きの書評

備忘録~いつか読んだ本(読書メーターに書ききれなかったもの)~

ハナミズキという映画

2023-07-27 19:26:20 | ドラマ・映画

 知り合いに純愛至上主義の人間がいる。この映画はおススメで、グッと「来る」らしい。何が来るのかわからないが、Netflixになかったので、数年そのままにしていた。

 

 まずもって見る前から疑問があった。出演者の名前を見て、(きの)「生田斗真が漁師ィ?そんな生っちろい漁師がいるわけがない」首の後ろを見せてみろってんだ。

(知人)「本物のガッツ石松のような奴が出てきたら恋愛映画にならないだろう」

 

(きの)「ぐっ」確かに。正鵠を射た返しで納得した。

 

 

 先日、ふと関連動画に出てきて、あれ?あるんだ、と思い見てみることにした。そして、ストーリー以前の疑問は容易に解消された。

 

釧路。

 

 ものすごく気温の低い所だ。北海道の中でもオホーツク海気候で夏でも気温が上がらない。そこで昆布を収穫していた。それなら白くてもいいだろう。なるほど。勝手に千葉の方の話だと思ってた。

 

 

 題名のハナミズキは北米でも咲いているから緯度的にはあり得る。しかし、映画に象徴的に出てくるあの木はハナミズキらしくない。胴体が太すぎるし、ハナミズキはもっと枝が直角に伸びる。

 

 まぁいい、ケチばっかりつけててもしょうがない。しかしね、高校生が短いスカートで雪の日に電車から途中で降りて歩いて帰ろうとしている。(生田)「風邪ひいちゃうぞ」ていうか凍死しないか?釧路の人間はことさらに強いのか。

 

 

 なんだかめんどくさくなって晩ご飯を食べに遠ざかった。気を取り直してまた帰ってきて見始める。こんなことをくり返して合計で4時間以上かかって見た。だいたい妖怪が1匹も出ないじゃないか。

 

早稲田大学への道のり:

 進学した彼女を追い上京する漁師。「タカタノババで待ち合わせ」と書いたメモを持って駅に立っていたが、次の瞬間自力で大学まで来てしまった。

 

How?

 

 住んでたからわかるが、結構遠い。漢字もわからないような人が歩いて行ったのか。まぁ1本道といえば1本だが。タクシー?うちの側は通ったかい?

 そして、いろんな校舎がある中、おそらくメインキャンパスの門から入ってすぐにお目当ての人物を見つける。さすが研ぎ澄まされた感覚だ。

 

 なぜ、この大都会にクーラーボックスを持ってやってきたのかね。まさかその中身は今朝取ったばかりの生魚では?するといきなり通行人と喧嘩を始めた。殴られるたびにその箱から魚がいっぱい飛び出してくるのではないかとヒヤヒヤした。

 

 顔が血だらけのまま帰る。野良猫のオスのような恣意的なふるまい。幸い、中身は生ものではなく手製の船の模型だった。プレゼントに木彫りのオブジェをくれる彼氏って、実際問題どうなのか。

 

 

 そして、やっぱり余計なお世話ながら、この、手作り感満載の作品を堂々とくれて道行く人と即ケンカになる地元の漁師がもし生田斗真の顔をしていなかったとしたら(例えば斉木楠生の燃堂のような見た目だったら)、この物語はどうなってしまうのかと行く末を心の中で案じた。

 

 

現実:

 その後、なんだかんだあって漁師は安っぽい菜々緒のような人と結婚して嫁呼ばわり。漁協からの融資が受けられず破産して離婚してどんどん下世話になっていく。あの参考書を渡したあたりの初々しい特別感はどこへ。

 

 

船の行方:

 一番解せないのが船の模型の所有権。まず、もらっておいて返すとは失礼ではないのか。それをいつか見るかもしれないところに飾っておく意図とは。本人はマグロ漁船に乗って行ってしまった。あれで彼女が全く見つけなかったらどうするのか。

 

 歌は好きだ。独特の世界観があって歌詞のいちいちに意味がありそう。この歌にインスパイアされての映画らしいが、歌っている本人はどう思ったのだろう。自分の描いた世界と違うと思ったのか、それともこういう解釈もありと思ったのか。

 

 母親の薬師丸ひろ子がいい味を出していた。昔はただのアイドルのような存在だったが、今は風格があり存在感がある。よく考えたら、物語の中でこの人が一番恋愛至上主義だった気がする。

 

 人に薦められた話は、極力見てみようと思う。見ても疑問点しか湧いてこない時もあるが、見識を広める、価値観の多様性、まだ見ぬ何かが分かるようになるかもしれない、そう思って見ている。

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『アラスカ物語』 2023 冬

2023-07-11 17:32:30 | 書評

この本については、題名も映画化されてることも知らなかった。

 明治の日本人がエスキモーの暮らしに溶け込むというあらすじを見て、興味がわいて読んでみた。寒い時期に読むんじゃなかったと後悔しきりだが、せっかく読んだメモが最近発見されたので記しておく。

 

 

気になった表現がいくつか:

 

「生肉と離れられない人」

 刺身を食べる日本人と親近感があるのかもしれないが、特に嗜好の問題ではなくビタミンを摂取しているのだろうと思う。最後は森で暮らすようになって焼いたバッファローはマズいとか言ってたが、結局それでもいつまでも生肉を食べ続けた人はいたのだろうか。

 外国に行っても、あまり寿司屋に興味のない人もいるしね。ビタミンが足りてるのにうひょひょひょとか言いながら生肉をすすっていたら、それはもう本当に離れられない人だ。

 

 

「渡り鳥が腹時計と天体の動きで移動するのと同じように、暗夜の航法を習得し血の中に伝えた」

 人間が腹いっぱい食べたら8時間持つって、へーそうなんだと驚いた。それよりすごいのが、犬がマイナス何十度の中で走っても平気だということ。だから犬ぞりが成立するんだろうけど。

 

 

2月ごろの「青い夜明け。」初日の出は緑の光が一瞬。

日が昇らないのは、嫌かな。オーロラみたいなのかな。

 

 

「うちわ太鼓を叩く。歌うのは男性で驚くほど高音」

これはネイティブ・アメリカンの歌い方に似ている。

 

 

「部族で初めて木の匂いを嗅いだ。頭痛、3日顔が腫れる」

アレルギー?

 

 

「みんなに死んでほしいと思われた人は、自分で死ぬ」

 すごい共感し合う人間関係なのかな。どんな人がみんなに死んでほしいと思われるのか。よっぽどの利益一人占めとか?

 

 

「老人が飢餓の年に自分で消える」

 これもカナダのニスガという部族でやっていた。1万年の旅路という本でも、森の暗い方へ行くとか書いてあった。いつまでも去らなければ促されるのだろうか。それとも人間はほっといたら猫みたいにどこかに行きたくなるのだろうか。

上の項目とは関係がないのか。

 結局、ニスガの部族は老人を締め出したら自分たちが危うくなって、反対に老人は培ってきた叡知で豊かに暮らしてたりして、以降猛反省してやらなくなったんじゃなかったっけ。

 ネイティブ・アメリカンなら、平和的な解決方法を考え出すはずだ!とかって神聖視しすぎなのかもしれないけど、なんかもうちょっといい方法ないものか。

 

 

「客人に妻を貸す」

 おそらく、稀人(まれびと)の新しい遺伝子がないと煮詰まって大変、という理由があるのでキリスト教の皆さんも理解してあげてほしい。科学的検証もしてないのに古くからそのことに気づいてたってことはもうちょっと評価されてもいいんじゃないかな。仮に、夫を貸したって意味ないあたりが、目的が明確だ。

 

 

「インディアンはエスキモーを目の敵にしている」

 なぜ?仲良くしなよー。こっちからすると同族嫌悪とか近親憎悪な気しかしなくて何が違うのかよくわからないが、本人たちからするともう全然違う!と思っているのだろう。

 

 

「せっかく開拓した新天地の村は、今はだれも住んでいない」

 どうして。あれほど頑張って移動してきたのに、みんなどこ行っちゃったの。繫栄してたらいいなとは思うけど、それでは映画みたいに上手くできすぎな感じもするし。

 

 

 

 なんだかこれでは感動したという箇所があまりなかったような感じだが、そうでもない。主人公がエスキモーの奥さんを見初めた時の描写が良かった。

 

彼女がトランポリンのような器具で「高く飛んだのを見ていいなと思ったから」という、

 

なんとも美しい出会いだ。

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二葉姫の社 PartII

2023-07-06 15:25:11 | 古都探訪

京都から引っ越すことがわかってから、見納めに行った。

 昨年の2月1日。またタワーを見てぼーっと座っていたら、後ろで何やら掃除をしているような音がする。神社の人か。特に振り向いて見ていないが、その内歌が始まってしまった。女の人の声だ。歌詞からするとひふみの歌のようだ。しかし、歌が始まった直後に失礼するのもどうかと思い、そのまま聞いていたが、かなり長い間真後ろで歌っていた。

 

 終わって話しかけてきた。キツネの化身のようなつるりとした人だった。いろんな社を巡回して世話して周っているらしい。ずいぶん長いこと座ってましたねと言われたので、半分は歌の時間だったのだが、(きの)「ここは居心地が良いので」と答えたら、(狐)「そうでしょう。そこが一番気が通るから」という不思議な事を言った。

 

 この人は、そういうことがわかるのか!と感激して、以前に来た時に燈籠がどうも人が立っているように見えたと思い切って言ってみたら、(狐)「そうですよ。ここの神様はいたずら好きだから」と普通に返された。(狐)「なぜ今日来たんです?」(きの)「さぁ?気が向いたから」(狐)「今日は旧正月だから、それでではないのですか?私は正月の祝詞を上げに来たんですけれど」全く知らないで来た。

 

しばらく地元の話をしてから帰った。

 

なんとなくここはMy神社だと思っていた。他の神社や寺では考え事はできないが、ここはずっと座っててもいいような気がした。

 

姫様、さよなら。もう二度と来れないかもしれないからね。

 

 

 

と言いつつ1年後に思い立ってぶらり京都街歩きで、あっさり来てしまったが。

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