井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

29年目

2014年08月12日 | 日記

御巣鷹山の事故の時、私は三作書いたテレビ小説のうち、
一作目にあたる「いちばん太鼓」を大阪にいて書いていた。
大阪局の製作であり、原稿は東京で書かせて頂いて
プロデユーサーの方に毎週原稿を取りに、大阪から
通って頂いていたのだが、原稿も終盤にかかったところで、
スタジオの様子も見たいし、ということで大阪に私が
滞在することにしたのだ。

ホテルの二間続きの部屋を一ヶ月間ほど借りたので、リビングは
俳優さんたちのたまり場のようになった。
そこへ御巣鷹山の事故である。俳優諸氏は東京から飛行機で
収録に通って来ていたので、まず頭をよぎったのが
彼らが大丈夫だったか・・・・・ということだったが、乗り合わせていた
人はいなかった。

しかし事故はドラマにも影響してオープニングが山の空撮であったのが
他に差し替えられた。事故を想起するから、ということだった。

あれからもう29年間経つのか。娘役をやっていた人が中年となり、
世間的には孫を持つ歳となり、こうして人生は過ぎ行く。

ブラウン管の中も地球のようだ。日々新たな人物が現れては老い、
いつしか映ることもなくなっていつしかその人の記憶も消え果てる。

往年の銀幕の大スターさんは、今のスターの比ではない。
知名度も存在感も。しかし、それでも消え行く。全ては消え行く。

舛添要一氏が日々、酷い。しかし本人より選ぶ民度のほうに
憤りと絶望を感じる。擁立する党はどのみち、妥協の産物であるが、
しかしそれにしても、よりによってこの男を擁立するか。この状況もまた過ぎゆく、と達観は出来ない。このまま民が覚醒せず進めば29年後、東京も日本も
惨状である。