万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

アメリカによるウクライナへの核兵器提供というオプション

2022年02月28日 11時03分53秒 | 国際政治

 報道によりますと、ロシアのウクライナ侵攻に際して同国に加勢したベラルーシは、今月27日に、ベラルーシを「非核地帯」とし「中立国家」と定めた現行の憲法を改正する国民投票を実施したそうです。非核化の方針を放棄する理由として、NATO加盟国である隣国のポーランドやバルト三国における核兵器配備の可能性を挙げていますが、ウクライナ危機をめぐっては、ロシアが核による先制攻撃を仄めかすなど(プーチン大統領は、核抑止力部隊に特別警戒態勢を取るように命じたとも…)、目下、瀬戸際作戦とも称するべき核戦略上の駆け引きが続いています。

 

 それでは、ベラルーシの核保有は、国際法において許されるのでしょうか。非核保有国の核保有に関しては、NPTの第10条1には、「各締約国は、この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する。…」とする一文があります。脱退手続きとしては、3か月前に加盟各国や国連安保理に通知を行う必要があるものの、同条約は、加盟国が国家存亡の危機に直面するような場合、加盟国に脱退の権利を与えているのです。

 

 同NPT脱退条件に照らしますと、ベラルーシよりもウクライナの方が余程NPTからの脱退条件を満たしているように思えます。前者は、’未来の可能性’に過ぎませんが、後者については、現実にあって核攻撃の脅迫を受けていることは否定のしようのない事実であるからです。ソ連邦崩壊後の1994年における「ブタペスト覚書」に基づいて、ウクライナは核兵器を放棄しましたが、今日の状況は、同国にNPTからの脱退、即ち、核保有の正当性を与えていると言えましょう。

 

 もっとも、ウクライナは、現状にあって核兵器を製造・運搬する独自の技術や設備を備えているわけではなく、自力での核武装を実現するには相当の時間を要します。このことは、たとえ核兵器を保有する権利があったとしても、今般の危機に際しては‘権利はあるけれども使えない’状態にあることを意味します。この点に関しては、ベラルーシも立場が同じなのですが、同国の方針を見ますと、ルカシェンコ大統領は、自国の核武装についてはロシアの核兵器の配備を想定しているようです。そして、この論理が通用するならば、ウクライナに対しても、他の核保有国が核兵器を提供することも認められることとなりましょう。

 

 1994年の「ブタペスト覚書」にあっては、ロシア、アメリカ、イギリスの三カ国が、核放棄後のベラルーシ、カザフスタン、並びに、ウクライナの安全を保障していますので、ベラルーシに対してロシアが核兵器を配備するならば、ウクライナに対して、アメリカ、あるいは、イギリスが核を提供しても、ロシアは法的にも論理的にも、そして、道義的にも批判はできないことでしょう。否、「ブタペスト覚覚書」を誠実に順守するならば、アメリカ、並びに、イギリスには、ウクライナに対して核兵器を提供することは、協定上の義務とも言えるかもしれません(ICBMやSLBMによる提供もあり得るかもしれない…)。

 

 以上に述べてきましたように、アメリカ、あるいは、イギリスによるウクライナに対する核兵器の提供は、国際法上における合法的な行為となり得ます。NATOの東方拡大問題やウクライナ国内における’民族対立、あるいは、背後に蠢く超国家権力体の’等の問題については一先ずは置くとしても、ウクライナに対する核兵器の提供というオプションは、ロシアの軍事行動に対して抑止的な作用を及ぼすかもしれません。もっとも、アメリカのバイデン政権は、非核化に熱心に取り組んできた民主党の政権ですので、ウクライナへの核提供に対しては核不拡散の観点から消極的な姿勢を見せることも予測されますが、今般のウクライナ危機を機に浮き彫りとなった核の抑止力の問題は、今日、NPT体制、あるいは、核兵器禁止条約を含めた非核化体制が曲がり角を迎えつつあることを示しているように思えます。そして、それは、日本国を含む全ての諸国の防衛、並びに、安全保障の行方とも深くかかわっていると思うのです。


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ウクライナ危機が問う核武装の善悪問題

2022年02月25日 15時38分43秒 | 国際政治

 第二次世界大戦後の世界では、植民地主義の終焉もあって国家間における主権平等の原則は当然のこととして受け入れられています。その背景には、国際法の発展によって実現した全ての国家の法人格としての平等化、あるいは、対等化があり、何れの国も、独立国家として国際法上の法人格を有しています。他国と対等の立場で条約等を締結し得るのも、国際法秩序にあって法人格が認められているからに他なりません。法人格とは、自己決定権、即ち、他国から干渉されることなく自国の政策を決定できる独立性と凡そ同義とも言えましょう。

 

 国際法における主権平等の原則が確立する一方で、力学的な観点からしますと、第二次世界大戦後の国際社会は、超大国とそれ以外の中小国との軍事的な格差が拡大した時代とも言えます。先日のブログでも説明したように、例えば核拡散防止条約の成立は、国連安保理常任理事国である中国を含む米ロ超大国、並びに、英仏等に独占的な核保有権を認めていますし(何れの核保有国も核兵器禁止条約に非加盟…)、ハイテク兵器が開発されている今日では、軍事テクノロジーの格差は広がる一方です。パワーバランスは極少数の軍事大国に大きく傾き、超国家と軍事同盟を結ばない限り、中小国が自力で自国を防衛することは著しく困難となったのです。

 

 かくして、今日の国際社会は、国際法においては主権平等の原則が謳われながら、軍事力において超国家が君臨するという歪で非対称的な世界が出現しています。このことは、法や合意ではなく、力のみを信じる暴力主義国家が現れた場合、主権平等の原則に基づく国家間の対等性は脆くも崩れ去ることを意味しています。そして、ロシア軍によるウクライナ侵攻こそ、ロシアという暴力主義国家によって、人類がその優れた知性によって築いてきた国際法秩序が問答無用とばかりに破壊された瞬間であったともいえましょう(もっとも、ロシアにせよ、中国にせよ、国際法秩序の破壊行為はこれが初めてではない…)。

 

 そしてここに、今日、法秩序を基盤とした平等原則が暴力主義によって無残にも打ちのめされた場合、どうすべきなのか、という問題が提起されることとなります。同問題に対する解決アプローチとしては、およそ二つの方向性があるのかもしれません。その一つは、あくまでも主権平等の原則の遵守をロシアに訴え、ロシアの行動を変えさせるというものです。西側各国が着手している経済制裁などはこの路線に沿った対応とも言えましょう(もっとも、ロシアは、これまで西側に輸出してきた自国産のエネルギー資源を中国に売却する可能性が高く、制裁効果は危ぶまれている…)。

 

もう一つは、軍事力においても諸国間の関係が対等となるように、ロシアではなく、他の諸国、否、国際社会が従来の安全保障体制を変えるという選択肢です。大国も小国も軍事力において対等となるなど、一見、不可能なように思えます。国家間の間には、地理的条件のみならず、科学技術のレベルをも含めた国力差というものがあるからです。しかしながら、真剣に検討するに値する選択肢があるとすれば、それは、全世界の諸国による同時的な核武装なのかもしれません。イランや北朝鮮等は、核拡散防止条約の’抜け駆け’によって核武装を実現しようとしましたが、これらの諸国は、軍事的弱小国、あるいは、経済的な最貧国であっても核開発やその保有を仄めかしただけで、超大国と対等に渡り合える可能性を示しています。条約を誠実に順守している善良な国家の安全が保障されない一方で、条約違反の国家の安全が確保されている現状は、理不尽としか言いようがありません。

 

 今日、核廃絶が人類の目指すべき目標とされている最中にあって、全ての諸国による核武装を主張しようものなら、即、危険人物、あるいは、悪人扱いされてしまいそうです(私も含めて…)。しかしながら、ウクライナ危機が’暴力の勝利’があり得る現実を人類に突きつけている以上、力における諸国間の対等性を追求することが’悪’であるとは言い切れないように思えます。刀狩をしてしまいますと、暴君が出現しても最早抵抗する術はありません。否、抵抗手段がないことを見越して、暴君はさらに悪を極め、より侵害的な行動に出ることでしょう。暴力主義国家に対する正当防衛の手段は、それが核の抑止力であっても、何れの国家に対しても等しく認められるべきなのではないかと思うのです。皆さま方は、どのようにお考えでしょうか。


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ウクライナ危機が露呈する戦後の安全保障体制の致命的な欠陥

2022年02月24日 18時31分11秒 | 国際政治

 ウクライナに対するロシア軍の侵攻が現実のものとなった今日、人類は、第二次世界大戦後に構築されてきた安全保障体制の致命的な欠陥という問題に改めて直面しているように思えます。凄惨を極めた第二次世界大戦の経験は、国際聯盟に代る国際連合という凡そ全世界の諸国を網羅する新たな集団的安全保障体制を誕生させ、さらに70年代以降にあっては、リスク管理の名の下で核兵器の開発・保有等は厳しく制限されてきました。しかし、こうした平和への努力は、その制度的欠陥によって裏目に出たとしか言いようがないのです。

 

 先ずもって、国連にあっては、国際の平和が脅かされる事態が発生した場合(国連憲章第7章)、常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、及び中国に対して事実上の拒否権を与えています。このことは、常任理事国が平和を破壊する侵略行為を働いた場合、国連を枠組みとする集団的安全保障のシステムは全く機能しないことを意味します。今般のロシアによるウクライナ侵攻はまさしく同ケースに当たり、たとえ、緊急事態の発生を受けて安全保障理事会が開かれたとしても、ロシアによる拒否権発動により、安保理決議が成立する可能性はゼロと言っても過言ではありません。国連の制度設計に内在する同欠陥は、既にその発足時から認識されていましたので、国連が機能不全となる事態の発生は、当初から織り込み済みであったとしか言いようがないのです。

 

 この文脈からしますと、国連憲章の第51条において加盟国に認められている個別的、並びに、集団的自衛権は、国連の欠陥を補う条項として理解されるのですが、超大国が抜きんでた軍事力を有するようになった現実を直視しますと、同条文によっても全ての加盟国の安全が保障されるわけではないことは明白です。兵力のみならず、軍事テクノロジーにおいても遅れをとっている中小国が、ハイテク兵器を有する常任理事国でもある超大国の侵略を防ぐほどの防衛力を備えることは実際には不可能であるからです。しかも、先述した核拡散防止条約の成立は(今日では、並行的に核兵器禁止条約も存在している…)、唯一とも言える中小国の大国に対する軍事的対抗手段を禁じ手としてしまいました。核の抑止力を以って超大国の軍事的野心を牽制することは、国際法違反の行為とされたのです。

 

 かくして、中小国の多くは、多国間、あるいは、二国間の軍事同盟条約を締結し、超大国の核の傘に入ることによって自国の安全を確保することとなるのですが、それでは、’核の傘’のない国の運命はどうなるのでしょうか。ウクライナの場合、ソ連邦崩壊後の1994年に、ベラルーシ及びカザフスタンと共にアメリカ、ロシア、イギリスと「ブダペスト覚書」を交わし、自国領域内に備蓄されていた核兵器はロシアに引き渡しています。この際、三国は、核放棄、即ち、核拡散防止条約への加盟の見返りとして、ウクライナの独立・主権、国境線の尊重を約するのみならず、同国に対する武力行使等のみならず核兵器の使用の自粛でも合意しています。

 

同覚書に照らしますと、ロシアのウクライナ侵攻は明らかに国際協定違反となるのですが、ここで一つの疑問が湧いてきます。それは、仮に、ウクライナが核兵器の放棄に応じていなかったならば、ロシアは、同国に対してかくも攻撃的であったのだろうか、というものです。結局、ロシアの協定順守を信じて核兵器を放棄したウクライナは、ロシアに騙されたに等しいということになりましょう。安保理常任理事国による軍事同盟かつ核なき国に対する攻撃は、ウクライナに救いのない状態をもたらしているのです。

 

国連の設立も核兵器廃絶もその目的は平和にあるのでしょうが、現実には、ロシアや中国のように合意があっても一方的に反故にし、かつ、国際法を踏みにじる国家も存在しています。そして、理想の希求がむしろ平和に対する脅威をもたらすという忌まわしき現実は、今日、戦後の安全保障体制の抜本的な見直しという問題を、全人類に対して提起しているように思えるのです。


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ウクライナ危機が問う積み残された問題

2022年02月23日 18時37分14秒 | 国際政治

 ロシアが周辺諸国に仕掛ける強引な分離独立戦略は、今日、国際社会の平和を乱す重大な脅威として認識されています。国連憲章をはじめ、国際社会は、先ずもって国際紛争の平和的解決を求めていますし、1974年に国連総会で採択された「侵略の定義に関する決議」でも、他国の領域への侵入や攻撃は侵略とされていますので(第1条・第3条)、今般のロシアの軍事行動は、国際法違反であることは明白です。このため、西側各国とも、ロシアによる国際法違反行為を厳しく咎めると共に、経済制裁といった対抗措置に着手することとなりました。かくして、ロシアは、’厳しい冬’への逆戻りが予測されているのですが、対ロシア政策を考えるに当たって、一つ、重大な問題が積み残されているように思えます。

 

 この積み残された問題とは、多民族混住地域における民族自決権の問題です。敢えてこの問題を指摘したのは、ロシアが拡張主義を遂行するに際して採用している基本戦略が、周辺諸国の領域内に居住しているロシア系住民の’政治的利用’にあるからです。今日の国際社会において成立している国民国家体系は、グローバリズムによって揺らぎを見せつつも、民族自決、あるいは、一民族一国家を基本原則としています。所謂’新大陸’や植民地化の過程で人工的に線引きされたアフリカ大陸などにあっては同原則を純粋に適用することはできないまでも、一般的には、’民族’は、主権的な権力を及ぶ範囲、並びに、定住地としての領域との結びつきを含めて国家の基本的な枠組みに正当性を与えているのです。

 

ところが、多民族が混住するユーラシア大陸の中央部は、’新大陸’や’植民地’と同様に一民族一国家の原則が成立し難い状況にあります。とりわけ、ロシアの周辺諸国では、ロシア帝国、並びに、ソ連邦時代に時の政権が非ロシア系住民に対して強制移住を強いる一方で、’支配民族’としてロシア系住民も多数移入してきています。もとより遊牧民等が多く、国境線の線引きが困難を極めるユーラシア大陸にあって、過去の’帝国’の移住政策は、多民族混住状態に拍車をかけると共に、今日まで続く民族問題の火種を残したと言えましょう。因みに、クリミア半島に居住していたクリミア・タタール人は、1783年のロシア帝国への併合を機として、ロシア人やウクライナ人等の移民の大量移入により少数派に転落するのみならず、1944年には、スターリンによって同半島から追放されています(追放は1967年に解除され、帰還運動が起きている…)。

 

クリミア・タタールは極端な事例としても、ロシア周辺諸国は、ロシア帝国並びにソ連邦の強引な移住政策の爪痕を残しており、一筋縄ではいかない複雑な民族問題を抱えています。そして、この混沌とした多民族混住状態こそが、プーチン大統領による拡張政策に格好の口実を与えたと言えましょう。ジョージアであれ、ウクライナであれ、ロシアと距離的に近い程にロシア系住民の比率は高くなります。かくしてロシアは、民族自決の原則を盾に自らの国境付近の地域に’独立国家’を’建設’すると共に、ロシア系住民が少数派の地域に対しても、ロシア系住民の保護を理由に軍事的な介入を繰り返しているのです。上述した「侵略の定義に関する条約」にあっても、第7条には民族自決権に関する例外条項が置かれています。

 

ユーラシア大陸の複雑な民族問題を考慮しますと、ロシアの時代錯誤の’帝国主義政策’を止めさせるためには、国境の侵犯を形式的に国際法違反として糾弾するのみでは抜本的な解決には至らないように思えます。結局は、国際社会は、ロシアによる既成事実化の前に立ち竦むこととなりかねず、将来的にも、ロシア周辺諸国にあっては同様の危機が繰り返されることになるからです。となりますと、今日、国際社会が取り組むべきは、国際法において明確な規定が設けられていない多民族混住地帯に対する平和的な解決のための行動規範の策定なのかもしれません。

 

国際法上の行動規範としては、最低限、(1)自国領域内に多民族混住地域が存在する国家、並びに、(2)他国に自国民と同系統の住民が居住する国家の双方の行動規範を含む必要がありましょう。例えば、(1)の国家に対しては、先制的な軍事力行使の禁止、各民族の権利尊重、全ての国民に対する平等な保護などが、そして、(2)の国家に対しては、民族自決並びに対人主権を口実とした軍事並びに政治的介入の禁止などが求められます。加えて、紛争地域に居住する各民族自身による自己解決の機会をも設ける必要もありましょう。ロシアもまた法の支配の価値を共有しない無法国家の一つですが、経済制裁といった実質的な損害を伴う制裁を科す一方で、国際法秩序の観点から問題提起することは、ロシアに対する心理的な圧力ともなるかもしれません。

 

何れにしましても、多民族混住地域における安定的な統治のあり方を見出さない限り、国際社会は、常にロシアによる拡張主義の脅威に晒され続けることとなりましょう。そして多民族混住のリスクは、世界各国におきまして中国系移民が増加しつつある中、ロシア周辺諸国のみに限られた問題ではないようにも思えてくるのです。


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ウクライナ危機は第三次世界大戦を招くのか?

2022年02月22日 18時12分50秒 | 国際政治

 ウクライナ東部をめぐっては、ロシアのプーチン大統領が、親ロシア派の支配下にある地域に、「ドネツク人民共和国」並びに「ルガンスク人民共和国」と称する二つの独立独立を承認したことから、事態は新たな局面を迎えつつあります。ロシア軍の侵攻を既定路線とする、あるいは、軍派遣を既に命令したとする報道も相次いでおり、ウクライナとの戦争が第三次世界大戦を招くとする憶測も飛び交っております。

 

 過去の二度の世界大戦は何れもドイツが’主犯格’と見なされがちですが、その実、ロシアも深くかかわっております。第一次世界大戦にあってはセルビアのバックはロシアでしたし、ポーランド侵攻を機とした第二次世界大戦に至っては、ソ連邦(ロシア)こそドイツの共犯者に他なりません。それでは、今般のウクライナ危機も、第三次世界大戦の引き金となるのでしょうか。

 

 ウクライナ情勢は、同国のNATO加盟問題と密接に結びついており、ロシアによるウクライナへの干渉は、同国の親米欧政権によるNATO加盟に対する牽制とする見方もあったほどです。仮に、今日、ウクライナがNATOの一員であったとしますと、ウクライナにおけるロシア軍の侵攻は、過去の二度の大戦と同様に、即、第三次世界大戦を引き起こすこととなったことでしょう。否、今日の多国間の軍事同盟にあっては、より明確に条約において集団的自衛権が明記されていますので、全NATO加盟国は、ロシア軍によるウクライナに対する侵略を自国への攻撃と見なしたはずです。

 

 しかしながら、現状にあってウクライナのNATO加盟は日の目を見ておらず、たとえロシア軍がウクライナ領を侵犯したとしても、多国間の軍事同盟条約を介して陣営間の戦争へと戦火が広がる可能性はそれ程には高くはないのかもしれません。NATOのメンバーであるアメリカ、並びに、ヨーロッパ諸国の政府、並びに、世論が、ウクライナのNATO加盟に対して必ずしも積極的ではなかった理由も、ロシアとの間に軍事的なリスクを抱えている同国の加盟に伴う‘世界大戦リスク’を敏感に感じ取っていたからなのでしょう。

 

 連鎖作用のある軍事同盟条約の側面からしますと、三度目の世界大戦のリスクは低いと見なさざるを得ないのですが、仮に、過去の世界大戦との間に類似点があるとしますと、それは、ヒトラーによるズデーデン地方の割譲要求であるのかもしれません。ズデーテン地方は、チェコスロヴァキア領の一部でありながら、ドイツ系住民が居住していた地域であったからです。この点、ウクライナ東部の2州にはロシア系住民が多数居住しており、ロシアに軍事介入、並びに、分離独立の口実を与えています。そして、ズデーテンの割譲問題が歴史にあって悪名高きミュンヘンの宥和を招いた点を考慮しますと、今般のウクライナ問題は、第三次世界大戦の前哨戦とする見方も成り立つのかもしれません。

 

 もっとも、今日のロシアが、第三次世界大戦をも覚悟しつつ、今後、第二次世界大戦時のポーランド侵攻と同様にロシア系住民が居住していない地域や国に対しても侵略を企てる意志や能力を備えているかどうかは、疑わしい限りです。この点からしますと、むしろ、今般のウクライナ危機にあってはジョージアのケースに近い展開も予測されましょう。同国では、ロシアによって1992年にアブハジア紛争が、2008年には南オセチア紛争が仕掛けられており、ロシアは、両地域を「アブハジア共和国」、並びに、「南オセチア共和国」として国家承認しています。つまり、ロシアの真の狙いは、ウクライナに対しても東部に親ロ派の独立国家群を建設し、ロシアの勢力範囲に組み込む、あるいは、‘ソ連邦’を復興することにあるのかもしれません(背後の超国家勢力からすれば、エネルギー資源や各国のエネルギー政策、あるいは、全世界のコントロール?)。この見方からしますと、ロシアが演出する‘第三次世界大戦の恐怖’は、瀬戸際作戦を展開する際の‘脅し文句’ということになりましょう。

 

 ウクライナの歴史からしますと、同地域で全世界を揺さぶる紛争が発生することも頷けるのですが、この問題、各国首脳による会談の設置といった方法では同様の紛争の繰り返しとなり、抜本的な解決は困難となりましょう。軍事大国の介入に口実を与える民族混住地域において発生する紛争については、第三次世界大戦を回避するという意味においても(ミュンヘンの宥和をも避ける…)、話し合い解決とは異なる別のアプローチが必要なように思えるのです。


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亡き父を偲んで-「ギザのピラミッドの構造の謎を推測する」

2022年02月21日 16時30分55秒 | その他

 父を亡くしてから本日で一月が経ちました。悲しみと疲労のあまりに体調を崩してしまい、本ブログの更新も一月のお休みをいただくこととなりました。大変申し訳なく、心よりお詫び申し上げます。本日より、ブログ記事の掲載を再開したいと存じますが、本日は、亡き父を偲びまして、父が生前に執筆しました論文をご紹介いたしますことをお許しくださいませ。

 

 研究者としての姉裕子並びに私の原点は、幼き日の父の書斎にございました。学校などでどんなに嫌なことがあっても、父の書斎に入り込みますと、そこには、時空を超えた別世界が広がっていたからです。お気に入りは『世界の七不思議』や世界歴史シリーズといった歴史ものであり、机に向かう父の背中の後ろで、ページをめくっては歴史のロマンに浸っていたものです。父の書斎は、幼き私ども姉妹にとりまして安心できるアサイレムであると共に、知的好奇心を掻き立て、見知らぬ世界への想像力をも育んだ揺り籠でもあったのかもしれません。

 

 本日、ご紹介いたしますのは、平成21年9月1日に刊行された『学士會会報 第878号』(学士会、八四~八七頁)に掲載された父の論文です。父の専門は土木工学であり、長らく橋梁、特に橋構造の研究に携わってまいりました(東北大学名誉教授)。本州四国連絡橋や横浜のベイブリッジなど、大型の国家プロジェクトが相次いだ華やかなりし時代に生まれあわせましたのも、父にとりまして大変幸運なことであったと思います。本論文は、もとより歴史好きの父が構造工学の観点から世界の七不思議の一つであるピラミッド建設の謎、すなわち、200年かかるような巨大建造物を20年足らずで完成させた謎に迫ったものです。固定観念や先入観を排して真実を見出そうとする父の姿勢は、常に私どものお手本でもありました。

 

 なお、4年前に二度の心肺停止から奇跡的に蘇生した父は、意識を取り戻しますと、病床にあって私ども姉妹に3人で同論文を基にして本を出版しようと提案いたしております。歴史家の姉の裕子が古代エジプト史全般を、私が古代国家の統治形態について担当することにしたのですが、私が『死者の書』の冗長な記述に辟易して遅々として筆が進まなかったこともありまして、結局、父との’ピラミッド出版プロジェクト’の約束を果たすことができませんでした。せめて本ブログにて父の論文を掲載いたしますことで、多くの方々に、私ども姉妹をも驚嘆させました興味深い父の説を知っていただけたらと願う次第でございます。

 

「ギザのピラミッドの構造の謎を推測する」 倉西 茂

 

Ⅰ ヘロドトスの『歴史』のピラミッド建造法

 

 ギリシャの歴史家・ヘロドトス(四八四~四二五紀元前)は、「歴史の父、Father of History」とする賛辞を享受する一方で、「ほらの父、Father of Lies」の異名もとる。ヘロドトスに対するほら吹きとする批判の理由は、その名著の『歴史』において、荒唐無稽な話がしばしば出てくることにある。

 こうしたヘロドトスの信憑性の低い記述のうちで、後世の考古学者や建築家たちを悩ませ続けてきた代表的記述が、エジプトのギザの台地の上に立つクフ王のピラミッドに関するものである。ヘロドトスは、『歴史』巻二の第124段と第125段で、以下のように述べる。

 

 ―ピラミッド自体の建造には二十年を要したという。ピラミッドは(基底が)方形を成し、各辺の長さは八プレトロン、高さもそれと同じで、磨いた石をピッチリと継ぎ合せて造ってあり、どの石も三十フィート以下のものはない。

 さてこのピラミッド建造に用いられた方法は階段式の構築法で、この階段(アナバトモス)のことを、クロッサイ(「胸壁」)という人もあり、またボーミデス(「祭壇の階段」)の名で呼ぶ人もある。はじめにこのような「階段」を作ってから、寸の短い材木で作った起重装置で残りの石を揚げるのであるが、まず地上から階段の第一段に揚げる。石がここに揚がってくると、第一段に備えつけてある別の起重機に積んで第二段目に引き上げられる。階段の段の数だけ起重機が備えてあったと考えられるからであるが、あるいはしかし、起重機は移動し易いものが一機しかないものを、石をおろしては順々に上の段へ移していったのかも知れない。両様の方法が伝えられているので、われわれも伝承に従って二つながら記しておこうと思うのである―

(松平千秋訳・ヘロドトス『歴史』より)

 

 ヘロドトスが記すように建築法でピラミッドを全部石で敷き詰めて建造した場合、ピラミッドが完成するまでには膨大な年月がかかるはずである。一日二五個ずつ積み上げても、二七四年の歳月を要するとの指摘もある。しかし述べたように、ヘロドトスは僅か二〇年でピラミッドは完成したというのである。巨大なピラミッドをどうやって二〇年で建造したのか。起重機が一基しかなかったならば、一日二五個も積み上げるのは不可能に近い。もちろん砂の斜路を利用したという説も現在は唱えられているが。これこそが、考古学者や建築家を悩ませてきたピラミッドの謎であり、クフ王のピラミッドが「世界の七不思議」に数えられている理由ともなっていると言えよう。

 しかしヘロドトスの記述に基づく築造法によって算出される建設年数をめぐる諸仮説には盲点があるように思う。それは、《ピラミッドの全てが、石で積み上げて造られていたと仮定した場合の想定年数である》ということである。

 

Ⅱ ピラミッドは砂でできている

 

 ピラミッドの建造に関する仮説は、どうも構造工学的に見て納得のいかないものが多い。そこで、ピラミッドの構造を次のように考えることはできまいか。まず、ピラミッドは全部石を積み上げて造られたものではない。外部に見えている石は石垣のようなもので、内部は砂である。

 外壁の石積みを何段か造る。それと並行して、王の間、王妃の間、大回廊、重力軽減の間などの内部の石構造も、まずはその下部の方を建造する(言い換えれば、ピラミッドの外壁に囲まれた空間のなかに、もう一つビルディングを造るようなもの)。ある程度できたところで、外周の石積みと内部の石構造の間を砂で完全に埋める。この操作を繰り返し、段々と石積みを高くして完成させることができる。こうすれば使用する意思の量は全部で埋めるよりもはるかに少なくて済むし、石切り場から内部構造用に石の大きさを調整しながら切り出すという手間も省けることになり、よりスピーディーな建設が可能となる。

 ピラミッドの斜面の角度も、砂を自然に盛り上げた時にできあがる角度を砂の安息角(あるいは内部摩擦角)というが、この安息角を考慮して、造られたと考える方が構造力学的には自然である。砂の安息角は大体四六度程度[i]と考えられる。斜面の角度がこの大きさなら砂を積み上げただけで大ピラミッドを形造ることはできるのである。また安息角より石積みの角度が急な場合は、安息角でできている円錐と石積みの間になる砂が石積みを押すことになる。石積みは内側にせり出し構造となっているので、内部に倒れ込む力が生じるが、この力をその間にある砂の圧力と砂の受動圧で抵抗するので、このバランスを考えて石積みの角度を決めれば、石積みは安定を保つことになる・

 上昇斜路の逆さ階段になっていることについても、砂の圧力を受ける天井板を単に階段状に積み上げていったもので、我々はその下面を見ているだけのことになる。階段状に狭くなっている開口部の形状には別段、意味はなく、エジプト人はアーチを知らなかったことから、石をせり出して造ったとも考えられる(英語でcorbel archと言う)。こう考えると、ピラミッドの建設は、そう不思議なものではなく比較的簡単に造れるものなのである。

 さらに、ピラミッドの内部に作業空間を作れるならば、エレベーターのかごの重さはロープで繋がれた錘でバランスが取られているように、積み石と空箱をロープで繋ぎ、空箱に砂を詰めてゆくことで、砂の重量を用いて、石を吊り上げることも可能となる[ii]。そうなれば、古代エジプト人の技術者は今まで人が考えていたようはるかに優秀であったことになろう。

 こうした仮説は、以下の点から補うことができる。第一に、フランスの調査隊がピラミッドの内部壁面にドリルで穴を開けたところ、そこから砂が出てきたという。ピラミッドの内部が砂でできることを示す物的証拠と言えよう。第二に、階段ピラミッドの建設では、数メートルの竪穴の底にある玄室に王の棺を納めるために、初めに竪穴を砂で埋め、その上に王の棺を置き、砂を抜いてゆくことで徐々に竪穴の底に玄室を安置するという工法が採られたという。ピラミッドの建設に砂の特性を利用するということが、古代エジプト人の発想としてあったと考えられるのである。第三は、ヘロドトスが最初に階段状の胸壁が造られたと述べていることである。ヘロドトスはピラミッドのいわば“容器”の部分の建設のことを述べていることになるのである。

 

Ⅲ ピラミッドは二〇年で建設できる

 

 このようにギザの大ピラミッドは砂山であるとする仮説を打ち出したが、今考えられてきたように、石を積み上げてできたという仮説に比べて、砂山であるとすると、どのくらい少ない労力と年数でできるか、簡単な計算をしてみよう。底辺の幅が二三〇メートル、高さを一四五メートルとすると、その体積は約二五六万立法メートルとなる。斜面の長さを一八五メートルとすると表面積は八・五万平方メートルとなる。石積みの厚さを平均一〇メートルとすれば、使用石材は三分の一となる。厚さが、平均で二・五メートルならば、使用石材は一二分の一以下となり、二〇年単位での完成は可能である。すると、外側の石ブロックの大きさは下部で一・五メートル、上部の方で〇・五メートル程度と考えると、平均で三列程度であると推測できる。

 構造工学の視点からピラミッド建設の謎に迫ってみたが、ピラミッドとの建設には砂が利用されていると考えると、ヘロドトスの記述のなかにも整合性と信憑性を認めることができるのである。さらに、仮にピラミッドの大部分が砂であるならば、クフ王の玄室は、あるいは砂の海の中に浮いている可能性を指摘することができるかもしれない。玄室の周りが砂の海であるならば、盗掘者は盗掘抗を掘ることは難しい。最も安全であるということにもなろう。地中レーダー等による更なる科学的調査が待たれるところである。

 クフ王のピラミッドには、その建設目的やその他の多くの謎が残されている。しかし、構造が明らかになることにより、今までの定説を見直す必要も生じるそれが謎解きの手掛かりとなれば、幸いである。

 本稿を奏するに当たり倉西裕子の助けを得た。感謝の意を述べたい。

 

[i] 川上房義『土質力学』森北出版、1977. pp.93

[ii] この原理を使った登山電車(Nerobergbahn)がドイツのヴィースバーデンで、砂ではなく水の重量を用いているが、運行されている。

 

 父には遠く及びませんでしたけれども、いつの日にか、’この父にしてこの子あり’と言われてみたいと心の中で秘かに願っております。


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