万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

アメリカ大統領選挙よりも中国の介入が容易な日本国の総裁選

2020年08月31日 11時02分48秒 | 国際政治

 アメリカでは、大統領選挙における外国の介入が問題視されており、候補者の外国との関係は有権者にとりましては重大な情報です。前回の大統領選挙では共和党のトランプ候補を推したとされるロシアによる介入疑惑が持ち上がりましたが、現職にあったオバマ大統領にも、実弟を介した中国との人脈が指摘されておりました。今般の大統領選挙にあっても、民主党のバイデン候補に国民の支持が集まらない主要な理由は、同氏の子息には中国疑惑があるからです。

 

 2013年12月に当時副大統領職にあったジョー・バイデンが北京を訪問した際に、中国の政府系・中国銀行子会社と米投資会社ローズモント・セネカ・パートナーズとの合弁米中合弁投資ファンド・渤海華美が設立されたそうです。そして、このローズモンド・セネカ・パートナーズの代表こそ、バイデン氏の子息のハンター・バイデン氏であり、新設された渤海華美の取締役に就任すると共に、2017年にはその株式の10%を保有したのです。因みに、バイデン氏の地元であるデラウエア州は、アメリアにあって悪名高い‘タックスヘブン’であり、金融秘密の巣窟でもあるそうです。

 

しかも、同氏の疑惑は、中国国営の投資会社との合弁会社の設立に留まりません。渤海華美は、‘中国のMegvii(北京曠視科技有限公司)が開発した顔認識プラットフォーム「Face++」に投資’しており、同技術は、中国公安当局によってウイグルでの人権弾圧に利用されているというのですから驚きます。

 

民主党と言えば、左右対立の構図からすれば、資本家ではなく労働者の側にある政党であり、マイノリティーの人権問題にもとりわけ熱心に取り組んできた政党というイメージがあります。ところが、バイデン親子の行状を見る限り、その実態は表看板とは真逆であり、金融の利益を護り、利益のためならばマイノリティー弾圧にも手を貸す、何とも腹黒い姿を晒しているのです…。

 

 ここまで読みますと、多くの方々が、不思議に感じられるのではないかと思います。バイデン親子の中国疑惑は既に昨年から報じられており、既知の事実と化しています。それにも拘わらず、何故、民主党は、バイデン氏を大統領選挙の正式な候補者として指名したのか、それが謎なのです。有権者の多くが同情報に触れていたわけですから、バイデン候補では大統領選を戦えないことは分かっていたはずですし、むしろ、バイデン氏では民主党のイメージが崩壊しかねないのですから、従来の支持基盤を失いかねないリスクも懸念されたはずです。

 

そこでおそらく、‘中国疑惑隠し’のために、コロナ禍の対応やBLM運動などを機にトランプ大統領の失政を誘導したり、傘下のマスメディアを動員して世論誘導を行おうとしたのでしょう。その背後には、中国、並びに、中国利権を護りたい金融界と民主党系マスメディアとの結託が疑われるのですが、大統領選挙の裏側では巨額の資金が動いている可能性が強く示唆されるのです。バイデン氏を民主党の候補者に据え、大統領の椅子に座らせるための…。高齢による認知症疑惑もありながら、ライバルたちを押しのけてバイデン氏が候補者に指名されたのも、日本国の二階幹事長と同様に、自らの意思を持たない‘操り人形’としては適しているからなのでしょう。

 

アメリカの大統領選挙の様子を伺いますと、日本国もまた、同様の事態が発生する可能性も否定はできません。否、極めて閉鎖的な空間で総裁が決定される日本国の場合、その危険性は、さらに高いと言えましょう。安倍首相は、退陣表明の記者会見において、核兵器廃絶問題に関する質問を受けた際に、何故か、オバマ大統領の名を挙げておりました。明治維新の経緯、あるいは、第二次世界大戦にあって民主党のルーズベルト政権であったためか、日本国は、現皇室を含め、親米民主党勢力が強いのです(あるいは、親中かもしれない…)。また、メディアの報道を見ますと、日本国民の民意などは意にも介さずに、自民党内での派閥の動きや合従連衡を報じておりますし、世論調査の結果と称して、石破議員が支持率トップという俄かには信じがたい報道もあります(もっとも有効回答率は半数以下…)。

 

今や、政界やマスメディアのあまりの不自然な動きに、日本国民の多くが、中国、並びに、中国利権による情報操作を疑うレベルに達しております。日本国もまた、政治家の背景につきましては徹底した調査が必要なように思えます。そして、共産主義、あるいは、全体主義勢力による民主主義国家に対する侵食を如何にして阻止するのか、この問題は、大統領選挙を控えたアメリカ国民のみならず、ポスト安倍政権問題を抱えた日本国民にとりましても重大、かつ、緊急な問題であると思うのです。


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警戒すべき‘中国隠し’―‘ポスト安倍’問題

2020年08月30日 11時55分55秒 | 日本政治

 安倍首相の退陣表明により、‘ポスト安倍’は、国民の最大の関心事となりました。中国による積極的な対日融和策、並びに、米中対立の激化を目の当たりにすれば、次期政権は、日本国の運命をも左右することは、誰もが理解しております。しかしながら、‘ポスト安倍’をめぐるマスメディアの報道には、どこか、不自然な点が見受けられるのです。

 

 例えば、本日の産経新聞の朝刊一面には、自民党内の相関関係を描いた図が掲載されていたのですが、この図に描かれております政治家間の関係によりますと、中国の‘代理人’とでも言うべき二階幹事長と菅官房長官とは‘連携ライン’で繋がっていますが、他の石破元幹事長、岸田政調会長、茂木議員等の間には‘連携ライン’が描かれていません。全く、‘無関係’として描かれているのです。その一方、菅官房長官からの‘評価ライン’を介して二階幹事長と間接的に繋がっているのは、反中姿勢で支持を集めている河野議員のみ、という奇妙さなのです。この図は、一体、何を意味するのでしょうか。

 

 二階幹事長は、テレビの番組収録にあって、菅官房長官を最有力候補としながらも、石破議員と岸田議員についても、それぞれ「政策通だ。有力な候補者の一人だ」、「立派な候補者の一人だ。政策面で頑張ってきた」と評価し、支持を表明しております。日本国民の多くも、菅官房長官、石破議員、岸田議員は‘親中陣営’と理解していますので、上記の相関図とは違っているのです。

 

 もっとも、同図は、安倍首相を中心に描かれていますので、同首相との関係を示す図であれば、二階幹事長も脇役に過ぎないからなのかもしれません。安倍首相は、早期に辞任して激務から離れることで、‘キングメーカー’になる道を選んだとする説もあるようですが、この説に従えば、後継者は、安倍首相の意向を軸にして決まる可能性がありますので、同図の掲載は、読者の理解を援けることとなりましょう。しかしながら、安倍首相は、辞任に際して後継総裁の選び方は執行部に一任する、即ち、二階幹事長に任せると述べておりますので、自ら主導権を握る意欲を示すことはありませんでした(もちろん、表向きという可能性もあるのですが…)。

 

 安倍政権の末期は、公明党との連立ということもあり、親中派勢力に‘乗っ取られた’観が強く(安倍政権に対する高評価は前半期に集中しているのでは…)、自民党にあっても、幹事長という人事や資金配分の要となる職を二階議員に掌握される状況が続いてきました。自民党内の政治力学が‘親中派’に有利に働いているとしますと、次期首相をめぐる相関図は、裏の‘キングメーカー’である二階幹事長を中心に描かれるべきと言えましょう。そして、二階幹事長を中心に親中派のラインを正確に描きだした相関図こそ、日本国民に危機の実態を知らせる重要な情報となりましょう。

 

 そして、二階幹事長の背後に中国が控えているとしますと、同国は、日本国の次期首相として、誰を望んでいるのでしょうか。中国は、日本国は絶対に味方に付けなければならない、と見なしているとも伝わり、親中派政権の誕生を期待していることは言うまでもありません。この点に注意を払いながらマスメディアの報道を見ておりますと、ここで再び、産経新聞において奇妙な記事を見出すことができます。第5面の記事なのですが、中国の国営新華社通信の配信記事について‘石破氏を警戒’とする小見出しがつけられているのです。

 

 内容を読んでみますと、‘岸田氏であれば安倍政権の内政・外政が継承さえるものの、石破氏では、両者ともに調整を迫られる’といった論評であり、とりわけ、石破氏に対して中国が警戒している風にも読み取れません。石破議員の基本的な外交姿勢は、敵地攻撃能力の保有には慎重であり、政治においては日米同盟を尊重しつつも、経済では友好な日中関係を維持する、というものですので、軍事力の基盤となる経済力を失いたくない中国にとりましてはむしろ歓迎すべき候補者なはずです。中国が‘石破氏を警戒’しているとしますと、岸田政務会長は同氏よりもさらに中国寄りということになりますし、それは、親中へのシフトが著しかった安倍政権の時代の‘負の遺産’ということにもなりましょう。

 

 あるいは、中国の意中の候補者は石破氏でありながら、日本国内の反中世論をかわすために、敢えて、石破氏との距離を演出している可能性もありましょう。中国が反対している候補者であれば、日本国民の石破氏に対する警戒感が緩み、同氏を支持するかもしれないからです。中国は狡猾な国ですので、ここは、警戒すべき場面となりましょう。

 

 何れにいたしましても、日本国は、民主主義国家ですので、首相は民意の支持を受けた人物であるべきことは言うまでもありません(今後、首相公選制の議論があってもよいかもしれない…)。日本国を中国の属国化しかねない親中政権の誕生などもっての他であり、各候補者は、党内力学や派閥間のバランスに拘泥することなく、先ずは、国民に向けて自らの対外的なスタンスを明確に示すと共に、オープンな政策論争こそ展開すべきなのではないでしょうか。政治家の方たちは、常々国民に対しては変革を求めますが、国民が待ち望んでいるのは、‘密室政治’から日本国を脱出させ得る、国民本位の政治家の登場なのではないかと思うのです。


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‘ポスト安倍’問題―政治家と国民との間の深刻な‘分断’

2020年08月29日 10時55分00秒 | 日本政治

 先月頃から取り沙汰されてきた安倍首相の健康不安説は、検診後の回復情報から一時は後退したものの、昨日、突然に首相辞任の一報が報じられるところとなりました。午後5時からの記者会見にあって、安倍首相は、辞任理由について自らの身体が国民からの負託の任に堪えられない旨の説明をされております。この機に至り、‘ポスト安倍’に関する国民の関心も否が応でも高まっているのですが、現在の状況下にあって深刻さを増しているのは、日本国の政界と国民との間の‘分断’です。

 

 首相辞任の記者会見は、どこか不自然な観もありました。その理由は、スピーチを終えた後に首相は国内メディア各社からの質問を受けたのですが、どの質問者も、対中関係については一言も触れなかった点です。中国という国名すら、一度も登場しなかったかもしれません。ところが、日本国を取り巻く国際情勢は緊迫の度を増しており、とりわけ、中国の目に余る拡張主義は、尖閣諸島をはじめとして日本国、並びに、日本国民の安全を直接に脅かしております。しかも、米中対立がエスカレートする中にあって、二階氏や公明党を中心とした親中派の政権内における勢力拡大は著しく、日本国民は、ポスト安倍政権による今後の政策運営に強い不安を感じております。言い換えますと、日本国民の最大の懸念は、党内の派閥力学や裏取引等により‘ポスト安倍’に親中派の政治家が就任してしまう事態の発生なのです。

 

 共産党一党独裁体制に下でチベット人やウイグル人を弾圧し、国際公約を破って香港を併呑し、かつ、台湾にも武力行使を辞さない中国に対して、日本国民の反中感情は高まる一方です。しかも、新型コロナウイルスの発生源となった上に、パンデミック化を防ぐ義務を怠りながら、医療物資を独占してマスク等の不足も招いたのですから、中国に対して良い感情を懐いている国民は、チャイナ・マネーに取り込まれた利権繋がりの少数に過ぎないことでしょう。そして、この中国に篭絡された少数者こそ、残念なことに、全てとは言わないまでも、日本国の政治家たちなのです。

 

 上記の記者会見にあって朝日新聞社の質問者が‘ポスト安倍’の候補者として挙げたのは、菅偉官房長官、石破茂議員、岸田文雄議員等の名であり、何れも、二階幹事長の息のかかった親中派の政治家として知られております。しかも、総裁の決定方法も、執行部への一任となりますと、二階幹事長に委ねたに等しくなります。つまり、現在、日本国民は、ポスト安倍政権において、その意に反して中国陣営に引き摺り込まれるリスクに直面しているのです。この現状は、日本国の危機であると同時に、民主主義の危機とも言えましょう。

 

 その一方で、首相辞任の報を受けた後での世論の動向を見てみますと、‘ポスト安倍’の候補者として圧倒的多数の支持を得ているのは、河野太郎議員です。河野議員と言えば、父君の洋平氏が親中派の政治家でしたし、また、自身もビル・クリントン政権下で国務長官を務め、北朝鮮ではマスゲームに興じたとされるオルブライト女史の‘弟子’でもあります。リベラルな言動で知られるだけに保守層からの支持は薄かったのですが、最近に至り、そのスタンスに大きな変化が見られるようになりました。とりわけ防衛相に就任してからはタカ派とも称されるような発言が目立つようになったのです。先日も、敵ミサイル基地を防衛的に破壊する政策に関連して記者から「中国や韓国の理解を得られる状況ではないのでは」と問われた際に、「中国がミサイルを増強しているときに、なぜ了解がいるのか」と答えたシーンがYouTubeを介して拡散され、中韓に対してはっきりと物が言える数少ない日本の政治家として、一般国民からの評価が跳ね上がることとなったのです。

 

 かつてリベラル派の代表格でもあった河野議員は、今や、保守層の期待をも一身に背負う反中政治家と見なされるに至り、その明快な物言いによって、‘ポスト安倍’において抜きんでた支持を集めるようになりました。言い換えますと、日本国民の多くは、上述した親中派政権誕生の危機からの脱出する手段、即ち、日本国が中国の魔の手から逃れる道として、河野氏に期待を寄せるようになったのです。

 

 河野氏の反中姿勢は、首相の座に近づくための国民に向けたポーズなのか、それとも、本心から考え方を変えたのかは、現時点では分からないのですが、少なくとも、同議員は、日本国の世論に最も敏感に反応し、自らの支持基盤を固めた政治家とは言えましょう。つまり、同議員は、政界と日本国民との間の‘分断’をいち早く察知し、国民の側についた政治家なのかもしれません。世論に背を向けて親中政権の樹立に向けて奔走する親中派政治家よりも、はるかに民主主義を尊重する姿勢を伺うことができるのです。来月に予定されている自民党の総裁選挙がどのような形で実施されるのか、未だに不透明な状況にありますが、仮に親中派の政治家が選出されるとしますと、国民の反発は必至であると共に(来年の総選挙では、自民党の敗北も…)、政界再編の動きも活発化するのではないかと思うのです。

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国民の命よりも‘国際利権’が大事?

2020年08月28日 11時47分53秒 | 国際政治

 本日8月28日、健康不安が囁かれていた安倍首相は、夕刻に国民に向けて諸般の事情説明を行う記者会見を行うそうです。NHKにて放映される予定ですが、中でも注目が集まるのは新型コロナウイルス対策です。二類指定の変更も然ることながら、同記者会見では、国民全員分のワクチン確保を目指す方針が表明されると伝わります。この情報、果たして、国民にとりましては‘朗報’なのでしょうか?

 

 ワクチンさえ摂取すれば、新型コロナウイルスには感染せず、ようやく自らの生命や健康が危機に晒される状態から脱却できると信じている国民にとりましては、確かに‘うれしい知らせ’となりましょう。内閣支持率が下げ止まらない状況下にあって、政府側の狙いはワクチン確保の報に感激した国民からの支持率アップにあるのかもしれません。ワクチン確保の時期は2021年前半とされていますので、1年延期された東京オリンピックの開催時期にも間に合います。“国民の多くも、安全なオリンピックの開催を首を長くして待っているに違いない”、と時期的にもタイムリーと判断したのでしょう。

 

 しかしながら、政府の思惑が目論見通りに実現する時代は、既に過ぎ去っているように思えます。何故ならば、少なくとも新型コロナウイルスワクチンに対しては、多くの国民が拭い難い不信感を懐いているからです。根強い同不信感は、国民が情報不足であり、情報リテラシーが低いために生じているのではありません。また、フェイクニュースに踊らされた結果でもありません。逆に、国民の多くが、ネット等を介して専門家の見解や医科学上の情報や知識に触れたこともその一因です。免疫のメカニズムについては先端的な現代科学を以ってしても完全に解明されているわけではなく、新たなウイルスの出現から僅か1年余りでワクチンの安全性が確認されるはずもありません(接種後にあって1年を超えて発症する副反応については全く未知である…)。加えて、ビル・ゲイツ氏の積極的なワクチン普及活動も、今春にあって同氏が日本国から叙勲されたこともあり、国民がワクチンを怪しむ原因となっています。

 

新型コロナウイルスワクチンに対する拒否反応は、今や、日本国内のみならず先進諸国にあって共通の現象ともなっております。アメリカで実施された世論調査によれば、凡そ3分の1の国民がワクチンを接種したくないと回答しております。患者数も死亡者数もアメリカよりも桁違いに少ない日本国であれは、ワクチン拒否派は大多数を占めるのではないでしょうか(ネット上のコメントを読むと、圧倒的に拒否派が多い…)。WHOや途上国がワクチンの先進国独占を批判する一方で、当の先進国では、ワクチン不要派の国民が増加しているのですから、奇妙な‘あべこべ現象’が起きているのです。

 

国民の多数が新型コロナウイルスワクチンに対して懐疑的な現状にあって(ワクチン歓迎派は少数かもしれない…)、日本国政府が全国民分のワクチン確保の方針を公表するとしますと、国民は、この方針をどのように理解するでしょうか。少なくない国民は、日本国政府が、何としても来夏に東京オリンピックを開催させるために、あるいは、これを根拠として、日本国民全員にワクチン接種を強要しようとしているのではないか、と疑うはずです。1億2千万人分という数字は、政府がワクチン拒否者を全く想定していないことを示唆しており、法改正による強制接種さえ目論んでいるのかもしれません(現行の法律では、ワクチンの接種は強制ではない…)。

 

たとえ政府が善意で国民のためにワクチン確保に奔走した結果であったとしても、過去の歴史にあって政府の言葉を信じたばかりに国民が騙されてしまったケースも一つや二つではありませんので、情報化時代に生きる今日の国民であればこそ、政府の説明を素直には受け取らず、脳内の危険探知センサーを働かせてその‘裏’を読み取ろうとすることでしょう。政府の真意とは、日本国民の命や健康を犠牲にした‘国際的な利権’への奉仕なのかもしれないのですから(オリンピック利権やワクチン利権…)。日本国政府が、国民の命を守ると称しつつ護るべき命を危険に晒しているとしますと、これ程酷い欺瞞はないのではないでしょうか(また、無理をしてまで開催した場合、全世界から様々な変異した新型コロナウイルスが一斉に日本国内に持ち込まれるリスクも…)。自由主義国の国民が政府に対して疑いを懐くことは、全体主義国家とは違い、決して罪ではありませんので、日本国民は、政府に対して率直に疑問をぶつけ、その回答に対して納得できないのであれば、ワクチン接種の拒否は国民の側の権利として許されるべきではないかと思うのです。


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中国に対する報道姿勢を変えるべきでは―国際犯罪国家

2020年08月27日 12時50分48秒 | 国際政治

 報道によりますと、中国は、内陸部の青海省から「東風26」を、沿岸部の浙江省から「東風21D」をそれぞれ2発、計4発の弾道ミサイルを南シナ海に向けて発射したそうです。「東風26」の推定射程は4000キロに及び、米領グアムまでを射程範囲に収めるために「グアムキラー」と呼ばれ、一方、「東風21D」は、推定射程距離においては1500キロと短いものの、攻撃対象への命中の精度から「空母キラー」とも称されているそうです。

 

 中国が同ミサイルを発射した目的は、対米牽制にあるとされています。南シナ海における中国の軍事行動は活発化しており、アメリカとの間で非難の応酬が続いています。マスメディアの報道ぶりでは、両国の立場を同等と見なし、歴史においてありがちな覇権をめぐる大国間対立のエスカレーションとして描く傾向にあります。その実態を見ますと、中国側に非があることは明白です。

 

 2016年7月に常設仲裁裁判所の判決により、中国による南シナ海に対する領有権の主張は、歴史的・法的根拠なきものとして完全に否定されています。このため、アメリカは、同海域に第七艦隊を派遣して「航行の自由作戦」を実施し、中国を牽制し続けてきました。今年の7月13日には、ポンペオ米国務長官が同判決を公式に踏襲し、中国による南シナ海の軍事基地化を違法として最後通牒とも解されるような強い警告を発したばかりです。同月中には、南シナ海にあって空母二隻が参加する軍事演習が行われ、17日からは、恒例のリムパックも実施されました。そして、本日も、米商務省と国務省が、‘中国による南シナ海の埋め立てに関与した中国企業24社に輸出禁止措置を取り、関係者に査証(ビザ)の制限などの制裁を科すと発表した’とするニュースが飛び込んできています。

 

 こうした矢継ぎ早の対応にアメリカの本気度が伺えるのですが、アメリカの強硬姿勢に対して、中国は、さらなる違法行為のエスカレーションによって応えています。今月24日から、人民解放軍は、実戦、即ち、侵略準備を目的に、南シナ海に加えて、東シナ海、渤海、黄海の四つの海域においてほぼ同時に軍事演習を行っています(おそらく、南シナ海のみならず、尖閣諸島、台湾、朝鮮半島等を睨んだ行動…)。上述した弾道弾ミサイルの発射は、人民解放軍の「北部戦区」、即ち、渤海、並びに、黄海での演習に際して中国が設定した飛行禁止区域に米軍のU2偵察機が‘侵入’したことに対する警告とも解されていますが、アメリカ側は国際法上の合法性を主張していますし、専門家によれば、軍事演習の周辺に偵察機を派遣するのは「各国の暗黙の了解」、即ち、国際的な慣行として認められているそうです。そして、遂に、中国は、一切の警告なしで弾道ミサイルを自国の領海でもない南シナ海に向けて発射したのですから、米中間の一連の出来事は、違法行為を取り締まろうとする警察と警察の警告を無視して違法行為を続ける犯罪者、否、警察さえ脅かす暴力組織に喩えた方が、両国間の構図を正確に捉えているように思えます。

 

国際社会から咎められながら、国際法の執行手続きに不備があることを悪用して、平然と違法な軍事基地化に邁進している中国こそ、国際法上のれっきとした国際犯罪国家と言えましょう。国連憲章に照らせば、‘平和への脅威’そのものです。ところが、日本国を含め、マスメディアの多くは、米中を同等の立場として扱い、中国の違法性を薄め、一般の人々が中国の行動が国際犯罪である点に気が付かないように巧妙に誘導しているように見えます。マスメディアは、常々、善悪の区別や勧善懲悪を嫌う傾向にありますが、NHKを含め、中国を悪として断じないマスコミこそ、中国の違法行為を増長させ、企業を含めた一般の人々の中国に対する警戒感を弱めてきた要因の一つではないかと思うのです。仮に、その主たる原因が、‘チャイナ・マネー’、あるいは、中国に利権を有する国際組織の影響にあるならば、マスメディアの背後に潜む資金の流れ、人脈、指揮命令系統などについて、その実態の解明を急ぐべきなのではないでしょうか。


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政治家の‘義理と人情’は権力の私物化では?

2020年08月26日 11時52分19秒 | 国際政治

 先日、NHKスペシャルにおいて、「渡辺恒雄 戦争と政治〜戦後日本の自画像〜」と題して長きに亘って読売新聞グループを率いてきた渡邉恒雄氏の半生を紹介する番組を放映しておりました。同番組の主要テーマは、政財界にも隠然たる影響を及ぼしてきた同氏の証言を通して戦後の日本政治を読み解くというものです。

 

 同番組においてとりわけ強く印象に残ったのは、中曽根康弘氏と田中角栄氏との邂逅の場面です。中曽根氏と言えば、東京帝国大学法学部を卒業して内務省に入省し、戦時中にあっては白い制服姿もまぶしい海軍士官をも務めた、当時にあってはエリート中のエリートの道を歩んだ華麗なる経歴の持ち主です。片や田中角栄氏は、家の貧しさから中学校への進学を諦め、高等小学校の卒業後に土木工事の現場で働くことから、その波乱に満ちた人生の一歩を踏み出しています。両者とも、後に日本国の首相を務めることとなりますが(田中氏が第64・65代、中曽根氏が71~73代)、生い立ちや経歴を見ますと、全く対称的な二人の人物像が浮かんできます。実際に、中曽根氏と田中氏との間柄は険悪であり、当初は、水と油のような関係にあったそうです。

 

 ところが、この二人の政治家は、ある出来事をきっかけに盟友とまではいかないまでも、劇的な改善を見せることとなります。それは、中曽根氏が田中邸を訪れた時のことです。中曽根氏は、二階の部屋で待っていた田中氏の前に土下座して、自らへの協力を請うたというのです。これまでエリート然とした中曽根氏に対して屈折した感情を懐いていた田中氏は、同氏が自らのプライドを捨てて高等小学校しか卒業していない自分に跪いたことに痛く感激し、両者は、これまでの確執を水に流してひしと抱き合ったと言います。

 

 恩讐を越えた両者の劇的な和解は、あたかもドラマのワンシーンのように見えます。政治家同士の義理と人情の物語は、国民受けのよいお話かもしれません。しかしながら、統治機能というものが国家や国民に資するために存在し、民主主義体制における政治家とは、常に民意に沿う形で政策を立案し、それを実現していくことを生業とする職業である点に立ち返りますと、こうしたパーソナルな関係にスポットライトを当てた美談については、いささか疑問がないわけではありません。何故ならば、個人的な派閥や人脈によって政治が動かされるとしますと、それは、権力の私物化を意味しかねないリスクがあるからです。

 

 田中角栄氏とは、1972年に日中共同声明を以って日中国交正常化を実現した政治家であり、今日にあっても、中国、並びに、親中派のドンと化した二階幹事長が‘井戸を掘った人を忘れない’として賞賛しています。アメリカのニクソン政権下のキッシンジャー外交による米中和解の流れを背景とはするものの、当時、日中国交正常化については、国民に対して説明らしい説明もなく、同政策の是非に関する国民的な議論も欠いていたように思えます。また70年代初頭の政界を見ますと、「三角大福中」と称されたる三木武夫氏、田中角栄氏、大平正芳氏、福田赳夫氏、並びに、中曽根康弘氏が、‘ポスト佐藤’、即ち、佐藤栄作内閣退陣後の首相の座を激しく争った時代でもあり、当時の政治とは、国民を蚊帳の外に置きつつ、ポスト争いと派閥抗争の様相を呈していたとも言えましょう。そして、合従連衡の鍵となるのが政治家同士のパーソナルな関係なのです。

 

 こうした日本国の政治的な風土は、‘村社会’とも揶揄されてきた永田町に根付いてきた政治文化の一種なのかもしれませんが、今日、‘ポスト安倍’をめぐる政界の動向を見ますと、70年代が繰り返されているようにも見えます。現職の安倍首相は佐藤栄作氏と親族関係にありますが、今日もまた、‘ポスト安倍’が政治の中心課題となりつつあります。こうした中、親中派の二階幹事長と菅官房長官とが会談の場を設けたとの情報も伝わり、水面下では首相の座をめぐる攻防が激しさを増しているようなのです。70年代では、人心操作に長け、かつ、親中派の元祖ともなる田中氏が‘ポスト佐藤’の座を射止めたのですが、現在にあっても、党内の派閥力学や政治家間の‘密約’等によって、親中派の候補者が‘ポスト安倍’を手にするのでしょうか。

 

 国際社会の期待に反して無法国家化した中国の現状に鑑みて、アメリカでも、今日、ニクソン・キッシンジャー外交に対する評価の見直し論も提起されております。そして、日本国もまた、70年代と同じ轍を踏んではならないはずです。安倍首相は、健康不安説を一蹴して続投に意欲を示しておりますが、何時かは訪れる‘ポスト安倍’の選択におきましては、日本国民の民意に応える候補者が首相職に就任できるよう、永田町には国民に開かれた風通しのよさと、政策本位の政治家が育つ環境づくりが必要なように思えます。統治権力とは、あくまでも国民から政治家に委託されたものであるのですから。


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共産党とは‘秘密結社’?-‘党の秘密’の存在こそ最大の秘密

2020年08月25日 11時41分01秒 | 国際政治

 8月23日付の日本経済新聞朝刊には、大変興味深い記事が掲載されておりました。それは、‘風見鶏’の欄において紹介されていた「中国共産党員の「秘密」」と題された記事です。中国総局長の方が中央省庁の若手幹部と議論した際に同幹部から聞き出した中国共産党の実態を伝えており、同記事を読みますと、共産社会が‘暗黒化’する理由がよく理解できるのです。

 

 同記事にあってキーワードとなるのは、何と申しましても、‘党の秘密’です。凡そ14億の人口の内、中国共産党員は9200万人に過ぎず、全人口の6%に当たるということですので、共産党への入党は狭き門と言えましょう。入党に漕ぎつけるには幾重もの審査をパスしなければならず、いわば、現代の科挙とも称すべき中国のエリート層となります(正真正銘の‘上級市民’…)。そして、晴れて入党が許されますと、‘党旗の前に立ち、右手の掌を肩の上にあげて党規約にある「誓詞」を暗唱’するそうです。

 

 同記事では、ここで「…そのせりふの途中には、どうしても引っかかる一節がある。「党の秘密を守る」だ。」という一文を記し、読者の関心を引いています。多くの読者は、この一文を読み終えた途端、目から鱗が落ちるような衝撃を覚えるかもしれません。共産党には、隠すべき秘密があったのか、と…。そして、この党の秘密の存在は、共産党というものが、実のところ、社会の内部にあって密かに‘人民’を監視し、‘嘘も方便’を実践して公然と騙し、情報を遮断して支配するための秘密結社であったことを示しているのです。

 

 もっとも、‘党の秘密’とは、自由主義国における公務員の守秘義務と変わりはなく、取り立てて批判すべき対象ではない、とする反論もありましょう。しかしながら、自由主義国における公務員の守秘義務は、職務上に知り得た秘密であり、‘党の秘密’ではありません。守秘義務が設けられている理由も、防衛、安全保障、外交上の機密といった国家の安全や個人情報などの国民の自由や権利を護るところにあります。また、機密指定が国家や国民を護るために真に必要であったのか、否かという点につきましても、期限を設定して後日公開することにより、後世における検証が可能な制度を設けています。

 

 一方、共産党員が共有する‘党の秘密’とは、その具体的な内容は不明瞭です。しかも、全ての共産党員が、国家や地方政府の公務員であるわけではなく、他の職業に就いている党員にも守秘義務が課せられています(そもそも、‘党’とは、個々人が集まった私的な任意団体に過ぎない)。同記事では、武漢市にあっていち早く新型コロナウイルスの感染拡大をSNSで伝えた李文亮医師が当局から処分されたのも、‘党の秘密’を洩らしたからではないかと推測しております。つまり、同医師も、共産党員であった可能性が高いのですが、それを公開しなければ国民に甚大な危害が及ぶような情報であっても、‘党の秘密’に指定された場合、公務員であれ、如何なる民間の職業にあれ、共産党員であれば守秘義務を順守しなければならないのです。

 

このことは、共産党員が配置されている全ての職場にあって(現在、中国は、法改正により企業に対しても共産党員を配置するよう義務付けている…)、情報が完全にコントロールされることを意味しています。一党独裁体制の利点として、しばしばトップ・ダウン方式の上意下達の迅速性が挙げられますが、同体制の情報の流れを見る限り、トップから末端に至るまで全ての国民に情報が速やかに伝達されるわけではなく、情報を入手し得るのは社会の要所要所に配置されている6%の共産党に過ぎません(しかも、トップシークレットは上層部のみで独占…)。非共産党員である残りの94%の国民は、何も知らずして政府の指令に黙々と従わされているだけの存在なのです。

 

 自由主義国では、国民の知る権利を尊重し、可能な限り情報を公開するように求められています。一方、共産主義国家では、国民は、自らに関わる公的な情報から遮断されているのですから、国民が目隠しをされている状態とも言えましょう。つまり、非共産党員である94%の国民は、暗闇の中で生きているとも言えましょう。少数の共産党員の監視の目に晒されながら…(今日では、ITも活用…)。そして、特権階級である6%の共産党員も、‘党の秘密’を守るために、他の国民に対して背信行為を働かざるを得ない状況に追い込まれることもあるのです。

 

 ‘党の秘密’の順守とは、中国共産党のみならず、マルク主主義者の政治組織、あるいは、共産党という政党が誕生した時から、おそらく全党員が入党に際して誓ってきたことなのでしょう。こうした宣誓項目は、秘密結社の入会の儀式に近いのかもしれません。すなわち、共産党とは、全ての‘労働者’に開かれた“労働者の集団”ではなく、別の意味や背景を持った秘密結社であるということにもなります。共産主義に基づいて建国された国家が、何れもその理想とは真逆になる原因も、‘党の秘密’が隠されてきたためなのかもしれません。そして、‘党の秘密’の存在こそ、共産党が他者に知られたくない最大の秘密ではなかったのかと思うのです。


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中国反米感情コントロール指令の真意とは?

2020年08月24日 11時06分08秒 | 国際政治

 新型コロナウイルスのパンデミック化を機にアメリカでは反中感情がかつてないほどの高まりを見せ、11月に予定されている大統領選挙の行方をも左右するようになりました。親中派と目されてきた民主党のバイデン候補も従来の立場を転換し、共和党の候補者であるトランプ大統領との間で対中強硬策を競っています。昨今、人種問題等でアメリカの分断が懸念される中、アメリカ国民は、反中姿勢においては一致団結しているようにも見えます。

 

 その一方で、中国では、反米感情の過度の刺激を抑えるべく、習近平政権が世論をコントロールするように共産党・政府系メディアに向けて指示したと報じられています。その内容は、凡そ(1)人民の不満が表面化するようなネガティヴなニュースは控えるように、(2)トランプ政権の対中制裁等を報じるに際しては、民族感情を刺激してはならない、(3)中国側の新冷戦回避姿勢をアピールするように、(4)ポンペオ国務長官の演説については、中国側の反論に重点を置いた国営メディアを‘引用’するように(同演説を勝手に解釈して論評してはならない?)の4点です。徹底した言論統制を敷いている中国のことですから、同指令は、メディアのみならず、一般の中国国民が投稿したネット上の投稿にも及ぶことでしょう。

 

 中国による対米感情コントロール指令からは、アメリカとの正面戦争を避けたい中国側の思惑が見受けられます。同指令を素直に読めば、習政権は、アメリカに対する敵愾心の高揚を抑え込む方向に動いているのですから、少なくとも‘負け戦’を予感した中国側が、早々とアメリカに対して膝を折っているようにも見えます。しかしながら、その歴史において戦乱を繰り返した中国は権謀術数に長けた国でもありますので、油断は禁物です。『孫氏』の「行軍篇」には「(敵の軍使)の言葉つきがへりくだっていて守備を増強しているようなのは、進撃の準備である。…ゆき詰まった状況もないのに講和を願ってくるのは、陰謀があるのである。」とあります。つまり、中国が低姿勢の時こそ、実は、最も警戒しなければならない時かもしれないのです。

 

 そして、同指令が謀略であるとすれば、それは、‘対中強硬合戦’と化しているアメリカ大統領選挙において、中国問題が最大の争点となる事態を回避しようとする巧妙な策略であるかもしれません。このままでは、11月の大統領選挙では、トランプ大統領であれ、バイデン候補であれ、有権者に対してより厳しい対中政策を有権者にアピールした側が勝利することとなりましょう。この結果、どちらが大統領に就任したとしても、次期政権は、公約にも掲げ、有権者にも訴えた以上、中国に対してより厳しい態度で臨むこととなります。そこで、両陣営によるさらなる対中強硬策のエスカレートを抑えるために、ここは、中国側が見せかけであれ一歩引くべきと判断し、対中融和策への誘導を狙った可能性もあります。

 

 以上に、習政権による対米感情抑止指令を文字通りに受け止めてはならない理由を述べてきましたが、もう一つ、同指令には習政権の意図が隠されているように思えます。あるいは、これこそ、習政権が同指令を発した最大の理由かもしれません。それは、中国国民による反米デモが、共産党一党独裁体制を批判し、民主化を求める反体制デモに転じる事態です。実のところ、同指令にあって人民の不満に警戒し、かつ、敢えてポンペオ国務長官の演説に関する項目を設けたのは、同国務長官の演説には、中国人民に向かって共産党政権の交代を求める件が含まれていたからなのでしょう。尖閣諸島の国有化に際して中国国内で発生した激しい反日暴動にあっても、当初、背後では暴動を扇動していた当局が、急遽抑制に転じたのも、その背景には、人民の民族感情が反政府運動に転化する兆候を読み取ったからであるとする指摘もあります。

 

 中国という国は全く以って信頼の置けない国ですので、その言動については裏の裏を読むような対応が必要なようです。同指令につきましても、各国政府とも、慎重にその真意、あるいは、複合的な意図を見極めるべきではないかと思うのです。


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韓国は中国陣営へ―習国家主席の訪韓合意

2020年08月23日 13時18分11秒 | 国際政治

 朝鮮半島は、半島という地政学上の要件もあり、中国の歴代王朝に冊封国として服属するのみならず、動乱期には、しばしば大国間の勢力争いが演じられる舞台となってきました。そして、長きにわたり主として中国の歴代王朝の冊封体制に取り込まれ、かつ、隣接する大国に翻弄されてきた歴史の影響によってか、朝鮮半島の政治文化や政治感覚は、他の一般的な諸国とは著しく違っているように思えます。

 

その第1の特徴は、物事の優先順位を付けるに際しての‘自己保存’の優位性です。価値観とは、個人レベルであれ、国家レベルであれ、個々により違いがありますが、幾度となく中国の歴代王朝による征服を受け、大国間の争いに翻弄されてきたため、サバイバルに対する野生的本能とでも表現すべき強い拘りが見受けられるのです(状況に応じた即時的な判断…)。このため、例えば、聖書が説く‘人はパンのみに生きるにあらず’やパトリック・ヘンリーの言葉として伝わり、香港の民主化運動でも掲げられた‘自由か死か’という人間性の根源に関わる哲学的な問いかけは、朝鮮半島においてはあまり意味を持たないかもしれません。自由、そして、民主主義や法の支配といった諸価値のために死を選ぶという選択肢は、自己保存が至上命題であれば、存在しないに等しいからです。自由や名誉など、目に見えない価値のために死を選ぶ人などは‘愚か者’扱いされ、嘲笑の対象にしかならないのです。

 

第1の特徴に関連して挙げられる第2の特徴は、自己中心性です。‘自己保存’が最優先であれば、それは同時に、他者を犠牲にしても自らが生き残ることを意味しかねません。あらゆる判断基準が‘自らの生命維持に対して有利であるのか、否か’という点にありますので、他者の生命に対しては冷淡になり易いのです。この傾向は、生命そのもののみならず、生命維持に必要となるお金や財産等にも及びます。自らが生き残るためには、他者に如何に迷惑をかけても構わず、法や合意を破っても罪の意識を持たず、否、利己的目的から言いがかりをつけて、積極的に他者から略奪しようとするケースも見られるのです。

 

第3の特徴は、依存性の強さです。即ち、その歴史を通して、独立国家として存立してきた時期が極めて短いため、大国への庇護を求める傾向が強いのです。この側面は、自立的な国家運営の経験が浅いことを意味します。対外政策にあっては、冊封時代には軍事や外交を宗主国に任せきりとし、動乱期における外政は、依存先となる大国選びが主たる課題でした。このため、大国の狭間にあって依存先を決められない場合には‘蝙蝠外交’に徹し、上述した自己中心性から両者から利益や庇護を得ようとして両者から信を失うこともあったのです。また、内政にあっても、最後の王朝であった李王家が北方の異民族系であったことから、苛斂誅求を旨とする征服王朝としての体制が染みついてしまったのかもしれません。民主主義の本義は国民による自治にありますので、朝鮮半島には、歴史的には民主主義が育つ土壌に欠けていたと言えましょう。

 

第4の特徴として挙げられるのは、序列意識の強さです。冊封体制とは、宗主国を頂点とする位階秩序ですので、朝鮮半島の対外戦略とは、宗主国に取り入ってできる限り高い地位、即ち、可能であればナンバー2の地位を確保し、ナンバー3以下のランクの低い諸国に対して優位に立つことです。‘虎の威を借る狐’の戦略であり、この地位を得ることができれば、宗主国に媚び諂っても、下位の諸国に対しては威張ることができますので、自己中心者が拘りがちな面子というものをも保つこともできるのです。

 

以上に分析してきた朝鮮半島の特徴は(もちろん、朝鮮半島のみならず、世界各地にこのような思考傾向を持つ人々も存在する…)、今日の韓国の外交政策にも色濃く反映されているように思えます。昨日、8月22日、韓国の徐薫国家安保室長と同国を訪問中の楊潔篪共産党政治局員が会談し、新型コロナウイルス禍が一段落した段階で、中国の習近平国家主席の訪韓を早期に実現することで合意した、と報じられました。この報道に見られる韓国の対応も、上記の特徴から読み解くことができます。

 

今日、新型コロナウイルスのパンデミック化や香港問題で露わとなった中国の全体主義体質、即ち、自由、民主主義、法の支配といった諸価値を踏みにじる態度に対し、日本国を含め、多くの諸国が激しく批判をしています。しかしながら、人類普遍の価値など韓国の眼中にはありませんし、中国と同様に、これらの価値の本質的な意義さえ理解していないのでしょう(中国の場合、上記の特徴は、政府と人民との間で成立している…)。そして、朝鮮戦争にあってアメリカが払った犠牲も米韓同盟も外交上の判断の基準とはならず、G7への特別参加などアメリカのトランプ政権が韓国に対して送るメッセージも聞こえないのでしょう。習主席の訪韓は、仮に、近い将来、中国を中心とする‘冊封体制’が復活した場合に、韓国が‘ナンバー2’となるためのステップともなるのですから。

 

中国と韓国との間の習主席訪韓の合意は、米中対立にあって韓国が中国陣営を選択した証なのでしょう(もっとも、状況が変化すれば寝返るかもしれない…)。そしてその決定が歴史を通して培われた中国と韓国との間の世界観や価値観の共有を基盤としている以上、韓国を自由主義国陣営に引き留めようとするのは、無駄な努力、あるいは、危険な試みとなるようにも思えるのです。


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日本国もグローバリズムからの退避を―日本ペイントに見るリスク

2020年08月22日 12時42分15秒 | 日本政治

 報道によりますと、日本ペイントホールディングスは、筆頭株主であったシンガポール塗料大手のウットラムグループの傘下に入るようです。日本ペイントとは、売上高世界第4位の企業であり(2019年のデータ)、日本を代表する塗料メーカーであると言っても過言ではありません。ウットラムの資本比率は現在の39.6%から58.7%に上がるため、日本ペイントは子会社となったのです。

 

 この買収劇、一見しただけでは、どちらがどちらを買収したのか分からないような、複雑な様相を呈しています。先ず初めに日本ペイントが、ウットラム側が所有するインドネシア等の事業を買収し、両者の塗料事業を日本ペイント側に集約します。つまり、この時点では、日本ペイントは、ウットラム側がアジア地域で展開する塗料事業の全てを引き継ぐのです。その一方で、同買収には巨額の資金を要するため、日本ペイントは、資金調達のための新規株式を発行します。そして、この1.2兆円ともされる新株の全てを引き受けるのが、ウットワムグループなのです。日本ペイント⇒ウットラム、ウットラム⇒日本ペイントという、二段構えの買収の結果、ウットワムグループ側が、最終的に日本ペイントを子会社にすることとなります。

 

 ウットラムグループとは、ゴー・ハップジン氏を創始者とするシンガポールに本拠地を置く一族企業ですが、1962年以降、日本ペイント側が自らのアジア地域における事業拡大に際して合弁事業のパートナーとしてきました。両者の関係は、当初は日本ペイント側が合併事業を介した技術供与などにより優位な立場にありましたが、2013年にはウットラム側がTOBを提案するなど攻勢を強めるに至り、第三者増資等を介して出資比率を39.6%にまで上げています。2018年には、10人の取締役の内、ゴー氏自身を含む6人がウッドラム側から選任されたそうです。今日の買収劇は、水面下で着々と進められてきた‘日本ペイント攻略計画’、否、乗っ取り計画が、仕上げの段階に達して表面化したに過ぎないのでしょう。外堀を埋められた日本ペイント側には、もはやなす術もなかったのかもしれません。

 

 以上に簡単に両グループ間の関係を見てきましたが、同経緯から分かることは、グローバリズムの脅威です。本件については、日本国内のメディアでは、グローバリズム絶対善説の立場から肯定的に評価する論調も少なくありません。例えば、日経新聞による表現は、‘日本ペイント、世界に挑む’です。確かに、日本ペイントという社名は残されていますので、こうした表現は誤りではありません。しかしながら、その実態を見つめますと、‘ウットラム、世界に挑む’と書いたほうが、現在、グローバリズムの下で進行している現実を的確に言い当てているように思えます。日本ペイントの先端的な技術力を手にして世界に羽ばたこうとしているのは、ウットラムなのですから。

 

 しかも、日本ペイントの子会社化は、ウットラムにとりましては‘濡れ手に粟’、あるいは、‘錬金術’のようなお話です(詐欺?)。そもそも、ウットラムグループがアジア地域に展開している塗料部門に1.2兆円もの価値があるはずもなく(日本ペイントは、買収先事業の企業価値に関する第三者による客観的評価を怠ったのでは…)、1.2兆円の融資資金は、そのまま新規株式としてウットワムグループに還元されるのですから。ウットラム側は、労せずして日本ペイントグループ諸共に塗料事業の全てを自らの傘下に置くことができるのです。

 

 ウットワムグループの本拠地がシンガポールに置かれており、巨額の資金を動かしている点を考慮しますと、あるいは、同グループの背後には、英系金融財閥が控えているのかもしれません。グローバリズムにつきましては、日本企業の中には、先進国では苦戦しても東南アジアといった新興地域における広域的な事業展開を期待する向きもありますが、現実には、同地域にも強かな国際金融財閥が深く根を張っており、むしろ、日本ペイントのように、同地域における合弁事業等を介して日本企業が東南アジアの企業に買収され、独立性を失うリスクが高まっているのではないでしょうか。

 

‘グローバリズムの波に乗り遅れるな’とばかりに、今日、日本企業による選択と集中が進んでいます。その一方で、大手企業が不採算を理由に切り離した事業部門に対して、欧米のファンドが投資拡大に積極的に乗り出しているとも報じられています。コロナ禍による全般的な企業業績の悪化もあり、このままでは、欧米系、中国系、並びに、東南アジア系のファンドや企業が入り乱れ、日本国は、‘草刈り場’となる可能性も否定はできません。日本国政府もその片棒を担いでいるのですが、今や、グローバリズムからの脱却はアメリカのみの課題ではなく、日本国もまた、ここは、一旦、退避を試み、‘ステイホーム’の期間にあって、より善い国際経済秩序を模索すべきではないかと思うのです。


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新型コロナウイルスワクチン国家賠償問題

2020年08月21日 11時55分48秒 | 日本政治

 報道によりますと、日本国政府は、海外から調達した新型コロナウイルスのワクチンについては、接種後に健康被害が発生した場合、製薬会社に代わって国家が賠償責任を負うそうです。しかしながら、この仕組み、必ずしも国民に安心感を与えるものではないと思うのです。

 

 第1に、ワクチン接種と賠償制度との間には安心感に質的な違いがあります。日本国政府としては、国民に対して‘たとえワクチン接種で健康被害を受けることがあっても、国家が賠償しますから安心して接種してください’とアナウンスしたかったのでしょう。しかしながら、開発されたワクチンの安全性に疑問がある場合、賠償制度を設けたとしても、国民の安心感には繋がりません。‘万が一、爆発したら賠償しますから’と言われながら、一先ず不発弾とされながらも、爆発する可能性もわずかながら残っている不完成品の爆弾を手渡されるようなものであるからです(怖い譬え申し訳ありません…)。国家賠償制度は、気休めにしかならず、実際に‘爆発’でもしようものなら命さえも失うわけですから、無意味となるリスクさえあるのです。

 

 第2に、国家が賠償責任を肩代わりするということは、それだけワクチンのリスクが高いことの証左となります。同ワクチンの開発にいち早く成功した企業は、たとえ低価格で提供したとしても、独占・寡占的、かつ、莫大の収益が約束されています。それにも拘わらず、民間企業では負いきれない賠償額が想定されているとしますと、健康被害、あるいは、副反応(副作用)のリスクは相当に高いと見なさざるを得ないのです。開発期間が短いとしても、新型コロナウイルス感染症には後遺症まで報告されておりますので、国民にとりましては、不安材料です。

 

 第3点としては、国家賠償制度が、民間製薬会社のモラルハザードを招くリスクを挙げることができます。たとえ‘欠陥商品’を製造・販売しても、それを買い取った政府が賠償責任を全面的に負うのであれば、製薬会社は、時間をかけた安全性の確認よりも早期の実用化を優先することでしょう。こうした事態を防ぐためには、少なくとも製薬会社にも一定の賠償責任を負わせ、政府と製薬会社との間での賠償責任の分担比率を100対0ではなく、50対50、あるいは、40対60というように、ワクチンのリスクに比例して調整すべきです(ワクチンの健康被害リスクが限りなく0であれば、通常通りに製薬会社が100%の損害賠償責任を引き受ける…)。

 

 第4に指摘し得る点は、時には、国家でさえ負担しきれないリスクもあることです。従来のワクチン接種では、命にもかかわるような重篤な副反応(副作用)が発生する事例は、100万回に対して1~10回程度であり、交通事故の死亡者数よりも遥かに少ないそうです。こうした被害が少数に留まるケースでは、製薬会社であれ、政府であれ、賠償額は経営や財政を傾ける程の巨額に上ることはありません。しかしながら、大規模な自然災害による被害や戦争による被害は、国家の全予算や全資産を注ぎ込んでも償いきれませんし、原状に戻すことも不可能です。新型コロナウイルスワクチンの接種により国民の大多数が被害者となった場合には、納税者同士の微々たる相互補償でしかなくなるかもしれないのです(自らにかかってくる増税分が、自らのワクチン被害額に充てられることに…)。

 

 新型コロナウイルスのワクチンについては、既に抗体依存性感染増強のリスクも指摘されていますし、また、免疫交差により既に国民の大半がコロナウイルス全般に対する抗体を有しているのではないか、との指摘もあります。重症者数や死亡者数の今後の動向につきましては十分に注意を払う必要はありましょうが、変異によるウイルスの弱毒化や治療法並びに治療薬の開発等により、最早、ワクチン接種は不要となっている可能性もないわけではありません。疑心暗鬼となった国民の側からのワクチン接種の拒絶も想定されるのですから、政府は、慎重にリスクを見極めると共に、同じ予算を投じるならば、時間をかけても国内における安全な国産ワクチンや治療薬の開発にこそ振り向けるべきであり、徒に海外からの調達を急ぐべきではないと思うのです。


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自動車産業依存からの脱却を―脱中国への道

2020年08月20日 12時32分05秒 | 国際政治

 9月19日に公表されたWTOの推計によれば、世界の今年4〜6月期のモノの貿易指数は84.5となり、過去最悪を記録したそうです。こうした国際貿易の急激な落ち込みは、新型コロナウイルスのパンデミック化に起因しているのですが、とりわけ、自動車関連の下落が著しく、その数値は71.8であったそうです。経済へのマイナス影響は、日本国の貿易収支をも直撃しているものの、日本国の場合、WTOが示す傾向とは逆の現象が観察されているのです。

 

 同日、財務省が発表した7月の貿易統計によれば、全体としては減少傾向にあるものの、中国向け輸出のみは、前年同月比8.2%増の1兆3290億円となり、7月としては過去2番目の高水準というのです。中国向けの輸出を牽引しているのは、自動車(19%増)、並びに、自動車製造向けの非鉄金属(72.4%増)であり、半導体等製造装置(23.6%増)や半導体等電子部品(18.3%増)も高い寄与度を示しています。そして、日本国の対中輸出に占める二つの主要項目を見ますと、そこには、中国の国家戦略が見えてくるように思えます。

 

 まず初めに、自動車産業における奇妙な動きが注目されます。国家統計局のデータによりますと、他の消費財の販売がコロナ以前の水準を下回る中で、7月に入りますと、自動車販売のみが20%もの増加率を示し、急激なリバウンドを見せています。日本車ですとトヨタのレクサスといった高級車の販売が好調であり、ホンダなども「中国は前年並み、もしくは、前年を超える勢い」なそうです。しかしながら、中国経済における個人消費の回復は弱含みとの報告がある中、どこか不自然な動きのように思えます。

 

 日本からの自動車、並びに、非鉄金属の輸出増は、米中対立の最中にあってアメリカからの対中自動車輸出が減少し、中国市場において日本車のシェアを伸ばした結果とも思われたのですが、自動車販売数そのものが一か月の間に20%も急伸したとなりますと、その背景として、中国の国家戦略を疑わざるを得ません。中国当局が環境対応の自動車の購入に際して積極的に補助金を支給しているのもその理由の一つなのでしょうが、今般の自動車への販売台数の増加は、全世界の自動車メーカーを‘人質’にとる作戦なのかもしれません。

 

 上述した日本国の貿易統計を見れば分かるように、世界経済が低迷する中、今日の日本国の貿易黒字は、中国頼りとなりつつあります。おそらく、中国の自動車市場にあって自国企業が最も高い率のシェアを誇るドイツも、同様の事態に直面しているはずです。言い換えますと、中国が販売不振に苦しむ自動車メーカーの前に最大の‘バイヤー’として登場することで、日本国政府を含め、自由主義国の政府が反中強硬策に流れることを防ごうとしているのかもしれないのです(尤も、2019年のデータによれば、日本の自動車輸出相手国第一はアメリカであり、その輸出額は中国の凡そ5倍…)。

 

 そして、半導体部門における日本国の対中輸出については、それが、中国による半導体の国産化政策の一環であることは一目瞭然です。対中貿易制裁を強めるアメリカに対して、中国は、現在15%程の半導体自給率を高めるべく、国策として半導体の国内増産に邁進しています。「中国製造2025」で掲げた自給率70%を達成し、‘チップ・ウォー’とも称される対米半導体戦争に打ち勝ち、そして、仮に対米戦争に踏み切った場合にハイテク戦争を勝ち抜くには、半導体の国産化は不可避なのです。

 

 幾つかの貿易統計から、自動車部門と半導体部門の二つの領域における中国の戦略を読み取るとしますと、日本国が、目下、危うい立場にあることも理解されます。日本国の主力産業である自動車産業を中国に‘人質’にとられた上に、半導体部門における対中協力により、同盟国であるアメリカの信頼を損なうリスクがあるからです。仮に、アメリカが、日本国を中国陣営に与した‘裏切者’と認定した場合、日本製品はアメリカ市場から締め出されると同時に、中国と運命を共にし、国際基軸通貨、即ち、米ドルの獲得手段をも失うことでしょう(人民元は国際基軸通貨としての要件を満たしていない…)。

 

このように考えますと、日本国政府は、内需の振興のみならず、貿易における自動車産業依存からの脱却を図り、中国以外の市場を対象とした輸出産業の多様化に努めると共に、半導体関連の輸出については、アメリカと同レベルの規制を課すべきなのではないでしょうか。貿易統計の改善は朗報ではなく、‘悪い知らせ’なのではないかと思うのです。


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王室の黄昏

2020年08月19日 12時26分43秒 | 国際政治

 タイでは、プミポン前国王逝去の後、王室に対する崇敬の念が国民から急速に消え去りつつあるようです。現軍事政権に対して批判的な民主派の若者達の要求は、これまでタブーとされてきた王制改革にも及んでいます。不敬罪が存在する国にあっては、異例の事態とも言えましょう。

 

 プミポン国王時代にあって最も安定した王室とも評されてきたタイの王室も、代替わりによって事態は一変しています。そして、タイのみならず、スペインでも前国王が亡命を試み、半世紀を超えてエリザベス女王が君臨してきたイギリスでも、王室を離脱したヘンリー王子夫妻の顰蹙を買うような行状等も重なり、さしもの英王室も揺らぎを見せています。全世界の王室、そして、日本国の皇室も、急激な地殻変動に見舞われているようにも思えます。こうした王室や皇室が直面している事態は、古今東西を問わずにありがちな王家の代替わりを機とした一時的な揺らぎなのでしょうか、それとも、時代の変化による不可逆的な性質のものなのでしょうか。

 

 古代にあって民主的な政体は、アテネなどのギリシャ・ポリス等の都市国家に多く見られ、19世紀のイタリア統一以前にあって共和制を維持してきたヴェネチア共和国も、都市国家型の民主国家の流れを汲む形態として理解されましょう(尤も、制限選挙ではありましたが…)。古今東西を問わず、凡そ全ての国は、王であれ、皇帝であれ、あるいは、‘独裁者’であれ、統治を国家のトップに座す一個の人格に委ねる君主制を採用してきたのであり、君主制こそ、人類史において最も一般的な政体でありました。しかしながら、イギリスにおける議院内閣制の発展は、君主の座を‘君臨すれども統治せず’、つまり、統治から統合の領域へと移行させると共に、アメリカ合衆国の建国は、都市国家ではなく、比較的広い領域を有する国家にあっても共和制を採用し得ることを証明することともなりました。

 

統治機構を合理的に設計し、それを適切に運用し得ることができるならば、世襲の君主に統治を全面的に任せるよりも、国民は、自らに資するより善い統治機能の提供を期待することができます。建国の祖を初代とする世襲制では、後代への統治能力の遺伝的継承は難しく、軍事的才能とカリスマ性を備えたリーダー、あるいは、独裁者であっても、必ずしも統治能力に長けているわけでもないからです。合理的に考えれば、高い統治能力を有する適任者を選ぶ制度の方に軍配が上がり、民主主義体制の登場とその世界規模での広がりは、人類の発展史にあって不可逆的な流れとして理解されるのです。

 

民主的な政体が世襲君主制に代わって国家の一般モデルとなるにつれて、君主は、最早統治の領域にはいられなくなります。現在、タイの民主化運動では立憲君主制への移行が求められていますが(タイでも憲法は制定されているものの、国王の立場や権限に関しては明治憲法に近い…)、共和制に移行することなく立憲君主制を選択した国家にあっても、君主による統治権の行使は御法度となるか、あるいは、政府の合意といった厳しい制限が課せられるに至るのです。

 

かくして、タイやサウジアラビア等の少数の君主国家を除いては、君主の主たる役割は、憲法の枠組みにあって国家や国民を纏める統合の役割へと変化してゆきます。民主主義と君主制とは、本来、対立的な関係にありながら(双方が統治の領域で権限を争うとバトルとなる…)、かろうじて統治と統合とに‘棲み分け’を行うことで、両者の間で調和が保たれてきたと言えましょう。もっとも、表向きは国民との対等性がアピールされたとしても、統合の基本構図における君主の役割とは、上部の超越的な位置にあって求心力となるというものです。つまり、権威主義体制との親和性が高く、逆から見れば、同体制が維持されるためには、君主の位置にある人物は、国民の誰もが自然な感情として崇敬心や尊敬心を懐けるようなパーソナリティを備えている必要があるとも言えましょう(国民の自発的な正当性の承認…)。

 

ところが、現在の王室とは、平等意識の広がり、かつ、情報化した現在では、君主が神聖性や超越性を纏うことは極めて困難です。政府筋やメディアから‘奇跡を起こした’、あるいは、‘超人的な能力を示した’といった報道がされようものなら、権威付のためのフェイクニュースであることが、即座に国民によって見破られてしまいます。日々、実物大の人間像が報じられるのですから、もはや、統合を担う権威とはなり得なくなるのです。例えば、新型コロナ禍にあってドイツのバイエルンに‘避難’したとされるタイの現ラーマ国王は、即位以前からその不品行さが国民の間でも知れ渡っており、不敬罪の存在は、世襲王制の不条理の象徴以外の何物でもないことでしょう。

 

統治の領域でも統合の領域でも、王室や皇室の存在が国民から必要とされなくなる、さらには、海外勢力や特定の政治勢力に利用されるだけの存在に堕してしまった場合、一体、国民は、どのように対応すべきなのでしょうか。そして、それは、人類の発展史における不可逆的な変化の結果とも言えるのです。内乱による王朝交代が起き難い点において、立憲主義に基づく民主主義体制は、現王家の地位をも手厚く護ってきました。しかしながら、君主制の廃止や抜本的な見直しは共産主義革命や左翼の専売特許ではなく(むしろ、共産主義と君主制との親和性は高い…)、実のところ、保守主義者も含め、そろそろ真剣に考えてみる時期に差し掛かっているようにも思えるのです。


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中国の航海・通商史は領有権の根拠にならず

2020年08月18日 12時47分26秒 | 国際政治

 共産主義とは、その論理展開における政経一体かを特徴としています。下部構造(経済)が上部構造(政治)を規定すると考えるわけですから、共産主義者は、しばしばこれを単純化して応用し、経済活動の歴史に基づいて自らの政治的主張を正当化するという、悪質な詭弁を弄します。尖閣諸島のみならず、アメリカ大陸やオーストラリア等に関しても、過去の中華帝国の航海史、あるいは、通商関係を以って領有権を主張しかねない危うさが見受けられるのです。

 

 例えば、尖閣諸島に関する中国の主張の一つは、明代及び清代において琉球に派遣された冊封史による航海記録です。しかしながら、同航海記録では、尖閣諸島を航海の目印にしたと述べたに過ぎず、近代国際法における無主地先占の要件を満たしているわけではありません。また、当時の冊封船の水先案内人は、明人や清人ではなく琉球人でした。しかも、明王朝の公式日誌「皇明実録」において、明の地方長官が日本の使者に対して、”明の支配する海域が尖閣諸島より中国側にある台湾の馬祖列島まで”とし、”その外側の海は自由に航行できる”と明言した記録が残されています。

 

 中国の通商史を見ますと、宋朝の時代に遠洋航海が可能な交易船としてジャンク船が発達したことにより、周辺諸国との間で交易が盛んになります(因みに、ジャンク船は、貨物運搬が主たる使用目的とした商船であって漁船ではないので、尖閣諸島の周辺海域にあって民間漁民が漁労に用いたわけではない…)。日本国も、遣唐使廃止後に日唐貿易や日宋貿易が私貿易として行われており、日本国からの輸出品は、硫黄、砂金、銅、日本刀などの他に、清代には鮑や海鼠の干物なども重要な輸出品であったそうです(鮑や海鼠の漁法や干鮑や干海鼠の製法を考慮すれば、尖閣諸島海域でのジャンク船による漁は無理では…)。東シナ海や東南アジア方面、さらにはインド洋にまで交易ネットワークが広がっており、鄭和の遠征は、同ネットワークをさらにアフリカ大陸にまで広げようとした試みであったのかもしれません。そして、他の王朝よりも、中国が明代や清代における交易を領有権の根拠として主張したがるのは、これらの王朝では、朝貢体制の下で国家によって比較的厳格な貿易統制が敷かれており、政経の一体視する中国にとりましては、こうした交易史は好都合であったからなのでしょう。

 

アメリカ大陸に関しても、中国政府が公式には表明していないものの、クリストファー・コロンブスの発見以前にあって、明代に永楽帝が派遣した鄭和こそ同大陸の第一発見者であるとする説があります(この説を最初に唱えたのは、イギリスの元海軍少佐であり、中国で育ったギャヴィン・メンジーズ…)。アメリカ大陸の‘真の第一発見者’については、10世紀における北欧のヴァイキング説や、珍しいところではトルコのエルドアン大統領が唱えたイスラム教徒説などもありますが、アメリカ大陸の第一発見者については、歴史学上の実証研究の枠を超えて政治を巻き込む傾向にあります。将来的な対米戦争を想定している中国にとりましては、過去の‘発見’を既成事実化し、それを領有権主張に結びつける上で、鄭和説には利用価値があるのでしょう(なお、第一発見も、領有の絶対的な根拠とはならず、アメリカの開拓がアメリカ国民の祖先等の手によって行われた歴史事実は変わらない…)。中国が背後で糸を引いていたとされるアメリカでの黒人死亡抗議デモにあって全米各地のコロンブス像が引き倒されたの、‘先住民虐殺’や‘人種差別’の象徴という理由の他に、アメリカ大陸の第一発見者を‘抹殺’したい中国側の意図が隠されているかもしれません。

 

 こうした中国の歴代王朝における航海や通商の歴史が、今日の国際法に照らしてみれば、領有権の正当な根拠とはならないことは明らかです。それにも拘らず、広域経済圏構築構想として提唱された一帯一路構想が中国による世界支配構想と凡そ同一視されているように、共産主義を国家イデオロギーとして奉じる中国は、経済的交易関係(横関係)と政治的支配関係(縦関係)とを区別していないのです。こうした中国の思考傾向を考慮すれば、‘政治と経済とは分離して考えよ(政治的に対立しつつも、経済的な関係を維持すべき…)’とする自由主義国の一部の人々の主張は虚しく響くのみです。‘中国によって政治的に支配されたくなければ、あるいは、領土を奪われたくなければ、中国との経済関係を断絶せよ’が、ロジカル・シンキングに徹すれば正しい結論なのではないでしょうか。


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尖閣諸島周辺海域は中国の伝統的漁場ではない

2020年08月17日 10時49分19秒 | 国際政治

 尖閣諸島沖の波は高く、休漁期間が明けた8月16日には、多くの中国漁船が東シナ海に向けて出港していったそうです。その行く先を正確に伝える一報は未だに日本国には届いていませんが、予告されていた程の大漁船団とはいかないまでも、一部の漁船は、尖閣諸島沖に向かったと推測されています。

 

 そもそも、中国が、尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは、同諸島の周辺海域において石油や天然ガス等の資源が埋蔵されている可能性を示す国連報告書が作成された後、即ち、1971年のことです。日本国が国際法上の無主地先占の要件を揃えて同島を合法的に領有した1895年から凡そ75年の間、清国を含めて中国側から抗議を受けたことはありませんでした。中国の領有権主張の目的が日本国から天然資源を奪うことにあるのは疑いようもないのですが、同国は、‘根拠不明な根拠’を並べ立て、国内法において一方的に自国領に編入してしまったのです。

 

 そして、この‘根拠不明な根拠’の一つが、尖閣諸島は、中国漁民の‘先祖代々の伝統的な漁場’であったとするものです。過去の歴史における自国民の経済活動の有無も重要な領有権主張の根拠となりますので、中国としては、過去の実績として中国人漁民の漁場であった点を強調したかったのでしょう。しかしなら、この言い分が、如何にいい加減であるのかは、今般の尖閣危機関連の報道から読み取ることができます。何故ならば、福建省祥芝港の漁民の一人楊さんが、インタヴューに応える形で「同港からは片道二十数時間かかり燃料費もかさむ。」と述べているからです。

 

それもそのはず、尖閣諸島は、中国大陸とは、330㎞も離れた海域にあるのですから。今日の機帆船ですら片道20時間もかかる海路を、手漕ぎの木造船時代の中国の漁民の人々が漁に出向いたとは到底考えられません。当時の一般的な木造漁船の能力からしますと、尖閣諸島まで無事に生きて辿り着けたかどうかさえ怪しいのです。

 

また、たとえ海の藻屑とならずに尖閣諸島海域に到達し、そこで漁を行ったとしても、自らが出港した港に商品として海産物を運ぶことは殆ど不可能です。祥芝港では、16日の解禁を前にして‘船員たちは魚を冷凍する氷や漁具の積み込み作業に追われていた’そうですが、魚類は傷みやすく、常温での保存はききません。尖閣諸島からの往復日数を2日にまで短縮した今日の漁船でも、冷凍保存の設備なくして漁を行うことはできないのです。ましてや古来の木造船ともなれば、捕獲された魚類は、帰港する前に全て腐敗してしまったことでしょう。

 また、歴史的には、東シナ海は倭寇の活動海域であり、室町時代には、明からの要請を受けて足利義満が取り締まりを実施しています。距離的な問題のみならず、民間の漁民がたやすく漁に出向けるような海域ではありませんでした。(2022年10月17日加筆)

 

 一事が万事であり、中国は、自らの主張を正当化するためには、捏造や虚言を厭いません。‘歴史的事実’など、後から創作すればよいと考えているのです。日本国政府は、中国が並べた‘根拠不明な根拠’の一つ一つに対して証拠や科学的知見を以って丁寧に論駁すると共に、中国漁船が尖閣諸島海域において日本国の権利を侵害した場合には、怯むことなく取り締まりを行うべきなのではないでしょうか。尖閣諸島は、紛れもなき日本領なのですから。


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