飛行機さつえい奮闘記
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月が変わって6月1日。場所は熊本交通センター付近のホテル。この日は一日中雨の予報が出ていました。
元々、午前中に熊本城を見学、昼前に熊本交通センターでイベントに来るくまモンを見て、日没まで熊本空港で撮影しようと思っていましたが、予定変更。熊本城をのんびり見学し、天然温泉のスーパー銭湯に向かいゆっくりすることにしました。


熊本にもチキンラーメンのラッピング路面電車がいるのですね。

熊本城の開門は8時半。それまで熊本交通センター付近の交差点で、熊本独自の交差点を見学。動画でご覧ください。

熊本市の路線バス 左車線からの右折

大型路線バスが左車線から一気に右折しています…!普通ならありえない光景です。
熊本市の主要な道路は左車線がバス専用右折車線となっており、右折信号で左端に並んでいる一般の右折車両も、左端に並んでいるバスも同時に右折することができるのです。


第二レーンからは一般車が直接左折することもできます。バスの前に割り込むような光景はヒヤヒヤしてしまいます(^_^;)


まもなく開門の時間。熊本城に向かいます。銅像は熊本城の天守閣を築城した加藤清正氏。




早朝なので観光客はほんの数人。築城当時からそびえ立つ美しい弧を描いた『武者返し』と言われている石垣を左右に眺めながら天守閣を目指します。


天守閣が見えてきました。


日本三名城の中では『日本一』と言われている熊本城!これで熊本城、名古屋城、姫路城といった日本三大名城全て訪れました。名古屋城は外観から見ただけなので、まだ中に入ったことはありませんが…w


熊本城は1877年2月19日、西南戦争での西郷軍の総攻撃2日前、原因不明の出火で大小天守閣などの建物を焼失してしまいました。
現在の天守閣は1960年、熊本国体開催と築城350年を期に、大小天守閣や塀などを再建し、本丸一帯を公園として整備したもの。
天守閣は鉄筋コンクリート造りで、内部は熊本市熊本博物館の分館として史料等が展示されており、最上階は展望スペースとなっています。


これは宇土櫓。熊本城の中では大小天守を除いて最大の櫓となります。1877年の原因不明の出火では風上であったことから、消失を免れました。加藤清正が創建した初代天守ではないかという見方もあるようです。


天守閣の反対側に回り込みます。


天守閣と本丸御殿の間にある地下通路、『闇り通路』。本丸御殿は二つの石垣をまたぐように造られた為、このような左右を石垣で囲まれた地下通路があります。御殿への正式な入口となるようです。


これがよく見る熊本城。黒い瓦と白い漆喰が美しいお城です。


熊本城のゆるキャラ、『ひごまるくん』。


雨がポツリポツリと降ってきたので、天守閣の内部に入ります。


この鯱は天守閣が1960年に再建された際に大小天守屋根に設置されていたもの。平成19年に落雷や台風、経年による亀裂、破損などが確認された為、安全面を考慮し、新たに鯱大小2対4体が設置されました。


江戸期の熊本城下縮小模型。


現在の熊本城と変わらぬ形をしています。消失前の熊本城は図面や写真が多く残っており、忠実に再現しているとのこと。


再建前に作成した1/100の縮小模型。


天守閣最上部まで上がってきました。宇土櫓の他、二の丸広場が見えます。


東側。


南側。よーく見ると『くまモン』が描かれている建物があります。これは熊本信用金庫。信金の創立90週年事業で制作し、4月26日に完成したそうです。


こちらは小天守閣より。


続いて本丸御殿を見学。大広間は畳60畳分の広さ。奥にながーく続いています。


縁側は風通しがよく、気持ちいい。


昭君之間。いわゆる対面所で、藩主の会見の場として使用されました。本丸御殿の中で最も格式の高い部屋で、慶長期の特色である鈎上段を設け、室内は床の間や違棚、付書院などを持つ書院造りとなっています。


壁や襖などには中国の前漢の時代の話で、匈奴(現在のモンゴル)に嫁がされた悲劇の美女、王昭君の物語が描かれています。


昭君之間の漆塗りの折上げ格天井には、四季折々の美しい花々、木々、植物が描かれています。 天井画は全部で60枚あります。


次は宇土櫓を見学。国の重要文化財ですが、内部の公開を行なっています。


外周の廊下は武者走りといい、戦闘の最前線になります。下部には石や弓矢を放つ穴が開けられています。歩くと板張りの床がギシッギシッとキシミます。


姫路城と同じようなとても急な階段。


最上階からは大小天守閣がよく見えます。


このように歴史を感じさせる建物は大好きなのです。遠い昔、同じ場所に戦国武将が立っていたと思うと、数百年昔のことでも身近に感じます。


11時より熊本交通センターにて、熊本のゆるキャラである『くまモン』が登場するイベントがある為、一度熊本城を離脱。熊本交通センター内のフードエリア『桂花』で熊本ラーメン。


熊本城なのに千葉城!千葉城は、応仁・文明年間に出田秀信によって築かれた。秀信は、守護菊地重朝の代官として藤崎八幡宮の惣政所を務めていた。文明17年菊地重朝の命に従って出陣し、矢部馬門原の合戦で討死、嫡男重綱が跡を継ぐが父ほどの威勢も無くなった。明応5年に守護菊地氏の命により鹿子木親員が隈本へ入り、藤崎宮の維持に当たるため隈本城を築くと出田氏の千葉城は廃城となった。


横井小楠と維新群像。千葉城橋と厩橋の間に位置する高橋公園の中に、横井小楠のほか、彼と親交のあった坂本龍馬、勝海舟、松平春嶽、細川護久の5人の銅像が維新の群像として立てられています。


勝海舟と坂本龍馬。


本降りの雨。雨粒の音を聞きながら、のーんびりと次の目的地、旧細川刑部邸に向かいます。


細川刑部家は、細川家三代忠利公の弟、細川刑部少輔興孝が正保3年(1646年)に2万5千石を与えられて興したものです。この建物は、その後、子飼、現在の熊本市東子飼町で下屋敷として使用していたものを平成2年から4ヶ年かけて移築したものです。同邸は建坪300坪あり、唐破風の大きな玄関は、重臣などの訪問や当主だけが使ったとされています。また、入側造りの表御書院は、江戸時代の大名邸宅の造りを残しています。


雨で熊本空港に行く予定が流れてしまったので、歴史ある建物の中でのーんびり。






折角なので温泉に入りたいと思い、近くを検索したら、城の湯というところが天然温泉を使用している模様。
温泉に入りのーんびりしていました。


熊本は熊本ラーメンの他に、馬肉が有名のようですが、あまり好みではないので、夜ごはんも熊本ラーメン。昼に食べた『桂花』の隣にある『こむらさき』で頂きました。
こっちのほうがさっぱり系のスープ。とんこつ好きな私にとって、九州はラーメン天国です(゜∀゜)

次回は熊本のゆるキャラ、『くまモン』特集です。街のあちこちにくまモンがいました(* ̄(エ) ̄*)

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コメント
 
 
 
Unknown (ツン)
2013-06-11 22:53:34
~路線バスの左車線からの右折について~

写真の後に動画まで掲載されていたので、違反の瞬間を捉えているものだとしばらく勘違いしてしまいました(苦笑)
 
 
 
こんばんは (POLO)
2013-06-13 23:29:07
「城」って良いですよね。
日本の歴史、文化が表れているとても良い象徴物だと思います。
今と違い機械も技術も発達していない時代に、よくあのような建物(特に石垣)が作れましたよね。
昔の人って本当に凄いと思います。
 
 
 
Unknown (こうへい)
2013-06-15 19:07:34
POLOさん

熊本城の石垣は圧巻でした。それだけ城主が権力を持ち、広く支持を受けていた現れですね。
日本には他にも立派な天守閣を持つお城があるので、いろいろ訪れてみたいです。
 
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