般若心経

写経
四国八十八ヶ所

般若心経

2018-05-31 | Weblog
1895

 「トコトンやさしい地質の本」(日刊工業新聞社)





 産業技術総合研究所地質調査総合センターの研究者の方々によるお話しです。
岩石の多様性、海洋プレート、大陸プレート、日本列島の成り立ちと地質、活断層、日本の鉱床と鉱物資源などMa単位(百万年単位)での話です。
単に百万年前とか聞くとちょっと想像がつきにくいですが、本を読みながら何百万年前という話を聞くとなぜか身近な話に想えます。

コラムから
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 地表に露出した地質を調べて過去の鉱床生成過程を研究し、現在進行中の海底資源の探査・研究に活かす。一見、過去を探る地質学と現在の資源開発とは繋がらないように感じるかもしれませんが、今を理解するためには過去を記録した地質に学ばなければならない。「温故知新」とは、まさに地質学の研究姿勢そのものといえます。現在も過去も、陸上も海底も、地上も地下も、全部をひっくるめて自然から学ぶ。多様な専門分野からなる地質学は、その多様性こそが最も重要な特質だといえるでしょう。
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地質調査総合センターのホームページです。
https://www.gsj.jp/

この中に「シームレス地質図」があります。
日本全国の地質が分かります。
地図の中心を調べたい位置に移動させれば、その地質が表示されます。
因みに私の住んでいる場所は
「後期白亜紀(K2)の珪長質深成岩類(新期領家花崗岩類)
約1億年前~6500万年前にマグマが地下の深いところで冷えて固まった花崗岩質の深成岩(新期領家)」ということでした。

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2018-05-29 | Weblog
1894

 今年の鳥対策

 サヤエンドウが実をつけています。大根の種もさやが丸く大きくなってきました。今年も種をねらって鳥がやってきています。見ていると雀、鳩、ヒヨドリなどいろいろやってきているようです。これからトマトがカラスにつつかれる時期です。
昨年はみかんに小さな実がついたところをヒヨドリの群れが押し寄せて啄み、2,3日の間にほとんど食べられてしまいました。
 毎年、ネットや糸を張って被害を少なくしようといろいろ試しているのですが百パーセント効果があるというものはないようです。
 稲穂を雀から守る”きらきらテープ”というものがありますが、今年はこれをやってみました。
使ったテープはビデオテープ、ひねりを入れて張れば風に揺れてきらきらと光ります。鳥をおどす効果がありそうです。みかんの木と畑の上に張りました。





 ところで、庭と畑に鳥の餌台を置いています。みかんやパンくずなどを置いておくと鳥が来て啄んでいきます。鳥が餌を食べている様子を眺めているとかわいいもので見ているだけでたのしくなります。
今の時期は餌は置いていないのですが、鳥に来てもらいたいし、一方で来てもらっては困るし鳥にしてみれば、なんと人間は勝手なものだと思っていることでしょう。

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2018-05-27 | Weblog
1893

 カミキリムシ

 樫の木にカミキリムシの幼虫が入ったようです。木の肌のあちこちに穴があいて木くずが押し出されています。


皮を剥ぐって中の幼虫を捕まえようとしましたが、穴は相当深く、また曲がりくねっていて手に負えません。
以前に幼虫を一匹捕まえたことがあります。指の太さほどの白い幼虫です。この幼虫は昆虫界のトロとかいわれ非常に珍味だということですが、私は毛頭その気はありません。

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2018-05-25 | Weblog
1892

 丁石が変です
   藤井寺から焼山寺

 丁石とは遍路道沿いに立てられた道案内を兼ねた距離を示す標石です。1丁(約109m)毎に立てられていますので、丁石と呼ばれています。遍路道を歩いているとき、目的地に向かってあと〇〇丁、あと〇〇丁と次第に距離が小さくなっていくこの丁石は疲れたお遍路を力づけて支えてくれます。
 先日歩いた藤井寺から焼山寺への遍路道にも丁石があります。



右肩”山”の下の数字の”5”を斜めにしたような文字は「より」と読みます。
「焼山寺より百一丁の地点です」という意味です。

 このコースは八十八ヶ所の中でも一番の難所といわれ、最初に歩いたときは丁石を見る余裕など全くありませんでしたが、3回、4回と歩くうちに次第に余裕も出てきて、丁石を見ながら歩くことができるようになりました。そうしていると途中一部の丁石の順番がおかしいことに気がつきました。自分の見間違いではないかとわざわざ引き返して確認したこともありました。確かに順番が違うのです。
例えば九十八丁⇒九十六丁⇒九十七丁⇒九十二丁⇒九十五丁⇒九十一丁といった具合です。
間になくなっている丁石もありますが、並んでいる順番がくるっています。この他に二か所同じようにおかしいところがあります。礎石の状況などから見ても昨今入れ替わったものではありません。かなり以前からのようです。今回はメモを取りながら歩きました。
 なぜ丁石の位置が入れ替わったのだろうか、不思議に思いました。
深い山中に丁石を建てるにはそれなりの経費と人力を必要としたでしょう。またお地蔵様が彫られていますので完成時には相応の法要がなされたことでしょう。多くの人が建立に関与している中で、建設時に間違えるということはまず考えられません。
 歩きながらあれこれ考えてみるにミステリーサークルのような今でいう愉快犯の仕業ではないかと思いました。小型の舟形石といってもかなりの重量があり、山道を担いで入れ換えることはかなり困難なことです。ですから単独犯ではなく、見張りなども入れると四、五人は必要でしょう。
ただ単に後世の人たちを不思議がらせてやろうと、汗を流して一生懸命になって石を担いでいる、そのような姿を想像すると、なにかしら古の彼らにおかしさを感じます。もちろん今の世ではとんでもないいたずらであり、文化財を傷つけたとニュースになることに間違いはないでしょうけれど。

 焼山寺の納経所で調査したことがあるのか、なにかいわれがあるのでしょうかと聞いてみました。すると、調査したことはないがときどき道が崩れたり、木の伐採、道の付け替え工事が行われているのでそのとき移動されて入れ替わったのでしょうというお話でした。いたずら説については、考えられないということです。お寺からしてみれば、誰もそのような破廉恥な行為をするとは考えられないのでしょう。

 帰りの電車の中でぼんやりと外を眺めながらまた思い出して考えていると、ひょっとすると建設当初から意図して順を違えて配置されたのではないかと思いました。
 丁石を数えながら歩くと確かに楽に歩けます。しかし焼山寺への遍路道はきびしく多くの人は丁石を見ながら歩く余裕がありません。丁石の順番が違っていれば話題になり、みなが丁石に注目して歩くようになるのではないか。そのようなお遍路を応援する心理的効果を狙ったのではないだろうか。
 あるいは人生即遍路とかいいます。藤井寺から焼山寺までの険しい山道、人生と一緒で少々間違っていてもいいじゃないか、細かいことに気を取られるな、人生にはときに行くも返るもあるさという教えが込められているのではないだろうか。
なんてちょっとカッコいい解釈もあるぞなどと考えているうちに、電車の揺れに誘われて心地よい眠りに包まれました。

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2018-05-23 | Weblog
1891

 表がダメなら・・・夏みかん

 毎年この時期、夏みかんの皮を煮てヨーグルトに入れて食べています。
みかんの皮を1センチ角ほどに切るのですが、この皮が意外に固く、数個も切ると手が痛くなってしまいます。切る前に包丁を研いでもダメです。
 昨日もまた手を痛くしながら切っていたのですが、ふと裏側から切ってみるとどうなのだろうかと思い試してみました。今まで、形が安定する表からのみ切っていました。裏側から切ることは考えてもみませんでした。表からだろうと、裏からだろうと同じものを切るのですから、力は同じだと思いませんか?
 しかし、意外にも裏側から切るとさくさくと簡単に切ることができます。力が全然違います。安定さを犠牲にしてもずいぶん楽です。
 包丁の取り扱いの基本だといわれるかもしれませんが、私にとっては新しい発見でした。





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2018-05-21 | Weblog
1890

 最後まで残った空海の道

5月20日 「最後まで残った空海の道ウォーク」に行ってきました。
吉野川市11番札所藤井寺~神山町12番札所焼山寺経由鍋岩まで15.6キロのコースです。

20日の受付が7時30分からでしたので19日は徳島で前泊
眉山に登りました。


強風のためロープウェイは一時運転停止

ちょっとかすんでいますが、淡路島、鳴門大橋が見えます。


20日8時30分、吉野川市長の合図によりスタート。このコースは八十八ヶ所の中で一番の難所と云われています。最初は数十センチ間隔で出発した隊列も、次第に間隔が広くなり、柳水庵を過ぎる頃には数十メートルになります。


















最後の遍路ころがしです


焼山寺


 お遍路にちょうどいい季節です。コースの途中で20人近くのお遍路さんにお会いしました。藤井寺で埼玉県から来たという中年の男性、一週間くらいの区切り打ちをして今回で6回目だそうです。秩父三十四観音霊場の話を聞かせてもらいました。一本杉庵でがっちりとした体格の若い男性、今回は23番までの阿波一国参りだそうです。一緒に休憩してサンドイッチをお接待させてもらいました。姿、様子から見てお坊さんだったかもしれません。
 お接待といえば四国を歩いていると多くのお接待を受けます。お遍路うちでお互いに飴やお菓子をあげたり、もらったりすることはあるのですが、考えてみればお接待としてお遍路さんにものをあげたことはありません。急な山道でもらった飴一つ大変うれしいものです。今回はちょうどいい機会だと思って出会ったお遍路さんにセブンのガルボを一つずつでしたが、お接待させてもらいました。






 吉野川市役所、神山町役場の職員の方々、病院、消防、警察多くの方々、またコース各所での道案内やお接待をしていただいた地元のボランティアの方々、大変お世話になりました。
楽しい一日をありがとうございました。

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2018-05-19 | Weblog
1889

 空海の道

 今日はこれから一泊二日の予定で徳島へ行ってきます。
明日、四国八十八ヶ所第11番藤井寺から第12番焼山寺を経て麓の鍋岩までのウォーキング大会に参加します。
昨夜はすごい雨でしたが、予報では明日の吉野川市は晴れになっています。
無事にゴールできますように。



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2018-05-17 | Weblog
1888

 「お寺はじめました」





 お坊さんの多くは、お寺に生まれ、学校に入り僧侶の資格を取り、実家に帰って跡を継ぐという人たちです。しかし、著者は一般家庭に生まれ15歳で出家した少数派です。日蓮宗の総本山身延山久遠寺で修行に入るとともに身延山高校仏教コースに学ぶ。その後杉並区妙法寺で修業しながら立正大学に進学、卒業後都内のお寺での勤めを経て日蓮宗国内開教師に任命され、埼玉県越谷市に源妙寺を開堂しました。

  目次から
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  第一章 お寺を開く
  第二章 私はこうしてお坊さんになった
  第三章 仏様の教えを暮らしの中に
  第四章 源妙寺だより
  終 章 お寺を建てる
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 総本山での修行、高校生活、大学での僧階取得、信行道場の話などお坊さんになるためのきびしい過程を紹介しています。
高校では入学したとき20人いた同級生が卒業時には9人に、最後の関門である信行道場では50人のうち5人が途中で脱落。またお寺を建てるにも資金、場所、信者の確保のための宣伝活動、並大抵のことではありません。
もともとお寺は地域に根差し、学校、病院、役所を兼ねた人々が交流する場所でした。今の時代、お寺イコールお葬式というイメージがありますが、理想のお寺を目指している著者の活躍ぶりと思いを知ることができました。

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2018-05-15 | Weblog
1887

 取水桝

 畑の隅に湧き水が出ています。この湧き水を汲み上げ、水槽まで送るために送り口に一斗缶を取り付けていました。もう10年以上使っており、錆びて下の方がボロボロになって、中をのぞくと底板は全くなくなっています。

【before】


 中にポリ袋を入れていますので、用は足しているのですが、あまりにも格好がよくないので取り替えました。

【after】


台所の屑入れの使っていないものがあったので、転用しました。

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2018-05-13 | Weblog
1886

 はじめまして




はじめてのカブトムシ
はじめてのヒト