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中国鉄路乗車記:T179次

2006-08-18 | 鉄道[中華人民共和国]

 

(この記事は乗車日にあわせた過去ログ投稿です)

8月17日、MAKIKYUはT501次(鄭州→漢口)で「中国3大かまど」の一つとして知られる湖北省の省都・武漢に入り、翌日(18日)夕方に列車で広州へ向かう予定を立てていました。

そこでT501次で漢口站に到着した後すぐに乗車券売り場へ向かい、広州への乗車券を購入しようかと思っていましたが、乗車券売場内にある空席案内の電光表示を見ると、大連などの遠方で列車本数も限られる所でも翌日の硬臥に空席がある状況にも関わらず、比較的本数の多い武漢市内(漢口or武昌)~広州の夜行列車は、寝台はおろか座席(硬座)すら翌々日辺りまで「無」の文字のオンパレード!

中には翌日でも硬座に空席のある列車もありましたが、これで混雑する車内で一晩となるとさすがに厳しいと感じ、電光表示の前で何とかならないものかと思っていたら、翌日朝早くに出発するT179次の硬臥と硬座に「有」の表示が…他にも別の夜行特快で一本だけ軟座に「有」も出ていましたが、本当に連結されているのかどうかも怪しい感じでした。

とりあえず硬座で夜行だけは避けたいと思っているMAKIKYU(贅沢な奴です)は、窓口で「有」表示の出ている硬臥と軟座の購入希望(メモに漢字で記す)を申し出ますが、窓口の係員は機械の操作もせずに「没有(ない)」という有様。

日程が一日位遅れる分には何とかなるのですが、このまま広州へ向かえないとなると、ノービザで入国しているMAKIKYUは香港へ入る前に滞在日数をオーバーする事にもなり兼ねないという事で、とりあえずT179次の硬座を購入する事に(140元)。このT179次が売れ残っていたのは、時間帯が余りに悪すぎるからかもしれません。

これでとりあえずは武漢出発の日程は確定したのですが、この列車は朝の出発が異様に早く(漢口548)、武漢に滞在できるのは実質半日…という状況になってしまったので、乗車券購入後はまずホテルへ向かい(これも途中で迷い、中国で初めてタクシーの世話に…)、その後路線バスで軽軌(漢口区内の川沿いを走っている、最近開通した都市鉄道です)站へ、これに乗車した後はトロリーバスを少々…といった感じで慌しく、もう少しゆっくりと街中を回りたい感じでしたが、後ろ髪を引かれる思いで武漢を出る事になってしまいました。

18日、この日はT179次で広州へ移動ですが、T179次列車の漢口出発は異様に早い548という事で4時半前には起床、少々ハードでしたが5時にはホテルをチェックアウト、宿泊していたホテルは朝食付でしたが、朝の早過ぎる列車に乗車する為には、これも放棄せざるを得ません。

そしてホテルから漢口站へ向かう際も、路線バスの運行は朝6時頃からという事で、個人的には余り好きではないのですがタクシーを利用、ホテルを出ると待ち構えていた様にタクシーが現れて目の前に、漢口站までと伝えたら最初の1台には乗車拒否されましたが程なく2台目が現れてこれに乗車、この速さはさすが中国といった所です。

宿泊していたホテルは漢陽区にあり、漢口站までは約7km強あるので、日本でこれだけの距離をタクシーといったら相当な話ですが、物価の安い中国では何とかなる値段、ちなみにタクシー代は18元でした。
(路線バスなら空調付で2元ですので、完全に現地の物価感覚を逸脱しています)

漢口站にはまだ空も暗い5時半前に到着、タクシーを降りたらすぐに站構内へ向かいますが、構内には既にT179次や、その後の長沙行きに乗車する乗客が多数居り、彼らは市内交通が稼動していないこの時間に、どうやって漢口站まで来たのかも気になる所です。

候車室(待合室)では本来、列車の入線10分前位には検票(改札)も始まるのですが、T179次は遅れている様で検票開始は6時10分前、隣列の長沙行き検票が先に始まる有様でした。

そしてホームに向かうと約30分遅れでT179次列車が入線、ちなみにこのT179次は済南~広州を結ぶ特快で、前日夜に山東省の省都・済南を出発し、丸一日掛けて広州まで走る長距離列車ですが、管轄は済南鉄路局となっており、山東省方面は過去に一度夜行列車(Z49次)で通過しただけのMAKIKYUは済南局の列車乗車は初めてで、この局の列車に乗車するとは思ってもいませんでした。

先頭はディーゼル機関車のDF4D、そして16号車に発電車が連結され、MAKIKYUが乗車する硬座車は15~13号車の3両のみで、漢口から乗車する乗客は殆どこの位置で列車を待っていました。

列車に乗車すると、硬座車は3両しかないため大混雑、MAKIKYUは硬座とはいえまだ指定座席があるだけマシなのですが、無座で乗り込んで夜を越した人間も多いのか、疲れきって魂の抜けた様な感じで床に倒れているモノも見られ、こういった乗客が隣の食堂車(12号車)通路にまで溢れて凄惨な状況でした。

MAKIKYUもこれで12時間はさすがに厳しい(それでも空調付の特快で、昼行なので夜行の普快などよりずっと程度は良いですが…)と思いましたが、入口を入ってすぐの所で服務員が補票(所持している乗車券を上級の車両に変更・ここでは硬臥)を行っており、ここは漢民族(中国人)が押し合い凄まじい状況でした。

MAKIKYUもこの漢民族のドサクサに紛れ、彼らを強引に突破し服務員に接触、漢口で多数の空席が発生した硬臥への変更に成功、これでようやく快適な鉄路旅行を楽しめます。

ちなみに補票の要領ですが、これは原券(所持している乗車券)と、上級車両運賃との差額(今回は手数料5元を含め122元)を同時に服務員に差し出すだけでOK(この列車の場合・他の列車では漢字の筆談が必要な場合もあるかもしれません)ですが、漢民族の方々は順序よく一列に並ぶといった事は有り得ないので早い者勝ちです。

こちらも彼らを見習い強引に突破する位でないと、補票の乗車券が売り切れとなってしまい、硬座で長時間を過ごすとなると相当厳しいモノがあると思いますので、こういった時は遠慮なく腕で彼らを遮る位の覚悟は必要です。
(漢民族の方々は基本的にタフなので、硬座に乗り続ける位は平気な方々も多い様です)

こんな事をしている間に列車は漢口・漢陽区を抜け、武漢長江大橋を渡っていましたが、武漢での長江はそれなりに大きいものの、以前南京で列車から眺めた時に比べると随分小さく感じます。(南京の方がすっと下流なので当たり前ですが)

武昌站を通過する頃に硬臥への補票が済み、車内を後方の硬臥車へ移動しますが、結局通路まで人で溢れている硬座車では、指定された座席を確認する事も無い状況でした。

ちなみにMAKIKYUが新たに指定された車両は加1号車、12号車の食堂車と11号車の軟臥車を通り抜け、その後10~3号車の硬臥車の先に増結されている車両で、この後ろの客車は2号車のみですので、編成を殆ど端まで移動する様なものです。

ちなみに乗車した加1号車はYW25K 672239、昼間利用で寝台とは随分贅沢な話ですが、硬座車の混雑と狭さを嫌ってこちらへ移る乗客もいる他、済南などからずっと長距離を乗り続ける乗客も居り、乗客はそれなりに乗っていました。

早速硬臥に乗車した後は服務員に乗車券を預けて換車票(色々なタイプがありますが、この列車では昔ながらの小さな金属片)を受け取り(中国の寝台車では乗車中は服務員が乗車券を預かり、代わりに引換証を受け取ります)、また隣の2号車も気になるので少々覗いて見ましたが、こちらは客用の寝台が前3ボックス程度で後はカーテンが引かれていたので、どうやら乗務している服務員の休憩用控車となっていた様です。

硬臥に落ち着いた後は、ようやく朝食(朝が早過ぎるので、ホテルでは食べずに出てきました)としますが、回りを見渡すと朝から脂っこいカップラーメンを食すモノが多数居り、これはMAKIKYUには真似できません。

また車内では食堂車で調整した朝食のワゴン販売もあり、こちらはお粥と饅頭、それに数品のおかずとゆで卵といった感じの典型的な中華式朝食でしたが、値段は15元と割高で、求める乗客は少々…といった所でした。

ちなみにMAKIKYUの朝食はと言いますと、朝が早い事を見越して前日夜にホテル近くの家楽福(カルフール・中国には多数有ります)で購入した3個3.8元の菓子パン(椰子の入ったデニッシュで、少々脂っこい)とオレンジジュース(鮮の毎日C)、中国では朝食でパンを欲しいと思ってもなかなか良い物がなく買える場所が限られるのですが、こういった食事をする中国人は余りいないようで、彼らは余り困らない様です。

朝食を終えた後は、朝が早過ぎて寝不足気味という事もあり、寝台でゴロゴロ…といっても、指定された下段は座席として使用されているので、空いている中段を使用していました。

こういった状況ですのでずっと車窓を眺めていた訳では有りませんが、停車中の様子は覚えており、9時20分頃には岳陽に到着、ここには40分以上の遅れで到着し、列車の遅延が回復されないどころか更に遅れる有様、また編成を見るといつの間にか牽引している機関車はSS8(電気機関車)に変わっていました。(武昌を過ぎて少々運転停車した際に機関車を取り替えた様で、以後広州までこの機関車でした)

また岳陽では乗車しているT179次が特快にも関わらず列車の退避もあり、これは遅延の影響もあるのかもしれませんが、ここでT61次と思われる特快に追い越されました。

その後は長沙到着の辺りまであまり記憶がないのですが、この辺りは曲線も結構多く、車窓も結構変化に富んでいる感じで、平坦で荒涼とした風景の中を走る京広線の北部に比べると随分乗り応えがある感じでした。

長沙到着時はよく覚えており、この時点では遅延約60分、長沙は湖南省の省都で北京との直達特快も発着する站にしては意外と小さな感じでした。

長沙を過ぎ株州に到着する手前では列車もノロノロと減速運行になり、株州到着時には遅延約80分、遅延は拡大する一方です。

ここでは杭州東~南寧の臨時列車が停車しており、各方面へのジャンクションになっている事を実感させられますが、この臨時列車は空調車とはいえ殆どが旧型の22型(見た所軟臥と硬臥、硬座の各1両以外)で、いかにも寄せ集めの臨時列車という感じでした。

株州を過ぎた辺りで昼食の弁当販売もあり、これは朝食同様に食堂車で調整したモノをワゴン販売していましたが、15元と高めの価格設定で、見た所四角い容器1つで、ご飯とおかずは容器内で分離されているような感じでした。

この後湖南省~広東省の境界辺りになるとなだらかな山越えといった感じで、左右へカーブを繰り返し、トンネルも幾つかという感じですが、赤い土や白っぽい岩、レンガ造りの家などが独特な感じで、植生も南国を感じるものが多く、なかなか乗り応えがあり、この区間は是非昼間の明るい時間に乗車したいものです。

広東省に入ると最初の停車站は韶関で16時40分過ぎに到着、列車は相変わらず80分程の遅延です。

またホームを覗くと、陶器の容器に入った美味しそうな弁当を販売しているのを発見しましたが、停車時間が短く、また発車直前にこれを見つけたので、残念ながら購入できませんでした。(これは後日リベンジを果たし購入:一個10元でなかなか美味しかったです)

韶関を過ぎても車窓は変化に富んでおり、随所で放牧されている牛が尻尾を振っている様子が見えたり、18時過ぎに英徳を過ぎた辺りでは車窓右手に川が寄り添うなど、見ていて飽きる事はありません。

この頃になると服務員が、広州での折り返しに備えてリネン類の交換などに回っていましたが、これは本来乗客が下車した後に行うべき事で、文化の違いを感じさせられます。

18時30分過ぎに軍田を通過する頃から家屋などが目立ち、大都市・広州が近づいてきた事を感じさせられます。

19時過ぎには信号停車、これは列車が遅延した影響で広州站の入線に手間取っているのも影響している様な感じでしたが、列車が動き出すとほぼ同時に音楽と共に終着の案内放送が流れはじめ、いよいよ広州まで来たという実感が沸いて来ますが、近くに携帯電話で大音量を出して騒ぐものが居り、よく見たら若い服務員の集まりだったのには呆れました。

そして結局約2時間の遅れでT179次は広州站に到着、列車を降りた途端に蒸し暑く、南国(広州は北回帰線より少々南に位置します)に来た事を感じさせられましたが、到着する頃には空も暗くなっており、この列車の先頭を撮影する事は叶いませんでした。

こうしてT179次の旅は終わり、広州站を出た後はすぐに站前のホテルへ向かいましたが、この一泊は本来夜行列車で過ごす予定を変更したもので、列車移動が昼間に変更となっても、こちらも寝台利用でしたので、一泊分の房費(宿泊代)は予定外の支出となりました。(房費=1天130元)

ただ昼間移動とはいえ武漢~広州となると距離は1000kmを超え、丸一日列車の社中で過ごす事になりますので、多少余計な出費(122元)が出ても、3両しか連結されておらず混雑している硬座から、漢口で朝を迎えて下車客が多数発生した硬臥に補票できたのは幸いでした。

武漢→広州を移動される際、乗車予定日の夜行列車の寝台が全滅…という際には夜行列車の硬座で過ごすよりも、このT179次に硬座で乗車して、補票を狙うのも良いかもしれません。
(武漢→広州間を昼間運行する列車はこの他に武昌始発の普快もあり、これを利用する方法もありますが、こちらは非空調車での運行ですので、お好み次第といった所です)


写真はT179次のサボと、湖南省~広東省の境界付近の車窓です。
乗車時に硬座乗車ということもあり、列車の写真はありませんのでご了承下さい。