愛には技術が必要だとか書いてあったが、いくら愛する技術とやる気があっても、
目の前にOZの魔法使いに出てくる東の魔女みたいな人しかいなかったら、
どうするんだろう。
対象は何でもいいとか書いてなかったか。
値しないと言って誰も愛さないか、
それでも何もしないよりマシということで、だましだまし人生を送るのか。
「♪ちゃちゃらっちゃら~ら イ~ヒッヒッヒ!」
・・・ぜったいヤダ。
こっちの気持ち次第だと言うことはわかるが、選ぶ権利も少しはあると思う。
まだ博愛の意識が足りないのか。
一回、ガンジーとかマザーテレサに聞いてみたい。
バットマンのジョーカーみたいな奴が来たら、どうするのかを。
優しくしてると屠られるだけだとわかっていても、分け隔てなく愛を与えて、
それでも尽きない命の泉のようなものを持っているから、余裕なのだろうか。
愛は「覚悟と約束」とあったけど、愛の本質が覚悟と約束なんじゃなくて、
その人は好きな人に対して、覚悟と約束をしただけの話ではないのかね。
じゃあ覚悟と約束が愛の高次なのかと考えてもねぇ、覚悟と約束だけでは無味無臭な気もするし。
そういえば、世の中で愛と名前のついているものの多くは、
だいたい「欲」の字に代えても意味が通る。
愛って、本来「そばにいたい」ぐらいの単純で純粋な意味しかないような。
愛については、ゴキブリのことを考えてみたらよくわかった。
自分はゴキブリは愛していない。
なぜなら一緒に居たくないからだ。
そして、何もしてあげたいと思わないし、こっちを向いてほしいなど何かしてほしいこともない。
ていうか、むしろ何もしないでほしい。
健やかな成長を願ってない上に、できれば生計を共にしたくない。
遠くに行ってくれるよう切に願うだけで、
同じ生き物でも、やわらかな猫さんとはえらい違いだ。
こういうのはいっつも思うけど、対象から離れてるからよく観察できるんだろうね。
今まさに愛の真っただ中にいる人には、冷静に分析なんかできない。
愛するついでにやってあげたことを投資と考えるから、
見返りがないと言って怒りだして、うまく行かない人が多い、というのはわかる気がする。
むしろ寄付ぐらいの気構えでいた方が。
自分から進んで寄付をしておいて、むしり取られたと考える人はいない。
そんな気がしたら、やめればいいだけの話だし。
断れない寄付は、そんなもの寄付でも何でもない、ただの恐喝でしかないから論外。
愛はお金では買えないと言うが、
それが、等価交換しかできない経済活動を上回る、人の「気持ち」の強みだ。