万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

アンフェアなワクチンのメリット・デメリット比較

2021年08月31日 13時43分32秒 | 国際政治

 国民の凡そ8割がワクチンを接種したとされるイスラエルにでは、今日、予想外の異変が起きています。一時は、新型コロナウイルスの感染拡大をワクチンで抑え込んだ成功モデルとして賞賛されながら、目下、感染者数のみならず、死亡者数の急激な増加に見舞われているからです。アメリカでも、ワクチン接種率の高い州にあって同様の傾向が観察され、’ワクチン神話’は大きく揺らぎつつあります。本来ですと、ワクチン戦略は、抜本的に見直されるべきなのですが、アメリカのみならず、日本国にあっても、政府はワクチン接種推進の方針を改める気配はありません。それどころか、メディア等では、今なお盛んにワクチンの安全性をアピールしているのです。もっともらしい数字やデータを添えて。しかしながら、ワクチンのメリットはデメリットを上回ることを強調するために提示されているデータの殆どは、比較の仕方がアンフェアなように思われます。そこで、本日の記事では、アンフェアな比較方法の代表的な事例を紹介してみることとしましょう。

 

 第1の方法は、時間の経過を考慮しないというものです。確かに、遺伝子ワクチンであれ、他のタイプのワクチンであれ、接種後の一定期間にあっては、感染防止、重症化、並びに死亡を防ぐ効果が見られるものです。ワクチン効果が持続している期間にあっては、ワクチンのメリットはデメリットを上回ることになります。効果持続期間に報告された数字には誤りや改竄はありませんので、多くの人々は、ワクチンの効果が数字によって証明されたと考えることでしょう。しかしながら、ワクチン効果とは、既に指摘されているように時間の経過とともに逓減されてゆきます。また、ワクチンには、中長期的なリスクもありますので、ワクチン効果が薄れた時点でデータを取れば、ワクチンメリットが消滅する、あるいは、ワクチンメリットよりもデメリットが上回るということも大いにあり得るのです。実際に、イスラエルでは3回目のブースターショットが始まっていますので、現時点では、摂取メリットがデメリットを上回るとは言えない状況にあります。

 

 第2に、異なる母集団を敢えて同列に置いて結論を導くという方法があります。例えば、本日も、イギリスの調査結果として血栓症のリスクはワクチン接種者よりも感染者の方が大幅に上回るとする記事が報じられていました。事実として血栓症による後遺症が感染者の方が重くなる率が高かったとしても、メリットとデメリットの比較は、母集団の違いに因って変化します。

 

同報告では、ワクチン接種者2900万人以上のデータの分析を基に、接種者1000万人当たり143人が虚血性脳卒を発症するとしています。この比率からしますと、仮に、日本国にあって1億人がファイザー製のワクチンを接種した場合、中を凡そ1430人が発症する計算となります。(脳卒中を発症しなくとも、多かれ少なかれ接種者全員の体内にスパイク蛋白質が生成され、また、脳卒中の他にも様々な死に至る有害事象が報告されている…)。その一方で、感染者については1000万人当たり1699人と報告しており、143対1699の数だけを見れば、感染者の方が圧倒的に多いように見えます。しかしながら、そもそもイギリスの累積感染者数が凡そ600万人ですので、この1000万人当たり1699人という数字の算出方法の詳細は不明です。接種者であって感染者であるとすれば、1000万人という数は多すぎるように思えますので、感染者を1000万人として換算した数字であるかもしれません。仮に感染者を集団とすれば、日本国の感染率は1%以下であり、かつ、累積感染者も150万人余りですので、多く見積もっても250人程度となります。爆発的な感染拡大を経験したイギリスであればメリット面を強調することができても、日本国のように感染率が1%以下である国では、ワクチン接種による血栓リスクがメリットを上回るとは一概には言えなくなります。

 

 第3の方法は、メリット面、あるいは、デメリット面のいずれか一方を、過大評価、あるいは、過小評価するというものです。この側面は、今般の政府・マスコミ挙げてのワクチン接種キャンペーンにおいて特に顕著です。例えば、メディアでは、しばしば接種者と未接種者との間で感染率、重症化率、並びに、死亡率の比較を行っております。ところが、こうした記事をよく読んでみますと、接種者の死亡数には、ワクチン関連が疑われるケースが見事なまでに除外されています。厚労省が公表しただけでも、1000人を越える死亡ケースが報告されていながら(同数字は氷山の一角とされ、実際の死亡数はこの10倍とも…)、こうした死亡者数や重篤者数については、国民が、ワクチン接種のデメリットとして認識しないように情報から排除されているのです。

 

 以上に主たる手法について述べてきましたが、若者層をワクチン接種に誘導しようとしているのか、あたかも遠足の準備のように’前夜には○○を用意して’など、イベントの如くに軽々しく扱っているメディアも少なくありません。本来は、死亡リスクのある重大な選択であるにも拘わらず…。何れにしましても、ワクチン接種につきましては、政府やメディアが発信する情報が偏向している以上、国民は、リスク面の情報を積極的に収集することで情報の偏りを是正すべきではないかと思うのです。


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ワクチン接種義務化への疑問-ワクチン耐性ウイルスの発生で元の木阿弥

2021年08月30日 13時13分01秒 | 国際政治

 マクロン政権による「ワクチン・パスポート」の導入は、フランス各地にあって自由を求める市民による抗議デモを引き起こしています。アメリカにありましても、従業員に対してワクチン接種を義務付ける企業が増加していますが、同制度の導入がこれ程の激しい抵抗を受ける理由は、ワクチンを接種しないという選択の自由を否定するからに他なりません。そして、今日、日本国内にあっても、ワクチン接種証明書の活用や接種の義務化が議論の俎上に上るようになりました。しかしながら、接種義務化の根拠は、あまりにも脆弱なように思えてなりません。

 

 とりわけ、最近に至り、ワクチン接種の義務化の根拠として挙げられるようになったのが、ワクチンに対して高い耐性を有する変異種出現の防止効果です。これまでワクチン推進の根拠とされてきた集団免疫論にあっては、人口の5割から6割程度がワクチンを接種していれば、集団免疫が成立するとされてきました。このため、全国民にワクチン接種を義務付けず、摂取の判断を個々人に任せたとしても、一先ずは、目標接種率を達成する見込みがありました。ところが、今般の変異種出現防止説では、ワクチン接種率は6割程度であっても十分ではなく、8割から9割程度の接種が必要とされているのです。おそらく、その理想とする接種率は、100%、すなわち、全国民の接種なのでしょう。

 

 変異株出現防止説にあって、かくも目標接種率が跳ね上がってしまう理由は、’ゼロ・コロナを達成すればもはや変異することはない’とする楽観的な見通しにあります。ウイルスの塩基配列の変異は、感染した宿主の体内において起きますので、感染そのものが’ゼロ’となれば、ウイルスは変異するチャンスを一切失います。変異チャンスの完全撲滅こそ、同説の主張するところなのです。思わずこの説明において納得しそうになるのですが、その一方で、抗生物質に対して耐性を有する薬剤耐性菌の出現プロセスを見ますと、全く逆の可能性もあり得るように思えてきます。

 

 抗生物質が効かなくなる薬剤耐性菌が出現する主たる原因とされるのは、(1)抗生物質の過剰使用、並びに、(2)病原菌が残存している状態での抗生物質の中途停止です。後者の(2)にあっては、抗生物質に耐えた菌のみが生き残り、拡大してゆくパターンですので、必ずしも突然変異を必要とはしません。つまり、病原菌における突然変異の有無とは関係なく、耐性菌が蔓延る原因と言えましょう。一方、変異種の出現と関連して問題となるのは、(1)のパターンです。研究によれば、ウイルスと比較して変異が起きにくいとされる細菌にあっても、抗生物質の作用を受けるなど、生存環境が悪化すると突然変異の発生率が上昇するそうです。生物とは、意図せずとも自らを環境に適応させることで生き残ろうとしますので、変異種の出現は、ごく自然な反応ともいえましょう。

 

 こうした薬剤耐性菌の発生プロセスに照らしますと、ワクチン接種率を100%近くまで上げてゆけば変異種出現のリスクがなくなるとする説には、自ずと疑問が生じてきます。ゼロ・コロナ達成の目標は、同ウイルスの撲滅を目指す(1)のパターンにこそ効果的ですが、現実には、追い詰められたウイルスが突然変異を起こすからです。そして、逆に、政府やマスメディアから’デマ’扱いされているワクチン接種がウイルスの変異の出現を齎しているとする説の方が、余程合理的な説明のように思えてくるのです。何故ならば、ワクチン接種率100%の状態とは、変異しない限り生き残ることができないという、ウイルスにとりましては極限の変異環境となるからです。

 

しかも、新型コロナウイルスは、パンデミック化によって既に武漢から全世界に拡散しており、かつ、同ウイルスは一本鎖のRNAウイルスですので、変異種の多様性も変異の速度も細菌の比ではありません。このことは、ワクチンに関しては、薬剤耐性菌の発生の原因となる(1)と(2)が同時に起きる可能性をも示唆しています。つまり、この状態にあって、特定のウイルス株に対応したワクチンを全国民に義務的に接種させたとしても、ワクチン耐性ウイルスの出現を加速化しこそすれ、コロナ禍は、次から次へと出現するワクチン耐性変異種を前にして終息どころか収拾のつかない状況に陥るかもしれないのです。

 

このように考えますと、各国にあって、個々人の基本的な自由や権利を奪ってまで進められているワクチン接種の義務化も「ワクチン・パスポート」の導入も、何れも合理的な根拠に乏しいように思えます。あるいは、コロナ・ゼロの常態化を名目として、国家の強制力を以って全国民を‘ワクチン漬け’にしようとしているのでしょうか。‘ワクチン耐性人類’が出現するまで同政策が強制的に推し進められるとしますと、その間に生じる命の犠牲は計り知れないのではないかと危惧するのです。


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中国は脱炭素ができるのか?-石油・天然ガスパイプライン網の行方

2021年08月27日 13時15分31秒 | 国際政治

 中国が提唱してきた一帯一路構想は決して机上の空論ではなく、現実の世界にあって着々とその計画が実行に移されてきました。同構想を支える一つの基盤が、中国を中心とする石油や天然ガスのパイプライン建設です。人民元のデジタル化を軸とした’人民元圏’の実現に先立って、中国を中心としたエネルギー供給網の整備が進められたのです。

 

 早くも2009年には、トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタンを経由して中国に至る天然ガスのパイプラインが開通し、2012年から、ウズベキスタンによる対中供給が既に始まっています。2015年には、イランからパキスタンを経て中国に至るパイプラインの建設計画に関する協定も結ばれています。北方を見ますと、2019年12月には、資源大国であるロシアとの間にも、「シベリアの力」と命名された大規模な天然ガスのパイプラインが開通し、中ロ接近の象徴ともなりました。そして、南方を見ますと、ミャンマーとの間に石油・天然ガスパイプラインが建設されており、中国・ミャンマーを結び付ける絆の役割をも果たしているのです(もっとも、軍政の成立を背景に、5月には同パイプラインへの襲撃事件が起きている…)。ユーラシア大陸を一望しますと、そこには、経済大国と化した中国を中心としたエネルギー供給網が既に出現していることに気付かされるのです。

 

 国際的なエネルギー供給網の構築に加えて、中国国内にあっても、全国を張り巡らすパイプラインの建設が進められており、中国の経済成長をインフラ面で支えています。そして、新華社通信が8月26日付で報じたところによれば、中国石油天然気集団傘下にある中国石油大慶油田は、推定地質埋蔵量12億6800万トンのシェール油田を発見したたそうです。

 

 かくして、全体主義、あるいは、権威主義的傾向に強い諸国を包摂する形で’中華経済圏’が出現しそうな勢いなのですが、その一方で、EU諸国のはじめとする自由主義国では、急激な脱炭素化の動きが起きています。世界有数の石油・天然ガス生産国であるアメリカにあっても、バイデン民主党政権はパリ協定に復帰して脱炭素の方向へとエネルギー政策を転換させましたし、日本国の菅政権もまた、首相就任とほぼ同時に非現実的とも言える脱炭素計画を発表して国民の多くを驚かせました。この流れは政府レベルに限ったことではなく、民間をみましても、とりわけ金融界は脱炭素に積極的であり、一般企業への融資に際してもSGDs推進やESG投資の名の下で脱炭素への取り組みが重要な審査項目とされているのです。言い換えますと、民間企業を含めて経済全体が脱炭素化へと強力に誘導されているのです。

 

 今般、中国もまた、パリ協定の枠組みにあって協力的な姿勢を示し、脱炭素に向けて野心的な目標を掲げていますが、同国は、この’国際公約’を本気で守ろうとするのでしょうか。同国が脱炭素を実現し、一帯一路構想の下で巨額の資金を投じて地球規模で建設してきた広大なパイプライン網を砂漠の砂やシベリアの凍土に埋もれるままにさせるとは思えません。情報隠蔽やデータ改竄を得意とする国ですので、表向きの数字では目標値の達成をアピールしながら、その裏では、パイプライン網を活用しつつ’炭素依存’が続いてゆくものと推測されるのです(もっとも、将来的な枯渇は予測されますが…)。

 

それでは、中国が国境を越えた広大な石油・天然ガスパイプライン網を構築することで’世界の工場’の座を維持する一方で、自由主義国では、石油も天然ガスも、そして、石炭も不要とする経済を構築するという方向に向けて邁進したとしますと、国際社会はどのような状況に至るのでしょうか。後者の諸国では、原子力に対しても逆風が吹いていますので、目標を達成しようとすれば否が応でも代替エネルギー源として再生エネの割合を高めざるを得なくなります。そして、再生エネ拡大に必要となる太陽光パネルや風力発電施設の大生産地こそ中国に他なりません(対中依存度の上昇…)。また、自由主義国が脱炭素を進めれば進める程、石油や天然ガス等の価格、並びに、採掘権の入札価格等は下落しますので、中国は、ライバルの’自発的退場’により安価、かつ、安定的に鉱物エネルギー資源を独占的に確保することもできます。この状況は、考えただけでも’馬鹿馬鹿しい’と言わざるを得ないのではないでしょうか。

 

このように考えますと、脱炭素化とは、中国、否、その背後に控える超国家権力体に地球上の全化石燃料資源を差し出すに好都合なツールにも見えてきます(石油は今なお軍事的にも重要な戦略物資…)。脱炭素という言葉は耳に心地よいのですが、その行く先を予測しますと、暴力国家の増長と自由主義諸国の弱体化と従属化、並びに、同国を中心とした広域経済圏の出現という忌々しき未来が待ち構えているように思えるのです。


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疑問に満ちた三度目のワクチン

2021年08月26日 11時18分17秒 | その他

 先行してワクチン接種が進んだ諸国の中には、イスラエルのように既に三度目のワクチン接種が開始された国もあります。その主たる根拠とされているのが、二度の接種で生成されたワクチンで抗体の減少、並びに、変異株の出現です。その一方で、三度目のワクチンには、不透明感が漂っているように思えます。何故ならば、誰もが、政府からも製薬会社からも、同ワクチンが何をターゲットとして準備されているのか、詳しい説明を受けていないからです。

 

国内にあっても、ワクチン接種から3か月で抗体量が4分の1に減少するとする研究結果が報じられており、多くの人々は抗体減少を懸念しております。抗体量の変化や効果の持続性はワクチンのメーカーによって違いが見られるそうですが、自然感染であれ、ワクチン接種によるものであれ、生成された抗体は、その必要性がなくなる、つまり、ウイルウや抗原が体内から消えれば自然に減少してゆく運命にあります。抗体量の減少は、治癒の面からすれば望ましい生体反応なのですが、抗体量=感染・重症化・死亡の防止効果と捉えるならば、免疫力の低下を意味します。そこで、三度目のワクチン接種で抗体量を増加させ、抗ウイルス効果を維持しようということなのでしょう。’ブースター・ショット’という表現が抗体量の’再増産’という側面をよく表現しています。

 

誰もがこの説明で納得しそうなのですが、抗体の減少は、必ずしも感染、重症化、並びに、死亡のリスクを高めるわけではありません。リンパ節等にあってメモリーT細胞やメモリーB細胞等の記憶細胞が保存されていれば、次回感染時には素早い免疫反応が起きて抗体を大量に産生し、ウイルスを撃退してしまうからです(二度の接種が必要となるのも、抗体量を増加させるためでは…)。そして、この獲得免疫の「二度なしの原理」を利用したのが、ワクチンに他なりません。言い換えますと、ワクチン接種によって獲得免疫が備わるならば、そもそも3度目のワクチン接種は必要ないということになりましょう。

 

このことから、仮に政府もワクチン・メーカーも、3度目のワクチン接種が必要と主張するならば、ワクチンを接種しても獲得免疫が働かないことを認めざるを得なくなります。獲得免疫が作用しないならば、人々は、一定の抗体量を維持するために、生涯にわたってワクチンを定期的に打ち続けなければならない状況に置かれます。初回は無料でしたが、今後は、自己負担となる可能性もありますので(初回無料ビジネスのよう…)、ワクチン接種に対するインセンティヴは著しく低下することでしょう(しかも、昨日の記事で指摘したように、ワクチン接種には、抗体そのものが有害となるADEのリスクも伴う…)。

 

ここまでのお話は、新型コロナウイルスが変異していないことを前提としていますが、実際には、武漢を発祥の地とする従来株はアルファ株からラムダ株まで、様々な変異を見せています。三度目の接種の第二の理由は、従来株用に作られたワクチンでは、メーカーによる違いこそあれ、変異株に対する効果が低下するというものです。実際に、変異株に対する効果の低下は世界各国で報告されていますし、今後は、従来のワクチン効果を無効にするような’耐性変異種’の出現も’予言’されています。変異種への対応のための三度目の接種という説明にも、多くの人々が納得することでしょう。

 

仮に、変異が出現する度に新たなワクチンを接種する必要があるならば、変異株の数だけワクチンを接種し続けるか、あるいは、混合ワクチンを製造する必要があります。耐性丙種が出現しても、mRNA技術を用いれば即座に対応できるとファイザー社のCEOは自信を見せています。しかしながら、第三次接種を実施、あるいは、予定している諸国の政府、並びに、製薬会社は、新たに準備されるワクチンがデルタ株やラムダ株用に改良されたものであるとは説明していません。このため、目下、第三次用に用意されているのは、新たに改良された変異株対応型ではなく、従来株用のワクチンであると推測されるのです。つまり、高い健康被害のリスクを背負ってまで三度目のワクチンを接種しても、変異株に対しては殆ど効果がない可能性も否定はできないのです(今日、従来株よりもデルタ株の比率が高くなっており、従来株用の抗体の生成は、むしろインプリント型のADEの引き起こしかねない…)。

 

以上に述べた諸点を考え合わせますと、3度目の接種が必要なのかどうか、甚だ怪しくなります。辻褄の合う、論理一貫した説明に欠けているからです。3回目の接種が求められる状態で「ワクチン・パスポート」を導入すれば、社会的な分断や差別の問題のみならず、深刻な健康リスク並びに莫大なコストが国民の肩に重くのしかかることでしょう(しかも、そもそもワクチン接種では自身、並びに、他者への感染さえ防ぐことができない…)。そして、日本国内にあってワクチン関連死が疑われるケースが1000件を超え、新型コロナワクチンのリスクについて多くの人々が認識するに至った今日、ワクチン接種の推進そのものをも見直す必要があるのではないかと思うのです。


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ワクチン・リスクのADEとは?

2021年08月25日 13時19分33秒 | その他

 新型コロナウイルス用に開発されたワクチンの接種開始から一定の時間が経過した今日、その効果やリスクに関するデータも集まるようになりました。そして、目下、懸念されているのは、ワクチン効果の低下です。国ごとに報告が異なるのですが、イスラエルに至っては、感染予防効果のみならず、重症防止効果にも疑問符が付され、ADE(抗体依存性感染増強)さえ疑われる状況にあります。

 

 「ブレークスルー感染者」にあって重症化の防止効果があるとすれば、ワクチン接種による獲得免疫系が働いている証拠となりますので、ワクチン接種者にとりましては一先ずは安心材料となりましょう。その一方で、獲得免疫の記憶レベルは高齢者ほど低く、かつ、何れの年代にありましても、同免疫の持続性については不明です(中には短期間で獲得免疫が消滅してしまうウイルスやワクチンもある…)。また、今後出現する変異株に対する効果につきましても未知数ですので、米FDAによってファイザー社の遺伝子ワクチンが正式に承認されたとはいえ、慎重に推移を見守る必要がありましょう。

 

 そして、ワクチン・リスクとして当初から注目されてきたのが、上述したADEです。ADEとは、体内にあって抗体が生成されたが故に生じる現象であり、通常の感染であれ、ワクチン接種であれ、抗体の存在が引き金となります。もっとも、ワクチン接種では人為的に抗体が生成されますので、ADEは、ワクチンへの期待とは真逆の結果を招きます。いわば、ワクチン接種が’仇’となる恐ろしい現象なのですが、ADEのリスクについては、政府もメディアも積極的に報じないため、知らずして接種した人も少なくないようです。そこで、Wikipediaに掲載されている記事から同リスクについて簡単に纏めてみようと思います(専門家ではないので、間違えていたらごめんなさい…)。なお、参考としたのは日本語版なのですが、このページ、英文記事を邦訳したものであるにもかかわらず、英文版にはコロナウイルスに関する部分が見当たりません。おそらく、最近になって削除されたものとも推測され、そのことが、かえって同リスクの深刻さを浮き上がらせているようにも思えます。それでは、一体、ADEとは、どのような機序において発生するのでしょうか。

 

ADEの第一の経路は、不適切な抗体と感染ウイルスが結合した複合体が免疫細胞に入り込み、ウイルスを複製あるいは増殖させることによって発生します。言い換えますと、ここでは、免疫細胞が死滅する可能性のある免疫細胞への感染という、恐るべき事実がさらりと記されているのです(感染対象となる免疫細胞は、表面にFcyRIIを発現している単球、マクロファージ、B細胞、一部の樹状細胞など…)。もっとも、研究によれば、重症度とFcyRIIの遺伝多型との間には関連性が見られ、このため、同経路でのADEのリスクには個人差がありそうです。

 

特に、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)、並びに、MERS-CoVおよびSARS-CoVが属しているβ-コロナウイルスについては、後二者に関する動物実験の論文を紹介しています。ウサギにMERS-CoVを感染させた場合、初回感染時、並びに、再感染時の両者において重篤な肺疾患が発生し、SARS-CoVについても、マウス、ハムスター、マカクを用いた実験にあっては、再感染時、並びに、ワクチンを接種させた後にあって肺損傷や急性肺障害を発症したそうです(フェレットの場合は重症肝炎が発生…)。その一方で、注目の新型コロナウイルスに関しては、一次感染の際に発生したサイトカインストーム等の誘発をADEに求める説が紹介されると共に、抗体が存在しない状態におけるヘルパーT細胞を含む免疫細胞への感染を強く示唆しています(抗体を介さないので、ADEとして理解されているのかは不明…)。

 

第2の機序は、抗原刷り込み(インプリント)、あるいは、抗原原罪と呼ばれるものです(なお、同記事では、積極的に第1と第2の機序を区別していない…)。変異種が発生した場合、従来株との間に免疫交差が生じて感染が防止されるケースがある一方で、従来株に対応して生成された獲得免疫、すなわち、メモリーB細胞が優先的に再活性化して、変異株への免疫反応が著し低下する現象が発生するケースがあるそうです。後者の場合にはADEが発生し、従来株への感染者、並びに、従来株用に製造されたワクチン接種者にとりまして、変異株の出現は未接種者以上に脅威となりましょう。

 

以上に二つの経路について述べられた後に、同記事では、抗SARS-CoV-2IgG抗体に関する臨床研究の結果を報告しています。同報告によりますと、重症患者は、Sタンパクに対するIgG抗体量が軽症患者よりも多く、発症から2から3週間後には大幅に過剰となるそうです。しかも、同抗体価が高いほど炎症マーカーの濃度が高い一方でリンパ球数が少ない、並びに、心筋障害との間にも正の相関が示されたとする報告もあったとされます。「この仮説にはさらに実験的な証明を必要とする」としながらも、「従って、おそらく、Sタンパク質を標的とする抗体は、免疫系に損傷を与えている可能性がある」として、ここでもさらりと恐ろしい結論を述べているのです。

 

皆様方は、同記事をどのように解釈されるでしょうか。コロナワクチンにつきましては他にも様々なリスクが指摘されていますが、Sタンパク質に反応する抗体自体がヒトの免疫システムに対して有害であるならば、今般のワクチン接種におけるADEリスクはやはり無視できないように思えるのです。


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AIは人の権利を奪う?-決定権とは権利のこと

2021年08月24日 12時44分11秒 | 社会

 ディープラーニングの登場がブレークスルーとなって、今やAIは、次世代の主役とも目されています。シンギュラリティが実現する日も近いとされ、米中のみならず、各国ともAI技術の開発に鎬を削っています。しかしながら、その一方で、自立的決定が可能となったAIには、機械やロボットにはないリスクがあるように思えます。それは、知らず知らずのうちに人の権利を奪ってしまう、というものです。

 

 その理由は、決定権の保持こそ権利の本質であるからです。産業革命以来、工業をはじめとして様々な分野にあって機械化が進んだことで、人類の多くは、重労働から解放されるようになりました。人権意識が浸透した現代という時代にあっては、過重な労働自体が人々の生命や身体を脅かす人権侵害、あるいは、非人道的行為とも捉えられており、人々に苦痛を与える程の負荷となる労働からの解放こそ、人類の目指すべき道とも認識されているのです(もっとも、プロのスポーツのように必ずしも苦痛ではない場合もありますので、一概には言えませんが…)。必要性から半ば強いられてきた重労働を機械やロボットに代替させれば、人々には、自らの生き方を自らで決定し得る余地が生まれ、より身体に対して負荷の低い仕事を選べます。機械化やロボット化は人類の権利拡大の一環としても理解され、そしてそれは、’束縛からの自由’という意味において、人類に自由をももたらしてきたのです。

 

ラッダイト運動といった反対運動もありながら、機械化は、多くの諸国で受け入れられてきた理由も、基本的な権利や自由の擁護における人類に対する貢献があるからなのでしょう。一方、今日、長足の進歩を遂げているAIは、どうなのでしょうか。AIの最大の特徴は、データを入力さえすれば、それが人の脳の処理能力を遥かに超える程に膨大であったとしても、自ら解析して判断してしまうところにあります。このため、AIに判断を任せる範囲が拡大するにつれて、人が自ら決定し得る範囲が狭まってゆくこととなりましょう。つまり、AIの導入という形で決定権をAIに譲ることで、人々は、組織であれ、個人であれ、自らに直接に関わる事柄であっても、決定する権利を失ってゆく未来が予測されるのです。

 

奴隷とは、自らに対する決定権を失った状態にある人々を意味しています。そして、属国、あるいは、植民地もまた、自らの国に対する決定権を奪われた諸国を言います。決定権の保持こそが、独立性、あるいは、主体性と不可分に結び付いているとしますと、その喪失は、自らを従属的な立場に置くことに他ならないともいえましょう。このように考えますと、日頃より人権の尊重を訴えている人々が、AIについては沈黙しているのは不思議なことです。

 

大量のデータの解析や処理といった頭脳の’重労働’を軽減するために利用については人類に役立つのでしょうが、AIの導入に際しては、それが、人の決定権をうばうものであるのかどうか、慎重に見極める必要があるように思えます。近い将来、AI、あるいは、それを背後でコントロールする極少数のグループによって、人々から決定権が奪われ、隷従化されないためにも。

 

 


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mRNA技術の遺伝子ワクチン応用への疑問-異物か自己成分か

2021年08月23日 12時25分29秒 | 国際政治

 ワクチン接種率においてトップランナーであったイスラエルの現状は、遺伝子ワクチンの有効性並びに安全性に対して疑問を投げかけています。接種者の感染者数の増加はアメリカ等の高接種国にも共通して見られる現象ですので、原因はADE(抗体依存性免疫増強)ではないかとする指摘もあります。かくして人々は、ワクチンに対して疑心暗鬼に陥っているのですが、ワクチン推進の立場にあるメディア側は、’モグラたたき’のようにリスク説を打ち消そうと必死です。

 

 ワクチンに対する疑問が渦巻く中、遺伝子ワクチンの安全性を医科学的な立場から説明する試みの一つとして、しばしば紹介されるのがmRNA技術です。もとより、同技術は、ワクチン向けではなく、遺伝病などの新たな治療法として1980年代に開発が始まったそうです。しかしながら、人工的に造られたmRNAは、極めて壊れやすく不安定である上に、細胞に投入すると異物として認識されるために激しい炎症反応が起こしてしまいます。このため、暫くの間、足踏み状態が続いていたのですが、2005年に至り、これらの問題を克服する画期的な技術が登場します。それは、mRNA鎖に含まれる全てのウリジンをメチル・シュード・ウリジンに置き換えるというものです。同手法の出現により、人工的に修飾されたmRNAは、体内にあって核酸分解酵素では分解できない上に、RNAの翻訳効率を10から数十倍に劇的に上昇させることができるようになったのです。

 

 同手法を開発したビオンテック社のカタリン・カリコ博士、並びに、米ペンシルベニア大学教授のドリュー・ワイスマン博士は、2021年のノーベル医学・生理学賞の有力候補者としてその名が挙がっておりますが、ここで一つの素朴な疑問が浮かんできます(非専門家の疑問ですので、見当違いであればごめんなさい…)。それは、同技術が、人工mRNAが体内にあって炎症を起こさない、即ち、免疫反応を逃れるために開発されたのであるならば、同技術を使ったワクチンにあっては、mRNAによって細胞内において作られるようになったスパイク・タンパクが、免疫細胞によって異物として認識され、免疫反応を引き起こすのは何故なのか?という疑問です。

 

遺伝子の欠損や異常によって引き起こされる遺伝病などであれば、体内に投与された人工mRNA、あるいは、その生成タンパク質が免疫反応によって異物として排除されてしまうのでは百害あって一利なしとなりましょう。治療効果はゼロどころか、健康被害を招きかねないからです。そこで、免疫反応を起こさずに安定的に正常なたんぱく質を造る技術としてmRNAが開発されたことは理解に難くありません。生まれながらにして遺伝病に苦しんできた人々にとりましては、後天的に遺伝子を正常化できるのですから、完治の可能性も見えてきます。この文脈においてこそ、同技術は高く評価されるべきかもしれません。

 

しかしながら、その一方で、同技術をワクチンに応用するとしますと、投与された人工mRNAが、異物として見なされない可能性も否定はできないように思えます(なお、TLR3の内在性リガンドがどのように反応するのか、そして、マクロファージやT細胞等を含む免疫細胞が直接に人工mRNAを飲み込んだ場合、並びに、同細胞がスパイク蛋白質を生成した場合についても不明…)。仮に、人工mRNAが異物ではなく自己のmRNAとして体内の細胞に取り込まれた場合、一体、何が起きるのでしょうか。

 

可能性としては、(1)人工mRNAもその翻訳により生じたスパイク蛋白質も共に自己成分とみなされる、(2)人工mRNAは自己成分と認識される一方で、生成されたスパイク蛋白質は異物とみなされる、という二つの反応が推測されます。(1)であれば、ワクチン効果は全く期待できないどころか、ウイルスに実際に感染した場合には、重症化のリスクが格段に高まります(免疫寛容も成立?)。もっとも、遺伝子ワクチンの効果に関する報告を観る限り、殆どの接種者にあって抗体の生成が確認されていますので、(2)となるケースが最も多いようにも思えます。

 

とは申しますものの、(2)であったとしても安心はできず、人工mRNAが自己成分と認識されている場合には、スパイク蛋白質に対しては異物として反応しても(ヘルパーT細胞⇒B細胞の活性化⇒抗体産生)、細胞内に居座ってしまった人工mRNAに対しては、キラーT細胞がスルーしてしまう可能性があります。この状態ですと、人工mRNAが侵入した細胞は、体内にあってスパイク蛋白質を造り続けてしまうかもしれません(もっとも、スパイク部分が形質として細胞表面に出現している場合は、抗体の攻撃対象となる?)。スパイク蛋白質はそれ自体が血栓を形成するなど有害であるとする説が有力ですので、この問題は深刻です。残された希望は、感染ストレスがかかってNKG2Dリガンドが発現した細胞を破壊するナチュラル・キラー細胞となりましょうが、最終的には自然免疫頼りというのも心もとありません。

 

政府は、若年層をはじめ12歳以下の子供たちや妊婦さんへの接種を積極的に呼びかけております。しかしながら、上述したように、修飾された人工mRNAの問題一つを取り上げましても、遺伝子ワクチンには不明な点が多すぎます(もちろん、副反応や有害事象のばらつきからすると、個人によって自他の識別や反応が違うとも考えられる…)。そしてmRNAの技術による説明は、むしろ、同ワクチンに対する懐疑心を強めてしまっているように思えるのです。


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混沌とする横浜市長選挙-選挙制度改革が必要では?

2021年08月20日 12時59分37秒 | 日本政治

 投票日を明後日の8月22日に控えた横浜市長選挙は、8人の立候補者が乱立したことにより、予測困難な状況にあるようです。新聞紙半面程の選挙公報に掲載された僅かな候補者情報では判断は難しく、迷いに迷っている横浜市民も少なくないはずです。もっとも、小此木八郎氏の立候補による菅政権に対する信任投票という意味合いに加え、林文子現市長が推進してきたカジノの是非が重要な争点となっていることは確かなことです。

 

 IR誘致に関する世論調査によりますと、凡そ7割の有権者が反対の意向を示しています。仮に、横浜市にあって住民投票を実施すれば、間違いなくIR構想は中止を余儀なくされたことでしょう。そして、今般の市長選挙もIRの是非が問われる争点選挙と化していますので、世論は明らかにIR反対である以上、IR推進の立場を表明している候補者の当選は相当に難しくなります。与党陣営にあって候補者を林氏一本に絞っていたならば、圧倒的な票差で野党側の候補者が当選する展開もあり得たことでしょう。

 

 ところが、今般の選挙にあって、与党側は小此木氏を立候補させています。しかも、カジノのみならずIRそのものにも誘致反対の立場というのですから、横浜市民も驚く意外な展開となったのです(林市長のIR誘致への転換は、背後に菅首相の意向があったと言われているにもかかわらず…)。もっとも、与党側が敢えて分裂選挙に臨んだのは、反カジノの世論を読んだ高等戦術であったとする見方も成り立ちましょう。野党側に流れ込むはずであった無党派層を含めた反カジノ票を、一部ではあれ、与党側に呼び込むことができ、野党側の候補者の当選を阻止することができるからです。

 

 しかも、野党側にあって複数の候補者が立候補すれば、それだけ、与党側の候補者が当選する可能性は格段に高まります。公職選挙法によれば、地方自治体の長を選出する選挙における法定得票数は、有効投票総数の4分の1、即ち、25%であるからです。有権者の20%から30%程度は存在するIR推進派の票が林市長に集中する一方で、反IR派の保守層の票が小此木氏に向かえば、どちらの候補者にも当選の可能性があります。法定得票数である25%は、逆風下にある林現市長でも、支持率の低下が下げ止まらない菅政権をバックとしている小此木候補でも、当選を果たすことができる数字なのです。即ち、何れにしましても、与党側は、横浜市長のポストを保持できます。これこそ、与党側が描いた最も望ましいシナリオなのでしょう。

 

 案の定、現実を見ますと、反カジノを訴える野党側の候補者は乱立しています。このことは、上述したようにカジノ推進派が結集する形で林市長が再選されるともなれば、多数派となる反カジノの世論とは逆の結果がもたらされる事態も否定はできません。争点選挙であったが故に、この皮肉な結果に多くの市民が落胆する、あるいは、憤慨することにもなりかねないのです。仮に、このような展開になりますと、今般の横浜市長選挙は、民主的制度が必ずしも民主主義を実現しない悪しき前例ともなりましょう(争点選挙にあって大多数が反対する政策を推進する候補者が、制度に援けられて当選してしまうという問題…)

 

 今後の行方は、投票並びに開票結果を待つしかありませんが、この問題、選挙制度の問題でもあるように思えます(小選挙区制でも同様の問題は起こり得る…)。何れの候補者の得票数共に25%に達しない場合に行われる再選挙に際しては、実のところ立候補に制限がなく、最初の選挙における全候補者の外にも新規に立候補することもできるそうです(因みに、フランスの大統領選挙にあっては、最初の投票にあって50%以上の得票数を獲得した候補者がいない場合、上位2名が決選投票を行う…)。このため、法定得票数となる25%以上の得票数を獲得する候補者が現れない限り、再選挙を繰り返すことも予測されます。今般の横浜市長選挙は、現行の制度に内在する欠陥を浮き彫りとしたのですから、より善き民主的選挙制度に向けて公職選挙法の改正こそ急ぐべきではないかと思うのです。


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ワクチン接種率の低い途上国でコロナ死が少ない不可思議

2021年08月19日 12時59分43秒 | 国際政治

 新型コロナウイルスには、その起源やワクチン効果を含めて多くの謎があります。先進諸国にあって3回目のブースターショットの実施が持ち上がった際に、WHOのテドロス事務局長は、途上国を差し置いて先進国が2度どころか3度目の接種を行うとはあまりにも利己的である、として批判していました。しかしながら、現実は、テドロス事務局長の認識とは大きく隔たっているようなのです。

 

 昨日の8月18日に、AFP通信社は、各国当局が公表したデータを基にして作成した新型コロナウイルスの感染状況を示す世界地図を公表しています。この地図を見ますと、奇妙な点に気付かされます。新型コロナウイルスとは、武漢を発祥の地として国境を越えて全世界に瞬く間に広がりパンデミック化しましたので、全世界の諸国が共に深刻なコロナ禍に苦しんでいるとするイメージがあります。しかしながら、同感染地図は、このイメージを覆しています。アフリカ諸国、並びに、中央アジアから中東当たりの諸国では、先進諸国と比較して死者数は極めて少ないのです。人口が2億を超え、世界第7位にしてアフリカ最大の人口大国であるナイジェリアでさえ、日本国内の死亡者数を下回っています。因みに、タリバンによる首都制圧が起きたアフガニスタンの映像を見ても、3密どころか大勢の市民達が狭い場所で密集していても誰一人としてマスクを着装しておりません(覆面をしているタリバンの兵士は見受けられますが…)。

 

 過去におけるSARSやMARSの記憶もあって浸透してきた’医療制度が未整備な途上国は感染症に対して脆弱である’とする一般的な先入観は、少なくとも新型コロナウイルスの感染状況を前にして打ち砕かれてしまっています。それでは、何故、途上国では、新型コロナウイルス感染症による死亡者数が少ないのでしょうか。

 

 第一に考えられるのは、アフリカ系の人々が有する遺伝子が、新型コロナウイルスに対する抵抗力をもたらしているというものです。アフリカ大陸に隣接する中近東の人々もアフリカ系の遺伝子を引き継いでいると推測されますので、抗新型コロナ体質は、DNAによって説明されるかもしれません。もっとも、アメリカにあっては、他の人種と比較してアフリカ系の人々の方が感染率、重症化率、並びに、死亡率が高いとする報告もありますので、DNA説には有力な反証も存在しています。

 

 第二に推測されるのが、気候説です。一般的に、風邪やインフルエンザといったウイルスは、冬場に猛威を振るうように、気温、並びに、湿度が高くなるほど感染率が低下する傾向にあります。熱帯、並びに亜熱帯地域に属する国の多いアフリカは同条件を満たしていますので、気候がこれらの諸国の低感染率に大きく寄与している可能性もありましょう。もっとも、中東諸国や中央アジア諸国の多くは乾燥地帯にありますので、同要件を全て満たしているわけではありませんが、夏場の気温の高さが感染拡大を抑えているのかもしれません。しかしながら、この説もまた、中南米諸国におけるコロナ死亡者数の多さを目の当たりにしますと、説得力を失ってしまいます。ブラジル、メキシコ、アルゼンチン、ペルーといいった諸国では、今なお、新型コロナウイルスによって多くの人々が亡くなるのみならず、ペルーではラムダ株といったより危険な変異種も出現しているからです。

 

 そして第3にあり得る要因は、食生活や生活習慣などの影響による免疫力の高さです。途上国の人々は、都会的な生活様式にあって、日常的に人工添加物も大量に摂取している先進国の人々よりも、あらゆるウイルスに対して免疫反応が優れているのかもしれません。その一方で、比較的高い免疫力を備えているとされてきたインドにあっても、同ウイルスは爆発的な感染拡大を見せましたので、同要因は、限定的であるとも考えられます。

 

 以上に幾つかの主要な要因を挙げてきましたが、日本人の感染率の低さについて指摘された’ファクターX’のように、実のところ、途上国における要因を特定することも難しいのかもしれません(’ファクターX’についても交差免疫説をはじめ所説があり、仮に、これが事実であれば、少なくとも従来株に対するワクチン接種の必要性は低かったのでは…)。複合的な要因かもしれないのですが、もう一つ、可能性を指摘し得るとすれば、それは、ワクチン接種にあるのかもしれません。例えば、多くの死者が報告されている中南米諸国を見ますと、少なくとも1回接種した人の割合は、アルゼンチン59.04%、ブラジル57.32%、メキシコ42.32%、ペルー40.32%であり、完了した人の割合は、チリ68.15%、コロンビア27.07%、ブラジル24.06%、メキシコ22.8%なそうです。

 

先進国に加え、比較的ワクチン接種率の高い諸国にあって感染拡大傾向が見られる点については、注意を要する必要があるように思えます。政府当局は、感染者の多くは未接種者であると力説しており、高接種率に安心して規制を緩和したためとも説明されはいるものの、アメリカやイスラエルにおいて報告されているように、「ブレークスルー感染」者は増加傾向にあります。しかも、新規感染者の大半がラムダ株に感染しているとなりますと、時間の経過によるワクチン効果の低下のみならず、従来株に対応して開発された現行のワクチンを接種した人々が変異株に対してより感染し易くなる現象、即ち、ADEが発生している可能性も否定はできないように思えます。日本国でも、一般国民に対するワクチン接種が始まった5月頃から超過死亡者数が増加しはじめた点も気になるところなのですが、感染拡大にも歯止めがかからなくなっております。

 

 ボスニアボスニア・ヘルツェゴビナのような例外はありますものの(人口100万に当たりの死亡率が世界第3位でありながら、接種完了率は僅か7.1%…)、新型コロナ感染状況世界地図が示す、ワクチンの接種率と死亡率との一般的な相関性をどのように理解すべきなのでしょうか。第3回の接種実施も検討されているようですが、この世界地図は、ワクチン接種のリスクとして読むべきように思えてならないのです。


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タリバンは国内組織なのか?-’内政問題’と’内政干渉’の境界線

2021年08月18日 12時25分51秒 | 国際政治

 今般、アフガニスタンで発生したタリバンによる首都カブールの制圧に対して、日本国を含む世界各国の反応は、一先ずはアフガニスタンの内政問題ということのようです。半ば当事国とも言えるアメリカにあっても、同国からの撤兵の理由が、’アメリカが多大なコストを負担してまで外国の問題には介入しない’ということなのですから、その基本的スタンスは、アフガニスタンのことはアフガニスタンに任せる、ということなのでしょう。

 

 2001年9月に発生した9.11事件、すなわち、アルカイダの犯行とされた同時多発テロに始まるアメリカとアフガニスタンとの関係は、同組織を擁護していた当時のタリバン政権に対する開戦という、究極の’内政干渉’とも言える形で始まっております。国際社会もまた、テロ組織による攻撃を国際法における正当なる戦争事由として認め、国連にあって軍事力の行使を認めるための安保理決議が採択されると共に、NATOもまた結成以来はじめて条約の第5条に規定されていた集団的自衛権の発動を決定したのです。当時、タリバンは、グローバルなイスラム原理主義ネットワークと繋がるその国際性ゆえに、他国からの’内政干渉’を招いたと言えましょう。

 

 その一方で、今般のタリバンの首都奪還に際し、アメリカは、上述したように、タリバン政権の誕生は国内問題として捉えています。9.11事件から20年の月日が経過し、もはやアメリカ本土にあってテロ組織からの攻撃を受ける怖れは殆ど消えていますので、タリバンは、アフガニスタン国内における反政府武装勢力の一つとして位置づけられているのです。平和的な解決が望まれるものの、国際社会では、国内の勢力が武力を以って国家権力を争うケースは内乱と見なされ、一先ずは、その国の内政問題として扱われるからです。内政問題とされた以上、国連といった国際組織も諸外国も、内乱に対して介入することは原則としてご法度となります(もっとも現実には、この原則はしばしば破られますが…)。

 

 タリバンに対する国際社会の認識は、20年前と今日とでは180度転換しているのですが、ここに、’タリバンとは、本当に純粋な国内勢力なのか’という問題が残ります。ISの活動にも見られるように、もとよりイスラム原理主義は国際ネットワークを形成しており、タリバンもその一翼を担っております。そのメンバーの多くは、アフガニスタンにあって多数派となるパシュトゥン人とされていますが、外国出身者も少なくないことでしょう。しかも、タリバンの思想的基盤はテオバンド派にあるとされています。同派は、インドがイギリス領であった19世紀に同国のウッタル・プラデーシュ州(テオバンド)に始まったスンナ派イスラム改革運動を起源としています。外来思想である共産主義を国家イデオロギーとする中国の体制と同様に、タリバンが依拠する思想にあっても外来性が認められるのです。

 

 こうした側面からしますと、タリバンを純粋に国内勢力と見なすのは難しくなるのですが、仮に、タリバンを’国際性を帯びた国内勢力’とする視点から見ますと、この問題は、アフガニスタンのみならず、日本国を含む全世界の諸国に対して、これまで意識の表面に上ることがなかった重大な問題を浮かび上がらせることになりましょう。それは、国内組織を装った海外勢力、あるいは、国際勢力による国権の掌握という問題です。表面に現れている姿が’国内組織’である限り、それが武力であれ、民主的選挙を経たものであれ、国際法に照らして侵略’認定を受けることもなく、国内問題として放置されてしまうことを意味するからです。

 

 この問題は、国際社会における間接侵略、あるいは、間接支配の黙認問題とも言えるのですが、果たして、こうした問題に対する解決策は存在するのでしょうか。少なくとも今般のタリバンによるカブール奪還の場合、これを平和を脅かす重大な国際問題と認定し、第二次アフガン戦争を闘うべきなのかと申しますと、早急には回答は出ないように思えます。民主的、かつ、平和的な手段としては、如何なる外部勢力のコントロール下に置かれていない真の国内組織を結成し、改めて国造りを行うことが最も望ましいのですが、このためには、国民に政治的自由が認められる必要がありましょう。

 

 何れにしましても、目下、急ぐべきは、タリバンという組織の背後関係の解明なのかもしれません。そして、タリバンの背後に蠢く関係諸国、並びに、そのさらに深奥に隠れている超国家・グローバル勢力の全貌の解明こそ、あらゆる諸国が直面している間接支配問題の解決に向けた基礎的作業となるのではないかと思うのです。


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アフガン情勢は冷静に深層の観察を

2021年08月17日 13時28分32秒 | 国際政治

 昨日、8月16日、アフガニスタンの首都カブールは、凡そ20年の時を経て再びイスラム過激派武装集団であるタリバンの手に落ちることとなりました。米軍の撤退と同時に起きたために、アメリカ政府は否定するものの、ベトナム戦争時におけるサイゴン陥落の再来とする見方もあります。カブール国際空港では、タリバンによる恐怖政治の再来から逃れるべく、国外脱出を目指す大勢の市民が殺到し、地獄絵と化したとも報じられております。

 

 7名の死者も報告されている同報に接し、さぞや悲痛な面持ちで人々が空港の滑走路に押し寄せているのであろうと想像したのですが、その様子を映した映像を見ますと、どこか違和感があるのです。何故かと申しますと、飛行機に伴走して走っている大勢の市民の中には、カメラに向かって大きく手を広げてアピールしている人の姿も見受けられるからです。仮に、命からがらタリバンから逃げようとしているならば、カメラなど目に入るはずもなく、必死の形相となるはずです。しかしながら、少なくとも同映像からは、危機に瀕しての緊張感、あるいは、臨場感というものが伝わってこないのです。

 

 もちろん、同動画が全てを語っているわけではなく、諦めの境地に達した人々の表情なのかもしれません。しかしながら、今般のタリバンの復活に関しては、その深層に迫る慎重な観察を要するように思えます。そもそも、タリバンという存在自体が、謎に包まれているからです。

 

 アフガニスタンにおけるイスラム系武装勢力の起源を遡りますと、1979年のソ連邦によるアフガン侵攻に際して結成され抗ソ組織にあります。その代表格がムジャヒディーンであり、アフガニスタンからのソ連軍の追放を目的としていたため、冷戦期にあってソ連邦と対峙していた米CIAからも軍事的な支援を受けたとされています。ソ連軍の撤退後は内乱状態となりますが、ムジャヒディーンの腐敗も追い風となって勢力を急速に拡大したのがパシュトゥン人を中心とするタリバンです。そして、タリバンを主軸とする政権が誕生すると、アフガニスタンの社会はテロリズムによってイスラム原理主義に染め上げられてしまうのです。

 

その後、アフガニスタンのタリバン政権は、恐怖政治を敷く中、かの9.11事件の首謀者とされたウサマ・ビンラーディンを匿ったことから、アメリカから宣戦布告を受け、アフガニスタン戦争を闘うこととなります。同戦争の敗戦により、同国では、比較的自由主義的なカルザイ政権が誕生しましたが、タリバンは完全には掃討されずに残存し、反政府組織として米軍、並びに、アフガニスタンの国軍との戦闘を繰り返し、今日の首都奪還に至るのです。

 

アレキサンダー大王の遠征の最東端こそ同地域でもあったのですが、アフガニスタンは、地政学的に大国、あるいは、国際勢力の思惑が交錯する地点にあります。このため、19世紀にあっては英露両勢力が‘グレート・ゲーム’の名の下で角逐し、君主制の時代から常に大国の干渉を受けてきました。かつて米国の支援を受けたタリバンもその一例と言えましょう。加えて、タリバンの背景には、隣国のパキスタンをはじめ、サウジアラビア、アラブ首長国連邦のみならず、ISといったイスラム原理主義勢力との繋がりも見えます。イスラム帝国の復興を夢見るイスラム原理主義はその思想において超国家性を有しますので、少なくない戦闘員もイスラム過激派国際ネットワークからリクルートされているのでしょう。そして、何よりも注目すべきは、タリバンこそ、アフガニスタンにおける麻薬栽培拡大の張本人である点です。ここに、国際麻薬ネットワークの存在、あるいは、麻薬利権の問題も垣間見えるのです。

 

以上に、簡単にアフガニスタン情勢について述べてきましたが、今般のタリバンの再登場につきましては、どこか不自然さが漂っております。ロシアや中国は、一早くタリバン政権に対して事実上の政府承認を与えておりますが、その一方で、民主党が政権の担うアメリカは(民主党政権の時代の方が戦争は多い…)、今のところ、アフガニスタンからの撤兵は正しい判断であったとする姿勢を崩しておりません。今後の展開につきましては正確に予測することは難しいのですが、おそらく、米軍撤兵見直しによる泥沼化、あるいは、完全撤兵による中ロ勢力(全体主義勢力)の拡大といったシナリオが想定されます。何れにしましても、デジャヴ感があることは否めません。歴史において、同じようなシナリオが手を変え品を変え繰り返されているように見えるのです。そうであるからこそ、今般のアフガニスタンにおける事変につきましては、近代以降の世界史の表裏を深く洞察しつつ、慎重なる見極めが必要なように思えるのです。


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ワクチン・リスクはQ&Aより自由な議論を

2021年08月16日 11時48分13秒 | 国際政治

 政府が推進しているワクチン接種をめぐりましては、アナフィラキシーといった即時的な副反応のみならず、遺伝子ワクチンに内在する中長期的ワクチン・リスクを警戒した慎重派も少なくありません。その一方で、政府やマスメディアは、ワクチンに対する国民の警戒心は’デマ’の流布が原因であるとして、リスク情報の火消しに躍起になっております。そして、その際に最も一般的に用いられているのが、Q&A方式による広報活動です。

 

 Q&A方式とは、予め質問とそれに対する回答文の全文を作成するという方法です。掲載される質問は、多くの人々が疑問を感じているものにコンパクトに集約されているため、不特定多数の人々を対象とした’疑問解消’の手段としては、最小公倍数的な効果があります。全てではないにせよ、誰もが、羅列されている何れかの質問を読めば、自らの疑問に対する回答を見つける、あるいは、少なくとも疑問の一つぐらいは解けることとなるからです。このため、同方式は、政府や地方自治体などの広報活動にあって多用されてきたのですが、殊、今日のワクチン・リスクのような問題領域にあっては、同方式のデメリットばかりが目立つように思えます。

 

 それでは、Q&A方式におけるデメリットとは、どのようなものなのでしょうか。同方式は、数ある疑問にあって多くの人々が共有するものに応えるというメリットがある一方で、Q&Aの作成者が、事前に質問を取捨選択してし得るという問題があります。商品の説明書に見られるような、実際のクレームや客観的な調査等の結果として関心性の高さが証明し得る場合には問題はないのですが、作成者が主観的、あるいは、恣意的に質問を選んでいる場合には、Q&Aは、多くの人々が懐いている真の疑問、あるいは、知りたいことに対しては決して答えてはくれないのです。

 

 このデメリットは、Q&Aにおける質疑応答文が、質問者ではなく、回答者の側が作成しているという事実に起因しています。回答者が造っているのですから、正確に答えることができない質問、あるいは、触れてほしくない質問を完全に排除したり、無視したりすることができるのです。Q&Aでは、’知りません’という回答はあり得ませんし、回答者が質問者の疑問を認めることで自己否定となるような回答もあり得ないのです。

 

この側面からワクチン・リスクに関するQ&Aを見ますと、質問の多くは、比較的簡単に否定できそうなものばかりが並んでいます。’体に磁石がくっつく’、’ワクチンにはマイクロチップが入っている’、’ワクチン接種者は5Gに接続される’といった、100%あり得ないとは言い切れないもの、都市伝説風で証明が困難なリスクが選ばれています(もっとも、将来的に事実であることが証明される可能背性はゼロではない…)。こうした質問であれば、多くの人々は、その回答に納得するかもしれません。もっとも、不妊リスクの質問については、医科学的根拠がないわけではりませんので、被害報告がないとして’デマ’として切り捨てるか、あるいは、ファイザー社の説明にもとづいて回答が作成されているようです。

 

何れにしましても、ワクチン・リスクに関するQ&Aは、’ワクチンは絶対に安全である’とする前提で作成されており、安全性を確信する方向に読者を誘導していると言えましょう。質問にあって指摘されているリスクは、回答を以って悉く否定されえるのですから。”ワクチン・リスクに対する一刀両断の明快なる回答”という称賛の声は、ワクチン推進派の’自画自賛’のようにも聞こえてくるのです。

 

Q&A方式は最小公倍数的なものでしかなく、しかも質問は、回答者側、すなわち、ワクチン推進派によって恣意的に事前選別されているとしますと、それは、その他の様々な疑問が、回答を得ることなく疑問のままに残されていることを意味します。否、Q&Aにおいて取り上げられなかった疑問点こそ、最も重要であるケースも少なくないのです。遺伝子ワクチンにつきましては、脂質ナノ粒子、人工mRNA、スパイク蛋白質、並びに、生成された抗体等の行方や作用に関する重大なる疑問があります。そして何にもまして、厚労省が発表したワクチン接種との関連性が疑われる919名の死亡者数、並びに、重篤者数3338名という数も、ワクチン・リスクの存在を語っているのです。

 

このように考えますと、ワクチン・リスクについては、Q&A方式ではなく、あらゆる疑問について自由闊達に議論し得る自由討論方式の方が相応しいと言えましょう。国民の多くが知りたいことは、Q&Aの枠外にあるのですから。政府やメディアが、リスクを巧妙に隠すことができるQ&A方式に頼ろうとする姿勢こそ、逆にワクチン・リスクを強く示唆しているように思えてならないのです。


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オリンピックから見える権威主義体制の造り方

2021年08月13日 11時46分36秒 | 国際政治

 先日、紆余曲折の末に開催された東京オリンピックが閉幕することとなりましたが、今般のオリンピック程、IOCが批判の矢面に立たされた大会はなかったかもしれません。その主たる原因は、華やかなスポーツの祭典の背後にあって蠢く巨額利権をめぐるダークな側面や特権意識が表面化したことにありましょう。オリンピック、あるいは、IOCに対する好感度も低下し、開催国である日本国内でも不満をもらす国民も少なくなかったのです。時差の問題もあり、アメリカでも視聴率が大幅に低下したそうですが、地盤の’揺らぎ’に危機感を覚えたのか、IOCは、権威主義体制強化の方向に動こうとしているようにも見えます。

 

 権威主義体制とは、人々がその心理において特定の対象に対して’権威’を認めることによって成立する体制です。何れの国にあっても’権威’というものは存在しますし、それを振りかざす側であれ、服従する側であれ、権威に頼ろうとする権威主義的な性格の人はおりますが、とりわけ国家といった公的な組織体にあって権威を体制維持の要とする形態は、権威主義体制とも呼ばれているのです。

 

 実を申しますと、権威主義体制にはそれを造り出すノウハウというものがあります。先ずもって重要となるのは、ある人物やタイトルなどを従うべき’権威’であると人々を信じ込ませることです。このために用いられる最も典型的な手法は、権威の演出です。これには、人々の崇敬の対象としての’権威’、並びに、権威演出を担う’実行部隊’の両者を要します。’実行部隊’とは、所謂’さくら’、あるいは、’おとり’というものであり、他の一般の人々を誘導する役割を担っているのです。例えば、ある’権威’とされる人物が登場した際に、予め配置された‘実行部隊’が一斉に歓喜の声を上げたり、ひれ伏したりしますと、周囲の人々も思わず釣られてしまいます。いわば、集団にあって働きがちな同調性を利用した誘導方法と言えましょう。そして、いつの間にか社会全体の上に絶対的な権威が君臨してしまい、同体制に疑問を抱いたり、権威主義に反対する人は白眼視されてしまうのです。

 

 同手法は、シェークスピアの『リチャード3世』には狡猾なリチャード3世が試みる場面が描かれており、程度の差こそあれ、古今東西を問わずに用いられてきた一般的な手法なのでしょう(現代であれば、社会・共産主義体制国家における’指導者礼賛’の演出が典型例…)。古典的な手法とは言え、今日には、マスメディアという強力な国民誘導装置が存在しておりますので、集団を対象とした心理操作は比較的容易に実行することができます。そして、今般の逆風下で開催された東京オリンピックでも、自らの権威付けに勤しむIOCの姿が垣間見られるのです。IOCは、オリンピック精神の普及、発展に貢献した人に贈られる功労章である「五輪オーダー」にあって最高位となる金章を、菅義偉首相、東京都の小池百合子知事、並びに、大会組織委員会の橋本聖子会長に授与したというのですから。特に同章の首相や都知事への授与は、従来の慣例から外れた特別なものなそうです。

 

 ここに、バッハIOC会長から菅首相や小池東京都知事が金章を恭しく授けられる構図が成立するのですが、この構図、授与する側、即ち、上位者はIOC側となりますので、IOCの博付けには好都合となります。IOCによる金章授与については、’コロナ禍にあって我慢を強いられた日本国民にこそ授与すべき’、あるいは、’日本国民を犠牲にしたご褒美’とする批判的な声もあったそうですが、そもそも、IOCとは、一国の首相に対して功労賞を授与するほどの’権威’なのか、という疑問こそ、呈されるべきなのかもしれません。IOCが、全世界の諸国を睥睨する国際レベルにおける’権威主義体制’の確立こそが、自らの生き残りの道であると信じているとしたら、それは時代錯誤のようにも思えます。

 

 権威主義体制とは人為的に造られるものであり、しかも、そのノウハウまで存在していることを知りますと、IOCの意図するところも見えてきます。そして、この権威主義体制の問題はIOCに限ったことではなく、中国や北朝鮮といった全体主義国のみならず、自由主義国にあっても他人事ではないのです。人々が自然な感情として抱く尊敬心から生じる権威こそ本物と言えるのでしょうが、体制維持を含めた自己保身、及び、優位感、名誉欲、支配欲、自己顕示欲、あるいは、私利(巨大な利権…)に基づく演出された権威については要注意と言えましょう。今日、人類は、今一度、’権威’というものを、冷めた目で見直してみるべきではないかと思うのです。


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遺伝子ワクチン動物実験の不可思議

2021年08月12日 11時22分00秒 | 国際政治

 先立って、河野太郎ワクチン接種推進担当相は、遺伝子ワクチンに関する様々なリスク情報に対してそれを全て否定する’デマ宣言’を行いました。否定されデマ情報の中には、「ワクチン接種された実験用のネズミが2年で全て死んだ」並びに、「ワクチン接種された実験用のネコが全て死亡した」というものがあります。これらの情報に対して、河野担当相は、「実験用のネズミの寿命がそもそも2年程度ですから、ワクチンを接種した人間が100年で全て死んだといっているのに等しいことになります」「ヒトに関する研究の前段階としての動物実験でネコは一般的に使われません」と切り返しています。

 

 また、最近では、小金井市の公式サイトに掲載されたQ&Aにあっても、「Q:ワクチン接種したネズミが2年で死んだと聞きました」という質問に対して「A:ネズミの寿命は2年です。」と回答されていたとして、その‘ばっさり’ぶりが報じられていました。同報道は、ワクチン接種推進の立場から書かれたものであり、一刀両断の回答を評価しての報道であったのですが、この‘デマ’とされる情報をめぐる質疑応答から、事実の一端が垣間見えるように思えるのです。

 

 河野担当相であれ、小金井市であれ、2年以内における全動物の死亡という情報に対して、それを否定するものです。前者は、ネズミの平均寿命、並びに、実験用の猫の不使用を以って否定し、後者は、ネズミの平均寿命のみによる反論です。使用された動物の種類については、マウス実験が最も一般的なのでしょうが、神経生理、神経学の実験などでは猫も使われることもあるそうですので、反論の根拠としては脆弱なのですが、少なくとも、否定側の両者、並びに、リスク情報を主張する側のどちらもが、ヒトに対して実用化する以前に’動物実験は行われた’ことを前提としております。

 

 しかしながら、新型コロナウイルスがパンデミック化し、中国の上海公衆衛生臨床センターによって全ゲノム配列が世界に向けて公開されたのは、2020年1月11日のことです(翌日、何故か、同センターは閉鎖に…)。この時点から、各国の製薬会社が新型コロナウイルス・ワクチンの開発を開始したことになりますので、実際に、ヒトに使用されるまでの期間は1年ほどしかありません。となりますと、少なくとも新型コロナウイルス・ワクチンについては、たとえ動物実験を行ったとしても、2年とされるネズミの一生にも満たない1年足らずの短期間であったこととなりましょう。

 

 リスク情報を’デマ’と断言する人々は、’新型コロナウイルス感染症の出現から1年しか経過していないのに、2年に及ぶ動物実験の結果を言い出すこと自体がデマの証拠’として、同情報を嘲笑していますが、実のところ、恐ろしいことに、このファクトチェックを意味する質疑応答は、むしろ、十分な動物実験が行われずして遺伝子ワクチンが実用化されてしまった実態を暴いているとも言えましょう(仮に、長期的な動物実験が行われていたとすれば、ワクチンを製造する製薬各社は、同ウイルスの出現を予め知っていたことにもなる…)。もっとも、’デマ’とされた情報の元となったのは、新型コロナウイルス・ワクチンそのものというよりも、mRNAワクチンという先端技術に関する動物実験であったのかもしれません(真偽は確認できないのですが、同情報は、米軍で生物兵器の研究に従事していた経験のあるリー・メリット博士が行ったSARS用のmRNAワクチン実験の結果に基づくとされており、使用されたフェレットや猫といった動物はADEの発生により全て死亡したという…)。

 

何れにしましても、新型コロナウイルス・ワクチンについては、発生からワクチンの実用化に至るまでの時間から見ましても十分な動物実験を経ていないのは確かなことであり、’治験中でない’と言い切る方がおかしいと言わざるを得ないのです。日本国政府を初め各国政府とも、長期的な視点から国民の命と健康を護るためにも、遺伝子ワクチンにつきましてはその未知のリスクをより重く見るべきではないかと思うのです。


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米軍の危機管理は大丈夫?―ワクチン接種の義務化問題

2021年08月11日 13時16分50秒 | アメリカ

 報道によりますと、アメリカでは、軍の将兵に対してワクチン接種が義務付けられるそうです。米軍のみならず、アメリカでは、連邦政府並びに地方自治体の公務員に対するワクチン接種を義務化する動きが広がっていますが、危機管理の側面からしますと米軍におけるワクチン接種の義務化には安全保障上のリスクが伴うように思えます。

 

 親中派と見られていたバイデン大統領は、就任直後からその態度を豹変させ、今では、対中強硬派の急先鋒の役割を担っています。米中対立は激しさを増す中、新型コロナウイルスの起源についても武漢ウイルス研究所流出説が信憑性を増しており、それが自然界の由来であれ、遺伝子操作の成果であれ、同ウイルスが生物兵器用に研究されてきた可能性も高まっています。言い換えますと、今日、新型コロナウイルス禍は、安全保障上の問題領域としても認識されるに至っているのです。

 

 仮に、新型コロナウイルスが生物兵器として性質を有しているとすれば、先ずもって、「コロナウイルス」という風邪の原因ともなるウイルスが選ばれた意味を考えてみる必要がありそうです。「コロナウイルス」は一本鎖のRNAウイルスですので、変異しやすいという特徴があります。今もって風邪に対するワクチンが存在していないように、そもそも、ワクチン開発が極めて難しい類のウイルスであると言えましょう。つまり、中国は、生物兵器の開発に際して、攻撃相手国が防御手段となるワクチンを開発するのが困難となるウイルスを敢えて選んでいるのです(因みに、同じくRNAウイルスの一種であるピコルナウイルス科に属し、風邪の原因ともなるライノウイルスは、100種類以上の株が存在するために、ワクチンの開発は絶望的とされている…)。

 

 もちろん、今般の遺伝子ワクチンの技術は、生物兵器による攻撃を想定して開発されたとされており、遺伝子の塩基配列を組み替えるだけで、様々なウイルスに対応できる迅速性と大量生産性を最大のメリットとしています。このため、変異が早い「コロナウイルス」への対応も想定はされていたのでしょうが、今般、デルタ株の出現はワクチン効果の低減を示しており、第3回目の接種も検討されています。つまり、現状のレベルでは、ワクチン接種は、「コロナウイルス」に対して十分な対応性を有していないようなのです。

 

 ワクチン効果に対する疑問に加えて、ワクチンの接種リスクは無視できないレベルにあります。接種時における副反応は若年層ほど強く、米軍の将兵の多くがこの層に属していることを考慮しますと、他の職業よりもリスクが高いことを意味します。しかも、CDCやイスラエル保健局によって既にワクチン接種との関係が認められている心筋炎や心膜炎を防ぐには、接種後の激しい運動の制限が奨励されているようですので、同副反応による直接的な健康被害のみならず、米軍全体の戦力にも影響を与えかねません。また、ADEといった中長期的な有害事象が発生した場合には、米軍が総崩れとなるシナリオもあり得ないことではないのです。ワクチン接種の義務化は、米軍にあって一人残らずワクチン・リスクが及ぶことを意味しますので、集団感染に負けずとも劣らない集団的な危険性が認められるのです(中国は、ワクチン生成抗体に反応性を有する毒物を散布する可能性も…)。さらに、ワクチン接種の拒否を理由とした将兵の退職の増加、並びに、志願者が激減する事態も想定され、米兵が数的に減少する可能性も指摘できるでしょう。

 

ワクチン・リスクが顕在化した場合、それによって高笑いするのは、孫氏の兵法に倣って’戦わずして勝つ’をモットーとしている中国、あるいは、その背後勢力ということになりましょう。自国が開発した新型コロナウイルスのパンデミック化によって、自ら手を下さなくとも’仮想敵国’が自滅してくれるのですから(相手国を追い込む高等戦術であるかもしない…)。日本国の自衛隊にあってもワクチン接種が進んでいるようですが、最悪の事態をも想定すべき危機管理の側面からしますと、接種の義務化は安全保障上の危機を招きかねないと思うのです。


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