万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

あまりに身勝手な韓国の徴用工判決

2018年10月31日 13時51分09秒 | 国際政治
「国際裁判所」カードでけん制=政府、韓国の対応見極め―徴用工判決
昨日10月30日、韓国の最高裁判所は、戦時中の朝鮮半島における戦時動員に関して、今日の日韓関係にも重大な影響が及ぶ判決を言い渡しました。それは、被告である同企業は、当時にあって日本企業の下で勤労動員された韓国人原告に対して損害賠償を支払う義務があるとするものです。同裁判所は、‘違法な植民地支配の被害者’として扱っておりますが、韓国司法判断は、あまりにも身勝手なのではないでしょうか。

 身勝手である第一の理由は、徴用工の未払い賃金分を含めて同問題を最終的に解決した1965年の「日韓請求権協定」において‘植民地支配の償い’を強く求めたのは、当の韓国側であったからです。難航した同協定の交渉過程にあって、日本国側は、当初、サンフランシスコ講和条約の第4条に基づく両国間の国と国民の財産請求権の清算として理解していました。日韓の間に戦争状態はなく、当然に、日本国が朝鮮半島を攻撃して損害を与えた事実はなかったからです。また、併合時代を通して、日本国は、常に同地域に財政移転を実施すると共に、官民を挙げてインフラ整備等への巨額の投資も行っていました。日本国には、国際法に照らしても戦争被害を賠償する義務は全くなかったのです。

講和条約第4条の主旨は韓国独立に際しての相互清算にあり、これを原則に財産の相互清算を行えば、むしろ韓国側に日本国に対して支払いを行う義務が生じておりました。それにも拘わらず、同協定において日本国側が多額の経済支援を実施する方向で合意したのは、朝鮮戦争を背景としたアメリカの政治的圧力(西側陣営支援の意図…)、並びに、韓国側による‘植民地支配の償い’要求があったからです。日本国政府は後者の主張は認めないものの、経済支援という名目の下で多額の資金を韓国に対して提供することで妥協します。この時、戦争被害が存在しない韓国が多額の支援金を受け取ることができたのは、‘植民地支配’という別の根拠を持ち出したからに他ならないのです。今般、韓国の最高裁判所が過去の経緯を無視して同根拠を持ち出すのは信義則に反する態度であり、悪質な‘二重払い請求’とも言えます。仮に、協定上の賠償責任があるとすれば、それは、韓国政府に他なりません(歴代政権は解決済みと認めている…)。

第二の理由は、韓国側の一方的な被害者意識です。同国の言い分は、‘日本国による朝鮮半島統治は違法であり(実際には、韓国併合条約に基づく合邦のようなもの…)、その時代に実施された戦時動員は違法な強制労働に当たる’というものなのでしょう。この論に基づけば、日本国が韓国を一方的に支配し、その国民に損害を与えたことになります。しかしながら、韓国は、韓国を護るために日本国が払った多大な人的・経済的犠牲を全く無視しております。そもそも、清国の冊封体制から韓国が独立できたのは、日清戦争にあって日本国民が血を流して戦ったからです。通常、国家独立に際しては、自国民が命を賭して戦うものですが、軍事力を脆弱であった韓国の場合、代わって日本国民の血が朝鮮半島独立のために流されたのです。確かに、朝鮮半島の防衛は間接的には日本国をロシアの脅威から守るためには必要ではありましたが、それが唯一の選択肢であったのか、と申しますと、そのために払われた日本国民の犠牲を考慮しますと再検証して見る価値はあるように思えます。

また、日本統治時代には、日本国は自国の国内投資を後回しにしても朝鮮半島の近代化に予算を投入しておりますし、戦時にあって、朝鮮半島の人々が徴兵されることもありませんでした(末期に徴兵は実施されたものの、戦地に配属されることはなかった…)。戦地で命を落とし、激しい空襲を受けて犠牲となったのは日本人であったのです。日本統治下にあって朝鮮の人々は国民としての義務を免除され、優遇された側面もあるのですから、日本統治=‘植民地支配’=被害とする三段論法的主張は、歴史上の事実を無視しています。

韓国最高裁判所の判決を受けて、日本国政府は、「日韓請求権協定」に定められた規定に従うか(両国間の外交交渉を行うものの、それでも解決に至らない場合には仲裁に付す)、あるいは、ICJ(国際司法裁判所)への提訴を辞さない構えのようです(日本国政府、並びに、日本企業が常設仲裁裁判所に訴える選択肢も…)。報道に拠りますと、韓国政府が救済基金を設立し、日本国政府、並びに、日本企業が同基金に拠出するとする案があり、おそらくこの案は、勝ち目のない司法解決を避け、二国間での外交交渉の段階で解決したい韓国側の意向なのでしょう。しかしながら、韓国司法による日本企業の資産差し押さえ等は免れたとしても、これでは実質的に賠償支払いに応じたこととなり、日本国が‘二度払い’を行うことを意味します。上記の歴史的経緯を考慮すれば、日本国側が、同案に合意するはずもありません。この案に日本国が安易に乗じれば、国際法秩序の破壊行為に加わることにもなりかねませんので、ここはやはり、韓国の無法と非道を国際法廷の場に訴え、国際社会に法の支配を確立する上でも、法的な解決に委ねるべきではないかと思うのです。

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時間経過と共に日本国が不利となる日中経済関係

2018年10月30日 14時00分02秒 | 日本政治
アメリカのペンス副大統領の演説が米中新冷戦の始まりを告げたとも評される中、先の安倍晋三首相の中国公式訪問は経済優先の感があり、その先行きが危ぶまれております。経済的利益が期待される一方で、必ずしも日本経済にプラスに作用するとは限らず、最悪の場合には、アメリカの対中経済制裁に中国経済が耐えられず、日中心中に終わるリスクもあります。そして、それが安全保障上のリスクと背中合わせなだけに、来るべきリスクへの対応は緊急を要します。

 経済分野における日中改善の評価の多くは、短期的な利益予測に基づくものです。首相訪中に帯同した日本企業の中にも、中国市場への参入や中国との共同プロジェクト等のチャンスを得た社も少なくなかったことでしょう。一帯一路構想への間接的、否、裏口からの参加とも目される第三国でのインフラ事業共同融資事業などもこの一例です。先走って‘日中合作時代’の到来を予測する識者もおられますが、日中関係の深化は、時間が経過するにつれ、日本側にとりまして、政治経済の両面において不利な方向に傾斜してゆく可能性は否定できないように思えます。

 例えば、上記の第三国でのインフラ事業に対する共同融資事業にしても、日本国側には長期的な利益となるものは殆ど残りません。途上国に対するインフラ融資とはもとより高い収益性や経済支配ではなく支援先の経済発展や生活レベルの向上が目的ですので、最悪の場合には融資が焦げ付き、日本国側が事実上の’連帯保証人’として損失を被るリスクもあります。一方、中国にとりましては、一部であれ、一帯一路構想上のプロジェクトが実現するのですから、世界支配に向けて一歩前進したこととなります。

また、連日の上海市場の株価下落や人民元の為替相場安、そして、米中貿易戦争から予測される外貨準備の減少からしますと、中国の金融市場はもはや安全な投資先ではなく、将来的にも有望な成長市場と判断することも難しいはずです。中国では、起業数が多い分だけ倒産数も多く、今後の景気悪化は後者を増大させますし、成功した稀な企業も、共産党の息のかかったテンセントやアリババに吸収される運命にあります。日中通貨スワップ再開に関する邦銀救済説が事実であれば、日系の金融機関は、参入どころか中国経済の崩壊を見越した撤退の準備を始める時期となりましょう。

 さらに、日系企業の中国市場における新規事業の拡大についても、二の足を踏まざるを得ないようなマイナス情報に満ちています。毛沢東時代への回帰を志向する習近平独裁体制が強化されて以来、中国共産党による民間企業に対する支配は一段と強化されています。中国では、民間企業と雖も共産党員の配置が法律で義務付けられており、経営に口を出すルートが確保されています。企業統制の強化は、当然に外資系企業や外国企業との合弁会社等にも及びますので、日系企業の‘中国進出’は、中国共産党による‘日本支配’とセットとなっているのです。

しかも、長期的に見ますと、ここでも日本企業は苦戦を強いられます。今般の日中関係改善については、アメリカが知的財産問題に神経を尖らせる折、同国からの先端技術の入手が困難となった中国側が、「中国製造2025」を実現するための代替供給地として日本国に白羽の矢を立てたとする説明があります。しかしながら、メディア等の報道によりますと、中国のシリコンバレーとも称される深センを擁する中国の技術力は既に日本国を上回っており、最早、日本国の技術を必要としていないともされています。この説が正しければ、日本の技術力目的説は疑わしく、中国の対日接近の目的は金融面に絞られており、既に不要となった、あるいは、技術を吸収し尽くした日系企業は、やがて中国企業が構築するサプライチェーンに組み込まれるか、資金力に優る中国企業のM&Aによって買収されるか、あるいは、巨体化した中国企業の直接的な進出によって国内市場のシェアさえ失うこととなりましょう。

そして、日本経済が中国経済との結びつきを強めますと、時間の経過とともに相手国への依存度は日本国の中国依存へと傾き、それは、中国に対して強力な対日‘経済締め付けカード’を渡すことを意味します。その前例として、韓国において、THAADの配備をめぐって中国との関係が冷却した際に、中国は、中国市場に進出した韓国企業に対して厳しい制裁措置を課しています。経済的威嚇の効果なのか、韓国では親北の文在寅政権が誕生し、北朝鮮、並びに、その背後に控える中国のメッセンジャー役に堕しています。日本経済が中国経済に依存すればするほどに日米同盟も脆くなり、いわば、経済を中国に‘人質’に取られる格好となるのです。

米中関係については、真珠湾攻撃前夜の日本国に中国を喩える見解も見受けられますが、両国が太平洋戦争の開戦に匹敵する程の緊迫状態にあればこそ、たとえ中国が微笑みを浮かべて近づいてきたとしても、迂闊には応じられないはずです。日本国は、自らの安全をも脅かす非人道的な全体主義国家中国と運命共同体にされる道だけは、決して歩んではならないと思うのです。

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外国人労働者受け入れ賛成多数の不思議-グローバルな潮流の逆

2018年10月29日 10時27分10秒 | 日本政治
「在留資格拡大」に賛成51%…読売世論調査
新聞各社では、目下、国民の関心を集めている外国人労働者の受け入れ政策について、国民の賛否を調べるべく世論調査を実施したようです(日本経済新聞社や読売新聞社など…)。何れの調査結果でも、外国人労働者受け入れ賛成が過半数を越えていますが、この数字、日本国の世論を正確に反映しているのでしょうか。

 何故、疑いを抱くのかと申しますと、つい数年前までは、移民政策に対する反対意見が圧倒的多数を占めていたからです(国際的な定義では、一時的であれ、国境を越えた人の移動は移民とされる)。過半数の賛成が一般世論であれば、僅か数年の間に日本国民の多数が移民政策に対す賛否の態度を変えたことになります。それでは、賛否の比率を逆転させるほど移民政策にとりまして好材料があったのかと申しますと、事実は全くの逆です。

全世界規模で移民反対の動きが顕在化しており、イギリスのEU離脱やアメリカのトランプ政権の誕生の背景には、増え続ける移民に危機感を感じた一般国民の移民反対の世論があったことは周知の事実です。移民の増加は、雇用問題、賃金低下、治安の悪化、社会的亀裂、増加した移民に対する社会保障・福祉・教育・医療費負担による財政悪化、ヘイトスピーチ規制の名の下における言論統制、文化や伝統の消滅危機など、それに付随する様々な負の問題を引き起こすからです。さらに巨視的な見方をすれば、主権平等と民族自決を原則とする国民国家体系崩壊の危機にも繋がりかねないリスクも指摘し得るのです(世界政府樹立への布石?)。

 しかも、今現在、北米大陸では5000人とも推計される移民集団がホンジュラスからアメリカに向けて北上しており、国境地帯に米軍が展開される事態に至っています。おそらく、何らかの政治的意図を有する勢力が組織化したのでしょうが、ヒスパニック系の米国民以外の一般の米国民は大挙して押し寄せてくる移民に不安を募らせていることでしょう。シリア難民の大量受け入れで大混乱に陥ったドイツでも、張本人とされるメルケル首相率いる与党は各種選挙で連敗を続けており、同首相は、退陣要因を自らの手で作った観があります。加えて、ヨーロッパのみならずブラジルでも、‘ブラジルのトランプ’とも呼ばれ、‘ブラジル・ファースト’を掲げたジャイル・ボウソナロ下院議員が、今月28日に実施された大統領選挙で当選を確実にしました。メディアでは、ポピュリズムと称して批判的に報道されていますが、全世界的な潮流は、明らかに、‘移民反対’、‘自国民ファースト’なのです。

 こうした‘移民反対’、‘自国民ファースト’というグローバル・レベルでの潮流に照らしますと、日本国の世論調査の結果はこの流れを逆流しているとしか言いようがありません。マスメディアは、常々、日本国民に対して世界に対して目を開き、グローバル化の流れに乗り遅れないよう説教していますが、今般の世論調査結果が真の‘世論’であるならば日本国はグローバル化に逆行しており、日本国のグローバル化は遅々として進んでいないことになります(もっとも、マスメディアは、’グローバル’を国家や国境をなくして一つのグローブ=地球とする方向性として定義しているのかもしれない…)。

もっとも、日本国ならではの事情があるとしますと、少子高齢化による人手不足なのでしょうが、今般、問題視されている新たな在留資格の創設に際して、介護や建設などの一部分野を除いて政府が対象分野を明確にできず、人手不足の分野を洗い出しているとする報道があるところからしますと、本当のところは怪しいようです(立法を急ぐほど差し迫った危機であるならば、今さら調査する必要はないはず…)。AIやロボットの導入による雇用減少の方が余程現実味を帯びておりますので、むしろ、国民の多くは、将来的な雇用の減少を敏感に感じ取っているのではないでしょうか。また、移民問題に苦しむヨーロッパ諸国の現状は、シリア難民問題は別としても、1970年代以降、人手不足から移民労働者を積極的に受け入れた結果なのですから、人手不足の解消策であれば移民問題は発生しないとは言えないはずです。

これらの調査では、‘移民’という言葉は極力避け、国籍付与についても触れていませんが、永住資格の要件充足は、国籍取得の要件を充たすことでもあります。また、家族の帯同が許される資格を取得しますと、今般の法案にあってたとえ厳しい条件を付したとしても、政府も事業者も家族全員を管理下に置くことはできませんし、受け入れ人数の制限も無意味となります(中国残留孤児の場合、一人の孤児の帰国によってその何十倍ともされる家族が日本国内に居住することになった…)。現在でも、過激派を含む左翼活動家には朝鮮半島出身者、並びに、その子孫が多いとされていますが、在留資格保有者であれ、永住者であれ、国籍取得者であれ、人口パワーを有する中国系の人々が増加しますと、中国政府の動員によって国内でテロや工作活動が発生しないとも限りません。加えて、フィリピン政府が国内においてISとの闘いに苦慮しているように、東南アジア諸国にもイスラム過激派との繋がりがある人々がおり、移民として日本国内に潜入してくる可能性もあります。

なお、同調査結果では、自民党支持者にあっても賛成派が過半数を上回るとされていますが、保守政党を自認する自民党も、外国人受け入れ政策を前面に掲げて次の選挙を闘うのでしょうか(もっとも、政府は、総選挙を待たずして同法案を通したいらしい…)。仮に、世論調査の結果と現実の国民世論との間に乖離があるとしますと、選挙結果に‘読み違い’が生じるかもしれません。一方の野党側は、日本人保護と言うよりも、外国人労働者の人権保護に主たる反対理由があるようです。与野党何れを見ましても、日本国民に対して優しい政党は存在していないようなのです。

最近の世論調査は、政府、あるいは、そのバックとなる勢力の目的や既定路線の政策に根拠を与えるために予め結果が準備されているかのような事例が少なくありません。一般の国民が反対しそうな政策でも、何故か、賛成多数の結果が公表されるのです。百歩譲ってこれらの調査が信頼に足るとしましても、‘賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ’とも申しますように、日本国が移民問題の深刻さを経験していないが故に国民多数が賛成に転じたのであれば、それもまた危険な兆候です。ローマ帝国滅亡の歴史のみならず、人類史は、移民が契機となって国家が崩壊したり、解決困難な問題を社会が抱え込んだ事例に満ちているのですから(アメリカの人種差別問題も元を質せば人の移動という移民問題に起因…)。

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日中通貨スワップ協定再開の危うさ

2018年10月28日 15時03分32秒 | 日本政治
「日本車に20%関税を」トランプ氏が警告
日本国の首相としては7年ぶりの公式訪問となる安倍首相の訪中の成果については、賛否両論が渦巻いているようです。評価ポイントとして挙げられているが、安全保障分野はともかくとしても、対中協力によって日本国側も経済的利益を得ることができるとする点であり、しかしながらこの実利論、中国を取り巻く国際環境からしますと、実利どころか日本国側の損失になりかねないリスクが潜んでいるように思えます。

 とりわけ、その評価が分かれるのは日中通貨スワップの再開です。この件については、アメリカが中国を高関税政策で追い詰めたにも拘わらず、同盟国である日本国が敵国に逃げ道を準備するような行為として、ネット上では批判を浴びていました。この批判に関しては、以下の二つの全く正反対の視点からの擁護論があります。

その一つは、日中両政府の公式の見解であり、それは、アメリカからの対中投資の減少を日本からの投資で補いたい中国の意向と、13億の市場において事業を展開したい民間企業を抱える日本国側の要望が一致したというものです。つまり、凡そ3兆円のスワップ枠は、いわば、同市場で既に融資業務を実施している邦銀を介して政府保証の役割を果たすという説明であり、日本企業の中国進出を金融面から支えるとされています。この説明では、今後、中国経済は、日本国の支援を受けることでアメリカからの経済制裁を凌いで順調に発展する一方で、日本国企業も、中国政府の後ろ盾を得て同市場で事業を拡大させるというものです。この側面だけを切り取れば、確かに、両国間にはウィン・ウィンの関係が成立するようにも見えます。

それでは、もう一つの擁護論と言うのは、どのようなものなのでしょうか。それは、日本国政府は、既に中国経済からの撤退を決意しており、凡そ3兆円の通貨スワップ枠は、中国市場で人民元建パンダ債を発行によって現地通貨での融資を実施している邦銀を救済するために準備されている、と言う説です。アメリカの締め付けによって中国経済は程なく崩壊過程に入り、人民元建て債権が回収不能となった邦銀も経営危機に陥るので、今般、スワップ協定を再開すれば、これらの邦銀が中国の中央銀行が日銀に提供する人民元で速やかに手当てできると説明されています。邦銀の融資先は、中国企業のみならず、現地で事業を行っている日本企業も多く、通貨スワップは日本企業救済策となるのです。一方の中国側も、外貨不足によるデフォルト危機を日銀によるハードカレンシーである円の提供で緩和できますので、この説でも、両国間にはウィン・ウィン関係が成立します。

融通枠を10倍にまで拡大させた日中スワップ協定再開の評価については、その目的自体が不明であり、上述したように、事実認識が全く異なる凡そ二通りの擁護論があるのですが、何れの説であっても、日本国側にとりましては、プラス面ばかりを期待できるわけではありません。

第一の説では、日本国側の短期的な経済利益優先の方針は、アメリカに対する背信行為となり、政治経済両面における日米関係の悪化が懸念されます。日米通商協定交渉にあってもアメリカの態度は硬化し、日本国に対して妥協どころかさらに厳しい要求を突き付けてくるかもしれません。中国市場への進出は果たした日本企業も、中国共産党による厳しい監視下に置かれるのみならず、米中貿易戦争に起因する景気減速の煽りを受けて事業収益は赤字となる可能性もあります。また、目下、上海や深センの株式市場では株価は下落傾向にありますが、欧米諸国の資本が引き上げる中、日本国の金融機関が最後に‘ババ’を引くことにもなりかねないのです。日本経済が中国経済に組み込まれますと、日本国も中国と運命を共にし、危険水域にあるチャイナ・リスクを被ることなりましょう。

第二の擁護論は、凡そ発生が確実視されている損失に対する対処法となりますので、邦銀の損失を最低限に抑えるための措置に過ぎません(損失の最小化…)。つまり、最初の前提からしてマイナスから始まる説であり、到底、ウィン・ウィン関係として絶賛し得るものではないのです。もっとも、アメリカとの関係については、邦銀等の救済に目的を限定することを条件にアメリカも容認しているともされ、前者よりは、両国間の関係に悪影響を及ぼす度合いは低いかもしれません。

 どちらの説が正しいのかにつきましては、今のところ、的確に判断するだけの十分な情報がないのですが、少なくとも、日中通貨スワップ協定の再開は、両国のルーズ・ルーズ関係に終わるケースも想定されます。日米同盟に安全保障を大きく依存し、経済面においても重要な貿易相手国である米国は、既に中国との間で対中貿易戦争の只中にあり、こうした状況下での日本国の親中路線への転換は、安全保障面のみならず、経済面においても必ずしも日本国側に利益をもたらすとは限らないのではないかと思うのです。

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日中関係新3原則のリスク-日米同盟の根拠が消える?

2018年10月27日 13時17分47秒 | 国際政治
安倍首相が習近平主席と会談、日中新時代へ「競争から協調へ」など新3原則確認 李首相には「人権状況注視」言及
日本国の首相としては7年ぶりとなる安倍晋三首相の中国公式訪問は、期待されていた日中両国関係の安定化よりも、波乱含みの展開となる気配がいたします。同訪問、‘新次元’への移行を印象付けるためか、新たに3原則を打ち出すという気の入れようなのですが、何れの原則も、如何にも共産主義者が好みそうな耳に心地よい美辞麗句であるに留まらず、リスクに満ちているように思えるのです。

 日中関係の新たな原則とは、「競争から協調」、「脅威ではなくパートナー」、並びに、「自由で公正な貿易関係の発展」の3つです。首相訪中に際しては、日中両国間で特別な共同文書を作成しようとする動きもありましたので、同3原則の公表は、中国警戒論に起因する反対論に配慮した妥協の産物であったのでしょう。何れにしても、敢えて新たな原則を打ち出した背景には、同訪問を日本国の対外政策の転換点に位置付けたい勢力の思惑が推測されるのです。

 特に注目すべきは、第2原則として掲げられている脅威の否定です。中国の対日脅威論は過去の歴史に基づく感情論ですが、日本国に対する中国の脅威は現在進行中の問題です。中国の暴力主義的な行動を直視すれば、‘同国に対して脅威を抱くなかれ’と諭されても、それは、到底、無理なお話です。にもかかわらず、平然と原則の一つに置いたのは、中国の野心に満ちた行動が脅威となっている現実があるからとしか言いようがありません。仮に、脅威というものが、中国が主張してきたように存在しなければ、敢えてこの文言を原則化する必要はなく、第2原則は、中国の脅威が実在する証でもあるのです。

 そして、第2原則の文言通りに、首相の訪中を機に日本国の外交方針が親中へと180度方向転換したとしますと、その後の展開はどのように予測されるのでしょうか。中国の脅威の消滅は、同時に日米同盟の存在意義が消え去ることを意味します。今日の日米同盟とは、高まる一方の中国の軍事的台頭を前にして、日米共同で対処する事態を想定して強化されてきております。こうした中で、日本国と中国が‘和解’してしまいますと、アメリカには、日本国と軍事同盟を組む必要性がなくなるのです。

トランプ大統領は、防衛予算削減の観点から日米同盟の終了を秘かに望んでいるのかもしれませんが、‘新冷戦’の下で米中の軍事的対立が激化すれば、アメリカは、事実上、日本国という前線の軍事拠点を中国に明け渡すこととなります。そして、日本国は、今度は、中国の最前線の要塞として位置付けられ、再度、アメリカと対峙させられるのです。この展開は、どこか、朝鮮半島の南北融和路線に似通っており、安倍首相は、朝鮮戦争の年内終結を表明した韓国の文在寅大統領の役回りを演じているかのように見えます。同大統領の発言が、駐韓米軍の撤退、並びに、米韓同盟の終了の議論を呼び起こしたのは記憶に新しいところです。日中両国による相互的な脅威の否定は、休戦状態ではないものの、日中平和友好条約締結後にあっても水面下で続いてきた両国間の敵対関係の終了を意味するのですから、日本国政府は、自ら日米同盟の根拠を切り崩すという極めて危険な行動を採っていることとなるのです。

安倍政権が、この展開を予測していながら親中路線に舵を切ったとしますと、同盟国のアメリカ、並びに、一般の日本国民にとりましては、手酷い裏切りともなりかねません(もっとも、アメリカの訪中評価については、トランプ大統領黙認説もある…)。この方針転換は、独裁的な全体主義国家と手を結んだ戦前の日独伊三国同盟をも想起させますが、日英同盟が切れた状況にあった当時よりも、日米同盟が継続中の今日の方が、余程、同盟国に対する信義に悖り、不誠実と言えましょう。そして、一般の日本国民にとりましてもこの問題は切実であり、自国が非人道的な精神性を以って恐怖政治を敷く中国と与することには大多数の人々が反対なはずです。

古来、対立する両者の間に入って双方から利益のみを得ようとする狡猾な‘蝙蝠外交’は、マキャベッリも『君主論』で中立政策に関して指摘したように、何れからも信頼されず、得てして自滅する運命を辿るものです。日米通商交渉における対米牽制を目的に、むしろ日本国側が中国を利用したとする説もありますが、アメリカ側が対中政策の文脈で日本国の要求を呑んだ場合、日本国政府は、今般の方針をあっさりと覆し、上記の3原則を破棄するのでしょうか(中国側は激怒して全ての責任を日本側に負わせ、より暴力的な行動に出るのでは…)。日本国政府が自らを窮地に追いやる道を歩み始めたとしますと、悲劇を招いた痛恨の判断ミスとして歴史に残されるのではないかと懸念するのです。

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日本国はダークサイドに落ちるのか―日中友好の行方

2018年10月26日 10時59分11秒 | 国際政治
安倍首相、日中「新次元」を模索=「尖閣」「北朝鮮」懸案ネックに
昨日、安倍首相は中国を公式訪問し、早々、同国の李克強首相と会談しました。米中対立で窮地にある中国側は首相訪問に対して歓迎一色のようですが、日本国内では、警戒論の方が多数を占めているように見受けられます。何故ならば、近年、様々な面における中国の実態が明らかとなり、現状の凄まじさに全世界が驚愕している矢先の出来事であるからです。

 中国に対する警戒論とは、米中貿易戦争に象徴される13億の市場規模を背景とした世界第二位の経済力や「中国製造2025」に描かれた次世代産業でのトップを目指す野心的な産業政策にのみ起因するわけではありません。一般には経済力や技術力の向上は軍事力の増強と連動しますので、中国の経済的躍進は必然的に軍事的脅威の増大を齎すからです。経済関係を深めれば深めるほど、日本国を含む全世界の安全保障上のリスクが高まるという深刻なジレンマがあるのです。

このジレンマを解決する手段として、しばしば政治は政治、経済は経済で分けて考え、相互利益となる経済分野に限定して日中関係を深化させればよい、とする意見も聞かれます。しかしながら、この経済と政治との間のジレンマは、政経一致を原則とする共産主義はおろか、市場経済における政経分離論を以ってしても解くことができません。何故ならば、上述したように経済力と軍事力とは比例関係にあり、体制の如何に拘わらず経済成長による歳入の拡大は軍事予算を増額させるからです。アメリカが、世界第一位の経済大国にして世界第一の軍事大国でもあるのは偶然ではありません。しかも、共産党一党独裁国家である中国は、民主主義国家のように社会保障や社会福祉といった国民向けの分野に予算を割くことなく、軍事分野に優先的に予算を配分することもできます。中国では、一人あたりの国民所得は世界第二位ではなくとも、軍事力ではアメリカを追い越すべくトップの座を虎視眈々と窺っているのです。

軍事的脅威とは、国家のみならず、国民の生命、身体、財産をも危険に晒しますので、政経間のジレンマは、政府レベルに留まらず個人レベルにあっても認識され得ます。加えて、中国は、支配下においた異民族に対しては容赦なくジェノサイドを実行してきました。今般、国家ぐるみの臓器売買ビジネスの実態が指摘され、全世界を震撼させていますが、チベット人やウイグル人に対する非人道的な残虐行為は、中国の周辺諸国において中国脅威論をなお一層に高めているのです。明日の我が身となるのですから。

そして、インターネット、スマートフォン、AI、顔認証システムといった最先端の情報・通信技術を悪用したとしか言いようのない国民の個々人に対する徹底的な国家監視体制の構築は、全人類にとりまして恐怖以外の何ものでもありません。仮に中国が近い将来においてその支配力をさらに全世界に向けて拡大させるとしますと、同様のシステムが中国がその支配下に置く諸国においても導入されることでしょう。ディストピアは想像上の産物に過ぎませんが、中国とは現実に存在する先端的なテクノロジーを支配の道具とした独裁国家なのです。最近、頓にジョージ・オーウェルの『1984年』が中国の現状を説明するに際して引き合いに出されるのも、技術を以って恐怖政治を極める国家体制の類似性にあるのでしょう。

 以上に主要な中国の脅威について述べてきましたが、こうした現状を知れば、中国からの友好の誘いは、悪魔の囁きにしか聞こえません。中国側は、安倍首相の訪中を以って日本国を自国の仲間に加えようと意気込んでいるようですが、日本国の一般国民からしますと、日中友好とは、日本国が中国という国際社会においてその暴力主義と狡猾さから警戒されている国の一味となることに他なりません。この結果として、日本国もまた、人道や倫理観に乏しい国と見なされ、同盟国であるアメリカのみならず、他の諸国からの信頼をも著しく損ねることでしょう。首相訪問を機に日本国がダークサイドに落ち、日中諸共に友好の船が沈没する展開を、国民の大多数が望んでいないことだけは確かです。そして、日本国が、その強権体質から国民の怨嗟の対象となりつつある習近平体制の延命に手を差し伸べたとしますと、恐怖政治からの脱却を望む一般の中国国民の失望をも買い、長期的な視点からすれば、日中友好をも遠ざけることになるのではないでしょうか。

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日中平和友好条約を踏み躙る中国-40周年を祝うより遵守要求を

2018年10月25日 10時49分38秒 | 国際政治
日中平和友好条約40年 関係改善加速させる考え
本日10月25日、安倍晋三首相は中国を公式に訪問し、翌26日には習近平国家主席と、並びに、李克強首相との会談に臨む予定です。今年は、日中平和友好条約の締結から40年を迎える節目の年でもあり(1978年10月23日発効)、安倍首相も、日中関係改善の流れを改善させたい意向を示しています。いわば、日中平和友好条約40周年記念が訪中の意義として強調されているわけですが、それ程同条約が重要であるならば、今般の訪中の目的は、日中友好の深化であるはずもありません。それは、同条約の条文を読めば容易に理解されます。

 まず、日中平和友好条約の第1条には、以下の如くに記されています。

「1.両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させる。
2.両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、全ての紛争を平和的手段による解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。」

果たして、当該条約の締約国である中国は、これらの条項が定める行動規範を誠実に守って行動しているのでしょうか。同国は、昨今、トランプ大統領が指摘したため政治問題化したアメリカのみならず、日本国に対しても、政界、財界、官界、学界、教育界、マスメディア、あるいは、宗教界等における様々なルートを巧みに操って、積極的に内政干渉を試みています。尖閣諸島問題に至っては、堂々と武力による威嚇に訴えており、非平和的手段による解決を目指しているのが現状です。そもそも、中国が同水域において軍事的行動を採らなければ、今般の訪問における‘目玉’の一つとされる「海空連絡メカニズム」の創設など必要がなかったはずなのです。

また、続く第2条は、反覇権の原則を定めています。

「両国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する」

中国が、同条に違反していることも明白です。習主席は、オバマ政権時代に米中太平洋二分割をアメリカに持ちかけていますし、一帯一路構想とは、アジアのみならず、ユーラシア大陸さえをも越えて全世界に中国の覇権を確立する試みに他なりません。

 日中平和友好条約は5条から成り立っていますが、行動規範に関する最重要な部分を構成する第1条と第2条において中国側に重大な違反があるにも拘わらず、同条約の40周年を祝うのは、本来の姿とは真逆です。日中関係の基幹となる同条約でさえ蔑にされているのですから、一事が万事、今般の首相訪中で如何なる合意が成立したとしても、中国がそれを誠実に遵守する保証はどこにもありません。安倍首相が北京にあって中国側に強く求めるべきこととは、中国側が日中平和条約の基本精神へ回帰し、それが定める行動規範に従うことなのではないでしょうか。

南シナ海問題で露呈したように、中国は順法精神に欠ける無法国家であり、かつ、自国を世界の中心と見なす中華思想の国家です。先日、INF全廃条約からの脱退理由として、トランプ米大統領はロシア側の違反を挙げましたが、二国間条約における一方の条約違反は看過できない重大問題です。中国側が日中平和条約に違反している限り、経済分野と雖も、国際法違反に対する制裁を検討する、あるいは、米中対立にあって同盟国としてアメリカと歩調を合わせこそすれ、日本国の名誉にかけても、中国の違法、並びに、反倫理的な行為に手を貸すような協力関係は、ゆめゆめ築いてはならないと思うのです。

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‘2030年644万人人手不足説’の怪しさ-予測者に注目を

2018年10月24日 14時50分45秒 | 日本政治
2030年の人手不足、644万人 パーソル総研と中大が推計、17年の5.3倍に
報道によりますと、日本国では、昨年の2017年の121万人から5.3倍に拡大し、22年後の2030年には644万人もの人手不足が発生するそうです。この報告、「総務省の労働力調査など各種統計を活用し、労働需要と供給を予測して不足人数などを推計した」とされていますが、将来予測とは、しばしば外れるものなのです。そして、予測が不正確となる理由の一つは、予測者による将来願望が結果に投影されるからです。

 それでは、この‘2030年644万人人手不足説’はどうでしょうか。そこで、最初に調べるべきは、同予測を弾き出した予測者の立場です。この説を発表したのは、パーソルホールディングス傘下のシンクタンクであるパーソル総合研究所と中央大学であり、民間と大学による共同研究の成果とされています。パーソナルホールディングスとは、大手人材派遣会社であるパーソルテンスタップ(1973年創業)を中核として設立された企業グループの持株会社であり、積極的なM&Aを繰り返すことで事業規模を拡大してきました。パーソル総合研究所も、同グループの一員として雇用や労働に関する調査・研究、並びに、派遣スタッフ向けの教育を担っているようです。さて、ここに派遣サービス事業者としての予測者の立場が明らかになったのですが、この立場からしますと、‘2030年人手不足644万人説’には幾つかの疑問点が浮かび上がってきます。

 第1に指摘し得るのは、2030年に最も人手不足が深刻化するとされるサービス産業における予測数字の算出根拠が不透明な点です。総務省統計局が実施した労働力調査における2017年12月の統計を見てみますと、サービス産業の就業者数は、細目を合計すれば凡そ1746万人です。同分野に次いで大幅な不足が予測されたのが医療・福祉であり、この分野での就業者数は約814万人とされます。ところが、今般の予測では、2030年におけるサービス産業の‘需要’が2101万人、医療・福祉分野では1367万人であるのに対して、供給’は、前者が1701万人、後者が1180万人しかないため、其々の分野で400万人と187万人の不足が生じるとしています。医療・福祉については所謂’団塊の世代’の高齢化を考慮すれば需要数の増加は理解に難くはないものの、人口減少の中、何故、サービス産業の‘需要’だけが現在の就業者数を355万人も上回るほど増加するのか、その根拠や説明がなされていないのです。いわば、結論に至る予測プロセスは、‘ブラックボックス’なのです。

 第1に関連して第2に、同報告は、製造業の衰退、あるいは、非サービス業におけるリストラを予測した結果として、サービス産業の‘需要’増加を予測したのではないか、とする疑いがあります。実のところ、同社は、2016年の衆議院予算委員会において、国が実施してきた再就職支援助成金制度に関連して、顧客企業に対して違法すれすれの退職勧奨の方法を指南したとして問題視されております。「リストアップ方式」と称されるこの方法たるや、低評価の社員をリストアップして秘密裏に個別に退職を促すという、結構、阿漕な手法なのです。同社は、生産性の向上を解決策の一つとして挙げていますが、サービス産業の不自然な需要増加は、自らの事業の一つである企業に対するリストラ支援の結果として生じる‘失業’対策としての意味合いがあるのかもしれません。しかも、実際には、企業の積極的なリストラの結果として人手不足が生じている疑いもあります。

 第3に、仮にサービス産業の‘需要’が現在の程度で推移するとすれば、81万人と試算された外国人労働力に頼る必要はないはずです。働く女性102万人と高齢者の163万を合計すれば265万人となり、AIやロボットの導入で代替できる298万人分を足せば、566万人となります(AI化やロボット化は、今般の総務省の将来予測の人手不足とは逆の人手余りを予測している)。さらに、人員が余剰となる金融・保険・不動産分野の30万人と建設の99万人が不足産業に転職すれば、合計で695万人にも上り、人手不足分を余裕で補うことができるのです。先述した根拠なきサービス産業の大幅増加の条件を外せば、同報告者は、むしろ、外国人労働力を必要としないという結論に至るはずなのです。

 また、第4に、同報告では、不足分を埋めるために、さらりと81万人の外国人労働者の受け入れを提言していますが、同社が外国人労働者をも仲介する大手派遣事業者である点からしますと利益誘導が疑われます。同社は、アジア地域にも事業を展開しており、中国、台湾、韓国、インド、ベトナム、タイ、インドネシア、マレーシア、シンガポール、台湾といった諸国に拠点を設けています。外国人労働者の受け入れ数の数字が大きい程、事業チャンスや利益も増えるのです。

 具体的な数字を並べられますと、ついその数字を信用してしまうものですが、将来予測に基づく政策提言には、それが誰もが正確には知り得ない未来を根拠としているがために、迂闊には信じてはいけない側面があります。‘将来こうなるから、こうしなさい’といった危機を煽る手法は、詐欺にも使われています。移民政策を推進したいためか、マスメディアは、一斉にこの‘2030年644万人人手不足説’に飛びつきましたが、予測者の立場の偏向性やその根拠の薄さからしますと、この説は、大いに怪しんで然るべきなのではないかと思うのです。

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日本国政府はどの国から難民受け入れるのか?-難民受け入れ枠拡大問題

2018年10月23日 14時48分23秒 | 日本政治
政府、難民受け入れ拡大へ 倍増視野、20年運用目指す
突然に事実上の移民受け入れ政策へとその方針を転換した日本国政府は、今度は、難民の受け入れ枠を拡大する方向で検討を開始したそうです。こうした方向性には、何としても日本国を多民族国家に変貌させたい強い意志が感じ取れます。

 同報道において注目すべきは、検討されている課題の一つが、難民数の受け入れ枠の拡大に留まらず、送り出し国に関してもその範囲を拡大させようとしている点です。2010年から開始された国連の定住難民制度にあって、日本国政府は、ミャンマー難民を受け入れてきました。しかしながら、今回の措置では、ミャンマー以外のアジアの諸国の難民にも広げるとされています。それでは、このアジアの諸国とは、一体、何処の国を想定しているのでしょうか。

 第一に推測さるのが、シリア難民です。広義においては中東諸国も‘アジア’に含まれますので、日本国政府が想定しているのはシリア難民である可能性もないわけではありません。シリア難民をめぐっては、ドイツのメルケル首相が、これもまた突然に難民受け入れを表明したことから、ドイツ国内のみならず、EU加盟諸国をも巻き込む大問題へと発展した経緯があります。先日実施されたバイエルン州における議会選挙にあっても、反移民・難民政党であるドイツのための選択が支持率を伸ばしており、ドイツ国内の政治地図を塗り替えるほど、シリア難民受け入れ問題の余波は、現在、むしろ大波となって押し寄せています。移民・難民反対の国民の声を前にして、メルケル首相の長期政権にも黄信号が点ることとなったのですが、反移民・難民の現象は、ドイツに留まらずに今日のヨーロッパ政治の特色とも見なされています。この結果、今後は、ヨーロッパ地域における難民受け入れ数は減少するものと予測されますので、国連やUNHCRといった国際機関が、難民受け入れ数の少ない日本国に対して、受け入れ枠を拡大するよう圧力をかけてきているのかもしれません。

 現状にあって第二に可能性が高いのは、チベット難民やウイグル難民です。目下、中国政府がチベット人やウイグル人に対して公然と‘ジェノサイド’が行っていることは周知の事実です。ところが、これらの人々が非人道的な手段による弾圧と迫害を受けているにもかかわらず、日本国政府は、中国に対する政治的な配慮からか、積極的に難民資格を認定してきませんでした。今般、アメリカをはじめ各国において中国の人権弾圧行為に対する批判が高まっており、この流れを背景に日本国政府も、対中牽制の手段の一つとしてこれらの人々に対する難民認定に踏み出す可能性があります。もっとも、習独裁体制に対する権力層内部、あるいは、国民の反感から中国で動乱が発生するような事態ともなれば、‘中国難民’なるものもあり得るかもしれません。

 そして、第三の可能性として指摘し得るのは、朝鮮半島からの難民の受け入れ準備です。日本国内には、既に朝鮮戦争時における難民が多数在日韓国・朝鮮人として居住しているのですが、その多くが密航者であったこともあり、正式に日本国政府から難民認定を受けているわけではありません。そこで、今般の措置は、米朝首脳会談の努力も空しく北朝鮮の核・ミサイル問題が行き詰まり、近い将来、米軍による朝鮮に対する軍事制裁があり得ると判断し、事前に法的根拠を整えようとしているのかもしれません。つまり、日本国政府は、朝鮮半島からの戦時避難民の大量発生を想定し、その準備として受け入れ国拡大の方針を打ち出しているのかもしれないのです。

 以上に主たる送り出し国について推測して見ましたが、ヨーロッパ諸国を反面教師とすれば、何れの出身国であっても、日本国民の多くは難民の受け入れ拡大には反対のはずです。ましてや国連の第三国定住制度ともなりますと、難民認定と同時に、永住資格、あるいは、国籍を与えるようなものでもあります。日本国政府は、人口減少に直面している地方を定住先としていますが、受け入れ側の地方自治体も困惑することでしょうし(EUによる加盟国に対する難民受け入れ枠の設定が加盟国の反発を買った構図に類似…)、過疎地であるが故に、出生率差による将来における人口比率の逆転もありえます。

受け入れ人数そのものについても決まっておらず、現在が30人程度ですので、倍増したとしても60人ほどと少人数ではあるのですが、日本国政府は、受け入れ先の地方自治体に対して環境整備を促しているそうですので、将来において難民が大量に発生した場合、当該地方自治体が、当制度の枠外にあっても難民一般の収容地として指定される可能性もあります(地方自治体を対象とした移民・難民受け入れ態勢の整備促進の方が真の目的かもしれない…)。政治難民であればこそ、一時的な保護を与えたとしても、いずれ政治的な混乱が収束した段階で出身国に帰国させるべきであり、少なくとも同制度の下で難民の受け入れ拡大を進めることには慎重であるべきなのではないかと思うのです。

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eスポーツが投げかける問題

2018年10月22日 12時57分19秒 | 社会
eスポーツとは、エレクトロニック・スポーツの略語であり、複数のプレイヤーが参加するビデオ・ゲームを意味しています。日本国内では聞き慣れないのですが、IOCのバッハ会長がオリンピックの正式種目への採用に言及したことから、俄かに注目を集めています。しかしながら、オリンピックの表舞台へのデビューを待つeスポーツは、幾つかの側面で重要な問題を投げかけているように思えます。

 第1の問題点は、eスポーツがオリンピックの正式種目に加えられるとしますと、体を動かして競技するスポーツと頭脳で勝負をするゲームとの境界線が曖昧になることです。仮に、頭脳による競技も広義のスポーツに含まれるならば、トランプ、チェス、あるいは、囲碁将棋といったカードやボードゲームもスポーツの範疇に入ります。案外、モノポリーも正式種目となるかもしれません。後者の方が余程歴史や伝統あり、競技者人口も多いわけですから、オリンピックの正式種目には相応しいと言うことにもなりましょう。また逆に、現実のスポーツの仮想化もあり得ますので、スタジアムでの試合と平行して、ネット上においてあらゆる仮想種目が競われるという奇妙な二重構造を呈することにもなります。

 また、eスポーツのゲーム内容を見ますと、殴り合いのバトルや殺人を伴うサバイバルゲーム等、スポーツマンシップとは程遠いものが多々見られます。名目としてはスポーツと称しながら、eスポーツのゲーム内容にスポーツらしからぬ反倫理性を含む点が第2の問題点です。この疑問に対しては、競技者のコントローラーの操作技術、即ち、反射神経や即断力などが争われているのであるから、ゲームそのものの内容は関係ないし、ゲームの登場人物が殺されてもそれは仮想の世界に過ぎないとする反論もあるかもしれません。しかしながら、現代オリンピックの精神もまた古代ギリシャのオリンピックに由来する平和主義にあるならば、オリンピックの場においてどちらかが打ちのめされるまで暴力シーンが繰り広げられることに違和感、あるいは、不快感を覚える人々も少なくないはずです。

 第3の問題点は、IOCの営利第一主義が垣間見えることです。インターネットの普及と共に、誰もがオンラインで参加できるビデオ・ゲームもまた手軽な娯楽となり、今では、ネットゲーム中毒に起因する‘引きこもり’が懸念されるほど若者層を中心にユーザーが増えています。eスポーツもこの波に乗るかのように出現したのですが、今では、ゲームは巨額の利益を生み出す一大産業に成長しています。IOCがeスポーツを正式種目として採用しようとしている背景には、ゲーム業界のスポンサー化やオンライン放映権の収入等を目的とした同産業の取り込みによる収益の拡大が推測されるのです。

 そして、第4の問題点は、eスポーツの背後にロボット兵士の存在が潜んでいるように感じられることです。何故ならば、コントローラーの高度な操作技術こそ、ロボット兵士の操作に必要とされる能力に他ならないからです。偶然、テレビ番組でeスポーツの選手達のトレーニングの風景が紹介されておりましたが、多数の選手達が専門家の指導の下でフィジカル、並びに、メンタルの両面のトレーニングを受けている様は、兵士養成学校のようにも見えます(上述したゲーム内バトルも白兵戦等を想起させる…)。因みに、今日では各国においてプロのリーグが結成され、世界各地で大会が開かれていますが、2007年には、アジアオリンピック評議会が、eスポーツを正式種目とした上で第2回アジア室内競技大会を中国のマカオで主催しており、中国人選手が3個の金メダルを獲得したそうです。この事例から中国が積極的にeスポーツの選手を育成している様子が分かりますが、韓国もまたeスポーツが最も盛んな国の一つでもあります。ビデオ・ゲーム競技会発祥の地はアメリカではあるものの(1972年にスタンフォード大学で最初の大会が開催された…)、これらの諸国は、ロボット兵士の開発にも熱心に取り組んでいる国でもあり、両者の一致は単なる偶然とも思えないのです。

 日本国のeスポーツ事情はと申しますと、刑法によって賭博が禁止されているため、その普及は遅れているとも説明されています。東京オリンピックを機にeスポーツの育成が声高に主張されるようになるのでしょうが、上記の問題点を踏まえますと、‘eスポーツとは何か’という根本的な問題を、日本国内のみならず国際レベルにおいても、それぞれの問題性に則して真面目、かつ、丁寧な議論を尽くして然るべきなのではないでしょうか。第4点として述べたロボット兵士の問題については、安全保障が関わるだけに核兵器と同様の攻守両面からの議論を要すものの、eスポーツの登場が、スポーツマンシップの衰退、暴力の日常化、オリンピックにおける営利主義の蔓延といったマイナスの方向に作用するとしますと、先端的なテクノロジーを追い求めた結果、人類は、文明を自らの手で破壊し、進化どころか野蛮へと退化させるという、パラドクシカルな結末を迎えるのではないかと懸念するのです。

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トランプ大統領のINF全廃条約離脱方針の真意は対中国?

2018年10月21日 13時54分58秒 | 国際政治
米、核軍縮条約離脱方針 トランプ氏、ロの違反非難
トランプ大統領は、今月20日、レーガン政権下のデタントの時代に旧ソ連法との間に締結した中距離核兵器の相互廃棄に関する二国間条約であるINF全廃条約からの離脱方針を表明しました。その主因として挙げられたのがロシア側の条約違反行為なのですが、その真の狙いは、急速に核戦力を増強しつつある中国にあるのではないかと思うのです。

 核関連のニュースとして、先日、NHKのニュース9でアメリカの新たな核戦略の策定について報じておりました。その中で、同番組のキャスターは、 ‘たとえ他国が核の拡大に動いているとしても、力を以って力で対抗するのはどのようなものか’といった趣旨の発言をしています。アメリカの新核戦略の理由が中ロに対する対抗であることを批判しているのですが、仮に、アメリカが対抗措置を採らなかったとしたら、国際社会がどのような状況に陥るのかを想像しますと、背筋が寒くなります。何故ならば、この問題は、‘巨大な犯罪組織が暴力手段を増強させているにも拘わらず、警察の武力が前者よりも劣っていた場合、社会、あるいは、人々の安全はどうなるのか’を問うに凡そ等しいからです。

 力が‘ものを言う’状況は、地球上で最も知性に優れた生物である人類にとりまして決して望ましいものではありませんが、残念ながら、現実には、どの国も軍事力を備えざるを得ない状況に置かれています。今日の国際社会における拘束力は‘力’、‘合意’、‘法’が混在していますが、国家間の合意や一般国際法が存在しない、あるいは、これらが拘束力を失った状況下にあっては、平和を実現する方法は凡そ二つあります。その一つは、国家間の合意や国際法を全ての諸国に守らせ得る軍事力(警察力)を有する国、あるいは、国際機関が出現することであり、もう一つは、諸国間にあって力の均衡を保つことです。 戦後の国際社会を概観しますと、国際レベルの警察力として国連が設立されつつも、アメリカが事実上の筆頭警察官の役割を果たす一方で、各地域には力の均衡を実現すべく二国間、あるいは、多国間の同盟関係が結ばれています。

 今般のアメリカのINF全廃条約に対しては、核兵器の全面廃棄に向けた流れに逆行するとして落胆の声も聞かれますが、上記の観点からしますと、アメリカの主張にも一理があります。ロシアによる米ロの二国間合意であったINF全廃条約の違反は、最早、‘合意’は拘束力を喪失していることを意味しますし、中国に至っては、そもそもINFの廃棄を義務付ける条約さえありません。一般国際法であるNPTにおいても、中ロの核軍拡は、核保有国の軍縮義務に反しているのです。いわば、中ロは両国とも率先して‘合意’や‘法’を無力化し、‘力’が全てとなる野蛮な時代に人類を強引に引き戻すかの如きです。そしてそれは、中ロ両国が暴力手段に日々磨きをかけ、アメリカを上回る先端的な軍事力を備える日が刻一刻と近づいていることを意味します。ここに、アメリカのINF全廃条約からの離脱問題は、先の問題提起としてリフレインされるのです。‘暴力国家が警察国家を力で凌駕する場合、国際社会は、どのような事態に直面するのか’という…。この問いに対する答えは言わずもがななのですが、中国の国有企業である中国航天科技集団は、既にミサイル防衛網を突破可能な超高速飛行隊の実験に成功したとされ、同飛行体には核兵器の搭載も可能です。

核戦力を含む中ロの軍事的脅威が増す中で対抗措置を採らないという選択は、力が支配する世界にあっては、他者をして自らの死を招くという意味において自殺行為ともなりかねません。これを‘平和’と呼ぶならば、‘平和’とは、暴力による世界支配と言うことになりましょう。マスメディアは、トランプ政権批判に躍起になっておりますが、どちらの選択が真の平和を実現するのか、しばし考えてみる必要があるように思えるのです。

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米朝首脳会談の延期―トランプ大統領は足元を見られることを回避した?

2018年10月20日 12時45分31秒 | 国際政治
2度目の米朝首脳会談 来年初めに開催か
トランプ大統領が第二回米朝首脳会談の開催の可能性について言及した時、その思惑として真っ先に指摘されたのが、秋の中間選挙を前にした外交上の実績づくりでした。再度、北朝鮮の金正恩委員長との会談の場を設け、その席において初回の会談で曖昧にしてきた諸点をクリアにし、アメリカの要求に沿う形の合意で両首脳が固く握手すれば、これ程、アメリカの有権者に訴える効果的な政治ショーはないからです。

 仮にこの説が正しければ、第二回米朝首脳会談は、北朝鮮側の譲歩を以ってしか、トランプ大統領が描くシナリオ通りに成功裏に導くことはできません。ところが、会談相手の当の北朝鮮は、同会談をアメリカとは全く逆の意味でのチャンスとして捉えたようです。乃ち、北朝鮮側は、共和党は中間選挙にあって不利な情勢にあると分析し、同党に属するトランプ大統領が第二回首脳会談を自党勝利に向けた起死回生の絶好の機会と位置付けているならば、その弱みを利用して、アメリカ側に自らの要求を呑ませるチャンスと捉えたと推測されるのです。先の国連総会での演説等において、北朝鮮側が、従来の段階的核放棄論を堂々と主張し、アメリカに対して自国の要求に応えるよう強気の姿勢で臨むようになったのも、この推測からすれば頷けます。

 しかしながら、北朝鮮側は、ここで重大な判断ミスをしているように思えます。アメリカにとっての第二回米朝首脳会談の成功とは、たとえ両首脳が笑顔で握手しても、実質的にはアメリカに対して北朝鮮が屈服する構図を要する点です。アメリカが北朝鮮に屈する形で合意では、それは、中間選挙にあって有利に作用するどころか、むしろ、アメリカの屈辱外交として共和党に不利に働きます。つまり、アメリカにとりましては、核廃棄に向けて北朝鮮側が折れることこそ重要なのです。

 ところが、北朝鮮側の会談成功の認識は、アメリカのそれとは大きく違っています。同国にとっては、如何なる合意下であれ、両者首脳が握手することが重要であって、アメリカも同様に考えていると見なしているのです。そうであるからこそ、第2回首脳会談が日程に上がった際に、自国の要求を釣り上げたのでしょう。この認識の違いから、たとえ第2回首脳会談が開かれたとしても、両者の主張が永遠に平行線を辿るか、あるいは、決裂するかの何れかに至るしかないほど、両国の基本的な立場の違いが鮮明化してしまったと考えられるのです。先のポンペオ米国務長官の訪朝にあって託された主要な任務は、北朝鮮側との認識の違いの確認であったのかもしれません。

 この点を確かめた上で、アメリカがとった最初の一手は、第二回米朝首脳会談と中間選挙とを切り離し、北朝鮮に同国の国内事情を利用させない、という手であったように思われます。当初、トランプ大統領は、中間選挙前となる早期開催に前向きな姿勢を示していましたが、ポンペオ国務長官の訪朝後にあっては、開催時期を中間選挙後となる来年はじめに延期する方向に転じています。会談の結果が国内事情の影響を受けない時期にずらすことで、北朝鮮によるアメリカの足元を見た対米譲歩要求を封じてしまったのです。そしてそれは、トランプ大統領が北朝鮮に対してフリーハンドを得ることでもありますので、握っていた‘弱み’を失った北朝鮮は、対米交渉にあって窮地に陥ることでしょう。別の見方もあり得るものの、北朝鮮が、親北派の文在寅大統領を‘代理人’あるいは‘メッセンジャー’に仕立て、国際社会に対して対北経済制裁の緩和を求めたり、フランシスコ法王の訪朝に‘救い’を期待するのも、北朝鮮側の焦りの現れとも解されるのです。

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シェアリング・エコノミーの盲点-危うい近未来ヴィジョン

2018年10月19日 14時20分20秒 | 国際経済
近年、経済システムの近未来ビジョンとしてとして、シェアリング・エコノミーが提唱されるようになりました。‘所有から利用’への発想の転換が同システムの最大の特徴なのでしょうが、このヴィジョンには、幾つかの盲点が潜んでいるように思えます。

 例えば、シェアリング・エコノミーのモデルとしてしばしば取り上げられているのが、ウーバー社に始まるライド・シェアビジネスの成功例です。報道によりますと、現在、世界70カ国の450都市 以上で事業を展開している同社が新規株式公開すれば、10兆円を超える企業価値として評価されるそうですので、同社に対する期待感は膨らむ一方のようです。その一方で、中国の同業者である滴滴出行の殺人事件も然ることながら、このビジネス・モデルを具に観察しますと、その限界も見えてくるように思えるのです。

 配車アプリのビジネスとは、一般の自動車所有者が配車アプリサービス事業者に登録をする一方で、一般の利用者は、同社の配車アプリを自らのスマートフォンにインストールしさえすれば、何処にいても、スマートフォンの画面操作で同社に申し込むことで、配車サービスを受けることができます。申込者の目の前に、条件が最も適した登録済みの自動車が現れて、利用者を目的地まで乗せていってくれるのです。「白タク」と揶揄される理由も、交通サービスを提供する自動車がタクシー会社に属するものでも、個人事業者のものでもなく、一般の自家用車であるという点にあるのですが、タクシーを拾う手間や時間が省けますし料金も手ごろですので、急速に利用者を増やすこととなったのです。そして、事業者への登録一般自動車の数が多ければ多い程に同事業の利便性が向上し、ますます普及に弾みが付くのです。

 しかしながら、経済システム全体において、‘所有から利用へ’をモットーとするシェアリング・エコノミーへの方向性が強まるにつれ、このビジネスは、越えがたい壁にぶつかるかもしれません。何故ならば、‘自動車とは、個人が所有するものではなく、複数の人々との間でシェアするものである’とする考え方を多くの人々が共通認識として抱くようになれば、自家用車を持とうとするインセンティヴが急速に低下するからです(実際にこの動きは、個人間カーシェアリングとして始まっている…)。当然に、配車アプリサービス事業者に登録する車数も、自家用車数の減少に連動して減ることでしょう。創業者がこの点に気が付いていたか否かは別としても、多くの人々が自動車を所有している状況があってこそ配車アプリサービスも成り立つのであり、イメージとは真逆に、同サービスは‘所有エコノミー’の申し子なのです。

 シェアリング・エコノミーの問題は、配車アプリサービスに留まらず、民泊などでもそれ固有の問題を引き起こしています。もしかしますと、こうした新ビジネスは、国民の大半が自家用車を所有することが困難な中国といった人口大国、あるいは、中間層が崩壊危機に瀕している先進国諸国をも念頭に置いているのかもしれません。考えても見ますと、発想としては、私的所有に対して否定的な社会・共産主義に類似する側面もあります。シェアリング・エコノミーの時代が実際に到来するのかは疑問なところであり、実現を目の前にして、初めてそれが経済の停滞や縮小を意味することに気付く、といった展開もあり得るのではないかと思うのです。
 
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人生がデータとして記録される世界の恐怖

2018年10月18日 15時25分21秒 | 社会
情報化社会の到来とともに、インターネットを基盤とした様々な情報サービス事業が誕生することとなりました。GoogleやYahooといった情報検索に始まり、今では、SNSが日常のコミュニケーション手段として幅広く使用されています。とりわけスマートフォンに代表される携帯電話の登場は、その情報収集力の高さ故に人々の人生さえも劇的に変えようとしています。

 携帯電話が登場する以前の時代には、自らの発言や行動が外部の他者によって逐次記録されることなど、夢にも思わなかったはずです。生物の脳の記憶の仕組みでは、サバーンではない限り、長期記憶であれ短期記憶であれ、過去の自らの発言や行動の全てを正確に覚えておくことはできません。その大半は本人でさえ忘れてしまうのです。ところが、情報・通信技術の長足の進歩により、今では、これらの全てが各自の個人情報としてデジタル化され、事業者のデータベースにおいて記録・保管されています(大規模なビッグ・データの登場)。しかも、ネット上で一度発信された言葉は、検閲の対象にさえされてしまうのです。誰もがその利便性に心を奪われて、自らのプライバシーまでもが情報として他者の手に渡っていることに殆ど気が付いていませんが、現代という時代は、本人の記憶以上にその人の人生がデータ上の記録として残される時代なのです。

スマートフォンとは、各自が自己専属の‘物’として所有するものであり、常に携帯していれば、あたかもその人の‘影’の如くにより沿って、その人自身の発言と行動等を外部に伝達します。スマートフォンを肌身離さず携帯し、自らと一心同体の分身の如くに愛着を抱いている利用者も少なくありませんが、見方を変えれば、これらが収集した情報は利用者ではなく外部の他者に報告されるため、利用者の発言や行動を常時監視している‘お目付け役’、あるいは、‘スパイ’ともなり得ます。この負の役割は、全国民を監視体制に置く中国において公然と制度化されており、凡そ全ての国民にスマートフォンという監視者が‘配置’されています。さながら、古代ペルシャ帝国の‘王の目、王の耳’ならぬ、‘共産党の目、共産党の耳’の如くです。

そして、今後とも、アプリによるサービス内容が多様化するにつれ、個人情報の内容も包括化してゆくことでしょう。現在でも、LINE等のSNSの利用規約を一読すれば驚かされるように、サービスを利用するためには交友関係や位置情報のみならず、金融口座の番号といった個人情報の提供への同意を要します。学校等のコミュニケーション手段として使用される場合には、一人だけ同サービスを利用しないと友達ができなくなったり、‘虐め’や‘仲間外れ’にされかねません(参加しても虐めに遭うと言う不条理…)。孤独を怖れる心理と無言の集団的な圧力がSNSの利用を促しているのであり、この側面は、プラットフォーム型ビジネスがこれまでのところ成功を見ている理由でもあります。今後は、健康管理ビジネスの提供を理由に個々人の生体の状況や変化も、個人情報として収集されるでしょう。さらには、スマートフォンの携帯さえ不便となれば、実際にその開発が既に進んでいるように、体内にマイクロ・チップを受け込むといった方法へと移行し、最早、人類は、何処に居てもその全てが外部の誰かに監視され、通報される状況へと陥るかもしれません。脳波としてキャッチされた心の動きまでも…。

スマートフォンを介した情報利用の‘怖さ’は中国の現状を見れば一目瞭然なのですが、自由主義国においても、この問題は深刻です。個人情報の匿名化といった試みもなされていますが、事業者に悪意があれば、利用者本人は自己のデータの使用目的や使用状況を確認のしようもありません(EUでは、既に「EU一般データ保護規則(GDPR)」が制定・施行されている…)。そもそも、サービス事業者には、どのような正当な根拠があって、他者の個人情報を記録できるのか、その根本的な議論さえ十分にはなされていないのです。便利さの代償として自らの一生が外部者によって常時監視され、かつ、本人でさえ消すことのできないデータとして記録される全体主義的な監視体制が構築されるとすれば、こうした世界の出現が人類の理想とは到底思えないのです。

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日本国の中小企業は‘海外大売り出し’となるのか?-政府の外資斡旋事業

2018年10月17日 15時26分19秒 | 日本政治
本日10月17日の日経新聞朝刊の第一面には、中小企業の継承者難に対する対策の一環として、日本国の経産省が、外資に対して引き継ぎを仲介する新たな事業に関する記事が掲載されておりました。表向きは‘救済策’なのですが、その実態、あるいは、真の目的は、海外からの要請を受けた日本国政府による、日本国の中小企業を外資への売り渡しなのではないかと思うのです。

 同記事の説明によると、中小企業庁による試算によれば、2025年には日本国内では日本企業の凡そ3分の1に当たる127万社が後継者不足のために廃業の危機に直面するそうです。仮に、これらの企業が全て廃業したとすれば650万人もが人々が職を失い、近い将来、深刻な雇用問題が発生します。そこで、外資であれ、これらの企業の事業を引き継いでもらえば、将来の失業者を救済できるという理屈なのです。一方、食品や自動車部品の分野においては、事業のグローバル展開の文脈において日本国の中小企業を傘下に入れたい欧米の外資系企業から、既にジェトロに対して要望が寄せられているそうです。政府としては、国内の継承者難を救うのだから、外資による事業権取得は歓迎すべきと言いたいのでしょう。

具体的な制度としては、既存の「事業引き継ぎ支援センター」が集めてデータベース化したM&A関連の情報を外資系企業に開放し、ジェトロがM&Aを希望する外資系企業との間の仲介役を担う仕組みなそうです。ジェトロの仲介は、技術の海外流出を防ぐためと説明されています。また、データベースを充実させるために、地方銀行や税理士の保有している取引先情報も収集するそうですが、この制度が実際に運用を開始するとしますと、どのような結末が待ち受けているのでしょうか。

かつては、大企業が中小企業を資本関係等を介して囲い込む日本国固有の‘ケイレツ’は、英語でそのまま通用するほど、日本の悪しき企業慣行の代表格と見なされ、海外からバッシングを激しい受けた時期がありました。その理由は、日本製品の高い国際競争力の背後に、それを支える優れた中小企業の存在があったからです。結局、外圧を受ける形で日本企業は‘ケイレツ’の解消に努めたのですが、本記事を読みますと、いざ‘ケイレツ’が崩れて中小企業が独立性を高めますと、今後は、外資や海外企業がその囲い込みに動き始めたような感があります。そして、今般の日本の中小企業を獲得したいとする海外企業からの要望も、この文脈から理解されるのです。

 仮に、事業継承が困難となった中小企業の多くが外資系ファンドや企業によって買収されるとしますと、日本経済の様相は一変するかもしれません。取得先が企業の売買利益を重視する外資系ファンドであれば、さらに別の外資系企業に転売される可能性もあります。また、海外企業による事業目的のM&Aであれば、経営の合理化を理由に日本人社員や従業員をリストラし、‘移民労働者’を積極的に雇用することでしょう。目下、日本国政府が騙し討ちの如くに事実上の‘移民政策’に転じたため、国民の間から反対の声が上がっていますが、海外企業に事業権が移れば、日本人を雇用するインセンティヴも著しく低下します。(この現象は、既に先進各国で問題化している…)。あるいは、移民政策に関して菅官房長官が説明した‘中小企業からの強い要請’とは、中小企業の外資売却の展開を見越した発言であったのかもしれません。

 最近の日本国政府の基本方針は、一事が万事、‘国内の問題でも全て国外を以って解決’の様相を呈しています。人手不足であれば移民労働者で解決し、後継者不足であれば外国の事業者に売り払って解決、というように…。海外頼りが唯一の政策手段であるはずもなく、中小企業の後継者不足については、所有と経営を分離する方向で創業家による世襲制を見直し、企業内部から経営トップにまで昇進できる仕組みに改革すれば、大方解決します。江戸時代の商家では、実子に後を継がせるよりも、最も優秀な番頭さんを婿養子してお店を継承させる慣行もありました。こうした改革を実施すれば、社内にあっては社員も奮起しますし、大企業よりも経営に携わるチャンスに恵まれるとなれば、学生さんにとりましても、中小企業は魅力的な就職先となりましょう。延いては、中小企業の人手不足問題の解決手段となりますので、一石二鳥なのではないでしょうか。

 同記事は、買い手が欧米企業であるかのように解説されていますが、米中貿易戦争にあってアメリカ企業のM&Aに待ったがかかってる今であるからこそ、中国系企業にとりまして、日本国の技術力のある中小企業は喉から手が出るほど獲得したい買収先であるはずです。外資系企業の’御用聞き’となった政府主導で推進するグローバル化の果てに待っていたのが、日本経済の‘海外大売出し’の事態は、決してあってはならないことではないかと思うのです。

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