街から街へと張り巡らされる送電線。あの線をつたって行けた先の街には何があるのだろうか?と幼い心の様に思ってしまうが、私の望む形があるんだか無いんだか解らない物なんてある筈無い事は100も承知。けれど、遠くへ我が身を送った時、そこにある、そこで掴める何かがあるのではないか、という願望が産まれるその訳は、解らない。その「形があるんだか無いんだか解らない」という「途方のなさ」が多分私に、「あの遠く彼方にある物」を期待させるのだろう。何もありはしないと知ってはいても、本能的に。
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