井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

朝っぱらから

2014年08月10日 | 日記

見るともなく見始めてしまったのが、フジテレビの「新報道2001」。
なまじ、慰安婦問題に関しては数年間身を入れてみっちり勉強を
重ねてきたので、ご出演の方々よりある側面は詳しいので、
そこに意見が到達しないと、気持ちが波立つ。

むろん、放送の現場に身を置くとそれがとりわけナマの場合は、
時間制限で発言が不完全燃焼で終わることが多いことは分かっているのだが、
それにしても、ほとんど叫び出しそうになりながら
聞いていたのは東海大准教授の金慶珠氏と、共産党副委員長小池晃氏の
コメントであり、そこに私が思うようなツッコミを誰もしてくれないので、
一視聴者に過ぎない私は、テレビの画面を見つめて拳を
握り締めるだけなのである。

金慶珠氏の立板に水の流暢な日本語は、時として中身が全くなく
単に音声を発しているだけの時が多々あるのだが、これは
金氏が確信犯で、言い逃れ、あるいは言辞上の詐術的言語を
弄している時である、ともう何度もこの方のレトリックには触れているので、
判るようになった。
お立場上韓国を一人で背負って立つようにしてスタジオにいらっしゃる
わけだから、お気持ちは分からぬでもないのだが、強弁も過ぎると
見透かされる。しかし、うっかり事実を認めると韓国内で総バッシング
されるであろうから、仕方ないのだろうとは思う。迷惑な話ではあるが。

吉田清治の虚偽がバレる前に、韓国では慰安婦証言があった、と
金氏は言うのだが、慰安婦の個々述べる証言の矛盾点、嘘は
相当数ネットで暴かれている。
識者からは軽視されるネット記事であるが、時として非常に正しい。
いい加減で不勉強な識者よりは正確なことも多々あり、私などは
相当学ばせてもらっている。(前提として玉石混交の中から
真実を拾い上げるセンスは必要だが)

小池晃氏のしきりに言う国家(軍)が関与した慰安所は日本にしかない、
というのは誤認識である。朝鮮戦争当時、韓国にあった慰安所は
朴槿恵大統領の父上、朴正煕元大統領が開いた。

バンキシャでご一緒した野村修也氏も出ていらして、メールのやり取りを
数回したことがあるが、この方は激昂などいっさいなさらず、穏やかでしかし毅然としていらして、いつもこの方のコメントは安心して聞ける。

橋下市長、この方はいろいろダウトはあるが・・・ということが前提に来るが
頭が切れ歯切れもいいことは事実。言わんとする所の要点が
分かりやすい。以前の談話の失敗を踏まえ(私はそこを当時批判していた)、
賢く方向転換していらした部分もあって、面白かった。

やはりそうか、と気落ちせざるを得なかったのが萩生田 光一氏発言で
政府としての河野談話の見直しはしないとのこと。
ことここに至って、上書きをしないのはアメリカからの圧力しか
考えられない。以前は萩生田氏も、河野洋平氏の国会招聘と
河野談話の見直しを主張していらしたように思う。

それにしても、ゲスと言わせていただくが河野洋平氏の卑劣漢ぶりと
来たらどうだ。テレビと雑誌で、自己弁護と正当化に汲々とするさま、
いと浅まし。

墓を暴くようなことをいうが、宮沢喜一元総理も事情の錯綜する中で
仕方なかったとはいえ、朝日新聞のヨタ記事を素直に受け止めすぎて
それが渡韓の前であったので、韓国に行ってから謝ること、反省すること、
日本人の人の良さの典型は、政治家としては決して褒められたことで
はない。調査します、で通すべきだった。
この人には教科書に近隣条項を入れ込んだ責任もある。

それにしても、実入りが凄かった当時の慰安婦を女性の人権問題に
すり替えるなら、本当にどうぞ現在日本に5万人いるとされる
韓国人売春婦を一刻も早く救出に来て頂きたいのだ。

そして、アメリカももういい加減にして欲しい。日本がやってもいない強制の
性奴隷とやら、韓国の尻馬に乗って攻めるのはやめなさい。
韓国で何をやったか、慰安婦を買っていたではないか。
日本でどれほどアメリカ兵による強姦が多発したか。そのために
慰安所が設けられ、日本女性を抱くためにアメリカ兵は列をなした。
きれいな口を叩くんじゃない。

ところで、朝日新聞は捏造慰安婦を報道した事実を英文サイトでは
いっさい触れていない。世界に向けてこそ、発信が必要なのに、
無責任で卑劣であろう。


 

 

 


残暑

2014年08月10日 | 日記

いつまでが「暑中見舞い」でいつからが「残暑見舞い」に代わるのか
記憶するのが面倒なので、自分の誕生日8月6日以降が
残暑と記憶している。それでとりわけ困らないので。

緑の多い住宅街に暮らしているころは蝉の声、虫の声の入れ替わりが
肌で解り季節を感じていたが、もう静かな辺りではおそらく夜は草むらで
虫がすだき始めているのではなかろうか。

小鳥の声、虫の声をこれほど恋しがる人間であったとは
思わなかった。住宅街で暮らしている頃、二階が寝室で
ベッドに月光が差し入り、虫の声にまどろみ、小鳥の声で
目覚めていた。
今なら途方も無い贅沢に感じる。

今夜は東京も格段に涼しいが、東京の真ん中近辺で車の往来が
うるさく戸を開け放ち風を通すこともかなわない。

最近では四季ではなく、三季になったと言われているが
都会ではそうかもしれない。

日本人の心の形成に四季の移ろいは多大の影響を及ぼしているが、
三季で育つ子らはどういう情緒を持つに至るであろう。
今、文部省唱歌というのはどうなっているのだろう、とふと。
私が教わっている頃の文部省唱歌の歌詞ことは四季の
宝庫であり、日本語の宝石箱であった。

たとえば「おぼろ月夜」という言葉。
「入り日薄れ」
「見渡す山の端」
「匂い淡し」

誕生会をやってくださると言われているのだが、小説が進捗していないので
なんとなくお返事をしそびれている。食事会はすでに約束済みのものが
一つ。

十五日の靖國神社さん慰霊祭ゲスト参加ご挨拶の件は、
やはり私の返事が遅れたせいで、他の方に決まったようだ。
コメント欄でもし決まったら教えて欲しいむねあったので
書いておく。ゲスト参加でなくても、出席をと思っていたのだが
小説が気になる。