二〇一八年十一月二五日 NO・四五ー三五 聖 書 日 課
礼 拝 次 第 (日)士師記 十九章 (月) 〃 二十章
司会 みつ子師(火) 〃 二一章(水) ルツ記 一章
奏楽 内 間姉(木) 〃 二章(金) 〃 三章
招詞祈祷 詩編三十編十二~十三節 (土) 〃 四章
頌 栄 聖 歌三八四番 (お 知 ら せ)
信仰告白 使徒信条 ◎早天祈祷会(月~土)午前五時三十~五五分。
讃 美 讃美歌 六三番 ◎二九日(木)午後二時より祈祷会です。
主の祈り ◎本日午後、大掃除です。
交 読 文 詩 編 七一編一~十三節 ◎十二月一日午後二時より千葉市文化センターにて
讃 美 讃美歌三二四番 市民クリスマスです。
献 金 感謝の祈り 平林姉 秘められた計画が啓示によって
讃 美 聖 歌三九八番 わたしに知らされました。
説 教 エフェソ三章一~十三節 わたしは、この恵みにより、
讃 美 聖 歌二一七番 キリストの計り知れない富について、
祈 祷 高澤兄 異邦人に福音を告げ知らせており、
頌栄祝祷 聖 歌三八三番 エフェソ三章三・八節
パウロに啓示されたキリストの奥義
1節は本来14節以下の「祈り」に繋がる。しかしパウロはその間に長い挿入文を入れている。それは1節の「囚人」という言葉に触発されもので、13節でもう一度そのことに触れて締めくくっている。
2節以下の一つの鍵語は、「奥義」(ミュステーリオン3・4・5・9節)である。新共同訳は、「秘められた計画」(3・9節)「実現された計画」(4節)「この計画」(5節)と訳している。この奥義は、どこまでも「キリストの奥義」(4節)である。すなわちキリストによる救いの御業のことである。その詳細について2章までにパウロは語ってきたーーキリストによる罪と死からの救い、キリストによる平和と一致、全人類が神の家族になる等々ーー。ここでパウロは、そのキリストの奥義を、神は自分に啓示してくださり、それを宣べ伝える使徒として下ったと強調している。
現代の私たちにはなかなか理解できないことであるが、ユダヤ人と異邦人との垣根が取り除かれたというメッセージは、ユダヤ人にとって驚天動地の事柄であった。キリストによって実現する一致・平和こそ、天地創造の前から隠されていた神の御心が明らかにされた(啓示)救いの事実である。現代もなおある紛争・分裂の現実を、私たちは嘆かないようにしよう。無から有を造り出す神は、キリストによって最終的に万物の平和・一致を実現されるから。まさにこの救いこそ「神の恵み」というほかない。
パウロは自分を「最も小さな者」(口語訳)と呼ぶ。人間的・客観的に見れば、パウロは決してそのような者ではなく、むしろ優れた者である。ここでパウロは謙遜して、また他者と比較して言っているのでもない。「神の前」で本心で言っている。神の前に立たされた者だけが持つこの自己理解! 神はこのような者を御自分の御業のために用いられる。だからパウロは自分をどこまでも「キリストの囚人」と呼び、またキリストを宣教したために受けた様々な苦難を光栄とさえ思うことができる。
13節でそのことを確認して、自分の今の捕らわれの状態が決してマイナスではなく、あなたがたにとって栄光とさえなると言明して、エフェソの信徒が悲しまないように勧める。
礼 拝 次 第 (日)士師記 十九章 (月) 〃 二十章
司会 みつ子師(火) 〃 二一章(水) ルツ記 一章
奏楽 内 間姉(木) 〃 二章(金) 〃 三章
招詞祈祷 詩編三十編十二~十三節 (土) 〃 四章
頌 栄 聖 歌三八四番 (お 知 ら せ)
信仰告白 使徒信条 ◎早天祈祷会(月~土)午前五時三十~五五分。
讃 美 讃美歌 六三番 ◎二九日(木)午後二時より祈祷会です。
主の祈り ◎本日午後、大掃除です。
交 読 文 詩 編 七一編一~十三節 ◎十二月一日午後二時より千葉市文化センターにて
讃 美 讃美歌三二四番 市民クリスマスです。
献 金 感謝の祈り 平林姉 秘められた計画が啓示によって
讃 美 聖 歌三九八番 わたしに知らされました。
説 教 エフェソ三章一~十三節 わたしは、この恵みにより、
讃 美 聖 歌二一七番 キリストの計り知れない富について、
祈 祷 高澤兄 異邦人に福音を告げ知らせており、
頌栄祝祷 聖 歌三八三番 エフェソ三章三・八節
パウロに啓示されたキリストの奥義
1節は本来14節以下の「祈り」に繋がる。しかしパウロはその間に長い挿入文を入れている。それは1節の「囚人」という言葉に触発されもので、13節でもう一度そのことに触れて締めくくっている。
2節以下の一つの鍵語は、「奥義」(ミュステーリオン3・4・5・9節)である。新共同訳は、「秘められた計画」(3・9節)「実現された計画」(4節)「この計画」(5節)と訳している。この奥義は、どこまでも「キリストの奥義」(4節)である。すなわちキリストによる救いの御業のことである。その詳細について2章までにパウロは語ってきたーーキリストによる罪と死からの救い、キリストによる平和と一致、全人類が神の家族になる等々ーー。ここでパウロは、そのキリストの奥義を、神は自分に啓示してくださり、それを宣べ伝える使徒として下ったと強調している。
現代の私たちにはなかなか理解できないことであるが、ユダヤ人と異邦人との垣根が取り除かれたというメッセージは、ユダヤ人にとって驚天動地の事柄であった。キリストによって実現する一致・平和こそ、天地創造の前から隠されていた神の御心が明らかにされた(啓示)救いの事実である。現代もなおある紛争・分裂の現実を、私たちは嘆かないようにしよう。無から有を造り出す神は、キリストによって最終的に万物の平和・一致を実現されるから。まさにこの救いこそ「神の恵み」というほかない。
パウロは自分を「最も小さな者」(口語訳)と呼ぶ。人間的・客観的に見れば、パウロは決してそのような者ではなく、むしろ優れた者である。ここでパウロは謙遜して、また他者と比較して言っているのでもない。「神の前」で本心で言っている。神の前に立たされた者だけが持つこの自己理解! 神はこのような者を御自分の御業のために用いられる。だからパウロは自分をどこまでも「キリストの囚人」と呼び、またキリストを宣教したために受けた様々な苦難を光栄とさえ思うことができる。
13節でそのことを確認して、自分の今の捕らわれの状態が決してマイナスではなく、あなたがたにとって栄光とさえなると言明して、エフェソの信徒が悲しまないように勧める。