万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

”犯罪者”のレッテルは合法的なチベット弾圧

2008年04月30日 17時18分32秒 | 国際政治
僧侶ら3人に無期懲役=ラサ暴動で初判決-中国(時事通信) - goo ニュース
 
 他国を支配する国や、国家が思想を独占している全体主義の国では、植民地支配に抗議したり、他の思想や宗教を信じたというだけで、犯罪者に仕立てられるものです。現在の国際社会も国家も、この”政治犯”なるものが生んできた歴史的悲劇の反省の上に築かれています。

 このため、現在の国際法では、当然に、他国の支配下にある人々が、民族独立運動を行う権利を正当なものとして認めています。もし、この権利が認められなかったとしましたら、現在に至るまで、多くの諸国が植民地支配の下に置かれていたことでしょう。当の中国でさえ、辛亥革命の時には満州族による支配を糾弾し、日中戦争にあっては我が国と闘い、戦後にあっても、植民地独立運動を展開する独立派武装集団を支援することはできなかったはずです。不当な支配に対する抗議は、殺人や傷害、あるいは、窃盗といった犯罪とは、本質的に異質な行為なのです。

 国家レベルにあっても、民主化と自由化を達成した諸国では、”政治犯”という名の”犯罪”は既に姿を消しつつあります。しかしながら、中国は、国際法を無視することを憚らず、一党独裁の要である共産主義を捨て切ってはいません。この時代遅れの大国は、正当な抗議に対して”政治犯”という烙印を押し、厳重に処罰しようとしているのです。それは、刑法の執行ではなく、合法的な他民族の弾圧や虐待に他なりません。

 それでは、国際社会は、チベットのために何ができるでしょうか。聖火リレーの時のように、あらゆる機会を捉えて、中国政府に対して圧力をかけるとともに、各国政府も、公式に中国政府に対して裁判のやり直しや無効を求めるなど、チベット救済に力を尽くすべきあると思うのです。

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聖火リレーはリトマス試験紙

2008年04月29日 14時20分01秒 | 国際政治
【政論探求】聖火リレーに見る「国家像」(産経新聞) - goo ニュース

 聖火リレーは、あたかもリトマス試験紙の如く、通過各国の政府と国民が、親全体主義国であるのか、親自由主義国であるかを、その反応色によって示したのではないか、と思うのです。我が国の場合には、残念ながら、政府とマスコミは親全体主義国あり、サイレント・マジョリティーである国民の大半?は、親自由主義国との反応であったようです。

 国家と国民の意識を識別するこのリトマス試験の結果にあって、深く憂慮すべきことは、我が国の政府と国民とでは、違った反応色が観察されたことです。この結果は、民主主義国家にあっては、政府と国民、並びに、マスコミの論調と真の世論の乖離を意味しますので、決して望ましいことではありません。むしろ、国民にとりましては、重大な脅威でさえあるのです。

 新聞やテレビでは、価値相対論が取り上げられて、中国と西欧諸国との反応の違いは、人権意識の違いに過ぎないと説明されることがあります。この主張には、日本国の政府やマスコミの冷やかな反応も、西欧諸国との価値の違いとして矮小化したい願望が隠されているですが、もし、この説明が正しければ、日本国は、中国と同様に、人の尊厳や生命を軽んじる国家であることを認めたことになります。古来、日本国では、あらゆる人々に神や仏が宿るとして(一神教から見ますと不遜と見なされるかもしれませんが、おそらく、善良で純粋な心のことでありましょう)、人の存在そのものを尊ぶ精神文化が受け継がれてきたはずなのですが…。

 政府が全体主義を良し、とするならば、国民にとって、これ程危険なことはありません(政府が国民の人権を軽視する…)。奇しくも、聖火リレーのリトマス紙が、日本国民に、この危険性を知らせる役割をも果たしたとしますと、何と、皮肉なことでしょうか。 

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日本国政府は在日ビルマ人を支援して

2008年04月28日 18時00分59秒 | 国際政治
ミャンマー大使館前で抗議 怒りの矛先、日本にも(共同通信) - goo ニュース

 昨年、反政府デモに端を発した軍事政権による弾圧は、国際社会から激しい非難を浴び、ようやくビルマでも、新憲法の制定にまで漕ぎ着けました。この新憲法の内容も、民主主義や国民の自由や権利の保障といった側面から見ますと、まだまだ十分な内容ではありませんが、少なくとも、”NO”の意思表示を含めて、国民投票の機会が設けられたことは、僅かなりとも一歩前進とは言えましょう。

 ところが、この憲法制定のための国民投票では、軍事政権は、在外のビルマ人に対して投票権を認めず、蚊帳の外に置いてしまったようなのです。このため、在日ビルマ人の方々が、本国政府の措置への抗議のために大使館前に結集したのですが、何と、この抗議運動を、日本国の機動隊が抑えてしまったのです。これでは、日本国政府が、抗議活動そのものを”暴動”とでも見なしているように見えます。

 思いますに、在日ビルマ人の方々の権利主張は、いたく正当なものですし、本国の民主化と自由化を促す圧力ともなります。日本国は、民主主義や自由主義を擁護する立場にあるのですから、こうした抗議に対して機動隊を用いて鎮圧するといった手荒な手法は避けるべきではないか、と思うのです(まるで、軍事政権の側に立って弾圧しているよう…)。むしろ、抗議の内容を丁寧に聴取し、軍事政権に伝えて圧力をかけるぐらいのことでなくては、アジアの将来を開くことなど到底できないのではないでしょうか。

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交渉は国際法遵守の精神で

2008年04月27日 20時56分52秒 | 国際政治
ダライ・ラマ、中国政府からの対話の申し出を歓迎(ロイター) - goo ニュース

 チベットの亡命政府と中国政府との間で、いよいよ交渉の道が開かれる兆しが見えてきました。交渉の開始については、中国側は、身勝手な条件をつけているようですが、この交渉に当たっては、ぜひ、両国とも、国際法を順守していただきたいと思うのです。何故ならば、もし、両政府の合意内容に、国際法に反する内容を含むものがあれば、アジア、ひいては、国際社会の法秩序が崩壊してしまうからです。

 例えば、第一に、ダライ・ラマ14世は、中国領有を追認した上での”高度な自治”で満足するかもしれませんが、ここは、ウィーン条約に従って「17条協定」を一端無効とする必要があります。侵略が起きる以前の1951年の時点に原状回復し、チベットの主権を取り戻しませんと、武力占領による領有という悪しき先例をつくってしまうからです。自治の問題は、中国との連邦結成交渉を通じて、中央政府と州政府の権限分担の問題として話し合うべきであると思うのです。

 第二に、チベット人の多くが”高度な自治”で不満と言うことになりますと、再び、中国との民族紛争に発展しかねません。そこで、チベットの独立、あるいは、連邦結成の選択は、チベット領内の移住漢民族を除いたチベット族住民、および、在外の亡命チベット人による国民投票で決すべきなのかもしれません。現時点で、国際選挙監視団の監視のもとで国民投票しませんと、漢族移住政策と民族浄化政策によって、もはや手遅れとなるかもしれません(出入国管理権を取り返さないと、やがて、チベットは消滅してしまう・・・)。

 第三に、連邦制となっても、将来的な独立の可能性を残すために、チベットは、連邦離脱権を確保しておくほうが安全と言えましょう(これは、提言ですが…)。

 安易な妥協は、禁物です。真の平和とは、犠牲なき平和であり、両政府は、人類の明日をも背負っているのですから。

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中国に圧力をかける得難い舞台

2008年04月27日 17時38分23秒 | 国際政治
聖火護送リレー 「平和の祭典」からはほど遠い(読売新聞) - goo ニュース

 3月に発生した中国政府によるチベット弾圧事件の報に接し、誰もが、虐待を受けるチベットへの深い同情を禁じ得なかったはずです。長野の聖火リレーにおいて、チベットに対する抗議運動が起きたことを訝る意見もあるのですが、この行為を擁護する理由は、北京オリンピックの聖火リレーこそ、聞く耳を持たない中国に対して、世界各国の人々が、自由に非難の意思を示し、かつ、チベット問題の解決を訴える極めて希少、かつ、貴重な機会であったことに尽きるのではないか、と思うのです。

 もし、聖火リレーがなかったならば、国際社会は、これ程多く、中国に対して意見するチャンスを持てなかったかもしれません。日常にあって、外国人が中国政府と接する機会はほとんどありませんし、中国自身も、国際世論に神経質になることはなかったことでしょう。中国人留学生等の大動員は、中国政府が如何にこの問題に敏感であるかを如実に物語っています。そうして、この中国のポジティヴな反応こそ、聖火リレーを、チベット救済のための天の助けとしてもいるのです。

 50年以上にわたり、民族浄化政策を受けてきたチベットに自由をもたらすためには、あらゆる機会とルートを用いて、中国に、己の非を悟らす必要があります。抗議活動に目くじらを立てるよりも、この抗議の声に、苦しめられてきた人々の救いの願いが込められていることに、思いいたっていただきたいと思うのです。

 そうして、日本国民には、来月に、胡主席の来日と言う、もう一つの抗議のチャンスが待っているのです。

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日本国民は共産主義国の動員に対抗できるか

2008年04月26日 14時35分16秒 | 国際政治
北京五輪聖火リレー、最終走者の野口がゴール(読売新聞) - goo ニュース

 長野で行われた聖火リレーは、テレビの画像を見る限りでは、中国政府に動員されたと見られる多数の中国人留学生によって、すっかり取り囲まれてしまったようです。日本人の多くの人々が、チベット弾圧に心を痛め、中国政府に対する非難の気持ちを持ちながら、少なくとも今回のリレーでは、十分にその意思表示ができなかったようなのです。

 この様子をもって、長野の聖火リレーでは、中国の圧勝であったとする意見も聞かれるのですが、そうとも言えないのではないか、と思うのです。何故ならば、そもそも、両国では政治体制が違い、チベット擁護派の組織力が劣ることは当然のことだからです。共産主義国では、政府が人民の動員を強制することができますが、自由主義国である日本国では、政府は、こうした動員を行うことはできません。もし、日本国政府が、国民を大動員して中国批判を行うことができたならば、結果は、全く逆となっていたことでしょう。動員と直接行動は、共産革命の伝統を持つ中国の土俵なのです(もちろん、抗議行動に参加されました方々は、まことに尊敬に値します!)。

 このように考えますと、動員数で勝敗を決めることは空しく、日本国民は、自由という武器を用いて中国政府のチベット侵略と弾圧に対して闘う必要がありましょう。世論の形成、不買運動、そうして、何より選挙権という強力な手段を日本国民は持っているのですから、日常にあっても、自らの良心を示す機会を生かすように心掛けるべきではないか、と思うのです。

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中国の宣伝戦略の功罪

2008年04月25日 22時04分01秒 | 国際政治
中国、ダライ・ラマ側と接触へ=国際世論に配慮-五輪前の情勢改善狙う(時事通信) - goo ニュース

 中国政府は、ようやくダライ・ラマ14世との間に対話の場を設ける方向に動き出したようです。しかしながら、これまでの中国の宣伝戦略が、あまりに嘘と欺瞞に満ちていたために、この報に接しても、にわかには信じられないのです。

 共産主義の伝統的な宣伝戦略とは、一時的であれ、嘘や空約束がまかり通り、事態を自己に有利な展開に持ち込めば、その後に、嘘がばれようが、約束を破ろうが、一向に構わないというものです。こうした手法は、既に”ばれ”ているのですから、今回の発言も、五輪前の中国批判をかわすための宣伝戦略の一環とみることもできます。ですから、もしかしますと、五輪が終わった途端に、再び態度を豹変させるかもしれません。中国政府は、これまであまりに多くの国々や人々を欺いてきましたので、たとえ、本心から政策転換であったとしても、なかなか信じてもらえないのです。

 その一方で、中国政府のこの発言は、それ自体がダライ・ラマ14世の亡命政府を、公式に正式な交渉相手と認めたことを意味します。中国政府にとっては、宣伝戦略から口に出た言葉であったかもしれませんが、結果として、国際舞台にチベット政府を引き出したことになったのです。このことは、チベットにとっても、国際社会にとっても、決して小さなことではありません。

 最も望ましいシナリオとは、中国政府の宣伝戦略が裏目に出て、両者間の交渉開始が、チベットの主権回復へ向かうことです。そのためにも、中国が、自らの発言に責任を持ち、五輪後においてもチベットに対して誠実で寛容な態度とり続けるのか、国際社会は、厳しい視線で注視してゆかなくてはならないと思うのです。

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中国の”本当の友人”は日本の”打算の友人”

2008年04月25日 14時40分05秒 | アジア
日本は長野で聖火リレーをどのように迎えるべきか 日本と中国の最良の関係とは(ニュース畑) - goo ニュース

 王毅外務次官の”本当の友人”発言は、日本国にあっては、自国に対する”脅し”と受け取られることになりました。そうして、この発言によってさらに明らかになったことは、日中の間では、”本当の友人”の意味する内容が、180度も違うということです。

 中国にとっての”本当の友人”とは、自分たちにって都合のよい人、あるいは、文句も言わずに追従する人を指しているようです。つまり、この定義から解釈しますと、先の発言は、中国を非難せず、ひたすらに中国に尽してくれるような国が、中国にとっての”本当の友人”ということになります。そうして、これには、日本国に対して、自分たちの定義した”本当の友人”として振る舞え、という暗黙の脅しが含意されています。

 一方、日本国で”本当の友人”という場合には、本記事にも論じられていますように、心を許し会えるような人、つまり、たとえ忠告や批難であっても、相手のためを慮って言えるような人、を意味しています。中国式の”本当の友人”は、日本国では”打算の友人”に過ぎません(中国では、日本の”本当の友人”を意味する言葉はありのでしょうか?)。

 常々、日中の間では、歴史認識をめぐって不調和音が奏でられることが多いのですが、”本当の友人”問題についても、永遠に平行線を辿りそうです。そもそも、認識の出発点が違っているのですから、合意に達することはできないのです。中国のものの考え方を理解すれば、実のところ、”友人”という言葉さえ虚しく響くように思うのです。

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中国王朝の冊封体制は領有にあらず

2008年04月24日 17時39分15秒 | アジア
ダライ・ラマが胡氏に書簡 事態沈静化へ協力申し出(共同通信) - goo ニュース

 アジアの歴史を振り返りますと、中国では、周王朝の頃から、周辺諸国との間に”冊封体制”と呼ばれる一種の封建体制が築かれてきました。これは、他の地域でも見られる軍事的相互援助体制であって、同盟の一類型としても捉えることができます。冊封体制は、清朝において最後に残った冊封国である李氏朝鮮が、日清戦争の結果、独立することにより消滅します。

 この過去に消えたばずの冊封体制が、何故、現在にあって問題となるのかと申しますと、中国は、チベット領有の根拠を、1951年に強要した「17条協定」のみならず、歴史的な冊封体制にも求めているからです。つまり、中国は、過去の一時期にあってチベットを冊封したのだから、中国にはチベットの領有権があると主張しているらしいのです。

 しかしながら、これは、現代の国際法のルールではありませんし、封建体制にあって、位階的な主従関係が生じるのは当たり前のことです。もし、この封建制の論理が現代にも通用するとなれば、ヨーロッパ諸国の国境線も大混乱することになるでしょうし、過去に冊封を受けたタイ、ベトナム、朝鮮半島の両国なども、中国の領域ということになりましょう。

 冊封体制には、歴史的に見ましても、たとえ上下関係や権限の制約を多少とも含んでていたとしても、領有や併合の意味はありませんでした。ダライ・ラマ14世には、ぜひ、中国政府に対して自国の独立的な立場を、歴史的根拠と国際法の両面から説いていただきたいと思うのです。チベット仏教の非暴力主義が、交渉によるチベットの主権回復として実を結ぶことを願っています。

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消費者庁は独立行政委員会タイプがよいのでは

2008年04月24日 12時34分28秒 | 日本経済
首相が消費者庁創設を明言、カラー鮮明化で失地回復に狙い(読売新聞) - goo ニュース

 消費者庁とは、消費者の安全や利益を守ることを目的として設置されます。この目的の趣旨に照らしますと、消費者庁は、首相直属の内閣府の外局ではなく、公正取引委員会や証券取引委員会と同様の、独立行政委員会型のほうがよいのではないか、と思うのです。

 その理由は、消費者庁の役割が、いわば、市場における”ポリス”や”レフェリー”であるからです。つまり、全ての企業に対する中立・公平性を確保しませんと、消費者行政に、偏りや政治的な介入が生じてしまう恐れがあるのです。特に中立性が強く要求される政策分野にあっては、時の政権によって左右されるべきではなく、権力分立の観点からも、消費者政策の責任者は、任期制の独立的な身分を保障されるべきと考えるのです(ルールは議会で立法されますので、行政機関は、ルールの執行者に過ぎない・・・)。

 警察や裁判所も独立性が制度的に保障されていませんと、国民からの信頼性を確保できなように、消費者庁にも独立性が備わっていなくては、最も重要な信頼性を欠きそうです。制度設計は、その政策の本質を見極めて行うべきなのではないでしょうか。

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”フリー・ジャパン”を叫ぶ時代が来るのか

2008年04月23日 17時26分26秒 | 国際政治
「できれば入国お断り」 国境なき記者団に政府苦慮(朝日新聞) - goo ニュース

 長野における聖火リレーでは、留学生を中心として数千人の規模の中国人市民団体が、中国擁護のために押し掛けると伝えられています。その一方で、政府が、国境なき記者団の入国を制限するとなりますと、これは、我が国の憲法体制を揺るがす自由への抑圧を意味することになるのではないでしょうか。

 そもそも、中国側の行動だけはお咎めなしで、西欧諸国の抗議団体だけを規制しようとすること自体、極めてバランスを欠いた措置です。わが国では、憲法において、言論の自由も、集会の自由も、そうして、思想の自由も認められています。入局拒否の法的根拠が見つからないのは当然であって、日本国憲法下では、こうした自由を政府が奪ってはならないのです。この広範な自由を悪用して、中国側は、平気で他国において自国民の動員を行い、政治的な活動をさせるのですが、むしろ、政府に取り締まっていただきたい行為とは、実力行使をも辞さない中国応援団の過激な行動のほうと言えましょう。

 共産主義国による内政干渉まがいの行為を保護する一方で、欧米諸国の抗議活動を取り締まったとなれば、我が国は、中国と同列の自由のない国になってしまいます。国際社会は、こうした日本国をどのように見るでしょうか。”フリー・ジャパン”を叫ばなければならないような時代が来るとすれば、それは、悪夢といえましょう。

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平和を約束しない平和論

2008年04月23日 13時20分40秒 | 国際政治
伊東 乾の「常識の源流探訪」 紛争はいかに解決されるか? 「防衛省」は「平和省」への脱皮を図れ!(CSR解体新書38)(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

 犯罪を取り締まるためには警察力を要するように、人々の自由や権利を守るためには、どうしても力の行使が必要なものです。刑法だけが存在しても、それは、人々の安全を守ることにはならないからです。

 この当然の事実に照らしてみますと、名古屋高裁で示された自衛隊のイラク派遣を違憲とする付帯意見を、平和の実現に一方近づいたとして喜ぶのは、どうもおかしいと思うのです。何故ならば、この判決を評価する人の論理は、平和の実現⇒武力の放棄⇒平和の実現であって、それ自体が硬直したトートロジーに陥っているからです。この論理の経路には、平和の実現⇒武力の放棄⇒戦争の発生という可能性を始めから排除されてしまっています。

 その一方で、非暴力主義を尊び、無防備に近かったチベットは、中国の人民解放軍によっていとも簡単に占領され、チベットの人々の多くもまた無残に虐殺されたました。この事実は、軍事力の否定は侵略戦争を誘発しますし、大切な国民の生命と自由さえも侵害される恐れが強いことを証明しています。武力行使を否定する平和論は、平和を約束しない論理であり、「平和的生存権」とは、防衛力なくしては守れないと考えられるのです。

 防衛省とて、絶対的平和主義者の人々を含めて、自国の安全と国民の生命、身体、財産を守っているのですから、それを、あたかも悪事をなしているかのように貶すのは、筋違いであると思うのです。国際法においても、自衛権も集団的自衛権も、全ての国家に認められている正当な権利なのですから。 

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異国で猛威をふるう現代の胡衛兵

2008年04月22日 17時36分28秒 | 国際政治
ダライ・ラマ、パリ名誉市民に 市議会決定に中国の反発必至(共同通信) - goo ニュース

 1966年8月、北京では、社会主義文化革命の狼煙が上げられ、その後、およそ2年間にわたって、毛沢東路線を守るべく、暴力による反対派の粛清と弾圧を使命とした紅衛兵が、中国全土に猛威をふるうことになりました。この時代にあって、集団ヒステリーを患った紅衛兵の犠牲者となったのは、反革命分子というレッテルを貼られた自国民の人々でした。あれから40年以上も経った現代にあって、この光景が、今度は世界を舞台として繰り広げられているように見えるのです。

 世界各地にばらまかれた現代の紅衛兵ならぬ、胡体制を守る胡衛兵は、表面的には民間人の団体を装っています。しかしながら、文革の時と同じように、彼らは、共産党によって”反革命分子”とみなされた人々、つまり、チベット支援団体や人権擁護団体を、一方的に、実力行使による弾圧の標的にしているのです。しかも、中国の主権の及ばない異国の地の外国人に対して・・・。この結果、自称の”市民団体”が”市民団体”に対して攻撃を加えるという奇妙な展開となり、明らかに政治問題でありながら、各国政府は、この”市民団体”への対応に手をこまねく状況に陥ってしまいました。国民に対して党の命令への服従を強要しながら、自由主義諸国では、市民を装うように命じるという、中国政府の言論や行動の自由を逆手に取った手法は、あるいは計算されつくされた作戦なのかもしれません。本当は、相手国に対する重大なる主権侵害行為であり、内政干渉なのですが・・・。

 まさか、中国政府が、この機に及んで長年自らの懐で温めてきた”世界同時革命”の理想を実行に移しているとは思えませんが、各国での中国の横暴は、危険水域にまで達しています。そろそろ、”中国市民”の仮面を剥ぎ、チベット問題を政治の表舞台で議論しませんと、自由主義諸国の人々もまた、自国にありながら、胡衛兵によって、自由や権利を抑圧されてしまうことになりかねないのです。
 
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チベット侵攻とポーランド侵攻は同罪

2008年04月21日 18時36分04秒 | 国際政治
中国共産党が冷静さ求める 欧米批判広がる中、国民に(共同通信) - goo ニュース

 第二次世界大戦勃発の原因となったポーランド侵攻は、ナチス・ドイツの侵略行為として、戦後、連合国諸国から厳しく断罪されることになりました。もし、連合国の正義が”侵略”との闘いにあるならば、やはり、中国のチベット占領も”侵略”としなくては、公平性を欠くことになると思うのです。

 ポーランド侵攻とチベット侵攻は、本質的に見て同じ行為です。両者とも、一方的な植民計画の下で実行され、侵略国の支配は、被支配民族の社会・文化的な抹殺にまで至りました。そうして、抵抗する人々は、国家反逆罪などの罪の名の下で、虐殺されたのです。

 ポーランドとチベットの運命を分けたのは、ポーランドが、イギリスとフランスとの間に同盟条約を結んでいたことです。このため、ポーランドが独ソの侵攻を受けた直後の9月3日には、英仏両国は、ドイツに対して宣戦布告を行うことになりました。しかしながら、第二次政界大戦にあって、中立政策をとっていたチベットには、侵略を受けても共に戦う同盟国がおらず、人民解放軍の侵攻に抵抗する軍備も持ち合わせていなかったのです。

 戦後に至って、ポーランドは、ポーランド侵攻のもう一人の当事者であるソ連により、”解放”という名の占領を再び受け、ようやく自由と独立を手にしたのは、21世紀を目前としてのことです。国際社会は、50年前にチベットを見放したことを反省し、今度こそ、チベットの自由と独立のために力を尽くすべきではないか、と思うのです。

 そうして、中国政府も中国国民も、冷静にこの事実を認め、何故、世界各地で反中運動が起きているのかをよく理解し、植民地主義や帝国主義が過去の遺物である現実を直視すべきと言えましょう。中国が、チベット併合の根拠としている「17条協定」の第1条には、”チベット人以外の帝国主義侵略勢力を放逐する”という一文がありますが(中国は、イギリスを想定・・・)、この”帝国主義侵略勢力”こそ、自らであることを悟るべきなのではないでしょうか。

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中国抜きの経済戦略は可能か?

2008年04月20日 18時01分01秒 | 国際経済
【五輪の中国】第3部 聖火異変(5)「人権」叫ぶEUの悩み(産経新聞) - goo ニュース
 
 チベット弾圧を契機に、共産主義国家中国の異質性が、日を追うごとに明らかになる中で、先進諸国およびグローバル企業は、あるシュミレーションを想定する時期に差し掛かってきているのかもしれません。それは、中国抜きの経済戦略です。

 もちろん、こうした景気動向にマイナス影響を与えるようなシナリオについては、新聞やメディアは、表立っては取り上げないでしょうし、現に、中国進出を検討している企業もあります。しかしながら、マキャベリの箴言には、”他者をして強大になる原因を作った者は、自らを滅ぼす”と言葉があります。この箴言が物事の成り行きを言い当てているとすれば、これ以上、中国経済が力をつけることは、自らへの滅びの道を準備することになるかもしれないのです。

 第1のリスクは、政治的な安全保障上の危機です。これは、幾度となく指摘されてきたことですが、経済力と技術力を背景とした中国の軍事力の脅威によるものです。第2のリスクは、経済的な連鎖崩壊です。経済関係を絆として相互依存関係が深まりますと、当然に、万が一中国で経済崩壊が生じたときに、自らもまた、その崩壊の渦に巻き込まれることになります(現実に、バブル崩壊の兆しが・・・)。第3に、中国の人権弾圧に与する国、あるいは、企業とみなされ、国民や消費者からそっぽを向かれることも懸念すべきリスクの一つです。

 現状を維持した状態で、中国が、これ以上の力をつけることは、あまりに危険です。中国が、民主化され、かつ、再編されるまで、先進諸国は辛抱強く待った方が賢明であるかもしれないのです。それまでの間は、他の新興国との経済関係を深め(中国以外にも、有望で安全な市場はある・・・)、中国に対しては、距離を置き、国際社会のルールを守り、人権弾圧や侵略を止めるように説得する方が、長期的には、国際社会にとっても、中国とってもプラスなのではないか、と思うのです。

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