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コジキジゲン

「朴氏・昔氏・金氏」の「三姓」の王系

2024-05-09 14:41:56 | 古事記字源
 厶・厸・㕕・厽・𠫬・・・ヨコシマな重なり
 始(女ム口)=乨(ム口乚・ム口乙)
       =兘(元ム口・ー兀ム口乙・二儿ム口乙)
        兀(コツ・ゴチ)
        たか(高・髙・喬)い・・・他界
        山などが高くつきでているさま
        高くて上が平らなさま
        草木がないさま・はげたさま
        動かないさま
        一心に物事にうちこむさま
        あしきる・足切りの刑罰
        π=Π・pie・パイ=3.1415=円周率
 ↓↑
 始=乨=兘
 シ
 はじまる
 はじめ・はじまり
 物事のオコリ・・・怒り・興り・瘧・熾り・痁・起こり?
 はじまる・はじめる・おこす
 はじめて・最初に・新たに
  ↓↑
 前回からのツヅキ・・・
 これで終(了)わるか、始(乨=兘)まるか・・・
    終始・始終・終始・修史・・・
    宗旨・周氏・愁氏・愁思・・・消えろ「習氏・讐志」・・・?
    ↓↑

 「後高句麗」の武将
 「王建」
 は
 「後百済」との戦争で何度も勝利
 群臣たちの信望も厚かったが
 「弓裔」
   裔=衣+冏(あきらか・キョウ・ケイ)・・・末裔
       囧=囗+儿+冂
    囧=冏
    冂+㕣
    冂+儿+口
    冂+八+口
    キョウ
    ケイ・キョウ・ソウ
    まど=窓=宀+ハ+ム+心
    あかるい・あきらかな
    きらきらと輝くさま
    おろおろ・ぎこちない
    明り取りの窓を象る
    炯、烱の原字
    㕣=エン・山間の泥沼地
    㔯=匚+㕣
      匚+几+口
      匚+八(八)+口
      セン
      ざる(笊)・米を研ぐざる
 ↓↑
 には嫌われ、命を狙われそうに」なった
 「弓裔」
 は宮殿を再建し
 民衆の不満が高まり
 自分を
 「弥(彌)勒菩薩」
   彌・・・濔・嬭・獮・穪・禰・鑈・獼・镾
       瀰=ビ・はびこる(蔓延る)
   彌=弓+爾
     弓+一+八+冂+丨+㸚
     弓+一+八+冂+丨+爻
     弓+一+八+冂+丨+㐅+乂
     弓+一+八+冂+丨+㐅+丿
    =弥=镾
     ビ
     ミ
     や
     あまねし
     いや
     いよいよ
     つくろう
     ひさしい
     わたる・・・渉・渡・亙・亘・・・倭樽?
     ひさしい・とおい
     月日を経る・時間が経過する
     あまねし・広く行きわたる
     つくろう・おぎなう(補う)
     ほころび(綻び)を縫ってつくろう
     いよいよ・ますます
     ゆるめる・弓のつるを緩める
     日本語
     いや・いよいよ・さらに
     や・「弥生(やよい)」
 ↓↑
 と呼ばせて
 「観心法」
 で人の心を見ることができると吹聴
 反対派を粛清
 「王建」・・・王の建・・・ヤマトタケル=倭建
       追う・旺・応・負う・欧・汪・謳
 は
 918年
 「弓裔」
 の暴政に対して政変を起こし
 「弓裔」
 を追放し
 「高麗」を興した
 ↓↑
 920年
 新羅の
 「景明王」・・・景明王・・・景行天皇・景保・景気・景色
 は
 「王建」と
 「誼」を通じて
 「後百済」に対抗したが
 924年死亡
 ↓↑
 927年
 「景哀王」
 宴会をしている最中
 「後百済」の
 「甄萱」
   甄=垔+瓦
     西+土+瓦
     覀+土+瓦
     襾+土+瓦
     一+儿+口+土+瓦
   ケン
     つくる
     すえ・すえもの・やきもの・陶器。
     作る・陶器を作る
     その道具=ろくろ
     見分ける・区別する・調べる
     垔=イン
       ふさぐ・土で塞ぐ
   カン・ケン
   かや=萱・蚊帳
・・・うがやふきあえずのみこと
      鸕鶿草葺不合尊
      (うがやふきあわせずのみこと
       うがやふきあえずのみこと)
    ・・・穿って考えれば付記合えずの見事・・・? 
        『日本書紀』
   天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
     (あまつひこ ひこ なぎさたけ
         うがやふきあえず の みこと)
      『古事記』
      彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊
     (ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと)
      『先代旧事本紀』
      彦瀲尊(ひこなぎさ の みこと)
      『古語拾遺』
   かや=萱・・・葦・芦・蘆・・・
          あしな=アシナ=蘆名・足名・・・雅典=アテネ
   勿忘草(わすれぐさ・忘れなくさ)
   かんぞう(甘草=萱草)・ユリ(百合)科の多年草
                 百済   
 ↓↑
 「甄萱」
 に奇襲を受け、殺害され
 次代の
 「敬順王」
 は
 「甄萱」
 により王位に就けられた
 ↓↑
 高麗と後百済の戦争
 935年
 「後百済」の王
 「甄萱」
 が四男に王位を継がせようとするが
 長男の
 「甄神剣(後百済の第2代王)」・・・甄の神の剣
 が反乱
 「甄神剣」
 は
 「甄萱」を寺院に監禁、王位を剥奪
 ↓↑
 935年6月
 「甄萱」
 「後百済」から高麗に亡命
 「王建」
 は
 「甄萱」を国賓として迎えた
 ↓↑
 11月
 新羅の
 「敬順王」
 が君臣を挙げて
 高麗に帰順
 新羅滅亡・・・壹拾壱解通、新羅が滅亡
 ↓↑
 936年
 高麗は
 「後百済」を滅亡させ
 朝鮮半島は
 高麗
 によって統一
 ↓↑
 紀元前後
 朝鮮半島
 粛慎=粛(肀+ノ+米+亅)・慎(忄+真)
 挹婁=挹(ユウ・くむ・扌+邑)・婁(口+十+口+巴)
 沃沮=沃(氵+夭)・沮(氵+且)
 濊 =濊(氵+歳)
 濊貊=濊(氵+歳)
  貊(豸+百)=バク・えびす=貃
            戎・胡・夷・恵比寿
  中国北方の異民族の名=貉
  熊に似た猛獣の名
 等、各諸民族の混在地域
 後
 「秦の始皇帝」
 の
 労役から
 逃亡してきた「秦人」によって
 「辰韓=斯韓」
 が建国された・・・
 ↓↑
 『魏志東夷伝』
 「陳勝などの蜂起、
  天下の叛秦、
  燕・斉・趙
  の民が数万口で、
  朝鮮に逃避した」
 と朝鮮半島は
 移民・渡来人の受け皿になっていた
 隣国、百済・高句麗
 等の
 「扶余」系民族も
 国内に抱えていた
 ↓↑
 『隋書』東夷伝
 新羅は
 「その人には華夏(中国)、
       高句麗、
       百済
  のたぐいがまっじている」
 と記録
 「百済・任那・加羅・新羅」
 地域において
 「倭人」
 特有の
 「前方後円墳」
 等の居住跡が発見され
 一定数の倭人が同地に居住
 ↓↑
 上代新羅の王族は
 姓が一定していない
 初代
 「赫居世(ヒョッコセ)居西干」
   赫=赤+赤=カク・キャク
         あかい・かがやく
 は「朴」
 4代
 「脱解(タレ)尼師今」
 は昔
 13代
 「味鄒尼師今」
 は「金」
 「朴氏・昔氏・金氏」
 の3姓の王系が
 それぞれ
 始祖説話を有し
 持っている
 13代
 「金味鄒」
 は
 「金閼智」
 の子孫とされているが
 後になって
 この「金閼智」の子孫を称する一族が
 金氏王統となり
 統一新羅王朝に於ける唯一の王族となった
 ↓↑
 521年
 「法興王」の時代
 中国南朝
 梁に使者を派遣した新羅王は
 姓 募・・・募集・・・募(つの)る
         ・・・慕(した)う・慕韓=馬韓=百済
 名 秦・・・秦
 564年
 北斉の
 鄴=業+阝=ギョウ=河南省
 に使を遣わした新羅王は
 「金真興」
 「募」という姓は
 「慕韓」
 とも書かれる
 「馬韓」
 のことで
 新羅は
 532年
 金官国の王
 「仇衡王(金仇亥)」
 を降し
 ↓↑
 536年
 初めて元号を立て
 建元元年
 ↓↑
 545年
 初めての国史を編纂
 ↓↑
 554年
 百済の
 「聖王」
 を管山の戦いで殺し
 ↓↑
 562年
 加耶国
 を征服し
 「任那」を完全に併合
 ↓↑
 統一新羅王朝末期
 52代
 「孝恭王」
 に子がいなかったため
 「朴景暉」・・・朴の景の暉・・・
 が推戴されて王位を継承し
 53代
 「神徳王」
 とし
 55代
 「景哀王」
 までの3代は
 「朴氏」王統となる
 新羅最後の王
 第56代
 「敬順王」
 の姓は金氏
 新羅は王位が
 金氏王統に戻ってから
 間も無く滅亡・・・
 ↓↑
 新羅の王(君主)を表す称号としては
 『三国史記』には
 「居西干(コソガン)」
 「次次雄(チャチャウン)」
 「尼師今(イサグム)」
 「麻立干(マリッカン)」
 の固有語由来の表記
 第22代
 「智証麻立干」
 の代で王号を「王」に定め
 諡の制度が始まった・・・
 中原高句麗碑文や
 『日本書紀』には
 「寐錦」
 蔚珍鳳坪碑文には
 「寐錦王」
 迎日冷水碑文には
 「葛文王」
 『太平御覧』で引用する『秦書』には
 「楼寒」・・・「麻立干」・・・
 六部
 建国神話
 「辰韓」
 の六村はのちの
 新羅六部
 王都金城(慶州市)に居住
 自立的な政治的集団として存在
 王都外部に対しては
 王京人として結束して優位性を保ち
 六部の内部的な身分制度が拡大し
 「骨品制」が成立・・・
 六部の名には
 高句麗の五部と類似
 六部の勢力は均等ではない
 六部のうち三部は
 神話上の
 3つの王家(朴氏・昔氏・金氏)と関係が深い
 第3代の儒
 「理尼師今」9年(32年)
 元の六村に対して部名を改め
 姓を下賜した・・・
 『三国史記』
 『三国遺事』
 との間でも伝える内容が異なる
 姓の表記
 高麗の前半期に
 整備されて付加された・・・
 ↓↑
 官位制度
 『三国史記』新羅本紀
 建国の当初のころは
 「大輔」という官名が最高位だった
 第3代
 「儒理尼師今」
 9年(32年)
 17階級の官位(京位)が制定
 枠外の官位
 第23代
 「法興王」十八年(531年)
 宰相=「上大等(上臣)」が設定
 三国統一の功績の
 「金庾信」
 を遇するものとして
 第29代
 「武烈王(金春秋、キム・チュンチュ)」
 七年(660年・百済滅亡)
 「伊伐飡(角干)」
 の更に上に
 「大角干(大舒発翰)」
 「武烈王」
 の息子の
 第30代
 「文武王(金法敏)」
 八年(668年・高句麗滅亡す)
 「太大角干(太大舒発翰)」
 いう位が設定
 新羅王が新たに即位すると
 直ちに最高官位の
 「上大等(大輔、舒弗邯)」
 が任命され、その王代を通じて権力の頂点にたつ
 貴族連合政治体制の現れ・・・
 強力な王権が確立した三国統一の後に
 「上大等」
 が任命された
 「真徳女王」の代
 651年
 国家機密を掌握する執事部が設けられ
 その長官の
 「中侍」が
 「上大等」に代わって政治体制の要となった
 「京位」は
 首都金城に居住する六部のための身分体系
 地方に移り住んだものに対しては
 外位という別途の身分体系を併せ持っていた
 百済・高句麗を滅ぼした後
 両国の遺民を取り込み
 唐に対抗していくため
 京位・外位の二本立ての身分制度を再編
 673年
 百済から帰属してきた者のうち
 百済の2等官の
 「達率」
 の場合には
 金城に移住した者に対しては
 京位10等の
 「大奈麻」
 に当て、地方に留まった者には
 外位4等の
 「貴干」を当てた
 674年
 外位を廃止し
 「京位」に一本化
 唐との戦闘を終えて
 684年
 「報徳国」
 を滅ぼして半島内の混乱を収拾
 686年
 高句麗人に対しても
 官位(京位)を授けた
 このときには
 高句麗の3等官の
 「主簿」
 に対して「京位7等」の
 「一吉飡」
 を当てた
 百済・高句麗両国の
 官位体系の序列を格下げし
 新羅の身分体系に組み入れ
 三国独自に展開されていた
 身分体系が
 新羅の政治秩序のもとに
 一本化され統一国家に整備・・・
ーー↓↑ーー
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