二〇二四年九月十五日 NO・五一―二四 聖 書 日 課
礼 拝 次 第 (日)Ⅰヨハネ 二章 (月) 〃 三章
司会 高 澤兄(火) 〃 四章 (水) 〃 五章
奏楽 内 間姉(木)Ⅱヨハネ 一章 (金)Ⅲヨハネ 三章
招詞祈祷 ゼカリヤ八章二二~二三節 (土)黙示録 一章
頌 栄 聖 歌三八四番 (お知 ら せ)
信仰告白 使徒信条 ◎早天祈祷会(月~土)午前五時三十~五五分。
讃 美 讃美歌 十二番 ◎十九日(木)午後二時より祈祷会です。
主の祈り ◎本日午後責任役員会。
交 読 文 詩 編 四 編 ◎二五日(水)午後一時半より筑波福音同志会の聖会が
讃 美 讃美歌五一六番 当教会で開かれます。
献 金 感謝の祈り 堅田姉 ◎礼拝動画 こちら
讃 美 聖 歌五二九番 私のために神に祈り、私と一緒に戦ってください。
説 教 ローマ十五章二二~三三節 私がユダヤにいる不従順な者たちから救われ、
讃 美 聖 歌五〇一番 エルサレムに対する私の奉仕が
祈 祷 松田兄 聖なる者たちに喜んで受け入れてもらえますように。
頌栄祝祷 聖 歌三八三番 ローマ十五章三十・三一節
ローマの手紙の執筆の背景
今日の箇所から、私たちはパウロがローマの手紙を書いた目的を知ることができる。一つは、「行きたいと長年、切望していた」(23節)からであるが、最大の理由は、ローマ帝国の最西端のスペインに伝道に行くための手助けをしてほしいと願っていたからである。ローマ教会は、パウロが建てた教会ではないので、自己紹介を兼ねて、自分が宣べ伝えている福音を知ってもらうために、1章16~15章13節を記した。パウロがスペインでの宣教を熱望した理由は、福音をローマ帝国全土に伝えたいという願いからである。これは主イエスの大宣教命令に合致する(マタイ28章18~20節)。
西方での伝道に移行する前に、パウロの最優先課題は、エルサレム教会に異邦人教会からの献金を届けることであった。献金は単に愛のしるしではなく、エルサレム教会と異邦人教会との一致の確証のしるしであった。パウロは伝道した地域のユダヤ人からひどく憎まれた。それは彼が伝えた福音が律法を否定するものと映ったからである。そしてそれはエルサレム教会にとって頭痛の種であった。その地のユダヤ人キリスト者は律法を遵守していたからである。だから23節に「ユダヤにいる不従順な者たちから救われる」だけでなく、「私の奉仕が聖なる者たちに喜んで受け入れてもらえるように」と述べているのである。東方を去る前に、何としてもエルサレム教会と異邦人教会の一致を確立したかったのである。
私たちはこの箇所を通して、パウロが置かれていた状況の厳しさを垣間見せられる。27節や9~11章が示しているように、パウロはエルサレム教会、またイスラエルの優越を認めている。それはユダヤ人が優れているというのではなく、どこまでも神の選びと約束の担い手としての救済史的優越による。それゆえエルサレム教会と異邦人教会の一致のために、たとえ命の危険があるにしても、パウロ自らエルサレムに赴かなければならなかったのである。だからパウロは異邦人教会の一翼であるローマ教会に「私のために神に祈り、私と一緒に戦ってください」(30節)と執り成しの祈りを要請したのである。
パウロはここで願ったような形でローマに行くことはできなかった。使徒言行録28章の最後に囚人としてであるが、他人と交わることができる形で2年間を過ごせた、とある。スペイン行は不明である。
礼 拝 次 第 (日)Ⅰヨハネ 二章 (月) 〃 三章
司会 高 澤兄(火) 〃 四章 (水) 〃 五章
奏楽 内 間姉(木)Ⅱヨハネ 一章 (金)Ⅲヨハネ 三章
招詞祈祷 ゼカリヤ八章二二~二三節 (土)黙示録 一章
頌 栄 聖 歌三八四番 (お知 ら せ)
信仰告白 使徒信条 ◎早天祈祷会(月~土)午前五時三十~五五分。
讃 美 讃美歌 十二番 ◎十九日(木)午後二時より祈祷会です。
主の祈り ◎本日午後責任役員会。
交 読 文 詩 編 四 編 ◎二五日(水)午後一時半より筑波福音同志会の聖会が
讃 美 讃美歌五一六番 当教会で開かれます。
献 金 感謝の祈り 堅田姉 ◎礼拝動画 こちら
讃 美 聖 歌五二九番 私のために神に祈り、私と一緒に戦ってください。
説 教 ローマ十五章二二~三三節 私がユダヤにいる不従順な者たちから救われ、
讃 美 聖 歌五〇一番 エルサレムに対する私の奉仕が
祈 祷 松田兄 聖なる者たちに喜んで受け入れてもらえますように。
頌栄祝祷 聖 歌三八三番 ローマ十五章三十・三一節
ローマの手紙の執筆の背景
今日の箇所から、私たちはパウロがローマの手紙を書いた目的を知ることができる。一つは、「行きたいと長年、切望していた」(23節)からであるが、最大の理由は、ローマ帝国の最西端のスペインに伝道に行くための手助けをしてほしいと願っていたからである。ローマ教会は、パウロが建てた教会ではないので、自己紹介を兼ねて、自分が宣べ伝えている福音を知ってもらうために、1章16~15章13節を記した。パウロがスペインでの宣教を熱望した理由は、福音をローマ帝国全土に伝えたいという願いからである。これは主イエスの大宣教命令に合致する(マタイ28章18~20節)。
西方での伝道に移行する前に、パウロの最優先課題は、エルサレム教会に異邦人教会からの献金を届けることであった。献金は単に愛のしるしではなく、エルサレム教会と異邦人教会との一致の確証のしるしであった。パウロは伝道した地域のユダヤ人からひどく憎まれた。それは彼が伝えた福音が律法を否定するものと映ったからである。そしてそれはエルサレム教会にとって頭痛の種であった。その地のユダヤ人キリスト者は律法を遵守していたからである。だから23節に「ユダヤにいる不従順な者たちから救われる」だけでなく、「私の奉仕が聖なる者たちに喜んで受け入れてもらえるように」と述べているのである。東方を去る前に、何としてもエルサレム教会と異邦人教会の一致を確立したかったのである。
私たちはこの箇所を通して、パウロが置かれていた状況の厳しさを垣間見せられる。27節や9~11章が示しているように、パウロはエルサレム教会、またイスラエルの優越を認めている。それはユダヤ人が優れているというのではなく、どこまでも神の選びと約束の担い手としての救済史的優越による。それゆえエルサレム教会と異邦人教会の一致のために、たとえ命の危険があるにしても、パウロ自らエルサレムに赴かなければならなかったのである。だからパウロは異邦人教会の一翼であるローマ教会に「私のために神に祈り、私と一緒に戦ってください」(30節)と執り成しの祈りを要請したのである。
パウロはここで願ったような形でローマに行くことはできなかった。使徒言行録28章の最後に囚人としてであるが、他人と交わることができる形で2年間を過ごせた、とある。スペイン行は不明である。