万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国際社会は香港問題にどう対応すべきか

2019年08月31日 14時46分12秒 | 国際政治
暴力的鎮圧には至らぬものの、香港には既に人民解放軍が入っているとする情報が漏れ伝わります。保釈されたとはいえ雨傘運動のリーダー達も逮捕されており、香港は一刻の猶予も許さない状況に至っております。

 1949年10月10日における中華人民共和国の成立により、中国大陸は凡そ真紅一色に染まることとなりました。否、共産党一党独裁体制という重い暗幕が降ろされ、色彩のない闇に覆われたといっても過言ではないでしょう。人々は、揃いの人民服を着せられ、人々の行動も言葉も恐怖によって支配されたのです。閉ざされた暗闇となった中国大陸にあって、唯一、自由で開放的な輝きを放っていたのは香港でした。改革開放路線への転換を機に中国にも外部から明るい陽射しが差し込むようになっても、香港は、‘チャイナ’のイメージに僅かなりとも色彩に溢れた華やかな印象を与え続けてきたのです。そして、今日、中国大陸が再び習近平体制の下で暗黒社会へと逆戻りする一方で、香港もまた、この暗闇に飲み込まれつつあります。中国大陸に唯一光を放ってきた灯は、今や消えようとしているのです。

 人民解放軍による暴力的弾圧を避けるためには、抗議活動の過激化を防ぐべきことは言うまでもありません。おそらく、過激派の中には北京政府が秘かに潜伏させている多数の工作員が混じっていることでしょう。これらの工作員が北京政府に口実を与えるために、言葉巧みに仲間たちを暴力行為に駆り立てることは容易に想像できます。まずはよくメンバーを観察して過激派の正体を見破り、抗議派内部おける北京政府の誘導工作活動、あるいは、国際組織による謀略を阻止する必要がありましょう。

 そして、国際社会にも、香港問題について具体的な対中政策を立案すべき時が来っているように思えます。かつて、連合国は、‘敵の味方は敵’の論理からソ連邦という‘異端児’と手を組みつつも、自由と民主主義を戦争の大義に掲げて第二次世界大戦を闘いました。戦後にあって、人類は、自由と民主主義を具現化する道を真っすぐに歩みつつあるように見えたのですが、アジアにおいてはナチスをも凌ぐ全体主義国家中国の台頭とそれに靡く諸国の出現は、全体主義の暗闇を全世界に拡げつつあります。香港の運命は、明日の我が身であるかもしれないのです。

 中国の危険性を考慮しますと、何れの国も、決断を先延ばしにすることなく覚悟を決める必要がありましょう。この決断とは、多少の経済的な利益を犠牲にしてでも、民主主義が制度化されている自国の自由主義体制を堅持するという覚悟です。この点に関しては、アメリカのトランプ大統領は既に決断を下しているように見受けられます。それでは、日本国政府はどうでしょうか。情報・通信やエネルギーといった公共性の高いインフラ系の分野にあっても、中国企業の日本市場参入に対して規制を強化する動きは見られませんし、アメリカのように、中国製品に対して高い輸入関税を設定する様子も見られません。

日本国政府は、自由、民主主義、法の支配、そして、人々の基本的な自由や権利を護るよりも、経済的な利益を優先するのでしょうか。左翼の人々は、‘戦争’には声を揃えて反対しますが、全体主義や政治的弾圧に対しては口を噤んでしまいます。右派も左派も中国に対して及び腰なのですが、少なくとも私は、前者を選択すべきではないかと思うのです。人類に善き未来を拓くために。

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韓国軍クーデタ説を考える

2019年08月30日 13時01分35秒 | 国際政治
日本国政府による対韓輸出規制の強化は、韓国国内において世論の分裂を招いているそうです。熱狂的な歓迎ムードで大統領に就任したものの、文在寅政権に対する支持率も低下の一途を辿り、今や50%を切る状況にあります。従来であれば、反日政策は政権浮上の切り札でしたが、ただでさえ苦境にある韓国経済にさらに拍車をかけるような政策の連続に、今度ばかりは韓国国民も同政策に踊らされないようです。

 不況の長期化に対する懸念から韓国国民の政権批判が高まる一方で、韓国軍の動きも取り沙汰されています。何故ならば、文大統領は、8月24日の更新期限を目前にして、突如、日米韓三国における軍事情報共有枠組みの一角を占めるGSMIAの破棄を表明したからです。長い年月をかけて構築してきた対中包囲網が綻びかねず、同決定にはアメリカ国防省も怒りを露わにしています。韓国軍としても、毎年合同軍事演習を実施するなど、米韓同盟の下で米軍と緊密な協力関係を築いてきただけに、文大統領の決定は、軍部に対する‘背信’として捉えられてもおかしくはありません。

 韓国における軍事クーデタには前例があります。1961年に、四月革命で李承晩大統領が失脚すると、学生を中心に南北朝鮮会談を開こうとする機運が高まります。同学生運動の背景には当然に左派を構成する親北勢力が潜んでいたのでしょうが、同運動を封じることを目的に、反共産主義、親米政策、腐敗と旧悪の一掃、経済再建などを掲げ、朴正熙少将をリーダーとする軍部が「5.16軍事クーデタ」を起こすのです。韓国のみならず、軍事クーデタは世界各国で散見されるのですが、クーデタとは、安全保障や国家体制の根幹に関わる問題が持ち上る時に発生しますので、今般、韓国においても軍部が動く可能性もないわけではありません。

 それでは、韓国軍部は、「5.16軍事クーデタ」と同様に、反共、親米、反腐敗、経済再建を大義名分として文大統領を失脚に追い込み、国権を掌握するのでしょうか。韓国国内を見ますとクーデタがおきる条件は整っており、国民の大半も支持するかもしれません。しかしながら、その一方で、軍事政権の誕生後につきましては、慎重に見てゆく必要があるように思えます。必ずしも、国民向けに用意されたスローガン通りにはならない可能性があるからです。

 ところで、戦前の日本国にあっても、皇道派の青年将校を首謀者とするに二.二六事件が発生しましたが、一先ずは、軍部の賛意を得られずクーデタ部隊の自壊を以って終結します。しかしながら、結果としては、日本国の政治は、天皇を超越者とする軍事政権の色彩を強めてゆきました。言い換えますと、クーデタ部隊を‘捨て石’とするかのように、日本国の国制は、軍部の台頭を以って‘昭和維新’の方向性に沿って急激に変転してゆくのです。

二.二六事件については、それが、‘成功’であったのか、‘失敗’であったのか、歴史的な評価が分かれるところですが(結果だけを見れば目的を達成している…)、朝鮮半島に至っては、‘メビウスの輪’を特徴としておりますので、結果が逆になる可能性はさらに高まります。つまり、文大統領側近のスキャンダルもあり、内外に向けては反共、親米、反腐敗、経済再建を主張しつつも、時間の経過とともに、この方向性は逆転するかもしれないのです。「5.16軍事クーデタ」によって成立した朴政権にあっても、その末期には、独自の核開発を目指し、かつ、中国に接近したことでアメリカから不評を買っています。否、北朝鮮、中国、ロシア、あるいは、そのバック勢力からしますと、南北両国ともに軍事独裁体制となるのですから、むしろ、‘扱いやすい’あるいは‘操りやすい’国家体制となるのですから。

韓国において軍事クーデタが実際に計画されているかどうかは不明ですが、軍部でさえ、その内部において親米派と親中派に分裂する可能性もあります(親米クーデタのみならず、親中クーデタもあり得る…)。軍の動向も絡むとなりますと、今後の朝鮮半島情勢の不安定化は避けられないように思えるのです。

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朝鮮半島の南北逆転現象-仕掛け合う米中?

2019年08月29日 14時01分24秒 | 国際政治
 韓国の文在寅大統領による突然のGSOMIA破棄は、日本国政府のみならず、アメリカ政府に対しても相当の衝撃を与えたようです。本日も、シュライバー米国防次官補が強い口調で「韓国に即座にGSOMIAに戻るよう求める」と述べたと報じられています。

 トランプ米大統領による発言ではありませんので、同政権の公式見解であるかどうかは分からないのですが、少なくとも国防省内部では、アメリカを中心とした日米間の情報共有体制から韓国が離脱することは、アメリカの安全保障体制を揺るがす事態として認識されているのでしょう。常識的に考えても、中国が軍事力の増強に努め、北朝鮮もまた核・ミサイル開発を諦めていない中でのGSOMIAの破棄はあり得ないことです。文大統領によるスキャンダル隠しではないか、とする指摘もありますが、自己保身のために安全保障を蔑にする大統領が存在するとすれば、それはもう私益のために国民を犠牲に供する‘売国奴’とも称されても致しかたない背信行為です。

 傍から見ますと信じがたい愚行なのですが、文大統領がGSOMIA破棄の決断に至った背景には、表からは見えない別の公算があったように思えます。政権発足当初から、文大統領の親北姿勢は際立っており、他の如何なる国との友好関係を犠牲にしても北朝鮮を優先しているかのようです。米韓関係が揺らぐのも文大統領の過剰な親北傾斜にあるのですが、親族関係等、北朝鮮に対して個人的な思い入れがあるにせよ、あまりにも不自然です。北朝鮮の金正恩委員長から罵倒されても、笑顔で同国にすり寄るのですからマゾヒストでない限り、あり得ないお話です。

 そこで考えられるのは、文大統領を動かしているのは、北朝鮮に対するシンパシーではなく、強大な軍事力を以って東アジアで覇権を築きつつある中国、あるいは、そのバックとなる勢力ではないか、という推測です。韓国の親中政策は文政権に始まったことではありませんが、朴槿恵政権の時代に開いた中韓の二国間関係をさらに発展させ、中北韓の三国による緊密な三国間関係を構築することこそ、文政権の‘至上命題’であったかもしれないのです。つまり、現下の韓国の怪しげな動きは、中国による朝鮮半島併呑政策の一環なのです。

 その一方で、アメリカが、朝鮮半島全域を自勢力に取り込もうとする中国の動きを黙認するはずもありません。中国が韓国に食指を動かすならば、アメリカは、対中対抗措置として北朝鮮にアプローチした可能性も否定はできません。そして、同国としては、米韓の同盟関係を維持しつつ、あるいは、米軍撤退後にあっても韓国を親米勢力圏に留めながら、北朝鮮をも自陣営に組み込むのが最も望ましい策であったことでしょう(親米でさえあれば、北朝鮮主導の南北統一も許容範囲であったかもしれない…)。同政策を想定しますと、トランプ米大統領が北朝鮮に対してすこぶる‘甘い’理由も理解されます。

 以上の推測がただしければ、朝鮮半島では、奇妙な逆転現象が起きていることとなります。朝鮮戦争における敵味方関係が逆になるのですから。果たして、このねじれ現象は、どのような結末を迎えるのでしょうか。この結末には、朝鮮半島全域が中国、あるいは、アメリカの勢力下に置かれる、南北逆転において両国が対立する、元の鞘に収まって対立が継続する、の4通りのシナリオが考えられます。朝鮮半島の両国とも信頼性に乏しい不安的な国であることを考慮しますと、日米が匙を投げる形で中国の支配下に入る可能性も否定はできないように思えるのです。

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韓国の太極旗とメビウスの輪戦略

2019年08月28日 13時51分33秒 | 国際政治
日韓関係は、竹島における軍事訓練の実施により悪化の一途を辿っております。マスメディアが世論を誘導しようとしても、両国関係が良好な状態を保てない理由の一つに、両国間の世界観や価値観の違いがしばしば指摘されています。そして、この深刻なる違いは、両国の国旗のデザインによっても象徴されているように思えるのです。

 日本国の日の丸のデザインは、明治3年に国旗として制定されたとはいえ、その起源は歴史を遠く古代に遡るとされます。空高く上る太陽を象徴しており、白地に赤い丸のデザインは大変シンプルです。記紀神話によりますと、最高神として位置付けられているのは太陽神である天照大神ですし、日本人の素朴な自然崇拝に根差しているのかもしれません。

 一方、韓国の国旗は、太極旗と呼ばれています。そのデザインはと申しますと、中心に丸が描かれている点は日の丸と同じですが、丸は、赤と青のツートンの巴文様として描かれ、中心の太極の外側には「卦」が取り囲むように配されているのです。同デザインは李氏朝鮮国王の国旗とされ、14世紀から使用されてきたそうです。ここで特に注目すべきは、中国の道教等に起源を有する陰陽思想を表すとされる太極の文様です。陰陽思想には、陰があれば陽があり、陽があれば陰があるとする陰陽互根や、陰が極まれば陽が生じ、陽が極まれば陰が生じるとする陰陽転化といった考え方を含んでおり、この世を陰と陽の二つの気で説明しようとする思想です。いわば、太極旗は、韓国の伝統的な世界観を表しているのですが、この思想にこそ、現在、詐術的手法として多用されている‘メビウスの輪’戦略との間に高い親和性を認めることができるのです。

 例えば、陰と陽の二つの気を善と悪に置き換えますと、道徳や倫理において深刻な問題が生じます。この思想を信じる人々は、陰陽互根を根拠として‘‘善’があれば‘悪’が存在するのも当然である‘と考え、悪の存在を容易に受け入れてしまうかもしれません。あるいは、陰陽のバランスをとるために、積極的に悪を創り出すかもしれないのです。そして、陰陽転化に基づけば、‘善’の方向に向かって歩いているはずなのに‘悪’に行き着いてしまい、ここにメビウスの輪も出現してしまうのです。言い換えますと、同思想では、はっきりと善悪を区別することができず、悪を根絶させることができなくなるのです。

 そもそも陰陽思想は、古代にあって四季のめぐりに対する自然観察から思想化されたものであり、道徳や倫理的な意味合いは含まれていないのですが、今日に至るまでその影響が根強く残り、かつ、メビウスの輪戦略とも結合して世界観や価値観において国際摩擦の要因になっているとしますと、精神面における日韓の相違、あるいは、韓国の特徴についてより深く考えてみる必要がありそうです。そして、韓国のものであれ、何であれ、メビウスの輪に巻き込まれますと、人類は永遠のループに嵌り込み、悪を根絶することも、未来に向けて発展することもできなくなりましょう。このように考えますと、日本国は、常にメビウスの輪戦略に警戒し、真っすぐな道を歩むよう努めるべきではないかと思うのです。

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韓国の徴用工訴訟問題-‘植民地賠償’なるものは存在するのか?

2019年08月27日 15時55分43秒 | 日本政治
所謂‘徴用工訴訟’をめぐり、日韓両政府は、互いを‘解決策を受け入れようとしない’として批判し合う状況が続いています。一見、双方が同じセリフを相手方にぶつけあっているように見えるのですが、その内容には雲泥の差があります。日本国側が、日韓請求権協定に従って仲裁に応じるように求める一方で、韓国側は、自国の解決案、即ち、両国の官民ファンドによる賠償支払い案を承諾するように求めているのですから。

両国の解決策の違いは明白です。日本国は、法による解決を求める一方で、韓国側は合意による解決を求めているからです。国際社会には、外交的な解決もありますので、一見、韓国の言い分にも理があるように聞こえます。しかしながら、人類史における紛争解決手段に関する発展過程―力⇒合意⇒法―を考慮しますと(最終的に、法的枠組みの内部に力と合意が包摂される…)、韓国の主張には正当性がないと言わざるを得ないのです。

しばしば、‘現代の価値観から過去を判断してはならない’と言われています。この言葉、時間の経過と共に人類が発展してきたという進化論的な前提があってはじめて意味を持ちます。そして、国際社会の来し方を振り返りますと、そこにははっきりと国際法の発展過程を見出すことができるのです。それでは、何故、国際法の発展過程が日韓間の‘徴用工訴訟’問題と関連するのでしょうか。

それは、実のところ、韓国の最高裁判所は、日本企業に賠償を命じた際に、その根拠として日本国による韓国併合の不法性に基づく賠償、即ち、‘植民地賠償(併合賠償)’なる新たな類型を持ち出したからです。第二次世界大戦にあって韓国が戦争賠償の対象国とはならない理由は明白です。両国は、干戈を交えてはいないのですから。この点については、サンフランシスコ講和条約は中国と朝鮮を明確に区別し、前者には残置財産の処分権(官民が現地に残した資産は莫大なので賠償の意味を持つ…)を認める一方で、後者には認めていません。つまり、韓国との間には賠償問題はなく、存在するのは請求権の相互清算の問題のみなのです。

ここで問題となるのは、韓国が主張する‘植民地賠償’という類型が存在するのか、否かです。韓国の最高裁判所がどのような意味で‘不法’という言葉を使ったのかは定かではありませんが、この表現には凡そ二つの解釈があり得るように思えます。その一つは、国際法への違反であり、もう一つは、正当なる法的根拠の欠如です。何れにしましても、冒頭で触れたように、韓国側は、現代の‘徴用工訴訟’問題の解決手段としては法的解決を拒絶しながら、過去の出来事については法の存在を前提とした主張を行っているのです。

それでは、日本国が韓国を併合した1910年の時点において、他国を植民地化する、あるいは、併合することを禁じる国際法が存在していたのか、と申しますと、そうではありません。国際社会において、民族自決の原則が提起されるのは第一次世界大戦時におけるウィルソン米大統領の講和原則に関する演説を待たなければなりませんし、実際に、この原則が一般国際法として定着し、アジア・アフリカを中心に植民地の大半が独立するのは第二次世界大戦後のことです。国連憲章でさえ、非自治地域に関する宣言(第11章)や国連信託統治制度に関する規定(第12・13章)を置いており、朝鮮半島もまた、当初は、国連の信託統治地域とされる予定でした。いわば、非自治地域、即ち、植民地の存在は、それが独立可能な状態に達するまでの暫定的なものであれ、合法的な存在であったのです。

ましてや1910年の韓国併合は、両国間で締結された条約に基づいており、戦争や軍事占領を伴う武力による併合ではありません。加えて、日韓請求権協定自体が、サンフランシスコ講和条約で定めた相互清算については双方の国家並びに国民(法人を含む)の請求権の相互放棄で解決した上に(同解決方法はより多額の請求権を有した日本国側に不利…)、法的根拠はないものの、道義な観点から日本国側が、巨額の経済協力費を韓国側に支払っています。つまり、過剰分は、如何なる国であれ他国による支配は不愉快なものですので、併合による朝鮮民族の精神的な苦痛に対する一種の‘慰謝料’を日本に求めたようなものなのです。事実はどうであれ。

以上の経緯を顧みますと、1910年当時、日本国による条約に基づく韓国併合を違法とする一般国際法は存在しておらず、韓国の最高裁判所こそ、法的な根拠のない‘不法’な判決を行ったこととなりましょう。つまり、人類史における法の支配への発展過程にあって、法の存在しない時代における出来事を不遡及の原則を無視して‘不法’として糾弾する一方で、法の支配が確立した時代にあって(少なくとも日韓請求権協定等が締結されている…)、正当なる法的解決を拒否しているのです。これも過去と現代を捩じって繋げる一種の‘メビウスの輪’戦略なのでしょうが、仮に、韓国側がこの主張を続けるならば、日本国のみならず、植民地化や併合の歴史を有する国が多数を占める国際社会に対して‘植民地賠償’の法的根拠の存在を立証すべきなのではないでしょうか。

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アフリカの人口爆発問題

2019年08月26日 14時46分20秒 | 国際政治
全人類の人口は、有史以来、食糧の増産や科学技術の発展等により凡そ増加傾向を示してきました。『旧約聖書』や『コーラン』では、神は人類が地球上に満ちることを望んでおられますが(もっとも、聖典の云う人類は、ユダヤ人かイスラム教徒?)、この神の望みが既に現実のものとなった今日、人類は、これまでとは異なる問題に直面しているように思えます。

 古今東西を問わず、多産は歓迎すべきことであり、子孫繁栄は人類の悲願でもありました。乃ち、人類が最も恐れてきた事態とは、飢餓や疫病、あるいは、戦争等によって人口が減少し、自らの集団が消滅してしまう事態であったのです。かくして人類の歴史は増加願望一辺倒であったのですが、現代にあっては、人口問題は双極化しています。これこそ、過去とは一線を画する問題であり、先進国の少子高齢化と途上国の人口増加が同時進行しているのです。つまり、先進国における人口構成と途上国とのそれとでは正反対となり、全人類を見渡しますと、極めていびつな人口構成が出現してしまうのです。

 特に注目されるのは、アフリカ大陸諸国における急激な人口爆発です。一説によると、今後、全人類の人口の4分の1がアフリカ系となり、残りの内の4分の2を中国人とインド人で分け合い、そしてさらにその残りの4分の1がその他諸々となるそうです。もちろん、この推計は、現在の人口増加率を基準に算出されていますので、必ずしもその通りに推移するとは限らないのですが、途上国の人口増加は、自然増加と云うよりも、政治・経済・社会的な要因が引き起こしています。

 アフリカ諸国において人口が増加する主たる要因は、食糧供給や医療・衛生管理レベルの向上にあります。これらの要因による人口増加は先進国諸国も辿ってきた道であり、それ自体は合理的に理解し得る現象です。その一方で、先進諸国における生活水準の向上と経済・社会の高度化は、自らが扶養可能な範囲に子供の数を制限するという方向に強く作用します。人口問題の一極をなす先進国の少子高齢化は、家計の所得レベルや雇用形態が多産を許さなくなった結果なのです。言い換えますと、先進国における人口の変化は、主として経済要因と連動しているのであり、この側面は、今日、政治レベルにおいて給付金制度を伴う政策を以って少子高齢化対策が進められている理由でもあります。

 一定のタイムラグを以って人口増加の後に人口減少が起きるとすれば、アフリカ諸国にも同様の変化が期待できるのですが、現状を見ますと、様々な要因が重なることで人口減への転換は容易ではなさそうです。何故ならば、経済成長率と人口の増減率がアンバランスであるからです。人口増加によってますます不足する食糧を国際機関や諸外国からの支援で凌いでおり、急激な人口の増加に経済が追い付いていないのです。このため、当然に職に就くことができない国民も多く、こうした人々は、新天地を求めてヨーロッパ等に経済難民として押し寄せることになります。つまり、ここに先進国が支援すればするほど途上国の人口爆発に拍車をかけ、移民も増加するという深刻な悪循環をみることができるのです。

 それでは、この問題、どのように解決したらよいのでしょうか。リベラル派の人々は、先進国がより積極的に食糧支援や移民受け入れを行うべきと主張することでしょう。日本国政府も、内戦闘で親を失った孤児のアフリカの子供達のために最高レベルの教育を施すための施設を建設するそうです。しかしながら、こうした政策は、事態を悪化させこそすれ、根本的な解決にはならないように思えます。しばしば、恵まれない境遇の人々の中から一人、あるいは、少数の人を恣意的に選び出し、特別の待遇を与えることで、あたかも弱者全員を救っているような印象を与える手法がとられますが、こうした手法は、人々を錯覚させる偽善に過ぎないように思えます。海外からの支援によって少数のアフリカの青年にITエンジニアになる道が開かれたとしても(大手IT企業にとっては利益になる…)、食糧生産やインフラ整備もままならない状態にあっては、その恩恵は、極めて少数の人々にしか及びません。その他の大多数の人々は、貧困と劣悪な環境のままに置かれるのですから。

 このように考えますと、アフリカ支援を実施するならば、移住促進、あるいは、移民政策ではなく現地支援を中心とすべきであり、特に、アフリカ諸国の統治機能―国造り―を強化する必要がありましょう。そして、人口規模と経済規模とのバランスの重要性を説明し、人口増加を抑制するよう働きかけるべきなのではないでしょうか。全人類の将来における人口構成が、誤った政策によって歪められないよう、現代を生きる人々は、知恵を絞るべきではないかと思うのです。

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皇室は国際化すべきなのか?

2019年08月25日 12時44分30秒 | 日本政治
報道に依りますと、今年の10月22日に予定されている新天皇の即位の礼では、平成の前例と比較して大幅に海外からの賓客数が増えるそうです。増加理由としては、日本国が承認している国の数が増えた点が挙げられていますが、承認国が劇的に増加したわけではありませんので、この説明には疑問符が付きます。即位の礼のみならず。最近、皇室の国際化が、既成事実を積み重ねつつ、急速に進められているように思えるのです。

 秋篠宮家の皇族の外遊数も目立って増えており、先日は、初の海外訪問として悠仁さんのブータン旅行が報じられていました。また、長女の眞子さんの異常なまでのブラジル訪問もどこか不自然です(後述する理由から、俗化した皇族にどこまで敬称を用いるべきか悩んでしまう…)。皇室の主たる活動が国際交流となり、その場も海外に移ったかのようなのです。御簾の中におられた伝統的な日本国の天皇の姿とは真逆であり、国家祭祀や国内での活動は、むしろ‘副業化’しているようにも見受けられます。‘国民と共に’という皇族の言葉もどこか空しく響くのです。

 それでは、何故、皇室は国際化へと向かっているのでしょうか。その理由は、明治の時代より、日本国の皇室とは、海外勢力によって擁立された可能性を指摘することができます。明治維新の背景には、イギリスという国家と云うよりも、イエズス会や東インド会社等の流れを汲む国際組織が暗躍していた事実は、教科書にこそ記載はなくとも、今日では国民の多くが知るところとなりました。孝明天皇暗殺説が実しやかに囁かれるのも、攘夷を訴えていた孝明天皇の存在は、日本国に開国を求める国際勢力にとりましては不都合であったからに他なりません。明治天皇の即位とは、近代化の幕開けを告げると同時に、日本国が海外勢力の影響下に置かれることをも意味したのかもしれません。

 こうした視点から明治以降の歴史を振り返りますと、これまで謎とされてきた出来事も案外説明が付くようになります。日本史上、最大の謎とされた本能寺の変もイエズス会関与説によっておぼろげながらもその実像が浮かび上がってくるように…。仮に明治以降の‘近代皇室’というものが、皇統や伝統に立脚しているように見えながら、その実、海外勢力によって巧みに利用されてきたとしますと、その絶対的な神聖化と権威化につきましても疑ってみる必要があるのかもしれません。そして、今般、あれよあれよという間に国際化に向けて変質して行く皇室につきましても、その背後に何らかの国際組織の意向が働いているかもしれないのです。

 新天皇と創価学会との関係につきましても、既にメディアが報じるところなり、皇族が憲法の枠を超えて政治の領域に足を踏み入れかねない‘皇室外交’の危険性も指摘されています。創価学会もまた統一教会と並んで国際志向が強く、創価学会インターナショナルに加えて、中国や朝鮮半島との間にも人脈と云うネットワークが築かれているようです。このため、これらの新興宗教団体は、明治維新を操った国際秘密結社の支部ではある可能性も否定はできません。結局、日本国の近代皇室は、国際組織が日本国、並びに、国民を操る道具に過ぎないのかもしれません。

 近年の英王室をはじめとした各国王室の変質ぶりも、こうした疑念を更に強めます。全世界的な潮流として、王室・皇室の国際化、あるいは、‘多様化’が進み、国民との間に精神的な側面においても深刻な溝が生じているのです。イギリス王室は、キャサリン妃もメーガン妃もユダヤ系であり、アフリカ系の血を引くメーガン妃に至っては、イギリス国民でもありませんでした。また、ブルボン家の末裔にはインド人との婚姻により、外観はすっかりインド人となった方もおられますが、仮に、同氏がフランスの王位を主張した場合、フランス国民はこの要求を受け入れるのでしょうか。

 かくして、多様化を金科玉条とするリベラル派からは熱狂的な歓迎を受けつつも、ネット上に実像が拡散されてしまう今日にあって、全世界の王室も皇室もかつての輝きを失いつつあるのですが、長期的な視点からしますと、国際組織の意向に沿って、王室や皇室を国際化するがままにまかせるべきかどうか、疑問なところです。少なくとも、日本国憲法では、天皇の地位は国民の総意に基づくと定めているのですから、天皇や皇室の在り方につきましては、国民的な議論に付すべきなのではないでしょうか。

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韓国によるGSOMIA破棄のメリット

2019年08月24日 12時40分14秒 | 国際政治
 8月22日、韓国の文在寅大統領はGSOMIAの破棄を宣言しため、2016年に始まる日韓間の安全保障分野における情報共有の枠組は突然にして崩壊しました。日韓対立の激化において指摘されてきた懸念が現実のものとなったため、日米両政府をはじめ、メディアも悲観論一色です。日米韓三国の結束が緩み、中国、ロシア、並びに、北朝鮮を利するとして…。しかしながら、韓国によるGSOMIAの破棄は、日米にとりましてマイナス面ばかりではないように思えます。

専門家の指摘によりますと、同協定によってより大きな恩恵を受けているのは、日本側から衛星情報を入手し得る韓国側のようです。すなわち、同協定の更新拒否は、日本国の安全保障に決定的な打撃を与えるのではなく、逆に、韓国の安全保障を脆弱化するのです。このため、文大統領の判断に対しましては、韓国国内からも不満や疑問の声が上がっているそうですが、おそらく、親北政権として誕生した同大統領は、GSOMIAの破棄を以って、米国中心の陣営からの離脱を暗に表明したかったのでしょう。一見、極めて不合理に見える文大統領の決定も、韓国の米陣営から中ロ陣営への‘鞍替え表明’とみれば説明も付きます(日本国との対立は、米陣営離脱の口実に過ぎないかもしれない…)。

この推測が正しければ、GSOMIAの破棄は、日米両国にとりましては‘不幸中の幸い’となるかもしれません。何故ならば、自陣営に寝返りリスクの高い‘味方’が混じっている状況は、戦時にあっては最悪の結果をもたらしかねないからです。開戦前の予測においては圧倒的に優位な側が味方の裏切りによって敗北を喫する事例は、関ヶ原の合戦を持ち出すまでもなく、人類史において枚挙に遑がありません。しかも、朝鮮半島の国を味方にした側が敗北するという歴史上のジンクスもあり、日米両国ともに、第二次世界大戦とベトナム戦争において同ジンクスを踏んでいるのです。

 仮に、韓国が裏側では中ロと通じながらGSOMIAが継続されたとすれば、日米両国の軍事情報は中ロ側に筒抜けとなったことでしょう(ただし、米韓間の情報共有の枠組は維持されますので、米軍情報の漏洩リスクは残る…)。否、実際に、既に相当量の軍事情報が韓国を経由して中ロ側に流れているかもしれません。日本国政府が、ハイテク素材の対韓輸出規制の強化に踏みきったのも、その理由は、安全保障上のリスクでした。韓国は、北朝鮮のみならず、イランやシリアといった諸国に対する大領破壊兵器、並びに、生物化学兵器製造に転用可能な日本製素材の不正輸出の経由地となっていることが判明しているからです。もしかしますと、文大統領は、遅かれ早かれ、GSOMIAを利用した情報漏洩の事実が明るみになり、その責任を問われる事態に至るのを予め防ごうとしたのかもしれません。

 以上の推測からしますと、文大統領のGSOMIA破棄は、一般の韓国国民にとりましては、自国が全体主義体制に取り込まれるのか、自由主義体制に留まるかの重大な岐路となりましょう。そして、朝鮮半島全域が中ロ陣営の勢力圏に入るのであるならば、日米両国は防衛線を朝鮮海峡にまで下げる必要があります。軍事力を基準にすれば自陣営に与する国の数が多い程有利となるものの、事の勝敗は、軍事力のみで決まるわけではありません(パワー・バランスで平和を保つならば、量より質が重要…)。日米とも、短期的に韓国の離脱は痛手のように感じられるでしょうが、長期的には、自由、民主主義、そして、法の支配を共通の絆とするより強固な陣営が形成されることでしょう。特に韓国の狂気とも言うべき反日政策に翻弄され、安全保障を理由に譲歩を強いられ続けてきた日本国にとりましては、韓国の旗幟が明らかになったことは、朗報とも言えるかもしれないと思うのです。

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エプシュタイン事件が示す政治的リスク

2019年08月23日 13時46分09秒 | 国際政治
先日、アメリカで起きたエプシュタイン事件は、容疑者であったジェフリー・エプシュタイン氏が自ら命を絶ったことで一先ずは幕を閉じました。しかしながら、同氏は、政界に‘恐喝システム’を構築してきたともされ、政治の世界と密接に繋がっているようなのです。

 エプシュタイン氏がどのようにして‘恐喝システム’を造り上げたのかと申しますと、それは、古今東西を問わず、最もありふれた手法です。公表されると相手方に致命的な打撃や損失を与えるような不名誉なスキャンダルや弱みを握り、それを脅迫の材料として使うのです。エプシュタイン氏の場合は、巧妙にターゲットにした人々を罠にかけて犯罪行為をさせていました。エプシュタイン氏の罠にかかった人の人数は全世界で2000人にも上り、リストアップされているそうです。リストに掲載されているこれらの人々は、エプシュタイン氏からの脅迫に、日々、怯えながら生活しているのです(同リストは、以前、エプシュタイン氏が逮捕された際に、司法取引の材料にされたとも…)。

 そして、同事件が一般の人々にとりまして、極めて深刻な事件である理由は、エプシュタイン氏の標的が主として公人である点です。イギリスのアンドリュー王子との交友も報じられておりましたが、そもそも‘富裕’である同氏、あるいは、その属する組織の目的は、他の一般的な恐喝事件のような金銭目的では決してありません。当初から、恐喝を以ってアメリカ国内のみならず、全世界の政治を操ろうとする政治目的なのです。

 実際に、エプシュタイン氏は、表向きは民間の実業家でありながら、裏の顔は、何らかの情報組織の工作員であったとする指摘があります。イスラエルのモサドやCIAといった名だたる情報機関の名も挙がっていますが、あるいは、特定の国家ではなく、国際秘密結社のために活動していたのかもしれません。その身の毛もよだつようなカルト的で残虐極まるサタニックな犯罪手法は、後者の可能性を強く示唆しているようにも思えます。同氏はユダヤ系でありますので、全世界的なネットワークが‘罠’として機能し、多くの協力者達が‘獲物’を追い込むべく暗躍していたのかもしれません。

 エプシュタイン氏は自殺したとされていますが、ユダヤ人に対する多大なる‘貢献’からイスラエル等が匿っているとする説もあります。あるいは、脅迫者が得てして辿るように、証拠を消すために殺害されてしまった可能性も否定はできないのかもしれません。とは申しますものの、政治の世界では、背後に脅迫といった不正行為を疑わせる出来事が相次いでいます。昨日、韓国の文在寅大統領がGSOMIAの破棄を宣言していますし、日本国の横浜市でも、林文子市長が突然にカジノの誘致を公表しています。‘文’という一文字は偶然の一致なのかもしれませんが、政治家による理解しがたい行動の背景には、決して表には出ない‘脅迫ファクター’というものが存在している可能性も否定できないのではないでしょうか。否、むしろ、このファクターを無視したのでは、政治家や公人の非合理的、あるいは、不可解な言動を理解し、リスク管理を徹底することはできないかもしれません。もちろん、全てが脅迫によるものではないにせよ、エプシュタイン事件は、図らずも陰謀の実在を証明してしまったのではないかと思うのです。

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横浜市のIR誘致表明は‘騙し討ち’では

2019年08月22日 17時38分06秒 | 日本政治
本日8月22日、横浜市民は、林文子市長から寝耳に水の発表を聴くこととなりました。それは、横浜港の山下埠頭にIRを誘致得ると言うものです。カジノ誘致については、横浜市の凡そ8割が反対しておりましたので、この決定の意味は深刻です。

 民主主義国家であるならば、市民の意見を尊重するべきは当然のことです。特にカジノの設置については圧倒的多数の市民が反対しておりましたので、計画案が浮上した当初は誘致に積極的であった林市長も、白紙撤回した経緯もあります。本音では誘致に賛成の候補者が多いためか、市長選挙や市議会議員選挙にあっても何れの候補も争点化を避けており、横浜市民の多くもIRの誘致の行方を不安視していた矢先だけに、林市長に対する市民の落胆と反発は必至となりましょう。あまりにも、政治家に‘騙された感’が強いのです。

 そして、ここで考えるべきは、常々、政治サイドがカジノ誘致に際して主張する経済効果です。横浜市に依れば、IRの経済効果について「建設時は1兆2千億〜7500億円、開業後は年1兆〜6300億円に上ると」試算しているそうです。しかしながら、この数字、ギャンブルであるカジノの性格を考慮しますと、そのままマイナス効果ともなりかねません。

第一に、建設費については、横浜市は建設予定地である山下埠頭の整備に要する費用を負担するのでしょうが、カジノ嫌い、あるいは、ギャンブルを趣味としない市民が多数を占める現状では、この予算は、一般市民にとりましては予算の‘無駄使い’に過ぎません。しかも、カジノそのものは民間経営ですので、公的資金を以って一部民間事業者に利益供与を行うこととなりましょう。また、人手不足の折、IR建設による雇用効果も期待はできません。むしろ、先の入管法改正により、建設分野も新資格の対象となりますので、外国人労働者を受け入れる口実ともなりましょう。横浜市では、とりあえず専門的な調査分析やギャンブル依存症の実態調査費として2億6千万円ほどの補正予算案が定例市議会に提出されるそうですが、世論の後押しによって反対派の議員が多数ともなれば否決される可能性もあります。

第二に、開業後に試算される1兆から6300億円の経済効果についても、横浜市民の目には‘赤字’に映ります。そもそもギャンブルでは顧客側が負ける確率の方が圧倒的に高く、事業者の収入とは凡そ顧客が負けた数字なのですから(海外事業者であれば、利益は国外へ…)。

第三に、行政側が弾き出した試算とは、得てして‘水増し’となるのが常です。これまでにも、行政主導で大型プロジェクトが進められたものの、実際に事業を開始してみると、収益が当初の試算を大きく下回り、最悪の場合には赤字事業となるケースも少なくありません。

そして、何よりも、一般の横浜市民の多くは、経済効果よりも住みやすい健全な都市を求めている点です。横浜市の予算を見ますと、IRの誘致を実現しなければ財政が破綻するといった危機的状況にはありません(市債の残高は減少傾向にある…)。一般の横浜市民は、IRの誘致を必要とはしておらず、林市長が、市民を騙し討ちにしてまでIR誘致を実現したいのか、全く以って理解に苦しむのです(贈収賄等の疑いも…)。横浜市民の世論が無視され、民主主義が蔑にされたのですから、横浜市民は、林市長のリコールや反対運動等を検討すべきなのかもしれません。カジノ誘致こそ、横浜市による’大博打’なのかもしれないのですから。

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中国の‘四面楚歌作戦’に警戒を

2019年08月21日 12時49分47秒 | 国際政治
香港における自由と民主主義を求める抗議活動は、いまや全世界に共感の輪を広げつつあります。先日、NHKのニュース9でも海外への抗議活動の波及が報じられ、特に香港から移住した中国系市民の多いアメリカやカナダでの現状を紹介しておりました。国際世論の流れからすれば、当然に、香港擁護派の活動を中心に報じると思いきや、同ニュースは予想に反する報じ方をしております。同程度の規模を有する北京政府擁護派のデモ隊が登場し、あたかも北京政府支持派も多数存在し、両者が拮抗しているような印象を視聴者に与えたのです。

 この光景、どこかで見たような気がします。2008年8月8日に開催された北京オリンピックの聖火リレーに際し、走行ルートとなる長野県では、フリー・チベット派が抗議活動のために集まりましたが、この時、中国政府もこの動きに対抗するために在日中国人を大量に動員し、現地では両者が鋭く対峙すると共に一触即発の展開となったからです。長野の前例を見れば、上述した北京政府支持派の擁護団体も本国からの指令で結集したことは確かなのでしょうが、今般のケースでは、さらに手が込んでいるように思えます。

 北京政府擁護派のデモ隊の映像を観察しますと、幾つかの奇妙な点を指摘することができます。放映された映像では、参加者の多くは、中国の五星紅旗のみならずアメリカ合衆国の星条旗も振っており、中には、リーダー格として明らかに中国系ではない一般の白人アメリカ人らしき人物も映っています。この演出の意図するところは、おそらく、‘アメリカをはじめ全世界の人々は中国共産党の味方であり、香港の自由化や民主化に賛同する者など少数に過ぎない’という印象を香港市民に持たせたい、ということなのでしょう。言い換えますと、この映像は、香港をして孤立感を深めさせ、絶望の淵へと追いやる‘四面楚歌作戦’である可能性が高いのです。あるいは、香港市民のみならず、得意のプロパガンダによって中国共産党に対する支持の高さを全世界に宣伝したいのかもしれません(もっとも、あからさまな動員は、それが中国による工作活動であることを自ずと露呈してしまう…)。

 四面楚歌とは、『史記』の項羽本記に記された逸話であり、楚の項羽が漢の劉邦の軍に包囲された際に、劉邦が用いた奇策です。劉邦は、自軍の兵士達に楚の歌をわざと歌わせることで、楚の人々の大半が既に漢に降伏してしまい、自分たちが孤立無援になってしまったと楚軍の兵士達に錯覚させ、その士気を奪うことで勝利を得ています。いわば、人々を惑わす偽旗作戦の一種なのですが、上述した動員のみならず、同作戦は、今日の中国の策略の随所に見出すことができます。その極めつけは北京側における広東語の使用です。北京政府は、香港に隣接する深センにおいて抗議活動を暴力を以って鎮圧するために人民解放軍や警察を訓練させ、威嚇のために動画を公開していますが、これらの鎮圧部隊に対して標準語とは違う広東語を話させているというのです。広東語とは香港の人々が使用している言葉です。

楚の滅亡は紀元前205年の出来事ですので、もしかしますと、中国は、2000年以上も歴史を遡る詐術的な戦術と共に現代に蘇った時代錯誤の古代帝国なのかもしれません。そして、詐術的手法の存在が人々の知るところとなり、それに対する警戒感が全世界レベルで広がる今日にあるからこそ、こうした手段を好む中国共産党、並びに、その支持勢力は、その信頼性も影響力も失いつつあるのではないかと思うのです。

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インパール作戦の謎-大本営とは?

2019年08月20日 14時42分33秒 | 国際政治
日本国がポツダム宣言の受け入れを表明した8月15日に前後して、NHKでは、先の戦争に関連する番組を連日放送するのを慣例としてきました。特に今年は、事実を丁寧に掘り下げた作品も多いのですが、注意深く見ておりますと、そこかしこに歴史の謎が散りばめられているように思えます。本記事では、まずは、‘史上最悪の作戦’とされる悲劇のインパール作戦の謎に迫りたいと思います。

 インパール作戦に関する番組は2017年に制作されており、二度目の放送となります。2年前には気が付かなかった点も多々あり、失敗の原因を含めてより明確に全体像を掴めるようになりました。短いようで長い2年と云う月日における歴史を見る視線の変化に我ながら驚かされたのですが、同作戦に纏わる謎もさらに深まるものとなったのです。歴史の闇の中で謎めいた姿で佇んでいるのは、同作戦の最高責任者であった牟田口廉也中将です。

 インパール作戦とは、イギリス軍がインド帝国領ビルマ州を経由して中国の国民党軍に支援をしていたため、同援蒋ルートを断つために立案した作戦です。この時、日本軍は、ビルマ作戦に成功してビルマ全土を占領しており、イギリス軍は反攻のチャンスを窺う状況にありました。同作戦が愚策として評される理由は、相手方の補給路、即ち、兵站の切断を目的とした作戦にも拘わらず、自らの兵站については全く考慮しなかった点にあります。もっとも、兵站の途絶による敗北はナポレオンのモスクワ遠征などでも見られ、必ずしも珍しくはありません。しかしながら、インパール作戦が‘史上最悪’とまで酷評されるのは、同作戦に見られる味方をも見捨てる酷薄さと凡そ全ての点における徹底した現実無視にあります。

牟田口中将は、インパールを攻略するには‘5千人を殺せばできる’と言い放ったと記録されています。この言葉における5千人は敵兵の数ではなく、予測される日本軍の兵士の犠牲者数です。また、‘全滅してもコヒマを占領せよ’と檄を飛ばしたそうですが、日本軍が一人残らず斃れたのでは拠点占領などできるはずもありません。そして自軍の兵士に対する冷淡さは撤退後にこそ、その本領が発揮されます。牟田口中将以下指令部は、逸早く戦線を離脱して逃げ去る一方で、日本兵は雨期に入った熱帯の密林に置き去りにされ、飢餓や疫病も相まって戦死者2万6千人という想像を絶する悲劇に見舞われるのです。力尽きて斃れた日本兵が横たわる密林の道なき道は白骨街道とも称され、日本兵達はこの地でこの世の地獄を見るのです。

援蒋ルートを断つ作戦は、戦略上、確かに重要ではあります。しかしながら、‘敵国の首都の占領’は、それ自体が勝利条件であり、戦略において正しくとも、それが実現不可能であれば、すべき作戦ではないはずです。インパール作戦も同様であり、当初から軍内部にあっても成功の見込みが薄いために反対の声も多く、牟田口中将自身も難色を示していたそうです。ところが、牟田口中将は、ある情報を得たことから態度を一変させたと言います。その情報とは、‘大本営’が‘インパール作戦の実行を望んでいる’というものです。となりますと、インパール作戦における最大の責任者は‘大本営’ということになるのですが、同番組では、この後、別の大本営側の証言を紹介しています。それは、‘大本営’は、インパール作戦を実行したいとする部下からの進言を受け、熱意に動かされて同作戦を裁可した、というものです。つまり、‘誰がインパール作戦の実行を決定したのか’、という責任の所在を示す肝心の部分が、全く以って藪の中なのです。

牟田口中将については、ネット上で調べていくうちに、ついアンエンサイクロペディアというサイトのページを開いてしまったのですが、ウィキペディアをもじった同サイト、パロディーやフィクションに満ちてはいるものの、事実が混じっている場合もあるそうです。同サイトのページには、インパール作戦に関する目を覆いたくなるような愚策ぶりも列挙されているのですが、‘連合国のスパイであった、という点以外は残念ながら事実である’とする但し書きが付いているのです。確かに上述した番組の内容とも一致しており、アンエンサイクロペディアには珍しく、事実そのものが読む人を唖然とさせる故に、そのままに記述されているのでしょう。そして、英軍に有利となるように失敗が繰り返されている点を考慮すれば(意図的としか思えない…)、牟田口中将スパイ説も強ち否定もできないようにも思えてくるのです。仮に、牟田口中将がスパイであったとするならば、同中将の態度を一変させた‘大本営’とは、日本国の軍部ではなく、連合国のいずれかの国、もしくは何らかの海外の国際組織であった可能性もあるのでは…と。果たして、この推測、考え過ぎなのでしょうか。そして、今日に生きる人々が最も恐れるべきは、政治分野であれ、経済分野であれ、国民に無謀な戦いを強いて破滅に導く“現在の牟田口”なのではないかと思うのです。

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香港の自由は全人類の自由-真のグローバリズムとは

2019年08月19日 13時09分55秒 | 国際政治
本日、日経新聞朝刊の紙面に、香港より「自由のために香港と共に」と題する日本国民に対するアピール文が掲載されておりました。同文は、「香港からの緊急を要するお願い」から始まり、日本国の国会、並びに、政府に対して「日本国民の関心を喚起し、香港へ渡航する日本国民や、香港に在留している日本国民に安全措置を講じるよう」勧告を要請するように訴えております。香港市民の切実なる思いが伝わり、涙なくして読めないのですが、香港の自由は全人類の自由なのではないかと思うのです。

 政府もメディアも、グローバリズムと言えば、ITやAIといった情報・通信分野における先端的なテクノロジーとその発展に伴う新ビジネスの登場に主たる関心を寄せています。SF小説が描くような未来社会の出現がすぐ目前に迫っているかのように報じ、国家も国境と共に消滅して全世界が画一化される日もそう遠くないような錯覚を覚えさせます。こうしたテクノロジーが牽引する全世界の画一化が望ましいのかと申しますと、それは怪しい限りなのですが、科学技術の進歩と発展それ自体は歓迎すべきことであり、人々を様々な苦痛から解放し、恩恵をもたらしていることは認めざるを得ない事実です。それでは、人々は、精神の面においてグローバル化、即ち、普遍的な価値を共有しているのでしょうか。

 現実をみますと、共産党による一党独裁を堅持している中国の全体主義モデルとGAFAに代表される米国発の自由主義モデルとでは、テクノロジーの面では然したる違いはありません。ところが、両者の間の価値観の違いは、テクノロジーがもたらす結果を正反対にしてしまいます(もっとも、自由主義モデルにも、全体主義モデルへと移行するための隠れた導火線とする疑いもある…)。前者では、政府が言論の自由をはじめ様々な自由を国民から奪い、最先端の技術を用いて完全監視下の下に置きます。一方、後者では、国民の間でのコミュニケーションや活動の範囲が広がり、より広い自由を享受することができるのです。両者の違いは、テクノロジーにおけるグローバル化と精神性や価値観におけるグローバル化が、全く以って別物であることを示しているのです。

 翻って香港の情勢をみますと、香港とは、まさに、上述した正反対の価値観が真正面から衝突する最前線として位置付けることができます。乃ち、香港の自由の行方は他人事ではありません。仮に、天安門事件のように北京政府が暴力を以って香港の抗議活動を踏み潰すとしますと、暴力の手を借りた全体主義モデルの勝利を意味するのです。そして、北京政府によるこの蛮行は、香港返還時にイギリスと締結された協定違反であり、ジュノサイド禁止条約違反であり、かつ、人道に対する深刻なる重罪ともなるのです。

全体主義モデルでは、国民は監視下に置くべき単なる‘家畜’としてみなされます。自由や民主主義を求める人々の声も、支配層には耳障りな騒音ぐらいにしか聞こえないのでしょう。そして、中国共産党は、その強大な軍事力と経済力を以って香港のみならず、他の諸国に対しても同モデルを浸透させようとしているのです。凡そ全ての人類がその本質において自由を求めているとしますと、価値観や精神性の分野においては、自由主義、そして、政治的自由に基づく民主主義の世界大での実現こそが、心からの共感を以って人々に受け入れられる真のグローバリズムであるはずです。

香港の人々の願いは、自由を求める全人類の願いでもあります。請願手続きには時間がかかりますので、本ブログでは、この場を借りて、国会、並びに、日本国政府に対しまして、冒頭で紹介いたしました香港市民の要請に快く応じると共に、香港の自由を、そして、全人類の自由を護るべく、あらゆる手段を駆使し、最善を尽くしていただきたくお願い申し上げたいと思います。

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悪が力を持つ悲劇-香港の自由を護るには

2019年08月18日 14時12分27秒 | 国際政治
香港で起きている「逃亡犯条例」の改正に対する抗議運動は一向に終息に向かう兆しは見えず、その抗議の形態も多様化していると報じられております。市民による預金の一斉引き出しなど、経済的手段による圧力強化も呼びかけられているそうですが、その一方で、最近の世論調査によると、「抗議活動では非暴力主義を貫くべきだ」と回答した市民は72%となり、2か月前の調査よりも10%も低下しています。北京政府が武力による鎮圧の機会を窺う中、どこか危うさを感じさせます。

 古今東西を問わず、人類は、悪と戦って人々を救ってくれる英雄に憧れ(ここで云う悪とは、倫理や道徳に反する利己的他害性を意味する…)、それを物語として紡いできました。宗教の大半も、最後には善なる神が勝利を収めるとしており、人々が神を信じる最大の理由は、最終幕における善の勝利にあります。しかしながら、その一方で、現実の世界では、必ずしも正義の側が勝つとは限らず、悪の側に敗北することも稀ではありません。このため、しばしば、‘正義は脆い’という言葉を耳にします。それでは、何故、善は勝利をおさめることができないのでしょうか。

 悪の勝利条件とは何か、それは、悪が善を上回る力を有する場合です。その最たるものが、悪の側が善の側を打ち負かすだけの物理的力、即ち、暴力を保持した場合であり、善良なる人々は、悪の側が振るう暴力によって抹殺されるか、支配下に置かれてしまうのです。そして、もう一つ、悪の側が優勢となるケースがあるとしますと、それは潤沢な財力、あるいは、資金力です。何故ならば、人には本能的な利己心や欲がありますので、心の中では良心の痛みを感じてはいても、悪の側が提供する所謂‘賄賂’や‘享楽’によって悪の側に転じやすいのです。実際に、香港行政府は、2000億円の予算を投じて香港市民を懐柔する‘ばらまき政策’を打ち出しています。

 そして、今後の香港の行方について最大の懸念となるのは、第一の悪の勝利条件である‘暴力による解決’に至るケースです。この場合、物理的な力を比較しますと、軍隊や警察部隊を擁する北京政府が圧倒的に優っておりますので、仮に軍の投入が行われた場合には、香港は大量虐殺を伴う‘第二の天安門’となることは疑いようもありません。人々から自由を奪い、家畜の如くに扱おうとする悪しき政府によって、香港は息の根を止められてしまうのです。まさしく暴力の勝利となるのであり、物理的な力を持たない正義の脆さを露呈されることとなりましょう。それでは、香港を魔の手から救う方法はあるのでしょうか。

 悪の側の物理的力が優っている状況にあっては、先ずは、北京政府の軍投入の動きを制止することが重要です。抗議側にあっては、北京政府に介入の口実を与えないように過激化を抑制すると共に、慎重に‘内部工作員’を見つけ出して排除する必要もありましょう。そして、プラカードでのアピールや、座り込みといった行動に留まらず、北京政府、否、共産党一党独裁体制に対する自由、民主主義、法の支配、個人の基本的自由と権利を護る国家体制の優位性を訴え、真正面から議論を挑むべきではないでしょうか。つまり、‘ペンは剣よりも強し’を目指し、人道と知性を以って北京政府に勝利するのです。なお、この点、‘第二の天安門’の回避を願う全ての諸国が協力することも可能です。武力解決反対の声明は、アメリカをはじめ既に各国政府から表明されていますが、中国に対する経済的な締め付けも効果的な方法です。この点、米中貿易戦争は、時機を得ているのかもしれません。

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アンパンマン論争を考える-正義の力とは?

2019年08月17日 14時57分40秒 | 国際政治
最近、アンパンマンを主人公とした子供向けのアニメについて、ネット上でホットな論争が起きているそうです。テレビ番組でも話題として取り上げられているようですが、争点となっているのは、正義の味方であるアンパンマンが悪役である‘ばいきんまん’をやっつけるシーンで腕力―アンパンチ―を使う点です。同アニメを批判する人々は、こうしたシーンを視た子供達が暴力的になるというのです(私自身は同アニメを見てはおりませんので、本記事には的外れな部分があるかもしれませが、どうか、ご容赦くださいませ…)。

 正義の味方が悪者を力で倒すというコンセプトで製作された子供向けの番組は無数にあります。仮に、力を以って悪を廃するという勧善懲悪のテーマとする番組を全て‘暴力的’と決めつけて排除してしまいますと、ウルトラマンやスーパーマンをはじめ、正義の味方が登場するあらゆるアニメは放映することができなくなりましょう。否、古今東西、悪者に苦しめられている人々を勇士が救うというヒーロー物語は、最も人々を惹きつけてきたストーリー展開ですので、アンパンマンに目くじらを立てますと、人類は、正義の味方を批判するという時代を迎えることとなります。

 そして、こうした勧善懲悪をめぐる議論は、実のところ、今日の社会や国際情勢における議論とも繋がっています。何故ならば、アンパンマン論争は、他国に害を与える‘ばいきんまん’のような国が出現した場合、どのようにしてその脅威に立ち向かうのか、という点において共通の問題性を有しているからです。例えば、今日の国際社会では、中国や北朝鮮のように、他国を武力で威嚇し、暴力を加えようとする国が現実に存在しています。アンパンマン批判派の立場に立脚すれば、防衛であれ、制裁であれ、なんであれ、如何なる場合にも武力を行使してはならない、ということになるのでしょう。

ところが、誰もが何らの措置をも取らなければ、これらの暴力主義国家による被害は無限大に拡大して行きます。如何なる説得にも応じず、仲裁判決を無視して南シナ海の軍事拠点化を進める中国のように、暴力主義国家が自らの野望を実現しようとすれば、国際社会の平和が損なわれるのは目に見えています。この時、力による暴力の排除が全く許されないとしますと、人類は、暴力主義国家の前に屈するしかなくなります(この点は、警察力も同じ…)。果たして、こうした平和主義の主張は、正しいのでしょうか。批判派の意見として、‘ばいきんまん’がかわいそうという子供の声も紹介されていましたが(‘ばいきんまん’は、悪役ではあるけれども、憎めない部分もあるらしい…)、‘ばいきんまん’の悪しき行為を野放しにしますと(‘ばいきんまん’は、言葉による説得には応じないらしい…)、多くの人々がその行為の犠牲となり、より‘かわいそう’な、あるいは、‘酷い’目に遭うことでしょう。

親の立場からは、‘ばいきんまん’が何故アンパンマンに懲らしめられてしまうのか、その理由を子供達に教えることこそ教育であるとする意見もあるようです。子供たちの善悪に関する判断能力を育むためには、アンパンマンの放送を容認すべきとする立場です。善悪の区別が絡む場合には、やはり悪(利己的他害性)は懲らしめられるべき、とする人間社会の安全と安定を支える基本原則を蔑にしてはならないように思えます。そして、穿った見方をすれば、アンパンマン論争とは、善悪の区別を曖昧にしたい人々が仕掛けた、悪を護るための巧妙な心理作戦なのかもしれません。子供向けアニメをめぐる論争と見えながらも、その本質的な部分において、人類の倫理や道徳を壊したい一部の‘大人’の思惑が隠されているかもしれないと思うのです。

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