万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

海外渡航を全面禁止しない中国の大罪

2020年02月29日 14時59分55秒 | 国際政治

 中国政府の公式見解によりますと、中国全土に広がっていた新型コロナウイルスは、湖北省以外では新たな感染者が一桁台となり、効果的に抑え込まれているそうです。都市封鎖等の大胆な措置が功を奏したとして自画自賛する一方で、諸外国については手厳しい評価を下しています。特に日本国に対しては、‘防疫体制が全くなっていない’と言わんばかりであり、上司の部下に対する態度のようです。自国で感染症が猛威を振るっている間は日中友好を強調して甘い対応を暗に要求しながら、自らが‘回復’した途端に態度を豹変させ、忖度して病を受け入れてくれた相手国に対して厳しい対策を求めるのですから(日本国も規制対象国に…)、その変わり身の速さには唖然とさせられます。

 安倍首相による突然の小中高等学校の一斉休校措置も、中国からの対策強化圧力の結果であったとは考えたくもないのですが、昨今の日本国政府のあからさまな対中臣従姿勢は、常識の域を遥かに超えています。国民多数が中国人の全面入国拒否を望んでいるも拘わらず、政府は、頑としてその方向には動こうとはしないのですから。新型コロナウイルス感染症は潜伏期間が長く、かつ、回復後にもウイルスの潜伏により再発するリスクもありますので、少なくとも新型コロナウイルスの特性が十分に把握されるまでの当面の間は、キャリアーである可能性が高い中国人の入国は禁じられるべきです。しかしながら、中国人の入国禁止措置だけは‘聖域’扱いなのです。

中国側の日本国政府に対する視線が厳しい一方で、日本国側が中国の方針に翻弄されている理由は、4月に予定されている習近平国家主席の国賓待遇の訪日にあるとされています。となりますと、‘日本国民の命よりも大事な習主席の訪日’とは、一体、何を意味するのか、日本国民にとりましては感染症と並ぶ大きな不安材料です。日本国と同様に習主席の国賓待遇での来訪を予定している隣国の韓国も立場は同じらしく、国民から中国人の入国を全面的に禁じる措置を強く求められているにも拘わらず、対中関係を優先する文大統領は‘不可能’として拒絶しているそうです。習主席の頭の中では、中国を日韓の宗主国とする冊封体制が既に出来上がっており、両国への国賓待遇での訪問は、宗主国の権威確立を知らしめるための総仕上げなのかもしれません。そして、この一大イベントは、日本国にとりましては自由・民主主義体制の終焉を意味するかもしれないのです(日本国政府が内閣支持率の低下や有権者からの不評を気にしていないのは、民主主義が中国に潰されることを想定しているから?)。

かくして日本国内では、国民の間で政府に対する不満がふつふつと沸いてきているのですが、中国人の個人レベルでの海外自由渡航の持続に対する中国政府の執着が、情報統制と並んで、日本国のみならず、全世界に新型コロナウイルスをまき散らす主たる原因の一つとなった点は、見落としてはならないように思えます。中国政府は、自国民の海外渡航については、団体旅行客やウイルス検査で陽性となった国民の出国は禁じる一方で、政治家やビジネスマン、そして、個人旅行客といった個人での出国に対しては規制を設けてはいません。グローバル化の波に乗った中国は、全世界に中華ネットワークを広げていますので、中国から海外への人的流れを断つことは、中国の支配力や影響力の低下を意味します。習主席の海外訪問はこうした覇権追及の象徴なのですが、中国は、自らの覇権を維持・拡大したいがために、政治や経済分野で影響力を有する自国民の出国に規制をかけたくはなかったのでしょう。そして、その結果が、パンデミック寸前の新型コロナウイルスの世界大での蔓延なのです。

中国は、自らが実施した自国内での封鎖措置等について、他国への感染拡大を防止に貢献したと自己を高く評価し、他国に対しては恩を着せています。しかしながら、人類のために第一にすべきは、自国民の全面的な海外渡航の禁止であったのではないかと思うのです。利己的な思惑から全世界に有毒ウイルスをばら撒き、他国民に犠牲を強いてきたのですから、中国の罪は重いと言わざるを得ないのです。そして、日本国政府は、中国人の入国全面禁止に舵を切ると共に(自国民の命を優先する…)、今後、こうした事態が再発しないように、感染症に関しては発生源となった国の政府が自国民の海外渡航を禁止する原則を国際ルールとして提唱すべきではないでしょうか。


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新型コロナウイルスが暴く‘情報化社会’のパラドックス

2020年02月28日 13時14分41秒 | 国際政治

 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大は、人々の生命や健康に対する重大な脅威となると共に、今日、人類が抱えている様々な問題を炙り出すことともなりました。その一つが、情報化社会の真逆な実像ではないかと思うのです。

 グローバル時代の幕開とは、高度に発展したテクノロジーに支えられた情報化社会の到来を意味しました。その理想像は、国境を越えて様々な情報や知識が自由に行きかい、知的な刺激が世界各地で画期的なイノヴェーションを生み出すような、活気にあふれた社会として描かれています。しかしながら、情報化社会の先端を走る中国を震源地とする新型コロナウイルス感染症の拡大は、理想と現実とのギャップを痛いほど見せつけています。

 その現実とは、情報化社会とは、自由な情報空間ではなく、情報統制社会に過ぎないということです。本記事で説明するまでもなく、中国については、国家の中枢が自らの誤りや失敗を隠そうとするあまりに新型コロナウイルス感染拡大の惨事を招いたことは、誰もが認めるところです(生物兵器の開発を密かに進めた上に、極めて危険なウイルスを流出させ、情報の遅延によって中国のみならず各国の国民に危害を加えたとする事実?)。中国のような共産一党独裁体制にあっては、事実としての情報公開=体制崩壊を意味します。事実を隠蔽しなければ体制を維持できない国にあっては、情報化社会とは、高度なITによって情報が政府によって完全にコントロールされる社会であり、事実を知っているのは、指導者を中心としたほんの一握りの政府中枢に過ぎないのです。情報格差は経済格差よりも著しく、国民は、内心において疑ってはいても、国家によって‘事実認定’された偽りの情報を受け取るしかありません。そして、仮に、国民が自らの目や耳で見聞きした事実をそのまま情報発信しようものなら、当局によって‘情報化社会’から排除されてしまうのです。

その一方で、自由主義国にあっても、事実としての情報不足は深刻です。確かにネットやSNSの普及は人々の間で自由なコミュニケーションを可能としました。新型コロナウイルスへの関心が高まる中、ネットやSNSは様々な意見や憶測、そして、不安の声で溢れています。本ブログもこうした声の一つであり、微薄での投稿が監視当局によって消去される中国とは異なり、言論空間の自由はひとまずは保障されています。しかしながら、事実としての情報を得ることは極めて困難です。とりわけ、政府と既存のマスメディアが発する情報には中国配慮が色濃く、情報量も乏しい上に、政治的なバイアスがかかっている場合が少なくないのです(政府は、未だに生物化学兵器説を否定?)。それ故に、YouTubeといった動画サイトに投稿された動画や一般ユーザーによる現地からの報告の方がよほど真実味を帯びています。つまり、自由主義国の情報化社会も、公式と非公式、あるいは、表と裏に二分化する現象が起きており、しかも、後者の方が事実である場合が多々見られるのです(政府も、遅ればせながら後者の情報を前提とした措置を実施することに…)。

政府が提供する情報と国民の多くが事実と信じる情報との間に違いが生じた場合、国民は、政府が情報を隠蔽している、あるいは、情報収集能力に欠けていると認識せざるを得ません。何れであったとしても、国民は、政府の危機管理能力を疑うと共に、国民の命を護るために果たすべき統治責任を放棄し、中国に阿っているとする疑いを抱かざるを得なくなるのです。

新型コロナウイルス感染症の蔓延は、情報化社会の現実がその理想とはかけ離れ、その実態は、国家体制の違いに拘わらず、程度の差こそあれ、国民には事実としての情報が伏せられてしまう社会であることを示しています。スマートフォンの普及も著しく、人々が膨大な情報に浸かる情報過多の時代ともされながら、その実、肝心要の人々の命や国家の命運や危機に関する情報については、断片的な情報から事実を推理してゆくしかないのです。そして、こうした情報化社会のパラドックスは、政府の情報収集体制、並びに、情報公開の在り方をも問うことになりましょう。新型コロナウイルス感染症の拡大阻止は緊急を要しますが、有効な対策の実行と並行して、情報化社会の問題点を直視し、将来に向けて日本国政府の情報体制の再構築を議論すべきなのではないでしょうか。そして、現状にあっても、少なくとも新型コロナウイルスに関する政策決定に際しては、その情報源を中国政府、同国の息のかかっているWHO、並びに独自の私的ルートを持つ親中政治家に頼ってはならないと思うのです。

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中国人入国禁止に踏み切れない日本国政府に防衛はできる?

2020年02月27日 13時32分43秒 | 日本政治

 日に日に新型コロナウイルス感染者数、並びに、死亡者数が増加し、国民の多くは感染の不安を抱えながら日々を過ごしています。こうした中、誰がどう見ましても理解し難い事態が起きています。それは、かくも国内に感染が広がりながら、日本国政府が、中国からの入国を全面的に禁じていないことです。

政府は、政策の重点を水際対策から感染者対応に移すと説明しており、既に中国人の入国禁止を実施する段階は過ぎていると判断しているようです。中国政府は、湖北省以外の中国全土での感染は封じ込めていると主張しておりますので(もしかしますと、中国各地の感染者が、‘湖北省送り’になっているのでは…)、日本国政府は、中国からの‘情報’を鵜呑みにしている、あるいは、中国の‘政策’に従っているのかもしれません。同ウイルスによる感染病が発生して以来、情報の隠蔽や偽情報の発信によって状況を自己に有利な方向にコントロールしてようとしてきた中国発の情報を信じて疑わないとすれば、日本国政府は、無防備を通り越して愚かでさえありましょう。

実際に、感染経路が不明な事例は訪日中国人からの感染が疑われておりますし、地方にあって北海道の感染者数が多いのも、同地と中国との強い関係が抜きにして説明はできません。また、在宅勤務の措置をとった一般企業にあっても、その多くは中国ビジネス、あるいは、中国人社員を多く抱える企業が目立っています。中国人の入国を禁じる効果はないわけではなく、日本国政府以外の諸外国の政府は、水際作戦と感染者治療の両者に同時並行的に取り組んでいます。‘どちらかを優先する’といった問題ではないのです。

入国禁止措置に二の足を踏んでいる日本国側の理由としては、(1)中国人訪日客によるインバウンド効果、(2)習近平国家主席の国賓来日、(3)東京五輪の開催の三つが挙げられています。(1)については、水際作戦の失敗により既に観光業が打撃を受けておりますし、(3)につきましても、入国制限の甘さが仇となって、諸外国が日本国への渡航に対して警戒レベルを引き上げる状況に至り、最早、風前の灯となっています。加えて、昨春からの外国人労働者の受け入れ拡大を受け、中国人労働者への依存を高めた日本企業からの要請とする説もありますが、中国からウイルスが持ち込まれるのでは、同国と同様に雇用側の企業も生産停止に追い込まれます。このように考えますと、(3)の理由も合理的な理由とは言えないように思えます。すなわち、もはや中国人入国禁止の見送る合理的な理由ではなくなっており、残る理由があるとすれば(2)の習主席の国賓来日ということになりましょう。新型コロナウイルスの蔓延に関して内外から批判を浴びている習主席は、日本国への国賓訪日を起死回生の最後のチャンスと見ているのかもしれないのです。

何れにしましても、日本国政府の不可解な行動は、中国を忖度する、あるいは、中国側の要望に沿った結果である可能性が高いのですが、こうした政府の対応は、日本国の行く先に暗い影を落としています。何故ならば、一連の出来事から、日本国民の安全よりも隣国の独裁者の都合を慮っていること、中国において独自の情報網を有しておらず、真偽を確認せずに、中国政府から提供される情報に基づいて自国の方針や政策を決定していること、国内市場を捨てても規模に優る中国市場での利益を優先していること、中国、あるいは、政府発の情報と異なる、あるいは、都合の悪い情報は国民に伝えないこと、民主主義を軽んじて国民の声に耳をふさいでいること(世論調査では、60%以上の人々が中国人入国禁止を支持…)…等々、日本国政府の真の姿が浮かび上がってきているからです。国民の目からしますと、あたかも中国の属国かのようです。

そして、懸念されるのは、米中対立が激化する中、仮に、中国が日本国を軍事的に攻撃するリスクが高まる事態が発生した場合です。果たして、日本国政府は、中国に対して十分な防衛態勢で臨むことができるのでしょうか。政府内では、二階幹事長や公明党議員といった親中派の政治家たちが、全力であらゆる対中防衛措置を阻止することでしょう。この結果、中国人の国内流入を止めることもせず、破壊工作活動を事前に阻止する機会をも逸するかもしれません。そして、不幸にも有事となり、中国側が国防動員法を発令するに及んでも、国内の在日中国人に対して即座に何らかの有効な措置を採るともせず、一般の国民は、パニック状態に陥るかもしれません。しかも、日本国政府は、国民に対して自己を護るための情報さえ十分に提供しようとはしないのです。その結末は、火を見るよりも明らかです。

本来であれば、中国には在中大使館や領事館が置かれ、凡そ14万人の日本人が居住していますので、日本国政府は、政治的意図を含んだ疑わしい中国政府発の情報に頼らずとも、自らで情報を独自に収集し、分析し得る能力を有するはずです。新型コロナウイルスの蔓延によって外出や外部関係者との接触が禁じられ、外部の状況を見聞きすることも情報の十分な収集もできない、あるいは、中国当局からスパイ容疑で処罰されるといった理由も推測されますが、そうであればなおさらのこと、かくも恐るべき情報統制体制を敷いている中国との関係強化は、今後とも日本国にとりまして危険な選択となりましょう。新型コロナウイルスは、日本国民に対して将来における亡国の危機をも警告しているようにも思えるのです。

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新型コロナウイルスが国家を改変する?

2020年02月26日 13時24分35秒 | 国際政治

 日本国政府は、中国における新型コロナウイルスの発生を知りながら、中国人の入国禁止措置や適切な検疫ことを怠り、国内での感染拡大を許してしまいました。このため、高レベルで安定していた安倍政権の支持率も急落するに至ったのですが、日本国政府の中国に対する自己犠牲的な配慮もどこ吹く風で、中国では、日本国や韓国での感染者拡大を受けて同ウイルスの逆流を警戒し、両国からの全ての入国者に対して二週間の隔離措置をとる地方政府も現れています。

湖北省や浙江省等を除き、日本国政府が中国人の自由な出入国を許しながら、当の中国では自らが感染させた先の諸国からの入国に対して厳しい規制が課されるのですから、日本国政府も国民も、この措置には釈然としないことでしょう。もっとも、中国の自己中心的な思考傾向を考慮しますと、こうした不本意な顛末は十分に予測できたはずであり、中国に対して対日忖度を期待していたとすれば、それはお人よし過ぎるのかもしれません(真の意味で中国を理解していない…)。自国中心の中華思想が根強く残り、序列意識も強い中国では、忖度すべきは‘下の者’であって、‘上の者’は‘下の者’に如何なる犠牲を強いても構わないとする風潮が染みついているからです。不愉快な現実なのですが、この場に至っては、日本国政府も、全面的な中国人の入国禁止に踏み切るかもしれません。

中国が称賛する‘友情’の底の浅さが露呈する出来事ではあったものの、この一件から、新型コロナウイルスが国家の組織形態にもたらす影響も見えてきたように思えます。日本国からの渡航者に対して隔離措置を定めたのは、山東省の威海市です。1898年から1930年の返還までイギリスの租借地となり、同国海軍の管轄下に置かれていたそうです。今日では、日系企業も数多く進出しており、日中間にあって人の往来が頻繁です。海外の投資家も、同市の‘正常化’から中国経済の行方を予測しようとしており(貨物船入港の可否…)、国際的な注目度が高い都市でもあります。つまり、同市に対しては海外資本の影響も強いと推測されるのですが、ここで注目すべきは、新型コロナウイルスの対策について、中国では、一貫した国家的な政策が存在していな点です。

威海市による入国者に対する隔離措置は、本来であれば、入国管理に関する国家の権限に属しています。いわば主権的な権限なのですが、入国管理に限らず、外出規制や企業活動の再開といったその他の措置においても地方自治体ごとに違いがあるそうなのです。これまで、習近平国家主席への権力集中を強力に進めてきましたので意外な感じを受けるものの、今や中国では、中央集権から地方分権への急速な逆流が起きているかのようなのです。

その背景には、中国共産党の幹部まで感染したとする情報もあり、全人代の開催も延期されたぐらいですから、北京の中央政府が機能不全に陥っている可能性もありましょう。いち早く武漢に乗り込み、陣頭指揮を執るはずであった李克強首相の動向も、最近ではめっきり報道が少なくなりました。習主席の‘雲隠れ’もしばしば指摘されており、首都北京では異常事態が発生しているのかもしれません。それとも、初動の遅れ、人工ウイルス流出、感染者に対する冷酷な対応、あるいは、今後に予測されるさらなる惨事の責任を問われる事態を予測した習主席が、保身のために先手を打って地方への責任転嫁を試みたのでしょうか。何れにしましても、全国レベルの交通機関の遮断を伴った中国における封鎖措置は、国家分立・分裂の方向に作用しています。中央からの縛りが解かれたために独自の措置を講じる権限を得た威海市は、早期正常化を望む海外資本等の要望に応え、内外からの感染ルートを完全に遮断しようとしたのかもれしれません(より強硬な手段による早期の‘無感染地帯’の実現であり、日本人に対する隔離政策には他意はないかもしれない…)。

そして、新型コロナウイルスの感染を機とした地方自治体の権限拡大、あるいは、中央政府からの統治責任の移譲は、日本国においても見られるように思えます。先日、日本国政府は新型コロナウイルス対策の基本方針を決定しましたが、曖昧な表現が多く、期待されたほどには政策らしい政策もありませんでした。その一方で、感染者の対応や予防措置に関しては、現場となる地方自治体が奮闘しているとも言います。

日中両国が中央から地方への流れにおいて軌を一にしているのは、単なる偶然なのでしょうか。それとも、新型コロナウイルスの蔓延には、同方向性へと導く何らかの意図が隠されているのでしょうか。中国においても政権批判が高まっているそうですが、日本国においても、日本国政府の合理性と一貫性を欠いた不可解な行動が国民の不安を高めています。新型コロナウイルスは、経済や社会のみならず、今や国家の組織形態にまで変化を迫っているかのようなのです。そしてそれは、どのような権限配分が最も効果的に統治機能を発揮できるのか、という、国家の制度設計を問うとともに、将来のアジア諸国の姿をも変えてしまうように思ええるのです(中国各地には現代版の‘租界’が誕生?)。

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リスク情報は個人情報の保護が及ばないのでは?

2020年02月25日 16時11分47秒 | 社会

 個人のプライバシーは基本的には尊重されるべきものです。ITを駆使して厳格な国民監視体制を構築した中国に対する批判も、政府が国民各自の個人情報までをも完全に掌握してしまうその侵害性にあります。他者が知ってはならない私的な領域は確かに存在するのですが、個人に関わる情報が他者を害するリスクがある場合には、プライバシーの保護にもおのずと限界があるように思えます。

 神奈川県でも新型コロナウイルスの感染者が複数報告されているのですが、先日、自治体当局によって記者会見がキャンセルされる事態が発生しました。その理由は、寸前に至って感染者が自己に関わる情報の公開を拒絶したことによります。担当者の方は熱心に同感染者を説得したのですが、パニック状態に陥っていたこともあって、どうしても情報公開の許諾を得られなかったそうです。このため、感染者の情報は伏せられてしまい、人々は、重要なリスク情報を得ることができず、自己防衛さえままならない状況に置かれることとなったのです。この一件は、国であれ地方自治体であれ、(1)公的機関が公益の観点から個人情報を本人の同意なくして公開することは許されるのか、そして、(2)個人には情報を公開しない自由が保障されているのか、といった問題を提起しています。

 第1の問題については、日本国政府は、判断を地方自治体に丸投げにしてしまったようです。このため、国籍、性別、職業、移動範囲等について感染者の情報を詳しく公開する自治体もあれば、個人情報の保護や人権の尊重を理由に非公開とする自治体もあり、地方自治体によって対応がまちまちとなったのです。もっとも、この対応の違いは、日本国にあっては、感染者の個人情報が法律によって一律に禁じられているわけではないことを示しています。対応の差は地方自治体の判断の違いに因るからです。情報公開に踏み切った自治体が、公開に先立って本人の合意を得たのかどうかは分からないのですが、後述する第2の問題と絡めて考えますと、やはり、本人の合意なき強制公開も必要となる時もあるように思えます。特に、多数の人々の生命に関わる場合には…。

 そして第2に論じるべきは、感染者が自らに関する情報を公開しない自由、あるいは、権利の問題です。上述したように、一般論としては、その人の私的生活に留まる範囲であれば、プライバシーは保護されるべきであり、他者がその公開を強要すべきではありません。しかしながら、感染者個人に関する情報が他者に危害を加える可能性がある危険情報の場合には、プライバシーの保護範囲を超えるように思えます。他者に危険情報を伝えない自由は、即、他害行為に等しくなるからです。そして、自由には責任が伴う点を考慮しますと、個人的な自由の行使として黙秘を選択した場合に生じた被害に対しても、自由に伴う責任が問われることともなりましょう。特に自らが感染源となる可能性を知りながら情報を伏せる行為は、悪意の加害行為ともなりかねないのです。

 ここまで述べますと、感染者責任論は不幸にも感染病を患った人に追い打ちをかけるようで、聞き様によっては冷酷な響きがあります。深刻な人権侵害である、感染者に対する差別を助長する、あるいは、社会から孤立させてしまうといった批判も寄せられるかもしれません。しかしながら、情報公開によって救われる多数の命に思いを馳せれば、無碍に感染者に対して情報公開を求める態度を非難はできないはずです。一人の個人情報を護ること、すなわち非公開の自由を認めることが、数人、否、数千数万の人々の命と健康を犠牲にするとしたら、一人の人の自由の犠牲、すなわち、一個人の自由に対する制限、を甘受することは必ずしも間違った選択とは言えないからです。しばしば政治的選択のモデル・ケースとなる、犠牲の選択を問う二者択一の問題となるからです。

 そして、仮に、感染者が他の人々に病気を移したくないとする利他的な心があれば、自らこの犠牲を引き受けることでしょう。自己の不利益を承知の上で情報公開を決断したのですから、心ある人であれば、人々のために払われた自己犠牲、並びに、社会に対する強い責任感に対して感謝し、その心に報いようとすることでしょう。また、感染していない人も、明日の我が身であり、今日にも自らが感染者の立場となる可能性があるのですから、感染者の置かれている苦しい立場や悲痛な心情は理解できるはずです。人とは、利己的な側面と利他的な側面を併せ持つ存在ですので、相互理解こそが賢い選択を為し得る基礎なのかもしれません。

 第1と第2の問題を考え合わせますと、やはり、地方自治体は、感染者の情報をできる限りに公表すべきではないでしょうか。感染者の自発的情報公開のみでは、その情報を得られる範囲は限られますし、神奈川県のケースのように、感染者から公開が拒絶された時点でリスク情報がもみ消されてしまいます。そして、人々の命や健康を護ることが政治の責任であるならば、国であれ地方自治体であれ、公的な機関には、人々に危険情報を伝える義務があるとも言えましょう。‘政治は結果’と申しますが、結果だけを見れば、公開よりも非公開の選択の方がはるかに被害が大きくなるのですから、政治的な結果責任は果たされたことにもなりましょう。

 もっとも、どうしても情報公開に慎重な地方自治体がある場合には、民間において自発的に情報公開を行って感染の防御を訴えるしかありません。感染者、あるいは、感染者の勤務先がマスメディアに情報を提供する、あるいは、ネット上に情報をアップすれば、自治体を介さなくとも、危険情報は自ずと人々の間に伝わってゆきます。ウイルスの伝達性は有害ですが、情報の伝達性は有益なのです。もちろん、フェイクニュースには警戒すべきなのでしょうが、危険情報の公開こそ、人々の命を事前に救う極めて有効な手段あることを忘れてはならないと思うのです。


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新型コロナウイルスが不況を招くとは限らない

2020年02月24日 12時51分15秒 | 日本政治

 日本国政府は早々に水際対策を放棄し、新型コロナウイルスの感染スピードを鈍化させ、ピーク時の感染者数を低く抑えつつ、重症化を防ぐことに政策目標を移したようです。日本国内での感染拡大、並びに、死亡者の増加を暗に認めたこととなるのですが、何としても中国からの渡航の全面禁止をしたくない政府の意向も疑われ、釈然としない気持ちになる国民も少なくないのではないかと思います。

 船内感染や下船後の発症が報告されているダイヤモンド・プリンセス号の惨事が示すように、残念ながら政府の対応は期待薄です。否、中国に配慮するばかりに事態を過小評価し、それが仇となって被害を拡大させる怖れもあります(親中国であるカンボジアでも、受け入れたウエステルダム号の下船者から感染者が…)。結局、一般の日本国民が感染防止のために個人としてしなし得る事は限られており、不要不急の外出や人込みを避ける、マスクを装着する、手洗いや嗽を徹底する、免疫力を上げるといった、一般の風邪やインフルエンザ対策と同様の予防策を実行するしかないのですが、今般、予防に一定の効果があるとされるマスクの不足が深刻化しているそうです。中国向けには支援物資としてマスクが大量に送られる一方で(昨日の全日空の臨時便でもマスクが積み込まれたらしい…)、日本国内の店頭からはマスクが消えているのです。

 グローバル化が進展した今日、マスクの製造拠点を中国に移転した企業も多く、日本国内でのマスク不足の原因は中国からの輸入が滞ったためとも説明されています(日本国からの支援物資として提供されたマスクも中国製?)。マスクの品薄には幾つかの理由が重なっているのでしょうが、日本国内にあって急激に増加した需要に供給が追い付いていない点は否定のしようもありません。この状態を放置しますと、国内での感染拡大が加速されてしまう恐れもあります。そこで、まず着手されるべきは、国内でのマスクの増産ということになりましょう。

今日、マスクのみならず、あらゆる産業分野にわたって多くの企業が中国に生産拠点を移す、あるいは、中国から部品等を輸入しています。このため、中国からの供給停止によるサプライチェーン寸断の危機に直面しており、供給不足はマスクに限ったことではありません。報道によりますと、上述したチャーター輸送機の帰国便には、供給寸断で不足している部品等が積み込まれたそうです。しかしながら、中国における新型コロナウイルスの影響は長期化が予想されており、封鎖措置以前の状態に戻れるかどうかは定かではないのです。

 こうした不透明性を考慮しますと、新型コロナウイルスの蔓延は、日本企業にとりまして今一度、自らの足元を見つめる機会ともなりましょう。終息後の予測としては、中国ではロボット導入による無人工場や5Gによる高度なテレワーク・システム等が出現するなど、世界最先端のIT大国として蘇るとする楽観説から、全世界から危険地帯と見なされ、外資や外国企業の中国離れによる衰退期を迎えるとする悲観論まで様々なシナリオが描かれています。何れの未来が待っているにせよ、日本国は、中国に巻き込まれるリスクを避ける必要がありましょう。悲観論はもとより楽観論であっても、規模に勝る中国系IT企業によって世界市場のみならず、自国市場からも日本国企業が駆逐され、淘汰されてしまうからです(しかも、情報が独占されれば、日本国の経済・社会全体の支配に…)。日本国をはじめ、米中大国の狭間にある中小の諸国にとりましてこのシナリオも悲劇的ですので、日本企業がこれを機に中国依存体質からの脱出を図ることは、自らを救うことでもあるのです。

 そして、近年、米中対立がエスカレートしている現実を思い起こしますと、新型コロナウイルス対策は、有事に際してのシミュレーションともなり得ます。日本国はアメリカの同盟国ですので、両国が‘熱戦’に至った場合には、日本国と中国との間の経済関係は半ば強制的に遮断されるからです。アメリカは、中国との通商交渉を進めつつも、早い段階から‘中国抜きの経済’を想定して動いているように見えます。

 もちろん、本記事で指摘するまでもなく、マスク製造会社は既に増産体制に入り、フル稼働で生産していることでしょう。そして、不足が生じた他の製品分野においても国内での生産、あるいは、増産によって代替できるならば、中国発の経済ショックによる経済へのマイナス影響を軽減することができましょう(ただし、中国のように経済活動や生産の停止に至るレベルの感染拡大が起きてはならない…)。企業が一早くに需要を掴み、供給を拡大させることができれば、危機を乗り越えることは不可能ではないのです。と同時に、日本国の政府も企業も、中国抜きでも自国経済が成り立つように体質改善、あるいは、体質強化を図るべきかもしれません。それはすなわち、将来に向けて経済や社会を含め日本国並びに日本国民を護ることに他ならないのですから。

 

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感染者国籍国負担の原則を国際ルールに

2020年02月23日 14時15分32秒 | 国際政治

 今月19日に発表された観光庁の統計によると、1月に訪日した中国人の数は92万4800を数え、一月としては過去最高を記録したそうです。中国が海外への団体旅行を禁じた1月27日には既に感染者2744人、死者80人を記録し、爆発的な感染拡大が起きています。日本国内にも感染者が多数滞在していた可能性は高く、感染経路がはっきりしないケースは中国人訪日客からの感染なのかもしれません。

 ダイヤモンド・プリンセス号については、船籍はイギリス、運航会社はアメリカ、乗客乗員の国籍は日本国籍を最多としながらもまちまち、そして、停泊地は日本国の横浜であり、強い国際性を特色としています。複数の国家が関わるため、検疫や感染防止措置といった行政権は日本国が及ぼしつつも、管轄権や乗客・乗員の保護責任についてはスポットが生じ、不十分、かつ、一貫性のない対応の一因とも指摘されてきました。そこで日本国政府は、目下、国際社会においてクルーズ船における感染病に際しての国際ルール作りを訴えているのですが、国際ルール作りの必要性は、クルーズ船に限られたことではないように思えます。

 それでは、どのような問題があるのかと申しますと、それは、外国人感染者の保護責任の所在です。日本国では、新型コロナウイルスは指定感染病として位置づけられましたので、国籍に関係なく、日本国内での感染者の治療には国費が支出されます。同措置により、無償となる日本国での治療を目的とした中国人感染者の訪日増加も懸念されているのですが、日本国政府は中国からの渡航を全面的に禁じておらず、かつ、中国も、現段階では団体客の出国は禁じたものの、個人やビジネス関連の訪日を止めてはいません。このため、将来にわたり無症候性の感染者が来日しないとも限らず、日本国民の不安と不満を高めているのです。感染リスクが格段に高まるのみならず財政負担も強いられますし、仮に、今後、日本人の感染者が増加した場合、中国人感染者の治療が優先されて、一般の日本人が十分な医療を受けられなくなる可能性もあるからです。

 そして、この不安を一層募らせるのが、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客に対する中国の対応です。詳細は公表されていませんが、同船の乗客の国籍は全世界に分散しており、中国人の乗客も少なくなかったはずです。運航会社としても、アジアを周遊する同船は、経済成長著しい中国の富裕層をもターゲットにしていたことでしょう。ところが、アメリカ、イギリス、オーストラリアといった諸国は、自国の国籍を有する乗客を退避させるべくチャーター機を派遣しましたが、中国からは何らの音沙汰もないのです。

 こうした中国の冷たい態度から予測されるのは、来日中国人が発病した場合、その治療や費用の負担はすべで日本国に押し付け、自国民を自国に引き取ることはしないのではないか、ということです。指定感染病の認定も受けていますし、日本国政府もマスコミも、この点については何らの疑問も呈していません。実際に、ダイヤモンド・プリンセス号から下船した乗客についても、日本人○○名を含む▽△人とされており、日本人以外の下船客の国籍は不明なのです。それでは、一体、この国籍不明の外国人下船客の人々は、船を後にしてどこへ向かったのでしょうか。一部の人々は自らの国籍国に帰国したのでしょうが、中国人であった場合、日本国政府が用意した宿泊施設、もしくは、日本国内の親族を頼って日本国内に滞在している可能性も否定はできないのです(日本国政府は、全ての下船客の行動をトレースしているのでしょうか…)。

 こうした状況を踏まえますと、日本国政府は、国際的な封じ込めを要する感染病に関しては、発病した国の健康保険制度の加入者ではない限り、国籍国が治療、並びに、費用負担において第一義的な責任を負う属人主義を基本的な国際ルールとすべく国際社会に提起すべきように思われます。属人主義を原則としませんと、むしろ、感染者は、全ての国から入国や滞在が拒絶され、行き場を失うかもしれません。また、送り出し国も、感染の疑いのある自国民を野放図に海外に出国させるといった無責任な行動も控えるようになりましょう。仮に、重症化のために国籍国への移送が困難な場合には、後日、治療国政府が国籍国政府に対して費用請求ができるよう、請求権を認めることも肝要です。つまり、外国人感染者は基本的には国籍国に移送され、仮に、発症国で治療を受ける場合には、その負担は、国籍国が負うというものです。

もっとも、現状でも、日本国政府は、中国政府等に対して請求権を失ったわけではないかもしれません。指定感染病として認定され、国費による治療が定められたとしても、それは、治療費の不払いによる医療機関等の受け入れ拒否を回避するために採られた措置であり、日本国政府に義務が生じるとはいえ、この法律によって外国の政府の自国民保護義務が免除されたわけではないからです。何れにしましても、日本国政府は中国の顔色ばかりを窺って日本国民を犠牲にしがちですが、中国に対して面と向かって物申すことができないならば、せめて国際ルールとして感染者国籍負担の原則を確立すべきではないかと思うのです。

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生物化学兵器説が暴く中国の悪行

2020年02月22日 11時56分54秒 | 国際政治

 ダイヤモンド・プリンセス号から下船した乗客の一人がイスラエルで感染が確認され、同国最初の新型コロナウイルスの感染者となりました。人類はパンデミックの瀬戸際に立たされているようにも思えるのですが、同ウイルスの発生源については未だ特定されていません。このため、人工ウイルス、あるいは、生物兵器説が根強く、真偽は不明ながら、‘中国共産党の公式軍事ポータルサイト「西陸網」が、武漢の肺炎を引き起こす新型コロナウイルスが人工的に合成されたものであることを認めた(匿名の方から本ブログのコメント欄に寄せられた情報)’、あるいは、ロシア政府が同ウイルスを人工ウイルスと認定したとの情報もあります。

発生初期の段階では、一般のメディアも中国政府による武漢への人民解放軍投入も報じていましたので、同説の信憑性は否定はできないのですが、その一方で、科学的な見地から同説を否定する動きも強まっています。報道によりますと、今月20日には世界の27人の科学者たちが共同で同説を陰謀として批判する声明を医学誌『ランセット』の紙面で公表しており、同日、中国外務省の耿爽副報道局長も、科学的根拠がないとして否定しています。しかしながら、こうした否定論も決定的な証拠を示しているわけではなく、政治的なバイアスがかかっている可能性も否めません。科学的な分析等に基づく陰謀証明であるならば、27人の‘世界の科学者’による声明文ではなく、研究論文として掲載されるはずでしょうから。こうしたヒステリックな対応には、新型コロナウイルスに関する言論や学問の自由を封じてしまい、自由な真相の究明や科学的研究の障壁となるリスクがありますので、否定説は、むしろ‘怪しさ’を増幅させているとも言えます(自然発生であるならば、黙っていてもやがて科学的に証明されるので慌てる必要はない…)。

何れにしましても、一連の動きから人工ウイルス説、あるいは、生物兵器説を何としても封じ込めたいとする中国側の意思が読み取れるのですが、この問題、実のところ、新型コロナウイルスの正体の如何に拘わらず、一連の疑惑は、中国の底知れぬ恐ろしさを表面化させたことは否定のしようもないように思えます。世界第二位の経済大国に成長しながら、そのお粗末な衛生管理も問題とされつつも、何よりも、生物兵器を開発していたとする事実が明るみに出たことこそ、中国にとりまして痛手となったはずです。たとえ同ウイルスが自然発生的なものであったとしても、武漢のウイルス研究所において既に遺伝子工学を用いた人工ウイルスが作成されており、それが、有毒性を高める方向での研究であったことが明らかにされてしまったのですから。

中国科学院武漢ウイルス研究所で行われてきた研究とは、遺伝子の改変による機能獲得性に関するものです。機能獲得性研究とは、自然界に存在する生物の遺伝子に他の生物の遺伝子の特定機能を発現し得る配列を切り取って挿入することで、本来、保有していない機能を持たせる研究を意味します。この種の研究は倫理上の問題も指摘されており、政治的議論の的ともなってきました。一方、科学的研究において道徳倫理を考慮しない中国では、同研究が急速な発展を見せており、既にSARSウイルスと中国馬蹄コウモリのウイルス(SHCO14-CoV)との間のキメラ・ウイルスの作成にも成功しています。人工ウイルス説や生物兵器説は、根も葉もない‘デマ’ではなく、遺伝工学における中国の高い技術レベルがその背景となっているのです。この点、HIVに対する耐性を有するように遺伝子が改変された世界初のデザインベビーが、中国の研究者の手によって誕生していることは気にかかるところです。何故ならば、仮に、中国が、HIVの特性を備えた生物兵器を開発し、それを使用したとすれば、人工的に耐性遺伝子を備えている中国人のみが生き残る可能性があるからです。

新型コロナウイルスに対する治療薬として抗HIV薬の有効性が指摘されていますが、真っ先に、抗HIV薬が試されたのは、あるいは、中国が既に同ウイルスの生物兵器への利用を計画しているとする情報が伝わっていたのかもしれません。同ウイルスの正体は未だ不明のままですが、全世界の諸国は、中国の生物兵器開発には警戒すべきと言えましょう。そして、今般の新型コロナウイルスの蔓延を機に、近い将来における中国による生物化学兵器の使用を想定した対策を、予め準備すべきなのではないかと思うのです。

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クルーズ船下船者が感染源になるリスク

2020年02月21日 13時18分56秒 | 日本政治

 横浜港に停泊していたダイヤモンド・プリンセス号は、それ自体が‘病院船’に改造すべきほど多くの新型コロナウイルスの感染者を出してしまいました。凡そ3700人の乗員乗客の内、2月19日の時点で621人が感染しており、その感染率は凡そ17%にも上ります。このため、二週間の隔離期間を設けた日本国政府の措置に対して、内外から厳しい批判を浴びることとなったのですが、さらに国民を不安に陥れたのが、クルーズから降りた人々に対する措置です。信じ難いことに、公共交通機関の利用も自由な形での帰宅を許したのですから。

 オーストラリア当局は、同船舶から下船した二人のオーストラリア人の感染を公表しています。下船に際してウイルス検査を実施しており、この時の検査では感染者の二人は陰性であったとのことであり(もっとも、陰性については、日本国政府の見解と食い違いが見られる…)、このニュースは、陰性であったとされる日本人乗客についても、下船後の感染リスクを示唆しています。同ニュースを耳にした日本国民並びに下船された方々は、さらに不安を募らせたかもしれません。

もっとも、下船者が感染源となる事態を想定してか、オーストラリア当局は、さらに2週間の期間を設け、164人全ての下船者をオーストラリア北部特別地域に隔離していました。このため、感染者がオーストリア国内を自由に歩き回って他の人々を感染させることはなく、今後、速やかに病院に搬送され治療を受けるそうです。下船後2週間の隔離措置は、オーストラリアのみならず、アメリカやイギリス等の諸国も実施しており、‘ファイブ・アイズ’の諸国ならではの同ウイルスに関する情報が共有されているのかもしれません。

こうした諸外国の対応と比較しますと、日本国政府の対応は、あたかも感染の拡大を促しているかのようです。発生地である武漢を除いてダイヤモンド・プリンセス号の船内は世界最大の感染空間となったのですが、600人を超える感染者の大半は2週間の隔離期間において罹患したものと推測されます。長期にわたって密封空間となった船内に閉じ込められるのですから、飛沫感染、接触感染、そして、エアロゾル感染(空気感染の一種?)が起きてもおかしくはありません。検疫官、厚生労働省、並びに、内閣官房の職員の方々は、皆、同船舶に乗り込んだために感染しています。また、同船から病院への搬送に当たった救急隊員の方も感染しており、隔離期間こそが感染期間となった可能性が高いのです。また、一旦、陰性の判定を受けた人の中には二度目の検査で陽性とされる人もおり、検査の精度も不安材料の一つです(埼玉県では、陰性判決を受けて武漢からのチャーター便で帰国した帰国者の家族の男児が発症…)。

となりますと、2月5日を起点とする船舶内での2週間という期間設定は無意味となり、むしろ、下船してからの2週間こそが重要であり、拡大防止のために必要となる真の隔離期間ということにもなりましょう。最悪の場合、2週間の隔離を終え、客船の出口から陸地に降りようとしたまさにその瞬間に、感染しないとも限らないからです。

14日間の隔離期間が終了した19日には493人、翌20日には274人、そして本日にも400人以上の下船が予定されていますが、‘過ちては改むるに憚ること勿れ’とも申します。今からでも遅くはありませんので、陰性を以って下船した全ての人々に対して、諸外国と同様のレベルの隔離措置を採るべきなのではないかと思うのです。仮に、下船者の中から感染源となる人が一人でも確認されるとなれば、日本国政府は、国内、否、世界から厳しくその責任を問われることにもなりましょう。

 

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新型コロナウイルスの‘正体’によって対策は変わる

2020年02月20日 13時26分58秒 | 日本政治

 止まらぬ新型コロナウイルスの感染拡大を前にして、日本国では政府も既存マスメディアもパニックや混乱の発生を避けるべく国民に冷静な対応を求めています。しかしながら、その一方で、同ウイルスは科学と政治の両面から謎があり、この謎が解明されない限り、国民の不安を払拭することは殆ど不可能です。そして、同ウイルスには、以下のような複数の説が主張されており、どの説が正しいかによって、対策も著しく違ってくるのです。

 第一の説は、中国政府による公式見解です。同説に従えば、新型コロナウイルスは、武漢市の華南海鮮卸売市場で取引されていた野生動物から人へと感染したものであり、自然界の生息してきたウイルスの一種となります。SARSよりも感染率は高いものの致死率は低く、死亡者も高齢、かつ、持病を有する人に集中する傾向があるとされます。日本国政府もメディア、そして、WHOも同説を前提としており、国民に呼びかけている感染予防の対策は、通常のインフルエンザ、あるいは、新型インフルエンザの対策と大差はありません。もっとも、表向きには国民の側の‘騒ぎ過ぎ’を戒めつつも、大勢の人々が一か所に集まるイベントなどの中止が相次いでいますので、政府は、あるいは、同ウイルスに関する国民には公表していない情報を既に入手しているのかもしれません。

 第二の説は、新型コロナウイルスは人工ウイルスであるとする説です。既存の生物に対して遺伝子操作が施された場合、エンドヌクレアーゼという人工酵素が痕跡として残るとされ、その有無の確認が注目されるところなのですが(同ウイルスの遺伝子情報はすべて公開されている…)、その他の根拠としては、エボラ出血熱を研究してきた生物遺伝学者であるジェームス・ウェイラー博士による人工的な遺伝子配列を有するpShuttle-SNの発見も報告されています。また、現在においては公表を控えているそうですが、インドの科学者も、HIVとのキメラによる免疫細胞CD4陽性T細胞への感染の可能性を示唆していました。

なお、新型コロナウイルスは、SARSコロナウイルスと同様に、血圧を上昇させる作用を有する生理活性物質であるACE2(アンジオテンシン変換酵素2)の受容体細胞に取りつくそうです(結果として心肺腎等の不全を引き起こすらしい…)。これが事実であれば、SARSコロナウイルスとのキメラ説やSARSウイルス自身の人工ウイルス説も浮上してくることとなりましょう。何れにせよ、仮に新型コロナウイルスが人工ウイルスであれば、同ウイルスは自然界の法則に従いませんので、より有毒なウイルスの可能性が高く、第一の説による対応では不十分となります。

人工ウイルス説が事実であれば、同ウイルスが何らかの経路で研究機関から流出したとしか考えられず、同ウイルスの有毒性に関する詳細な情報は、このウイルスの生みの親である研究機関が保有しているはずです。最も可能性が高いのは、武漢の研究所なのですが、近年、中国がアメリカやカナダ等から積極的にウイルスの盗取を試みていることから、これらの諸国にも何らかの情報があるかもしれません。日本国政府は、関連する諸国の政府や研究機関に対して詳細な情報の提供を求めるべきと言えましょう。

そして、第三の説が、新型コロナウイルスは生物兵器であるというものです。第二の説では、純粋な科学的な探求の結果としてフランケンシュタインの如くに凶暴なウイルスが生み出されたわけですが、生物兵器説では、兵器としての意図的な使用を目的としていますので、予測される有毒性は上記二つの説とは比ではありません。生物兵器説でも、自然界のウイルスをそのまま利用するタイプであれば、同定されたウイルスに応じた対応を以って終息させることができますが、後者の場合には、日本国政府も、相当の覚悟を以って対応せざるを得なくなります(エアロゾル感染、体内の抗体消滅、突然死、サイトカインストームの発生、無宿主状態でのウイルスの驚異的な生存期間…など、自然の摂理を越えた有毒性…)。生物兵器として開発されたのであれば、敵国の国民の生命や身体機能のみならず、標的とする国の経済や社会全体に対して破壊的な作用を及ぼすと考えられるからです。

強硬な封鎖措置やWHOが派遣した調査団をも武漢に寄せ付けない中国政府の態度からしますと、第三の説の可能性は否定できません。この場合、日本国政府は、中国政府に対して情報の提供を求めても無駄となりましょう。中国側としては、第一の説で押し通そうとするでしょうし、生物兵器の可能性を言い出しようものならば、逆切れされるか、口を噤めと恫喝されるもしれません。最悪の場合には偽情報を掴まされかねず(もっとも、第三の説が事実であれば、第一の説は偽情報となるのですが…)、むしろ、日本国の危険性が増すこととなります。

以上に、新型コロナウイルスの起源に関する主要な説を3つに整理してみましたが、状況証拠や中国を含む各国の動きからしますと、第三の説、しかも人工ウイルス兼生物兵器の可能性が捨てきれないのが同ウイルスの恐ろしいところです。生物兵器用人工ウイルスであれば、対策は最も困難であり、他国に情報提供を求めても、生物兵器の開発・保有が国際法で禁じられた行為であり、かつ、トップレベルの軍事機密である以上、どの国も口を閉ざすことでしょう。となりますと、日本国政府は、国内の研究機関における独自の新型コロナウイルスの遺伝子情報の解析や分析を急ぐとともに、国内で発生した感染者のデータからその正体を解明していく他ありません(遺伝子が改変されているのであれば、その改変から製作者の目的な意図が読み取れる…)。中国や同国から提供されたデータに基づくWHOからの情報を妄信することなく、日本国政府は、独立的な立場から新型コロナウイルスの正体を突き止め、その特質に対応する最も有効な対策方法を早急に立案すべきではないかと思うのです。人類の歴史においては、‘信じる者が救われない’場合もあるのですから。

 

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中国との‘友情心中’を迫られる日本国

2020年02月19日 13時20分08秒 | 日本政治

世論調査によりますと、一般の日本国民の凡そ8割は中国に対して好感情を抱いてはいないそうです。それにも拘わらず、新型コロナウイルスの感染拡大を前にして、日中両国の政府が‘心中’のために手を繋いだため、一般の日本国民は生命の危機に晒されています。あたかも、一家の心中で巻き添えとなった子供たちのように…。

 もっとも、日中の両国は一つの‘家族’でもなく、行き来や交際はあるものの、少し離れたところに住む隣人に過ぎません。しかしながら、同隣人と個人的に親しい、あるいは、中国の‘家来?’である自民党の二階幹事長や公明党の斎藤幹事長は、隣人宅で命に関わる未知の感染病が発生しているにも拘わらず、積極的に‘友情’と‘支援’をアピールしました(両国の心中は、‘友達心中’とも呼ぶべきでしょうか…)。その後、中国からも歯の浮いたような友好礼賛が続いたため、結局、日本国政府は、武漢市、湖北省全域、並びに、温州市からの渡航は順次禁じたものの、中国からの相互の行き来を断つことをせず、水際作戦は‘ざる対策’となったのです。

伝染病である以上、感染者と接触すれば自らの家族も罹患することは当然に予測できますので、厳格な入国規制を見送った時点で、日本国政府は、自国民の感染リスクを受け入れていたこととなります。この時、既に中国では多数の死亡例が報告されており、中国と同様のレベルで国内に感染が広がった場合、自国民の命が失われることも十分に予測できたはずなのです。感染予防の‘いろは’が往来の切断であるならば、この基本原則は‘友情’を前に曲げられたのであり、一般の国民からしますと、自らの命が軽視されたかのようで不快感を覚えるのは当然のことなのです。自国民の命や健康よりも、中国との友情、あるいは、本音での中国市場での経済的利益の方が大切なのか…と。

中国にとりましての‘友人’とは、自らの病を移しても構わない相手であり、仲良く同じ病気に苦しむのが真の友なのかもしれません。そして、日本国側の親中派の人々も、相手の病を引き受け、苦しみを共にするのが友情の証と考えたのでしょう。つまり、友情証明、あるいは、忠誠証明のためにこそ、敢えて全面的な入国規制を見送ったのかもしれないのです。目下、日本国政府に対する批判が高まっていますが、政府が私的な感情や短期的な利益を優先した結果、一般の国民が犠牲となる事例は歴史に枚挙に遑がありません。現代の民主主義国家であっても、為政者による私心や私益の優先の問題は克服されてはいないようなのです。

日本国内においてコロナウイルスの感染が広がれば、日本国政府もまた、中国と同様に都市部の封鎖や生産活動の停止に追い込まれることとなりましょう。既にミクロネシアなどの太平洋諸国が日本からの渡航を禁止しておりますが、今後、感染者数の増加が確認されれば、アメリカをはじめ他の諸国もまた、中国と同様の入国禁止措置を日本国に対しても行うかもしれません。中国との友情を優先させた結果、日本国もまた甚大な被害を受けるのですから、凡そ8割が中国に対して良い感情を持っていない一般の日本国民としましては、その不条理には納得しないはずです(日本国政府から中国との心中を強制されたくない…)。

幸いにして、中国の一般国民からは、日本国の支援に対して‘もう結構です’という声も多数上がるようになってきたそうです。日本駐中国大使館の中国版ツイッターのアカウントには、‘気持ちは受け取った。寄付は結構だ。自分たちも必要だろう’とする、日本国の立場を慮る声も寄せられていると言います。中国政府よりも一般の中国人の方が、余程情に厚く、良心的であるのかもしれません。中国国内でも日本国の‘武漢化’を心配する声も広がっておりますので、日本国政府が中国から渡航者の全面的な入国禁止に踏み切ったとしましても、少なくとも一般の中国人の対日感情が悪化するということはないのではないでしょうか。

目下、日本国政府は、国内感染者の接触範囲や移動経路等を懸命に追跡し、感染ルートを把握しようと努めていますが、ましてや全ての訪日中国人の行動をチェックすることは不可能です(団体旅行客は出国を禁じられているので、観光客であれ、ビジネスマンであれ、個人行動となり、なおさらに感染経路の把握は困難に…。また、中国からの来日者が現状のままでは、感染ルートが日増しに拡大してゆく可能性は高く、日本国の‘武漢化’を防ぐためにも(中国にしても、自国で封じ込めに成功したとしても、同ウイルスが拡散した先からの逆感染もあり得る…)、日本国政府は、早急に中国からの渡航を全面的に禁じるべきではないかと思うのです。


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誰も教えてくれない新型コロナウイルスの毒性

2020年02月18日 15時07分25秒 | 国際政治

 武漢をはじめとした主要都市を封鎖しても、新型コロナウイルスの感染者、並びに、死亡者数の増加に歯止めがかからない中国では、新たな治療方法として回復者の血液から採取した血漿を投与するという方法が注目を集めているそうです。上海公衆衛生臨床センターが同方法を試みた結果、呼吸困難等に陥っていた重症患者も速やかなる回復を見せており、この結果に自信を得た中国当局は、回復者に対して献血を呼び掛けているのです。

 これまで、同ウイルスが引き起こす症状に対しては、SARSやエイズ等の治療に用いられてきた抗ウイルス薬の併用が有効とされてはきたもの、専用の治療薬や治療法は存在しない状態が続いてきました。先が見えない中、全世界の研究機関や製薬会社等が予防ワクチンや治療薬の開発に乗り出した矢先、画期的な治療法が発見されたのですから、人類にとりましては歓迎すべき喜ばしいニュースかもしれません。加えて、マラリアの治療薬であるリン酸クロロキンにも効果が確認されたとの報告も続いていますが、これまで報じられてきた情報と照らし合わせますと、疑問点がないわけではないのです。

 第一の疑問点は、新型コロナウイルスと抗体との関係です。血漿によって感染者が回復するのは、血漿に回復者の体内で造られた同ウイルスに対する抗体が含まれているからなのでしょう。狂犬病やジフテリアといった他の病気でも、抗体の活動が活発な回復期にある患者の血漿の投与は有効な治療法の一つなそうです。同治療法に効果があるとすれば、人には、新型コロナウイルスに対する抗体を生成する能力が自然に備わっていることを意味します。他のウイルスによる感染病と同様に新たに造られた抗体が体内の全ウイルスを除去できるのであれば、新型コロナウイルスに感染した患者は完全に治癒されることとなりましょう。その一方で、中国発の情報によりますと、同ウイルスでは一旦は回復したとしても再度感染し、重篤化するケースが存在しているとのことです。

再感染のケースから提起される疑問点は、(1)同ウイルスには、HIVウイルスのような潜伏感染の性質があるのか(因みに赤血球にとりつくマラリア原虫も休眠状態で長期間潜伏…)、(2)あるとすれば、回復者もまた、数年後には再発するのではないか、(3)一旦、生成された抗体は長期的に維持されるのか、(4)血漿治療を受けた感染者は自ら抗体を生成する能力がないため、血漿の投与を停止した場合、その後、何が起こるのか…といった諸点を挙げることができます。これらの諸点が明らかになりませんと、抗体治療という方法にも限界が生じます。

第二の疑問点は、ワクチンによる予防の効果に関するものです。抗新型コロナウイルスの抗体が確認されたとしますと、予防薬としてのワクチンの開発も加速されましょう。その一方で、緊急性を要するため、安全性を十分に確認せずに投与される可能性も高く、薬害が発生するリスクも否めません。上述したように潜伏型のウイルスである場合には、接種後に発症する可能性もありますし、数年後、あるいは、数十年後の長期的な影響についても全く以って不明です。また、抗体が短期間で体内から消滅するならば、ワクチンの効果も期待薄となりましょう。

第3に挙げられる疑問点は、血漿投与による治療法は誰が優先されるのか、という問題です。当然に重症者が優先されることとなるのでしょうが、それでも献血による血漿供給が必要量に追いつかない場合には、共産党幹部といった一部の特権者に優先的に配給されるかもしれません。共産党員や富裕層が優遇されるとしますと、一般国民の不満はさらに高まることでしょう。

WHOは、人々の不安を和らげるために、新型コロナウイルスに関する情報として、中国が提供したデータに基づいて’致死率は凡そ2%であり、8割は軽症である’といった点を強調しています。しかしながら、日本人を含め、全人類が知りたい情報は、政治的バイアスのかかった不正確な情報に基づく大雑把な‘気休め情報’ではなく、新型コロナウイルスの毒性に関する詳細、かつ、正確な科学的な情報です。同ウイルスは人工ウイルスである可能性が極めて高く、それ故に人々は、同ウイルスが長期的に免疫メカニズムを破壊するのではないかと疑っているのです。この懸念が事実であれば、その予防法や治療法も、新型コロナウイルスの遺伝子情報の徹底的な分析に基づく必要があり、凶暴化した同ウイルスに対しては、高度な遺伝子工学を以って対峙しなければならないかもしれないのです(新型コロナウイルスという悪玉ウイルスを退治するために、同ウイルスの作用を無効化する、あるいは、免疫力を回復させる善玉ウイルスや遺伝子標的薬を開発しなければならないかもしれない…)。新型コロナウイルスは免疫不全を引き起こすHIVとの関連性が指摘されているだけに、情報の全面的な開示こそ急がれるのではないかと思うのです。

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裏目に出る習国家主席の新型コロナウイルス対策

2020年02月17日 13時24分44秒 | 国際政治

 新型コロナウイルスの猛威は、中国の一党独裁体制をも窮地に追い詰めている観があります。同ウイルスの蔓延は、これまで封じられてきた習近平国家主席、並びに、現中国の国家体制に対する批判が表面化する切っ掛けとなったからです。予想外の展開に焦りを感じたのか、習主席も自らの‘指導力’の誇示に必死です。しかしながら、焦れば焦るほどに泥沼に嵌まるのは世の常であり、習主席も例外ではないようなのです。

 マルクスの思想を基盤にレーニンや毛沢東等が発展させたとされる今日の中国の共産主義にとりまして、‘指導原理’は独裁的国家体制を支えるキーワードです。プロレタリアート(所謂‘人民’)の独裁体制における人民の平等を理想に掲げつつ、何故、現実は真逆となり、少数の特権階級と化した共産党のみが権力を握り、さらにその上に独裁者が君臨するパーソナルな独裁体制となるのか、誰もが不思議に思うはずです。このからくりを解く鍵こそ‘指導原理’であり、中国の共産主義では、‘人民のため’にこそ、人民を導く卓越した能力を有する‘指導者’が必要であると考えられているのです。つまり、ここで、人民の平等やプロレタリアート(人民)独裁の理想は、個人独裁へといとも簡単に転換されてしまうのです。言い換えますと、民主主義は、リンカーンが述べた‘人民の人民による人民のための政治’という言葉で簡潔に表現されますが、共産主義は、‘人民=プロレタリアート’という定義にもとづく‘人民の人民による人民のための指導者’、つまり、‘政治(公的機能)’を‘指導者(個人)’に巧妙に置き換えることで、独裁体制の正当化、あるいは、国家の私物化へと導かれてしまうのです。

 こうした共産主義の詭弁は多くの人々を騙してきたのですが、新型コロナウイルスの感染拡大は、この欺瞞を暴いてしまったかのようです。‘人民の人民による人民のための指導者’であるはずの習主席の対応は後手に回っており、人民に対する被害を広めてしまったからです。これまで体制批判を控えてきた中国の知識人の間からも、‘人災’という言葉も上がっており、習主席の‘指導者’としての能力が問われる展開となっています。

 例えば、習主席は1月20日に初めて武漢における同ウイルスの感染拡大に対して対応を指示したとされていますが、その対応の遅れを指摘されると、1月7日には感染拡大に対する指令を出しているとして供述を変えています。ところが、‘それでは、何を指示したのか’というさらなる疑問が呈されてしまい(適切な指示を出したのであれば、これ程の被害にはならないはず…)、むしろ、姑息な言い訳と指導力の欠如が印象付けられてしまいました。

 また、報道によりますと、今月の3日に開かれた共産党政治局常務委員会の会合の席で、同主席は、地方当局者を前にして、行き過ぎた新型コロナウイルス対策の是正と生産の再開を指示したそうです。しかしながら、現実には、3日以降も春節明は延期を繰り返し、全世界の有力企業がオフィスを置く首都北京でさえ、人通りがまばらであり閑散とした光景が広がっています。このことは、習主席の‘鶴の一声’で指示が即座に実行されるわけではなく、地方自治体、企業、そして国民も事業や活動の再開には慎重な構えを崩していないことを示しています。もっとも、同主席の演説の全文は、15日に至って漸く共産党機関誌「求是」に掲載されたそうですので、今後、中国の経済活動が一気に平常化に向けて動き出す可能性はありましょう。あらゆるリスクを顧みずに…。

 しかしながら、仮に、経済・社会活動を再開した結果、感染がさらに拡大するような事態を招けば、習主席の立場はさらに悪化することが予測されます。この点、3月上旬に予定されている全人代も開催が注目されます。同大会が延期となれば、3日の演説は早空文化することともなりましょう。この時、中国の国民は、どのように考えるでしょうか。

共産党一党独裁の国家体制を支える基本原理が‘指導原理’であるならば、その指導力に疑いが生じ、人民の大多数がそれを認識した場合、それは、即、国家体制そのものへの懐疑へと向かうこととなりましょう。猛威をふるう新型コロナウイルは、中国の政治体制をも生死の境をさ迷わせているように思えるのです。


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‘正しく恐れよ’は偽善では?ー新型コロナウイルス対策

2020年02月16日 12時21分38秒 | 日本政治

 昨日、外出した際に、ある場面に遭遇しました。それは、歩道を歩いている際に、後ろの方から中国語で話す声が聞こえてきた時のとこです。二人連れの若い男性が周囲に聞こえるような大きな声でしゃべっていたのですが、この時、この二人ずれの中国人の周辺を歩いていたと考えられる一人の男性が、この中国語の声に慌てるかのように、私を追い越して一目散で走り去っていったのです。そう言う私も、なるべく距離を置くべく速足となっており、この時、はたと自分も中国人を差別しているのか…と自問することとなったのです。

 避けられる側の立場からしますと決して心地よいことではありませんので、中国人から走って逃げようとした男性のみならず、自分自身の行動にもどこか心の痛みを感じる出来事だったのですか、それでは、無症状での感染の拡大が報告される中、新型コロナウイルスへの感染が疑われる来日中国人と近距離の位置にいることができるのか、と申しますと、それもまた、無防備すぎるようにも思えます。あらゆる生物には生存本能が備わっていますので、生命の危機を察知した際の咄嗟の回避行動を抑制することは、最も高い知性を有する人であっても簡単なことではありません。しばしば理性とは剥き出しの本能を抑える知性として理解されていますが、生存本能の抑制は自死を意味することもありますので、理性を礼賛するばかりにリスクに目をつむり、死を甘んじて受け入れる態度を奨励することもできないからです。

 新型コロナウイルスに関連して中国人を揶揄したり、からかったりすることはすべきではありませんが、感染リスクを回避するための合理的な行動については、許容されるべきように思えます。それは、苛めや差別ではなく、自然なリスク回避抗行動であるからです。しかしながら、政府やマスコミの対応を見ますと、‘正しく恐れよ論’が主流のようです。‘正しく恐れよ論’とは、ポリティカルコレクトネス、あるいは、ダブル・バインディングの類の欺瞞的な命題であり、‘正しく’の副詞部分は‘政府の公表した情報に従って’を意味し、後者の動詞部分の‘恐れよ’は、前者に修飾されることで‘恐れるな’に意味が逆転します。つまり、新型コロナウイルスのケースでは、中国政府が公表しているデータによれば死亡率も高くないのであるから、日本国政府がインフルエンザ並みの対応で十分としている限り、それ以上のリスク回避的な行動を国民はとるべきではない、と述べているのです。

 その一方で、中国の惨状が示すように、中国政府は必ずしも正しい情報を国民に提供しているわけではなく、その隠蔽体質が感染の拡大を招いた主因とされています(高齢者や持病を持つ人々のみならず、若年層や子供も感染して亡くなっている)。‘正しく’が‘正しくない’場合にはこの命題は崩壊するのであり、政府に従って無防備であった、あるいは、警戒心を解除した国民に甚大な被害が及びます。しかも、ネット上に寄せられている一般人からの情報の方が、政治的バイアスや配慮を排した‘事実’を伝えているケースも少なくないのです。不安に駆られている一般の国民に対して、上から目線で‘正しく恐れよ’と教説する優等生的なしたり顔こそ、実のところ、最も冷酷で鼻持ちならない態度かもしれないのです。

 しかも、日本国を含め、他の諸国に対して渡航禁止措置の解除を求めている中国自身はと言えば、通常のインフルエンザ以上の厳格で強硬な封鎖政策を実施しています。習近平国家主席も、今月10日に至ってようやく北京市内の病院等を視察したものの、市民との握手は拒否したとされています。自国や自分自身を護るためには非常手段に訴えながら、他国や他の国民に対しては、通常通りの対応にせよと要求しているのですから、利己的なダブルスタンダードと批判されても致し方ありません。

 ‘正しく恐れよ’を文字通りに素直に実践すれば(‘事実に基づいた対応を行う’)、日本国政府にあっては、初動において失敗した中国政府と同じ轍を踏むことなく、新型コロナウイルスの毒性や感染者の行動を含むあらゆる情報を収集すると共にそれらを国民に正直に公表し、中国レベルの厳戒態勢を敷くことが最も効果的な対策となりましょう(日本人もまた同ウイルスに対して脆弱であるならば、やはり、中国からの渡航は全面的に禁止すべきでは…)。そして、日本国の国民も企業も、政府のみに頼らずに独自に情報を収集し、感染回避策を早急に立案して実行すべきかもしれません。特に、一般の国民は勤務先の指示に従わざるを得ませんので、ラッシュアワー時、並びに、オフィスや工場等の職場における感染リスクを避けるための(数週間以内に中国に渡航歴のある社員の自宅待機や時差通勤等…)、企業レベルでの対策は急を要しましょう。きれいごとの偽善を捨て、企業や個人レベルにおいて、各自が自由主義国ならではの対策を講じることができれば、新型コロナウイルスの被害を最小限に抑えることができるのではないかと思うのです。


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日本人の感染リスクレベルを調べるべきでは?

2020年02月15日 13時35分26秒 | 日本政治

 純粋に科学的な見地に基づいて事実を見据えれば、人種や民族によって疫病の感染率や重症化度、そして死亡率には違いがあるそうです。スペイン風邪といった歴史的な惨事に際して収集されたデータからも明らかであり、SARSの感染地が主として中国に限定されたのも、同ウイルスが中国人に感染しやすい性質を有していたからであるとされます。

 政府もメディアも決して認めませんが、今般の新型コロナウイルスについても注意深く記事や報告の行間を読みますと同様の傾向が認められるそうです。アメリカなどの海外での感染例を見ますと、国籍を基準にして判別すれば、中国以外の外国籍ではありますが、人種や民族からしますとアジア系の中国人が殆どなそうです。この傾向から、新型コロナウイルスは人種としてはモンゴロイドに感染しやすく、特に中国人への高い感染率を示していると言えましょう。

アメリカもヨーロッパ諸国も厳重な入国規制を実施しつつも比較的落ち着いているのも、コーカサイド系やアフリカ系の感染率が低いからなのかもしれません(モンゴロイドの血を引くヒスパニック系や先住民系は感染し易い?)。それでは、中国人以外のモンゴロイドはどうなのでしょうか。東南アジア諸国にあっても感染例が報告されていますが、現地にあって爆発的に感染者数が増えたとする報告は今のところはありません。インドも同様であり、同国で確認された感染者は民族的には中国人のようです。その一方で、北方の北朝鮮はヒステリックなまでに感染の拡大阻止に躍起になっており、新型コロナウイルスの蔓延に対する危機感が伝わってきます。この点は、2015年にMERSを経験した韓国も北朝鮮と同様の厳格な対応を見せており、あるいは、同ウイルスは、コリアン系に対しても高い率で感染するのかもしれません(もっとも、北朝鮮には中国系の住民が多いかもしれない…)。

そして、何よりも懸念されるのが、日本人に対する同ウイルスの危険度です。日本国政府は、近年、インバウンドを期待して中国人観光客の誘致に努めてきましたし、ビジネスを通しての訪日中国人の数も年々増加しています。しかしながら、武漢での感染拡大が報告された後も暫くの間は入国規制を実施せず、国境で感染を阻止する水際対策には失敗しています。日々、国内感染者数は増え続けており、感染経路が不明な故に市中感染も懸念される事態に至っているのです。

仮に、日本人が中国人と同レベルで新型コロナウイルスに対して脆弱であるとしますと、日本国内では、極めて忌々しき事態が発生する可能性があります。特に通勤通学時間がラッシュアワーとなり、すし詰め状態となった電車やバスの車内で人と人とが直接に接触する首都圏では、爆発的な感染拡大が予測されるからです。中国では僅か15秒の間、屋台で感染者の隣の席に座っただけで感染したとする報告もあり、日本国におけるラッシュ時の感染は火を見るよりも明らかです。また、つり革や手すり、あるいは、座席を介しての間接的に感染するかもしれません。飛沫感染や接触感染、そして、空気感染もあり得るかもしれず、車内に一人でも感染者が乗り込んだ場合、周囲の乗客のみならず、同車両に後から乗ってきた人々をも罹患させかねないのです。

 日本人の感染率が高い場合のリスクを考えますと、科学的な検査によって日本人の感染リスクを判断することは、決して否定されるべきではないように思えます。感染リスクの評価によっては対応や対策のレベルも違ってくるからです(仮に、中国人のみに高い感染率が認められるならば、在日中国人やその集住地域を主たる対象に感染予防を実施することに…)。若干インフルエンザよりも重い程度であり、重症化率や死亡率も低いのであれば、厳格な予防措置は必要ないのかもしれません。その一方で、不幸にも中国と同レベルであれば、日本国政府も企業も迅速な対応に迫れます。通勤・通学を避けるために、在宅勤務やリモート学習といったシステムを早急に構築しなければなりませんし、製造現場でも中国と同様に生産活動を停止せざるを得なくなるかもしれません。そして、東京五輪の行方も、人種・民族間における感染リスクの違いによっても左右されることとなりましょう。

人種や民族的な遺伝子レベルでの差異については、兎角にポリティカルコレクトネスによって‘存在しない’ということにされていますが、殊、新型コロナウイルスをめぐっての情報は、現実には、国家の命運をも決しかねない重要です。ポリティカルコレクトネスという名の‘政治的偏見’は、科学的な事実を否定し、人々の命を護るための客観的なリスク評価を鈍らせ、対策を誤らせるという意味においても罪深いとしか言いようがないのです。

 上述したように、これまでのところ、中国人の感染率の高さだけは確認され、他の人種や民族には広がりを見せていませんが、新型コロナウイルスは、長期的な毒性についても未解明のままの謎のウイルスでもあります。今後、同肺炎は変異等によりペストのようにパンデミックを起こし、全人類を感染の恐怖に陥れるリスクありますが、少なくとも、感染に関する人種や民族ごとの違いを科学的、かつ、客観的な情報として正確に把握しておくべきではないかと思うのです。


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