万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

情報通信と金融は切り離すべきでは?-競争法の出番

2019年06月30日 13時34分08秒 | 国際経済
スマートフォンといった携帯端末の出現は、社会におけるコミュニケーションの在り方を一変させてしまいました。今では、IT大手が運営するSNSが他者と関わる主たる手段となっている人も少なくありません。しかも、SNSといったネットサービスは無料であるものの、それと引き換えに、ユーザーは利用規約によって位置情報や交友リストなど自らに関する個人情報の一切を事業者に提供する義務を負わされています。このため、IT大手は、個々のユーザーの行動や思想傾向のみならず、人間関係をも全てデータ化して管理することができるのです。

 IT大手は、情報・通信サービス事業と云う名において社会全体をコントロールする手段を手に入れているのですが、社会分野に留まらず、その支配的な野心は、今や経済の分野にまで及びつつあります。IT大手の中には、GAFAの一角を成すアマゾンのように人々の消費行動を把握し得る通販ネットワークを構築した事業者もおりますが、今般、これらの事業者は、本業の事業展開に伴ってグローバルレベルに広げた自社のネットワークを金融分野に転用しようとしています。中国の通販大手のアリババは、既にブロックチェーン技術を用いた国際決済サービス事業に着手していますし、フェイスブックもリブラ構想への参加を打ち上げています。

単一通貨を想定するこれらのケースでは、従来民間の銀行が行ってきた送金や決済業務のみならず、将来的には通貨発行権の掌握をも視野に入れているかもしれません。例えば、リブラは、米ドルやユーロ、あるいは、安定的な公債を準備として発行される予定であり、マイニングを要するビットコインとは異なる‘ステーブルコイン’とされているものの、よく考えても見ますと、ブレトンウッズ体制にあっては金・ドル本位制と称されたように、米ドルの準備高がその国の通貨発行量とリンケージしていました。管理通貨制度に移行した今日でも、為替決済を通して中央銀行は通貨を供給しています。また、特に公開オペレーションの買いオペは、債権を準備とした通貨供給の一面がないわけではないのです。つまり、リブラの発行機関は、事実上、国家の中央銀行と同様の機能を有しているということができるのです。通貨供給量を人為的に調整できる点において、リブラは、ビットコインよりも国家が発行している既存の公定通貨に近いとも言えましょう。なお、仮にリブラが許されるならば、如何なる私人、あるいは、民間団体であっても、独自に通貨を発行することが可能となります。

IT大手が個々人の消費行動、所得、金融資産、投資行動といった経済に関わるおよそ全ての情報を掌握すると共に、自らが既存の銀行や中央銀行の役割をも兼任するとなりますと、IT大手は、民間事業者でありながら、経済全体を支配する強力な手段を手に入れることとなります。それでは、IT大手による国境を越えた経済支配を防ぐことはできるのでしょうか。

 最も有効性が高いと期待できる手段とは、競争法の活用です。競争法上の取締行為の類型の一つに‘集中規制’と呼ばれるものがあります。これは、財閥や企業グループが経済全体を支配するほどに巨大化しないように歯止めをかけるための規制なのですが、これらが参入し得る事業数や業種に対して制限を設けています。‘集中規制’の観点からすれば、IT大手による異業種への参入は、競争法によって規制されて然るべきように思えます。つまり、社会のみならず、経済をも同時に支配する恐れのあるIT大手による金融事業に対しては、その参入を認めないというのも一案です(現行の競争法では難しいのであれば、法改正も必要かもしれない…)。そして、こうした規制は、情報の収集を伴う交通インフラの支配という側面において、中国IT大手のBAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)、並びに、アップルやグーグルによる自動運転システムの開発についても適用すべきようにも思えるのです。

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全体主義化の手段-情報と金融が危ない

2019年06月29日 19時07分43秒 | 国際政治
自由主義国にとりまして、全体主義国を崩壊に導く有力な手段は、これらの諸国にあって抑圧を受けている国民に対して自由化、及び、民主化を働きかけることです。香港での200万人デモが示しますように、政府による24時間国民監視体制など、誰も望んではいないからです。

 自由主義勢力の最大の対抗手段が自由や民主主義を求める人類の本質的性向であり、全体主義国の内部に向かってその体制の崩壊を導いているとしますと、全体主義勢力もまた、自由主義国の国民を隷従化し、全体主義への誘導しようとすることでしょう。それでは、どのような方法で全体主義勢力は、自由主義国においてその目的を追求しているのでしょうか。

 全体主義勢力とは、全体主義国家のみに存在しているわけではありません。自由主義国家の内部にもその国際ネットワークを広げており、自由主義者を装いながら巧妙に全体主義へと人々を誘導しているのです。そこで先ず警戒すべきは、目下、そのテクノロジーを以って時代の最先端とみなされているITの分野です。そもそも‘情報を制する者は世界を制する’と称されるように、情報の掌握は支配をも意味し得ます。中国国民は、スマホ、監視カメラ、顔認証システム等の最先端技術を用いた国民監視システムを介して自らに関する情報を全て当局に握られており、それ故に、中国共産党によって完全に支配されているのです。

 ITテクノロジーが国民監視に有効であることは中国が証明するところですが、実のところ、自由主義国でも同様のテクノロジーが存在しています。つまり、ユーザーの利便性の向上を以ってその有用性が喧伝され、自由な発想の成果としてイノヴェーションの最前線として評価されつつも、同テクノロジーは、全体主義体制との親和性が極めて高いのです。実際に、GAFAに対する近年の風当たりの強さは、これらのIT大手企業が私的検閲を実施すると共に、個人情報を独占的に収集していることに対する人々の不快感と反発によります。‘何処で何をしていても誰かがそれを情報として知っている’という状態は、人々を不快にし、無言の内に支配を受けているように感じるのであり、それは、全体主義国の国民の情報当局に対する感情と然して変わりはないのです。

 そして、IT大手が金融事業に踏み出す時、それは、政治や社会面のみならず、経済分野を含めた全面的支配へと歩を進める時かもしれません。フェイスブックはリブラ構想への参加を表明していますし、日本国でも、LINEがNTTドコモと組んでスマートフォン決裁事業に乗り出し、中国と同様に信用審査システムをも組み込むそうです。官民挙げてキャッシュレスを推進しておりますが、全体主義化へのプロセスでは絶対にない、と言い切れるのでしょうか。自由主義国も含めて全世界が同一の方向に向かって進んでいるとしますと、それは偶然の一致とは思えず、そこには、何らかの全体主義化の計画の存在が見え隠れしているように思えるのです。

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自由主義国を全体主義化するプランとは?

2019年06月28日 18時22分34秒 | 国際政治
 中国やロシアといった諸国は既に全体主義化しており、その国民は、ITやAI等の先端技術によってジョージ・オーウェルの『1984年』よりもさらに徹底した国民監視体制の下に置かれております。それでは、自由主義国の国民は、‘自分たちの国は中国とは違うし、暴力革命も起きていないのだから全体主義化するはずもない’として、安心していられるのでしょうか。

 全体主義国家に対する有効な対抗手段の一つは、抑圧下にあるこれらの国の国民に自由や民主主義を訴えることにあります。人口700万人の香港において200万人もの香港市民が反中デモに参加したのですから、自由や民主主義とは人類が等しく希求する価値であることは疑いようもありません。その一方で、逆に全体主義勢力が自由主義国を全体主義化させようと目論むならば(全体主義勢力は特定の国家ではなく、中国やロシアをも全体主義化した国際秘密組織と推定される…)、自由主義国家の諸国民に対して何らかの工作を仕掛けようとするはずです。それでは、全体主義勢力は、自由主義国家の経済をどのようにして全体主義化しようとしているのでしょうか。

 この問題について、最近、ブログコメント欄(時事随想抄)を介して興味深い情報をいただきました。フリーメイソンの人類(日本)支配計画として、以下のようなプランがあるそうなのです。

第1段階 大量生産→大量消費(民族企業のダイエーが主導)
第2段階 生産と消費の差別(個別)化
第3段階 流通効率化(差別化に瞬時に対応する仕入・販売システム化。POS)
第4段階 店内監視カメラによる個々人の購買行動そのものの把握と仕入・品揃え)
第5段階 全消費(人間)スタンダード(システム)の確立による【与えるモノを消費させる】・・近未来の消費・社会(人間)像

陰謀の存在を信じない人でも、上記のスケジュールを読みますと、現実の経済の動きと凡そ一致していることに気が付くはずです。現状を見ますと既に第4段階に達しており、IT技術の発展により人々の消費行動を含む個人情報はスマートフォン等を介してデータとして収集されています。そして、第5段階に至りますと、人類は、モノを与えられる存在に堕してしまいますので、国家を‘配分マシーン’と化した共産主義体制に辿りついてしまうのです。そこには、古来、経済における人と人との基本的な関係であった‘交換’は見当たりません。つまり、共産主義国家のみならず、自由主義国もまた、5段階を経て同様の計画経済に至るのであり、両者が目指している究極的な未来像は一致しているのです。しばしば、共産主義と新自由主義は同根と指摘されてきましたが、このスケジュール、否、‘工程表’を読みますと合点が行くのです。

自由主義経済を極めた結果、計画経済に至る同計画は、‘経済版メビウスの輪戦略’とも言えるのですが、このような計画の存在を知りますと、今般、官民を挙げて推進されているIT社会化に対して誰もが一抹の不安を覚えるはずです。人類は、一体、どこに連れて行かれようとしているのでしょうか。人類の未来については、人々の隷従を意味する全体主義への道を辿らぬよう、ここで一旦立ち止まり、今般の流れを慎重に検証しつつ、熟慮してみるべきではないかと思うのです。

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日米同盟の双務化問題-陰謀リスク

2019年06月27日 15時07分23秒 | 国際政治
本日の報道に依りますと、先日、米ブルームバーグ通信社が報じたトランプ米大統領による日米安保破棄発言は事実らしく、同大統領自身が日米同盟への不満を漏らしているそうです。最大の不満点として、日米同盟に定められた両国間の義務の不公平性が挙げられていますので(不平等条約?)、日米同盟破棄への言及の真意は、破棄に向けた布石と云うよりも、日本国側に対する防衛経費の負担要求、あるいは、タンカー攻撃事件を機とした海洋警備の協力要請にあるものと推測されます。

 それでは、日本国政府は、トランプ大統領の求めに対してどのように対応するのでしょうか。実のところ、ここで考えなければならないのは、陰謀と云う厄介な問題です。日本国内では、近年に至るまで‘この世には陰謀は存在しない’とする性善説が支配的でした。しかしながら、様々な方面から情報が洩れ伝えられ、かつ、検証が加えられるにつれ、むしろ、陰謀の実在を想定しなくして現実の歴史の流れを説明することが困難となっています。陰謀論が一笑に付せなくなった現実を踏まえますと、否が応でも二つの前提を準備せざるを得ないのです。

 二つの前提とは、陰謀が存在しない無陰謀仮定と陰謀が存在する陰謀仮定です。このため、日本国政府は、陰謀の有無による2つ、及び、両者が混在する混在仮定のケースを合わせて、少なくとも3つの基本的な対策を準備しておく必要があるのです(もちろん、事実が判明した場合は一つに絞ることができる…)。

 最も対策が容易であるのは、無陰謀仮定です。通商面で火花を散らしている米中対立は氷山の一角であり、大局的に見れば自由・民主主義と全体主義との間の価値観、あるいは、世界観をめぐる対立が表面化したに過ぎません。仮に、中国やロシアが、暴力を以って国際法秩序を破壊し、他国の自由や民主主義を手段を選ばずに踏み躙るならば、日本国を含む自由主義諸国は、自らの価値観をかけて全体主義国家と対峙せざるを得なくなります。乃ち、無陰謀仮説では、日本国政府は、来るべき全体主義国との全面対決に備えて日米安保を強化し、両国間での双務性を高める方向で対応することとなりましょう。

 それでは、陰謀が存在する場合には、日本国政府は、どのように対応すべきなのでしょうか。ここで云う陰謀論は、三度の世界大戦を経た国際秘密組織による世界支配の完遂です。ハルマゲドンとは『新約聖書』の「黙示録」に描かれている神の裁きのシーンなのですが(神の裁きに対して悪魔は地上の国王の軍を集めて対抗しようとする…)。また、偽書ともされる『シオンの議定書』にも、各国の独裁者を背後から操る形で世界支配を達成する計画が記されていますので、何れにしても、全人類が計画的に第三次世界大戦に導かれるリスクは否定できないのです。

 この仮定に基づけば、かのトランプ大統領も国際陰謀組織の‘駒’の一つに過ぎず、日米同盟強化、あるいは、日本国の負担増の要求は、人類を騙す壮大なる‘八百長’である世界最終戦争のシナリオに日本国が組み込まれることを意味します。来るべき世界最終戦争では、日本国は、アメリカを中心とする自由主義陣営の一角として中ロを枢軸とする全体主義陣営と戦い運命となるのです。そこで問題となるのは、どちらの陣営が勝利するのか、という戦争の勝敗です。茶番劇なのですから、世界を支配するに至る勝者については同シナリオの作者が予め決めているはずです。世界、並びに、人類支配が目的であるならば、世界最終戦争の勝者が、全世界の諸国、並びに、人類に自由を与えるはずもありません。となりますと、勝者は、全体主義陣営と想定せざるを得なくなるのです。

 陰謀を仮定すると、日本国は、戦争に巻き込まれるのみならず、敗北した上に全体主義体制を押し付けられ、かつ、国際秘密組織による陰湿で無慈悲な支配を受けることとなります。この未来は受け入れ難く、日本国政府は、まずは、あらゆる情報ルートを総動員して陰謀の有無を全力で確認する必要がありましょう。つまり、陰謀の有無を確かめない限り、日本国政府は迂闊には動けないのです(もちろん、陰謀が確認、あるいは、発覚した時点で、日本国政府は、同シナリオから逸早く降りる…)。

 そして、仮に、陰謀の有無が速やかに確認できない場合には、混在仮定に基づいて行動する必要も生じてきます。陰謀仮定にあっては、世界最終戦争において自由主義側、否、「黙示録」を思い浮かべ絶対善なる神が勝利すると信じて国際秘密組織に積極的に協力している勢力もありましょう。また、自国の防衛、並びに、自由と民主主義を護るために愛国心に燃え、命を賭して戦う覚悟の国民も少なくないことでしょう。祖国、あるいは、人類を救おうとする善人と他者を騙して隷従化しようとする悪人とが曖昧模糊として混在する状態に置かれるのですから、このケースが3つの中で最悪です。同ケースでは、実際に陰謀が存在していた場合、少なくとも国民が何も知らないままに戦争に強引に引き摺られてしまう可能性が高く、危険極まりないのです(もしかしますと、第二次世界大戦はこの状態であったかもしれない…)。日本国政府が、情報の収集と分析に失敗する、あるいは、日本国政府もまた‘駒’の一つである場合には、否が応でもこの状態に陥ることとなりましょう。

 それでは、混在型となる場合、何らかの打つ手はあるのでしょうか。第1に考えられる手は、陰謀のシナリオを狂わしてしまうことです。たとえ予め全体主義側が勝利するものと定められていたとしても、その結果を覆すのです。つまり、仮に全体主義国との戦争に至った場合、アメリカをはじめ、他の諸国が敗北に動こうとも、日本国は、持てる力を全て注ぎ込んで最後まで自由と民主主義のために闘うのです。

第2の手段は、全体主義国にあって政府から抑圧されている一般国民の良心を呼び覚まし、自由と民主主義のための共闘を訴えることです。これは、無陰謀仮定においても有効な手段なのですが、全体主義国を内部崩壊に導くことができれば、陰謀の有無にかかわらず、人類は全体主義化の恐怖から解放されることでしょう。

そして第3の手段は、戦争に際して陰謀の有無に関する問題があることを、国際社会に訴えることです。陰謀があり得ることを多くの人々が広く知るに至れば、日本国政府をはじめとして各国政府とも判断に際して慎重にならざるを得ないことでしょう。また、陰謀の可能性がある以上、事実の判明次第では、何時でも政策を変更できるように柔軟性を持たせておくことも重要な備えともなりましょう。

以上に幾つかの対策を考えてみましたが、先ずは、陰謀の有無に関する事実の確認こそ肝要です。戦争に関する陰謀リスクを直視してこそ、日本国は、歴史の失敗を繰り返すことなく、そして、騙されることなく危機を回避できるのではないかと思うのです。

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もしも日米安保条約が破棄されたならば?

2019年06月26日 14時48分31秒 | 日本政治

昨日、日本国内では、トランプ大統領の日米安保条約破棄発言がセンセーショナルに報じられました。日本国政府が即座に火消しに奔走し、かつ、発言内容も基本的には従来の主張の焼き直しではあるものの、良好とされる日米関係に冷や水を浴びせるようなショッキングな出来事であったことは確かなようです。

 

 前回の大統領選挙におけるトランプ大統領の日米安保に対する問題提起は、今日なおも水面下では燻り続けています。政府の役割は、最悪の事態をも想定して対応を準備することにありますので、この問題は、仮に日米安保条約が破棄された場合どうするのか、という問題をも提起しています。それでは、仮に日米安保条約が破棄されたと仮定した場合、日本国は、どのように対応すべきなのでしょうか。

 

おそらく、与野党ともに党内に抱え込んでいる親中派の人々は、即座に中国との軍事同盟を主張することでしょう。しかしながら、一党独裁体制の下で強固な国民監視体制を構築し、チベット人やウイグル人に対して非人道的な弾圧を繰り返してきた中国との同盟に対して、日本国民の大多数は強固に反対することは疑いようもありません。

 

また、米中対立の中での日中同盟は、単にアメリカ陣営から中国陣営への鞍替えを意味するに過ぎず、戦争の可能性が低下するわけでもありませんので、戦争反対の立場から安保条約に反対してきた人々も、ここでしばし逡巡することになりましょう。中国が日本国との軍事同盟を望む以上、それは、アメリカを仮想敵国としているとしか考えられず(軍事的な脅威、あるいは、‘共通の敵’が存在しなければ、同盟を結ぶ積極的な理由はない…)、最悪の場合には、日本列島が中国の‘軍事要塞’と化して、最前線で米軍と闘わなければならなくなるからです。しかも、日米同盟が切れたとはいえ、第二次世界大戦前夜のような日米が対立する決定的な対立要因もないのです。これでは、平和主義からはほど遠いと言わざるを得ません(たとえ、対米戦争において中国陣営が勝利したとしても、中国は‘日本国捨て石作戦’に躊躇しないでしょうから日本の国土が焦土と化し、日本国民に甚大な被害が発生する可能性も…)。中国との軍事同盟路線の先には悲劇的な結末が待ち受けているとしますと、日本国には、他の選択肢があるのでしょうか。

 

中国がダメであれば、ロシアが同盟国となれば、日本国の安全は確保されと主張する人々も現れるかもしれません。しかしながら、北方領土問題に加えて、ロシアの強権主義的な体質に対して日本国民は反感を抱いておりますので、中国との同盟と同様に、日本国民の賛意を得ることは困難です。また、米ロ対立下にあっての戦争リスクは、上述した日中同盟と変わりはないのです。

 

一方、対米共闘の構図ではなく、将来的にユーラシア大陸の支配をめぐってロシアと中国との対立が先鋭化するに至った場合、両国は、日本国の軍事力を当てにして日本国に対して同盟を求める強い動機が生まれます。しかしながら、何れと軍事同盟を結んだとしても、日本国が中ロ戦争に巻き込まれる事態を招くことにもなりましょう。

 

かくして軍事大国との同盟がリスク含みであるならば、中小国家との同盟を模索する勢力も登場することでしょう。朝鮮半島の南北両国、東南アジア諸国、台湾との軍事同盟などが想定されますが、NPT体制によって核戦力において力不足となる点に加えて、通常兵器にあっても劣勢は否めない状況にあります。加えて、各国共に‘仮想敵国’が違うのですから、中小国を大国と匹敵するほどの勢力となるまで纏め上げることも、不可能とは言えないまでも容易なことではありません。

 

それとも、日本国政府は、北大西洋に位置しているわけではないものの、価値の共有を根拠としてNATOへの加盟を試みるべきなのでしょうか。価値観の共有という側面において、中ロとの同盟よりは遥かに日本国民の支持を集める可能性があります。試みるだけの価値はあるのですが、中心国であるアメリカは他国防衛の負担を軽減するために日米同盟の破棄を言いだしており、NATOのメンバー国に対しても同様の方針で迫っている中で、日本国をNATOの新たなメンバーとして受け入れるかどうかは未知数です。ただし、米国がNATOから抜け、結果的に、日本国が米国抜きのNATO、あるいは、EUもしくはイギリスと同盟を締結するという選択肢もあるかもしれません。東西から中ロを挟むという形で(もっとも、弱小連合になりかねない…)。

 

以上に述べたように、アメリカ以外の国との同盟にはリスクも困難も伴うのですが、それでは、国際社会の平和に責任を負う国連に期待すべきなのでしょうか。日本国憲法の第9条は、万が一、他国から侵略を受けた場合における国連による‘救済’を想定していたとされています。しかしながら、日本国を取り巻く中国、ロシア、そして、アメリカも国連安保理の常任理事国であり、いずれも事実上の‘拒否権’を有しています。乃ち、国連による‘救済’も絶望的であり、待てども暮らせどもいつまで待っても国連は姿を現さないことでしょう。

 

となりますと、仮に日米安保条約が消滅した場合の日本国が採り得る最も可能性の高い防衛政策の方針は、何れの国とも同盟関係を結ばない自力防衛と云うことになりましょう。つまり、日米同盟政策の次に来る次善の策は、非同盟政策となる可能性が高いのです。それでは、日本国の非同盟政策は、実現可能なのでしょうか。そして、孤立主義に陥らず、新たな国際秩序を構築するプロセスとしての非同盟政策はあり得るのでしょうか。この問題については、核武装問題も含めて長くなりますので、本日の記事はここまでとし、後日、考えてみたいと思います。

 

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トランプ大統領の日米安保破棄発言の背景とは?

2019年06月25日 19時38分13秒 | アメリカ

米ブルームバーク通信社の報じるところによりますと、アメリカのトランプ大統領は、私的な会話の中でではあれ、日米安保条約の破棄に言及したそうです。日本国の菅官房長官はこの発言を否定しておりますが、真相はまたしても藪の中です。

 同大統領は、安保破棄の理由として同条約の内容がアメリカ側のみが日本国の防衛に責任を負う片務条約である点を挙げております。この主張、大統領選挙戦以来のトランプ大統領の持論であり、特別に目新しいわけではありません。仮に、国賓待遇での訪日、並びに、その後の日本国政府の政策に対する不満、あるいは、失望から安保破棄を言い出したとしますと、それは一大事と云うことになりましょう(もっとも、トランプ大統領の帰国後、日本国政府の外交方針は、親中・親ロにいささか傾斜していた…)。しかしながら、従来の見解の繰り返しであるならば、最近の出来事とはいえ、同大統領が親しい知人との歓談の場でこうした発言をしても不思議ではないのです。二期目を目指して大統領選挙に臨むトランプ大統領は、前回の大統領選挙におけるスローガンを口にしたのかもしれません。

 となりますと、トランプ大統領の発言において考えてみるべきは、何故、今の時期に日米安保条約の破棄の可能性がメディアを介して報じられたのか、ということです。‘複数の関係者の話’としておりますので、おそらく個人、あるいは、民間団体主催のパーティーや支持者との懇談会といった相当数の人々が集まる会でのことであったのでしょう。こうした比較的開かれた場であるならば、大統領の発言を拾ってメディアに流す人物が存在していても不思議ではありません。そして、その‘密告者’は、日米離反を望んでいたのかもしれないのです。 

 このように考えますと、日米安保条約の存在が疎ましい中国、ロシア、イラン等の諸国の関係者が推測されるのですが、あるいは、これらの諸国に影響力を有する国際組織による情報提供であるかもしれません。トランプ大統領の日米安保破棄発言については、その背景こそ、追求してみるべきではないかと思うのです。

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金正恩委員長の‘自分を護れ’命令-国民を護るのが指導者では?

2019年06月24日 17時06分11秒 | 国際政治

今月17日、北朝鮮では、金正恩委員長より大変奇妙な命令が発せられたそうです。その命令(緊急指示文)とは、‘最高司令官同志の身辺の安全をあらゆる方面から擁護、保衛せよ’というものです。この命令、本末転倒も甚だしいと思うのです。

  同命令が国民に下されたのは中国の習近平国家主席の訪朝が発表されたまさにその直後であり、公表されてはいないものの、タイミングからすれば両者の間には何らかの繋がりがあるのでしょう。最も可能性が高く、説得力が高いのは、同主席の訪朝に反対する国内勢力による暗殺を恐れたというシナリオです。ただし、中国の主席訪朝に対して否定的な立場にある勢力は、親米路線を志向するグループ、及び、米中両国から距離を置きたい独自路線派の両者があり得ます。後者の場合、習国家主席をアメリカとの仲介者、あるいは、メッセンジャーと見なしていることとなります。それとも、金委員長は、習主席が暗殺団を同行して訪朝してくると疑ったのでしょうか。

 また、報道に依りますと、最近、北朝鮮は、韓国の脱北者グループがドローンを用いて金日成や金日正の銅像の破壊を試みたとして批判しているそうです。この情報が正しければ、上述した国内の訪朝反対勢力みならず外国からの‘空からの暗殺’もあり得ますので、金委員長としては特に神経をとがらせているのでしょう。また、建国の父、並びに、その後継者の銅像の破壊は世襲独裁体制そのものに対する否定を意味していますので、金委員長には、自らの‘消滅’が同国の体制の終焉に等しいとする自覚があるのでしょう(フランスの絶対王政期を象徴するルイ14世と同様に、金委員長は国家を私物化して‘朕は国家なり’と考えているのかもしれない…)。

 何れにしましても、今般の命令は、北朝鮮の現体制が決して盤石ではなく、米中の狭間にあって動揺を来している証とも言えます。習主席の訪朝をめぐっても到着時の映像がカットされるという不自然な現象が見られたことに加えて、訪朝後には、手の裏を返したように金委員長がトランプ米大統領から受け取ったとされる親書を称賛しています。経済面のみならず、軍事面でも米中対立が先鋭化する中、アメリカ、中国、北朝鮮の三国の関係は不透明さを増すばかりです。 もっとも、視界不良の中にあっても確かなことは、自らを護るように国民に命じながら、金委員長が最も恐れているのは北朝鮮の国民であることです。同命令文には、17日から26日までを特別警戒習慣に定め、工場や企業所ごとの自衛警備団の結成や報奨金付きの‘異常な徴候’の通報に加え、首都平壌への立ち入り禁止や頻繁な外出の禁止など、一般国民に対する禁止事項が並んでいるそうです。つまり、同命令は、国民の自身に対する反感を敏感に察知した金委員長が、国民に対して‘自分を攻撃するな’と命じているに等しいのです。

 統治の原点に立ち返ってみますと、この命令は、冒頭で述べたように本末転倒です。何故ならば、国家、あるいは、それを預かる指導者の役割、あるいは、その存在意義とは、国民を護ることにあるからです。国家と国民との関係が逆転した国、即ち、統治者が自らの役割を忘れて自らを護るように国民に迫るような国は、長続きするはずもないように思えるのです。

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イランの謎-黒幕は?

2019年06月23日 13時27分44秒 | 国際政治

  イランによるアメリカの無人偵察機の撃墜により、世界はあわや戦争と云う危機的な状況に至りました。とは申しますものの、危機は完全に去ったわけではなく、今後の成り行き次第では、イランが第三次世界大戦の発火点ともなりかねません。かくしてイランに人々の関心が集まるのですが、同国を観察すればするほど謎は深まるばかりです。

 今般の米偵察機撃墜についても、同事件は、イランがステルス機を撃墜し得る程の高い防空能力を有する証拠とする意見もあります。同説に従えば、トランプ大統領がイランに対する攻撃を控えた理由は、米軍による爆撃作戦が成功する見込みが薄かったからということにもなるのでしょうが、イランが有する軍事技術のレベルや実態については情報不足のために判断は困難です。しかしながら、仮にイランが高レベルの軍事技術を有しているとしますと、イランがこれらの技術を独自に開発したとは考え難く、おそらく、何れかの軍事大国からの技術支援があったものと推測されるのです(核・ミサイル開発にも同様の疑惑がある…)。

 軍事技術面において大国からの支援が推測される理由は、仮に、イランが高度な科学技術力を独自に開発する能力を有しているとすれば、その技術力以ってすれば、アメリカが課した禁輸措置で悲鳴を上げるはずもないからです。誰もが知るように、イランは世界有数の石油産出国です。採掘された石油の大半は海外諸国に輸出され、石油代金として外貨を得ることでイラン経済は保たれてきました。つまり、イスラム革命によって西欧文明を否定し、イスラム教に基づく国家の樹立を高らかに宣言しながら、その実イランは、経済的自立からはほど遠く、天然資源の輸出に頼る輸出依存型の国なのです

 このため、石油輸出の道が閉ざされると、経済基盤を輸入に頼ってきた分、そのダメージは甚大です。当然に、同国に対する制裁措置が国民生活にも波及し、品不足や価格の高騰に苦しめられることとなります。イラン国民の対米感情が悪化する原因もまさにここにあり、イラン政府も、国民の不満がアメリカ敵視に向かうよう煽っているのです。国内の対米強硬派にとりましては、アメリカによる経済制裁は好都合なのでしょうが、自国の政権を表だって批判できない一般のイラン国民が、本心からアメリカとの戦争を望んでいるのかは怪しいところです。

 そして、資源輸出型の国の特徴の一つは、輸入によって国内の製品需要に応えることができるため、技術面における発展が遅れがちとなることです。イランもまた、イスラム教に基づく国家体制を理想としてきたこととも相まって、製造業等の分野にあって先端的な技術の研究・開発に熱心に取り組んできたわけではありませんでした。産業技術力は軍事技術の基盤となると共に転用も可能ですので、仮に、イランにあって軍事技術のみが突出して高いレベルにあるとしますと、それは殆どあり得ない現象です。となりますと、やはり、イランは、何れかの軍事大国から軍事テクノロジーを‘輸入’している、あるいは、支援を受けていると考えざるを得ないのです。

 

 それでは、イランを支援する軍事大国とは、一体、どこの国なのでしょうか。最も可能性が高いのは、南下政策の伝統に鑑みればロシアと云うことになりましょう。あるいは、経済制裁下において秘かにイラン産の石油を独占的に手に入れ、将来における対米戦争に備えたい中国である可能性も否定はできません。そして、これらの諸国のさらに裏には、全ての諸国を影から操ろうとする勢力も潜んでいるかもしれないのです。今般の事件は、アメリカとイランとの二国間関係のみならず、その背後関係をも明らかにしませんと、その真の目的は見えてこないのではないかと思うのです。

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イランは何故アメリカを敵視するのか?-イランの挙動不審

2019年06月22日 14時57分56秒 | その他

イランが秘かに核・ミサイル開発に乗り出した理由は、中東におけるイスラエルとの対立にあります。しかしながら、よく考えてもみますと、イランには直接的にイスラエルを敵視する合理的な理由は見当たりません。イランの対イスラエル、並びに、対米姿勢には、どこか腑に落ちない点があるのです。

敢えてその主因を探すならば、イスラエル建国、並びにその後のパレスチナ紛争に端を発したユダヤ対アラブの中東戦争にあり、アラブ側に与したイランは、同対立軸においてイスラエルを敵国認定したこととなります。つまり、‘味方の敵は敵’という間接的な関係に過ぎず、イランは、第一次から第4次中東戦争に至るまでアラブ連合軍に参加してはいません。パレスチナ領やゴラン高原の入植地とは異なり、国境を接していないイランはイスラエル軍によって領域を占領されることもなかったのです。イランによるイスラエル敵視政策は中東和平の動きに水を差し、むしろ、戦線を拡大する方向に作用しているのです。

それともイランは、イスラエルのみが核を保有する現状に不満を抱き、ペルシャ帝国の再来を夢見て核・ミサイル開発を試みようとしたのでしょうか。仮に同地域における核のバランスを考慮したのならば、自らがNPT条約違反の行為に手を染めるよりも、イスラエルに対して核放棄を迫るのが筋なはずです(イランは、公式には宗教上の理由から核開発を否定している…)。この方法であれば、国際的な支持を受けることもできますし(ICANも支援?)、厳しい制裁も受けずに済んだはずなのです。中東の覇者となることが核・ミサイル開発に着手した真の動機であるならば、イスラエルの脅威は言い訳に過ぎないのですが、曲がりなりにも国際法が存在する今日にあって、イランが覇者となるために周辺諸国との核戦争に訴える、あるいは、核で脅迫するというシナリオは、得るものも殆どなく非現実的なように思えます。

 それでは、イランのイスラエル敵視は、安全保障上の理由ではなく、合理性を越えた宗教的信条に基づいているのでしょうか。歴史的にみますと、イスラム教とユダヤ教とがかくも激しく敵対するのはイスラエル建国以降となります。『コーラン』にあって、ユダヤ教徒はイスラム教に改宗すべき聖典の民ですが、ユーラシア大陸の大半の地域では両者は共存しており、むしろ協力関係を築いていた場合も少なくありません。キリスト教と比較すれば、ユダヤ教の方がイスラム教との間に親和性が高く、食事にタブーを設ける等の生活習慣や戒律等においても共通性を見出すことができるのです。また、イラン国以内にもユダヤ教徒が居住しておりますので(何故か、ホメイニ師の親族にもユダヤ人がいる?…)、イランがユダヤ人をとりわけ敵視する理由も薄いと言わざるを得ないのです。

 もっとも、イランのイスラム教徒の多くはシーア派であるものの、イランの現体制はイスラム原理主義に近いため、ユダヤ教のみならず、他の一切の宗教や宗派に対して攻撃的なのかもしれません。サウジアラビアに対する敵視も同国がスンナ派の分派であるワッハーブ主義を国教とする国であるからなのでしょう。双方ともが原理主義故に両国は火花を散らすことになるのでしょうが、イランとサウジアラビアとの対立は、イスラエルを主目的としたイランの核・ミサイル開発に対してサウジアラビアが強固に反対する構図となっています。奇妙なことに、イランの核開発は、宗教的に対立していたはずのイスラエルとサウジアラビアとの間に共闘関係をもたらしており、イランは、イスラム教国の結束を打ち砕く役割を果たしてしまっているのです(上述した‘味方の敵は敵’論も成り立たなくなる…)。

 そして、イランがアメリカを敵視する理由となりますと、さらに訳がわからなくなります。イランにとりましてのアメリカとは、ユダヤ系人口が多く、そのロビー活動が政策決定に多大な影響を与えている故のイスラエルとの同一視にあります。確かに、イスラエルはアメリカの事実上の同盟国ではありますが、ここでアメリカとイランが開戦に至るとなりますと、アメリカは代理戦争を戦うと言うことになりましょう。そしてイランは、自ら世界屈指の軍事大国を挑発して戦争に望むという愚を犯していることともなるのです。

  以上に述べましたように、イランの行動は国際社会に混乱と戦争のリスクをもたらすのみであり、自らの首を自らの手で絞めているようにも見えます。イランの指導者が愚かではないとしますと、あり得るシナリオは、イスラム革命以来、イランが何らかの国際勢力によって操られているという可能性です(一種の‘八百長’?)。一見、合理性を欠いた行動でも表向きとは異なる目的を想定すれば理解の範疇に入ることは多々ありますので、イランの挙動不審な言動については、その背景こそ見極めるべきではないかと思うのです。
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イラン情勢-戦争の発端は‘藪の中’

2019年06月21日 17時25分12秒 | その他

近現代の戦争には、古代や中世にはあまり見られない特徴があります。それは、戦争の発端がしばしば‘藪の中’となることです。各国、あるいは、国際勢力が開戦の責任を転嫁するため、あるいは、戦争を正当化するために、盛んに工作活動を展開するからです。今般、日本国の安倍晋三首相がイランを訪問したまさにその時、日本企業保有のタンカーが砲撃を受けましたが、これもまた諸説が入り乱れ、どの組織による犯行なのか事件の真相は不明のままです。米軍無人機も撃墜されていますので、革命防衛軍であれ何であれ、イランによる犯行である可能性は高いのですが、それを確定することができないのです。

 第一次世界大戦はセルビアの一青年による‘サラエボの一発の銃弾が引き起こした’とされていますが、謎がないわけではありません。教科書的には、オーストリアによる1908年のボスニア・ヘルツェゴビナの併合に反対し、大セルビア主義の夢に酔ったボスニア系セルビア人、プリンチップがオーストラリア皇太子夫妻を狙撃した暗殺事件として説明されています。しかしながら、プリンチップの所属した「青年ボスニア」に注目しますと、同組織には、ボスニア系ムスリムやボスニア系クロアチア人も含まれていることに加え、その信奉するイデオロギーもユーゴスラビア主義と汎セルビア主義の二本立てでした。しかも、ドイツ・ロマンティズム、無政府主義者、ロシア系革命主義、ドストエフスキー、ニーチェ、反トルコ主義からも影響を受けていたおり、雑多な思想が入り混じっていたそうです。また、セルビア軍の秘密結社であった「黒手組」からも支援を受けており、その「黒手組」もフリーメーソン等と国際組織との繋がりに関する噂もあります(「青年ボスニア」は、ドイツやイタリアの同様の組織をモデルとしているが、日本国の‘維新の志士’や「青年トルコ」等も同系統かもしれない…)。パレードのコースの変更などケネディ大統領暗殺事件と類似する組織的な工作の痕跡も見られ、幾重にも組織がオーバーラップするサラエボ事件については、真の犯人を見極めることが極めて困難なのです。

 現代の戦争の発端が不透明となる理由は、真の目的、あるいは、計画者を一般の人々の目から隠す必要があったからなのでしょう。盧溝橋事件等にも同様の指摘ができますが、今般のイランをめぐる状況を見ますと、その不透明性こそが、戦争の前兆のようにも思えてきます。そして過去の歴史からしますと、それは、おそらく、上部から敵味方とされる両国の双方において巧みに操られ、流されるままに戦争へと誘導されるのでしょう。しかし、過去の歴史を教訓といたしますと、防ぐ手立てはあるかもしれません。いずれにいたしましても、何れの国の国民であれ、また、如何なる利害関係に身を置く者であれ、相互に善良な一般の人々を殺害し合い、人類文明を破壊するような戦争は防ぐべきです。人類は、教科書ではなく、真の歴史の教訓にこそ学ぶべきなのではないではないかと思うのです。
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韓国の狡猾な‘メビウスの輪戦略’-‘元徴用工訴訟’の仲裁拒否

2019年06月20日 10時28分04秒 | アジア

 報道に依りますと、日韓請求権協定に基づいて日本国政府が提案した仲裁手続きを受託するに際し、条件を付したそうです。それでは、韓国が要求している受託条件とは、どのようなものなのでしょうか。付された条件とは、韓国側による従来の解決案であった日韓両国の政府、並びに、民間日本企業が共同で基金を設立し、同基金から韓国の最高裁で賠償が確定した原告に対して救済金を支払うというものです。この条件付け、どこか奇妙な感がぬぐえません。そして、韓国側の態度に対する違和感がどこから来るのかと申しますと、どうやら韓国は、狡猾な‘メビウスの輪戦略’を実行しているようなのです。

 

‘メビウスの輪戦略’とは、一直線上にあるべき物事の始めと終わりを捩じ曲げてくっつけてしまうことで、輪の上を歩く人々を目的とは反対の方向に導いてしまう詐術的な戦略です。しばしばこの戦略は、国民に不人気な政策や反対を受けそうな事案を政府が実施したい場合、国民の反発を回避するために政治的に用いられてきました。‘メビウスの輪戦略’とは、言葉は悪いのですが、人々の期待を裏切る背信的な‘騙しの手口’なのです。

 

同戦略を今般の元徴用工問題に当て嵌めますと、韓国側の狡猾さがよく理解できます。日本国政府の目的は、国際司法の場で韓国側の言い分の不当性を明らかにし、韓国の最高裁判所が下した日本企業に対する賠償命令を取り消させるところにあります。日本国側が描く解決への道とは、凡そ韓国最高裁判所による賠償命令⇒仲裁手続き⇒日本国側の勝訴⇒韓国側の賠償命令の取り消しです。この解決への流れは時系列上の一直線上にありますので、スタートに戻ることはありません。

 

一方の韓国側の目的は、自国の最高裁判所が下した判決を維持し、原告側に賠償金が支払われることです。ところが、歴代韓国政府も認めていたように、日韓請求権協定、並びに、関連資料を詳細に調べて検討すれば、‘元徴用工’に対する賠償責任が韓国政府にあることはほぼ確定的です。つまり、日本国政府からの仲裁提案を受託すれば、韓国側が敗訴するのです。そこで、韓国側は、ここで前代未聞の奇策を弄することとなります。それは、日本国側が仲裁において勝訴したとしても、日本国を韓国側原告の救済に追い込む策です。

 

‘メビウスの輪戦略’とは、上述したように、一直線上にある始まりと終わりを捻じ曲げて最初の出発点に戻してしまう戦略です。仲裁の受託に際して賠償命令の維持を条件として付す行為こそ、この始まりと終わりを繋げて‘メビウスの輪’を造る行為に他なりません。日本国政府は、たとえ仲裁委員会において自国の主張が認められたとしても、結果を見れば、あろうことか、日本側から救済金を取るという韓国の目的が達成されてしまうこととなるのです。つまり、‘メビウスの輪戦略’によって、韓国最高裁判所による賠償命令⇒条件付き仲裁手続き⇒日本国側の勝訴⇒韓国最高裁判所の賠償命令の維持となり、何時の間にかスタートに戻ってしまうのです。

 

日本国政府は、単独で仲裁手続きを進めると共に、同手段が行き詰ればICJ(国際司法裁判所)への提訴も検討しているそうです。解決機関としてICJを選択しても韓国側が同意する可能性は薄いでしょうから、単独提訴が可能な常設仲裁裁判所での解決を探るのも一案かもしれません。何れにしましても、日本国政府は、巧妙な罠にかかわることなく、筋の通った解決を目指すべきではないでしょうか。

 

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フェイスブックの「Libra」参加は大丈夫?

2019年06月19日 16時05分35秒 | その他

SNSにおいて全世界を網羅するプラットフォームを構築したフェイスブックは、いよいよ金融の分野にも進出する模様です。報道に依りますと、スイスのジュネーブを本部とするリブラ協会が発行・運営してきた仮想通貨「Libra」に参加するそうです。

 当初はフェイスブックがビットコイン形式の独自の通貨を発行するのではないかとする憶測もありましたが、結局は既存の「Libra」への参加というスタイルになりました。マイニングによる‘無から有を生み出す’ような通貨発行ではなく、各国が発行している公定通貨や短期国債といった変動率の低い資産を準備としますので、一先ずは、公的な信用の裏付けがあります。また、米ドルやユーロとの交換も保障されている「ステーブルコイン」であり、いわば‘兌換通貨’なのです(一方、アリババの送金システムは人民元とのリンケージが予測される…)。同社の仮想通貨の目的については、日経新聞朝刊(6月19日付)は、(1)国境を越えた送金・決裁システムの提供、並びに、(2)独自通貨圏の形成の二つを挙げています。

 第一の目的については、27億人とされるユーザーの強みを持ち、グローバルなプラットフォームを有するフェイスブックと「Libra」のメンバーであるマスターカード、ペイパル、ビザといった他の決裁企業との間で利害が一致したのでしょう。今日、全世界で銀行口座を持たない人口は17億を数えると言います。アフリカやアジア諸国が想定されますが、これらの人々は、「Libra」を利用さえすれば銀行に口座を開設しなくとも送金や決済が自由にできるようになります。銀行システムが未整備な諸国は、決裁企業にとりましてもフロンティアであり、ビジネスチャンスでもあります。あるいは、ジンバブエのようにハイパーインフレーションに見舞われたり、自国通貨に対する信頼性の低い国では、自国通貨に代わって「Libra」が通貨の役割を果たすようになるかもしれません。

 第二の目的は、フェイスブックと「Libra」に参加している他のIT関連企業との思惑の一致として理解されます。各社が構築してきたプラットフォームをLibraシステムの内に融合させれば、そこには、一大経済圏が出現する可能性があるからです。現在、ウーバーテクノロジをはじめ30社ほどがLibra協会に加盟していますが、今後、さらに参加企業が増加すれば、自国通貨を使用しなくとも‘Libra圏’で生活できるようになるかもしれないのです。

 以上の二つの目的は、フェイスブックの野心的な経営方針からしますと、何れも理解に難くはありません。しかしながら、これらの二つの目的を同時に追うことはできるのでしょうか。二つの目的を切り離して考えますと実現は可能なように思われるのですが、両者の間には二律背反的な問題が潜んでいるように思えます。

 EUにおいて単一通貨圏となるユーロ圏を構想するに際して、その主たる阻害要因として指摘されたのは、各国間の物価水準の違いです。単一通貨圏内において同じ製品やサービスに対して同一の価格を付けることが難しくなるからです。このため、EUでは収斂基金等を設けて経済レベルの低い諸国を底上げするための積極的な投資を行い、物価水準の平準化を図ろうとさえしてきました。‘Libra圏’でも、国境を越えた送金・決裁が行われるのですから、この問題に直面するはずです。しかも、アフリカやアジア諸国とアメリカ等の先進国との間の経済格差は、EU加盟国間の比ではありません。

 第一の目的を追求するためには第二の目的を諦めて途上国への送金のみに機能を特化しなければなりませんし、第二の目的を追えば、サービス対象を物価水準が同程度で推移している先進諸国に限定し、第一の目的を断念せざるを得なくなりましょう。このように考えますと、フェイスブックの‘Libra圏’構想には、相当の無理があるように思えるのです。

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共産主義はイデオロギー・民主主義は原則

2019年06月18日 18時21分41秒 | 国際政治
一党独裁体制を維持している中国では、兎角に自由主義国の民主主義体制を批判し、自国の国家体制の優越性を主張しています。このため、共産主義の反対語は民主主義とする錯覚も生じるのですが、両者を比較しますと、全く別次元に位置しているように思えます。

 共産主義とは、その真の発案者は別にあるとしても、19世紀中葉にカール・マルクスという一人の思想家によって編み出された思想です。このため、同思想は、マルクス主義、あるいは、それを革命として実践したレーニンを加えてマルクス・レーニン主義とも称されており、思想家の名前と結びつけられています。すなわち、共産主義体制の根拠とは、数多ある思想の一つに過ぎず、イデオロギーと称されるのもその教義化された思想性にあります。この点、キリスト教、仏教、並びに、イスラム教のように教祖の下で教義が説かれ、教典や聖典として確立している宗教に近いとも言えましょう。

もっとも、宗教の場合には、神の領域にあるためにその教義の誤りを指摘することは困難を伴いますが、イデオロギーの場合には、俗人が提唱した思想ですので、その間違いを比較的容易に見つけ出すことができます。言い換えますと、特定のイデオロギーに基づいて建国された国家は、一切の誤りのない思想は殆どあり得ませんので、極めて脆いのです。プロレタリアート独裁を根拠に共産党の一党独裁を認めた共産主義も既に論理破綻しており、この点を考慮しますと、中国の共産主義国家体制は長続きするはずはないのです。

その一方で、民主主義は、国家体制として制度化されている点においては共産主義と共通していますが、特定の思想に基づいているわけではありません。民主主義とは、国民こそが統治権力の源泉であり、あらゆる権力は国民より発するとする基本原則であり、統治上の価値です。民主主義国家とは、普通選挙を始めとしてこの基本原則に基づいて設計されているのであり、国民がこの原則に合意することで‘支配の正当性’が確保されているのです。誰もが認める価値であるからこそ、イデオロギーのように論理破綻によって体制が崩壊することもありません。否、より民主主義の価値を具現化できるよう、常に制度の洗練化や発展が志向されるのです。つまり、民主主義は、永遠なのです。

このように考えますと、中国が、民主主義国家を批判するのは、お門違いと言うことになりましょう。もしかしますと、敢えて共産主義対民主主義の対立構図を演出することで、自らの思想における民主主義の欠落を誤魔化そうとしているのかもしれません。共産主義国家が全世界の覇者となれば、民主主義国家共々に人類普遍の原則であり、かつ、価値である民主主義葬り去ることができるかもしれないのですから。

目下、香港では、条例改正への反対を通して中国共産党政権に対する抵抗運動が起きていますが、中国共産党は、共産主義という自らの国家体制の基盤の脆弱性こそ自覚すべきなのではないでしょうか。そして、人々が、何故、国家が国民を一方的に監視し、自由を束縛し、かつ、権力の源泉を国民ではなくイデオロギーに求めて独裁を強制する体制を嫌うのか、考えてみるべきではないかと思うのです。

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中国による‘金融自爆テロ’に警戒を

2019年06月17日 13時30分30秒 | 国際経済
鄧小平氏による改革開放路線への転換により、中国は、極めて短期間に世界第2位の経済大国に伸し上がりました。同国の急成長を支えてきたのは外資や先端技術の導入であり、このため、中国は、輸出攻勢で一帯一路構想を打ち上げる程に外貨準備を積み上げ、周辺諸国を‘借金漬け’にしながら、自らも膨大な額の外貨建ての債務を抱えることとなったのです。

 冷戦期にあっては、西側諸国はソ連邦をはじめとした東側に対する資金や技術の流出に殊の他警戒し、神経をすり減らしていたことに鑑みますと、冷戦後の中国に対する態度は寛容すぎる程に寛容でした。あるいは、同国が堅持した共産党一党独裁体制は、西側諸国の金融・産業界にとりましては、投資リターンを最大化するには好都合ですらあったかもしれません。共産党の強力な統制力の下で、低賃金・低価格の生産が実現するのですから。かくして、軍事・政治的リスクは脇に追いやられ、両者の対立を絶対視した共産主義思想にあってはあり得ない、‘資本主義国’と‘共産主義国’との蜜月時代が到来したのです。

 しかしながら、アメリカにおけるトランプ政権の誕生は、こうした両者間の関係が終焉に向かう重大な転機となりました。そして、米中対立の長期化が予測される中、中国が米ドルに代わって金準備を積み増して金本位制への移行を目指すと同時に、米ドル基軸通貨体制の崩壊を狙っているとする指摘も聞かれるようになりました。仮に、このシナリオが存在するとすれば、中国は、‘金融自爆テロ’とでも称すべき戦略を選択する可能性もないわけではありません。

 ‘金融自爆テロ’とは、自国の債務の大半が外貨、即ち、米ドルであることを逆手にとった習近平政権によるデフォルトの容認です。そのトリガーとなるのは、アメリカの銀行ではなく膨大な対中債権を抱えるドイツ銀行ではないかとする憶測もありますが、この結果、全世界の金融機関が抱える対中債権の大半が不良債権化、あるいは、回収不能となる可能性があるのです。リーマンショックでも観察されたように金融の世界は複雑なヘッジ関係で連鎖しており、多重的なデリバティブを介して金融危機は全世界に波及します。つまり、中国は、デフォルトを容認することで自らの債務を消滅させ、借金という頸木を振り払うと同時に、アメリカをはじめとした自由主義国の金融システムに破壊的なダメージを与えるかもしれないのです。

 金融危機が発生すれば、自由主義諸国の金融機関の融資能力は著しく低下すると共に、FRBによる救済的な量的緩和策から米ドル相場の下落も予測されます。これを機に中国が金本位制へと移行すれば人民元の信用は一気に上昇し、米ドルに代わる貿易決済通貨としての立場を得ることもできるかもしれません。アメリカは、暫くの間は金融危機への対応に忙殺され、中国脅威論に対する国民の関心も薄れることでしょう(ただし、中国が金本位制に耐えうるほどの金を保有することができるか否かは不明ですし、このシナリオは失敗に終わる可能性が高い…)。

 そして、さらに厄介な点は、国際基軸通貨としての米ドルの地位の凋落を望んでいるのは、中国のみならず、国際金融勢力の中にも存在していることです。となりますと、同シナリオは、中国単独なのか、それとも、合作なのか判断が難しくなるのですが、少なくとも日本国政府、並びに、金融機関や企業は、同シナリオの可能性をも考慮しながら、対中政策や経営戦略を見直し、中国発の金融危機にも動じないよう、‘いざ’と言う時に備えるべきではないかと思うのです。

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宗教と全体主義との親和性

2019年06月16日 14時03分48秒 | 国際政治
 1979年、イランではパフラヴィー朝が倒され、アーヤトッラー・ルーホッラー・ホメイニー師を最高指導者とするイラン・イスラーム共和国が樹立されました。以来、イランでは、宗教的権威が三権の上に君臨するイスラム共和政体が続いています。今般の安倍首相のイラン訪問に際しても、ロウハニ大統領と会談してもあまり意味はなく、最高指導者の地位にあるハメネイ師との会談こそ重要であると説明されていました。

 イラン革命が自発的なものであったのかという点につきましては、ホメイニー師がフランスに亡命していた経歴からしますと、疑って然るべきなのかもしれません。そして、何故、世俗の政治家や活動家による革命ではなく、宗教的な指導者が中心的な役割を果たしたのか、これもまた、イラン革命に残された謎でもあります。

こうした問題はさて置くとしても、特定の宗教や思想に基づく国家体制は、全体主義との親和性が高いという一般的傾向だけは確かなようです。イランはシーア派を国教として定めていますし、共産主義を国家の絶対思想と位置付け、事実上の‘国教’と化した中国もまた然りです。それでは、何故、両者はかくも親和性が高いのでしょうか。

宗教とは、人類史において様々な役割を果たしてきました。時には悩めるや苦しむ人々に安らぎや救いを与え、時には利己的他害行為を禁じる神法を以って社会秩序の維持にも貢献してきました。善なる存在としての神の超越的な視点を人類にもたらした点において、宗教は、弱肉強食の世界から人類を救いだし、人を人たらしめたとも言えましょう。人と動物を隔てる境界線は、宗教の有無によっても引くこともできるのです。

しかしながら、その反面、宗教が特定の人や集団によって利用されますと、逆の方向に作用してしまうことも偽らざる事実です。第一に、自らを超越的な神の座に置き、唯一絶対の神の名の下で政治を行えば、有無を言わさずに他者からの一斉の反対や批判を封じることができます。自らの存在を脅かす政治的なライバルさえ、神の権威を借りれば背信者として容易に葬り去ることができるのです。しかも、誰も、それが神の真の意思であるのかを証明することができません。人類は未だに神の存在証明に成功していませんが、この証明の不可能性は、神の座にある者はいかなる決定をも神の名において為し得ることを意味するのです。

そして、国民は、国家によって心の支配を受けます。自らの国の国家体制が神からあたえられたものであるならば、それを否定することは神の否定ともなるからです。神を疑うことは罪であり、反体制的な言動は宗教上の罪を犯した者として処罰の対象ともなりましょう(中国の場合は思想犯…)。宗教による支配は権威主義体制の一種ですが、権威というものが心の問題である限り、国家は、当然のことのように国民の内面にまで踏み込んでくるのであり、それは、人々の理性の抑圧、あるいは、圧殺ともなりかねないのです。

統治制度を見ましても、特に一神教に基づく場合には、権力の究極の源泉を神に求める以上、その分立も許し難いことともなります。宗教と政治が一体化して国家体制化する時、それは全体主義の脅威が忍び寄る時でもあります。否、逆から考えれば、全体主義体制を目指す勢力は、宗教にこそその実現のための基盤を求めると言うこともできましょう。イランのみならず、日本国内でも、新天皇の即位を機に天皇を中心とした全体主義体制を目指す動きが垣間見られますが、宗教と政治の分離は、国民の自由を護るための先人の知恵でもあることを常に忘れてはならないと思うのです。

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