万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

テクノロジーの‘強制力’の問題-合意なき社会改造

2020年10月18日 12時34分57秒 | 国際政治

 テクノロジーの発展は、人類に恩恵を与えてきたことは確かなことです。危険な重労働から人々を開放し、不治の病を克服し、飢餓から人々を救い、そして、生活を便利にしてきました。しかしながら、今日、テクノロジーがもたらすリスクは、軍事技術の分野に限らず、社会そのものの、そして、人という存在の在り方を一変させかねない状況にあるように思えます。そこで、本日は、テクノロジーの‘強制力’について考えてみることとします。

 

 ‘強制力’という言葉から受ける大方のイメージは、おそらく、物理的な力ではないかと思います。しかも、一方的に自らの利己的な欲望を達成するため、あるいは、自らの意思を相手に押し付ける際に使われる‘力’は暴力とも称され、古今東西を問わず人々から忌み嫌われ、犯罪行為として取り締まりの対象ともされてきました。このことは、他者の意思を無視した一方的な押し付け行為は、‘悪’として認識されてきたことを示しています。

 

 この観点からしますと、テクノロジーもまた、その一方的な押し付けにより、社会悪となる可能性があります。旧来のテクノロジーは、苦痛、不快、不便、労力や時間の負担といった、誰もが‘マイナス’と認識している事柄の多くを取り払ってきました。産業革命にあって、工場での重労働や大気汚染といったマイナス面を含みながら、近代化、即ち、人類の進歩の証として人々から歓迎されたのも、マイナス面よりもプラス面が圧倒的に優っていたからなのでしょう。ところが、今日のテクノロジーは、純粋に技術の面からすれば飛躍的に発展してはいるものの、社会や人々に与えるマイナス影響は急速に強まっているように思えるのです。

 

 テクノロジーによって多くの人々が恩恵を受ける場合には、それがたとえ‘強制的’であったとしても、アーミッシュのような強い信念を有する人々を除いては、人々はそれを受け入れるものです。しかしながら、ITやAIが中国にあって一党独裁体制の維持を可能としたように、情報・通信分野において先端技術は、人々を監視社会に導こうとしているように見えます。その先には、全人類にマイクロチップを埋め込まれ、DNAや生体情報のみならず、行動から思想に至るまで、全ての情報がデジタル化されて収集される時代が訪れるかもしれません。また、日本国政府は、2021年度から始まる‘5カ年計画’として、「第6期科学技術基本計画」を策定中のようですが、中には海洋都市、宇宙基地、空飛ぶ車のような未来ヴィジョンも含まれているようです。スマートシティの輸出にも積極的なようですが、こうした電脳都市は、圧倒的格差が容認される社会にあって、一部の特権階級(共産主義者、現地の権力者、金融・IT関連のセレブ…)向けに建設されるのではないでしょうか。

 

他者からの監視はストレスになりますので、健康維持を名目として埋め込まれたマイクロチップは人々を精神的に追い詰め、むしろ様々な不調や病気を引き起こすかもしれません(ストレスは免疫力を低下される…)。人々は、監獄のなかの囚人と同様の状態に置かれるのですから、この状態を不快と感じる人は少なくないはずです。また、金属やコンクリート造りの幾何学的なデザインの建物が整然と並び、窓からは、空を飛ぶ鳥ではなく、空飛ぶ車が飛び交う光景が日常と化した無味乾燥とした都市空間は、全ての人々にとりまして快適で心地よいとも言えないように思えます。ましてや、海底都市や宇宙基地での生活は、耐え難い苦痛以外の何物でもないかもしれません(閉所恐怖症の人々にとりましては地獄…)。

 

 テクノロジーが導く未来の社会が、大多数の人々がITやAIによってその一生涯を監視され、全人類の情報を独占した共産主義者や金融・IT富裕層等によって‘好ましくない人々’が苛めぬかれ、徹底的に排除される社会であるとしましたら、人々は、こうした自由なき社会に住みたいと思うのでしょうか。温かみのあった過去の世界に戻りたいとは思わないのでしょうか(これらの人々は、多様性の尊重を謳いながら、自らの‘未来ヴィジョン’に対する拒絶は許さない…)。政府、並びに、一部の権力者やITセレブの人々が理想として描く近未来とは、それは、テクノロジーを支配下に置くごく少数の人々の私的な理想ではあっても、人類全ての理想郷ではないはずです。テクノロジーは、一部の人々の夢を実現するのではなく、より多くの人々が物心共に豊かに生きてゆくために存在すべきなのではないかと思うのです。

 

一部の人の理想が他の人々に押し付けられるとしますと、それは、一方的な合意なき社会改造であり、‘悪’の一種なのではないでしょうか。そして、テクノロジーにあってマイナス面を抑制し、真に人類の幸福に資するように方向づけるためには、国家の予算も投じられ、科学政策という分野がある以上、テクノロジーもまた、合意形成を尊重する民主的制度の許に置くべきなのではないかと思うのです。


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