万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

歴史の転換点を迎えた人類-ウクライナ紛争への懐疑

2023年01月31日 12時01分03秒 | 国際政治
ウクライナ紛争については、抑止面においても強力な手段となる核武装が、新たな局面を開く可能性があります。不法に核を保有するに至ったかの北朝鮮でさえ、軍事大国アメリカとの直接交渉を実現しており、核保有には、攻撃に対する抑止効果のみならず、当事国双方に対等の立場を与えるという意味において、交渉促進効果も期待されるからです。ところが、不思議なことに、ウクライナのゼレンスキー大統領は、NATO諸国に対して主力戦車では物足りず、戦闘機や長距離ミサイルの供与を求めながら、決して核兵器の供与を言い出しません。ウクライナ側も核兵器を保有すれば、ロシアとの間に‘核の平和’が実現する道も開ける可能性があるにも拘わらず・・・。

その一方で、ウクライナを支援するNATO側も、同国に対する核の提供については口をつぐんでいます。各国政府もメディアも、ロシアの核使用のリスクには触れることはあっても、ウクライナの核武装という選択肢については、それが存在しないかのように無視しているのです。おそらく意図的な黙殺なのでしょうが、その背景には、核兵器国による核独占体制の現状維持が和平よりも優先されているという由々しき現状があるのでしょう。

 ウクライナ紛争は‘茶番’ではないか、と疑う根拠は、こうした双方の不自然で非合理的な態度に見出すことができます。自由主義国のメディアは、ロシアのプーチン大統領を理性を失った狂人、あるいは、ヒトラーの如き常軌を逸した野心家のイメージで報じていますが、非合理性にかけてはゼレンスキー大統領も負けてはいません。否、NATO諸国の政治家やメディアを含めた辻褄の合わない行動や発言は、既にシナリオに記されていると解した方が、よほど説明が付くのです(もっとも、シナリオは一つとは限らず、人類虐殺や人類の分割支配など、状況に応じて柔軟に対応できるように幾つか準備されているのかもしれない・・・)。

 そして、今般の関係諸国の態度からは、シナリオライターである世界権力は、自らの目的を達成するためには核の独占状態が必要不可欠、あるいは、同体制の維持が極めて有利と考えているものと推測されます。何故ならば、核兵器こそ、核兵器を保有する軍事大国にして国連常任理事国である五カ国のみならず、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮、並びに、潜在的にはイランと行った諸国に特権を与え、他の非核兵器国をコントロールし得る物理的な手段となるからです。他者に優る圧倒的な物理的な力があれば、自らの意思を相手方に一方的に押しつけることができるのは、誰もが否定できない事実です。

 同推測に基づけば、何れのアクター達も、核の独占体制、即ち、NPT体制が瓦解しないよう、用心深く行動していることとなります。たとえNATO側が主力戦車を提供しても、既に指摘されているようにロシアとの阿吽の呼吸のうちに‘勝ちすぎないようにほどほどに’闘うかもしれません(人類分割支配、あるいは、兵器性能の比較実験のシナリオ・・・)。NATO側もロシア側も、NPT体制の‘体制派’なのですから。

しかしながら、現在進行している事態の不自然さに多くの人々が気づき、懐疑的になった時、このシナリオにも綻びが生じるかもしれません。特に、民主主義国家において国民世論が和平を求めると共に、ウクライナのみならず自国の核保有を支持する方向に転じたときに、同シナリオには高い壁が立ちはだかることとなりましょう。全世界の諸国が主権国家としての独立性を回復し、各国の政府が国民のために働くようになったとき、それは、一つの勢力による世界支配の終焉を意味するからです。この点に鑑みれば、台湾有事が予測される今日、中国を抑止するために、日本国も核保有を真剣に検討すべきと言えましょう(現状のままでは、日本国は、ウクライナと同様にミサイル攻撃に晒されてしまう・・・)。

 ロシアは、敗戦の淵に追い詰められたときには、核使用を厭わないと公言しています。この言葉、実のところは、世界権力の立場をロシアに言い代えているのかもしれません。全ての茶番や悪事が明るみに出て、世界権力が人類の敵と認識されてしまう、即ち、‘敗戦’に瀬戸際となった場合、ロシアに核ミサイルを撃たせて核戦争を引き起こし、人類を滅亡させてしまう計画を示唆しているかもしれないのです(人類虐殺シナリオ・・・)。もっとも、世界権力は極めて少数のメンバーで構成されていますので、同計画を発動させようとしても、末端の職務放棄や戦線離脱、あるいは、良心的拒否等により頓挫してしまう事態も大いにあり得ましょう。現時点ではどちらの方向に進むのか見極めが付かないのですが、今日、人類は、歴史的、かつ、構造的な転換点を迎えているように思えるのです。

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核の供与を求めないゼレンスキー大統領の不思議-核ファクター問題

2023年01月30日 12時06分33秒 | 国際政治
 今般、アメリカ並びにドイツがウクライナに対する主力戦車の供与を決定した背景には、今春にも実施が予定されているロシア側による大規模な攻撃計画があるとされています。NATOからの軍事支援無くして自力での防衛は困難と悟ったゼレンスキー大統領が強く供与を求め、その要請に応えたのが、今般のNATO諸国による主力戦車供与という筋書きとなりましょう。主力戦車が投入されれば、ウクライナ側は、ロシア側の大攻勢に軍事力で対抗し得ると共に、クリミアを含むロシア軍によって占領されている地域を奪回できる可能性が飛躍的に高まるのですから、同決定は、‘鬼に金棒’のようなものなのです。

 メディアの報道も、NATO側が供与した主力戦車が登場すれば、侵略国家ロシアのプーチン大統領の野心は砕かれ、国際秩序が護られるというものです。確かに、NATOの圧倒的な軍事力によってロシア軍が押し返され、原状回復が実現するならば、NATO諸国による主力戦車供与の決定に対して疑問を呈する声は少なかったことでしょう。ドイツの平和主義的消極姿勢からNATOに対する積極的な参加姿勢への転換も評価されたかもしれません。しかしながら、メディアも政治家も、その多くが重大な問題を敢えて触れないようにしているように思えます。それは、核の問題です。

 今般の決定に際しては、人類滅亡までの「終末時計」の針が、残り90秒まで進められています。同変更は、核戦争の可能性が高まったことを、多くの人々が認識していることの現れでもあります。通常兵器のみの戦いであるならば、NATOの支援強化によるロシア必敗予測は説得力を持ちますが、核問題を隠した上での説明では国民に対して無責任と言えましょう。実際に戦闘がエスカレートした末に、追い詰められたロシアが核兵器を使用するリスクは存在するのですから。核戦争の可能性がある場合、NATO側による戦車の供与は必ずしも平和に資するものとは言い切れず、より深い洞察力と発想を要する重大事項となるはずなのです。仮に、人類を滅亡の危機に陥れる核戦争に発展すれば、ドイツの方向転換は、たとえそれが‘善意’であったとしても、核戦争の引き金を引いたという点において、ヒトラーと同列の評価となるかもしれません。

 政治家とメディアの‘知らないふり’は、NATOとロシアとの直接対決への道が世界権力によって既に敷かれているかとする疑いを抱かせるに十分なのですが、この疑問は、ゼレンスキー大統領の態度によってさらに深まります。何故ならば、同大統領は、今日、主力戦車では飽き足らず、長距離ミサイルや戦闘機の供与をもNATO側に求めていますが、核兵器についてだけは、決して供与を求めないからです。

 ロシアによる軍事介入については、ウクライナ側が「ブダベスト覚書」によって核を放棄しなければ防げたはずである、とする有力な見解があります。核には、軍事行動を抑える抑止力が備わっているからです。この論理に立脚すれば、ロシアとの間で戦争状態に至った時点で、ウクライナは、NPTから合法的に脱退し、攻撃・抑止の両面における必要性を根拠として核保有に踏み切れたはずです。

 また、今般の主力戦車供与についても、ドイツの「レオパルト2」にしてもアメリカの「エイブラムズ」にしても、兵器としての能力はロシア製の戦車を上回りますので、ロシアを敗戦の淵に追い詰めることも予測されましょう。となりますと、上述したように、ロシアが核使用に踏み切る確率は格段に上昇します(ウ側が勝てば勝つほどにロ側の核使用リスクが増してゆくという反比例現象が起きる・・・)。言い換えますと、ロシアからの核攻撃に備え、これを防ぐための抑止手段としても、現時点におけるウクライナの核兵器の保有には一定の効果が期待できるはずなのです。

もっともこの場合、ロシアは、同国の核戦略にも明記されていますように、ウクライナの核武装した場合には、核不拡散の責任を負う「核兵器国」の‘任務’の一環として、ウクライナに対する核兵器の使用を示唆するかもしれません。「中国ウクライナ友好協力条約」に基づき、中国が、ロシアが核兵器を使用することを抑えているとする説もありますが、中国には国際法の遵守は期待できず、ロシアが絶対に核を使用しないという保証は何処にもないのです。

 以上の核ファクターを考慮しますと、少なくとも、主力戦車投入は、戦争の激化により双方の犠牲が増え続け、かつ、戦場が拡大するのみで、結局は‘無駄’と言うことになりましょう(消耗戦が続けば各国の戦費負担も膨れ上がる・・・)。NATO側は、通常兵器による泥沼の戦いの末にロシア側からの核攻撃のリスクに直面しようが、ウクライナの核武装の動きに対してロシアが核でウクライナを威嚇しようが、同紛争の最終局面は、何れにしても、プーチン大統領が核のボタンを押すか押さないかに行き着くからです。

行き着く先が同じであれば、ウクライナの核武装をもってプーチン大統領に決断を迫るのも一つの選択肢となりましょう。否、キューバ危機のように、核戦争の瀬戸際に至ってこそ、和平への道が開かれる可能性があります。双方の共の共倒れ、否、人類の滅亡寸前の状況を自覚してこそ、自己保存の本能が働き、双方に妥協の余地も生まれるからです。ウクライナ兵の訓練が完了し、NATO諸国が提供する戦車が実戦に配備される前の段階であれば、最小の犠牲かつ戦場をNATO諸国に広げることなく和平交渉に持ち込むこともできるかもしれないのです(つづく)。

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日本国民の多くは中立と和平を望んでいるのでは?

2023年01月27日 12時12分47秒 | 国際政治
 ウクライナに対する主力戦車の供与へと転じたアメリカとドイツの方向転換により、ウクライナ情勢は、ロシア対NATOの直接対決の様相を呈してきており、余談を許さない状況に至っています。第三次世界大戦の足音も聞こえてくるのですが、日本国の報道ぶりをみますと、ウクライナ支援に向けた世論誘導が見受けられます。

 例えば、インドネシアのスカルと大統領の夫人であっデヴィ夫人のウクライナ訪問が勇気ある行動として大々的に報じられる一方で、森善朗元首相の「ロシアは負けない」発言に関する記事は、あたかも同氏が売国奴のような批判が込められています。ウクライナが正義でロシアが悪とする構図に固執するマスメディアは、日本国民に対しても、ウクライナを応援するように誘導しているのです。

 森元首相はプーチン大統領との親交があるため、ロシア寄りと見なされがちですが、「ロシアの負けは考えられない」という言葉は、仮にNATO側の主力戦車投入によりクリミア半島を含めて占領地を奪還し、ロシアを敗戦に追い込んだとしても、‘ロシアは敗北を受け入れない’、つまり、核兵器を使う可能性を警告したのかもしれません。森元首相はしばしば無神経な発言を繰り返してきましたし、政治倫理に照らしても模範的な政治家でもなく国民からの好感度も低いのですが、仮に、戦争激化による第三次世界大戦並びに核戦争への発展を憂慮しての発言であるならば、むやみに批判すべきでもないように思えます。

 一方、デヴィ夫人につきましては、以前、1965年に起きた9月30日事件を機にスカルノ大統領が失脚した際に、ロスチャイルド家からの支援を受けたとされます。因みに9月30日事件とは、親共産主義・親中国へと傾いたスカルノ大統領に反発した軍組織が起こした軍事クーデターです。同事件からは、ロスチャイルド家と共産主義との関係も伺われるのですが、個人的にデヴィ夫人が世界権力の中枢ともされる金融・経済財閥一族と親交があった、あるいは、恩を受けたとしますと、今般のウクライナ訪問も、マスメディアが報じるような純粋に正義感に駆られた行動ではないのかもしれません(ウクライナ支援には、世界共産化への謀略があるのでは? 例えば、ウクライナへの武器供与によって軍事的に弱体化した国々は、中国共産党軍からの侵略を受けやすくなる)。

 そもそもロシアによるウクライナに対する軍事介入は、紛争の平和的解決を定めた国連憲章に反する行為であることは確かであり、この点は、批判されて然るべきと言えましょう。しかしながら、元々の原因は、ロシア国内における東西地域間の歴史や人口構成の違いによる分離・独立運動にあります。紛争勃発前より既に内戦という形で、双方による武力行使も行なわれており、仮に、ロシアが親ロ派に軍事支援したことが違法であれば、今般、NATOがウクライナ側の親欧米派に対して支援することもその合法性が問われないとも限らないのです。

 ロシア系住民に対する迫害を実行したとされるアゾフ連隊の存在に加え、法的側面にあっても、ウクライナ紛争は一方的にロシアが悪とは言い切れない側面があるのですが(しかも、双方の主張を確認するための、中立・公平な機関による厳正な調査も捜査もなされていない・・・)、メディアのみならず、不自然なまでにウクライナ側が正義であると訴えるネット上の一団も存在しているようです。果たして、これらの人々は、仮に、今般のNATO諸国による戦車供与が第三次世界大戦への導火線となった場合、あるいは、戦争の泥沼化をもたらした場合、どのように弁明するのでしょうか。ロシアが核兵器を使う可能性も高まるばかりです。

 ‘ウクライナ応援団’の人々は、他人事のように支援を語っていますが、戦車の価格は一台8億円ともされ、運用費を合わせますと相当のコストがかかります。中国の脅威を前にして自由主義国側が兵力を消耗させられると共に、国家財政も疲弊し、台湾有事に際しては、既に余力を失っているかもしれません(中国は、じっくりと自由主義諸国の弱体化を待っている・・・)。兵器を供与しないにせよ、日本国にも相応の負担が求められ、国民もさらなる増税を迫られることにもなりましょう(戦争が激化するほどに物価上昇や品薄により国民生活も窮乏化・・・)。

 こうした事態も予測されるのですから、日本国民の多くが、メディアやネット上の‘ウクライナ応援団’と同様に、ウクライナを一方的に善と見なし、同国への支援を支持しているとも思えません。諸外国からの支援を当然と見なす傲慢さのみならず、他国や人類を危険に晒すことに対して何ら良心の呵責を感じていないゼレンスキー大統領の尊大な態度も、同国に対するシンパシーを低下させる要因でもあります(戦時の指導者には相応しいとは思えないゼレンスキー大統領のラフな服装にも、政治思想上の意味があるように思える・・・)。

 日本国民の多くは、ウクライナかロシアかの二者択一の選択しかないようなマスメディアの報道には辟易しており、日本国政府に対しては、中立的な立場を求めると共に、早期の和平を願っているのではないでしょうか。先の大戦の開戦経緯に鑑みても、人類全体からすれば極少数に過ぎない世界権力が描くシナリオに巻き込まれる事態は、何としても回避したいと考えているのではないかと思うのです。

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リベラルの偽善-平和主義者の仮面

2023年01月26日 11時34分21秒 | 国際政治
 ドイツに続き、遂にアメリカのバイデン政権も、ウクライナに対する主力戦車「エイブラムズ」の供与を発表しました。誰もが第三次世界大戦への発展を危惧する状況に至ったのですが、この一件で明らかとなったのは、リベラルの偽善性です。
 
 アメリカのバイデン大統領は、言わずもがな民主党の政治家です。その一方で、ドイツの首相にして「レオパルト2」の供与を決断したオラフ・ショルツ首相は、ドイツ社会民主党の党首です。今般の戦車供与の米独の両国の決定者は、両者とも、リベラルという点で共通しているのです。

 リベラルと言いえば、平和主義者のイメージがあります。ベトナム戦争に際しても、積極的に反戦運動を展開し、戦争反対を訴えていたのもリベラル勢力でしたし、2009年には、民主党のオバマ元大統領がノーベル平和賞を受賞しております。マスコミのイメージ戦略もあって、今日まで、保守派は好戦的なタカ派、リベラルは平和を愛するハト派という色分けが根付いており、同イメージに釣られてリベラル派の候補者に一票を投じた国民も少なくないはずです。日本国においても、左派政党は憲法第9条を金科玉条とし、平和主義を表看板に掲げてきました(もっとも、近年では、保守派による‘偽旗’も判明・・・)。

 しかしながら、世の中には、イメージと現実とがかけ離れるケースは珍しくはありません。リベラルもまたその一例であり、歴史を辿りますと、民主党政権期が常に平和の時代であったわけではありませんでした。第一次世界大戦時にあって、中立政策を放棄して参戦を決断したのは民主党のウッドロウ・ウィルソン大統領でしたし、第二次世界大戦にあって政権を担ったのも、民主党のフランクリン・ルーズベルト大統領でした。とりわけ世界大戦となりますと、民主党政権との繋がりの方が深いのです。

 それでは、何故、民主党の大統領は戦争を回避し得る立場にありながら、それを防ごうとはしなかったのでしょうか。その理由として推測されるのは、全世界に張り巡らされた特定のユダヤ系ネットワークを介したグローバルな利権との関係性です。言い換えますと、リベラル勢力とは、これらの利権を握っている世界権力の命を受けて働く‘末端機関’としての性格がより強いのです。近代以降の革命も戦争も、そして、‘新大陸’のみならず、アジア・アフリカ諸国の植民地化にも、その裏ではイエズス会や東インド会社をはじめとした特定のユダヤ人脈を中核とするグローバルな利益団体が蠢いており、ダボス会議やビルダーバーグ会議など、姿を変え、形を変えて、同組織は今日まで受け継がれているのかもしれません。

 実際に、バイデン大統領には、ウクライナ疑惑があります。まずもって驚かされるのは、同大統領の子息であるハンター氏がウクライナのガス企業であるブリスマの幹部を務めていたことです。ハンター氏といえば、中国企業の幹部にも就任し、多額の報酬を得たのみならずウイグル人弾圧の片棒を担いだことで批判を浴びましたが、ウクライナ危機に先立って、ウクライナと中国という戦争要因を抱える二つの国と、バイデン家は既にコネクションを築いていたこととなります(世界大戦への布石?)。ウクライナ疑惑とは、バイデン大統領が副大統領時代にハンター氏の紹介でワシントンD.C.でブリスマの幹部と面会し、同社に対するウクライナ当局による不正疑惑捜査を妨害しようとしたというものなのですが、この問題には、おそらく表にはできない何らかのガス利権が関わっているのでしょう(バイデン家、あるいは、世界権力の利権・・・)。バイデン大統領は、何を目的として国家機密を持ち出したのでしょうか。

 こうしたバイデン大統領、あるいは、世界権力とのエネルギー利権をめぐる関係を考慮しますと、バイデン政権による積極的なウクライナ支援は、一体、誰のためなのか、という根本的な疑問が沸いていきます。ウクライナは、ユダヤ教を国教に選定したハザール国の故地とも重なり、このため、ユダヤ系ネットワークの重要拠点の一つです(思想的にはフランキストの総本山でもあるかもしれない・・・)。このため、エネルギー利権のみならず、様々なビジネス分野における利害も絡んでいることでしょう。また、戦争の激化は、軍需産業を潤すでしょうし(既に特定のユダヤ系金融は関連企業への投資額を増やしているかもしれない・・・)、世界的なエネルギー価格や穀物価格の高騰によって利益を得る団体もあるはずです。加えて、各国が、戦費調達のために財政危機に陥れば(ウクライナにはデフォルト危機がある一方で、同国に対する最大の支援国であるアメリカでも、デフォルト問題が発生している・・・)、経済支配や人類支配の絶好のチャンスともなる経済・金融危機を誘発することもできるかもしれません。戦場は、日本国を含むウクライナを支援する先進諸国となりましょうから、人類は滅びなくとも、文明が滅びる事態も想定されます。

バイデン大統領をはじめ、日本国を含む先進国の政府は、国民に対しては、ロシアを絶対悪と決めつけて侵略に対する正義のため戦いを訴え、ウクライナの自由と民主主義を守り抜く決意を表明していますが、リベラルに見られる偽善性からしますと、この大義名分は、国民の目から真の目的を隠すための‘カバー・ストリー’であるのかもしれません。政府には期待できないからこそ、各国の国民は、ロシアや中国をも出演者とする第三次世界大戦という壮大なる茶番劇が始まるリスクに対して、強く警戒すべきではないかと思うのです。

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人類滅亡へのカウントダウン-世界権力の思惑

2023年01月25日 12時11分27秒 | 国際政治
 本日1月25日の今朝方、アメリカがウクライナに対する主力戦車「エイブラムズ」の供与に積極的な姿勢に転じると共に、ドイツも焦点となってきた「レオパルト2」の供与に踏み切るとのニュースが飛び込んできました。この報道を受けて、米誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」は、人類の「終末時計」を100秒から90秒に早めたそうです。人類滅亡の日は、刻一刻と近づいているのかもしれません。

 「終末時計」が人類の滅亡時期を早めたことは、科学者のみならず多くの人々が、今般の主力戦車供与の決定が第三次世界大戦のみならず核戦争をもたらすリスクが高まることを十分に認識していることを示しています。否、人類が滅亡する可能性を十分に分かっていながら、アメリカやドイツのみならず、多くの諸国の指導者達は、和平に努めることもなく人類滅亡への道を選択しているのです。今般の戦争激化の背景には、世界権力によるシナリオがあることは容易に推測できるのですが、それでは、その目的はどこにあるのでしょうか。

 第1に予測されるシナリオは、まさしく人類の滅亡、否、戦争という名の大虐殺です(ワクチン接種にもこの疑いが・・・)。既に陰謀を隠すための‘陰謀論作戦’や偽旗作戦の存在が明るみとなった今日、非人道的行為並びに詐欺的な行為を繰り返してきた世界権力は、‘人類の敵’として他の人類から糾弾される立場にあります。影の世界支配者としての立場を失うぐらいであれば、世界権力は、その財力であれ、世界大に広げた人脈であれ、持てる力を全てつぎ込んで、他の人類を抹殺しようとするかもしれません。古来、反対者や批判者の存在を消すことは、復讐や刑罰を免れる最も確実な方法でした。これは世界権力による地球の独占計画でもあり、最近、AIやロボットの開発が急速に進み、地下空間や宇宙での生活を想定した植物栽培や宇宙食の開発といったニュースが多いのも、世界権力、核戦争後にあって自らは生き残るために準備を始めているからなのかもしれません。

 第2のシナリオは、世界権力が、人類の救世主を偽装して人類を支配するという黙示録的なものです。異民族を内部から堕落させ、自己破滅に追い込んだ末にユダヤ人がメシアとして現れるという筋書きとその実行部隊の組織化は、ロスチャイルド家とも親交のあったヤコブ・フランクの思想に由来するとされていますが、その根源には、ユダヤ思想におけるメシア願望があるのでしょう。戦争、疫病、飢餓などが次々と襲いかかるものの(今日の状況は黙示録を彷彿させる・・・)、同シナリオでは、かろうじて人類は存続しますので、第一のシナリオよりは‘まし’なのでしょう。しかしながら、メシアが登場したとしても、非ユダヤ系の大多数の人類は、世界権力の徹底した監視下に置かれるか、奴隷として奉仕する存在に貶められることとなり、個人としての権利も自由も奪われます。ITやデジタル技術の発展は、現実にあって中国が全国民徹底監視体制に活用しているように、同シナリオの存在を強く疑わせますし、マスメディアが広げる退廃文化や反倫理・道徳的行為の日常化も人類を自ら救世主を渇望する状態に至らせるための作戦かもしれません。

第3に推測されるのは、勢力均衡を悪用した独裁体制の常態化を意図した世界分割支配のシナリオです。同シナリオについては、ジョージ・オーウェルの『1984年』においてその青写真が描かれています。同作品では、全世界はおよそ軍事力が拮抗する三つの帝国に分割統治されており、帝国内では、戦争を背景にビッグ・ブラザーと呼ばれる謎の指導者が君臨する独裁体制が敷かれているのです。同シナリオでは、テレスクリーンが国民監視の主要な装置として登場していますので、IT技術を用いた監視カメラや顔認証制度などの開発は、この文脈からも説明されましょう。今般のウクライナ紛争にしても、第二弾として台湾有事が予定されており、ロシア、アメリカ、中国の三大国による世界分割への準備段階であるかもしれません。

一方、第4のシナリオは、一見、上述したシナリオより穏健なように見えます。それは、今般の主力戦車の供与は、ロシア製の戦車とNATO側の戦車との能力を比較するための実験を目的としているというものです。このシナリオでは、世界権力は、人類滅亡や世界支配といった大それた計画を遂行しようとしているのではなく、軍需産業やエネルギー資源等の戦争利権を維持・拡大することにしか関心はなく、双方に開発させた兵器の性能や優劣を知りたいだけなのです。

仮に、この程度の目的であれば、米独による戦車供与に対して目くじらを立てる必要はなく、「終末時計」の針を進めるのも過剰反応であったかもしれません。しかしながら、本当に、人類は、このシナリオに安心してもよいのでしょうか。世界権力は、騙しの天才でもあります。アメリカであれ、ドイツであれ、世界権力の協力者であったとしても、戦争のエスカレート化を懸念する政府内部の政治家も存在しているはずです。こうした人々を安心させるために、表向きは兵器の性能実験であると説明しているのかもしれません。そして、いざ、両陣営の主力戦車が戦場に登場しますと、世界権力の筋書き通りに戦争は激化し、第三次世界大戦への道をまっしぐらに進んでゆかないとも限らないのです(第一次世界大戦の際も第二次世界大戦の際も、開戦の報に接した人々は、戦争はすぐに終わると考えていた・・・)。「終末時計」を早めた理由としても「事故や誤算によって紛争が拡大するリスクがあり、紛争が誰の手にも負えなくなる可能性」が挙げられております。

以上に述べてきましたように、米独による主力戦車の供与から世界権力が抱いている幾つかのシナリオを推理してみましたが、何れのシナリオであれ、それが実現すれば、人類が最早存在しなくなるか、ディストピアの世界に生きるしかありません。しかしながら、たとえ「終末時計」が、本当のところは世界権力のスケジュールを示す時限爆弾のような時計であったとしても、世界権力の筋書きから抜け出す時間はそれが僅か90秒であれ残されています。傀儡となった政治家には期待できない以上、時計の針を止めるためには、戦争の激化に反対し、和平を求める世論の喚起こそ重要なのではないかと思うのです

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第三次世界大戦は再びポーランドから始まる?-「レオパルト2」供与は控えるべき

2023年01月24日 10時44分30秒 | 国際政治
 ドイツが製造する「レオパルト2」のウクライナへの供与の如何が、目下、全世界の注目を集めています。何故ならば、仮に同国への戦車供与が実現しますと、第三次世界大戦へと戦禍が拡大するリスクが格段に高まるからです。報道によりますと、ロシア側のウォロジン下院議長が「グローバルな破滅を引き起こす」と述べたとも伝わり、キューバ危機に匹敵するほどの危うい状況が続いています。

 「レオパルト2」とは、製造国はドイツですが、ポーランドをはじめ他のNATO諸国にも輸出されています。同戦車を輸入した諸国は、それを他の国に再輸出したり、供与する場合には製造国であるドイツの許可を要するそうなのですが、今般の危機に際して驚かされるのが、ポーランドの態度です。同国のモラウィエツキ首相は、ドイツに対して供与許可を正式に申請するのみならず、仮に許可が下りなくとも、他国と連携して同戦車をウクライナに供与する意向を明らかにしているからです。また、供与が未決定な段階にありながら、ポーランドでは、ウクライナ兵による「レオパルト2」の訓練が開始されるとする報道もあります。

 ドイツ側も、先だってポーランドからの供与申請の可能性について問われた際に、同国のベーアボック外相が‘邪魔はしない’とする旨の返答をしており、ドイツ側も、ポーランドによる供与を暗に黙認する姿勢を見せています。ドイツ政府としての正式決定ではないにせよ、ドイツ側も供与の方向に傾いていると理解されましょう。

 それでは、仮に、ドイツの許可なくポーランドがウクライナに「レオパルト2」を供与した場合、どのような事態が発生するのでしょうか。仮に上述したロシア側の発言が脅しではなくて本気であれば、ロシアの最初の攻撃対象国はポーランドと言うことになりましょう。‘最初’と表現したのは、仮にポーランドが攻撃された場合、NATOにおける集団的自衛権が発動され、同国のみならず、全てのNATO加盟国がロシアとの戦争状態に至るからです。

 もっとも、ドイツ側が拒絶したにも拘わらず、ポーランドが輸入契約に違反してウクライナへの単独供与に踏み切るならば、事態はより複雑となるかもしれません。そもそも、ポーランドによるウクライナに対する攻撃性の高い兵器の供与が、集団的自衛権の発動要件となり、かつ、国際法において合法性を主張し得る自衛のための行為なのか、不明確になるからです。しかも、ドイツの反対を押し切っての供与となりますと、NATO全体の合意というわけでもありません。このため、速やかに集団的自衛権が発動されず、戦場は、ポーランドにとどまる可能性も否定はできなくなるのです。

 そして、ここで注目されるのは、モラウィエツキ首相は、‘他国と連携して’と述べている点です。おそらくこの‘他国’とは、ウクライナの最大支援国にして軍事大国であるアメリカであるものと推測されます。ポーランドとアメリカとの間では、ウクライナに対する「レオパルト2」の提供が既定路線となっているのでしょう。アメリカにしてみますと、自国の主力戦車「エイブラムズ」を供与するよりも、ロシアと国境を接するポーランドの主力戦車を利用した方が兵士の訓練を含めて簡便ですし、ロシアとの直接対決を避けることもできます。「レオパルト2」の供与の見返りとして、ポーランドにはアメリカからの相当の支援が約束されているのでしょう。

 一方のポーランドにとりましても、輸入戦車であれ同国の軍事力をロシアに見せつけることができますし(牽制効果への期待・・・)、アメリカが後ろ盾ともなれば‘怖いものはない’のかもしれませんが、果たして、ポーランドの思惑通りにウクライナ紛争は、ロシア敗退で終結するのでしょうか。仮に、ロシアが対ポーランド攻撃に踏み出した場合、どのように対処するのでしょうか。とりわけ、ドイツの許可なく「レオパルト2」を供与した場合、上述したようにポーランドのみが戦場となり、最悪の場合には、ウクライナの二の舞となり、米ロとの間で事実上の‘第6次ポーランド分割’ともなりかねない事態に陥ることでしょう。これでは、ポーランドは、自ら悲劇を招き寄せているようなものです。

ダボス会議からも察せられるように、世界権力は、自らの利益と目的を達成するために戦争の拡大を望んでいる節が見られます。ポーランドはユダヤ系住民の多い国であり、自らをメシアと称し、異教徒を内部崩壊させるために‘隠れユダヤ教徒’となるよう勧めたヤコブ・フランクも、現ウクライナ領のコロリヴカで生誕したポーランド系ユダヤ人とされています。第三次世界大戦に至るにせよ、ポーランドに限定されるにせよ、結局、「レオパルト2」の供与は、戦争拡大シナリオの作成者の‘思う壺’となりましょう。何れの政府も世界権力の描く‘戦争拡大シナリオ’から降りる勇気を持つべきであり、最低限、「レオパルト2」の供与は思いとどまるべきではないかと思うのです。

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ドイツは悪役シナリオから抜け出せるのか?

2023年01月23日 10時23分07秒 | 国際政治
 第一次世界大戦並びに第二次世界大戦という二つの世界大戦は、ドイツによって引き起こされたとする説が定説化しています。教科書を表面的に読む限り、第一次世界大戦は当事のドイツ帝国によるベルギーに対する中立侵犯が決定的な意味を持ちましたし、後者については、言わずもがな、戦争の主因は独裁者にして狂人ともされるアドルフ・ヒトラーに帰されています。何れもドイツがトリガーなのですが、今般のウクライナ紛争についても、ドイツ責任論が既に準備されているようにも思えます。

 何故、ドイツが常に悪役とされるのか、という根本的な問題につきましては、フランクフルト・アム・マインに存在していたユダヤ人ゲットーが、今日の世界権力を揺籃した故地であったことに求めることができるのかもしれません。金融財閥として知られるロスチャイルド家も日露戦争時の日本国債引き受け者としても知られるシフ家も、皆、フランクフルトのゲットーからフランス、イギリス、アメリカなど世界に散らばってゆきました(マイクロソフト社の四色一体のマークも、同ゲットーの4つの門の色に由来しているのかもしれない・・・)。こうしたユダヤ人との歴史的な因縁がドイツを‘特別の国’としているのでしょうが、何れにしましても、現代史に限定すれば、ドイツには常に‘悪役’のイメージが付きまとっているのです(なお、ナポレオンが解体した神聖ローマ帝国の統治システムには立憲主義に基づく権力分立が見られ、ナチスドイツ下の集権的な独裁体制とは真逆である・・・)。

そして今日も、ドイツは、ウクライナ支援問題をめぐって窮地に立たされているようです。何故ならば、ウクライナのゼレンスキー大統領が、予測されるロシア軍による大規模攻撃への対処として、同国が製造している最新鋭の戦車「レオパルト2」の供与を求められているからです。これまでのところ、同要請に対して、ドイツのボリス・ピストリウス国防相は難色を示し、主力戦車の対ウクライナ供与を渋っています。否、アメリカによる「レオパルト2」に匹敵する主力戦車「エイブラムズ」の提供というハードルの高い条件を付けることで、事実上、供与を断っているのです。

こうしたドイツの消極的姿勢に対しては、ロシアを一方的な侵略者と見なすウクライナ支援勢力からは、厳しい非難の声が寄せられています。‘圧倒的な軍事力をもってロシア軍を一掃しなければならない時期にあってドイツが最新鋭の戦車の供与を断る行為は、侵略を許すに等しく、結果として国際法秩序が崩壊すれば、その責任はドイツにある’と主張しているのです。軍事的に優位となったロシアの勝利が確定すれば、ウクライナ支援勢力からしますと、ドイツは、ウクライナ敗戦の責任を負わされかねないのです。

その一方で、仮に、ドイツが「レオパルト2」を提供あるいは輸出先のNATO諸国による供与を許可した場合、どのような事態が予測されるのでしょうか。当然に予測されるのは、ロシアがNATO諸国を直接的に攻撃するという事態です。ドイツが恐れているのは、まさにロシアによる自国をはじめとしたNATO諸国に対する攻撃リスクです。この結果、第三次世界大戦にまで発展するとなれば、ドイツは、地域紛争を世界大戦にまで拡大させた‘張本人’とされてしまうのです。後世の人々は、この時のドイツの判断ミスが第三次世界大戦へのターニングポイントであった見なすことでしょう(この時まで、人類が滅亡していないとすれば・・・)。

しかも、ロシアは、自国が敗戦する瀬戸際に追い込まれた場合には、戦術核であれ、戦略核であれ、核兵器を使用する方針を明らかにしています。敗戦に伴ってウクライナ側から要求される天文学的な額の賠償金支払いを考慮すれば、ロシアは、決して敗戦を受け入れないものと予測されます(以後、数百年に亘ってロシア国民も、重くのしかかる財政負担に耐えねばならない・・・)。言い換えますと、ドイツは、第三次世界大戦のみならず、核戦争、否、人類滅亡の責任まで問われかねないのです。

以上から、「レオパルト2」を供与してもしなくても、何れにしても‘ドイツ悪役シナリオ’が待っているようです。それでは、ドイツには、同シナリオから抜け出す道は残されているのでしょうか。仮にそれがあるとすれば、それは、‘進むも地獄、退くも地獄’とはならないように、外部状況を変えてしまうことにありましょう。その一つの方法としては、NATO、さらにはEUといった枠組みはさておいて、独立主権国家という国際社会の地位に立ち戻り、ロシアとウクライナとの停戦・和平交渉を取り持つという外交的な選択肢もあるように思えます。

この点、NATO加盟国であるトルコのエルドアン大統領は、かねてより両国間の仲介に積極的な姿勢を示しており、NATOのメンバーシップは、必ずしも交渉の仲介役の障害とはならないようです。歴史的にも関係の深いドイツとトルコの2国が連携すれば、好戦的な方向に向かいがちなNATO内部の流れを変えると共に、世界権力が既定路線とする‘ドイツ悪役シナリオ’から離脱することもできます。NATOやEUが足かせとなってドイツが身動きできない状況にあるならば、日本国政府を含め、他の諸国が仲介に乗り出すべきと言えましょう。ウクライナ紛争の拡大によって人類が滅びるリスクに思い至れば、国家の自立性の回復こそ、人類を世界大戦の危機から救う鍵となるのではないかと思うのです。

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戦争激化よりも和平交渉を

2023年01月20日 08時14分41秒 | 国際政治
 グローバリズムが世界規模で広がった今日、毎年1月にスイスのダボスで開催されている世界経済フォーラムは、今や、「世界政府」のごとき役割を果たしているようにも見えます。世界各国・地域の要人が顔を揃えるのみならず国連総長までも出席し、しかも、何れの政府も、同会議の方針に従って自国の政策を行っているかの様相を呈しているからです。否、むしろ、同会議は、‘政府’というよりも、国連の総会や中国の全人代に近い存在であるのかもしれません。何故ならば、各国からの出席者は、この場で活発な議論を闘わせ、十分に審議を尽くして何らかの決定を行なうのではなく、中枢によって既に決定された事項に賛意を示す翼賛者であるか、あるいは、宣伝役の演説者に過ぎないからです。

 グローバリズムとは、金融・経済分野における投資家や世界大に事業を展開する大手企業が牽引役となってきましたので、ダボス会議の基本的な目的は、私的な自己利益の追求にあるのでしょう。このことは、逆から見ますと、グローバルな利益団体が世界情勢をどのような方向に向けて動かしたいのかを、外部の人々がうかがい知る機会ともなります。それでは、ウクライナ紛争はどうでしょうか。

 ウクライナ紛争並びに米中対立の激化を背景として、今年のダボス会議には、ロシアからも中国からも参加者がいなかったようです。このことは、一見、グローバリズムが崩壊し、さしものダボス会議も世界政府の座から降りたような印象を与えます。しかしながら、ダボス会議の様子を見る限り、ロシアを含めた世界の動きは、どこか呼応している気配があるのです。

 まずもってダボス会議にあっては、ウクライナのゼレンスキー大統領夫人が対ロ結束とロシア非難を訴える演説を行なうと共に、翌日には、大統領自身も「ロシアが攻撃を仕掛けるよりも速いペースで西側諸国からの戦車や防空システムが供給されるべき」と述べ、さらなる戦争の激化を予測した発言を行なっています。それでは、ロシアの側はどうなのでしょうか。プーチン大統領は、まさにダボス会議が開かれている最中の17日に、「ロシアの勝利は確実・・・」として、ロシア軍兵士の定員を35万人増やし、150万規模に増員すると共に、軍産複合体による兵器増産の方針を公表したと報じられています。これらの動きから、ロシアもウクライナも、共に戦争激化を予定していると言えましょう。

 戦争激化の方針は、当事国両国が‘示し合わせ’たものではなく、戦時中のことですから、当事国双方の応酬がエスカレートするのは当然とする見解もありましょう。確かに、ロシアの兵力増員の動きをいち早く察知したゼレンスキー大統領が、ロシア軍の攻勢に対応するためにダボス会議において各国に支援を求めたのかもしれませんし、あるいは、その逆である可能性もありましょう。戦争の激化とは、常に双方による敵国憎悪と兵力増強競争を伴うものです。しかしながら、今日の国際社会において何が不可解であり、おかしいのか、と申しますと、むしろ、その他の当事国以外の諸国の態度です。他の諸国の好戦的な態度は、シナリオ説を裏付けているようかのようなのです。

 実際に、メディアが報じる限り、ダボス会議において和平交渉を訴えた参加者は皆無であったようです。国際社会にあっては、常々平和の実現が希求されており、紛争当事国間の和平こそが優先して追求されるべき重要課題のはずです。ところが、国連であれ、EUであれ、その他の国家であれ、口先では休戦や講和に言及したとしても、何れも停戦や和平交渉に向けた具体的な提案を行なったり、その労をとろうとはしないのです。あたかも、全世界が戦争継続を示し合わせたかのようなのです。

 ダボス会議における和平への消極的な姿勢は、グローバル利権を代表する勢力は、必ずしも平和主義者ではないことを示唆しています。戦争利権という言葉があるように、戦争が莫大な利益を生みだしてきたことは歴史的な事実です。特に近代以降の大規模な戦争には、軍需産業のみならず、同分野に投資したり、戦争当事国やその支援国に直接・間接的に資金を提供したり、あるいは、投機目的で国債を引き受けた金融分野の利害も深く関わっています。こうした戦争利権の存在を考慮しますと、これらの勢力は、戦争継続の方が富の獲得にも世界支配にも有利であると判断しているのでしょう。

 日頃より戦争反対を訴えてきた左派の活動団体も、ウクライナ紛争に関しては、何故か口をつぐみ、与党のみならず野党からも、日本国政府に対して積極的に停戦や和平交渉の仲介役を求める声も聞こえません。日本国の平和主義が如何に底の浅いものであったのかを思い知らされることとなったのですが、このままでは、地域紛争が第三次世界大戦並びに核戦争へと発展するリスクが高まる一方です。

 誰かが言い出さなければこの流れは変わらないでしょうから、いずれかの国や機関等が和平交渉を訴える必要がありましょう(日本国政府に期待したい・・・)。そして、和平に向けた方向転換には、とりわけ民主主義国家では国民世論の後押しも政府に対する圧力となりますので、メディアの世論操作や情報統制に誘導されることなく、できる限り多くの人々が、当事国の一方を支援するよりも和平の方が望ましい、とする方向に意識を転換し、和平交渉を求める声を上げるべきではないかと思うのです。

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GXバブルのリスク

2023年01月19日 13時15分26秒 | 日本政治
 GXの推進には、代替技術不在という重大かつ制度の根底に拘わる問題があります。そして、同問題は、カーボンプライシング制度を永続化するのみならず、GXバブルを発生させるリスクもあります。

 1990年に崩壊した日本国のバブルは、国際合意に基づく政府の政策が引き金となったバブル事件として記憶されています。1985年9月22日、先進5カ国の財務大臣・中央銀行総裁による国際会議がニューヨークのプラザホテルで開かれ、ドル安容認並びに貿易黒字国の内需拡大政策への転換等が合意されています。プラザ合意と呼ばれる同合意は、アメリカの財政赤字の改善を目的としていたため、日本製品の輸出の勢いは抑えられることとなったのです。長期的な視点からしますと、プラザ合意は日本経済が衰退への向かう重大な転換点となのですが、同合意後の凡そ5年の間、日本国は、自らの基盤が揺らいでいるにも拘わらず、バブル景気に浮かれることとなったのです。

 プラザ合意の合意事項においてバブルを引き起こした主たる原因は、貿易黒字国に求められた内需拡大政策にあります。同合意を受けて、日本国政府が公共投資の拡大方針を表明したため、政府の買い取りによる土地価格の値上がりを見込んだ投資資金が不動産市場に集中し、不動産バブルが発生したのです。同バブルは不動産市場にとどまらず、内需関連の株価を押し上げ、証券市場においてもバブルが波及します。かくして、実体経済と乖離した資産価格上昇が遂にバブルを崩壊させ、日本経済は、大きな痛手を受けることとなったのです。

 政府がバブルを引き起こす危険性は、今日なおも消えたわけではありません。今般のGX投資についても、バブルの呼び水となるリスクもあります。過去のバブル時と同様に、政府が公共投資を含めてGX分野への巨額予算の投入をアナウンスしているからです(明確に巨額の投資額を示しているところが怪しい・・・)。このため、再生エネ関連の建設予定地の土地価格も上がることでしょうし、GX関連の株価も上昇することでしょう。とは申しましても、プラザ合意との相違点は、GXバブルは日本国のみに限定されない可能性を挙げることができます。そもそも、GX推進は欧米諸国で先行していますし、再生エネも、太陽光発電であれ、風力発電であれ、中国製品が世界市場を席巻しています。このため、GX推進は、一部の不動産市場や証券市場においてバブルを起こす一方で、日本国の製造業をさらなる窮地に追い込むかもしれません。

 加えて、GXにつきましては、代替技術の不在問題が事態をさらに悪化させる怖れがあります。先日の記事でも指摘したように、現時点では、目標を達成するために必要な技術も、具体的なステップも示されていないからです。唯一の説明は、投資額を増やせば自然に技術開発が促進され、目標を達成できるとする漠然とした‘期待’です。あくまでも‘期待’ですので、人々の‘期待’どおりに開発が進むとは限らないのです。しかも、投資における‘期待’は、キャピタルゲインを狙った投機マネーをも引きつけます。GX分野に投資資金や投機マネーが集中する事態は、GX技術が未熟な状況下にあっては現実と期待値との間の乖離幅を広げ、実体経済と離れたバブルに拍車をかけるものと予測されるのです。そして、おそらく、世界権力は、バブルが崩壊する前に売り抜けて、巨万の利益を上げることでしょう。

 果たして、150兆円規模の投資を打ち出したGXの推進は、人々に豊かな未来を約束するのでしょうか。同政策を裏から推進しているグローバル勢力にしか恩恵や利益が及ばず、しかもGXバブルの崩壊リスクを抱えるのであれば、ここにも日本国がGXの推進を立ち止まってみる必要性が見出せるのではないかと思うのです。

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GXとはグローバル環境利権なのか

2023年01月18日 13時21分03秒 | 統治制度論
 日本国政府をはじめとして世界各国の政府が推進しているGXには、疑って然るべき点がいくつもあります。その筆頭となるのが、現段階では、ゼロカーボンの目標を達成するためのテクノロジーが存在していないという代替技術不在の問題です(未来技術のスケッチを見せられているに過ぎない・・・)。この件については、昨日の記事で沈没船のたとえ話として説明したのですが、さらにお話を膨らせますと、GXはなおさらに怪しくなってまいります。

 昨日の記事のたとえ話とは、「嵐が来ると脅かす船長が、危険であるからといって新しい船への乗り換えを乗客に勧め、渋る乗客に対してはさらなる乗船料の支払いを強要したものの、いざ、乗客達が代わりの船に乗り移ろうとしても、新しい船は遥か遠くにその船影が見えているに過ぎないようなもの」というものです。このお話では、船長の意図は嵐による遭難を回避し、乗客の命を救うところにあると推測されます。しかしながら、必ずしも、船長の意図は、船長としての使命感と人としての良心に基づく人命救助ではない可能性もないわけではありません。

 それでは、どのような場合には、船長の善意が疑われることとなるのでしょうか。こうした疑いが生じるケースとは、本当のところは、間違いなく絶対に船を転覆させるような嵐が来るわけでも、乗り換えるべき新しい船があるわけでもない場合です。この場合、船長は、乗客の命を救うように見せかけながら、乗客から高額の乗船料を徴収し続けることができるからです。つまり、乗客達は、新しい船が到着するまでの間、高額の乗船料を払い続けなければならないのです。

 このたとえ話をGXに当てはめてみますと、GXを推進している側は、二酸化炭素によって地球温暖化が進み、必ずしも人類が生存できない状態に至るわけではないことを知りながら、マスメディアなどを介して大々的に地球温暖化の危機を宣伝していることとなります。そして、地球温暖化による人類滅亡を回避するために、即座にGXに移行するように人々に訴えているのです。カーボンプライシングの制度も、既存の設備や製造方法を維持している企業に対してはコスト負担を重くする、GX促進装置に他ならないのかもしれません。

 実際に、現在の技術は、GXの目標を達成できるほどのレベルに至っていません。幾つもの超えなければならない壁が立ちはだかっているのです。この結果、企業の側は、二酸化炭素の排出量を減らしたくても手段がなくて減らせない状態に置かれ、結局、GXを推進する側が描く未来技術が実現する日が訪れる日を待ちながら、炭素税を納め続けると共に、排出権取引市場にあって排出権を高額で購入し続けなければならなくなるのです。

なお、排出権取引制度では、初期条件として大きな排出枠を割り当てられた企業は労せずして‘濡れ手に粟’となるものの、僅かな枠しか配分されなかった企業には、常に重いコストがのしかかります(公平な排出枠の配分は困難では・・・)。このため、同制度は、‘地球を救う’という大義名分の下で、搾取の一種となりかねないリスクを内包していると言えましょう。そして、GXを推進する側は、内心にあってはゼロカーボンの実現を望んではおらず、永遠に排出権取引市場から利益を吸い上げたいと考えているのかもしれません。空気に交換価値が付与され、それが取引市場の開設により莫大なお金を生み出すのですから。

 ここに、GXの推進に対しても、警戒すべき理由を見出すことができます。地球温暖化の真偽については科学的な検証を要しますし、何よりも、現状にあって、安価で安全、しかも安定供給し得る技術もなく、永続的に一部の環境利権を持つ勢力を利するシステムとなりかねないのですから。この指摘はGXに内包するリスクの一つに過ぎませんが、真に枯渇が予測される化石燃料の使用を減らし(地球温暖化とは無関係・・・)、新たなエネルギー源を求めるならば(‘善意の船長’のケース)、まずは、代替技術の確立を急ぐべきと言えましょう。仮に150兆円を投資するのならば、その全額を官民の技術開発に投資すべきですし(あるいは、現段階では150兆円規模の投資を必要としない・・・)、同技術が実用化するまでは設備投資は控えるべきかもしれません(企業は、借金地獄に落ちかねない・・・)。そして、省エネ製品を普及させたいならば、開発費への支援として中小企業を含めた税負担の軽減をはかるべきなのではないでしょうか(負担増のみを意味するカーボンプライシングはもっての他・・・)。

 GX移行推進法案につきましては、年末に短期間で纏められたとも報じられていますが、本当のところは、カーボンプライシング制度の導入などは既にグローバルレベルでは決定済みであり、日本国政府は、同決定の‘執行機関’に過ぎないのかもしれません。折しもスイスでは、世界権力の‘フロント’もされるダボス会議の年次総会が開催されており、気候変動対策やエネルギー安全保障についても議題となるそうです。日本からの出席者としては、河野太郎デジタル相の名が上がっていますが、いよいよもって、GX移行推進法は怪しいのではないかと思うのです(つづく)。

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「GX推進法案」は怪しい

2023年01月17日 13時20分02秒 | 統治制度論
 DX(デジタル・トランスフォーメーション)に続き、今日では、GXなる耳慣れない言葉が飛び交うようになりました。GXとは、‘グリーン・トランスフォーメーション’の略語であり、脱炭素社会に向けた取り組みを意味しています。GXにてついては、既に日本国政府も「GX推進法案」を作成しており、今月23日から開かれる通常国会に提出する予定なそうです。

 報道に依りますと、同政策には10年間で官民合わせて150兆円の投資を要するそうです。この額は、GDP比で3%程となり、防衛費の2%をも上回ります。巨額投資の主たる内訳は、再生エネルギー導入に31兆円以上、水素・アンモニア製造・利用に10兆円以上を見込んでいるようです。財源としては、20兆円分の「GX経済移行債」の発行が予定されていますが、同公債は、新たに設計される「カーボンプライシング」制度によって償還されるとのことです。同「カーボンプライシング」制度は、新設される「GX経済移行推進機構」によって運営され、炭素税と排出権取引制度がセットとされた制度として発足します。

 「カーボンプライシング」の制度設計は、同法の施行後の2年以内に行なわれるとされ、現時点では、その細かな仕組みは詳らかではありません。しかしながら、基本設計として炭素税が組み込まれていますので、二酸化炭素を排出する企業の税負担が増えることは確かです(実質的な増税・・・)。しかも、同制度では、炭素税のみならず、排出権取引もセットにされていますので、とりわけ二酸化炭素を大量に排出する事業分野では、削減目標を達成できなかった企業は、炭素税に加えて排出権取引市場から排出権を購入せねばなりません。すなわち、同制度の導入により、民間企業は増税と購入コストのダブルで大幅な負担増が予測されるのです。

 こうした企業の負担は、当然に販売価格に転嫁されますので、最終的には、消費者の負担ともなりましょう。あるいは、企業は、社員への報酬を減額することで、負担増に対応しようとするかもしれません。しかも、GXの推進には、電気料金のさらなる上昇を伴いますので、150兆円の‘投資’とは、その実、莫大な国民負担を意味しかねないのです。

 なお、日本国の場合、「カーボンプライシング」による増収分は、「GX経済移行債」の償還に使われますので、この点に関しても、日本国の制度は、企業や国民には不利となりましょう。先行して同制度を導入している諸国では、「カーボンプライシング」による政府の収入が、法人税率や所得税率下げ、あるいは、企業の社会保険料負担の軽減などの形で民間企業や国民に還元されている国も少なくないからです。敢えて利得者を挙げるとすれば、日債権の購入者なのかもしれません。

 以上に、「GX推進法案」の概要を「カーボンプライシング」を中心に述べてきましたが、同政策、このまま推進しても大丈夫なのでしょうか。管政権以来、日本国政府は、2050年を目標としてゼロカーボンを目指して邁進してきたのですが、先ずもって、同政策の最大の欠点として挙げるべきは、これを実現するエネルギー技術が、現時点では確立していないという点です。

 再生エネルギーにせよ、水素にせよ、核癒合にせよ、コスト面を含めて技術的な障害が全て解決されており、石油や石炭といった化石燃料を使用しなくとも、安価で安全なエネルギーが安定的に供給される目処が立っているのであれば、150兆円という巨額の投資であっても、誰もが賛意を示すことでしょう。しかしながら、メディアの報道を見る限りでは、同技術は未熟な段階にあると言わざるを得ません。たとえ政府が企業に対して脱炭素への取り組みを促す政策を進めたとしても、技術そのものが存在しないのですから、企業は、行き場を失ってしまうのです。喩えれば、嵐が来ると脅かす船長が、危険であるからといって新しい船への乗り換えを乗客に勧め、渋る乗客に対してはさらなる乗船料の支払いを強要したものの、いざ、乗客達が代わりの船に乗り移ろうとしても、新しい船は遥か遠くにその船影が見えているに過ぎないようなものなのです。
 
 また、進歩の速度の速い発展途上にある技術の導入には、買い換え建て替えコストも考慮する必要があります。より効率的で低コストを実現する技術が開発される度に、新しいものに代えてゆく必要が生じるからです。しかしながら、インフラや製造装置といった規模の大きいものほど、買い換えや建て替えに伴う設備投資に莫大な無駄が発生しかねません(頻繁な新型への交換は、資源を枯渇させ、環境をも破壊しかねない・・・)。このため、むしろ、新技術の導入には消極的にならざるを得ないのです。例えば、2011年の再生エネ法の施行時に建設された太陽光発電施設については、25年間の同額買い取りが保障されていますので、発電効率の悪い設備を使い続けることになりましょう。この前例からすれば、今般のカーボンゼロ目標についても、達成の目標年は27年後の2050年ですので、現レベルでの再生エネや水素技術で建設された施設では、莫大な建て替え費の支出と損失を覚悟しない限り、同目標は達成できないのです。

 北米では記録的な寒波が到来し、街全体が凍り付く現象も起きており、そもそも地球温暖化二酸化炭素主因説が科学的に検証されるにも、それ相当の年月を要することでしょう。150兆円もかけてGXを推進すべきかどうか、今一度、立ち止まって考えてみる必要があるのではないかと思うのです(つづく)。

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「ジョブ型」が必要なのは政治家では?

2023年01月16日 13時43分37秒 | 統治制度論
 雇用形態のグローバル・スタンダードとして、今や日本企業の多くが導入へと傾いている「ジョブ型」雇用。日本政府も「ジョブ型」促進の旗振り役となっているのですが、今日、日本国、否、全世界の諸国にとりまして最も同スタイルの導入が必要とされている職業とは、政治職、すなわち、政治家なのではないかと思うのです。

 その理由は、政治家ほど、その仕事内容が不明確、かつ、曖昧な職業もないからです。広義の意味での法治国家であれば、政府の役割は国民に対する統治機能の提供ですので、政治家の職務や権限の範囲は法律によって明確に規定されているはずです。ところが現実には、普通選挙制度を備えている民主主義体制の国家であっても、政治家とは、国民にとりましては、影では何をしているのか分からない謎多き存在なのです。居眠りしている国会議員の姿が、国会の日常風景となっているように、憲法で定められている職務さえ果たしているのか怪しい限りです。国会議員のみならず、首相や閣僚などの政府関連の政治家ともなりますと、職権が恣意的に使われても、国民の殆どは気がつきもしないかもしれません。

 こうした政治家の仕事の不透明性は、公私が混合しやすい環境にも起因しています。支持団体のみならず、親族関係を含めた私的な人脈やネットワークからの要望を受けて政治権力を行使しても、国民は、公私の境界線を見分けることができないからです。言い換えますと、政治家とは、国民から委託された公的な仕事ではなく、自らの利益のために、他の私人や組織から寄せられる、あるいは、命じられた私的な仕事を請け負っているかもしれないのです。近年、国民の信頼を裏切るような政府の政策遂行が多々見られるのも、公的な職務よりも私的な職務を優先させているからなのでしょう(おそらく、何らかの見返りがあるのでは・・・)。否、移民政策の推進や過激なカーボンニュートラル政策、さらにはワクチン接種政策のように、後者を優先する余りに国民を犠牲にしたり、実害を与える事例も少なくないのです(国民が頼んでもいない仕事ばかりをしている・・・)。

 また、「ジョブ型」のもう一つの特徴はその成果主義にありますが、政治家ほど、職務評価が及ばない職業もありません。国会議員は、議員報酬は一律同額ですし、実際の活動内容や支出状況にも関係なく国民の平均所得を遥かに上回る高額の議員歳費が支払われているのです(特に、‘グローバル・スタンダード’に照らすと、日本国の国会議員の報酬は顕著に高い・・・)。一方、国から支給される政党助成金の配分も、党内の序列や力関係によって決まりますので、こちらも成果主義ではありません。国民の政治的権利の平等性からしますと、各々の選挙区から選出された議員の立場は平等なはずですし、若手議院方が積極的に活動していたとしても、党内では、悪い意味での‘年功序列’が働いているのです(しかも、幹事長といった特定の党役員が同助成金の‘配分権’を握ると、党内を支配する権力の源泉となってしまう・・・)。              

 それでは、選挙に際して掲げている公約こそが政治家が遂行すべき国民から託された職務なのでしょうか。今日の議会制民主主義の制度では、これもそうとは言えなくなります。何故ならば、公約違反や無視は日常茶飯事であることに加え、現行の議院内閣制では、政府を構成する与党にのみ、公約を実現するチャンスも権力もあるからです。実際に、日本国の立法機関では政府提出の法案が大多数を占めますし、国会での与野党間の議論があっても、法案の修正には殆ど反映されず、最後は数で押し切られてしまうケースも少なくありません。国会での審議が無意味であるならば、政治家の‘お仕事’は、法案の決議に際して一票を投じるのみとなり、高額の報酬には全く見合わない職務内容となりましょう。

 以上に述べてきましたように、今日の政治家は、職務内容、公私の区別、仕事の評価、報酬など、様々な面においてブラックボックス化しつつあります。その結果が、今日の日本国、並びに、世界各国の政治における混乱や民主主義の形骸化、さらには、グローバル化に伴う世界権力の‘悪代官化’等であるとしますと、現行の政治制度そのものを改良してゆく必要がありましょう。政治家の仕事とは、民意に添いながら国民のために統治機能を提供することにあるのですから、同職務を遂行するに適した制度こそ、考案すべきです。

 「ジョブ型」を引き合いに出したのは、民間企業に対しては同形態に転換するように圧力をかけながら、最も改革が必要なはずの政治家という職については素知らぬふりをしている政治家の態度に矛盾を感じるからです(先日の記事で述べたように「ジョブ型」そのものにも重大な問題があり、お薦めできない面がある・・・)。少なくとも公僕としての政治家の職務を明確にし、各人の仕事を的確に評価し、かつ、何よりも、政治家の雇用主が国民である‘雇用形態’でなければならないのではないかと思うのです。

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河野デジタル大臣は独裁者予備軍?

2023年01月13日 10時55分19秒 | 日本政治
 昨日、どこか怪しげな記事がウェブ上に流されているのを目にしました。同記事の内容とは、‘ホリエモンとして知られる実業家の堀江貴文氏が、成田空港での帰国手続きに際して「健康カード」を配られたことに激怒するツイッターを投稿したところ、河野デジタル大臣が迅速に対応して調査を命じた’というものです。同記事のタイトルの最後には「・・・SNSで称賛の声」とも銘打ってあります。河野大臣とホリエモンとの空港の一件は、メディアの多くが報じていたのですが、河野大臣のこの対応は、多くの国民から賞賛されるべき事なのでしょうか。

 SNSにおいて河野大臣の対応が肯定的に評価された主たる理由は、(1)対応が迅速である、(2)デジタル化を徹底しようとしている、(3)行政の無駄を省こうとしている・・・などのようです。確かに(3)のように一理あるものもあるのですが、この対応、民主主義の原則から逸脱し、適切な手続きを踏んでいないことは否定のしようもありません。一私人に過ぎない堀江氏のツイッターによる私的要請に応じ、公権力を行使したのですから。

 第1に、デジタル大臣には、空港におけるカードの配布方法やその是非について調査し得る権限が付与されているのでしょうか(国土交通省の管轄では・・・)。仮に、同行為が合法であるならば、デジタル大臣は、全ての官公庁で使われているペーパー等の非デジタル媒体をデジタル化し得る強大な権限を有することとなります(以前、同大臣が発言した「勧告権」を積極的に活用とは、全省庁の隅々まで介入し、デジタル化を勧告すること?)。

 第2に、同ケースでは、たまたま堀江氏がツイッターを用いたことで多くの人々が知るところとなったのですが、仮に、密室において一私人が政治家に‘不満’を伝え、同政治家がその一存で、即、公権力を行使するとなりますと、権力の私物化や権力濫用が問われ、場合によっては不法行為として裁判沙汰になる可能性もありましょう。密室であれ、オープンな空間であれ、政治家による個人色の強い対応は、法治国家の基盤を揺るがしかねないリスクが認められるのです。

 また、第3に、紙の「健康カード」の配布に対する不快感は、堀江氏の主観的な感想であり、スマホ等のデジタルを使いこなせない高齢者層にとりましては、カードによる注意喚起の方が効果的かもしれません。加えて、スマホ世代の人々でも、常時スマホの画面を見ているわけではありませんので、むしろ、ペーパーの配布による方が即時性はあります。言い換えますと、必ずしもデジタル化すべきとは言い切れない事項ですので、反対意見や異論も含めて他の人々の意見も聴き、十分な比較検討を行なった上で決めるべきと言えましょう。

 第4に、河野大臣が素直に対応したのは、その要請者がマスコミが持て囃す実業家でもあり、かつ、知名度も高い堀江氏であったからなのではないでしょうか。同大臣がワクチン接種推進担当大臣の職にあった際には、一般国民のワクチン被害の訴えには全く耳を貸そうともせず、あらゆるマイナス情報をデマとして切り捨て、調査さえ行いませんでした。その一方で、堀江氏の個人的な不満には即応し、「すみません。デジタル庁に現場の調査を命じました。対応します」とまで述べています。河野大臣は、同氏に対してだけは平身低頭で謝罪の言葉さえ添えているのです。一般国民に対する冷酷無情で高飛車な態度とは正反対です。しかも、ワクチン被害が表面化し、大手マスコミも報じるに至りますと、“法的措置も検討する”として逆ギレしているのです(‘全責任を取る’と言いながら、自らは‘運び屋’と弁明し、同発言の解釈をめぐってすごんでいる・・・)。

 堀江氏は、同大臣の対応にツイッターで謝意を示したとされていますが、両者の‘迅速’なやりとりを見ますと、マスコミが次期総理候補のトップとして持ち上げながら、現実には国民からの評判がいたって悪い河野大臣の好感度を上げるために創られた、マスコミも加担した茶番劇のようにも思えてきます。あるいは、河野大臣は、同一件によって、堀江氏を背後から支える勢力、即ち、デジタル推進母体でもある世界権力へ忠誠心を示したのでしょうか。何れにしましても、河野政権が誕生するとしますと、それは、日本国における独裁者の出現となるかもしれません。‘河野大臣にだけは首相に就任してもらいたくない’と考える国民は、少なくないのではないかと思うのです。

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第三次世界大戦の危機は国際社会の構造に由来する?

2023年01月12日 12時30分20秒 | 国際政治
 今般のウクライナ紛争に関しては、ロシアのプーチン大統領のメンタリティーがその主要な要因として指摘されることも少なくありません。‘プーチン大統領は、もとより理性を失った狂人である’、あるいは、‘プーチン大統領は進行がんあるいはパーキンソン病の治療が影響して精神に異常をきたしている’といった説も報じられています。同大統領に限らず、過去にあっても第二次世界大戦時のアドルフ・ヒトラーなども、狂人の一人としてしばしば名が上がります。しかしながら、戦争、とりわけ、世界大戦の原因を時の指導者個人に帰すのには無理があるように思えます。

 過去の二度の凄惨を極めた二度の世界大戦の経験にも拘わらず、今日、人類は、第三次世界大戦の危機に直面しています。指導者主因説では、プーチン大統領の戦争責任が問われることとなるのですが、現在のウクライナ紛争と未来の台湾問題の両者が交差している「中国ウクライナ友好協力条約」が示唆するように、今日の世界大戦の危機は、核兵器国に特権を与えるNPT体制、否、軍事大国に常任理事国の特権を付与する国連体制を抜きにしては説明し得ないように思えます。
 
 第1に、NPT体制では、非核兵器国は、核兵器国による安全の保障を要します。中小の非核兵器国に対する安全の保障とは、およそ‘核の傘’の提供と同義となります。南太平洋、東南アジア、アフリカ諸国、中央アジアなど、非核兵器地帯条約を締結している諸国はあるものの、とりわけ、核兵器国との間に紛争を抱える、あるいは、軍事的緊張関係にある非核兵器国の多くは、日本国を含めて核兵器国による‘核の傘’の提供に依存せざるを得なくなります。このことは、非核兵器国の核兵器国への一方的依存の固定化を意味しますので、事実上、前者は後者の被保護国となり、全世界は核兵器国を盟主とした複数の陣営に分かれざるを得なくなるのです(主権平等の原則に反する・・・)。

 第2に、‘核の傘’の提供とは、核兵器国と非核兵器国との間の軍事同盟の締結を意味します。軍事同盟条約には、集団的自衛権に繋がる内容が入る場合が多々ありますので、これが発動されますと、連鎖的に戦争は他の同盟国を巻き込む形で拡大します。すなわち、世界大戦への導火線が準備されていることとなるのです。

 第3に、核兵器国は、自国の核を自らの世界戦略に利用することができます。例えば、中国は、「中国ウクライナ友好協力条約」にあって‘核の傘’の提供、あるいは、核危機に際しての対応措置の交換条件として、自国の台湾併合の容認を求めています。核の保有という事実そのものが核兵器国に外交交渉にあっても有利な交換条件を与えているのであり、非核兵器国は、たとえそれが無理難題であったり、違法性や反倫理性を含むものであったとしても、核兵器国からの要求を飲まざるを得ない立場に置かれているのです。なお、核兵器国からの要求は軍事面に限られているわけではなく、政治や経済、さらには社会や文化、情報等のあらゆる分野に及ぶのです。

 第4に、NPT体制では、核兵器国と非核兵器国との軍事力の格差が、時間の経過と共に限りなく拡大してゆきます。現在では、米中ロにおいてより洗練された戦術核が開発されているように、核兵器国は核テクノロジーをさらに発展させることができます。一方、非核兵器国は、そもそも核を保有していないのですから何時まで経ってもゼロ地点のままです。格差は広がる一方であり、非核兵器国は、現状では如何なる通常兵器を使用しても、最後は核兵器国に逆転されることでしょう(非核兵器国必敗・・・)。このことは、表向きは主権平等の原則の下で国民国家体制が維持されてはいても、全世界は、事実上、核兵器国によって分割されているとも言えましょう。今日、NPT体制はより強固に永続化されているのです。

 そして、第5点として指摘し得るのは、‘戦争の火付け役’ともなりかねないNPTの‘抜け駆け国家’が存在していることです。今日、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮と言った不法及び非合法の核保有国は、核保有の既成事実を造ることで、NPTを遵守している他の非核保有国に対して軍事的に優位な地位を確保しています。停戦中とはいえ、中印国境紛争、中東紛争、朝鮮戦争を考慮しますと、これらの諸国が暴走し(‘鉄砲玉’の役割かもしれない・・・)、核兵器を使用する事態ともなれば、核兵器国である安保理常任理事国の介入を招く事態が予測されますので、第三次世界大戦並びに核戦争に発展しかねない戦争の火種なのです。

 これらの諸点から疑われるのは、戦後の国連体制そのものが、既に軍事大国による世界の分割と潜在的な世界大戦の発生メカニズムを準備していたのではないか、とする疑問です。国連の制度的欠陥とそれを補強するNPT体制は、歴史における偶然の成り行きであったのでしょうか。国民国家体系にあって、真に主権平等、法の支配、平和の実現等を目的に制度設計を試みるならば、敢えて国際連盟の欠陥を改善せずに存続させ、また、安保理常任理事国の一国の意思で即座に国連を機能停止させ得る理事会制度を設けるはずもありません。しかもNPT体制は、かくも杜撰にかつ不徹底な状態に放置されているのです。それが世界権力による意図的計画であれ、第二次世界大戦末期における大国間の‘世界分割’の合意あれ、今日の人類は、国際社会の構造的な問題によって危機を迎えていると言えましょう。

 歴史においてその後の人類の運命を決定づけるような重大な事件が起きた場合、決定者に責任があるのか、それとも時代の必然であったのか、といった論争が起きることがありますが、少なくとも、今日の国際社会には、人類を滅亡させる、あるいは、恐怖によって人類が世界権力に支配されかねない構造的な欠陥があります(プーチン大統領や習近平国家主席ではなく、他の人物が指導者であっても起こりえる・・・)。同欠陥が判明した以上、凡そ国連、軍事同盟、NPT体制の三者によって構成される悪しき構造の是正並びに改革に取り組むべきではないかと思うのです。

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「中国ウクライナ友好協力条約」の隠れたバーター取引

2023年01月11日 09時56分38秒 | 国際政治
 2013年12月6日に中国とウクライナとの間に締結された「中国ウクライナ友好協力条約」は、NPT体制の欺瞞を余すところなく露わにしているように思えます。ウクライナは、1994年に核兵器国による多重保障の下で核を放棄しましたが、両国間の取引を見ますと、その問題点が見えてきます。

 同条約の表面的な構図は、中国がウクライナの安全を保障する代わりに、ウクライナは、核を放棄するというものです。しかしながら、先日の記事でも述べたように、ウクライナの核放棄から凡そ20年が経過し、かつ、当事にあって既に中国も「ブダベスト覚書」に倣ってウクライナの安全保障を約しているのですから、2013年の中国の動きには、どこか不自然さが漂います。この不自然さの根源を探るに際して注目すべき一文が、同条約にはあります。

 それは、「ウクライナは「一つの中国」政策を強く支持し、中華人民共和国政府は中国全体を代表する唯一の合法的な政府であり、台湾は中国の領土の不可分な部分であり、いかなる形態の「台湾独立」にも反対し、相互関係の平和的発展と中国の平和的再統一の大義を支持すると認めた。」というものです。この一文は、核危機に際しての中国による対ウ保障を記したパラグラフの前段に置かれており、この位置関係から、台湾の独立否定は、事実上の‘核の傘’の提供との引き換えではないか、とする憶測もあります。

 この文面と類似する表現を目にしたことがある方も少なくないかもしれません。実のところ、この文章、1972年9月29日に公表された「日中共同宣言」と瓜二つなのです。否、明確に「台湾独立」に反対し、「中国の平和的再統一の大義への支持」という言葉が使われていますので、ウクライナは、当事の日本国政府よりもさらに中国寄りの立場を明確に表明しているのです。

両国間の同バーターは、ウクライナが、親ロ派のヤヌコーヴィチ政権の元であれ、自国の安全保障のために台湾を中国に差し出した、つまり、犠牲に供したことを意味します。一方、2013年と言えば、中国では3月14日に習近平氏が国家主席に選出され、習体制が始動しています。同政権が掲げてきた「中華民族の偉大なる復興という中国の夢」には当然に‘台湾解放(台湾侵略)’も含まれており、積極的な拡張主義は同政権の特徴でもあります。中国における習体制の成立と中ウ友好協力条約との成立とは無関係ではなく、おそらく、非核兵器国に対して安全を保障し得る核兵器国のみが持つ特権を、台湾併合への足場固めとして利用したと推測されるのです。因みに、日本国が中国との間で「日中共同宣言」に合意したのも、中国が核兵器を保有するに至り、台湾国民党政府による本土奪還が事実上不可能となったからとする説もあります。

 「条約法条約」の第34条には、「条約は、第三国の義務又は権利を当該第三国の同意なしに創設することはない」とする、慣習国際法を明文化した一般原則を記していますので、「中国ウクライナ友好協力条約」における台湾に関する締約間での合意も、第三国である台湾に対して法的拘束力を持つことはありません。しかも、国際法において中国には台湾の領有権を主張する足る歴史的根拠も法的根拠も持ち合わせていませんので、同条文自体に違法性が疑われます。それでもなお、ウクライナ政府は同条約を遵守使用するでしょうから、中国には、同条約を維持するメリットがあるのでしょう。

 以上の経緯から、NPT体制における核兵器国の問題は、これらの諸国による一方的な核兵器の使用や核による威嚇のみに限定されるわけではないことに気がつかされます。核兵器国は存分にその特権を活用し、自国の‘世界戦略’に組み入れているからです。そしてそれは、とりもなおさず、戦争要因に他ならないとも言えましょう。今日、第三次世界大戦、並びに核戦争への発展が懸念されるウクライナ紛争も台湾危機も、何れもNPTがもたらしているとしますと、同体制の見直しは急務ではないかと思うのです。

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