男の料理指南

知人がくれたレシピを紹介します。
アレンジも含めた男の料理です。
じーじが娘と孫に残したいレシピ

お多福豆の甘煮

2015年01月16日 | 豆類・とうふ類

昨日(’15.1.14)の日経夕刊のコラム「あすへの話題」の作者「永田和宏」の名をみて、同じ作者
の「三歳の知恵」(’10.2.8.日経夕刊プロムナード掲載)を思い出しました。

永田さんは、母親が結核のため生まれてすぐ、実家近くの山寺のお婆さんに預けられます。実家
は滋賀県高島市(JR湖西線で京都から新快速で45分)にありました。父親は母親の療養費を稼ぐ
ため、京都に住み込みで働きました。今は通勤圏ですが、当時(昭和25年)は単線の江若鉄道だ
け・・通勤はムリでした。「三歳の知恵」はその頃の思い出・・原文を拾いながら概略を書きます。

私の母は三歳のころ亡くなった・・中略・・月に1~2度の父が帰ってくる日は、子供心にその日が
待ち遠しかった。たぶん土曜日の午後にでも帰り、日曜日には京都へ戻って行ったのであろう。
お婆さんと二人きりの寂しい生活の中で、ひたすら父の帰りを待っていた。

父が帰ってくるのは嬉しいが、来たとたんに、今度はいつ帰ってしまうのかと、たちまちそれが心配
でたまらない。一日中くっついて遊び、さて父が帰ろうという段になると、4キロほどの道を饗庭の駅
まで送って行く。駅へ着いて電車の来るのを待つあいだも、必死に父の手をにぎっていた。江若鉄
道は1時間に1本だが、別れがつらく電車を1本見送ったことも度々あった。

たいていは、お婆さんに強く手を引かれて泣きながら帰るが、ある時はどうしても手を離さい私に
根負けしたのか、もう一度家まで戻ってくれたこともあった。

帰らなくてはならない父と、返したくない子の哀れなせめぎ合い。三歳の知恵のありったけを動員
していたに違いない。家に帰り、私がトイレに入った隙に、父がそっと抜け出すのはわかっていた。
そしてその通り、トイレの窓から見ている私には気づかず、夕暮れに近い田舎道を走っていく若い
日の父がいた・・と「三歳の知恵」は結んでいます。

何とも悲しい文章で、読みながら涙が止まりまさんでした。切り抜きをとり出して読み返し、その情景
を思い、また切なくなりました。Wikipedia「永田和宏」によれば、京都大学教授を経て、現職は京都
産業大学教授。日本の歌人にして細胞生物学者・・とあります。

レシピは煮豆二題「お多福豆」と「エンドウ豆」の甘煮・・重曹なしでも柔らかく煮えます。お試し下さい。


5月に収穫したそら豆の一部をタネ用に乾燥させたのが1カップほど残りました。そら豆は俗に
お多福豆と呼ぶ大粒の豆。煮豆にした一粒の大きさは4㎝、13gありました。重曹を用意しまし
たが、思った以上に柔らかく煮えたので使わず終い・・材料は豆と砂糖、それに水だけでした。


材料
乾燥そら豆 130g ・・お多福豆又は一寸豆と呼ぶ大粒のそら豆を使う
白砂糖 100g

作り方
豆を水に浸してふっくら戻す
豆を水洗いし、たっぷりの水に一昼夜浸す。
乾燥そら豆は、吸水性が悪く戻すのに時間が
かかる・・冬場は特にそうです。
ふっくら戻すのに、一昼夜半かかりました。
・・ぬるま湯に浸けたら、早く戻ったと思います・・
130gの豆は水を吸い込んで320gになりました。

豆を水煮する
豆を水煮する浸けた水は茶色に濁ったのでザルで
こし、きれいな水を張って、弱火にかけました。
・・浸け汁のまま煮た方が正解かも知れません・・
豆が踊り始めてから2時間、コトコト煮て摘まんで
見るとまだ固さがあるので、足し水しながら1時間
煮て水煮が完成・・後は味つけです。

砂糖を加えて煮る
煮汁をヒタヒタにして砂糖を70g加えて一番弱い火で
30分煮てしばらく置き甘みを含めます。
この段階では、甘味が足りないので30g足して10分
煮てそのまま冷まて味を含ませ出来あがりです。






コメント
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