る。

道具と侮るから、言葉の簡素化を目指す愚を犯す。日本も心しないと、
時々妙な手合が現れ、過度に日本語をいじろうとする。

だが高度の言葉を有するからと言って、日本の政治が高度かと
問い詰められれば、残念ながら否と言わざるを得ない。
政治家の言葉の拙さに首を傾げることがあるから、
彼らもまた言語においては劣化しつつある日本人に属するのかもしれない。

以前、政治家を志す方を紹介され、何を政治信条とするかと
問うたら「党是を実現すること。即ち憲法改正」という答えであったので、
もろもろアドバイスを始めたのだが、まずもって発する言葉の
拙いことに加え、こちらの言葉の通じぬことに嘆息した。

その人は一度の落選を経て、政治家にはなったが、発する言葉、書く日本語の粗略なこと、眼と耳を覆わんばかりに稚拙で、おそらく政治家生命もさして長くない。
言葉もまた、政治家の商売上の大切なツールではあるだろう。
美文は必要ないが、端的な言葉の連打は必須。
言葉はまた人としての佇まいでもあろう。

かつて安倍総理は「美しい日本」というフレーズを口にされ、
それはよいことであったが、何をもって美しいとされるか
具体的姿の提示がなかったので、説得力は希薄だった。
たとえば、美しい日本語を護ることは、日本を護ることと、具体的に
提示して頂きたかった、と今も残念に思う。
「美しい日本」というフレーズは短期に発せられ消えて、
使われなくなった。

政治を含め、浮世は雑駁であるので、皇室こそは日本語の防波堤であらましい。
おもうさま、おたたさまは、時代的リズムにもうそぐわしくはないが
「お父様」「お母様」レベルは保って頂きたいと願う。
なんのために歌会始があるのか、理解が行き届かないのだろう。
この現代に歌詠むことの意義が分からぬのは、
祭祀の意味を心得られぬことにも繋がろう。
口うるさいようだが、主語の格が崩れると述語(暮らし)まで格落ちするのだ。
庶民が我が子にパパ・ママ呼ばわりさせるのとは、意味が異なる。

というごときことを以前書いたら、秋篠宮家と東宮を比較して
東宮を貶めるなと抗議を頂いたが、そういう次元のことではない。
皇室は言葉と日本の伝統の防波堤であらまほしい、というのが拙文の
趣旨であって、禁裏に住まうお方個人の批判が旨ではない。

主語により、暮らしが格落ちするというのはこういうことだ。
「あなたさま」という出だしで始まる言葉は、それに相応しい言葉が
後に続き、「てめえは」で出ると、罵りに行き着くということである。
日本語の一人称や三人称が何種類も豊富なのは、使い分けを心得て
いる日本人が主流を占めていたればばこそだ。
それゆえ、日本の言葉を護って頂きたい皇室で言葉が、
やせ細っていくのを見るのは残念である。

「パパ・ママ」と父母を呼べば、足を投げ出す暮らしがそこに続き、
父母ヘの尊崇の念薄く、「お父様・お母様」と呼べば正座が暮らしの中にあり、和服がそこにあり親への敬愛がある。

日本の精神性と文化を守る意志の有無を私は言っている。

ジャージーは楽だが、そればかりだと、伴う仕草が日々しどけなくなる。
言葉も同じことである。時と場で言葉も絹をまとわないと、日本人としての品格と誇りを忘れる。

 


3 コメント

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昔から (民草)
2014-08-28 14:42:51
女を淑やかにさせるには御蚕を着せろというらしいです。
それでも駄目なら、放り出せとか・・

それと同じで、男女問わず品格をあげるのは、先ず言葉遣いです。美しい言葉で心を御蚕で包めば宜しいのではないでしょうか。
多少、貧相な服装でも言葉遣いが上品であれば、何処へ行っても、其れなりの対応をして頂けるものです。贅沢な形をしていても言葉遣いがくだけ過ぎていては不審に思われます。
感激しました (なでしこ魂)
2014-08-28 18:03:46
以前、驟雨、にわか雨、夕立ちと、ニュアンスが微妙に異なるのは、日本語の持つグラデーションの豊穣さであろうと書かれてましたね。
田畑を耕し、水を引き、種子をまき、しかし、まいた種子を育てるのは自然の力。日本人は自然と向き合い、大切にし、時に畏れるという生き方を身につけていたからですよね。

和の色彩の豊穣さについても書かれてましたが、それは当然、和服の豊かさになるとも。

美意識であり、文化であり、歴史である・・・本当にそうですね!

『歌詠むことの意義が分からぬのは、祭祀の意味を心得られねことにも繋がろう』
政治的関心と言葉に対する関心の両方が満たされる、素晴らしい記事でした!感激しました!


パパママ (国体維持)
2014-09-01 08:43:17
私もパパ、ママと呼ばせる日本人に違和感を覚えています。私は子供達にはお母さんお父さんと呼ばせています。だって日本人がパパママって柄じゃないし恥ずかしくないのかなと私は思ってしまいます。
私は40代ですがすでに子供の頃パパママと呼んでいるお宅が子供の頃ありました。その違和感があったから考え方が固持しているのかもしれません。
ちなみにうちの親もお母さんお父さんと私達兄弟には言わせていました。出来ればそこに気が付いてほしいなと思います。日本人でパパママは恥ずかしいです。そのうちおじいさんおばあさんをグランパ、グランマと呼ぶのでしょうか?