万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

組織の集金システム化に用心を-日産のゴーン独裁体制化に学ぶ

2018年12月31日 16時08分19秒 | 日本政治
“失敗は成功のもと(Failure teaches success)”という諺は、失敗からその原因や教訓を学びとれば同じ失敗を繰り返すことはないと、人々に教えています。この諺で肝要なのは失敗の原因を的確に掴むことであり、原因の探索なくしては後の成功もあり得ません。2018年にも数々の耳目を驚かす事件が起きたのですが、こうした‘失敗’とも言える出来事であっても、目を逸らすことなくその原因を突き止めることができれば、再発防止のみならず、危険の事前回避や悪弊の改善に向けた出発点となるかもしれません。

 例えば、年末に至って‘ゴーン・ショック’とでも表現される大事件となったのが、日産のカルロス・ゴーン前会長の逮捕劇です。同容疑者は、レバノン人の両親の元でブラジルに生まれ、レバノンでイエズス会系の学校で中等教育を受け、高等教育過程では、パリの教育機関でエリート・コースを歩んでいます。ブラジル、レバノン並びにフランスの3国の国籍を有するとされる同容疑者は、日産、仏ルノー、三菱自動車の3社連合を束ねる要に位置しており、グローバリストの典型的な人物であっただけに、その衝撃も国境を越えて広がることとなったのです。そして、この‘失敗’の教訓の一つは(あくまでも多々ある教訓の内の1つ…)、組織とは、独裁化によって、いとも簡単に私的集金システム化してしまう点です。

 ゴーン容疑者による独裁化の手口としては、(1)人事権の掌握、(2)利益分配権の獲得、(3)決定プロセスのブラック・ボックス化、(4)制御・チェック機能の無効化、(5)私的コネクションの内部化(親族や知人の登用)(6)ライバル、抵抗者、反対者の排除、(7)自己神格化、(8)自己正当化のための詐術的テクニック、並びに、偽善的詭弁の駆使(9)責任転嫁、(10)自らの行動や個人情報の操作等を挙げることができます。実のところ、これらの手法は、ゴーン容疑者によって初めて考案されたというよりも、昔から存在している独裁化の手口であり、古今東西を問わず、国家レベルにおいても観察されています。今日の中国や北朝鮮の独裁体制は、まさにこれらの手法によって成立したと言っても過言ではありません。

一方、日本国に限って言えば、古来、聖徳太子による『十七条憲法』にも、その第一条として記されたように、調和を重んじ独裁者の出現を嫌う国柄であったため、日本国民の多くは、こうした独裁化が現実に存在するリスクを殆ど意識してきませんでした。ところが、今般のゴーン事件は、その巧妙な手口の詳細が明らかになるにつれ、独裁リスクに国民が漸く目覚めるきっかけになったとも言えるかもしれません。そして、この独裁リスクは、日産のみならず、日本国政府を含めてあらゆる組織に潜んでおり、否、過去においても国民には見えないところで存在していた可能性さえ認識されるに至っているように思えるのです。

 集権化を特徴とする独裁体制は常に私物化と背中合わせにあり、組織の私物化が起きますと、その組織に属する人々は、特定の個人に奉仕する、あるいは、‘搾取’される立場に陥ります。そして、一旦、同体制が固定化されますと、それを覆すことはなお一層難しくなります。日産の失敗を繰り返さないためには、あらゆる組織がこの事件を教訓とし、独裁への移行手口を熟知した上で、常にその兆候には警戒すべきではないかと思うのです。

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入管法改正と難民条約は無関係では?-政府の保護責任問題

2018年12月30日 12時34分25秒 | 日本政治
先日、新たな在留資格を設ける入管法が改正されたことで、特定技能1号、並びに、同2号の資格取得者に対する日本国の社会保障制度の適用問題が持ち上っております。この議論に際して、しばしばメディアに登場する意見は、日本国は、1982年に難民条約に加盟しているため、内外差別なく日本人と同等に扱うべき、とするものです。つまり、この見解に従いますと、社会保障制度における外国人に対する内国民待遇は、日本国の義務となります。

社会保障制度における外国人に対する待遇の問題は、今般、新設された在留資格のみに限らず、永住資格、特別永住資格、高度外国人材、特定技能外国人実習生、並びに、留学生等、全ての在留資格にも関わるのですが、少なくとも今般の入管法改正と難民条約は、以下の理由から、無関係なのではないかと思うのです。

 第1に、入管法の正式名称は「出入国管理及び難民認定法」であり、確かに‘難民’の二文字が見えます。しかしながら、日本国政府は、従来、難民認定には消極的であった経緯がある上に、今般の入管法改正の目的は、表向きであれ、国内の労働力不足を理由とした外国人労働者の受け入れ拡大です。つまり、新資格の認定者とは、政府が難民認定を受ける外国人ではなくあくまでも‘外国人労働者’なのです。しばしば、貧困等を理由に外国に移住する人々を‘経済難民’と呼ぶケースがありますが、こうした俗称は、国際法上の難民を意味するわけではありません。

 第2の理由は、難民とは、出身国の政府による保護を受けることができない人々である点です。難民条約とは、政府の保護対象から外され、さらには、迫害さえ受ける恐れがあり、常に危険に晒される身となった人々を救うために造られた人道法なのです。無保護状態にあるからこそ、同条約では、第24条において労働法制や社会保障に関して難民を内国民待遇するよう定めているのです。一方、入管法が対象としている‘外国人労働者’を始めとした在留外国人の人々は、国籍国政府の保護を受けています。今般の新資格に限っても、政府は、送り出し国との間で協定を締結すると報じられております。つまり、来日する‘外国人労働者’は、無保護状態にあるのではなく、自国民保護を意味する出身国の対人主権が及んでいるのです。

 第2に関連して第3に、経済的理由によって日本国に居住する在日外国人は、本国の社会保障制度に加入する資格をも有している点を挙げることができます。社会保障制度における外国人の二重資格問題は、しばしば‘二重払い’となるため外国人に不利な待遇として改善が求められてきましたが、その反面、受け入れ国となる先進国と送り出し国の立場にある途上国との間に経済格差が存在する場合には、移民受け入れが先進国側の社会保障負担を増加させる原因としても指摘されてきました。属人主義と属地主義が整理されずに混在しますと、‘二重払い’ではなく‘二重取り’や‘いいとこどり’あるいは‘フリーライド’もあり得るからです。出身国政府の保護対象から外された難民にはこのような問題は存在しませんが、経済的目的で来日した在留外国人に関しては、資格の二重問題が生じるのです。

 以上に難民条約が入管法と無関係な理由について述べてきましたが、社会保障制度とは、政府が運営の主体となりつつも、生涯において直面し得るリスクを低減させるために、国民自身が強く要望する形で設立された制度であり、その財源の主たる負担者も国民です。この側面は全ての諸国に共通しており、第一義的な個人に対する社会保障の責務は、国籍国の政府にあると考えられるのです。社会保障制度における外国人の加入や待遇を論じるに際してもこの面を無視することはできず、日本国政府には、送り出し国側の社会保障制度の仕組みや個々の来日外国人の資格状況を把握する必要があるはずです。少なくとも経済目的の来日であるならば、加入対象を厚生年金や労災保険といった就労を前提とした制度に絞るのも一案ではないかと思うのです(一方、国民年金、医療保険、介護保険、その他福祉給付政策等の国民向けの制度については、原則として出身国の政府が国民保護義務を果たす…)。また、社会保障制度に関する二重資格の問題は、日本国のみに限られていはいませんので、国際レベルでのルール作りも急務なのではないでしょうか。

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信頼の連鎖崩壊を怖れない韓国の不思議

2018年12月29日 12時38分19秒 | 国際政治
「摩擦激化」「感情対立に」=レーダー照射問題―韓国紙
 先日、日本海で発生した韓国海軍駆逐艦による海自哨戒機に対する火器管制レーダー照射事件は、日本国の防衛省が機内の緊迫した様子を伝える音声と共に一部始終を映す映像を公開したことにより、‘動かぬ証拠’が示されることとなりました。通常であれば、これを以って韓国側がレーダー照射の事実を認め、両国間の争いには終止符が打たれるはずでしたが、韓国側が「火器管制レーダーを照射したとの日本側の主張の客観的証拠と見ることは常識的に難しい」と反論したため、この期待は脆くも打ち砕かれてしまいました。

 レーダーは不可視であるためにそれ自体は映像として録画されてはいないものの、自衛隊機乗員の会話の内容から、韓国の駆逐艦がロックオンしたことは疑いなきことです。韓国側は同映像の公開を一方的な措置として批判していますが、自らに非がなければ、映像公開は‘韓国無罪’の証拠ともなり得るのですから、本来であれば歓迎すべきはずです。証拠の公開に憤ること自体が、韓国側が暗に照射の事実を認めたに等しく、韓国が全面的に否定しようとも、国際社会における印象は‘韓国有罪’に強く傾くこととなりましょう(レーダー探索の対象と説明されていた北朝鮮船舶も目視できる距離に映っているらしい…)。そして、それは、韓国と云う国は、‘誰もが確認し得る証拠を突きつけられても嘘を突き通す国’、とする悪しきイメージが国際社会で広まるリスクをも意味します。

 信頼性に関する国際的イメージの悪化はレーダー照射事件に留まらず、様々な場面において韓国を不利な立場に追い込むことでしょう。‘慰安婦問題’然り、‘徴用工問題’然りであり、従来、韓国が主張してきた‘被害の訴え’や‘日本軍残虐説’に対しても、疑いを抱く人々も増えるはずです。嘘を重ねることで当面の間は面子を保つことはできても、長期的に見ますと、韓国が失うものは計り知れません。否、今日まで積み上げてきた被害国としての虚構が連鎖的に崩壊しかねないからです。

もっとも、この展開は、日本国にとりましては望ましいことですし、ようやく‘事実が事実として認められる’チャンスともなります。人類にとりましても、嘘やプロパガンダがまかり通る世界からの決別をも意味することとなりましょう。そして、韓国が自らの信頼を取り戻すために残された道は、潔く‘嘘を嘘として認め’、過去の反省の下で自己改革に臨むしかないのです。

なお、横道にそれますが、韓国駆逐艦の艦名は『広開土大王』であり、4世紀における高句麗の王名であることは注目すべき点かもしれません。日本国内では、広開土王碑文で知られ、同石碑には、「そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯年(391年)に海を渡り百残・加羅・新羅を破り、臣民となしてしまった。」と解される一文も刻まれています。石碑自体は中国の吉林省で発見されましたが、高句麗とは、現在の中国北東部から北朝鮮にかけての地域にあった古代朝鮮王国の一つです。つまり、古代にあって倭国と高句麗が新羅・百済・加羅(朝鮮半島南部)の支配をめぐって干戈を交え、高句麗が勝利したことを記念して建立されたのが同碑なのです。同碑が記した古代の国際情勢を現代に移し替えますと、高句麗=北朝鮮・中国は、過去に新羅・百済=韓国を支配していたけれども、倭=日本・米国が統治権を及ぼすようになったので、高句麗=北朝鮮・中国が戦争に訴えて奪い返した、という構図になります。

仮に、韓国側が古代における日本国と高句麗との戦争に因んで同艦の名称を付けたとしますと、そこには、中国・北朝鮮主導による朝鮮半島の統一と対日勝利の願望、並びに、日米勢力から半島南部の統治権を奪い返したいという中国・北朝鮮側に与した韓国側の期待があったと言わざるを得ないのです。もっとも、広開土王その人のその後はようとして知れず、歴史の闇に消えてしまうのですが…。

レーダー照射事件における韓国駆逐艦が、奇しくも因縁の‘広開土王’の名であったことは、韓国の対日基本方針が反日、あるいは、敵視であることを裏付けてしまったようにも思えるのです。

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GAFA情報独占・寡占問題-日本国ではLINEが問題になるのでは?

2018年12月28日 11時02分29秒 | 日本政治
‘独占’が‘支配’と結びつきやすい傾向にあることは、今も昔も変わりはありません。古代にあっても、生命の維持に不可欠となる食糧が、特定の個人や少数の人々によって独占されてしまう場合、その配分権は、他の人々をコントロールする支配権として働いたことでしょう。インターネットの普及した今日にあって、目下、独占が支配リスクとして認識されているのは、情報の独占・寡占問題です。

 情報の独占が国民支配に直結している最たる事例は現在の中国であり、最先端の情報通信技術が駆使され、中国国民は凡そ24時間の監視体制下に置かれています。24時間の監視は刑務所の受刑者に等しく、さながらアジアに巨大な‘監獄大陸’出現したかのようです。こうした悪しき事例は、情報の独占・寡占に対する警戒心を否が応でも高めており、自由主義諸国にあっても、プラットフォーマーとして情報を独占できる立場にある大手IT企業に対する風当たりが強まっております。EUレベルでは既に立法措置が採られていますが、遅ればせながら日本国政府も独占禁止法を以って規制する方針を固め、先日、政府案も公表されました。

 ところで、一連の巨大IT企業規制の動きにおいて不可思議なのは、規制のターゲットとしてメディア等でその名が挙がるのは、常にGAFA、即ち、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン・ドット・コムの4社である点です。ところが、日本国内において日本国民の個人情報を収集できる立場にあるIT大手は、同4社に限られているわけではありません。特に一般社会におけるコミュニケーション空間に存在するSNSの領域では、メッセージ・アプリとしてLINEを使用している国民が少なくなくありません。事業範囲も拡大傾向にあり、最近では、大手邦銀のみずほ銀行と共同で「LINE銀行」を設立し、残高・出入金明細等を照会できるサービス事業を始めており、国民の資産等に関する情報も入手できる立場となりました。また、携帯端末を製造・販売するアップル社が問題となるならば、当然に、日本国内でスマートフォン端末を販売しているファウエイ等の中国IT大手も規制対象となって然るべきです。

 EUが先陣を切って規制に動いたのは、IT大手の大半がアメリカ企業、即ち、外国の企業であった点が指摘されています。言い換えますと、海外企業に自国の情報・通信分野を牛耳られてしまいますと、有形無形の外部からの‘支配’を受けるリスクがあるからです。いわば、安全保障、並びに、国民保護におけるリスク管理の側面もあるのですが、少なくとも、LINEや中国IT大手は、日本国政府にとりまして、GAFA以上に警戒すべき対象となるはずです。LINEは、韓国情報院と関係が深い韓国企業の子会社ですし、中国メーカーに至っては、2017年6月28日に成立した「国民情報法」によって、政府の情報機関に協力する義務を負っているのですから。

アメリカによるファウエイ排除の理由が端的に語るように、中国IT大手のリスクにつきましては既に誰もが知るところとなりました。韓国につきましても、先日の自衛隊機に対するレーダー照射事件は、同国が日本国を‘仮想敵国’と見なしている現状を示しています。言い換えますと、中韓両国は、収集した情報を‘日本国支配’に活用するリスクの高いと言わざるを得ないのです。この点に注目すれば、日本国は、両国の企業に対して自らに関する情報を流出させてはならないはずなのです。なお、アメリカは直接的な同盟国ですので、安全保障を基準に評価すれば、日本国にとりましてはGAFAの方がまだ‘まし’であるかもしれません。

中国では政府自身が独占者ですので国内問題となるのですが、自由主義諸国にとりましては、IT大手の大半が海外企業である故に、情報の独占・寡占問題は、即、外部者による‘支配’の問題と直結します。情報の独占・寡占は、純粋に経済面における競争の消滅や阻害といったマイナス作用に加えて、‘情報が世界を制する’と称されるように、政治、さらには、軍事面にまでにリスクが及びかねないのです。これらの点を考慮しますと、日本国政府は、外国企業への規制のみならず、自国企業や自国民に対しては、国民が安心して利用できるメッセージ・アプリ事業等の起業を奨励すべきなのではないでしょうか。

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‘世界の警察官’なき世界の行方

2018年12月27日 14時42分48秒 | 国際政治
トランプ氏、イラク電撃訪問 「米国は世界の警官続けられない」
2013年9月10、オバマ前大統領は、シリア内戦に関連して‘世界の警察官’の役割を放棄する旨を表明し、国際社会に衝撃が走ることとなりました。この時から5年余りを経た今日、トランプ大統領もまた、シリアからの米軍撤退に関連して‘世界の警察官’を続けることはできないと宣言しています。オバマ前大統領の外交路線を否定していたものの、‘世界の警察官辞任方針’だけは継承するようです。

 第二次世界大戦後の国際秩序を担ってきたのが‘世界の警察官’のリーダー格であったアメリカなだけに、その不在は国際社会に深刻な影響を与えざるを得ません。一般社会にあっても、警察がいなくなれば犯罪者の取り締りができなくなるのですから、一般の善良な人々が邪悪な人々の餌食となります。国際社会にあっても、‘世界の警察官’が消えてしまうと、軍事力に劣る諸国は、覇権主義の野望を抱く軍事大国によって支配されるリスクが格段に高まります。それでは、‘世界の警察官’なき世界は、どのような状態に至るのでしょうか。

 第一に懸念すべきは、アメリカの‘世界の警察官’辞任と同時に、国連もまた機能不全に陥る点です。国連の制度は、第二次世界大戦における連合国戦勝5ヶ国、即ち、‘5人の警察官’を前提として設計されています。発足とほぼ同時にロシアと中国は‘警察官’の役職は名ばかりとなりましたので、今般のアメリカ役割放棄は、いわば国連の致命傷となりかねないのです。あるいは、アメリカの辞任をチャンスとばかりに、ロシアと中国が‘世界の警察官’への復帰を宣言するかもしれませんが、この展開は、暴力団が警察の職務を引き受けるようなもので全く以ってナンセンスです(自らの犯罪は決して取り締まらない…)。

 国連における‘世界の警察官’の役割が5大国に特権を与えているとしますと、警察の職を降りることは、同時にこれらの特権を返上することを意味します。国連安保理での事実上の拒否権に加え、NPT(核拡散防止条約)上の核保有国としての特権をも失うことになりましょう。義務を果たさない、あるいは、果たせないのであるならば、特権を認める根拠も失われるからです。一般の人々が銃刀法によって武器や凶器の保持が禁じられている中(もっとも、自衛の必要性が高いアメリカでは銃保有は合法ですが…)、警察のみが拳銃の保有が許されるのも、それが人々の生命、身体、財産等を護るために治安維持の役割―正義を実現するための力の行使―を担ってこそなのです。

 そして、仮に、警察官が不在となりますと、これまでその保護を受けてきた人々は、邪悪な犯罪者がのさばる無秩序な状態に放り出されることとなります。国際社会に置き換えますと、全世界はまさに‘弱肉強食’がまかり通り野蛮な時代に逆戻りするのですが、こうした状況に対して考えられる対策は、各国とも軍事力を増強し、自国の防衛に努めることです。国際法上の核保有国の特権が消滅すれば、全ての諸国には、自衛を目的とした核武装の道も開かれましょう。また、単独防衛のみならず、各国とも、同盟政策に積極的に取り組むかもしれませんし、暴力主義的な国家に対しては、経済制裁をも躊躇なく発動するかもしれません。

なお、‘世界の警察官’の不在が人類が構築してきた公共財としての国際法の消滅とは同義ではなく、執行機関の不在のみを意味するならば、自衛力の強化とは、各国が個別に国際法の執行者となることに他なりません。暴力を厭う文明国であるならば、‘世界の警察官’なき後も国際法は存続しているとする立場に立つことでしょう。

 トランプ大統領の口調には、“‘世界の警察官’を引き受けたいけれども、できない”というニュアンスも感じ取れます。仮に、大統領選挙中の遊説の際に主張していた財政負担が原因であるならば、各国が、予算不足のアメリカに対して相応の‘報酬’を支払うと云う解決方法もあり得ます。あるいは、国連の枠組みを超えて、国際法の執行機関として、日米を含む複数国による新たな‘世界の警察隊’を結成することも、対処方法の一つです。何れにしましても、警察官が不在の世界では暴力が解き放たれ、何れの国も利己的他害性を有する国から侵害される脅威に晒されるのですから、日本国政府も、‘世界の警察官’なき世界への対応を急ぐべきではないかと思うのです。

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グローバリズムは中小国に不利-‘規模の経済’問題

2018年12月26日 14時21分25秒 | 国際政治
 フランスでは、大革命の申し子とも評されたマクロン大統領に対する大規模な抗議デモが発生し、‘革命’に対する‘革命’という奇妙な構図が出現しています。いわば、フランス革命の欺瞞を今日の‘革命’が暴いているとも言えるのですが、‘近代市民革命’と総称される18世紀に始まる過去を遺物として否定するリベラルな革命がグローバリズムの源流である点に注目しますと、どこに‘誤魔化し’があったのか、おぼろげながら見えてくるようにも思えます。

 市民革命の特徴とは、新興ブルジョワジー、即ち、産業革命の波に乗るかのように台頭してきた金融・商工業者層の要望を受ける形で実現したところにあります。フランス革命には、重税や貧困に喘ぐ怒れる農民や都市下層民が決起してアンシャン・レジーム(旧体制)を崩壊に導いたイメージが染みついていますが、この運動を秘かに組織化し、資金を提供したのは前者であったそうです。ごく少数の経済寡占勢力が計画し、現状に不満を抱く貧困層を焚きつけて実行させるパターンは、ロシア革命といった共産主義革命にも共通しています。

 大航海時代とは、新航路の発見を機に全世界が通商関係を介して線的に繋がり、さらに、面的な支配にまで及ぶに至った時代でもあります。この時代、東インド会社に象徴される金融・産業界が切望したのは、自由な活動を阻害する国境の排除でした。世界が国境で細分化されていたのでは、自らの活動の場となる工業製品の原材料の供給地や市場を広げることができないからです。言い換えますと、‘近代市民革命’とは、愛国心を煽りながらも‘国民’には関心はなく(実行部隊としての利用価値は認めている…)、その眼差しはその先の世界に向けられていたことになります。そして、この側面こそ、グローバリズムの源泉とされる所以なのです。

 ‘近代市民革命’のさらに源流には古代から連綿と続く、ユダヤ商人やイスラム商人といった、古代文明発祥の地でもある中近東地域出身の商人層の活動があるのでしょうが、ヨーロッパ文明が培ってきた知力、組織力、そして近代以降の科学力等と結びつき、抜きんでた軍事力を備えるに至った西欧列強と称される一群の諸国は、経済寡占勢力のバックの下で全世界において権益獲得に乗り出すのです。世界史の教科書では、国家を登場人物とする表に見える動きしか記述していませんが、その背後には、超国家的な経済寡占勢力の思惑が隠されていたことは想像に難くありません。今日のグローバリズムとは、国家の影に身を隠してきた背後勢力が遂に表舞台に登場したに過ぎないかもしれないのです。

 前置きが長くなりましたが、グローバリズムが志向する非境界性は、個人間において‘格差’をもたらす作用の元凶となります。何故ならば、国境の除去とは、市場規模の拡大に他ならず、広域化された市場において最も有利となるのは、それが規模における変化である以上、規模に優る者が勝者となる可能性が極めて高いからです。

例えば、全世界が、A国、B国、C国の3つの国に分かれてり、市場も国境線に沿って分割されているケースを想定してみることにします。この3つの国には人口規模に違いがあり、A国が人口10億、B国が1億、C国が500万人とします。A国の企業群は、人口規模に比例して資金力からして巨大であり、B国やC国の企業とは比較にならない程の規模を誇っています。さて、この状態で、B国とC国の政府が、グローバリズムを歓迎して自国の市場を開放すれば、どのような事態が発生するでしょうか。市場開放にも様々なレベルがありますが、サービス自由化の一環として企業進出にも門戸が開かれるとしますと、まず初めに、C国市場に規模に優るA国とB国に企業が進出してきます。C国の企業は、競争に敗北して市場から撤退するか、B国の企業と組んでA国に対抗するか、A国企業に買収されて消滅するか、の何れかの道しか残されなくなります。第2の道を選択したとしても、それは、B国とC国を合算しても人口規模はA国に適いませんので、一時的な効果しか期待できません。最終的には、C企業の消滅かA企業への吸収となるのですが、この運命は、やがてB国の企業にも及ぶのです。もっとも、A国企業に対して超国家的な経済寡占勢力が融資を行っているとしますと、‘独り勝ち’したのはA国の巨大企業ではなく、同勢力となりましょう。今度は、国家ではなく、巨大企業の背景に同勢力は隠れているのかもしれません。

古典的な比較優位論は、自由化に伴うこうした独占・寡占現象については何も語っていません(自由貿易論の根拠となる二国二財モデル等では企業活動の広域化を想定していない…)。現実には、人口規模のみならず、知的財産、天然資源、国民の教育レベル、物価や賃金水準なども影響しますが、人口規模のみを基準とした単純なこのモデルが示唆するのは、中小国がグローバリズムを標榜することは、勝てない戦に自ら身を投じるに等しいということです。グローバル市場とは、規模の拡大を伴う限り、中小国にとりましては極めて不利なフィールドなのです。この認識なくして自国の市場を開放しますと、日本国を含む中小諸国には、大国巨大企業群による自国経済の事実上の‘植民地化’という受け入れがたい事態が待ち受けることになるのではないでしょうか(その背後に政府や経済寡占勢力が潜んでいればなおさら過酷な‘植民地支配’に…)。この点を考慮しますと、国際社会が取り組むべき課題は、国際レベルでの競争政策の強化、即ち、最低限、全ての諸国の国内経済や国民生活が安定化し、かつ、全面的な企業淘汰が防がれる程度に市場、あるいは、企業の細分化を促す、大胆な方向転換なのではないかと思うのです。

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日本国も北朝鮮に対して賠償請求を-拉致事件でも対北訴訟を

2018年12月25日 13時29分38秒 | 日本政治
米地裁、北に5百億円賠償命令 米国人大学生死亡で
報道に拠りますと、北朝鮮を旅行中に拘束されたアメリカ人大学生オットー・ワームビア氏が脳死状態で帰国し、その後に死亡した件について、米連邦地裁は、遺族側の主張を認め、北朝鮮に対して550億円の賠償を命じる判決を下したそうです。‘北朝鮮は拷問や人質誘拐、司法を逸脱した殺害に法的責任がある’として。

 賠償額が550億円という破格の額になったのは、地裁判事曰く、北朝鮮に対して二度と同様の行為をさせないための懲罰的な意味が込められているそうです。非人道的な行為を繰り返してきた北朝鮮に対するアメリカ司法の断固たる断罪の意志が感じられるのですが、このアメリカの対応と比較して、日本国の対応はあまりにも甘いように思えます。拉致被害者の帰国に際しても対応も、基本的なスタンスが、‘北朝鮮に帰していただいた’なのですから。

 2002年の小泉首相による電撃訪朝に際し、当時、北朝鮮のトップであった金正日委員長は、拉致事件は北朝鮮の犯行であった事実を公式に認めております。この時点で、北朝鮮は自ら犯罪を自白したことになるのですから、当然に、被害者に対する賠償は日朝間の交渉議題に上げるべきでした。ところが、水面下で行われた日朝交渉の結果と言えば、拉致事件の再発防止に関する条項は設けたものの、日本国による朝鮮統治を‘植民地支配’と明記し、‘朝鮮の人々に多大な損害と苦痛を与えた’として、日本国側が北朝鮮に対する経済支援を約する日朝平壌宣言が公表されるという結果に終わったのです。結局、被害者に対する事実上の救済は、日本国が制定した拉致被害者支援法を以って行われ、北朝鮮は、何一つ被害者に対して賠償をするどころか、戦前の朝鮮支配を理由に日本国から資金を引き出すことに成功しているのです(加えて、拉致被害者の帰国には、北朝鮮に対して非公式ながら巨額の‘身代金’が支払われたとする情報もある…)。この一連の流れは、罰を受けるべき犯罪者が放免されるどころか、結果的には利益まで得ているのですから、普遍的な倫理に反する不正義としか言いようがないのです。

 拉致事件を、筋を通した形で解決しようとするならば、日本国もまた、北朝鮮を被告として損害賠償の支払いを求める裁判を起こすべきなのではないでしょうか。たとえ日本国政府が動かないとしても、上記のアメリカの例に倣えば、帰国された拉致被害者本人の方々に限らず、北朝鮮が調査の結果として‘死亡’を告げた被害者の家族の方々も原告となり得る立場にあります。突然に強制的に北朝鮮に連れ去られた上に、過酷な生活を強いられ、死に至ったのですから、北朝鮮によって殺害されたも同然です。もっとも、拉致被害者の家族の方々の心情からしますと、北朝鮮の報告通りに家族の死を受け入れることにもなりますので抵抗感はありましょうが、その賠償額がアメリカの地裁並みに巨額ともなりますと、あるいは、死亡説を翻して生存説に転じるかもしれません。

国内裁判所による外国政府や外国法人等に対する賠償命令は、先日、韓国の最高裁判所による所謂‘徴用工判決’の如く国内においてしか効力がない、とする反対論もありましょうが、国際社会の司法システム全体を見ますと、国内裁判を‘一審’に喩えれば、国際裁判や仲裁は‘最終審’と見立てることができます。同システムに基づけば、日本国政府には、韓国を相手取って国際裁判や仲裁に持ち込む選択肢があります。拉致事件に関しても、日本の国内裁判所で北朝鮮に有罪判決が下れば、まずは、北朝鮮は、賠償金を支払う義務を負うこととなりましょう。そして、北朝鮮側が賠償金の支払いを拒否した場合、日本国は、北朝鮮の日本国内にある資産を差し押させることができる一方で(経営危機に際して日本国の公金が投入された朝銀など…)、徴用工裁判’における日本国の立場となる北朝鮮が、たとえ日本国による資産差し押さえを不服として’上級審’である国際裁判や仲裁に訴えたとしても、拉致事件を認めた以上、北朝鮮には勝ち目はないはずなのです(一方、‘徴用工判決’では、韓国に勝ち目がない…)。

何れにしましても、少なくとも、拉致被害者本人の方々には北朝鮮に対して賠償を求める権利がありますし、日本国もまた、国際レベルであれ、国内レベルであれ、訴訟という司法手段をより効果的に使うべきなのではないでしょうか。正義の実現こそ、司法の最も基本的な役割なのですから。

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言い訳するほど真実を語る韓国?-海自哨戒機レーダー照射事件

2018年12月24日 11時21分21秒 | 国際政治
先日、日本海の大和堆において、日本国の海上自衛隊のP1哨戒機に韓国海軍駆逐艦が火器管制レーダーを照射するという事件が発生しました。日本国側の抗議と非難に対して、韓国政府は、様々な理由を並べて必死に自国の行為を正当化しようとしておりますが、言い訳を繰り返す程に、自ら真実を語ってしまっているようにも思えます。

 最初の一報として報じられた韓国側の言い訳とは、韓国海軍の同地域での活動は、遭難中の北朝鮮漁民の救助であったと言うものです。韓国政府は、収容した北朝鮮漁民の遺体を北朝鮮側に引き渡したとも発表しましたが、同説明に対しては、即、日本国内では、軍隊が漁船の遭難活動を行うはずがないとする反論の声が湧き、誰もが‘嘘’であると確信することとなりました。日本海岸には相当数の北朝鮮の遭難船が流れ着いていますが、韓国海軍が積極的に救助活動を行っていた形跡は殆どありません。

その後、韓国政府は、日本側の強い反発に動揺したのか、レーダー照射の理由について、レーダーを用いた遭難活動であった点を強調しています。この言い訳も、レーダーの周波数は目的や対象によって違うので、火器管制レーダーを用いた遭難救助活動などはあり得ず、しかも、海自の哨戒機に対する照射は数分間続いたそうです。つまり、韓国側は事件の経緯を詳述したことで、かえってその言い分が科学的に否定される結果となったのです。

かくして韓国側の説明は日本国側の反証により悉く覆されるのですが、そこで、自己弁護路線を諦めたのか、韓国側は、今度は論点をずらす方向に転じます。すなわち、日本国側に責任を押し付けるべく、海自挑発論を主張するようになるのです。韓国は、自らを擁護するために常々‘被害者’を装う傾向にあり、今般の事件でも、この常套手段が使われたことになります。しかしながら、事件の現場となった大和堆は日本国のEEZ内にありますので、韓国海軍の航行が警戒されるのは当然ですので(韓国海軍は日本国側に対して事前に遭難活動を通知したのでしょうか…)、被害者論もやはり成り立ちません。

そもそも、この海域で韓国海軍が活動していること自体が極めて不自然であり、不審な行動でもあります。韓国側の言い分を鵜呑みにすれば、大和堆で不法操業中に遭難した北朝鮮漁船は、本国ではなく、韓国当局、あるいは、韓国海軍に対して救助を要請したことになりますし、韓国側も、北朝鮮政府に替って北朝鮮漁船に対して捜索・救助という行政権を行使していることになります(同海域では日本国の海保も活動しているはず…)。しかも、北朝鮮漁船の大和堆での漁労は不法ですので、韓国側は、北朝鮮漁船の密漁を手助けしていることにもなるのです。

そこで、こうした一連の韓国側の辻褄の合わない言い分から見えてくるのは、同事件と北朝鮮との関わりです。既にネット上では、韓国海軍は、北朝鮮の‘背取’に協力していたのではないか、とする説も上がっています。仮に、北朝鮮籍の船舶を‘サポート’、あるいは、‘護衛’したとすれば、それは、別の目的であったと考えざるを得ないのです。遭難したとされる北朝鮮の‘漁船’とは、あるいは、禁輸逃れ目的の‘背取船’、もしくは、何らかの軍事的目的で活動中の北朝鮮公船であったかもしれませんし、遭難そのものが作り話であり、同海域においては、韓国海軍が常時北朝鮮船舶や潜水艦等の海洋活動を援護している可能性さえあるのです。そして、日本国の海自がこの海域で活動している理由も、制裁逃れを試みる、あるいは、日本国に何らかの軍事活動や工作を仕掛けようとする北朝鮮の動きを空海から監視、あるいは、封じるためであるかもしれないのです(同海域では、北朝鮮のみならず、韓国自身も日本国に対して何らかの敵対行動をとっている可能性も…)。

 北朝鮮のために韓国海軍が活動しているとなりますと、それは、既に韓国と北朝鮮は軍事的に一体化していることを意味します。両国の仮想敵国は、日本国であり、そして、アメリカなのでしょう。上述した日本国への責任転嫁論も、裏を返せば、韓国が日本国を敵視している証でもあります。韓国と北朝鮮両国の背後には中国が控えているでしょうから、米中対立は、日本海海上において先鋭化してきているとも言えるのです。このように考えますと、今般の照射事件は、朝鮮半島全域が、南北揃って中国陣営に与したことを浮き彫りにしたのではないでしょうか。

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プーチン大統領の発言と世界支配の野望

2018年12月23日 12時50分00秒 | 国際政治
‘世界支配’や‘世界征服’といった大仰な言葉は、日本国内では、どこかSF染みていて現実離れした響きがします。迂闊に使うと嘲笑されそうですし、メディアでもめったには見ないのですが、昨日12月12日付の日経新聞の朝刊の紙面において、珍しくもこの言葉を見つけることができました。ロシアのプーチン大統領の発言として。

 どのような場面で‘世界支配’が登場したのかと申しますと、それは、ロシアでは毎年末恒例の行事として行われている記者会見での席であったそうです。記者側の‘世界を支配したいか’という質問に対して、プーチン大統領はあっさりと‘もちろんだ’と答えています。仮に日本の政治家が同様の返答をしたとしますと、蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、首相であろうと誰であろうと辞任に追い込まれたに違いありません。

そして、この‘世界支配’に関連して述べた言葉こそ、今日の国際社会において重要な意味を持ちます。プーチン大統領は、「(世界支配をたくらむ)本部がどこにあるのかは知っている。モスクワではない」とも語ったからです。これ以上は詳らかとはしなかったそうですが、この発言、どのように解釈すべきなのでしょうか。

同発言の前後関係から見ますと、ロシアを上回るアメリカの軍事支出に対する批判とも受け止められます。暗にアメリカを指弾したとも解され、‘ロシアも世界を支配したいけれども、軍事力に優るアメリカこそ世界支配を目指す諜報人’であり、‘本部は、アメリカのワシントンD.C’.ということになります。しかしながら、仮に、世界支配を企んでいるのが国家であるならば、本部という言い方よりも国名の方が適していますし、トランプ大統領も、軍事支出の削減に邁進中であり、シリアからの米軍撤退を表明している時期に敢えて対米批判を匂わす必要もないはずです。

それでは、プーチン大統領は、どのような意味で世界支配の本部はモスクワではないと語ったのでしょうか。第2に推測されるのが、‘モスクワは本部ではないけれども、支部ではある’という解釈です。この解釈では、プーチン大統領も、世界支配の実行主体である組織の一員であり、ロシアは、世界支配という共通の目的のために、本部からの指令に従って支部として活動していることとなります。

加えて第3の解釈は、‘ロシアは世界支配を目指しているけれども、実際にそれを実行しているのは、ロシア以外の国に本部を設置している別の超国家的な陰謀組織である’とするものです。この解釈では、陰謀のリーク的な発言となるのですが、‘知っている’といった同大統領の思わせぶりな表現からしますと、あるいは、ロシアは既に世界支配の陰謀を裏付ける証拠を手にしており、それを材料にして、陰謀組織に対して揺さぶりをかけているのかもしれません。KGB出身のプーチン大統領ならではの情報戦の可能性もないわけではないのです。

 第2と第3の解釈では、‘本部’の候補地としては、ロンドン、パリ、フランクフルト、アムステルダム、ジュネーヴ、ニューヨーク、ヴァチカン、北京、上海といった都市を挙げることができますが、何れにしましても、プーチン大統領の意味深長な‘世界支配’発言は、陰謀と言うものを抜きにしては世界史も、そして、今日の内外情勢をも正確には理解することが難しくなった現状をよく表しています。そして、日本国が、東京裁判において世界支配の陰謀の廉で断罪された歴史を思い起こしますと、なおさらもって唖然とさせられるのです。世界支配の陰謀は、れっきとした国際法に反する重罪のはずなのですから。

 東京裁判で責任者が有罪判決を受けた日本国では、それ故に、世界支配の陰謀は存在しないと思い込みがちですが、プーチン大統領の発言は、このナイーブな日本国民の目を覚まされることになったのではないでしょうか。現実の世界では‘世界支配’の野望が渦巻き、その実現に向けて着実に次の一手が打たれている以上、やはり、警戒したに越したことはないのではないかと思うのです。

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多重人格者を生み出すグローバリズム?-移民問題が引き裂く心

2018年12月22日 13時20分00秒 | 国際政治
グローバル化の時代とは、国境を超えた人の自由移動が、あたかも全人類に与えられた当然の権利の如くに語られるようになった時代でもあります。それは、建国の経緯からして多民族国家となる運命を背負ってきた新大陸の諸国のみならず、一民族一国家の原則の下にある既存の諸国にまで及んでいます。国境なき世界では、人種、民族、宗教、国籍など最早無意味であり、誰もが何処にでも行けるのですから。

四方を海に囲まれた日本国では、グローバリズムとは、近未来の先進的な理想ヴィジョンというイメージが強く、その開放性が好意的に受け止められてきました。しかしながら、近年に至り、このイメージにも暗い影が差すようになりました。特に、入管法改正案の成立やゴーン前日産会長の逮捕をめぐる一連の出来事は、恐るべきグローバリズムの一面が日本国民の前に姿を現した瞬間でもありました。かくして、グローバリズムに対しては、一歩引いた評価がなされるようになったのですが、それでは、グローバリズムの浸透は、人々の人格や心理にどのような影響を与えるのでしょうか。

グローバリズムとは、国境を超えた経済活動の拡大を伴って押し寄せてきます。今では、日本企業の多くが海外企業と連携したり、国境を超えたM&Aによって多国籍化しています。雇用状況を見ても外国人の採用は増加傾向にあり、入管法の改正によりこの傾向はさらに強まることでしょう。また、日本国政府は、高度人材の呼び込みに熱心であり、外国人留学生の日本国内での就職を奨励する方針を示しています。そして、ゴーン容疑者の逮捕は、企業のトップや幹部までが外国人によって占められてしまう現実を象徴しているかもしれません。大手企業の多くは、資本関係に拘わらず、グローバリズムの‘決まり文句’である‘多様性の尊重’に沿うかのように、CEO等の経営幹部ポストに競うかのように外国人を招いています。もっとも、外国人の全てが‘善良’であるわけではないことは、ゴーン容疑者が自らの身を以って示しており、私的損失の日産への付け替えを指南したのも、新生銀行の外国人幹部であったそうです。

経済分野における企業内多民族化が一気に加速する現状と平行するかのように、日本の社会には分裂の兆しが見え始めています。中国、コリア、ベトナム、フィリピン等々、出身国を異にする様々なコミュニティーが全国各地に出現しているからです。言語、慣習、宗教、歴史などを共有する同郷の人々が集団を形成するのは人の性であり、かつ、自然な傾向ですので、社会の細分化を齎すのは移民増加の必然的な帰結なのです。一人や二人といった少数の間は社会に溶け込むことは難しくはないのでしょうが、一旦、同郷意識で結束した集住地域、あるいは、ネットワークができますと同化は困難になるのです。

経済における‘融合’と社会における‘分裂’が同時並行的に進行した場合、人々の人格や心理はどのように変化するのでしょうか。出現し得る現象の一つは、‘多重人格化’です。一人の人が、経済人として企業の経営ポストの立場にある時には、経営戦略として外国人の採用を率先して主張する一方で、会社から一歩外に出た途端に、自国古来の国柄や国民性を尊重し、既存の社会を擁護する反移民に転じるケースです。アメリカにおける‘隠れトランプ支持者’の中には、エリートや知識人も多いとされるのは、この側面から説明されるかもしれません。

企業人としての判断が、一人の国民、あるいは、生活者としての判断と違ってしまうことは、その人自身が‘表裏のある人’、あるいは、‘嘘吐き’というよりも、グローバリズムがもたらす解き難いアンビバレンツに心が引き裂かれていると言うことができます。自己矛盾を抱えることはストレスとなって心身の健康を損ねるものですので、国家のみならず、人の精神性をも損なうような行き過ぎたグローバリズムは修正されるべきなのではないでしょうか。少なくとも国境を越えた人の移動には、国家、並びに、国民の権利保護の観点から制約を課すべきではないかと思うのです。

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危うい日本国の司法の独立-ゴーン前日産会長の保釈

2018年12月21日 10時40分13秒 | 国際政治
仏メディア「大どんでん返し」ゴーン被告
 昨日、東京地方裁判所は、東京拘置所に収容されていたカルロス・ゴーン容疑者について、検察側の拘留延長の準抗告を退ける決定を下しました。検察側の延長要求が却下されるのは異例中の異例であり、その背景には、国際圧力も指摘されております。

 第一の国際圧力説は、海外メディアによる‘ゴーン容疑者擁護キャンペーン’です。逮捕以来、ルノー本社が所在するフランスのメディアを始め、重国籍でもあった同容疑者、並びに、グレック・ケリー容疑者に因む諸国のメディアは、一斉に、日本批判の報道を開始しています。この説ですと、東京地裁は、ゴーン容疑者を援護射撃するメディアの圧力に屈する、あるいは、‘国際世論’に迎合し、法のみによって判断すべき中立・公平な裁判所の立場から逸脱したことにもなります。この分では、メディアが造り出した‘国際世論’がゴーン容疑者無罪をアピールした場合、日本国の司法もこの主張に靡きそうで心配になります。

 第二の国際圧力説は、グローバル・スタンダード説です。上述した海外メディアによる日本批判にあってもこの点は強調されているのですが、日本国の刑事手続きにあっては、容疑者に対する拘留期間が長過ぎ、かつ、聴取の席に弁護士の同席を許さないなど、待遇も劣悪であるとする主張です。‘中世並み’とも揶揄されたようですが、刑事手続きに‘グローバル・スタンダード’なるものが存在するのかは疑問なところです。特にフランス・メディアがこの点に批判的なところからしますと、フランスの制度との比較なのかもしれません。何れにしてもこの説によれば、日本国の裁判所は、所謂‘グローバル・スタンダード’に合わせて拘留期間を短縮化する方針を決定したことになるのですが、この説の真偽は、今後の裁判所の対応によって判断されましょう。仮に、日本国の司法の‘グローバル・スタンダード’への転換であるならば、今後に起きる全ての事件にあっても、検察側の拘留延長の要求は拒否されるはずであるからです。

 第三の国際圧力説は、ゴーン容疑者に関連する諸国、あるいは、同氏が属する国際組織による釈放要求です。東京拘置所の同容疑者の元には、フランス駐日大使、在東京ブラジル総領事館総領事、並びに、駐日レバノン大使が訪れています。これらの要人が直接に地裁に対して保釈を要求したわけではありませんが、こうした行動は、暗黙の圧力となった可能性はあります。あるいは、外交ルート、もしくは、国際人脈を介しての何らかの働きかけがあったのかもしれませんが、この説では、明らかに三権分立の原則に反することとなります。外国の政府機関であれ、あるいは、日本国政府を介したものであれ、司法に対する如何なる政府介入も‘御法度’であるからです。

東京地裁側の独自の判断による保釈である可能性もないわけではありませんが、カルロス・ゴーン前日産会長の逮捕は、国内の事件とは比較にならない程のスケールの大きな国際的な大事件であり、検察側が不十分と判断したように、短期間の拘留で事件の全容が解明できるとは思えません。そうであるからこそ、上記の国際圧力説が信憑性を増すのですが(三つの説の混合かもしれない…)、同事件における裁判所の判断が、日本国における司法の独立を揺るがすとなりますと、その負の影響は深刻です。何故ならば、権力分立こそ、近代国家の統治機構上の原則であり、民主主義国家の‘グローバル・スタンダード’なのですから(もっとも、共産党一党独裁体制の中国は権力分立を否定していますが…)。

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移民政策をめぐる奇妙な日独のシンクロナイズ

2018年12月20日 14時10分44秒 | 国際政治
「永住可能資格」来年4月にも=建設業で取得可能に―外国人材拡大
降って湧いたように持ち上り、十分な審議もなくあっという間に国会で可決・成立してしまった入国管理法改正法案。報道に拠りますと、年内成立を急いだ理由は、国政選挙を経れば国民の抵抗に遭い、国会で否決されるリスクがあったからなそうです。この説明が日本国政府の本音であれば、民主主義は政府によって踏み躙られたこととなるのですが、外国人受け入れ拡大政策は、興味深いことに、既に移民・難民問題に苦しんでいるドイツにおいても進められています。日本国と時を凡そ同じくして、12月9日に「専門人材移民法」が成立したのですから(12月20日付日経新聞朝刊掲載記事より)。

 日本とドイツは、第二次世界大戦にあってイタリアと共に三国軍事同盟を締結し、枢軸国陣営を形成した関係にあります。共に連合国陣営に敗れて敗戦国となったのですが、この両国が、現在、移民政策に揺れているのは単なる偶然なのでしょうか。両国とも、同政策の根拠として共通して挙げられているのが‘人手不足’です。しかしながら、日本国の外国人労働者受け入れ政策の根拠とされる‘人手不足’説には、よく考えても見ますと不自然さがあります。

アベノミクスは戦後最長となった「いざなぎ景気」を超えたとされていますが、経済成長率も低く、かつ、賃金上昇を伴いませんので、GDPの数値上の‘好景気’に過ぎないようです(GDPの計算式には政府支出が含まれるので、政府の財政拡大政策を反映しているに過ぎないのでは…)。つまり、‘人手不足’の要因は、民間の企業活動の拡大に起因するものではなのです。

例えば、同法の成立を渇望したとされる造船・船舶業は、価格競争において優位する中韓勢力に押され、幾分持ち直し傾向にあるとはいえ、受注ゼロが目前に迫った時期もありました(同分野では、競争力を回復させるための人件費節減が目的かもしれない…)。建設業も、2020年に東京オリンピック、並びに、2025年に大阪万博の開催を控えているものの(東京都では既に特例で外国人労働者の就労を許している…)、全国的に見れば成長産業とは言い難い側面があります(もっとも、防災を目的とした老朽化したインフラの改修・建替え事業は増加…)。対象14分野に含まれる素形材産業、産業機械製造業、電気・電子情報関連産業については、製造業の多くが海外に既に工場を移転させている点に加え、どこか、同法案に乗じて紛れ込ませた観があります(マスメディアはこの三分野については触れようとしない…)。現実に増員を要する分野とは、季節労働を要する農業、団塊の世代が高齢期に入った介護、および、訪日客が3000万人に達した観光ぐらいなのではないでしょうか。

また、人手不足の根拠としては少子化高齢化も挙げられていますが、少子高齢化は、日本国のみに現れた特別の現象ではありません。先進国の多くが共通して直面している問題であり、仮に人口減少=移民受け入れであるならば、他の諸国も同様の政策を採用するはずです。実際に、ヨーロッパ諸国では、ドイツ以外の諸国は国民の反対を受けて反移民政策に転じており、ドイツだけが時流に逆行するような‘特異’な動きを見せています。しかも、その理由は、他の諸国が移民受け入れに消極的であるからこそ、優秀な人材を獲得できるチャンスであるというものなのです。

ドイツ企業も製造拠点の多くを海外に移転させていますので、おそらく、日本国と同様‘人手不足’は移民政策を進めるための口実に過ぎないのでしょう。そして、両国のみが移民拡大へと向かう背景を探りますと、第二次世界大戦における敗戦という事実に行き着かざるを得ません(さらに遡れば、明治維新や市民革命にも…)。おそらく、移民の増加が破壊的な効果を及ぼすことを十分承知な上で、両国を占領した旧連合国の背後勢力、即ち、国際的な新自由主義勢力と共産主義勢力が結託し(特定の国家ではない…)、講和条約の発効にも拘わらず、今日まで水面下で温存させてきた間接統治システムを用いて移民政策を強要した、とする推測も、あながち頭から否定はできないように思えます。このシナリオはあくまでも憶測の域を出ませんが、日独のシンクロナイズはあまりにも奇妙です。そしてそれは、今日、日独両国の真の独立の問題、並びに、民主主義の実現の問題をも鋭く問うているようにも思えるのです。

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ファウエイ排除は日本企業のチャンスでは-‘安心の日本製’のアピールを

2018年12月19日 12時48分03秒 | 日本経済
米中貿易戦争は、制裁関税に留まらず、安全保障を根拠とした中国製品の排除に及ぶ段階に至っております。グローバル企業であるファウエイ(華為技術)は、日本企業からも部品等を調達しており、ファウエイ排除の影響は日本経済にマイナス影響を与えるとするのが一般的な見方です。しかしながら、ファウエイ排除が、中国企業に押され気味の日本企業にとりまして、躍進のチャンス到来となる可能性もないわけではありません。

 ファウエイ製品は、既に日本国内でもスマートフォンの端末や基地局として販売されており、一定のシェアを占めています。今後、各国で導入が予定されている5G市場でも、トップクラスのシェアを確保するとされ、そのグローバル戦略が注目されてきました。飛ぶ鳥を落とす勢いであったのですが、中国の脅威を前にして、アメリカを筆頭に‘ファイブ・アイズ’諸国が中国製品の締め出しに転じ、同盟国である日本国もまたこの動きに追随する方針を決定しています。かくして、ファウエイ製品は、自由主義国の市場を失うこととなるのですが、これは、各国の情報・通信市場において‘空白’が生じることを意味します。

 ファウエイ製品排除によって生じる市場の‘空白’こそ、同社と競合している日本企業にとりまして、シェア挽回のまたとないチャンスとなります。そして、ファウエイの失墜原因が安全保障上のリスクとなりますと、日本企業のチャンスはさらに広がります。何故ならば、日本製品の強みは、その信頼性にあるからです。アメリカが、ファウエイ製品を排除したのは、同社の製品には‘バックドア’秘かに組み込まれており、国家安全保障上の機密が漏れる怖れがあったからです。中国共産党との密接な関係は、ファウエイが世界有数の巨大企業に伸し上がる踏み台となりましたが、今ではこの関係が裏目に出て、ファウエイは中国の国家戦略の手先、即ち、‘スパイ製品’と認定されているのです。言い換えますと、ファウエイの競争上の最大の弱みは、その信頼性の欠如にあります。

 一方、自由主義国の一員である日本の企業の製品には、‘スパイ容疑’はかけられていません。情報漏洩のリスクが常に問われる情報・通信の分野では、製品の信頼性が保証されていることは、決定的な優位性をもたらします。価格競争では劣位にあったとしても、信頼性で優位すれば、前者の弱点をカバーすることができるのです。如何に安価な製品であっても、使用に伴って情報が外部に流出し、しかも、それが延いては国家の安全をも脅かすリスクとなるならば、誰もが購入を躊躇うことでしょう。日本企業が製品の信頼性、即ち、バックドアなき安全な製品であることを積極的にアピールすれば、国内市場に留まらず、他の諸国でも売り上げを伸ばすかもしれません。ファウエイ製品のダークなイメージが広がる中での日本製品の安全アピールは、中国の魔の手から逃れたいとする消費者の心を掴むかもしれないのです。

 日本国政府は、今のところ、ファウエイ製品の排除は5G用の機器、並びに、官公庁といった政府機関に限るそうですが、同社の製品に対する信頼性の低下は、一般のスマホ端末などにおける同社のシェアを自然に押し下げることでしょう。そして、日本企業のシェアが拡大すれば、ファウエイに納品してきた日本企業の各社も、国内メーカーへの供給増加でマイナス影響を相殺できるかもしれません。危機とは常にチャンスに転じることができるのですから、徒に悲観するよりも、‘安心の日本製’を掲げた新たなるチャレンジャーとして、この機会を活かすべきなのではないでしょうか。

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不法移民少女死亡のデジャヴ-重なる独のシリア難民受け入れ

2018年12月18日 13時22分57秒 | 国際政治
南米から押し寄せる大移民団が到着したことで高まるアメリカとメキシコとの国境地帯において、先日、父親と共にアメリカ側に不法入国し、国境警備当局に拘束されていた7歳の少女、ジャックリン・カールちゃんが亡くなるという事件が発生しました。出身国はグアテマラなそうですが、この事件、どこかで既に見たような気がするのです。

 いたいけな7歳の少女の死に接し、野党民主党、人権団体、並びに、マスメディアは、移民に対して厳しい政策方針を貫いてきたトランプ政権に対して批判を浴びせています。死因ははっきりしないものの、拘束された後に「嘔吐などの症状を訴え、40度以上の高熱を出し、2日後に病院で死亡した」そうです。民主党はこの事件を人道問題として議会で追及する構えを見せており、少女の死の責任は、移民の入国を許可しなかったトランプ政権の不寛容な政策にあると言わんばかりです(もっとも、7歳の少女に食料にも宿泊所にも不安のある危険な旅路への同行を許した親にこそ、第一義的な責任があるのでは…)。

 無垢な子供の死ほど悲しみを誘うものはありませんが、この事件は、2015年のドイツのメルケル首相のシリア難民受け入れの経緯を髣髴させます。この時、トルコの浜辺に打ち上げられていたシリア難民少年の痛ましい姿がメディアによって大々的に報じられ、比較的移民に対して厳しい方針を示してきたメルケル首相は、批判の声に応える形で大量のシリア難民の受け入れを表明しました。移民の子供の犠牲がマスメディアを介して人道問題化し、政府に政策転換を迫る展開となったのです

ドイツに見られたこの流れは、今般のグアテマラの少女をめぐる動きと一致しているように思えます。グアテマラの少女の死は、それが偶然であれ、移民受け入れ派に対して、トランプ政権に政策の変更を迫る絶好のチャンスを与えているからです。実際に、メディアは全世界に向けて同事件を深刻な人道問題として報じ、少女の死への同情、並びに、トランプ政権への怒りを誘うよう世論を誘導しています。また、野党民主党も、議会を舞台に共和党に対して国境の壁の建設を断念し、合法的に移民を受け入れるよう要求することでしょう。

もっとも、アメリカとドイツとの違いは、前者が、後者による政策転換の結末を既に知っている点にあります。シリア難民の大量受け入れによってドイツの政治も社会も混乱を来し、未だに収拾の目途が立っていません。保守政党であったCDUは信頼と面目を失って支持率を下げ、反移民を訴える「ドイツのための選択」が躍進する結果を招いています。否、アメリカとドイツの間にはタイムラグがあり、長期に亘って移民問題に直面してきたトランプ政権こそ、既に「ドイツのための選択」の立場にあるのかもしれません。

このように考えますと、メディアや民主党、あるいは、人権団体が政策転換を強く訴えたとしても、トランプ大統領がメルケル首相の轍を踏み、その要求に応じるとは考えられません。不法移民の少女の死をめぐるデジャヴ感がむしろ警戒心を呼び覚まし、今後のアメリカでの展開は、全くメルケル政権の対応とは異なるかもしれないと思うのです。

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パリ協定が無視する酸素増加策-地球温暖化対策の偏向

2018年12月17日 14時23分45秒 | 国際政治
‘地球温暖化対策と言えばイコール二酸化炭素削減’とするイメージは、同問題が提起されて以来、すっかり染みついております。先日、COP24で採択されたパリ協定の運営に関するルールの内容を見ましても、‘削減目標’、‘削減量’、‘削減期間’など、‘削減’の二文字が散りばめられています。しかしながら、地球温暖化を防ぐ方策は、二酸化炭素の排出量削減だけではないはずです(なお、地球温暖化、あるいは、異常気象の原因は、科学的には人類の産業活動に伴う二酸化炭素の排出であると確定されているわけではない…)。

 それでは、二酸化炭素の削減の他に、どのような方法があるのでしょうか。仮に、気候変動の最大の要因が二酸化炭素の増加にあるとしますと、森林面積を増やすことも、これらの問題を解決するための有効な手段となるはずです。植物は、光合成の過程にあって二酸化炭素を吸収すると共に空気中に酸素を供給します。森林面積を拡大することは、空気中の二酸化炭素濃度を下げると同時に酸素を供給するのですから、いわば、バランスを回復すための一石二鳥の方策なのです。

 ところが、何故か、国際社会も何れの国も、森林の役割に対して強い関心を払っておりません。例えば、日本国内でも、再生エネは地球に優しいとして太陽光発電の普及が促進されていますが、地球温暖化防止の掛け声と森林の維持・拡大とは必ずしもリンケージされておらず、メガソーラの建設用地として全国各地の森林が伐採されているのが現状です。パリ協定のルールにあっても、先進国の途上国に対する財政支援を定めているものの、これらの諸国に対して森林保護を義務付ける規定は設けられてはいないようなのです。

近年、ブラジルの熱帯雨林の急速な伐採が気候に与える影響が懸念されておりますが、一つ間違えますと、途上国に対する財政支援がさらなる森林の開拓を招き、干ばつや砂漠化といった異常気象を加速させかねません。中国に至っては、産業活動に伴って二酸化炭素の排出量を増やすのみならず、国土の砂漠化を放置したため、二酸化炭素の吸収力も低下させています。古代文明の地が何れも衰退して砂漠化したのも、暖房設備など人々が快適な文明生活を維持するために、森林の木を切り倒したためとする有力な説もあります。

自然の保護こそ気候変動に対する有効策であるならば、国際社会は率先して森林の維持や植林に積極的に努めるべきと言えましょう。海外で削減した分を自国の削減分として加算する「市場メカニズム」のルールについては引き続き議論を続けるそうですが(競争メカニズムが働くわけではないので、‘市場メカニズム’という表現には疑問はある…)、二酸化炭素の削減量のかわりに、同量分の二酸化炭素を酸素に変換できる森林面積の維持や植林事業を加算するといった方法もあるはずです。二酸化炭素の削減から酸素の増加へと発想を転換しませんと、地球温暖化対策は、偽善や矛盾に満ちた財政移転のシステムに堕しかねないと思うのです。

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コメント (4)
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