きの書評

備忘録~いつか読んだ本(読書メーターに書ききれなかったもの)~

鞍馬へ~至上の佃煮を求めて~ 10月2020

2021-03-21 22:24:55 | 旅行

 貴船神社にも行ってみたかったが、以前に生協で売っていた牛若丸の絵が描いた山椒の佃煮を見て以来、鞍馬には何かえもいわれぬ素敵なものがあるに違いないという憧れの心が芽生え、行ってみたいとチャンスをうかがっていた。

 佃煮に興味がないとのたまう大先生(娘)を連れ、何となく午前中にぶらりと家を出て地下鉄に乗り、国際会館からバスに乗る。比叡山のバスルートや日光いろは坂のようなグネグネの山道だと困るので酔い止めを持ってきたが、予想外に30分ぐらいですぐ着いた。なんだ。鞍馬は近かった。途中で雨が降ってきた。予報では晴れだったが。どうしたものか。

 着いてすぐ、他の観光客はみんな山の方へ行ってしまった。雨は知らない内に止んでいた。右の街道の方へ曲がってみる。澄んだ川の流れるひと気のない道を歩く。この辺で有名な火祭をやるらしい。普段は観光客でにぎわっているのだろうが、叡電が不通で閑散としている。実はバスで簡単に来れることはあまり知られていないようだ。

 街道の両側に佃煮屋しかないという、しょっぱいもの好きにはたまらない夢のような光景だ。一番奥の店で実家の坊さんへのプレゼントとして箱詰めのセットを買い、包んでもらおう。地元のおばさんらしき店員さんが、電車は市原のあたりで倒木で止まったという話をしながら一緒に選んでくれた。

 会計の後、下の戸棚から舞うようにして出してきた緑の包装紙に、斜めに箱を乗せてデパートのような洗練された手つきで尺を測りながら折っていく。しかし、最後まで来たところで足りない。思案した末にもう1枚出してきてやってみる。が、やはり足りない。縦ではないのか?縦では??念じていると伝わったのか(店)「サッ」縦置きにして見事包み終わる。Yes!!これ以上その上等な紙を無駄にすると悪いからな。3千円以上買ったらくれるという天狗キーホルダーをもらい、ご満悦で店を出る。

 自分用には次の店で買おう。木の扉を(きの)「ガラリ。ごめんください。」この集落には自動ドアという概念はない。入ったら誰も居なくて、しばらくしておばさんが慌てて出てきてエアコンをガチャガチャやった上に、1万円を出したらおつりがないと言って札を持ったまま2階に上がっていった。戻ってきたので千円札ならありますと言ったところ、おつりが全然ないと言って今度は店から出て行ってしまった。(きの)「ポツン」無人の店内で待つ。あの人が店員でなかったらどうするのか。この抜け感がたまらない。

 無事おつりをもらい、駅の手前の古民家のような店で「佃煮のおにぎり」というものを売っていたので注文してみる。店の中に案内されて奥座敷横のベンチに座って待つ。店の人は奥に入って行った。時おり横の庭の方からうどんを持って現れ、正面入り口から入ってくる。どういう造りになっているのか。

 しばらく待ったがおにぎりはなかなか来ない。さっき(店)「今すぐ握ってきます」と言っていたな。にぎっ・・・て?ご用意いたしますとか、そういうスマートな表現の方が。まぁいい。ということは作り置きがあるわけではないのか。ご飯でも炊いているのだろうか。

 客が入ってきた。(客)「いっぱいだね」(きの)「こっちはおにぎりを待っているだけですから。さぁどうぞ。」丁重に誘導。またしばらくすると次の客。ちらりと見て出ようとするのでこちらも空いている奥座敷へ。早くおにぎり来ないとどんどん客を入れるぞ!

 やっとできたのでさっさと払って出る。見たら温かいのをご丁寧に一個ずつ包んだ上に4つで640円。反対側で売ってたねじったシナモン味の餅としょっぱいアンコの麦餅と共に、山に入った所のベンチでありがたくいただく。

 

 入山料300円を納め中国の山水画のような地図をもらったが、これは(きの)「ドラゴンボールの修行するところではないのか」頂上にはきっと仙人がいる。バスの中から薄々思っていたが、全員登山の格好をしている。こっちはまたしてもDr.マーチンの普通の革靴で来てしまった。(案内)「ペットは届け出てね」言えばいいらしいが(標識)「クマがいます」はたして小型の愛玩犬など生きて帰れるか。

 紙袋に入った佃煮の箱を持って登る。背の高い針葉樹がいっぱい生えている。この辺りが有名な北山杉なのかな。丸い小さい葉が石に貼り付いている。何の植物だろう。ユキノシタがいっぱい生えてる。(きの)「山野草だー。」天ぷらにするとおいしいらしいが、埼玉の友人の家のトイレの下にいっぱい生えていた思い出しかない。途中の神社の高床式の土台の柱が黒い。(きの)「これは・・・」シロアリ?おそろしい湿気だ。山肌から流れ出ていた水を汲む。うちのヌマエビに鞍馬の水を持って帰ろう。

 山頂から下ってきたらしき老夫婦。挨拶してすれ違ってつづら折りの角を曲がって大声で話している。(老夫)「若い人はいいねー。こっちはもうヘロヘロで死にそう」今から登ろうというのに何という不吉な。そもそも佃煮を買って貴船に行きたかっただけなのに、どうして山を登っているのだろう。地図上では、ただの真っすぐな道だった。

 道端に赤茶色の石があった。これが鞍馬石か。角を曲がると視界が開けた。ずいぶん上まで上がってきてしまった。ふと見ると道の脇の溝をひょこひょこ見慣れた青虫が歩いていた。なぜこんなところにアゲハの幼虫が。近くに柑橘類はない。しかし、何もないのに単体で居るわけない。かといってセロリや人参を食べるキアゲハの縞々はない。幼虫には詳しいんだ。

 山肌に生えている雑木を眺め、(きの)「鞍馬→佃煮→木の芽煮→山椒。じーーーっ・・・このトゲトゲの木は山ザンショウではないのか」こないだ植物園で見た。同じミカン科なら食べれるはずだ。植物園のにも緑の大物が付いていた。きっと、さっきの雨でここから落ちてきたんだ。

 葉っぱをちぎって匂いを確認。本体をつかんでみるとひんやりとして冷たい。秋になって気温が下がってきているからのう。しかし、こちらは南斜面だ。今はくもりだが日が照れば大丈夫だろう。よしよし。(きの)「早くサナギになるんだよ。」幼虫を素手でわしづかみにしている所を見られたくないので、何気ない様子で登山客を見送る。誰もいなくなったのを見計らってそっと葉に乗せると慣れた調子でトゲにつかまっていった。ここならもう大丈夫だ。少々の時間ロス。(きの)「みなさんあまり迷わないようにね」うんうん。(娘)「手を洗ってください」ひどい。

 途中の休憩所で抹茶鞍馬モナカアイスを食べる前に手を洗わされた。トイレはないと書いてあるのに(きの)「手が洗いたい」店員に泣きつく。洗わないとモナカはきっと許可されない。(店)「裏にまわりなされ」自販機の横のロープをまたいで小さな水道があった。水が冷たい。山の水だ。ベンチで念願のモナカを(きの)「しゃくしゃく」頭痛薬を飲む。気圧か山の腐葉土を吸い込んだせいだ。

 頂上には平地が開けていて、真ん中のパワースポットで座り込んで(女)「来てる!来てる!」などと言いながら写真撮影にいそしむ怪しいグループもあった。その横に小屋があり、中の子供向けの自然科学的な看板に「題名:鞍馬山の生き物たち。」草花に、鳥に、虫・・・(娘)「見ないように」強引に押し出された。本殿は大きな葉っぱのマークがついてる。天狗が持ってるやつだ。そこら中に温度計があって、登り始めは13度ぐらいだったが、頂上は9度。動いているので上着はいらない。

 魔王殿こちらと書いた門をくぐると、さっきまでの親切な観光客向けの立派な敷石ではなく、苔むした山肌に昔ながらの木の階段。(看板)「火は焚かないで。山でおこもりするなら届け出てください。」おこもりって何だろ?キャンピングとは違うのかな。続いて(看板)「マムシと火焔茸とクマと毒虫がいます。」なぜ虫だけ具体的でないのか。(きの)「ねぇ毒虫って何?」(娘)「う~ん」さっきの頂上の展示何だったの?なんで何も答えてくれないの。

 牛若丸の背比べをした石というのがあったが、随分小さい石だ。石が自分より小さかったら背比べにならないだろうから、同じかそれより低かったのか。140cmもない。子供の頃だろうか。うちの明治生まれの曾祖母も驚くほど小柄だったらしい。着物を見たら子供用かと思った。平安時代の人間はもっと小さかったのか。それか、平安時代から石が下に沈んだか土が降り積もったかのどちらかだろう。

 魔王殿は小さな祠だった。祭神が魔王?先に来た人がお椀のようなものを棒でチーンとやって祈っていたので、その横の有難い鉄の筒のようなものを叩いてみたらいい音がした。悦に入ってチーンチーンやっていたが、よく見たら花立てだった。またここにも「参籠は届け出て!」と書いてある。参籠って何だろう。この山は、なんでも届け出たらなんとかなるのか。というか、勝手にキャンピングのようなことをする人たちが現在でもいるということか。牛若ごっこ?

 途中から山道が下りに変わった。さっきの辺りが山頂だったか。木の根が絡むトラップだらけの山道を進む。だんだんすれ違う人もいなくなってしまったが、みんなどこへ。下りは倒木だらけだった。どうしたのか、倒木の上に倒木が来てログハウスのように積み上がっている。今回の長雨だろうか。あっちこっちでひっくり返った根の裏側が見えた。埼玉の家の近くの森で聞きなれたザワザワと鳴る樹の枝の音を聞きながら、言い伝え通りヘロヘロになって下りてみると、(きの)「人家だ!」文明だ。川が流れている。

 

やっと貴船にたどり着いた。

 

 最後の最後の分かれ道のところでボロボロの(標識)「右側 貴船あと100 ■△#$%」100何!?100mだよね?100分や100キロじゃないよね(泣)??とりあえず行ってみよう。

 

 

貴船:

 川沿いの店は料亭ばかりで佃煮屋はない。鞍馬で買っておいてよかった。神社に行って見てみたが、観光に特化したような雰囲気で、新築は確かに綺麗だが愛着がわかない。鞍馬山とは年齢層が違って若者のしかもカップルが多かった。縁結びのご利益もあるだそうだが、彼女に貴船神社に行きましょうよと言われて素直について来たのだろうか。なにか暗い決意のような、人知を超えた末路を予見しないだろうか。有名な水占いも、その水が濁っているような気がしてためらわれた。

 帰ろうかと思ったがせっかく来たので御朱印かお札を買おう。しかし、案の定(娘)「御朱印帳持って来なかった」貴船に?せっかく来たのに?ちらっと見ると(貼り紙)「奥の宮は無人なので御朱印は半紙でお渡しします」見本にも左上に貴船神社と書いてある。それを持って帰って貼ればいいのでは。奥の方が手前よりも深みがある。

 頼んでみたら貴船と書いた紙の袋に入った、ぺらっとしたのをくれた。こないだの比叡山のみっちり相撲番付のような力強い字と違って、なんだかなよやかですっきりのっぺりとして余計に古代の念がこもっていそう。御朱印をもらったからには、ぜひ奥の宮に行かなければならない。普段なら、あまり隅々の摂社まで巡ろうとは思わないが、なぜか立派な本殿が、ここではないという感じがした。

 奥の宮は少し離れたところにあるので、ほとんどの人は本殿だけ見て引き返してしまう。「←奥宮コチラ」という割にどこまで行ってもたどり着かない看板を頼りにどんどん坂を登る。帰り道はさらに遠くなった。火山岩だという紫色の岩があった。(看板)「本体4~50m」そんなにないだろう。せいぜい4mだ。それとも地下にあと10倍埋まっているのだろうか。この辺の看板全部しっかりしてくれ。やっとたどりついた社の入り口の手水の水は非常に澄んでいて最大限に苔むしていた。心なしか佃煮の紙袋もヘニャヘニャしている。連理の木を見ながら広場の端を伝って歩く。

 一番奥の石垣のところに来た。何気なく横を歩いていて、ふと、なぜかその岩のかたまりに覚えがあるような気がして、脳の内側が引っ張られるような気がした。瞬時にいつか聞いた黄色い船の話を思い出した。看板はないが、(きの)「これがあの船ではないのか!!」ということは、奥宮こそが本来の貴船神社だ。

 神代の時代にお姫様が船で来たのも、下京から走ってきて丑の刻参りをしていたのもここだ。ここまで高下駄で走ってきたのか。すごいなー。アゲハの山椒といい、今日は冴えている。ただただ感心して見回してみると広場のむこうに切り株の白い目立つベンチが妙にたくさんある。(娘)「みなさん一休みするんでしょう」ここで弁当を食べる勇気はちょっとない。なぜこんな本殿の脇の小さな社に来ていっぱい休む必要があるのか。(きの)「走ってきたからではないのか!?夜に。それも大勢で!」どんな世界だ。

 

 千年ぐらい前、どこかのお姫様が黄色い船に乗って川をさかのぼってやってきて、その船を人目に触れないように土の下に埋めて石をかぶせて以来誰も掘り起こしてないらしい。だから、もしその話が本当なら、まだ地面の下に船の残骸があるはずだということだが、白木(新品)が黄色く見えたのか、それとも虫よけにウコンでも塗ったか。船型の棺というものも存在するらしい。高貴な色という意味か、「黄色い船」という表現が、いかにも事情を知らない第三者が見たままを言っただけという信憑性のある証言っぽくて、非常に現実味がある。ソナーなど現代の技術で見てみたい。

 もっとひと気のない山奥の、地中深くだと思っていた。しかもお刺身が乗ってくるような形の小舟だと。(きの)「でかい」こんな屋形船のような大型船に乗ってきたのか。これでどうやって岩まみれの貴船川をさかのぼったのか。昔は水量が多かったのか。そもそも、なぜ隠すんだ。川の源流が見てみたいという興味が発端だったらしいが、埋めた後どうやって帰ったのか。それとも、もう、帰らないと決めたからなのか。

 畏敬の念を抱きつつ船の石垣のまわりを周ってみたが、一人旅らしき長い黒髪の女性も反対まわりにぐるぐる周っていたらしく何度もすれ違った。軽装でスポーティーなランナーの格好をしている。見終わっても、切り株のベンチに座ってなにやら思案しているご様子。

 帰りは貴船口からバスで行くらしい。バス停に向かう途中で先ほどの黒髪女性が早足で追い越して行った。着くと1番に並んでいるので、その後ろに並んだ。あっという間に後ろに列ができる。ところがバスがやってきたのが見えた途端、ふいに先頭から離れて車道を歩き出す。どうしたのだろうと思いつつも乗りこむ。発車して随分走った頃、途中で追い越したが、雨の中1人で車道をズンズン歩いていた。乗った方が良かったのではないのか。そういえば、登山客が大半の中、なぜあの人は、走る格好で貴船に来たのだろう。

翌日ヒザから下だけが強烈な筋肉痛になり呻く。他は何ともない。どんな歩き方をしたのか。

 後日、下京・歴史史料館:

 入り口横のブースで鞍馬の火祭の映像を流していたので見てみる。1975年制作。他にも地元や文化協会が最近作ったのが3本ほど。全部5分から20分。松明の作り方から祭の始め方まで、詳しく解説。

 全体的な感想は(きの)「危ない。」あんなに狭い道で火を焚いたら危ない。あの佃煮ロードも何もかも、火の粉だらけだ。♪えんやあ~みたいな掛け声がしばらく頭をめぐる。

 山頂でもやっていたクイズ。両方に答えると期間限定で北山杉で作ったキーホルダーをくれるらしい。山頂の分の答えは書いて来た。街中の問いは・・・(クイズ)「牛若丸の母親の名前は?」えぇ!?知らないよ。これ間違ってたらくれないのかな。どうにかそれらしい答えを選んで入り口のカウンターに提出。吟味した後で、くれた!よかった。

 キーホルダーの(説明)「2018年の台風21号で倒れた木を使って作りました。」あの台風はひどかった。神戸のあたりから上がってきて昼の3時に京都を直撃。鴨川の街路樹がめちゃくちゃになって、近くの公園の太いご神木も倒れた。植物園の巨大な松が真ん中から半分にゴムホースを曲げたようにねじれて折れていた。鞍馬山のあの倒木はその時のかな。斜面の南西側に多かったし。感慨深く眺め、御所を通って帰る。

 

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高砂や

2021-03-20 16:18:47 | 書評

以前、ネオ神楽で見たホウキを持った老人たちは何を意味しているのだろう。

その演目は演者が男なので、実際は爺さんとガタイのいい婆さんという組み合わせだが、一応カップルということになってるらしい。

その二人が熊手を振り回しながらステージをまわり(おそらく掃除)、翁に促されて名残惜しそうに振り返りつつ媼も退場。

 

今「死」を表現しなかったか?

 

なぜ老人はハタキでも杖でもなく、ホウキを持つのか。かき集めるという仕草に何か意味はあるのか。

 

そこだけベテランと思われる演者だったから完成されて見えたのか、いつまでも印象に残った。

 

高砂という能舞台にも、ホウキを持った老人たちが登場するらしい。

メインの祝言の部分は中学の時に好んで聞いていた落語で知っていたが、改めて映像で見てみようと思ったら、何を言っているのか全然わからない。途中の「いょ~~っ」「い゛よおぉぉ~~~おおお!!!」という合唱がうるさい。

 

高砂や この浦船に帆を上げて

月もろともに出で潮の

波の淡路の島影や

遠く鳴尾の沖過ぎて

はや住之江に着きにけり

 

最後の方は、夜の涼しい風を受けて疾走している感じがする。

あらすじは、九州の神官が船で京都に行こうとして途中の兵庫県で休んでいたところ神様と遭遇。祝われるという内容だ。本では、途中で出てきた住吉大明神がお祝いの舞を舞っている最中に、神官たちは船で退出する演出になっている。ドラマ的にはそれでOKかもしれないが、人がせっかく踊ってるのにみんな帰ってっちゃうってどうなの??

 

いつか気付いたが、よく使う九州の門司を出て瀬戸内海を航行するフェリーと同じ航路ではないか。淡路島もあるし、住之江公園という駅も通る。

本当にあったんだね。関東平野で小三治の落語を聞いて、なんだか呪文のような良い文句と思っていた時は、架空の地名だと思っていた。

なんと目でたい。

ただ大阪に着いただけなのに晴れ晴れとする。

そんな気持ちで、毎回大型船で乗り込んできているとは誰も知らないだろう。

そもそも相生の松の話だそうだ。

 

結局のところ問答の受け答えは、

問い:「なぜ離れているのに相生(あいおい/2本の木の融合)なのか」

答え:「離れていても心がつながっているからだ」

 

そして、話は「君」の世が続きますようにとか、壮大な方へと広がっていくが、君というのは帝のことだろうから、それまでの「離れていても仲良し♥」のテーマはどうしたんだろう。

 

 

かならずホウキで「松」の落ち葉をかき集めて、これが掃き終わるまでとか言ってる。常緑の樹齢の長い木の落ち葉がなくなるのはいつのことだろう。さざれ石が巌となるのに似た気配がする。

 

題は「永遠」とでもした方がいいのではないかな。

それも、「くおん」とか「とわ」みたいな読みが趣があって良いと思う。

きのたん - 読書メーター (bookmeter.com)

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めでたい初夢

2021-03-17 07:26:05 | 日記
 1/2/2021 夕方の部:うたた寝でめでたい初夢(?)を見た。
比叡山という名の小さい山に登った。
山頂の小屋で何やら犯人がどうとか推理小説のようなことを言ってたような。
恩師に連絡を取るのかどうかで話し合う。
 
帰りは裏のルートの方からと思ったら、意外に混んでる。
人の流れが止まったり進んだり。つづら折りの道が続く。
見えてるそこからひょいっと出て、そのまま下って家に帰ればいいのになどと道順まで知ってる。
途中の駅の休憩所のようなところに店があった。
 
 網のゴミ箱に弁当がいっぱい捨ててあって、最近若い人がシイタケの煮物を捨てるのが日本の社会問題だそうな。
なんてもったいない!憤慨。
その時どこからともなく「きのたんは山の子だから佃煮を食べるんだよ」というナレーションが聞こえてきた。
 
そうか!山の子さんだったんだ(何が??)。
 
海の子さんでなかったことは残念だが、夢の中で勝手にお墨付きをいただいて、佃煮を食べる正当な理由を見繕っている。
 
 
 ここからが最高。
愛猫を連れて山を下る。しまった、リードがない。
人が混んでてちゃんとついてこれるか心配だったが、はぐれずに来た。
 
途中のオープンカフェのテーブルで一休み。知り合いがたまに通る。
中学の時の同じクラスの人とケントギルバートのカップル(なんでしょうか?)が、通りすがりに小枝ちゃ~んと呼んで手を振ってくれるのに、
礼儀正しくにゃ~と鳴いて答えるのが、
 
とても誇らしかった。
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