万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

自民党と元統一教会

2024年02月29日 12時31分15秒 | 国際政治
 自民党と元統一教会との間の不可思議な関係も、創価学会と中国共産党の関係のアナロジーとして理解し得るかも知れません。自民党と元統一教会との関係も、その表向きの立場からすれば正反対であり、‘水と油’の如きなのです。片や日本国の伝統を尊重し、‘日本ファースト’を訴えてきた保守政党であり、片や日本国を侮蔑し、‘韓国ファースト’で行動する新興宗教団体なのですから。ところが、蓋を開けてみますと、両者は密接不可分と言ってもよいほどに連携関係にあり、国民を心底から驚かせているのです。

 この自民党と元統一教会とのあり得ない関係の謎は、両者ともに‘仮の姿’であったとしますと、ほどなく氷解してゆきます。とりわけ元統一教会は、純粋なキリスト教の信者の団体ではなく、教祖のカリスマに魅せられた人々、悩みや孤独感から組織を頼りたい迷える人々、あるいは、その背後に存在する政治権力や利権を敏感に嗅ぎつけた人々の集まりであったのでしょう。そして、これらの人々は、キリスト教の教えとは無関係に、キリストの生まれ変わりを自称する教祖の命じるままに行動したものと推測されるのです。仮に、真のキリスト教徒であれば、教団のトップが、ウクライナ紛争に際して信者に武器を手に取るように煽るはずもなく、信者の家族が生活苦に陥るほど、教団への献金を促すこともなかったことでしょう。ましてや、教祖が決める合同結婚式など、論外であったはずです。元統一教会の実態から見えてくる同教団の姿は、キリスト教からの堕落という意味において、堕天使を思わせるのです。

 こうしたキリスト教徒を名乗りながら堕天使となった元統一教会の行動は、その真の目的が、共産党と同様に神の否定であったとすれば、その不可解さはなくなります。キリスト教の信者団体であるとする先入観から離れ、その設立の当初から天使の衣を纏った堕天使団体であったと考えれば、どこにも矛盾はなくなるのです。それでは、何故、かくも多くの信者が疑うことなく教祖につき従っていったのでしょうか。

 マスメディア等による一般的な説明は、信者の洗脳です。オウム事件に際しても、マスメディアは思考停止に陥っている洗脳状態を解くことが解決手段とばかりに、潜在意識に働きかけるサブリミナル操作やヘッドギアなどの様々な洗脳手段を報じていました。しかしながら、信者達が教団に留まる理由は、洗脳のみではないように思えます。むしろ、洗脳の強調は、真の誘因から目を逸らさせるところにあるのかもしれません。

 最も考えられ得る誘因は、政治と結びついた‘利益’です。近年、創価学会につきましても、創価系企業の存在が注目されるようになっています。大手の中でも創価系として指摘されている企業も見られるのですが、広域的な一種の創価ビジネスネットワークを形成している実態が窺えるのです。しかも、コロナ禍に際してのマスク配布事業で露呈したビオテック事件等で知られるように、急成長を遂げた企業などを見ますと、政治的な利益誘導や優遇措置も推測されるのです。元統一教会も、霊感商法や信者からの寄付のみならず、同教団系列の企業を抱えているものと推測されます。なお、新興宗教団体の経済活動については、アメリカでも、戦後に急速に拡大した新興宗教団体である福音派のビジネスネットワークが、同国の経済において相当の割合を占めているとする指摘もあります。ビジネス相手の紹介から信者の就職先まで斡旋しているとしますと、信仰ではなく、教団に対する信者の経済的な依存が両者の絆であると言えましょう。

 また、政党や政治家が政治的な動員を必要とする場合にあっても、新興宗教団体ほど好都合な存在もないことでしょう。閉鎖的な新興宗教団体であれば、一般国民に知られることなく、教祖を頂点とする組織内の指揮命令系統を介して末端の信者に‘行動指令’を伝達することができます。動員は、古くから為政者が人気を演出するために用いてきた手段なのですが、現代にあって動員事業の主たる担い手は、新興宗教団体であるのかも知れません。この側面からしますと、元統一教会が絡んでいる安部元首相暗殺事件も、その不審点の多さからも‘政治劇’であった可能性も否定はできなくなってくるのです。言い換えますと、堕天使らしく、教団も信者の多くも、世俗的で利己的な欲望や利益で動いているとも言えましょう。日本国内の元統一教会の信者数は60万人程度とされ、選挙に際しての組織票としての影響力は限られていますが(もっとも、選挙活動員としての動員の方が主流かも知れない・・・)、この数字が動員可能な要員数とすれば、その影響力は侮れないのです。

 以上に元統一教会の実像について述べてきましたが、自民党との関係は、同党が動員等において教団を利用する一方で、教団を政治的利権に与るというギブアンドテイクの関係であったことになります。両者間の相互依存関係を見れば、両者が打算で手を結ぶのも理解に難くはないのですが、両者の協力関係は、それだけではないように思えます。共産党と創価学会との間の隠れた共闘関係、すなわち、世界権力の下部組織としての目的の共有は、自民党と元統一教会との間にも見出されるのではないかと思うのです(つづく)。

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中国共産党と創価学会

2024年02月28日 13時51分28秒 | 国際政治
 唯物論者である共産主義者と唯神論者にして唯心論者である宗教家は、水と油のような印象を受けます。神や天国、そして魂の存在をめぐって、両者は、全く逆の立場にあるからです。こうした正反対の関係からしますと、中国共産党と日本国の創価学会との関係は、まことに奇異に見えると共に、理解しがたい現象ともなります。犬猿の仲であるはずの両者がにこやかに握手し、歯の浮くような言葉でお互いを褒め合っているのですから。

 共産党が宗教を否定するイデオロギー団体、創価学会を仏を信じる宗教団体とする表層的な見方からしますと、中国共産党と創価学会の友好関係はあり得ないことなのです。しかしながら、両者ともに仮面を被っているに過ぎないとしますと、この不可思議な関係も不可思議ではなくなります。両者は、ある一つの目的において共闘関係にあるとも言えましょう。そして、その両者を結びつけている目的とは、真の意味での神の否定です。超越者にして善なる存在としての。

 中国共産党を見ましても、同党は、必ずしも全ての宗教を弾圧したわけではありません。例えば、民間において根付いている伝統的な道教などについては、基本的にはそのまま放置していました。民間信仰については、現世御利益を願う世俗的な側面が強いからなのでしょう。その一方で、共産党が目の敵にするのは、人々が共産党をも超える存在として神や仏を崇拝する宗教です。この場合、共産主義との間に人心をめぐるライバル関係が生じ、かつ、この世にあっても、共産党が強いる共産主義社会ではなく、天界が指し示す理想郷の実現を人々が求めるようになるからです。つまり、宗教が欺瞞に満ちた共産主義を凌駕し、宗教が示すより高い理想が信者にあって政治活動や反体制活動を促すとき、共産党は、宗教を心底から怖れ、弾圧へと向かうのです。

 実際に、習近平国家主席独裁体制が強化され、習近平思想の学習が国民に義務化された今日、この流れと並行するかのように、当局による道教や仏教寺院の破壊が報じられるようになりました。例えば、2019年5月には、河北省の仏教寺院であり200年の歴史を持つ妙蓮寺が違法行為を理由に当局によって破壊され、翌月の6月には、黒竜江省にある道教寺院も瓦礫の山となりました。何れも、地元の人々の信仰のよりどころとなってきた寺院であり、妙蓮寺に至っては、2015年に地元の住民や僧達の寄進によって再建されたばかりなそうです。文化大革命よりも苛烈とされる宗教弾圧は、逆の見方からすれば、中国国民の現世、即ち、共産党であれ、習近平国家主席であれ、独裁体制に対する不満が燻っている証とも言えましょう。

 共産主義にあって宗教が否定されたのは、人々の理性を狂わす麻薬性即ち‘向精神性’にあるのではなく、実のところは、共産党というイデオロギーを簡単に越えてしまう、善性の源としての超越性あったのでしょう。人々が‘向神性’を持ちますと、共産主義は最早自らの絶対性や優越性を主張し得ず、消え去る運命が待っているかも知れないからです。地上の思想の一つに過ぎない共産主義には、天上のイメージをもって人々に認識されている神や仏に対して元より勝ち目がないのです。

 キリスト教のカトリックに対しても、中国は、叙任権を認めることを布教の条件としており、この姿勢も、‘神’を共産主義の下に置かなければ安心できない共産主義者の恐怖心の現れでもあります。そして、中国共産党が、日本国の創価学会を‘友’と見なす理由も、創価学会が、宗教団体を称しながら共産党と同じく、権力と富を求める世俗の団体であるからなのでしょう。現世利益を追求する世俗の利権集団であればこそ、中国共産党は、創価学会を怖れもしなければ、迫害しようともしないのです。

このように考えますと、中国共産党と創価学会はその本質において同類であり、自ずと手を結ぶのも頷けます。そして、この奇妙な連携は、世界権力によるイデオロギー団体と新興宗教団体の両者による神の否定に向けた二頭作戦という、払拭しがたい疑惑とも関連しているように思えるのです(つづく)。

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新興宗教団体は神や仏から遮断されているのでは?

2024年02月27日 11時45分51秒 | 国際政治
 フリードリヒ・ニーチェが残した「神は死んだ」という言葉は、過激ではあれ、近代という時代の精神を端的に表しているのかも知れません。共産主義者が祖と崇めるカール・マルクスも、ユダヤ教のラビの家系に生まれたとされながら、宗教に対しては冷ややかな評価を下しています。20世紀に至ると、公然と宗教を弾圧するソ連邦や中国のような共産主義国家も現れる一方で、自由主義諸国にあっても、キリスト教といった伝統宗教に対する信仰心は薄らいできています。あたかも、ニーチェの‘予言’が的中したかのようなのですが、その一方で、数多の新興宗教団体が誕生し、今では政治にまでその影響が浸透するという、奇妙な現象が起きています。それでは、無宗教の人が増える中、新興宗教団体は、神を信じる人々が未だ多く存在していることの証なのでしょうか。

 何れの新興宗教団体も、キリスト教や仏教といった伝統宗教を本体としており、更地から新しく生まれたものは殆どありません。例えば、旧統一教会はキリスト教のプロテスタント(あるいは、‘隠れユダヤ教徒’かもしれない・・・)、創価学会は仏教の日蓮宗から派生しています。何れも世界宗教とされる宗教であり、その教えの基本には、全ての人類を等しく愛し、救おうとする超越した存在としての神や仏の捉え方があります。この超越的で博愛的な側面だけを見れば、共産主義等の唯物論によって否定された神は、未だに健在のように見えます。

 しかしながら、新教宗教団体は、‘敵’であるはずの共産党と類似した団体とする見方もできないわけではありません。何故ならば、新興宗教団体は、巧妙な仕組みによって‘別もの’に変えられている疑いがあるからです。この‘別もの’とは、世俗主義、かつ、権力志向の利益団体です。それでは、どのような魔法をかければ、新教宗教団体は共産党の如き姿に変身するのでしょうか。

 そもそもキリスト教であれ、仏教であれ、新興宗教団体のベースとなる宗教にあって神や仏を信じる理由や目的は、権力でも、現世での富や享楽を得るためでもなく、心の安らぎを得るためです。天界に通じるような清らな心を持つことが、信者にとりましては大事なことであるはずなのです。ここに、超越的な存在である神や仏と繋がろうとする人間の信仰心が認められるのですが、新興宗教団体では、どうやら神あるいは天界との繋がりが断たれてしまっているように見えるのです。

 これまでも、博愛主義を説いた宗教にあって、その教義や教えの解釈の違いから多くの宗派に分かれ、果ては泥沼の宗派対立が起きるというのは、普遍宗教の大いなる矛盾であると指摘されてきました(一神教では宗教間の対立・・・)。共に同一の神や仏を信じながら、何故、信者達は、平和の望みに反して相争うのか、と・・・。新興宗教団体もまた、宗派の一つとも考えられますので、同様の矛盾を孕んでいます。そして、この矛盾に輪をかけているのが、教団の‘教祖’の存在です。何故ならば、教祖の権威は、イエス・キリストや仏陀、あるいは、『聖書』や仏典をもしのぎ、神さえをも越えてしまうからです。人々は、自らの行動を決めるに際して、超越した善なる存在、あるいは、内面の良心に照らすのではなく、教祖や組織の指示に従ってしまうのです。

 教祖の存在が絶対化されますと、神の絶対性と威光を纏った、もしくは、自らカリスマを放つ教祖の存在によって、教団のメンバーと神との精神的な繋がりは遮断されています。教祖は、あくまでも神ではなく世俗に生きる‘人’の一人に過ぎませんので、宗教団体は、いとも簡単に世俗の団体に転換されてしまうのです。しかも、同教祖が、政治的権力を求め、それを利用した現世御利益をもって信者を集めるとすれば、同団体は、政治的利権と利益を求めて集まる利益集団にすぎなくなります。その姿は、自ずと共産党と重なってきてしまうのです。

 ヨーロッパにあって17世紀に起きた宗教改革は、当時にあって腐敗した教会を断罪し、同組織を介さずして神との直接的な繋がりを求める運動でもありました。より理性を尊ぶようになった現代という時代にあって、かくも神や仏から離れた新興宗教団体の現状を憂い、何故、信者の間から宗教改革運動が起きないのか、不思議でならないのです(もっとも、脱会すればよいので、内部から改革する必要性は感じていないのかもしれない・・・)。(つづく)

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各国の農業潰しの意図とは?-‘グローバル農業政策’の犠牲

2024年02月26日 13時02分10秒 | 国際政治
 目下、ドイツ、フランス、オランダなどのヨーロッパ諸国では、農家による政府に対する激しい抗議運動が起きています。同抗議運動の主たる理由として挙げられているのが、農家に対する補助金の削減です。ウクライナ紛争以来、何れの国も物価高に見舞われている折、政府は、補助金の増額どころか、削減の方向に動いているのですから、農家の怒りが爆発するのも理解に難くありません。フランスでは、既に農産物価格が原価割れとなっているそうです。そして、この農家による抗議の広がりは、農家を追い詰める不可思議な政策の推進が一国の問題ではない現状を示しています。それでは、何故、時期を同じくして数多くの諸国の農業が危機に直面させられているのでしょうか。

 政府による‘農業潰し、あるいは、’農業迫害政策‘とでも言うべき農家への圧迫は、近年、日本国においても顕著となっております。長期に亘る減反政策に加え、昨年は、酪農農家の経営が危うくなり、廃業数も増えています。日本国の場合、家畜飼料は輸入に頼っているために円安は飼料価格の高騰を招いていますし、光熱費や配送費も嵩んでいるそうです。このため、赤字経営に陥る酪農家も多く、事業継続が困難となっているのです。こうした場合、常識的に考えれば、政府は、経営維持のための支援策を実施するはずです。ところが、日本国政府は、飼育頭数を減らした農家に補助金を支給するという、事業縮小・廃業推進政策で応じているのですから理解に苦しみます。自らの手で牛舎を閉じさせようとしているかのように・・・。

 それでは、何故、多くの諸国において、政府による不条理な農家潰し政策が行なわれているのでしょうか。これは、全世界レベルでの一斉に起きた現象ですので、単なる偶然とも思えません。そこで、浮かび上がってくるのが、グローバルレベルで推進されている過激な環境政策です。世界経済フォーラムに代表される世界権力は、温暖化ガスの発生原因として農業、とりわけ酪農を目の敵にしています。飼育されている家畜は、生きているだけで‘反地球的存在’となり、その‘抹殺’が試みられていると言っても過言ではありません。昨今、各国の政府やマイクロソフトのビル・ゲーツ氏などが、人工ミートや昆虫食の普及に乗り出しているのも、環境政策とリンケージした‘グローバル農業政策’の一環であるのしょう。

 農家が潰れようが、人々が飢えようが、地球環境が大事という、殆ど狂信者としか言いようがないのですが、世界権力は、真に‘地球環境の保護’を自らの使命としているのでしょうか。‘地球環境の保護’を持ち出せば、全人類のために働いているというスマートな‘格好良さ’と口実を得る事が出来ます。また、反対意見を封じ込め、不満の言葉を飲み込ませるにもうってつけです。‘地球の破壊者’というレッテルを貼ることができるのですから。つまり、正義の仮面を被り、かつ、反対者を悪者に仕立てることであらゆる抵抗を抑えつつ、自らの未来ヴィジョンの実現に向けて歩を進めることができるのです。しかも、なんと申しましても、地球環境問題は、全人類が共に取り組むべきグローバルな問題として宣伝されています。このため、各国の政府が農業潰し政策を行なっても、国民からは当然のこととして見なしてもらえるのです(各国の政府が世界権力のコントロール下にあることに気がつかれない・・・)。

 環境問題は善意を装うために掲げた表看板に過ぎないとしますと、世界権力の真の目的は、別に探さなければならないこととなります。そしてそれは、労せずして自らの懐に巨額の利益が転がり込む仕組みをグローバルレベルで造ることのように思えます。このように推理する理由は、今般の農家迫害政策は、ウクライナ紛争と関連している節があるからです。

 今般のヨーロッパの農家の怒りは、環境政策ばかりに起因しているわけではありません。実のところ、物価上昇は対ロ制裁によるエネルギー価格の上昇、並びに、ウクライナからの安価な穀物の輸入増加も、その原因として指摘されているのです。現実を見れば、ウクライナ紛争における‘利得者’とは、エネルギー資源の輸出においてはロシア(制裁発動後の方が増収・・・)、穀物輸出においてはウクライナです。加えて、アメリカと言ったエネルギー資源や穀物・食肉輸出国も、価格上昇の恩恵を受けていることでしょう。その一方で、ヨーロッパ諸国や日本国は、高い価格で石油や天然ガス、並びに、飼料用を含めた穀物を輸入せざるを得ず、それが‘嫌’であれば、食糧不足に耐えるか、代替食品を受け入れるしかない状況に追い込まれているのです(農地も太陽光発電用に転用・・・)。自らの政府によって。

 全世界を舞台とする‘グローバル農業政策’の存在が表面化しているのですから、陰謀論として斜に構えていられる時期を既に過ぎているように思えます。グローバル時代と称される時代であればこそ、グローバルに構築されている理不尽な仕組みを熟知した上で、各国共に自立性を取り戻し、自国の農業並びに国民の食生活を護るための政策に立ち返るべきではないかと思うのです。

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変えるべきは戦争への対応-兵力や資金より知恵を

2024年02月23日 12時07分05秒 | 国際政治
 今日の国際社会では、戦争が起きる度に、紛争国との関係が希薄であったり、直接的な利害関係が殆どない中立的な国であったとしても、旗幟を鮮明にするよう促されているように思えます。どちら側に付くのかが問題となり、国内の世論が二分されることも珍しくはありません。そして、どちらか一方の○○陣営の一国に括られますと、兵力や資金の提供を迫られかねないのです。実際に、ウクライナ紛争では、日本国は、ウクライナ・アメリカ・EUの所謂‘西側’陣営のメンバー国と見なされ、ロシア=侵略国=悪の固定化された構図の元で多額のウクライナ支援を強いられてきました。しかしながら、冷静になって考えてみますと、この陣営対立を必然とするような二分法的な戦争への対応は、下記の理由から見直しを要するのではないかと思うのです。

 今日に至る国際法の発展は、戦争を違法行為とするに至っています。違法化されれば、戦争はこの世から消え去るように思えるのですが、戦争の違法化には、一つのパラドックスがあります。それは、双方とも自国の正当防衛を主張する、すなわち、相手国を侵略国家として認定すれば、正当防衛行為として戦争を合法的に行なうことができるという、違法化を逆手に取ったような戦争の誘発です。このため、挑発、内部工作、偽旗作戦、政治家の買収など、相手国、あるいは、両国に対して戦争誘導工作がしばしば仕掛けられるのです。

第二次世界大戦を機に制定された国連憲章でも、侵略国家の出現が想定されており、将来的な国連軍創設構想を含みつつ、各国に個別的並びに集団的自衛権を認めています。防衛権の容認とは、逆から見ますと、正当防衛の権利が悪用され、かつ、国際法秩序全体の問題とされた場合、全ての諸国が巻き込まれてしまうリスクを示しています。それが、正当防衛を訴える側の如何なる主観的な認識であったとしても・・・。そしてそれは、二分法的な対応からすれば、各国に対して、‘違法行為’と見なすか、否かが迫られることをも意味します。

 ウクライナ紛争、並びに、イスラエル・ハマス戦争を見ましても、アメリカは、それぞれロシアを侵略国、ハマスをテロリストとして認定し、ウクライナ並びにイスラエルの戦いを正義ための戦争と見なしています。同認定は、同盟国を自らの陣営に引き込み、自らの軍事行動を正当化するための絶対的な必須要件です。国際法秩序の維持を根拠としてウクライナ支援を実施している日本国政府も、ロシア=侵略国の立場を堅持する理由も、まさにこの点にあります(日米安保条約にあっては、日本国にはウクライナ支援の法的義務はない・・・)。自らの政策を正当化するためには、‘疑ってはならない’のです。

 しかしながら、ロシアによる軍事介入であれ、イスラエルのガザ攻撃であれ、その真相は明らかにされているわけではありません。ウクライナ側にもアゾフ連隊によるロシア系住民による非人道的行為が指摘されていますし、ハマスに至っては、音楽フェスティバルを舞台としたテロ事件に散見される不自然さもあって、イスラエルによる偽旗作戦さえ疑われています。あるいは、ロシアは、自らの軍事介入を正当化するために、協力者を介してウクライナを内部から誘導したのかもしれません。そして、最も疑わしいのは、両者を上部から操る世界権力なのですが、何れにしても、中立的、かつ、公平な司法機関によって十分な調査が行なわれ、証拠等が収集されたたわけではないのです。国連安保理における常任理事国の事実上の拒否権による決議不成立も、織り込み済みなのでしょう(この結果、主観的な侵略認定、あるいは、正当防衛認定がまかり通ってしまう・・・)。そして、ウクライナの要請を受けてICJ(国際司法裁判所)がロシアに対して下した暫定措置も、損害を最小限に留めるための推定に基づく仮の決定なのです。

 今日の国際社会における安全保障の多重構造(国連、地域的軍事同盟、国家レベルの防衛)は、国際法によって戦争の違法化が試みられつつも、司法制度の整備が追いつかないために、むしろ、戦争誘発並びに拡大要因となっているとしか言いようがありません。集団的自衛権にしても、発動要件は防衛戦争に限定されてはいても、攻撃を受けたという‘事実’だけで戦火が広がることとなります。言い換えますと、同攻撃の背後に工作活動や謀略等がたとえ存在していたとしても、その存在や事実関係を確かめることなく、戦争が激化してしまうのです。

 こうした問題は、既に多くの諸国にあって深く認識されてきているのかも知れません。実際に、アメリカがロシアを侵略国家として認定しても、同盟諸国以外の国々では、冷ややかな反応を示したり、中立的な立場を表明する国も少なくありません。イスラエルに至っては、その正当防衛の主張も、パレスチナ紛争の経緯やその非人道的な行為によってかき消されているのが現状と言えましょう。イスラエルは、ジェノサイドをはじめとした国際法上の罪が問われており、事態は逆転しているのです。

 こうした国際社会の変化を考慮すれば、今日の国際社会に必要としていることは、司法機能の強化に向けた制度面での改革ではないでしょうか。例えば、二国間での紛争が生じた場合、他の非当事国は、たとえ軍事同盟国関係にあったとしても、中立・公平な国際機関による背後関係を含めた十分な事実調査が済むまでは、紛争当事国を支援したり、集団的自衛権を発動を控えるとすべきかもしれません。また、証拠をもって違法行為が認定された場合でも、同盟国の軍事力は、兵力引き離しや住民保護と言った警察的な活動に限定するといった方法もありましょう。戦争が発生する度に、兵力や資金の提供が求められるのですが、真に提供すべきは、平和のための知恵ではないかと思うのです。

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ウクライナ支援継続も天文学的な負担になるのでは?

2024年02月22日 13時54分57秒 | 日本経済
 一昨日の2月20日付けの日本経済新聞の一面には、「断念なら「天文学的な負担」」と題する記事が掲載されておりました。「平和のコスト」という欄においてウクライナに対する「支援疲れの代償」を論じたものです。同記事には、昨年12月に米戦争研究所が公表したロシア勝利のシナリオに関する予測が紹介されております。‘断念なら天文学的な負担’とは、ウクライナ支援を断念し、ロシアが勝利した場合におけるアメリカにのしかかる防衛費のコストを意味しているのです。しかしながら、ウクライナ支援を継続しても、やはり‘天文学的な負担’が生じるように思えます。

 米戦争研究所の予測は、ロシアの勝利⇒ロシアがEU各国国境の軍備増強⇒NATOも防衛費増額⇒天文学的なコスト・・・ということになります(因みに、既に決定されている600機のF35の配備にしても、一機およそ100億円・・・)。予測される巨額の防衛費を考えれば、ウクライナが敗北しないように支援を継続した方が望ましいという提言なのです。アメリカ国内では、一般世論を含めてウクライナ支援に対する逆風が吹いていますので、同研究所は、より‘悪い予測’を示すことで世論の流れを変えたかったのでしょう。

 しかしながら、同予測は、無限にあり得る将来の展開にあって、最もウクライナ支援の継続にとって説得材料となるシナリオを選んでいるに過ぎないのかも知れません。コスト面で説得しようとするならば、むしろ、即時停戦を提案した方が、より多くの人々が納得したことでしょう。これ以上、ウクライナに巨額の資金を投入する必要もなくなり、かつ、復興費用も抑えることができるのですから。戦闘が停止されれば、後に再建や修復が必要となる居住施設やインフラ等の公共施設の破壊も止まりますし、しかも、現在ロシアが一方的に併合し、主要な戦場となった地域の復興費用は全額ロシアの負担となります。

 ロシアにしてみても、自国が勝利すれば、‘戦後復興’のために多額の予算を費やす必要性も生じるのですから、NATO諸国を震撼させるほどの規模の軍を、ヨーロッパ諸国との国境線に配備する余力があるとも思えません(翌日の21日に同欄で掲載されたロシアに関する「原油収入で継戦能力向上」という記事は、あるいはロシア脅威論に説得力を与えるために配されたのかも知れない・・・)。また、ウクライナに対する‘特別軍事行動’に際して主張した口実、即ち、東西間の内戦も、ロシア系住民に対する虐殺や弾圧といった固有の事情も存在しないのですから、ロシアがヨーロッパ諸国に対して戦争を挑もうとする説は、相当に疑わしいのです。この論法は、ゼレンスキー大統領が事あるごとに支援を引き出すために訴えていたロシア脅威論ですので、一種の常套句なのでしょう。

 その一方で、停戦に持ち込めず、通常兵器による戦闘が続くとすれば、そのコストは莫大です。仮に通常兵器においてウクライナが勝利する状況に至っても、ロシアは躊躇なく核兵器を使うでしょうから、振り出しに戻されてしまうのです。あるいは、アメリカ並びにウクライナ側は、ロシアに核兵器を使わせないために、敢えて膠着状態のまま戦争を続けてゆくという、愚かしい選択を余儀なくされるかもしれません。このケースでも、停戦の見通しも決定的な勝利も見えぬままに、戦費だけは天文学的な額に積み上がってゆくことになりましょう。

 さらに同記事では、日本国の負担増についても語っています。ロシアが勝利した場合、アメリカは、ヨーロッパ諸国の防衛を優先させるため、アジアへの兵器等の配備が手薄になり、中国の脅威に晒されるという説です。しかしながら、この説も、説得力に欠けているように思えます。何故ならば、このまま長期に亘り、外部から言われるがままにウクライナに巨額の支援を続けるよりも、その予算は、対中国を想定した防衛力の強化に向けた方が余程、対中抑止力となるからです。さらに言えば、日本国も核の抑止力で中国を抑えた方が、遥かに低コストかつ高効果となりましょう。

 ウクライナ紛争自体がロシアをも‘駒’とした戦争ビジネスのための茶番である疑いが濃い点を考慮しましても、ウクライナ支援の継続は、日本国を含む全支援国の膨大なる国費の無駄遣い、あるいは、世界権力への‘貢納’になりかねません。日本国政府は、累積支援額が天文学的となる底なし沼に嵌まらぬように、イスラエル・ハマス戦争と同様に、ウクライナ紛争にあっても停戦の実現にこそ努めるべきではないかと思うのです(なお、停戦は、ロシアによるウクライナ領併合の容認を意味するわけではない・・・)。

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トランプ前大統領のNATO撤退論を考える

2024年02月21日 10時55分34秒 | 国際政治
 大手マスメディアは、アメリカのオバマ元大統領については常に好意的な記事を書く傾向にあります。先日も、最もIQの高い大統領として持て囃す記事もあったのですが、同大統領に対する異様に高い評価は、ノーベル平和賞の選考と同様に、核廃絶という一つの物差しで測った結果なのかもしれません。核兵器=絶対悪という固定概念あってこその受賞なのですが、核の抑止力が冷戦期にあって第三次世界大戦を防いだとすれば、全く逆の評価もあり得ます(物事の評価には、‘物差し’そのものが間違っているケースも・・・)。一面からの評価は、必ずしも全ての人々を納得させるわけではないのです。

 オバマ元大統領に対する賞賛を過大評価ではないかと疑うもう一つの理由は、先ずもって‘世界の警察官’を止めたことにありましょう。何故ならば、この‘辞職’は、アメリカ合衆国一国の問題に留まらず、常任理事国に‘世界の警察官’の役割を期待した国連の安全保障体制を根底から崩すと共に、NPT体制をなお一層不条理なものとしたからです。

 そもそも、核廃絶と世界の警察官の辞任は、矛盾しています。警察官が不在となれば、市民は自衛せざるを得なくなるのですから、自らの身を守るために武器を所持しなければならなくなるからです。今日の国際社会の現実、少なくとも、表向きの現実は、国連発足当初から‘世界の警察官’の職に付くこともなく暴力国家化したソ連(ロシア)や軍事大国化の道を選んだ中国といった職務放棄の常任理事国、並びに、イスラエルや北朝鮮などの暴力主義国家にして核保有国が、核を背景に国際社会において幅を利かせています。多くの非核兵器国が核保有国の暴力に晒されている中、警察官がいなくなるのですから、各国とも自国の安全を護るために核保有を求めるのは当然の成り行きとなるはずなのです。自らは警察官を辞しながら、他の諸国に対して武器の携帯を許そうとしないオバマ元大統領は、偽善者と見なされても致し方ないのです。

 しかも、オバマ元大統領は、自ら警察の職を辞しても、なおも拳銃を手放そうともしませんでした。国内の警察組織にあっても、警察官は、職を辞すに際して携帯していた拳銃を置いて去って行きます。警察を辞めてもなお拳銃を所持していれば、日本国のように銃刀法が存在する国では、即、逮捕されることでしょう。国際社会も同じであって、警官の職にない国が他の諸国に優越する特別な武器を保有することは、危険極まりないのです。公的な役割を果たす者にのみ認められていた職務上の特権は、この公職を離れると同時に失うことは、あまりにも当然のことなのです。アメリカのみならず、公的な役割を果たそうとしない常任理事国には、もはや、核を保有する特権を認める理由はどこにも見当たらないのです。

 オバマ元大統領の詭弁に照らしますと、実のところ、今般、物議を醸し出しているトランプ大統領のNATO撤退論は、それが如何に過激に聞えたとしても、正直ではあります。アメリカは、‘警察官の役割を務めるつもりはないのだから、ヨーロッパのNATO諸国は、自らの身は自らで守れ’ということになるからです。目下、同発言に対しましては、ロシアの脅威を前にしてアメリカは無責任であるとする批判的な見解が多数を占めるのですが、むしろ、同発言は、盟主にして核保有国でもある軍事大国に同盟国が従属を強いられる今日の歪な国際体制を、より主権平等や内政不干渉等の原則に沿ったフラットなものに変えてゆくチャンスとなるかも知れません。

 そして、同方向性において鍵となるのは、やはり、NPT体制の見直しと言うことになりましょう。各国が自国を自衛せざるを得ない状況下にあっては、核兵器が最も低コストで効果的な物理的な抑止力となるからです(少なくとも、より確実にミサイルが迎撃できるシステムや指向性エネルギー兵器が実用化されるまでの間は・・・)。この観点からしますと、NPT体制下における合法的な核兵器国であるイギリス並びにフランスのみならず、全てのNATO諸国が各自核武装することとなりましょう。

 国際社会には警察官がおらず、しかも、イスラエルや北朝鮮と言った非道な暴力主義国家も核兵器を保有している現実は、全ての諸国による核保有という選択肢に合理的な根拠を与えています。ロシアも、ヨーロッパ諸国の総核武装を前にしては、迂闊には軍事行動に出られないことでしょう。ウクライナに対するロシアの軍事介入の一要因として、「ブダベスト覚書」によるウクライナの核放棄が指摘されていますが、ヨーロッパ諸国は、トランプ前大統領の発言におののき、アメリカのヨーロッパへの関与継続を主張するよりも、ここは合理性に徹し、自国の安全保障の問題として核保有あるいはNPTの終了を含めた議論を開始すべきではないかと思うのです。空虚な偽善よりも、核の抑止力による平和を求めることは、果たして悪なのでしょうか。

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国際社会が腐敗する理由-岸田政権の低支持率

2024年02月20日 10時00分50秒 | 国際政治
 昨今、岸田政権の支持率が急落しています。既に20%を切ったとの報道もあり、盤石とされてきた保守層からの見限りも指摘されるようになりました。ここに来て支持率が著しく低下した理由は、国民の疑いが確信に変わったからなのでしょう。どのような確信かと申しますと、岸田文雄首相は、全世界に支配網を広げるグローバリスト勢力の代理人であり、日本国をコントロールするために配置された‘パペット’の一人に過ぎないというものです。

 岸田首相の正体が露呈する切っ掛けの一つとなったのは、露骨なまでに不自然なウクライナ支援です。国民が重い税負担に苦しむ中、巨額の国費がウクライナ支援に湯水のごとくに使われたのでは、国民の批判と反発を招くのは必至です。しかも、日本国内では、自然災害であることさえ疑わしい災害が頻発しており、他国の支援に予算を割ける状態にもありません。加えて、能登半島地震で甚大なる被害を受けた被災地復興よりも、未だに戦闘状態にあるウクライナの復興に熱心に取り組んでいるのですから(今月19日には「日ウクライナ経済復興推進会議」を開催・・・)、最早、日本国の政治家、否、首相とは見なされないことでしょう。‘陰謀論’も、事実の前には消え失せそうなのです。

 かくして、日本国は、与野党問わずに政治家が世界権力に取り込まれている実態が明るみに出ているのですが、この問題は、日本一国が抱えている問題ではないようです。アメリカにあってバイデン大統領の支持率が低迷しているのも、ウクライナ紛争であれ、パレスチナ紛争であれ、世界権力の巨大利権でもある戦争ビジネスに加担しているとしか考えられないような言動にあるからなのでしょう。今やマネー・パワーが全世界を席巻している観があるのですが、この問題、国際社会における司法制度の未整備にも原因があるように思えます。

 例えば、今般、日本国政府は、1兆円をゆうに超える支援金をウクライナに供与しています。しかしながら、その資金がどのように使われたのか、その先につきましては、日本国民の大多数が知ることが出来ません。日本国の会計検査官がウクライナに入国し、日本国が提供した資金が適正に使われているのかどうか、調査することは殆ど不可能であるからです。このことは、仮に、供与された資金が別の目的に流用されたり、現地の政治家や政府高官によって横領されたり、あるいは、逆マネーロンダリング(‘きれいなお金’が‘汚いお金’に・・・)されても外からは分からないことを意味します。

 実際に、ウクライナという国は、ロシアによる‘特別軍事作戦’の開始以前から内戦状態にありましたので、かさむ戦費等でデフォルトが懸念されていました。巨額の借金を返済する当てもない状態でロシアとの‘戦争’も始まりましたので、負債額はさらに膨れ上がっていることでしょう。しかも、同国は、‘腐敗指数’が極めて高い世界有数の汚職大国でもあり、世界各国から寄せられた‘善意’の寄付金も、一部の人々の懐に入ってしまっている可能性も否定はできません。あるいは、世界権力による集金のためのドラマが演じられているかもしれないのです。戦場はおろか、ウクライナにおける戦闘状態が現在どうような状況にあるのか、誰も知らないのですから(ウェブ上のウクライナ戦況マップを見ると、何れも‘’○○が△□されていると見られる地域“と表示されているところが興味深い・・・)。日本国政府も、ウクライナへの渡航制限を一部緩和すると公表していますので、案外、ウクライナ国内は平穏であるのかもしれません。

 国際的な支援が‘詐取’であったり、多額の使途不明金等があった場合、支援国も支援を受ける国も、政治家はマージンを得ているのでしょうから、支援国の国民のみが泣き寝入りすることとなります。誰からもチェックされないのですから、悪事は働きし放題なのです。この状態が続いてきたのも、おそらく、国際社会の司法制度が未整備な状態が、世界権力にとりましては好都合であったからなのでしょう。

 現行の制度の欠陥が全世界の政府を世界権力と政治家との間の‘利権共同体’をもたらし、国際社会と国家を共に腐敗させているとしますと、国際社会は、国家間において戦争詐欺や横領等が起きないように、外国への支援に関する規範的なルールを条約として制定すべきなのではないでしょうか。例えば、如何なる支援であれ、外国や国際機関から資金の提供を受ける国には、その使途に関して詳細な明細書を支援国に提出すると共に、必要と判断された場合には、支援国や支援機関の会計検査官を受け入れる義務を負うと言った内容の条約です。条約が存在する以上、双方の政府も、同法が規定する規範に従わざるを得なくなりましょう。そして、同条約に違反する行為があったとすれば、ICJといった国際司法機関に提訴できるよう、訴訟手続きも整えるのです(もちろん、一方による単独提訴も可・・・)。

 支援に関する一般国際法が成立すれば、透明性が高まることにより国際社会の‘治安’は改善されると共に、世界権力による支配から逃れる手段ともなり得ます。もっとも、政治家がパペットの状態では、国際社会の制度改革は何時まで経っても実現しません。目下、上川陽子外相が次期首相のトップ候補に躍り出ておりますが、おそらく、ウクライナ支援路線の継承者として世界権力から白羽の矢が立てられているのでしょう。となりますと、政治家を全面的に入れ替えるのが最も効果的な方法なのですが、現状では、与野党共に世界権力の‘駒’でしかありませんので、なかなか難しい状況にあります。不正なき選挙の下で、如何に独立的な候補者を当選させるのか、何れの諸国も、自国の独立をかけた問題に取り組まざるを得ない状況に直面していると思うのです。

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竹島問題はサンフランシスコ講和条約に基づいても解決できる

2024年02月19日 12時14分08秒 | 日本政治
 竹島問題については、紛争発生以来、アメリカ政府の勧めもあって、日本国政府はICJ(国際司法裁判所)による解決の道を模索してきました。しかしながら、日本国側から解決付託を提案する度に韓国側が拒絶してきたため、同案は実現することなく今日に至っております。ICJの規程並びに規則によれば、紛争当事国の合意がなければ訴訟は原則として受理されないからです。このため、単独提訴も検討されていますが、どうしたことか、日本国政府は、その一歩を踏み出せないでいたのです。こうした中、フィリピンの単独提訴を常設仲裁裁判所が受理し、実際に判決も下されるという事例が、単独提訴の先鞭を付けることとなりました。日本国政府にも、国連海洋法条約を活用するという選択肢が現実味を帯びてきたのです。領土問題に直接に踏み込まないまでも、竹島問題を司法解決する道が見えてきてきたのですが、近年の国際司法の動向から、もう一つ、竹島問題の司法解決の道が現れてきているように思えます。

 もう一つのアプローチとは、紛争解決の手続きを記したサンフランシスコ講和条約第22条に基づくICJへの解決付託です。尖閣諸島と同様に、竹島問題も、日本国の領土権の放棄を定めた同条約第2条の問題です。同条の(a)には、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄する。」とあります。同条文は、今日の韓国という国の国際法上の基本的な法的根拠は同条約にあると同時に、領域までをも定めたことを意味しているのです。

 さらに、サンフランシスコ講和条約の第21条には、中国と朝鮮が有する受益権が明記されており、「・・・朝鮮は、この条約の第二条、第四条、第九条及び第十二条の利益を受ける権利を有する」と明記されています。このことは、韓国は、同条約において法的権利を有し、同講和条約が定めた日本国の領土権放棄の直接的な利害関係国であることを示しています。戦後にあって、韓国は、自らを連合国の一員と見なすように連合国側に求めながら、この要求は却下されています。しかしながら、締約国ではないものの、上記の条文からしますと、同国が、サンフランシスコ講和条約の‘事実上の当事国’であることは明白です。この点に鑑みますと、日本国政府が、同講和条約第22条を援用してICJに竹島問題、即ち、日本国が放棄した領土に竹島が含まれるのか、否か、という問題に対して判断するように求めることは不可能なことではないのです。

 しかも、同講和条約の作成過程にあって、草案の内容を知らされた韓国の李承晩大統領は、アメリカに対して間で竹島等の扱いに対してクレームを付けています。この時の米韓間の往復書簡は既に公開されており、アメリカのダレス国務長官は、韓国の要求を竹島に関する自国の調査の結果として退けています。「ダレス書簡」と呼ばれ、日本国内ではよく知られた書簡なのですが、韓国側が、サンフランシスコ講和条約の草案に意義を申し立てていたことは、決定的な証拠のある疑いようもない事実なのです。

 また、1965年に成立した日韓基本関係条約の前文にも、「一千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約の関係規定及び一千九百四十八年十二月十二日に国際連合総会で採択された決議第百九十五号(Ⅲ)を想起し、・・・」とする下りもあります。日本国と韓国間の国交樹立は同条約を前提としているのであって、韓国側も、この点については承知しているはずなのです(なお、同時に日韓紛争解決交換公文では両国間の紛争の解決には調停に付すとしているものの、この合意も韓国側によって反故にされた・・・)。

 以上の諸点を踏まえますと、本来であれば、サンフランシスコ講和条約による領域の決定に意義を申し立てていた韓国側が、ICJに対し提訴すべき立場にあったと言えましょう。上述したように、実際に、草案作成段階にあって、同条約の草案作成に際して主導的な役割を果たしたアメリカに対して竹島に対する領有権を主張しているのですから。そして、その訴訟の相手国は、日本国ではなく、むしろ、アメリカを初めとした連合国諸国であったはずなのです。もっとも、韓国側による提訴は、独立間もなく、しかも、朝鮮戦争が既に始まっていた時期にあっては、非現実的な選択肢であったのでしょう。そして、竹島問題を韓国側の違法行為として認識しながら、サンフランシスコ講和条約に基づくのではなく、日韓二国間の領土問題の解決としてのICJへの共同付託を提案したのも、韓国と共に朝鮮戦争を戦わざるを得なかったアメリカの‘事情’とも考えられましょう(米韓の対立に・・・)。あるいは、仮に、アメリカが竹島問題について韓国の立場を支持する、もしくは、中立的立場を表明するならば、日本国は、アメリカに対して第2条(a)の解釈並びに運用をめぐる問題としてICJに解決を要請するという方法もあったはずなのです(この方法は、今日でも試みることが出来るかも知れない・・・)。

 ジェノサイド条約の紛争解決条項に基づいてICJがウクライナの訴えを受理したように、竹島問題についても、日本国政府は、サンフランシスコ講和条約第22条に基づく単独提訴という新たな選択肢を手にしています。韓国は、同講和条約の締約国ではないものの、直接的な利害関係国ですので、ICJが受理する可能性は極めて高いと言えましょう。また、「ダレス書簡」が存在する以上、韓国も、サンフランシスコ講和条約に関する争いであることは否定できないはずです(もちろん、韓国側の応訴の有無に拘わらず、法廷は開かれる・・・)。さらには、韓国側が一方的に竹島を占領している現状にありますので、日本国政府は、ICJに対して退去を命じるように暫定措置を要請することもできるかもしれません。国連海洋法条約に基づく単独提訴と並んで、サンフランシスコ講和条約によるアプローチも、試みるだけの価値は十分にあると思うのです。

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竹島問題でも国連海洋法条約は活用できる

2024年02月16日 13時38分49秒 | 日本政治
 国連海洋法条約は、南シナ海問題においてフィリピンが中国を常設仲裁裁判所に提訴するに際して用いられた条約です。「九段線」論など、欠席した中国が主張してきた根拠をも精査し、中国以外の凡そ全て諸国が納得する内容の判決が下されたのは、同条約にあって仲裁手続きについては単独提訴を定めていたからに他なりません。当事国双方の合意を絶対要件としたのでは、法廷が開かれることすらなかったことでしょう。

 そして、この手法は、尖閣諸島問題のみならず、竹島問題にも活用することができます。これまで、日本国政府もアメリカも、竹島問題の司法解決機関として想定してきたのはICJ(国際司法裁判所)でした。ICJの手続きでは、他の条約の解決手段としてICJが指定されていない限り、当事国間合意の要件を満たさなければ受理されないため、韓国側の拒絶の前にこの道を閉ざされたに等しい状態にあったのです。このため、日本国政府には、敢えて単独提訴に踏み切り、韓国側の拒絶理由の提示を引き出すことで圧力をかけるといった方法しか残されていませんでした。この圧力さえ、韓国への配慮からか、日本国政府は二の足を踏んでいたのです。

 かくして、竹島問題の司法解決は足踏み状態となっていたのですが、竹島が‘’島であることに注目しますと、新たなアプローチが見えてきます。ブレークスルーとなるのが上述した国連海洋法条約です。日本国もまた、竹島問題について韓国側の合意を得なくとも、同条約の第287条5項に基づいて、付属議定書Ⅶに定めた仲裁に付すことができるのです。日本国が同条約に基づいて竹島問題を仲裁裁判に付すとすれば、日本国政府には、韓国の行動を違法とする幾つかの主張すべき点がありそうです。

 第一の訴えは、竹島の海岸線を基線として設定されている領海の侵犯と言うことになりましょう。しかも、1954年6月から竹島に常駐している韓国沿岸警備隊の出入港、並びに、海洋警備庁の警備艇等の活動は、無害通航でもありません。公権力の行使ですので、同条約に対する違反行為と見なされます。

 第二の主張は、EEZ内の漁業権を争点とするものです。EEZとは、1996年に国連海洋法条約が発効すると同時に設定し得るようになった、沿岸の基線から200海里の水域であって、領海ではないものの沿岸国には資源等に関する主権的権利が認められています。日韓両国間の境界線の線引きについては、竹島問題を抱えていたため、一先ず竹島を存在しないものと見なしつつ、日本国側が不利となる変則的な境界線が暫定的に引かれることとなりました。かくして、日韓漁業協定が1998年11月28日に署名され、1999年1月22日に発効したのです(旧協定は1965年に締結・・・)。
ところが、その後、韓国側の日本側海域での違法操業が悪質化したため、両国間の関係は悪化します。協定内容の更新交渉が試みられたのですが、同交渉は決裂状態となって今日に至っているのです。目下、双方が自国のEEZにおいて相手国の漁船を閉め出す状態が続いています。しかも、竹島周辺海域では、韓国海上警備庁の警備艦等によって日本漁船は全て排除されているのです。

 こうした中、2018年には韓国の海上警備庁の警備艦が日本海域の大和堆周辺にあって日本漁船に退去を求める警告を無線で送る事件も発生しており、漁業権問題は、竹島問題も絡む形で深刻化しています。現行の日韓漁業協定は、上述したように竹島を存在しないものとして扱っていますが、国連海洋法条約上の権利の争いとして仲裁を求めるという方法もありましょう。もっとも、仲裁裁判所が、二国間協定の優先を理由として受理しない可能性もありますので、日韓漁業協定を一端終了させた上で、改めて竹島周辺海域の漁業権を争う必要があるかも知れません(ただし、日韓漁業協定は、国連海洋法条約の発効を受けて成立しているので、終了を要さない可能性もある・・・)。

 そして、第三の主張も、EEZに関連します。近年、韓国は、竹島周辺海域において積極的に資源調査を実施しています。この行為は、国連海洋法条約第56条で定める日本国のEEZにおける主権的権利の侵害行為に該当しましょう。仮に、海洋の科学的調査を実施するにしても、沿岸国の許可を要するからです(同条約第246条2項)。竹島周辺海域の海底には、良質のメタンハドレーども埋蔵されているとする指摘もあります。

 以上に述べてきましたように、尖閣諸島問題のみならず竹島問題についても、国連海洋法条約上の諸権利の争いとして、日本国政府には司法解決の道が開かれています。第287条5項に基づく仲裁であれば、日本国政府による単独提訴であっても受理されるのですから、ICJへの単独提訴よりも現実的で効果的な手段とも言えましょう。そして、国際社会にあって法の支配の確立を訴えてきた日本国であればこそ、言葉のみではなく、明確な政策方針に基づく司法解決を目指すことを、その行動で示すべきではないかと思うのです。

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尖閣諸島問題で日本国は世界に模範を

2024年02月15日 12時34分01秒 | 日本政治
 尖閣諸島問題の解決については、国連海洋法条約を活用するという方法もあります。それでは、同条約では、紛争の解決についてどのように定めているのでしょうか。

同条約の第15部では、紛争の解決に関する条文を置いています。その第279条では、全ての締約国に対して紛争を平和的手段によって解決する義務を定めており、当然に、日本国も中国も共に同規定に従う締約国としての義務があります。即ち、尖閣諸島問題について日本国が中国に対して平和的な解決を求めた場合、中国側は、この要請に誠実に応える法的な義務があることを意味します(平和的解決の拒絶や軍事的解決は違法行為となる・・・)。

 もっとも、同条約では、解決の付託機関としてICJを指定しているわけではありません。平和的手段については幅広い選択肢を設けており、締約国が紛争の性質や内容にそって解決手段を選べるように設計されています。第一義的には紛争当事国間相互の合意による解決を想定しており、紛争が発生した場合の意見の交換も義務づけています。しかしながら、当事国間による解決が得られない場合には、第三者を介する次の手段に進むこととなります。なお、一般協定、地域協定並びに二国間協定に基づく解決も選択できますので、日本国政府には、サンフランシスコ講和条約や日中共同声明、並びに、日中平和友好条約に基づく解決を中国に対して求めるという選択肢もあります。

 同国連海洋法条約に基づく紛争解決手続きとしては、先ずは調停が挙げられていますが(第284条)、紛争解決機関として(a)付属書Ⅵよって設立される国際海洋法裁判所、(b)国際司法裁判所(ICJ)、(c)付属書Ⅶによって組織される仲裁裁判所、(d)付属書Ⅷに規定する1又は2以上の種類の紛争のために同付属書によって組織される特別仲裁裁判所の4者を挙げています。いずれの国も、これらの手段のうち、1または2以上の手段を自由に選択することが出来るとされています(第287条)。

 ただし、(a)国際海洋法裁判所に関する付属書Ⅵ第24条1項が定める手続きを見ますと、特別の合意の通知と並んで書面による申立てにより手続きが開始されるとありますので、単独提訴も可能なように読めます。しかしながら、上述した第287条の5項には、「紛争当事者が紛争の解決のために同一の手続きを受け入れていない場合には、当該紛争については、紛争の当事者が別段の合意をしない限り、付属書Ⅶに従って仲裁にのみ付すことができる」とあります。この規定があったからこそ、フィリピンは、2016年に南シナ海問題をめぐる解決を常設仲裁裁判所に託さざるを得なかったのです。しかも、常設仲裁裁判所の規程にあっても、一方の当事者による単独提訴を認めているのです。

 以上より、国際司法制度の現状からしますと、日本国政府が中国に対して尖閣諸島問題の平和的な解決を求めるに際して、手続き上、最もハードルが低く、容易な方法とは、フィリピンと同様に常設仲裁裁判所に中国の違反行為を提訴するという方法となりましょう。領有権問題に直接に踏み入らなくとも、他の周辺的な権利上の争いとして判決を得る事はできます。

 その一方で、仲裁では、暫定措置が必要となる場合に、手遅れになる怖れもあります。何故ならば、同条約第290条の5項では、仲裁裁判所が構成されるまでの間、国際海洋法裁判所が同仲裁裁判所の管轄権を推定して暫定措置を定めることができるとしているのですが、他方の当事国への通告から2週間経過する必要があるからです(同2週間の間は、中国に対して実力行使を止める暫定措置命令を発することが出来ない・・・)。もっとも、中国の公船が尖閣諸島周辺の領海内に侵入し、軍事的な威嚇をも繰り返している今日、既に、仲裁裁判に訴え、暫定措置を要請する段階に至っているとも言えましょう。全く当てにならない「海空連絡メカニズム」を日中間で構築するよりも、司法的な手段に訴えた方が余程抑止効果が期待されます。

 何れにしましても、日本国政府には、中国に対して尖閣諸島の平和的解決を要請する条約上の義務があり、同一の義務は、中国にも課せられています。しかも国連海洋法条約のみならず、日中間の二国間条約にあっても中国は平和的解決を拒否できない立場にあるのですから、日本国政府は、当事国の合意による国際司法機関への解決付託を中国に対して申し入れるべきと言えましょう。司法解決を拒絶する正当な理由は、中国にはないはずです。その間、他のアプローチも同時並行的に進める一方で、日中両国の合意による付託を拒絶された場合には、単独提訴の道に切り替えるといった複線的で柔軟なアプローチも必要となりましょう。

そして、何よりも先にすべきは、日本国政府は、領域に関する問題については司法解決を日本国の基本方針とする旨を内外に向けて明示することのように思えます。軍事力に訴える国が安易に戦争を起こす中、日本国政府は、国際社会における平和的解決のあり方の模範を示すべきではないかと思うのです。

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尖閣諸島問題-国連海洋法条約も活用できる

2024年02月14日 12時32分02秒 | 日本政治
 尖閣諸島問題については、サンフランシスコ講和条約、日中共同声明、並びに、日中平和友好条約等の国際法に基づいて平和裏に司法解決する道があります。台湾有事と連動する形で中国との間で戦争が起きる可能性がある以上、日本国政府は、戦争を未然に防ぐためにあらゆる司法的手段をも尽くすべき時とも言えましょう。そして、上記の諸条約の他にもう一つ、日本国政府が単独でも利用できる条約があるとすれば、それは、国連海洋法条約です。

 国連海洋法条約と言えば、2016年にフィリピンが中国を相手取って常設仲裁裁判所への単独提訴に踏み切った南シナ海問題が思い浮かびます。1982年4月30日に採択された同条約には、「海の憲法」とも称されるように169カ国が参加する一般国際法であり、日本国はもちろんのこと中国も締約国の一国です。双方共に同条約の下にあって自国の海域に関する諸権利が保障され、かつ、締約国としての義務をも負っております。このため、サンフランシスコ講和条約のような訴訟資格等に関する問題も生じないのです。

 それでは、尖閣諸島問題の解決について、国連海洋法条約は、どのように活用することができるのでしょうか。先ずもって確認すべきは、尖閣諸島が、海に浮かぶ‘島’であることです。島の領有権が争われる南シナ海問題において同条約に基づく提訴が選択されたのも、係争の対象が、領水、接続水域、排他的経済水域などの法的な水域を設けることができ、かつ、幾つかの権利の異なる地位に分類される‘島’であったからに他なりません。国際裁判所による領有権に関する直接的な判決を得ることはできなくとも、水域に関する法的権利が間接的ながら凡そ確定するのです。因みに、南シナ海問題では、‘欠席裁判’ながらも、中国が同海域一帯の領有権を主張するに際して用いてきた「九段線」は完全に否定されると共に、中国が同海域に一方的に建設した人工島についても、同条約の第60条八項に基づき、領海はおろか如何なる権利も認められませんでした(そもそも人工島の建設も違法・・・)。フィリピンが試みたこの方法は、日本国政府も用いることができます。それでは、日本国政府は、中国のどのような行為を違法として訴えることができるのでしょうか。

 第1の訴因は、国連海洋法条約が定める無害通航に関する中国の違反行為を訴えるというものです。同条約の第17条にあっては、他国の領海については無害かつ同条約に従うことを条件として通航が認められています。しかしながら、中国海警局の船舶による尖閣諸島領海内での行動は、無害とは到底言えません。否、第18条で定義している‘通航’にも当たらないのです。海上警備という公権力の行使のための侵入であり、他の目的地に向かうために領海に入って領海から出ていくわけでもないからです。

 こうした中国海警局の船舶が日本国の領海内で堂々と侵入してくる背景には、1992年2月25日に採択・施行された「中華人民共和国領海及び接続水域法」があります。加えて、2012年9月10日には、「釣魚島及びその付属島嶼の領海基線に関する中華人民共和国政府の声明」を公表し、尖閣諸島に対して直線基線を設定しています。即ち、尖閣諸島の周辺海域に自国の領海、接続水域並びに領海基線を一方的に設定しているのですから、これは、国連海洋法条約上の争いともなりましょう。とりわけ直線基線の設定については、アメリカの国防総省は、1996年に南シナ海で引いた基線と同様に、国連海洋法条約に違反すると指摘しています。第2のアプローチとは、中国の国内法に基づく措置を違法として訴えるというものです。

 そして、第3のアプローチは、排他的経済水域に関する権利の侵害です。尖閣諸島周辺海域には、中国の漁船が押しかける事件も発生し、日本国の漁船が閉め出されている状況が続いています。国連海洋法条約の第62条は、沿岸国に生物資源の利用として排他的な権利を認めていますので(漁獲量の決定権・・・、現状にあっては、中国によって同権利を奪われている状態にあるのです。

 以上に、三点ほどの主要なアプローチについて述べてきましたが、国連海洋法条約も存在しているのですから、日本国政府には、司法解決に向けて多くのカードを手にしていることとなりましょう。真に平和を願うならば、日本国政府には、躊躇する理由はないはずなのです(つづく)。

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中国は法廷で主張すべき-戦争の未然防止策

2024年02月13日 11時44分16秒 | 日本政治
 中国は、古代より自らを比類なき文明国と見なし、周辺諸国を蛮族として蔑んできました。‘中華’という表現こそ、中国人の優越感と自負心を余すところなく表しています。しかしながら、現代の‘中国’は、お世辞にも文明国とは言えないようです。否、人類の多くは中国を抜き去って、その先へと進んでいます。仮に現代の中国が先進的な文明国であるならば、決して台湾を武力併合したり、尖閣諸島を力で奪おうとはしないことでしょう。法的権利の争いなのですから、武力で決着を付けようとするのは、自らを野蛮国に貶めるようなものです。それでは、戦争の未然防止策として、中国を法廷での解決に追い込む方法はあるのでしょうか。日本国政府には、幾つかの策がありそうです。

 第一の案は、日中間で締結された条約に基づく訴えです。この方法については、日本国政府には、凡そ二つのアプローチが可能のように思えます。その一つは、尖閣諸島に対する中国の軍事力の行使を違法行為として訴えるというものです。1972年9月29日に締結された日中共同声明の第六項には、「・・・両政府は、右諸原則及び国際連合の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において全ての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確約する」とあるからです。この条文は、1978年10月23日に発行した日中平和友好条約の第1条において踏襲され、念を押すように再確認されています。これらの条文に照らしますと、今日の中国による国内法による一方的な自国領化とそれに付随する尖閣諸島周辺海域における人民解放軍並びに海警船舶の活動は、条約違反となりましょう。

 もっとも、これらの条文には、平和的解決を定めてはいても、ICJによる解決の付託が明記されておらず、具体的な解決手段については曖昧です。しかしながら、逆の見方をしますと、解決機関はICJに限定されず、常設仲裁裁判所を始め、調停や仲裁などの幅広い選択肢があるとも解されます。何れにしましても、日中関係の基盤となる日中共同声明並びに日中平和友好条約において平和解決の規定が置かれているのですから、むしろ、日本国政府が、何故、同条文を積極的に活用しないのか、そちらの方が余程不思議なのです。

 もう一つの足がかりは、日中共同声明の第三項の解釈に関する争いです。同項は、台湾に関する文章なのですが、「中華人民共和国は、台湾が中華人民共和国の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」とあります。サンフランシスコ講和条約における日本国による領土権の放棄は、一先ずはポツダム宣言第八項を下敷きにしていますので、ここに、日本国政府は、中国を相手取って同項の解釈めぐる争いとして司法解決を求めるという道を見出すことができます(サンフランシスコ講和条約第22条に基づく単独提訴が受理される可能性も・・・)。

 ただし、同訴訟への応訴は、中国が、サンフランシスコ講和条約における日本国の領域確定が、連合国の総意であったことを認めることを意味します。となりますと、中国にとりましては、台湾が帰属未定地域であることを認めることにもなりますので、いわば‘自滅行為’となりましょう。このため、中国が、積極的に応訴する可能性は高くはないのですが、中国が、尖閣諸島に対する日本国の法的根拠を崩すためにはサンフランシスコ講和条約を否定する必要があることを強く認識していることは確かです。

 そもそも、1970年代に尖閣諸島の領有権を主張し始めた際に、中国は、沖縄返還に際してアメリカが尖閣諸島を日本国への「返還区域」に含めたとして批判しています。言い換えますと、サンフランシスコ条約第3条の信託統治の地理的範囲に関する異議申し立てとも解されます。この点においても、中国は、利害関係国として同条約22条に基づいてICJに解決を要請し得る原告適格を有するのですが、敗訴が目に見えていますのでこの手段をとろうとはしていませんでした。そこで、近年に至り尖閣諸島問題に国際的な注目が集まるにつれ、中国は、サンフランシスコ講和条約そのものを否定するプロパガンダを展開するようになったのです(同時に歴史的根拠をアピールするために、2020年10月にはウェブ上に「デジタル博物館」を開設・・・)。

 ところが、中国がサンフランシスコ講和条約をその不当性を理由に否定しようとすれば、条約法条約に基づいて条約の無効をICJに提訴するか、仲裁に付す必要があります(条約法条約第66条)。つまり、中国が、サンフランシスコ条約の無効を主張した場合、国際社会は、先ずもって中国に対してICJに対して判断を仰ぐように強く要請すきなのです。第二のアプローチは、中国の主張を逆手にとって訴訟を促すという方法です。

 以上に述べてきましたように、尖閣諸島問題を平和的に司法解決するためには、幾つかの手段があります。一つに限らず、あらゆる方面から中国に訴訟を持ちかけ、日本国政府は、率先して司法解決の道筋を付けるべきなのではないでしょうか。ウクライナ紛争やパレスチナ紛争における凄惨な戦争の現実は、紛争の平和的解決こそが、全ての諸国の政府の至上命題であることを示していると思うのです。

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尖閣諸島問題のICJ解決の難題の克服方法とは?

2024年02月12日 13時11分09秒 | 日本政治
 ICJ(国際司法裁判所)は、他の条約において解釈や適用をめぐって争いが生じた場合の解決方法として、同裁判所への付託を明記している場合、事件として受理しています。この手続きを用いれば、日本国は、領域をめぐる問題についてサンフランシスコ講和条約の第22条に基づいてICJに訴える訴訟資格があります。サンフランシスコ講和条約では、日本国の領域並びに戦後の信託統治を定める条文があるからです。しかしながら、この手続き、難点がないわけではありません。
  
 先ずもって予測される反論は、中華人民共和国(以下中国)が、サンフランシスコ講和条約の締約国ではない点となりましょう。今般、ウクライナ紛争並びにイスラエル・ハマス紛争では、ジェノサイド条約が法源とされましたが、被告国となったロシアもイスラエルも同条約の締約国です。これらの事例からしますと、中国は、サンフランシスコ講和条約の‘部外者’であり、同条約の法的効果が及ばないこととなります。
 
 この点については、第一に、日本国政府には、連合国側で同条約に加わった46の締約国にあって、尖閣諸島を中国領と見なす、あるいは、中立的な態度を示す国に対して訴訟を起こすという方法があります。同条約の第2条の解釈をめぐって、当時国の間で争いが生じたこととなるからです。例えば、相手国は、アメリカであっても構わないこととなります、何故ならば、アメリカの歴代政権は、日米安保条約の適用範囲について施政権の及ぶ範囲とする基本姿勢にあり、尖閣諸島の領有権問題については曖昧な態度をとっているからです。

 あるいは、アメリカは同盟国でもありますので、日本国による単独提訴という形ではなくとも、両国による特別の合意に基づくICJへの解決付託という道もありましょう。とりわけアメリカは、同条約の第3条に基づいて沖縄県等に対して信託統治を行なっていましたので、信託統治の終了時にあって領土的な変更は一切なかったことを確認することができます。日米合意による訴訟であれば、両国の協力による領有権確認訴訟と凡そ同義となります。
 
 第二の方法は、台湾との間に訴訟を起こすというものです。サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日、日本国は、日華平和条約に署名しています。同条訳の第2条にも、日本国の領土権の放棄に関する条文があり、台湾、澎湖諸島並びに南沙諸島と西沙諸島の放棄は、サンフランシスコ講和条約の第2条に基づくと明記されているからです。つまり、サンフランシスコ講和条約において放棄された台湾並びに澎湖諸島の範囲を確認する裁判を起こすのです。この場合、尖閣諸島は、台湾の付属島嶼であるのかどうか、という点が争点となるのですが、この方法は、日本国と台湾との間での尖閣諸島問題の解決策ともなりますし(台湾も、尖閣諸島の領有権を主張していた・・・)、また、中国による台湾の武力併合を法的手段によって未然に防ぐ手段ともなりましょう。

 もっとも、日華平和条約については、日本国政府は、日中共同声明が結ばれた1972年9月29日に失効したとする立場にあるようです。日本国内では失効済みとする解釈が浸透しているのですが、この失効、日本国側の一方的な認識に過ぎませんし(当時の大平外務大臣が‘事実上失効’と述べた・・・)、1980年における最高裁判所による‘条約終了’の判断も国際法上の効果はありません。台湾側は、同条約の失効を認めていないはずです(国連の条約リストにも抹消されずに登録されているのでは?)。因みに、2009年4月28日には、台湾の迎賓館に当たる台北賓館に、日華平和条約調印時の場面を再現した展示が完成したそうです。この点に鑑みれば、台湾の側が日本国を相手取ってICJに対して日華平和条約の継続性を確認する方が、自然な流れとも言えましょう。先月の1月13日に、台湾では民進党の頼清徳氏が総統選挙で当選しましたが、日台協力の下で法をもって中国の封じ込めを図るという展開もあり得ないわけではありません。

 台湾問題の法的解決につきましては別に論じる必要があるのですが、少なくとも、中国がサンフランシスコ講和条約の当事国ではないことが、即、日本国による単独提訴の道が閉ざされることを意味するわけではありません。そして、次に考えられるアプローチは、中国を、訴訟に巻き込むというものです(つづく)。

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尖閣諸島の司法解決の鍵は台湾並びに信託統治の範囲では?

2024年02月09日 10時03分28秒 | 日本政治
 第二次世界大戦後にあって米英を中心とする連合国との間で締結されたサンフランシスコ講和条約は、日本国が今日抱える領域に関する問題を平和裏に解決する可能性を秘めています。昨今、ICJは、紛争の解決について同裁判所への付託を定めた条約が存在する場合、単独提訴を認める事例が増加しているからです。サンフランシスコ講和条約は、紛争の解決をICJへの委託に求め、戦後の日本国の領域の範囲に関する条項を設けていますので、日本国政府による単独提訴の可能性が見えてきているのです。

 それでは、最初に尖閣諸島問題について考えてみることとします。尖閣諸島問題の司法解決については、そもそも日本国側が‘領土問題はない’とする基本姿勢にあったことに加えて、たとえ日本国が中国との共同提訴を持ちかける、あるいは、単独提訴に踏み切ったとしても、何れにせよ中国の合意を得ることは難しいとされてきました。しかしながら、ICJに領有権に関する直接的な判断を求めることは困難であっても(もっとも、ICJが受理しないにせよ、訴えを起こすことはできる・・・)、上述したように、サンフランシスコ講和条約を踏み台とすることができます。日本国が、同条約に基づいて尖閣諸島の領有権を法的に確立しようとすれば、以下のような幾つかのアプローチがありそうです。

 第一のアプローチは、第2条(b)の台湾並びに澎湖諸島の放棄に関する条文の解釈をめぐるものです。中国は、尖閣諸島の領有権を主張するに際して、同諸島を台湾の付属島嶼であると主張しております。日本国は、同条約によって台湾を放棄したのだから、これに付属する尖閣諸島も放棄したとする立場です。そこで、条約上の台湾の範囲に関する確認の訴えを起こせば、ICJは、1895年の無主地先占の法理による日本国編入や下関条約等を精査し、台湾の範囲を明確に示すこととなりましょう。

 さらに、第2のアプローチとして、第3条に定めたアメリカの信託委任統治の対象地域を問うこともできます。信託統治とは、その名称が示すようにあくまでも‘信託統治’であり、日本国の領域の範囲とは関係がありません。統治権はアメリカに信託したとしても、日本国の領域を変更する法的な効果はないのです。このため、信託統治の終了は、‘領土の返還’ではありませんので、中国は、アメリカが尖閣諸島を日本国に返還したとして批判するのは、的外れなのです。そこで日本国政府は、サンフランシスコ講和条約の第3条が、戦後における尖閣諸島の帰属の変更を意味しないとする確認を、ICJに求めることができるのです。

 そして、第3の‘保険的’なアプローチとしては、第2条における帰属先の空白を用いることです。第2条の各項は、日本国による領土権の放棄を定めてはいるのですが、放棄した後の当該地域の帰属先については何も語っていません。通常の講和条約では、領土割譲として敗戦国が放棄した領域の移譲先を明記するものですが、サンフランシスコ講和条約の第2条では、移譲先が記されていないため、法的には、帰属未定地域となるのです。このことは、たとえ仮に、中国が主張するように尖閣諸島が台湾の付属島嶼であったとする判決が出されたとしても、帰属未定地域であることを意味します。なお、この第三のアプローチは、尖閣諸島問題よりも台湾問題において有効な切り口であるかも知れません(中国には、台湾領有の法的根拠すらないことの確認・・・)。

 以上に述べましたように、日本国政府は、サンフランシスコ講和条約を法源とするICJへの単独提訴によって、尖閣諸島問題の平和的解決の糸口を掴む可能性があります。もっとも、中国の出方につきましては、同条約の締約国ではありませんので応訴拒絶も予測されましょう。しかしながら、一端、裁判所で受理された以上、南シナ海問題における常設仲裁裁判所の判決や今般のウクライナ紛争に際しての暫定措置の決定のように、空席裁判の形で訴訟手続きが進み、判決に至ることでしょう。そして、同条訳第22条に基づく日本国の訴訟資格は、尖閣諸島周辺海域における中国の軍事的威圧行動の停止を求める、ICJに対する暫定措置要請の根拠ともなるのです(つづく)。

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