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中国鉄路乗車記:K202/3次(2)

2006-08-26 | 鉄道[中華人民共和国]
  

(この記事は乗車日にあわせた過去ログ投稿です)

注)K202/3次乗車記は、列車が2日間に跨り運行され、乗車時間も長いので2つの記事に分割しています。乗車券購入と25日の記事は乗車記(1)に記載し、この記事はその続きです。乗車記(1)は以下のアドレスをクリックして下さい。
中国鉄路乗車記:K202/3次(1) http://blog.goo.ne.jp/makikyu/d/20060825


8月26日、MAKIKYUは7時半前に目覚めると列車は複線の山間を走っており、かなり起伏のある地形にも関わらず田園風景も見られ、車窓も変化に富みなかなかいい感じです。

ただ本来ならもうそろそろ貴州省の省都・貴陽に到着する頃で、街並みが見えてもおかしくない筈なのですが一向にその気配はなく、通過する站名と持参の地図を照らし合わせて大まかな場所を把握すると、まだ一つ手前の停車站・福泉を出発して少し過ぎた辺り、列車は2時間程度の遅れで運行している模様で、昨日の雷が鳴っている時の嫌な予感が当たっている様です。

9時頃にはようやく街並みが見え出しようやく貴陽ですが、列車の遅延が影響しているのか貴陽站手前で運転停車もあり、結局貴陽站に到着したのは9時半頃、この時点で約2時間の遅れです。

貴陽は貴州省の省都にしては、列車に乗車している限りではあまり大きくない街の印象を受け、またここは名前の通り天気は曇りの事が多く太陽が貴い所で、この日も空はどんよりと曇っていました。

ここでは所定だと12分の停車時間があり、日本の感覚であれば2時間も遅れているなら遅延回復の為に停車時間を削減して…となりますが、ここ中国では列車の乗降に手間取るのと、長距離を運行し給水などが必要な事もあってかその様な事はなく、それどころか貴陽から先は、終点の重慶まで単線区間を運行する事もあって逆に発車が遅れる有様です。

こんな状況なのでMAKIKYUも一旦ホームに降りて先頭の機関車を撮影、これは昨日とは変わってSS3B形電機が牽引しており、この形は西南地区ではよく見かける機関車です。

貴陽を出発し川黔線に入ると単線区間になり、貴陽の街中を抜けると両側に山並みが見え、この一帯にしてはやや平坦な田園風景の中を走り、その後は谷間を跨ぐなど車窓は色々変化に富んで乗り応えは充分ですが、カーブが多く線形が悪い事もあってか列車の速度はなかなか上がらず、とても遅延回復など出来る状況ではありません。

列車は川黔線に入ってからは、貴陽の街中を抜けた後は遵義まで停車せず、ここまで約3時間ほどかかりますが、この間には小さな集落以外には街らしい街もなく、山間の小さな集落の近くに列車交換も兼ねて小站があるといった感じです。

この間MAKIKYUも一旦寝台へ、何度も言う事ですが、寝台の上段は窓がないので、寝ながら景色を眺める事は出来ず、ちょっと不便な感じです。

12時頃には昼食時という事でカートによる車内販売の弁当販売があり、これは昨日見かけたのと同じ15元ですが、見た所おかずの種類を少々変えてある様で、長旅で何度も車内販売の弁当を購入する乗客を考慮している様な感じでした。

硬臥車で弁当の販売が行われ…という事は、今日も昨日と同じ様に硬座車でも弁当販売を行っていると見たMAKIKYUは、車内視察を兼ねて硬座車へ。

この硬座車は昨日と同様に結構混雑して雑然とした感じで、この車両での長時間乗車は絶対避けたいと言った所ですが、後方の号車に進むまでもなく弁当販売のカーとがすぐに現れたので、やって来た弁当売りの服務員を引き止めて1個購入。

これは昨日見たのと同じ10元で、内容も硬臥車で販売している弁当より少々格落ちですが、価格差を考えるとこちらの方がお得感があり、MAKIKYUは寝台に乗車しても弁当はなるべく硬座の方で購入する様にしていますが、この列車の寝台車に乗車している乗客は、この事をどの程度把握しているのか気になります。
(みんな知っている様なら、弁当購入の為に硬座へ出向く乗客も多数居そうです)

硬座車から食堂車を経て硬臥車へ戻る際は、昨日見かけた覆面の2人組X2は端のテーブルに寄せ集められ、2人の手錠を互いに絡ませて勝手に身動きできないようにさせられており、張り詰めた感じでしたが、食堂車のテーブルで一晩を越したのかと思うと、中国では護送もなかなか厳しそうです。

硬臥車に戻ると、早速購入してきた硬座弁当を頂きますが、この列車は重慶局管轄でその地域で親しまれている味付けになっている事もあってか、おかずはどれも塩味が強く辛いものばかりで味が濃く、これを食べている頃には硬臥車の服務員が何かを話しかけてきて、こちらは中国語が話せず対応に苦慮していると、服務員が呼んできたのか列車長が現れ、MAKIKYUに対して色々漢字の筆談で質問を浴びせられます。

最初は「何処から来たのか?」(答:日本)といった一般的なことから始まり、その後車内販売の弁当についても尋ねられ、これは「味が濃い」「硬座車で10元で購入」と答えると、「何故硬臥車の乗客なのに硬座へ行くのか?」と聞かれる有様で、これには「我鉄路迷」と答えて一見落着、それにしても硬臥に乗車して硬座を覗きに行く事は、中国の方々はあまりされない様です。

弁当を食べ終えてしばらくすると、貴陽を出てから最初の停車站・遵義に約2時間の遅れで到着、列車に乗車しているMAKIKYUはまだ良いですが、この站で列車を待ち続けた乗客の皆様はお気の毒です。

列車はその後も2時間の遅延で走り続け、遵義の次の停車站・桐梓を過ぎてしばらくすると、高低差の激しい地形の中を下っていく区間があり、ここではループ線もあり乗り応えもなかなかで、ループを過ぎた辺りでは九龍場站を通過、しかし他の乗客は乗り慣れているのかそれとも関心がないのか、この車窓を眺めていた人間はMAKIKYUが乗車していた号車では数名といった所でした。

その後はMAKIKYUが利用している寝台の下段は、昼間でも寝ている乗客が居り使用できないので、少々離れたところにある空席に移動すると、ここに居た中国人乗客数名と漢字の筆談、それに多少の英語を交えて色々と応答する事に…

乗車していたグループは重慶の大学生の様で、こちらの旅行に関しても「何の目的で中国へ?」「いつ中国に入国し、出国予定か?」など色々聞かれ、重慶でのホテルに関して聞かれて予約確認書(インターネットで予約)を見せた際は、一泊190元と言う値段の高さに驚いている様子、現地の物価を考えるとかなり贅沢な様で、実際このホテルは部屋の作りなどは驚くほど豪華な所でした。

またこのグループの中の別の人間には「小泉(純一郎前首相)」(この事は中国に限らず、韓国でも尋ねられる事がありました)や「南京大虐殺」についても色々尋ねられ、戦争に関する話が出てくると日本人として複雑な心境にさせられます。

「南京大虐殺」の話が出てきた後は、その人物から「梧南?」と尋ねられ、最初は何の事かと思ったものの、これは日本で今も多くの支持を受けているアニメ「(名探偵)コナン」の事で、丁度今回の旅行序盤に立ち寄り、現在「コナン君に会える町」として知られる鳥取県北栄町(コナンの作者青山剛昌氏の出身地)のコナン探偵社(コナンのグッズを販売している店の名前です)で訪問記念に購入していた、「DAIEI(大栄)」(北栄町の前身で、同町は大栄町と北条町が合併して誕生)ロゴ入りのコナン大橋をモチーフにした限定ポストカードセットを見せると、これを欲しがるので一枚贈呈。

それにしても、こんなものが遠い彼の地で役立つとは思いせず意外でしたが、随分MAKIKYUの旅行も長い(北栄町訪問は約1月前)ものだと改めて感じさせられます。
(余談ですが「コナン君に会える町」に関して関心のある方は、以下の記事もご覧下さい。 http://blog.goo.ne.jp/makikyu/e/f4c7b0bb6bb0045bd053c197b3af3046)

またこの中国人の学生グループは「Can you speak English?」という問いに「Little」と答えていながらも結構英語が得意で、英語の質問に漢字で応答するMAKIKYUに「不好英語?」と聞いてくる状況、これはまさしくその通りで、これがMAKIKYUが東アジアから進出できない一要因(もっと大きな要因もありますが…)だったりします。
(それでも中国は漢字での筆談がある程度通じるのでまだ何とかなりますし、韓国は更に容易ですので、海外に不安を感じている方もこの2カ国は個人でも旅行程度なら比較的容易です)

その後このグループの席を離れる際には、MAKIKYUの年齢も尋ねられていくつか年上なのを知ると随分驚いていましたが、MAKIKYUが年より下に見られる事もあるとはいえ、中国人から見ると日本人は歳より幼く見える様です。(ちなみに聞いてきた人物は20歳です)

こんな事をしている内に、列車は貴陽省から重慶市に入りますが、重慶市に入ってから最初の停車站・水には16時頃・やはり2時間遅れを引きずって到着ですが、ここから重慶まではまだ150km以上あり、世界最大級の市と言われる重慶市のスケールの大きさを感じさせられます。

この辺りでは川沿いに走る区間も多く、これは貴陽省内とはまた違った車窓が楽しめ面白いですが、重慶が近づくと今度は南国を感じさせる植物などが多くなり、濁った長江を渡るとまたループ線、これを過ぎると重慶からの近郊列車(慢車)が発着する小南海站です。

小南海ではしばらく運転停車ですが、ずっと単線区間を走って来た事もあり交換待ちなどで遅延は増幅しており、この時点で既に時計は18時を経過、本来の重慶站到着時刻(1632)を大幅にオーバーで、出発した後はしばらく長江沿いを走ります。

その後重慶の市街地に入り重慶南站を通過した辺りで終点到着のアナウンスがテープで流れ、すると車内では拍手が巻き起こり、大半の乗客は終点到着を待ちわびていた様です。

ただ重慶站周辺は単線で、重慶站自体も頭端式ホームで列車の進出入方向が限られている上に、このK202/3次列車が大幅に遅れている事もあってなかなか重慶站には入れない様で、長江を臨むところでしばらく運転停車です。

この運転停車中に外は暗くなり始め、列車が動き出すと程なく終点重慶站、外が見えなくなり始める頃にようやく到着で、到着時刻は約3時間遅れです。

重慶站で列車を降りると、日が暮れているにも関わらず蒸し暑く、「中国3大かまど」と呼ばれる街だけあると感じさせられます。

改札を出た後は、乗車券売り場へ向かい、28日(明後日)の成都行き快速列車の乗車券購入に行き、その後は予定時刻より大幅に到着が遅れている事もあり急いでホテルへと思ったものの、宿泊するホテルの名前が予約確認書とは違う名前になっており、しばらく迷ってしまい結局ホテル到着は21時30分過ぎに…その代わりホテルはかなり上等な所でした。


広州~重慶間は現在毎日5本の列車が運行され、その内三茂線経由の2本以外が新型空調車による運行となっていますが、陸路で最も早い交通手段は列車、その中でも最も早いこのK202/3次列車でも所定で所要約30時間ですので、中国のスケールの大きさを感じさせられます。

MAKIKYUが乗車した際は遅延もあって33時間以上乗車する事になり、実質丸2日を列車乗車に費やし車中でも色々ありましたが、快適な新型空調車の寝台(硬臥車)に乗車していた事もあり、さほど疲れは感じず快適で、意外と時間が経つのが早く感じられた気がします。

「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様も、もし中国へ行かれる機会がありましたら、こういった長距離列車に乗車され、中国の広大さを身をもって体感されると面白いかと思いますが、車中で夜を越す乗車に関しては寝台乗車は恐らく必須、硬座での旅行は非常に厳しそうです。


画像は貴陽站停車中のK202/3次列車と26日昼食の車内販売弁当、ループ線からの車窓です。