第43回栃木県少年サッカー選手権大会、HFC.ZERO真岡は3回戦でヴェルフェヴェールさんに1-3で敗れ、6年生は公式戦から引退する事となりました。結果に対する悔いは残りますけれど、納得はしています。みんな本当によく戦っていました。
ヴェルフェのみなさん、ぜひ今大会で優勝し、ZEROが実質的に2位だったと言わせてください。
娘とZEROとの出会いは昨年の5月。ZEROカップに河内SCジュベニールの一員として参加させていただいたのがZEROを知ったきっかけでした。それまではずっと女子サッカーとの関わりしかなく、少年サッカーの事をまったく知らなかった私達は地元真岡にこんなに強くて素晴らしいサッカーをするチームがあるんだという事をはじめて知りました。
現在胃腸炎で入院中の娘、思えばあのZEROカップ初日も体調不良で吐いてました。ZEROとの関係は吐きながらはじまり、吐きながら終わった事になります(;・∀・)
ZEROの練習に参加させていただくようになったのがちょうど一年前。当時はまだ河内SCジュベニールでプレーしていた娘でしたが、平日の練習場所を探していた時にZEROが受け入れていただける事になり、前回の選手権終了後、新チームが始動するタイミングで毎週金曜日に練習生として参加させていただける事になりました。
ZEROに引き抜かれたんでしょ?と訊かれた事がありましたけれど、まったくそういう事はなく、むしろこちらからお願いして練習に参加させていただいておりました。
別のチームに所属している子を練習に参加させてくれるなんて普通はあり得ません。「地域の子が練習場所を探しているなら受け入れてあげるのが我々の役目」と言ってくださった代表の言葉はとてもありがたく、嬉しかったです。
ZEROのコーチや保護者の皆さんは、自分のチームの事だけではなく、地域全体のサッカーのレベルを上げるためにはどうすればいいのかを常に考えています。これはちょっとした驚きでもありましたし、この出来事でZEROというクラブの本質に触れた気がしています。
初対面では必ず人見知りする性格だったので心配していましたが、ZEROのみんながあたたかく迎えてくれて、すぐにみんなと仲良くなれました。
練習になるとチームのみんなからは女子特有のパススピードの遅さ、プレスの緩さを再三注意され、男子のスピードとパワーに圧倒されて練習について行くのが精一杯という状況。それでも女子だからといって特別扱いはされず、厳しい環境に身を置ける金曜日の練習が楽しくて、12月には練習試合にも参加させていただいたそうです(私はこの事実を最近知りました・笑)。そこではじめて練習内容と試合でのプレーがリンクするという体験をし、ZEROのサッカーをもっと知りたい、もっとZEROのみんなと一緒にプレーしたいという考えに至ったらしいです。
移籍の意思を娘からはじめて聞いたのが今年の1月8日。当初、私はこの移籍には反対していました。残り1年しかないこの時期に移籍して、試合にも出れない環境になるのは娘のためにならないと考えたからです。しかし娘からは「ZEROのサッカーは楽しいし、試合に出れなくても勉強になる。残り1年は男子の中で勝負してみたい」と必死に訴えられ、その姿に心を動かされました。
第3回ガールズエイトジャパンを終えた2月4日から正式にHFC.ZERO真岡へ移籍。女子登録から第4種登録への変更を行い、晴れてZEROの一員になったわけです。
娘がZEROに加入してからおよそ9ヶ月。短い期間でしたが、娘にとってはとても充実した9ヶ月だったはずです。加入直後に「ZEROに入ってはじめてサッカーを教わってる気がする」と言った娘の言葉がすべてを物語っていると思います。
6年生9人、それぞれに熱い思いがあったはずですし、保護者にもいろんな思いがあるはずです。それだけに選手権3回戦敗退は非常に残念な結果となりました。でも最後までみんな精一杯戦っていたと思いますし、コーチも保護者の皆さんも子ども達と一緒に戦ってくださいました。
金曜日、アカデミー2次試験を断念する決意をした娘でしたが、「あと一日で治ったら選手権出てもいい?」と母親に聞いてました。当然ながら最後の試合には出られませんでしたけれど、娘も病床でみんなと一緒に選手権を戦っていたのだと思います。全員そろって戦う事はできませんでしたが、全員で戦っていた選手権でした。
チームメイトには小学1年生からZEROでサッカーをやっている子もいるようですし、娘以上にZEROに対する愛着や愛情がある子ばかりだと思います。昔は弱くて、他チームの保護者からは「ZEROはボーナスステージって言ってた」と聞きました。そんなチームが年々力を付け、芳賀地区王者となり、全少県大会ベスト8という結果を残した事は、他チームの保護者の方々から見ても驚きの成長だったようです。
すべては子ども達の努力とコーチの皆さんのご指導のおかげだと思っています。素晴らしい経験をさせてくれたみんなに感謝です。本当にありがとうございました。
ZEROでプレーできて、娘は幸せでした。ZEROに移籍して本当に良かったと思っています。
ヴェルフェのみなさん、ぜひ今大会で優勝し、ZEROが実質的に2位だったと言わせてください。
娘とZEROとの出会いは昨年の5月。ZEROカップに河内SCジュベニールの一員として参加させていただいたのがZEROを知ったきっかけでした。それまではずっと女子サッカーとの関わりしかなく、少年サッカーの事をまったく知らなかった私達は地元真岡にこんなに強くて素晴らしいサッカーをするチームがあるんだという事をはじめて知りました。
現在胃腸炎で入院中の娘、思えばあのZEROカップ初日も体調不良で吐いてました。ZEROとの関係は吐きながらはじまり、吐きながら終わった事になります(;・∀・)
ZEROの練習に参加させていただくようになったのがちょうど一年前。当時はまだ河内SCジュベニールでプレーしていた娘でしたが、平日の練習場所を探していた時にZEROが受け入れていただける事になり、前回の選手権終了後、新チームが始動するタイミングで毎週金曜日に練習生として参加させていただける事になりました。
ZEROに引き抜かれたんでしょ?と訊かれた事がありましたけれど、まったくそういう事はなく、むしろこちらからお願いして練習に参加させていただいておりました。
別のチームに所属している子を練習に参加させてくれるなんて普通はあり得ません。「地域の子が練習場所を探しているなら受け入れてあげるのが我々の役目」と言ってくださった代表の言葉はとてもありがたく、嬉しかったです。
ZEROのコーチや保護者の皆さんは、自分のチームの事だけではなく、地域全体のサッカーのレベルを上げるためにはどうすればいいのかを常に考えています。これはちょっとした驚きでもありましたし、この出来事でZEROというクラブの本質に触れた気がしています。
初対面では必ず人見知りする性格だったので心配していましたが、ZEROのみんながあたたかく迎えてくれて、すぐにみんなと仲良くなれました。
練習になるとチームのみんなからは女子特有のパススピードの遅さ、プレスの緩さを再三注意され、男子のスピードとパワーに圧倒されて練習について行くのが精一杯という状況。それでも女子だからといって特別扱いはされず、厳しい環境に身を置ける金曜日の練習が楽しくて、12月には練習試合にも参加させていただいたそうです(私はこの事実を最近知りました・笑)。そこではじめて練習内容と試合でのプレーがリンクするという体験をし、ZEROのサッカーをもっと知りたい、もっとZEROのみんなと一緒にプレーしたいという考えに至ったらしいです。
移籍の意思を娘からはじめて聞いたのが今年の1月8日。当初、私はこの移籍には反対していました。残り1年しかないこの時期に移籍して、試合にも出れない環境になるのは娘のためにならないと考えたからです。しかし娘からは「ZEROのサッカーは楽しいし、試合に出れなくても勉強になる。残り1年は男子の中で勝負してみたい」と必死に訴えられ、その姿に心を動かされました。
第3回ガールズエイトジャパンを終えた2月4日から正式にHFC.ZERO真岡へ移籍。女子登録から第4種登録への変更を行い、晴れてZEROの一員になったわけです。
娘がZEROに加入してからおよそ9ヶ月。短い期間でしたが、娘にとってはとても充実した9ヶ月だったはずです。加入直後に「ZEROに入ってはじめてサッカーを教わってる気がする」と言った娘の言葉がすべてを物語っていると思います。
6年生9人、それぞれに熱い思いがあったはずですし、保護者にもいろんな思いがあるはずです。それだけに選手権3回戦敗退は非常に残念な結果となりました。でも最後までみんな精一杯戦っていたと思いますし、コーチも保護者の皆さんも子ども達と一緒に戦ってくださいました。
金曜日、アカデミー2次試験を断念する決意をした娘でしたが、「あと一日で治ったら選手権出てもいい?」と母親に聞いてました。当然ながら最後の試合には出られませんでしたけれど、娘も病床でみんなと一緒に選手権を戦っていたのだと思います。全員そろって戦う事はできませんでしたが、全員で戦っていた選手権でした。
チームメイトには小学1年生からZEROでサッカーをやっている子もいるようですし、娘以上にZEROに対する愛着や愛情がある子ばかりだと思います。昔は弱くて、他チームの保護者からは「ZEROはボーナスステージって言ってた」と聞きました。そんなチームが年々力を付け、芳賀地区王者となり、全少県大会ベスト8という結果を残した事は、他チームの保護者の方々から見ても驚きの成長だったようです。
すべては子ども達の努力とコーチの皆さんのご指導のおかげだと思っています。素晴らしい経験をさせてくれたみんなに感謝です。本当にありがとうございました。
ZEROでプレーできて、娘は幸せでした。ZEROに移籍して本当に良かったと思っています。
私たちも敗戦してしまいました。
でも次のステージで応援を続けようと思います。