きの書評

備忘録~いつか読んだ本(読書メーターに書ききれなかったもの)~

(15 of 14)福岡イル・パラッツォ ~ソーセージを探す旅~ デザインとは何か 

2021-01-21 13:23:28 | 怒涛の京都ホテルめぐり

8/17/2020 8,000円

 今回は実家に帰るにあたり、①感染を避け大阪駅を通らないで移動するのと、②4月にキャンセルになって戻ってきたLCCのポイントを使ってしまいたい、という目的があるので、飛行機で空から舞い降りるという手段に打って出る。もう財源はこっちに移ったが、4月のLCCの予約が娘名義だった為、またしてもおなじみの恣意的な旅行代理店が登場する。

 名前にイル・~と付くが、京都のイル・ヴェルデとは関係がない。イタリア語の冠詞で、英語の The みたいなものらしい。これが門司港ホテルの原型。有名ななんとかいうデザイナーがデザインしたホテルだ。ここも4つ星。どうやってあの門司のおかしな多面体穴あきビルディングに到ったのか、その進化の過程を見せてもらおう。

 予約した後で(娘)「あ!別のプランはバスローブ付いてるって。」(きの)「いぇーい!」(娘)「朝食はアメリカン・ブレックファースト。どうする?変える?値段は一緒。GRANDE SALDI プランだって」イタリア語?(きの)「それ巨大なサラダって言ってないか!?いやだあぁぁ。」もう戦々恐々としている。調べたらイタリア語でバーゲン・セールみたいなことらしい。じゃあそう書けばいいだろう。イタリア語は全然わからない。

 どうせアメリカンと言ったって、大好きな Biscuit & Gravy は出てこない。あれは開拓民の居たところだけだ。パンケーキかいいとこワッフルが関の山。そして、洋食だろうが日本では朝食に絶対サラダが付いてくる(確信)。バスローブは家にある。(きの)「ビュッフェ付きの普通のプランでいいです。自分の食べたいものが食べたい」(娘)「何が食べたいの!」(きの)「ん?ソーセージとご飯」

 そんなの勝手に家で食べればいいだろうという空気が充満する。違うんだぁ~これは軽井沢で確立した黄金の組み合わせで、これを上回るものはない。これでまた個別に千切りを持って来られたらスタイリッシュなロビーで卒倒してやるからな。せいぜい(娘)「いま大変ショックを受けています」とでも説明してくれ。イタリア語で。

 

 荷物の手配。LCCは機内持ち込み手荷物 7kg までだそうな。それ以上は追加料金。せちがらい。夏だし、帰省が長期に及ぶので今回は飼育している淡水ヌマエビと一緒に植物を全部持って移動する。どうせ 7kg を超過するのなら安全に宅急便で送ってしまった方がいい。保安検査で取り上げられたりしたらいけないしな。クールは冷蔵庫の温度だからウツボカズラには冷たすぎるか。前日の夜に近所のコンビニに5箱持って行く。エビは一番温度変化が少ない発泡スチロールの箱に。柑橘類の新芽の箱には凍らせたミネラルウォーターを2本入れて軽くガムテープを貼り、密封はしない。

 品名に「観葉植物」よりも「野菜」と書いたら鮮度にこだわりそうなので、そう書いたら、店員が5個まとめた伝票を作ってくれて、それには自信ありげに「食品」と書き直されていた。だんだん実際の内容から離れていく。エビ達もそれを知ったらショックだろう。食品だと昆布の干物やレトルトなどの温度に強そうなものを連想しないだろうか。この二の腕だけが日焼けした元トラック運転手みたいな店員のあんちゃんよ、信用してもいいのか。

 

 京都駅の八条口からリムジンバスに乗り、1時間半ぐらいで久しぶりの関西空港に到着した。昼飯は気軽に(きの)「空港で食べればいいやー」(関空)「ガラ~ン」広いが薄暗い。人もいないし、ここは使ってない区画かなと思ったが、どうやらここが正面の入り口だ。こんなとこだっけ?日本に着いた時に1回通過したことがあるだけで、あまりよく覚えていない。通路の奥に椅子と机を置き、2階に上がってくる客を関所のごとくサーモセンサーで見張っている人影が見えたので、さりげなく1階に降りる。

 バスの中でずっとマスクをしていたので暑苦しい。その上、ここまで空港内を歩いてきて体温が上がっているのではないか。念のため柱の陰で持ってきた体温計で測ってみると36.8℃。やはり熱がこもっている。ちょっと歩くとすぐに体温が上がり、冬でも寒くない体質なので重宝している。全部筋肉だといいな。しかしこのまま突入しては裏目に出そうだ。息せき切って駆け付けて、37度以上だからダメですと言われるのは不本意だ。自分だけ置いて行かれては困るので、いつもの手を使う。

 

 その前に、思い入れのある検疫の建物を見てみたかった。小枝ちゃんが日本に到着した時に2週間お世話になった空港の外の建物だ。面会に毎日行った。あれはもう20年も前のことなのか。確か空港の右側の海の手前の方にあって、着くまでにフェリー乗場のイスが並んだ建物があった。密入国を見つけたら118番に通報しろとか書いてあるポスターがいっぱい貼ってあり、検疫所の左隣の建物の入り口には「〇〇号、△△号」と書いた警察犬の慰霊碑がある。その3つは独立した1~2階建ての小さな建物だった。しかし、見てみたら近代的な横広のビルしかなく、陽炎の立った原っぱの先を確かめる余裕もなく引き返した。

 20年も前だ。もう建て替えて統合されたのかもしれない。あの日、小枝ちゃんを預けて空港からどんどん離れて行く間に、もしいま津波が来たらあんなに小さな建物はのまれてしまうだろうとか、そんなことばかり考えていた。昨日のようだとまでは思わないが、5年くらい前の気がしていた。検疫が終わって迎えに行った日の、これからはどこへ行こうが自由だという晴れわたる青空のような視界も、いまだによく覚えている。外観を眺めるだけでいいから、もう一度この目で建物がまだあるのを見てみたかった。

 空港の建物に戻り、そろそろチェックインの時間だ。リュックから、叩くと冷たくなるホッカイロのようなものを取り出し、起動させる。それを首に当てて頸動脈を冷やし、トイレに行って顔を洗う。首に巻くのは中尾彬のようなオシャレなストールではない。水で濡らしてある舞鶴で買ってきた自衛隊のタオルだ。なぜなら、サーモグラフィーは人間の両目の上にある空間を見ているだけだからだ。水をガブ飲みして2階へ上がり、検温のかなり前からセカセカと歩いて汗をかき気化熱で額を冷やす。自信満々に談笑しながらも、係員がゆっくり目で追えないぐらいのスピードで集団にまぎれて通過する。

 カウンターでは、あんなに家で計算して7kg以下に抑えてきたのに、荷物の重量を測られなかった。リュックとケースだけだったからか。向こうの入り口で中国人らしき人達が設置してある重量計にスーツケースを乗せて盛んにああだこうだと言い合っていたが。

 昼飯はどうするつもりなのか。この行程を手配した横暴代理店よ。レストランはほとんど閉まっているが、搭乗時間は迫っている。暗にコンビニを示唆してきた。まだ11時だしな。ポテトチップスとマックシェイクを買った。機内に持って行こうと思ったが、(きの)「これは・・・液体だ!」よく考えたら思いっきり液体だったので、その場でジュウジュウすすり込んでゴミ箱に投げ込み、すっかり胃腸が冷えたところで保安検査場へ。パソコンは出され、ポケットの中身を空けて腕時計も外したが、中学時代に友人の祖母からもらった磁気ネックレスを足に巻いていたのは不問だった。あの機械ちゃんと動いているのか。

 難なく通過し、搭乗ゲートからはバスに乗る。前に並んでたアウトドア野郎が指に包帯をしているのを見とがめられ、職員に骨折なのか、入院したのかどうか聞かれ、いいえ、突き指と答えていたが座席番号を控えられていた。待っている義理はないので抜かしてきたが、そいつが振り回していたのは飲みかけの爽健美茶ではないのか?国内線の液体の持ち込みは、実際のところどうなんだろう?

 

 数年前に東京に行った時は帰りが LCC だったが、夜で暗くてよく見えなかった。今回は昼間だから、離陸の様子をよく見といてやろう。狭い。よくこんなに小さい飛行機に3列も席を作ったものだ。大昔の東亜国内航空(JAS)のローカル便をボロくしたような機体だ。このコンクリート打ちっぱなしみたいな古い銀色の鉄板から粗いビスが外れたりしないか。なじんだエグゼクティブ・チェアみたいな黒革のシートがよけいに不安をあおる。暑い滑走路を見ているとエビ達のことが気になる。そこへ最もいやな質問(娘)「ねぇこれ飛ぶの」(きの)「今そんなこと言われても。ハハハハ」すごく降りたい。

 飛行機は好きだ。あの英知の結晶のような機械を見ると心が躍る。よくここまで進化した。こんな鉄の固まりを空に飛ばして、人類の可能性を広げてくれた。みんなよく頑張った、ありがとう!と空港に行くと何目線かわからない感動で胸がいっぱいになる。全日空や日航の純白の巨体が地上係に手を振られ、しずしずと滑走路に滑り込み、一旦呼吸を整えて翼のフラップを出したり引っ込めたりして一連の確認だかパフォーマンスのような動作をしてから、満を持して出力を増して飛び立っていく姿は美しい。

 今回乗った LCC  は、滑走路を迷ったんじゃないかと思うくらい延々と走り回った挙句に、どこかの角を曲がってすぐにそのままちょっと走って、びやぁっっと飛び上がっていった。こんな簡単でいいのか。飛ぶ前の儀式は?飛行の醍醐味とは?全日空ほどキュィーンとかピシュゥゥ~という繊細な機器の動く音もしない。エンジンが違うのか、小型だからか。

 小さい頃はお盆の帰省が年に一回の特別な楽しみで、百貨店の高級フルーツのような粒ぞろいの優しいスチュワーデスのお姉さんに席まで案内してもらい、飛行機の模型をもらって振り回して遊んだ。あの入道雲の向こうの光り輝くような思い出も、今のですべて消し飛んだ。

 ベテランの忌野清志郎みたいな化粧をしたオカッパの(乗務員)「荷物は足の下に置いてくださいよ」アメリカの航空会社並みに横柄だ。しかも飲み物もおしぼりもくれないらしいし(泣)。最終的に出発前に窓のシェードを客に自分達で開けさす体たらく。もうこれは日本という遊園地の、空飛ぶアトラクションだと思った方がいい。

 

 ずいぶん低い所を飛ぶ。下の建物が見えている。雲の上には出ないのか。あの青空と自分しかいないような景色はないんだ。ちっ。しかもだんだん海岸線から離れて山の方へ行く。どうして?こんなに低いのに市街地の上飛んだら危ないしうるさい。国内線は全部瀬戸内海の上を飛ぶものだと思っていたが、航路って、いっぱいあるのかな。

 ふと123便のことが頭をよぎった。あの時代の最大の悪夢だった。ニュースをお盆に帰省している実家で見て、ある会社員のゆれる機内で書いたふるえる文字の直筆メモの写真を朝日新聞で見て以来、父は飛行機に乗るのをやめ、片道6時間もかけて新幹線を使うようになってしまった。

 窓の景色が変だな~と思っているうちに、今度は手前に海岸線が来て向こう側が海になった。すると今までのは四国だったのか??これから機内販売を開始するという放送があって、ワゴンが慌ただしく通過し、学芸会の劇みたいにすぐに引き返して終了した。なぜなら着陸態勢に入るからだそうな。もう!?さっき飛び立ったでしょうが。50分で着くらしい。関空まで来るバスの方が時間がかかった。

 そのうち視界の全部が海になってしまった。しばらく考えて、そういやさっき海岸線を離れる前に、あれは萩ではないか?と思われる三角州や青海島らしきエメラルドグリーンの海域があった。気のせいかと思っていたが、そうすると日本海に出てしまったのか。この飛行機は韓国に行こうとしているのか?なんで??福岡に行きたいだけなのに。

 機体が急旋回を始め、不安はピークに達する。どうしてかわからないけど、日本を横断して海に飛び出し、左側から回り込んで近づこうとしてるんだよね?ね?これが定期航路で、操縦不能になって迷走しているわけじゃないよね。それにしても、こんなぐにゃぐにゃの数字の6みたいなルートで、本当に正しいのか。心配だが聞く相手もいない。乗務員に大声で「この航路で合ってるのか」なんて聞いたら、いらんパニックを誘発するだけだろう。見てると高層ビルのすぐ近くを飛んでドームが近づいてきた。福岡ドーム?っていうか、こんなすれすれをナナメになって飛んだら危ないじゃないか。いろんな初要素が絡んでちっとも落ちつけない。

 

 昔、ちょうど国内線がプロペラからジェット機に切り切り替わった頃、それを知らなかった父は乗ってから何かが違うという違和感にさいなまれ、乗り間違えたのかもしれないが、まわりに聞くわけにもいかず、今さら降ろしてくれとも言えない恐怖と小1時間ばかり戦ったそうだ。今、その気持ちよくわかる。

 いつだったか、お盆の帰省時に高校野球の部員たちが乗ってきて、生まれて初めて飛行機に乗ったような素朴な生徒もいた。80年代は着陸時に派手に逆噴射をやっていて、着陸と同時にエンジンのまわりのカバーが外れ、ガチャーンと後ろに覆いかぶさって勢いを止める(B737-200)。毎回そのメカメカしい動きを楽しみにしていたが、翼もあちこち逆立って傍から見ると故障したようにしか見えない。通路の向こうで、運悪く翼の真後ろの座席からその場面をひとり見てしまった球児が(悲鳴)「うわあぁ壊れた」と絶望したような顔をしているのを見て笑ったが、ちょっと性格が悪かったかもしれない。

 今回も、知らないのは自分だけなのか、それともまわりの乗客はさも当然といった風情で堂々と着席しているが、みんなの窓が開いていないから気づいていないだけではないのかと考えると非常に恐ろしい。いま羽根が気流でひん曲がったように思うが。着陸態勢に入っても窓に貼り付いて注意を怠らない。街中をぐるぐる飛び続け、いつの間にか滑走路に入った。

 普通に着いて嫌な汗をかきながら地下鉄に乗り、博多祇園に到着。バスがあるはずだが、こんなゴチャゴチャの街で面倒くさくて探せない。方向はわかっている。あっちだ。前に1回行ったからもう博多は庭のようなものだ。大みえを切って歩き出し有名な中州の飲み屋街を越えて川を渡り、(娘)「ここじゃない?」何かのビルの建設途中の鉄筋の向こうに、肌色のパルテノン神殿のような石造りの建物が見え、疲労困憊でたどり着く。

 

 フロントに行くには、荷物を持って前面の日当たりの良い巨大階段を登る。(きの)「ヒィ・・・ヒィ・・・2階から・・・入ると・・・何かいいことでもあるのか・・・」門司港ホテルにもこの「渇きの無限階段」が受け継がれている。這い登って来れるものだけが、滞在を許されるのだ。重たいドアを押し開けるとロビーはモントレ以上の真っ暗+ガラス張りの、細い通路の先にスポットライト(光)「ポツン、ポツン。」ディズニーランドのスペース・マウンテンのような宇宙的な世界観だ。だが、眩しい外から入ったらほぼ何も見えない。

 係は外国人ぽいがイタリア人ではなさそう。体温を上品に手首で測り、チェックイン手続きの最後の最後に(係)「では身分証を」えぇ!?初の要求だ。宿泊リストに京都の住所と実家の住所どっちを書いたか咄嗟にわからなくなり、東京かどうかをチェックしたいだけだろうとは思うが、焦ってリュックから取り出そうとしたら、なぜか飛行機の中で食べていたプリングルス・サワークリームオニオンの缶が飛び出してきて、しかもプラスチックの(フタ)「ポロッ」ゾロリと出たチップスを空中で受け止め、見事に戻す。セーフ。

 すごい反射神経だが、IDを見せろと言われて動揺したと思われてはいけないので、急に1人で南京玉すだれのような行為をしておきながら何事もなかったかのように身分証を取り出す。怪しくないんだ!

 無事チェックインし、部屋に入ってくつろぐ。広い。普通のツインが19畳て。昔に建った建物だからか、敷地の使い方にも余裕がある。建った当時は、目の前にビルなどなくて、川が見えていただろうに。今は隙間から少しだけ見える。窓は古い取っ手が付いたオシャレな倉庫のような窓枠で、真ん中のレバーを持って押すとジャバラのように折りたたまれて開く。不二サッシと書いてあったから国産だ。

 洗面所のドアの造りなどを見て、広告デザイナーだった叔父の家を思い出した。もう今は手放してしまったが、あれも濃い茶色の木を白い壁に多用したシックな家だった。今あの家に住んでいる人は、どう思っているだろう。既製品にない空間の使い方に満足してくれていると願いたい。

 それにしても、イタリアには鴨居という発想はないのか。天井から床までドアがある。確か消防法で煙よけの仕切りをつけなければいけないのは、台所だけだったか。

 そして風呂。なぜか壁がガラスで透明だが、そんなことはどうでもいい。きっとイタリア式の解放感を目的としたデザインで、京都七条グラッドワンや二条アーバンホテルの透明シャワー室もそれを参考にしたのだろう。

 問題はバスタブだ。確かにホテルの風呂にバスタブが有ればいいと思っていたが、(きの)「これは・・・」 正直、ありすぎる。モントレ以上の長さだ。Jackson と書いた輸入品で大きいし四角いし、浸かると全身がすっぽり入った上に漂う。蛇口はアナログなタイマーで、ダイヤルを200ℓ~300ℓに合わせると、その量が入ったら自動的に止まる。風呂桶は何に一番よく似ているかといえば(きの)「豆腐屋の桶?」あの豆腐がいっぱい浮いてるやつだ。つめれば体育座りの大人が3人ぐらい入れる。このバスタブに最適なのは190cmの人間だ。

 ドライヤーも湯沸かしケトルも見たことないブランドで、絶対にそこらへんで売ってるようなものは置かないぞという矜持があるからなのか、しかし輸入すると電圧だのコンセントの形だの規格が合わなくて大変だろうに。ドライヤーの内部に、スプリンクラーのように自身の風の流れで方向をランダムに変えるグラグラの部品がついていて、風が出てくるごとに中でシシオドシのようにカクンカクンなって、風が行ったり来たりする。芝生用スプリンクラーのようで面白い。面白いが、見てると目が乾く。

 お腹が空いた。(娘)「ぐったり」行きのバスで寒いなどと言って人のジャケットを奪い取り、そのまま厚着で炎天下の中州を歩いたからじゃないのか?近くのコンビニで冷やしうどんを買ってきて、部屋の無駄に重厚なL字型ソファーですする。そのうち寝てしまわれた。天神様にお礼参りはしなくていいのか。

 クロネコ荷物追跡を見ると、荷物の1個が京都で「調査中」となっている。何を調査しているんだ。何も違法なものは入れてないぞ。調べてみると、破損、誤送、伝票紛失など。

 夜の8時にやおら起きてきて、大学の課題が終わらないとかでパソコンを開いてやり始めた。こんなところまで来て自主的にいつまでも缶詰になっているのか。午後遅くに冷やしうどんを食べたので空腹でもない。エビが心配で食欲もないが、ヒマなので夜にぶらりと出てホテルのパルテノン階段を降りてみる。

 道路を挟んで目の前にイタリア料理らしき店が。入り口はどこなのか。全面キラキラのガラス張りで2つ以上ドアがある上に、スロープをまわり込んで入るようになっている。開店時間なども書いてない。今は9時だから、京都なら全部の店が閉まっている頃だ。

 店の横に暗い路地みたいのがあったから、するりと入ってみた。向こうは川かな。岸にたどり届く直前で(きの)「ごろり」何か白い細い物を踏んだ。覗いてみると暗い川面に対岸のネオンがいくつも映っていた。黒い波がトプトプと打ち寄せる石段は、洗われて角が丸くなり過ぎてもはやガタガタの坂道。賢明な判断ですぐに引き返す。

 店に入って行こうとしているカップルがいたので、ついて入ってみる。断られるのか奴らの反応を見てみよう。しかし3人ですかと言われたら向こうが迷惑だろうから心もち離れておく。カップルは無事入って行った。では(きの)「コホン。何時までやっているのかな。」芸能人でいえばケンコバ似の(ギャルソン)「深夜3時まで」おぉ!外観はイタリアンだが、完全に飲み屋だ。

 店内は川が見えて景色が良い。そして聞こえてくるのは大音量の日本語(ヒップホップ)「♪俺たちはやれるゼ(合いの手)いえぁ~」壁にはエミネムのすさんだ都市の映像が。出勤前の人たちが念入りに化粧をしている。さすが修羅の街。

 メニューに写真がなく文字しかないので、何だかわからないが牛タンの南蛮というメニューが店長一押しだと書いてあったので、頼んでみる。(きの)「南蛮はどんな量なのか」どうせおつまみだから少量だろう。(ヒゲ店員)「多いかも」まぁいい。(きの)「魚のマリネとクランベリージュースと、それとこのアオサのゼッポリーニって何ですか」(ヒゲ)「ピザ生地にアオサを入れて丸めて揚げたものです」アオサって海藻ではないのか?もう海藻饅頭のような姿しか想像できないが、炭水化物はそれしかない。

 さっきのヒゲ店員が持ってきてくれた。南蛮はタルタルソースをかけた小さいから揚げのようなものが10個ぐらい。これなら食べれる。見ると腕に縦一列タトゥーが入っている。そんな位置では日本のプールやビーチに入りにくいだろう。この世界で生きていくんだな。そう決めたのか。うんうん。ゼッポリーニはフリットのようなものに青のりが散りばめられていた。なるほど。これがアオサか。

 ここも全体に薄味だ。気取った所は薄味なんだきっと。牛タンて何だろう。Tongue(舌)のぶつ切り?そういやモツや豚骨、タラコなど、博多は珍しいものを食べる。昔、福岡出身の知人と鍋の話をしていて(知)「そして最後に牛タンを入れるでしょ」と言ったので、その場にいた全員がえぇ!?入れない!と思ったが、この感じだと入れそうだ。

 牛タンがおいしかったので(きの)「これがおいしかったよ。」(Tatooひげ)「ありがとうございます。シェフに言っときます」帰りに横のドアを開けてくれたので(きの)「こっちからも出れるのかー。さっきあっちの奥何だろうと思って行ってみたら思いっきり川だった!はーっはっはっは」(Tatooひげ)「危ないですよ」冷静に注意された。くそう。酔っ払いじゃない。

 いわしのマリネが、揚げた魚かと思ったら鮮魚だった。しかも7匹ぐらい。牛タンはおいしかったが固くてほとんど丸飲み。そして仕上げに氷入りのフルーツジュースをガブ飲みしてしまった。消化不良を起こしそうなパターンだ。コンビニで温かい飲み物と、部屋で缶詰になってる人用の夜食を買おう。裏通りは新宿のような胡散臭いホテルと温泉と深夜保育園というのがあって、あぁ都会だなと思った。コンビニにも派手なドレスを着たおねいちゃんたちがいた。

 部屋に帰って白い湯飲みで熱いほうじ茶をすする。この目玉焼きの黄味部分がズレたような非対称の受皿は、たぶん白山陶器だ。生魚を食べてしまった不安で風呂に5回ぐらい入ったり出たりをくり返し消化を促す。合計で200ℓ×5=1000ℓ(1t)ぐらい使ったが、何をそんなに洗ったのだろう。結局この豪華な部屋でコンビニの食料しか食べていない。博多に何しに来たのか。

 コカコーラの巨大な電飾看板が、キャナルシティーの方向に一晩中瞬いているのを窓から見ながら寝た。エビが心配でたまらない。やっぱりクール宅急便にすればよかった。この手で持って海を渡れば。全部自分のせいだ。もう発泡スチロールが崩壊してエビがもろもろ出ている映像しか頭に浮かんでこない。

 朝になり、8:00amクロネコヤマトに電話。(きの)「どうしたんですかっっ」(ヤマト)「あ、調査中となっていますね」回答を依頼。適当に貼ったガムテープがはがれたのか。それとも凍らせたペットボトルが溶けて結露で段ボールが水濡れ?深夜までかかって課題を仕上げた人が呆然として起きてくる。こんなことなら早めにやればよかったのに。だんだん期末に爆破予告をする人の気持ちがわかるようになってくるだろう。

 

 小さい頃、母の母校の合宿所が軽井沢にあったので、夏に連れて行かれた。うるさい大学生がいっぱいいて飯のマズい、和室の大部屋がある変な旅館だと思っていたが、長じて記憶を総合するに、どうやら母の恩師の教授の計らいで学生用の宿舎に潜り込んで泊まっていたらしい。特にすることもなく毎日パン屋に行ったり自転車に乗ったりして遊んでいたが、長野の夏の空気は澄んでいたことだけは覚えている。同じ手口で山中湖や蓼科にも泊まっていた。

 そこの朝食といわず、晩飯もなにもかもがマズかった。食堂に行くと柔らかいコロッケやくし形に切ったトマト、千切りのキャベツに黄色いたくあんが2枚、1/4に切ったハム、ミリ単位で量ったようなヨーグルトなどの栄養士が作ったような地味な洋食メニューに、毎回大量のご飯がおひつに入ってやってくる。いったいこの大量のお米をどうしたらいいんだという気分になりながら、唯一ソーセージだけが食べれたのでソーセージとご飯ばかりを食べていた。

 いやぁおいしかった。あの太いしょっぱいソーセージを斜めに切って・・・あれ? もしかして、今考えたら魚肉ソーセージかもしれない。とにかく、ソーセージとご飯はよく合うんだよ。

 学生たちはラフな格好で運動をしていたから、体育学部か運動のサークルだったのかもしれない。だから食事が多かったのか。千切りキャベツや食堂の朝食のトラウマはここから来ている気がする。今でも時々具合いが悪くなると、ソーセージとご飯の組み合わせが食べたくなる。あの時、唯一味方でいてくれたソーセージとご飯に、今回もまたおいで願いたい(ハートンがよっぽど嫌だったのか)。

 

 さて、イルパラッツオだが、HPでは九州の味ビュッフェとなっている。九州の味が何かはわからないが、朝からモツ煮込みや牛タンが出てくるのだろうか。しかしビュッフェなら絶対にソーセージはあるだろうと確信している。チェックインの時にも、朝食については何も変更があるとは言われなかったのでしめしめと思って、朝一で2階の黒い宇宙レストランに向かう。

 席に着くと、真ん中寄せの書体でポツンポツンと書かれた、本日のメニューという名の選択肢ではない一方的な宣言がうやうやしく渡され、なぜか知らない間にアメリカン・ブレックファースト(1,800円相当)になっていた。

 地元のお母さんのような優しそうな(店員)「サービスのスペシャル・スムージーですよ。ニコニコ」言い出せない。メニューには(当然)「モーニング・サラダ」いつのサラダでもいやあぁぁ。ソーセージは出てくるのか。問題はそれだけだ。(きの)「この『パンのところをご飯に変更可』って書いてありますよね。では、ご飯で。」意地でも食べてやる。

 どこからか出てきた(シェフ)「本日のメインは宮崎牛のカボス乗せでございます」付け合わせはオクラと冬瓜。もうどこがアメリカンなのかわからない。やっとのことで出してきた皿に1本乗ってた!この貴重なソーセージを重たいナイフでコマ切れにし、存分に味わう(涙)。こんなことなら、ホテルのルームサービスでソーセージとご飯だけ持ってきてもらえば良かったんだ。ブツブツ言いながら食べる。そもそもエビが心配で食欲もない。

 サラダはちぎったレタスが数枚と、鶏肉のササミと何かが大半だった。フルーツもデザートもあり、オレンジとグレープフルーツジュースも飲んだ。スープも手が込んでいて、わざわざ1階で作って運び上げて来ていたようだ。

 部屋に帰り再びヤマトに電話(きの)「どうして2時間経っても返答がないんだ!」(ヤマト)「中継点に催促します。」(きの)「伝言を頼む。それ生ものだから。時間をかけて調査するより、箱が破れてても何でもいいから早く持ってきてほしい」

 チェックアウトし、昨日の恐ろしい川べり階段を見に行くと、夜の喧騒はどこへ行ったのか、静かな流れの澄んだ水に魚が泳いでいる。(看板)「急に深くなるから注意」(きの)「酔っ払いが落ちるといけないからね。ハハハ」あの踏んづけた白い棒は流木だったらしい。道の脇にどけられていた。勤勉なTatooヒゲか。夜に急にホテルを出て滑り落ち、博多湾へと出て行ったら、どうしたのか誰にもわからない。確かに危険だ。

 繁華街は朝はお休みの時間だ。工事の人たちぐらいしかいない。夜中の3時まで起きてる人たちと朝早く起きてくる人たち。理論的に言って同じ面積の地域に2倍の人数が収容できる上に、混み具合は1/2だ。博多は夜と昼とで棲み分けができている。

 電話(ヤマト)「お尋ねの件ですが・・・・少しガムテープがですね、はがれてて」(きの)「そんなことどうでもいいから早く持ってきて(泣)!あ゛ぁ゛よかったぁぁ~。じゃあ、よろしく。」力強く礼を言って電話を切る。後は急いで帰る。

 家に帰って(ヤマト)「まず箱の状態を確認・・・」(きの)「いいえ結構!こっちのミス。ありがとう!」ひったくるようにして持ち帰る。おそるおそる開けて指を突っ込んでみると、エビ水槽の水は冷たかった。箱には全て「なまもの」シールが貼ってある。食品と書くと、もれなく貼られるのではないか。コンビニの元運転手のあんちゃんよ、ありがとう。箱の中の温度も、どちらかと言えば気温より冷たい。

しかし、四六時中気になるので、もう夏に飛行機に乗るのはやめる。

コメント

京都ホテルめぐり2020 まとめ

2020-12-30 13:42:18 | 怒涛の京都ホテルめぐり

結論:

 最近建ったチェーン店のセキュリティー万全の新人フロントよりも、むかし日本が豊かだった時代に個人が建てた個性的なホテルが楽しい。そういう観点から、嵐山、西陣プチホテル、烏丸ベースが楽しかった。あると嬉しい項目に「信頼できるスタッフ」というのも加えよう。全体的に、隙あらば風呂に入り、脱出口を探し、終始虫に怯えていた。

 料理はその辺に食べに行けばいい。大浴場はあってもなくてもいいが、部屋にバスタブがないのだけはどうも。アメニティーの歯ブラシとスリッパがたまり続けたので家の来客用に。ベッドはこの時期空いてるのでサービスなのかクイーンサイズが多かったが、実はベッドの広さは特に気にしてない。空いてても荷物を置いてひっちゃかめっちゃかになるだけだ。部屋が広くても、無駄に大きいベッドを置いたら狭くなる。それだったら、窓辺に優雅なコーヒーテーブルでも置いてほしい。

 その他、個別に眺望が良かったで賞は「嵐山」、水部門は「モントレ」、レストラン部門は泊ってないが「ギンモンド」、人里離れた修行部門には「南禅寺」、セキュリティー賞は「烏丸ベース」と「やんわり」だ。よく持ったで賞は「京都タワーホテル」に、それぞれ勝手に贈る。

 

 小さい頃、伯母が寝る前に怪談をしてきてよく聞かされた。オハコは「十九面童」という山海経が元ネタの京都の話で、真ん中にいる十九面童という碁盤の目のお化けのところに東山椿木、西竹林の一足鶏、南池の鯉魚、北山の孤狐という妖怪たちが遊びに来て旅人を喰らふという話だが、その舞台となっている碁盤の上にいる以上、訪ねて歩くのも悪くない趣向だ。

 今回は西竹林(嵐山)と東山(清水)に行き、現在北山に住んでいるが、南に丁度良いホテルがなかった。というか、今は南に池がないということを知った。(Wiki)「巨椋池は昭和に干拓。」そんな。お祖母ちゃん、池ないってよ。どうする?

 どうするというのだろうか。蚊がいてどうしようもないのか。じゃあしょうがない。でも、少しぐらい取っといてくれてもいいんじゃないのん?全部埋めなくてもさ。神泉苑でもいいか。鯉もいるし。中心の十九面童は御所だ。あれよく考えたら、お化け達でも何でもなくて、ただの動物たちではないのか?北山の孤狐って、1匹のキツネ?キツネちゃんが遊びに来てどうしましょうって随分かわいい話だな。碁盤の童(わらし)だし。

 

 いろんなホテルに泊まって思うことは、きちんとデザインすれば、古くなっても価値を失わないのではないかということだ。グーグルマップのレビューの「設備が古い」という自信満々のコメントは、言った本人に何か恩恵をもたらすのか。古い=悪いと誰が決めたのだろう。今建った安普請が50年後にちゃんと機能していられない文化の方がよっぽど問題だ。

 値段は総じて安かった。だから泊まり歩いたりできたのだろうが、解せないのは、南禅寺の8千円が寺の宿坊だから値段を上げ下げしたりしないのはいいとしても、結局一番高かったのが8千円のカプセルホテルって。モントレは、四条の立地で高そうな割に良心的な値段だ。昔からそこの土地を持っているのではないのかな。賃貸と持ち家ではだいぶ負担が違う。土地を所有している場合、料金が安いのは価値がないからではなく、値段を安くしても維持できるという余裕があるからだ。

 ホテルやバイキングはどこでも感染対策に気を配っていて、人類が宿泊業というものを始めて以来、意図せず一番清潔な環境となっている。

 楽しかった。問題もなく健康なまますり抜けた。呼吸器系が弱い自分にとっておそらく今がギリギリの引き際だろう。ケビン・コスナーの映画「ダンス・ウイズ・ウルブス」の、敵前に突然躍り出て走り抜けたバカの心境だ。

 ホテルは、この何倍もの候補があった。そこにもきっと真面目で良い人たちが居ただろう。もしかしたら、自分が最後の客になった所もあるかもしれない。閉まっているホテルや店もいっぱいあった。臨時休業から閉店の張り紙になったところもある。

 京都の人はえらい。この苦境で呼び込みや無理な客引きを一切しない。ただ、また来てねと力強く言ってくれるだけで。

 

これから、さすらいのノマド市民はBon Danceを踊りに実家に帰る。

8/10/2020 京都にて

 

 

追記:イル・ヴェルデの近くのグラッドワンは、朝からコイを見に行った1週間後ぐらいに再開したようだ。だとすれば、偶然出てきた従業員は休業中に点検&管理をしにきただけだったのか。「ここを気にして見に来る客がいる」という事実が再開の後押しとなっていたら嬉しい。

プチホテルは相変わらずお気楽なブログを書いている。ほの暗いレストランはインスタで酒ばかり宣伝するので、なかなか行けないでいる。

2022年冬追記:グラッドワンが閉業になっているのをマップで発見し、心を痛めている。あの鯉たちはどこへ行ったのか。それが気になる。

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(14of14)イル・ヴェルデ ~高瀬川に帰ろう。野菜サラダの旅~

2020-12-18 15:08:56 | 怒涛の京都ホテルめぐり

(8/7)4,900円朝食付き

 これが「怒涛の京都ホテルめぐり2020」の締めくくりとなる。本当は貴船に行きたかったが、一泊5万もするのでは何をしに行っているのかわからない。もうゴールは見えているけれど、気を抜いてはいけない。名前がイタリア風だが何か違いがあるのだろうか。名前にヴァヴィヴゥヴェヴォが入っていると重厚そうだが、流石に電話でその通りに発音したら嫌がられるだろう。

 前に知り合いの京都出身の住職が、まだ観光客に乗っ取られていない場所として、渉成園を教えてくれた。東本願寺の向かいにある庭園で、枳殻園とも言うらしい。枳殻はカラタチのことだ。いっぱい生えているのだろうか。その人は西本願寺派だが、東と西は仲はいいのだろうか。それともこだわらない性格なのか。西本願寺へ通じる地下道の存在や、檀家価格のホテル、うまいパン屋など、その住職はいろんなことを教えてくれる。

 予約時に(きの)「朝食バイキングだって」もうソーセージのことしか考えてない。(娘)「どれどれ焼きたてパンに発酵バター、クロワッサンもある。まぁいいでしょう」ご飯は?このホテルは通常は朝食ビュッフェがある。予約した時はそういうプランだったが、HPを見てみると最近は素泊まりばかり書いてある。

 最近予約した客が、当日ビュッフェを見て何だと聞いてきたらどうするつもりなのか。お前にはない、なぜなら無しのプランを選んだからだと答えても、それしかなかったじゃないかと言われれば、じゃあ今から払って食べますかと聞いても、だったらセットで最初からお得に売ってくれればいいじゃないかと言われるだろう。今回はどうなのか。(娘)「3人とかでビュッフェ?」また個別プレートになるのかもしれない。食べれなかったらどうしようという恐怖からか、千切りビュッフェの悪夢を見てしまった。

 

 三条でバスを降り、するりと高瀬川沿いのイタリア料理店に入る。前にぶらぶら歩いていた時に見かけて、高瀬川の水面に張り出すようにしてテラス席が迫っている様を見て(きの)「なんて危ない店だ」と思って覚えていた。酔っ払いの末路が見えてくるようだ。高瀬川が見たかったので入ってみたが、特にイタリアンでなくても良い。

 開店直後でまだ誰もいなくて、ガラス張りの明るい店は解放感があって良い。奥でピザを焼いてる店員とホールが(全員)「なんとか~かんとか~!」とガススタのような調子で一斉に叫んでくれた。その後も、誰か店に入ってきたり、料理を頼んだりすると叫んでいるので、何回か聞いて、もしかするとイタリア語でボナペティート(めしあがれ)と言っているのではないかと思った。掛け声の応酬は昨今の時勢に合わない。ピザのビュッフェを注文。マスクと手袋をして取りに行く。

 ここにも恐怖の千切りキャベツがあったが、落ち着いて横のオクラとタコのねばねばした和え物をすくい取る。イカとブロッコリー、チキンとキュウリなどの湿った料理を選ぶ。ちゃんと野菜も食べる。紫色のレタス(トレビスだかラディッキオだっけ)があったので1枚持ってきて恰好つけてシェリーのヴィネガーをかけて、さも当然といった顔でかじってみたら苦かった。

 飲み物はアップルジュース、グレープフルーツ、オレンジ、またアップル、コーヒーに最後は紅茶とオレンジを混ぜておいしくいただいた。デザートは控えめに麻雀パイぐらいのチーズケーキを2個。(きの)「確か90分でしたっけ?」(店)「今混んでませんのでいいですよ。」食べ終わったが、もうちょっと景色を楽しんでいてもいいのかな。小川の岸を流行のUber Eatsがひっきりなしに行きかう。

 新しいタイプの川床みたいで、心地よくゆったりと流れを見ていたら、中年女性の2人組が待ち合わせてやってきて、2人とも山盛りのキャベツを取ってきてすごい勢いでもしゃもしゃ食べながら、それと同じぐらいのスピードで喋り合っている。腹話術のようだ。千切りキャベツは関西の文化なのかな。関東ではどうだったのだろうか。記憶が遠すぎてもう忘れてしまった。

 2人ともマスクをはずして喋りながら料理を取りに行き、食べる前に入念にアルコールでお互いの手を消毒しフォークも拭いていたが、それだと順番が違うのでは。(2人)「なんとかさんと何とかさんがあれ買うてはった。それでなーそれでなーぎゃはははは。あっこれおいしそうやなーちょうだい。お返しにピザいる?(素手)ひょいっ。すいませーん(大声)」さっきまでの努力はどうした!うつし合いに来たのか?一回公衆衛生学の講座を学んでから来るといい。こんな空間からは早々に立ち去らねば。

 店員の姉ちゃんに、景色が良かったことを伝え店を出る。桜の時期はさらにお勧めだそうだ。次はGood Nature Station に行く。四条の高島屋の裏にある新しく建ったショッピングモールで、まだ有象無象に目をつけられていないらしい。ここも新風館に負けず劣らずオサレだが、食べ物主体なので、なんとか享受できるだろう。と思ったが、難しそうだ。レストランは全体的にきどって薄暗く、照明は間接かスポットライトで構成されていて、どの店が何を売ってくれるのか、また隣の店との区切りはどこまでなのか、さっぱりわからない。

 スィーツ・ラボではガラス張りの実験室のような中で、新発想の分子ガストロノミー理論に基づいて調理してくれる。HPには崇高さを象徴するかのような、ピンセットで新芽を盛り付けるシェフの写真が。2階に上がっていったが、生け花しかなく何を売っているのか、見せてくれているだけなのかもうわからない。ワインの自販機。ハハハ。

 地図で見ると、渉成園のあたりに食べ物屋があまりなかったことから、ここで夕食を買って行けばいいや、という気軽な予想を立てていた。何を食べたらいいんだ。というか、売ってくれるのか?おそるおそるフードコートのようなところに近づいて行く。パンコーナーにはパサパサした本格的な黒パンがぎっしり!ひぇぇ。

 奥には、壁一面にホルマリン漬けのようなビン詰めの何かが並び、中で何やら生きている味噌や、卵や、松の葉が発酵しているらしい。(きの)「あれは売り物ではないのか」(店)「えぇ、見せてるだけです」それにしては、だいぶ減ってるビンもあるようだが、何に使っているのか。(看板)「生ゴミ堆肥の匂いを思い切って嗅いでみましょう」ある意味、新風館よりスゴいかもしれない。

 一角に皿に乗った食べ物の見本が並んでいたので、これなら食べれそうだと持ち帰りでローストビーフのセットを選んだ。他にギョウザのようなものが並んでいたようだが気のせいかな。受け取って早々に立ち去る。弁当とは思えない巨大な紙袋を下げてまたバスに乗り、すぐに降りてイル・ベルデへ。チェックイン時に検温はなし。朝食の券を渡してきた。ビュッフェあるんだ。

 

 部屋に入り、一旦風呂に入ってくつろいでから用事をこなそう。カードキーでエレベーターに乗る。客室のカギは、そのカードをかざすとパネルに青の数字錠が一瞬意味ありげにランダムに現われては消え、ピピッと鳴って開く。近未来的だ。ただ、ドアはカードキーで開くので、数字はただカッコよく現れては消えたりしているだけで、何の意味で光っているのかはわからない。部屋に入ってドアを閉じると、一拍置いてウィ~~ンという音と共にラッチが勝手に動き、「カ・・チャ。」とゆっくり背後でカギが締まるようになっている。けっこう怖い。

 シングルを予約したのにダブルベッドにしてくれて、5階で景色はいいのだが渉成園は見えない反対側の部屋だった。東山の方が見える。あのピンクの横長の建物は京都タワーからも見えたが何だろう。左側の山の斜面に墓地が広がる。窓には三角の避難ステッカーが貼ってあって、消防士が入ってくる旨が記されていた。そして、窓から見たら細いベランダみたいなところに置いてある室外機の端に、部屋の番号が控えめに書いてあった。なんと賢い。レスキュー隊が助けに入ろうにも、同じ窓が並んでいたら、どこかわからないもんね。全部割ってみるわけにいかないし。しかし泥棒に知られないように気を遣っているところがにくい。

 ダブルベッドの窓側の片方の頭上には、巨大な丸いガラスの電灯がぶら下がっている。昔の海のガラスの浮きみたいなやつだ。試しに拳で叩いたら(傘)「ゴ~~ンンン・・・ォンォン」と鐘のようないい音がしたので、調子に乗ってゴンゴン叩いていたら、隣の部屋に出入りする音がする。他にも人がいたのか。

 部屋に置いてある冊子には、「歌唱、演奏、他人が不快に思う行為などはやめてください」と書いてある。著しく匂いの強い食べ物もダメだそうだ。気をつけよう。6時過ぎて疲れて寝てしまった。起きたら真っ暗で夕食は床に置きっぱなし。エアコンは効いているが腐ってないだろうか。何しろあのコーナーにあるものはほとんど発酵していた。

 恐る恐る開けてみると、ひさしの付いた大きな透明ボウルの上の方にローストビーフが数枚。後はレタスと色んな切り方をした野菜がぎっしり。(きの)「・・・。」なぜ。レシートを見てみるとローストビーフ・サラダと書いてあり、1,500円も払って膨大なサラダを買ってきてしまった。あまりの嫌さにビーフと、くるくるに切った人参と大根と、紫のザワークラウト、コーンとポテサラなどをより分けてフタの上に並べて眺めてみる。そんなことをしても何にもならない。このザワークラウトは自家製っぽいけど、まさかあの棚の上で泡を出していたやつなのか。

 スープは外国製紙カップの上部分を伸ばし、両端を真ん中に倒しただけの邪馬台国の住居のような形の容れ物に入っている。そして、両端は、どういう理由か知らないが、空いている。ここから吸い込めというのか。アツアツのコーンスープを?もし袋をバスの中で隣の婆さんの方に傾けていたらと思うとヒヤッとした。

 そして、最終的に紙袋の底にポテトの揚げたようなものと黒パンを発見する。うわぁ入れやがったな。飲み物が!飲み物がないと窒息!急いで買いに走る。このプンパ・ネコーみたいな発音の独特の匂いがする寒冷地のライ麦パンは、見た目はおいしそうだが毎回裏切られ口中の水分を全部持って行かれる。

 自販機と製氷機はフロントから離れた小部屋にある。昼間は、立って氷のボタンを押したら下の方から落ちてくる氷がみんなカップを外れ、まわりにまきちらしてしまったので、今度はしゃがんでカップをガッチリ固定しよう。氷を入れていると後ろの扉が開いて、振り返ると日焼けした男がびっくりしたようにして立っていた。ガラス戸は真ん中が曇ってるから、誰かいるとは思わなかったらしい。

 

人だ。 

 

 久しぶりの人類に感動を分かち合おうとしたが、こんな夜ふけに隅でしゃがんで何をしているという不信感からか、入り口から入ってこようとしない。さあどうぞ、とばかりに道を譲ってくれた。部屋の患者みたいな白の寝間着で来てやればよかった。

 炭酸水と、ミニッツメイドのピンクグレープフルーツの缶を2本買ってきて夕食に臨む。落ち着かないのでホテルいち推しの大画面TVを点けてみる。(NHK)「食育の何とか・・・」うるさい。(リモコン)「ピッ」こっちはいま大変なんだ。一旦逃げて風呂に入る。

 風呂は何も消し去ってはくれないとわかっているが、ひとまず落ち着こう。こうなったらもう泡風呂にしてやろうと思いついてシャンプーを5回ほど滝つぼに向けて押す。この匂いはどこかで嗅いだ・・・わかった。四条ヴィア・インだ!DHCオリーブなんちゃらと書いてあるが、そんなねっとり自然派とは無縁の人工ミントの鋭い匂いがする。髭剃り後か、昔流行ったサクセスという毛生え薬の匂いだ。アメニティー神経衰弱に勝利し、すっきりする。

 サラダに充分ドレッシグが浸った頃出てきて再び食べ始める。食べれた。食べれたよ。やっと底に到達したと思ったら、ペーストのようなものがある。これはもしや、フムスではないのか?ひよこ豆をすりつぶした中東の料理で、前から食べてみたいと思っていた。おぉ、これが!(きの)「ぱく。」

 え?なんかこう・・・。例えてはいけないものに似ている。ゲ〇?フムスってこんな味だったのか??そもそもこれフムスなのか?おから?そんなもの入れるだろうか。いやいや待てよ。最高に意識が高いやつらのことだ、何だって入れるだろう。

 どうも考えるに、あの柑橘ソースが原因ではないのか。ローストビーフがさっぱりしたらいいな、という願いから、柑橘ソースを選択したが、グレープフルーツっぽい味で苦かった。無農薬だから果皮を使い放題で存分に果汁も入っているだろう。その酸がひよこ豆のたんぱく質と反応して即席カッテージチーズのようなものを作り上げ、風呂に入って時間を置いてる間に促進されて出来上がってしまった。持ち帰りでないなら皿に広げて盛り付けるだろうから、わざわざフムスにソースをかける人はいない。偶然が紡ぎだすハーモニーは饗応の最後を飾るにふさわしい味がした。

 案の定ベッドの片側を書類だらけにして、巨大な電気の下で寝る。非常に落ち着かない。もう取れて落ちてきて自分の顔にすっぽりかぶさるところしか思い浮かばない。おそらく、作り付けのヘッドレストの位置からして、元は部屋の手前にベッドがあり、奥の窓際にテーブルがあって、スタイリッシュなぼんぼりに照らされた京の町を見てくれという図面上の構図だったのだろうが、実際窓から見えるのは下の壊れかけた民家の本瓦の屋根ばかりという、ホテルとしてはあまりお勧めできない景色になっていることに気づき配置を替えたのだろう。その結果がこの頭上ランプだ。

 

 朝起きて、券には7時からと書いてあったので、7時15分ごろ降りて行ってみる。貫禄のあるフロント(支配人)「今日はおひとりの為に用意してみました。」(きの)「えぇ!?それはそれは申し訳ない。楽しみにして来ましたが、このご時世で中止ですと言われても仕方ないと思っていました。」(支配人)「あぁ後で私らも仕事終わりにいただくんで。へへ。お気になさらず」(きの)「では、せっかくきれいに並んでるから荒らさず全種類1個ずつ取るとしましょう」(支配人)「いやいや、好きなだけ食べて。さぁどうぞ」余計気になるわ!

 全種類1個ずつ・・・これってビュッフェでも何でもない。見られながらのセルフ配膳ではないのか。めぐりめぐって自らの手で朝食セットを作る羽目に。手袋をはめてトングでソーセージ、エッグ、ベーコン、サラダ・・・またサラダが来た(メソメソ)。

 炊いたご飯はなく、パンが7種類もある。1個ずつにエメンタールの何とかとか、発酵バターを100%使ったとか、ベルギー全粒粉がどうのと、パン好きが聞いたら踊りだしそうな説明がついている。

 ひとり窓際で従業員たちに見守られながら、気まずい王族のような朝飯を食べる。ベーコンの程よい焼き加減。スープも裏ごししたコーンの繊維のようなものがある。断面に玉ねぎの形が残るハンバーグ。良心的な内容だ。途中忘れ物を取りに来たカメラマンのようなピンクポロシャツが入口から入ってきた。彼も宿泊者か。しばらくやりとりして、すぐに出て行った。食べていけばいいのに。よく考えたら昨日の製氷びっくり男だったかもしれない。

 飲み物は、ないと食べれないので(特にパンが)存分にお代わりを頂戴した。ビュッフェ万歳。アップル、オレンジ、コーヒー(牛乳多)、セイロン・ウバ、アップル再び、ジャスミン、牛乳、そしてスープ。また果汁を飲んでいる。しかし、この愚行とも思える行為が後に自身を熱中症から救うことになるとは知る由もない。

 渉成園のスジの入った徳の高い壁を見ながらいただく。通りを走っていく車両は、工事に行く軽トラみたいなのが多い。みんなどこへ行くのだろうか。信号で止まってすることもないのか、こっちを見てくる。あちこちから見られながらの朝食だ。マラソンのみなさんも、おはよう。

 ほとんど平らげたが、ゆで卵だけが食べれない。う~ん、食べれない。幸せな夢のような悩みだが、本当にどうしよう。残して立ち去るのは非常に悪い気がする。考えた末、置いてあった紙ナプキンに包んでさりげなくポケットにしまう。ビュッフェやらの品を持ち帰る人がたまにいるが、実に褒められない行為だ。ビュッフェは沢山食べる所ではなくて、自らの好きなものを選ぶ場所(もしくは嫌いなものを食べなくていい場所だ)。選択の自由を楽しむ余裕がないとね、なんて日頃から知ったような口をきいておきながら、今はぜったいにバレたくない。違うんだ~これは、今日は本当に、ごめんなさい。

 

 パンを味わう余裕もなく、モガモガ口に詰め込んで散歩に出る。高瀬川に沿って歩き2年前に泊ったグラッドワンへ。コイはいるかな。(きの)「いたいた(◠ ◠ )」泳いでる。目を細めて眺めていると従業員らしき女性が仕事終わりの様子で裏口から出てきた。(きの)「2年前に泊まりました。あれから増えましたか?」(従業員)「いいえ、数は増えてませんが、みんな大きくなった。」(きの)「ほう。」ますます頬も緩む。

 ホテルに戻ると、エレベーター前に新しく貼られた(紙)「朝食の提供を一旦中止します」やっぱり今朝だけだったのか。予約後にビュッフェ中止にしたら宿泊予約自体もキャンセルすると考えたのかもしれない。しかし、それで予約を受けたんだからやりますというこのホテルの心意気が素晴らしい。

 部屋を出る時に隣の部屋のドアに「掃除不要」の札がかけてある。あのびっくりポロシャツだったか。さっき忘れ物を取りに来たにしては、荷物はカメラしかもっていなかった。連泊して渉成園を撮影しに来たのかもしれない。着くなり隣の部屋から鐘の音が聞こえてきて、夜ふけに製氷機の隅でしゃがみ、朝はプランにもない朝食を堂々と一人で食べる不可解な客はもう去るよ。安心して眠るといい。

 チェックアウト。(きの)「こんなありがたいビュッフェは初めてでした」(フロント)「こちらこそありがとうございました。」(きの)「外を歩いてる人に朝食だけ提供してはどうか。ジョギング中の人たちが興味ありげに見てた。元手は看板1枚。そこに焼きたてパンと書いてあったら、絶対に気になって入ってくるって。余計なお世話だけど。じゃご馳走様。」勝手にビジネスプランを提案し出発。

 

 さて次は、いざ!おんまの店へ。2年前、九条の泊まっていたホテルの近くにあったから何気なく入ったが、キムチで有名な店らしい。置いておいても固くならない韓国の春雨で作った焼ソバのようなものがおいしかった。あと、何かこう、「むっ」みたいな、一文字のデザート。どのように会話に混ぜるのか。すいませ~ん、「むっ」ください?前に大阪の帰りに寄ったら売り切れで、オムレツのようなものを買って京都駅の外殻の屋上でハトと争いながら食べた。どうしても、春雨が食べたいんだ。

 京都駅近くの右下のような部分はあまり行ったことがないので、勝手がわからない。京都タワーから見たら、一区画丸ごと大規模に開発していた。塩小路高倉というバス停を探していたのだが、その通りにあるものは全部塩小路なにがしという名前で、大通りの向かいと曲がったところに同じバスのバス停が4つもある。しかし、通りが広すぎて気軽に渡って見に行こうという気にならない。が、行ってみないとわからない。地図上ではこの辺にあるはずだとなっているが、京都駅に近いので辺りはバス停だらけ。うろうろ歩き回り、駅の方まで行ってみた。大きなホテルが閉まってる。その隣は売りに出してる。

 駅のロータリーも外周の方は「おりば」ばかりで乗れそうにない。一瞬もうやめてここからひょいと上賀茂神社行きに乗って帰ろうかと思ったが、春雨食べたさに歩き続ける。もう判断力もなくなってきたころ、どうやらあの工事現場を上がっていった坂道の途中にあるショボいバス停がそうではないのかと気づき、やみくもにガシガシと上がっていく。日陰もないバス停のポールだけが高架の道端のギリギリに立っている。次のバスは15分後。まあ良い。次が1時間半後というバスだって世の中にはあるのだからな。

日差しの中、立ち尽くす。

 すぐそばの区画で解体工事をやっていて、もうもうとした土煙が漂ってくる。どっかのミュージシャンのPVだったら絵になる構図だろうが、実際はボロボロで不快!やっと来たバスに乗り、3駅後に降りてまた歩く。(きの)「あった」視界の向こうに立ち上るのは陽炎なのか、もう己の視界がゆがんでいるのかわからないまま到着。

 近づいて行くと他の客が店の外の貼り紙を見ている。まさか!臨時休業!?(貼り紙)「感染予防のため入店5人まで」見ると次々と出て行っては入っていく。繁盛しているのだな。ということは春雨が!ヒィィ。ここまで買いに来て売り切れてたらどうしたらいいんだ。前の客がカゴに山盛りに買ってる。やっぱり昨日電話して取り置いてもらえばよかった。順番を待って入る。さっと見て、あれだ!というパックをひっつかみ、レジ横のラップに包まれた物体も確保。

 慌てて買って店を出て、どうやって帰るかを思案。京都駅は見えているが、パソコンを抱えてこれ以上歩きたくない。すぐそばにバス停があり、バスは20分後。仕方がない。自販機で麦茶を買っておんまの店の外のベンチに寄りかかって飲んでいると、店のオジサンが出てきてタバコを吸っている。そこへ来た初めての(客)「おたくも並んではるの?」(オジ)「いえ、私は店のものでして(頭)カリカリ」(きの)「ははは」周囲の客からも朗らかな笑いがこぼれ、おだやかに時間が過ぎていく。

 その間も、車がやってきては店の前に停まり、狭い店内に次々と入っていく。家族ぐるみで来ている人たちや、メモ片手に黙々とカゴに入れていく客。僧侶がバイクに乗って、星形の模様の入ったヘルメットをかぶって通り過ぎて行った。あれは魔除けかファッションか。バス停で待ってる婆さんは、あまりにも暇だからって、その辺の草を抜き始めた。皆のびのびとしている。

 

 家に帰っても頭痛にはならなかった。あんなに炎天下を歩き回ったのに。水分を取ったからか。そういえば、昨日からやたらに柑橘ジュースを飲んだ。ビタミンCが、壊れていく細胞壁を瞬時に修復してまわったのか。たまにこういう仮説を思いつくから面白い。だいたい見当違いに終わるが。

 春雨を食べてみよう。(きの)「変わらぬこの味(感動)!!」2年ぶりの春雨だ。そしてホテルの紙に包んだ(ゆで卵)「ゴロリ」(きの)「違うんです。これは」(娘)「・・・。」訳があるんだ。

 2年前も、おんまのレジ横にデザートらしきものがあった。おいしそうだが、何かわからない以上うかつに旅先で買う訳にいかない。お彼岸の砂糖みたいな調味料のかたまりだったりしたら困るから、甘いのかしょっぱいのか、それだけでも知りたい。(きの)「これは甘いんですか?」寡黙な従業員(返答)「あんまり。」あんまり?あんまり何なのか!?買って食べてみたらあんまり甘くなかった。蒸しパンと餅の中間。甘いものが苦手な自分にとっては、充分なデザートだ。

 名前は「ムッ」だと思っていたが、よく見たら(商品名)「シルトッ」だった。呼びにくさは変わらない。「ムッ」はヌリカベのような質感のグレーの商品で、キムチの隣にあったから、きっとしょっぱいのだろう。

 今回は、はからずも2年前の旅を再確認する行程となったが、前と変わらず同じものがあったことが喜ばしい。高瀬川にコイを放せばいいのに。新しい京都の名所になる。

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(13of14)ハートン(7/31)烏丸御池の青空と、ほの暗いレストラン

2020-12-08 23:19:24 | 怒涛の京都ホテルめぐり

5,800円 朝食付(呪)

 どうでもいいが、「からすまおいけ」はアラクノ-フォビア(クモ恐怖症)と同じイントネーションではないのかな。実際には「あなたのおうち」のような抑揚だ。その日は授業が1時から始まるというので1時前に家を出て、チェックインまで時間があるのでどこか建物の中に入ろう。暑い中うろついていると干からびる。

 四条の端に、BALといういかにも「勝者」といった風格のパルテノン神殿みたいなモールがあるので見てみたかったが、ヴィア・インに泊った夜にはるばる歩いて来たら8時で閉まっていた。今日こそは。入り口に勝手に測れとばかりにピストル型の体温計が置いてある。試しに手首で測ってみたが(液晶)「Lo」と出るばかりで全然測れない。壊れてるんじゃないのか。試しに頭に当て南無三っとばかりに撃ってみたが、エラーしか出ないのでやめた。

 このモールもお高くとまっているが、まだ新風館に比べたら正気を保っているように思う。そろそろ水分補給をした方がいいのではないか。無印良品がやっているカフェがあった。食べ物はあの店で売ってるレトルトを開けて出してくれるのだろうか。と思いきや、普通に体に良さそうな惣菜などをケースの向こうからよそって出してくれる。看板の涼しげな薄いエメラルドグリーンの飲み物は何だろう。近寄って行ってみると天然色素で色をつけたメロンソーダということがわかった。アイスも乗っている。よし、これだ。これにしよう。注文しテーブルに座って、さぁ飲もうとすると実家の家屋保険から電話。

 (保険)「大雨で瓦が落ちたという場所がわからない」(きの)「先日FAX送っただろう」(保険)「写真の画質悪くて見えないし」ぶつぶつ言っている。今どきFAXしかないって言ったのはそっちだろう。だからわざわざデータ送ってコンビニの機械からFAXしたんだぞ。(きの)「蔵の前にハシゴがあるから登れ」その返事がこともあろうに(保険)「僕危ないことはしちゃいけないって言われてるんですゥ~♪」(きの)「ははは」誰にだ。ママにか!!

 電話を切り、見ると淡いメロンソーダはすっかり溶けていた。カーッ。北斗神拳のような突きで管理会社にメール(きの)「くそくらえ!案内頼みます(人)」(管)「了解(笑)」何だあの軟弱野郎。幼稚園児か。ハシゴぐらい登れよ。ゆとり世代め。前の担当の宇多田さんならあんなことにはならなかった。帰ってこい、宇多田さん。店を出て怒りにまかせてガツガツ歩いていて、気が付いたら烏丸通りは晴れだった。

 

梅雨が明けた。

 

 ホテルに着いてチェックイン。ここもおだやかに手首で測る。(フロント)「はい大丈夫です。(器具)サッ」何度でしたか??Loではないですか?ハートンは微妙に古く、大人数の団体客などを大量に泊めてたんだろうなぁという造り。フロントで歯ブラシだけをもらい、部屋の持ち帰りスリッパをもらった。

 廊下に、小さい頃行った白浜の古いリゾートマンションと同じ匂いがした。消毒薬なのかとにかく団体が泊る施設という感じだ。どうもロビーの噴水から階段のところに見覚えがある気がするのだが、京都には中学の修学旅行の時しか泊まってない。しかもそれは1ブロック離れたこれから見に行くホテル杉長だ。実家の近くの観光地のホテルの記憶かな。

 (フロント)「朝食は1階の洋食レストランで取っていただきます。昼は1階と2階の和食レストランが開いています。そして今度は夜になると1階のレストランが閉まり2階の和食が開くんです」 ??何だこの青上げないで白下げないみたいな説明は。(きの)「あの、朝食を食べたいだけなんです」(フロント)「じゃあそこ。」見ると衝立で仕切った赤のチェックのテーブルクロスのかかった食堂みたいなスペースがあった。ここが洋食レストランなんだな。要するに洋と和が、朝と夜で交互に開けてると。

 部屋に入り窓をうっすら開けたら向かいの部屋が正面にあって、アーバンホテルと同じぐらい面白くない眺望だった。本棚のような作りではないが、こんなに広い敷地なのに建物をH型に作って向かい合わせにするからこんなことになるんだ。大勢を泊めるには仕方がないのかもしれないが、自分で自分の視界をふさぐこの造りは上手くない。

 デスクの上に「ハートン通」という社員手書きの京都案内の冊子が置いてあり、表紙に総支配人が不敵な笑みでピースをしている。(きの)「ほう。パラリ」全部読んで鍾馗(しょうき)さんという人の来歴について詳しくなった。昔の中国で一番に試験に受かったのに、顔が恐いという理由で皇帝から資格を剥奪されショックで自害。あとで皇帝の夢に出てきて助けて神に昇格。今は日本で民家の瓦を飾るという数奇な人生だ。

 電灯は窓付近の天井が淡く光る間接照明。冷蔵庫はペルチェ式だった。最近ホテル業界で流行ってるんだな。製氷室がないからアイスはしまえないが、氷は製氷機のとこから持ってくればいいもんね。エアコンは全館冷房なのかと思ったが、操作パネルが付いていて風量でなく温度を調節できるから、もしかしたら壁の中に隠れている個別のエアコンなのかもしれない。だったら、先週のモントレもそうだったのか。

 最近のホテルは防犯上カードキーに部屋番号を書かないが、ここはばっちり書いてある。エレベーターも誰でも乗り放題なので入り口からフロントに入り、遠くからカードを見せて宿泊客であることをアピールして通ると、全員がお帰りなさいませと言ってくれる。そういう昔ながらのゆる~い感じがなんともいえない。できればカギも昔ながらの、アクリル棒が付いたのがいい。それをわけもなくブンブン振り回し、最上階のバーで(屋上ビアガーデンではない)さりげなくテーブルに置いて見せたりするのが80年代の流儀だ。

 さて、2ブロック先にある杉長を見に行こう。なぜ20年前以上前に泊まった旅館の名前がわかるかというと、家にその時にお土産でもらった清水焼の「杉長」サイン入り箸置きがあるからだ。どれだけ物持ちがいいのか。途中の道を歩いていたら古道具屋があってのぞき込んだら、ヒマだったらしいそこのご主人に引き込まれ、立ち話をして散々杉長の話題を出してから店を出た。町内会の折にでも心配している人がいたことを伝えてくれ。

 いざ、角を曲がったら隣のホテルも改装中だった。北区の寺もここぞとばかりに改修しだしたが、みなさんこの機にやるつもりなのか。京都ほど歴史が長いと、何度か困難を乗り切った経験から、またもとに戻ると冷静に判断できるほどの記憶の持ち主がうようよいるのか。それをうまく伝えることができたなら、前回の不況の時に絶望して死んでしまったという実家の近所の建設業の人も、もしかしたら死なずにすんだのかなと、ふと思った。

 昨年、偶然この辺りを通って裁判の傍聴に行った時には、1本向こうの通りを通った。公立の中学校にオシャレなカフェが併設されてて、都会にもほどがあるわ!と思った。その時は杉長の場所を知らず、今回初めて来てみた時が最後になってしまった。

 取り壊し中の杉長は、外壁の黄土色のレンガの一部を残して入り口の内側がぽっかり暗く開いていた。白い防護シートの裏で業者が水を撒いていて、湿った赤土のような匂いがした。こういう写真を撮っていいものか、どうも悩む。

 1階の、置物がたくさん並んだ奥の茶色いソファーのある細長いロビーも覚えている。修学旅行の夜、親から頼まれたお土産の八つ橋を何箱も持って帰るのが面倒になり、一人でこっそり宅配便で自宅に送る手配をしようと宿の人と交渉していたら、先生に見つかって自分で持って帰れと止められた。なぜだ。中学生が郵送してはならないという決まりにはなってなかったぞ。だから担任に嫌われるのだ。それにしても、宿の人には時間を取らせたので、すいませんと言おうとして「これは申し訳ございませんでした」とずいぶんあらたまってしまったあたり、やはり中学生だったのかもしれない。

 杉長が新しくなったからといって、自分はまた来るとは限らない。用があったのはこの古い杉長の方で、だったら今回最後に間に合って、それで良しとするべきか。思い直して写真を撮り、しばらく名残惜しく見ていたが、狭い道でどこかの社員の団体が通り、それに押されるようにして大通りへ出た。

 

 昔から、ほの暗いレストランを探していた。雰囲気のあるほの暗いレストランだ。モントレのパブは黒すぎた。40年ほど前、新宿のおばあちゃんちの近くにレストランBooという木枠にガラスがはまったドアのほの暗い洋食の店があった。叔父や叔母たちと散歩がてら食べに行って、また行こうと思ってたら引っ越してしまい、その後長じて夢に出てくるなど、記憶の中で原風景となっている。先日法事があり調べてみたら無くなっていて、近くに焼き鳥Booという店があったが、商売替えをしたのだろうか。精進落としに焼き鳥では合わないので近くの白を基調とした眩しいイタリアンにしたが、とにかくほの暗いレストランには何か夢があるような気がして、いつかどこかにあるのではないかと探してしまう。

 おそらく、楽しかった時の記憶だろう。祖母が元気で叔父夫妻にまだ子供が無く、世界が全部自分の為にあるような、そんな気がしてた頃のことをいつまでも覚えているだけだ。

 今回ホテルのページを見ていて、ギンモンドのレストランが雰囲気が良かった。落ち着いた照明、異国情緒の漂う茶色の店内。どうしてかそこが気に入って、ホテルもそこに泊ろうとしたら会員にならないと予約ができないと書いてあり、横暴代理店の取次(娘)が嫌った為、代替案で通りの向かいのハートンになった。

 その後、授業で半日だけデイユースの案件ができたらしく、そこのランチボックスが付いてくるといううたい文句に踊らされてホイホイと会員になり、予約して出かけて行った。ランチボックスは至上のクオリティーだったらしく、(娘)「いろんな外国野菜が1種類ずつ入ってる。味付けも複雑で、あれはおまけで付いてくるレベルではない!」と絶賛しながら帰ってきた。

 だから言っただろう。ほの暗い店には夢があるんだ。くそう。行ってやる。ハートンからだってよそのレストランに入ることはできるんだ。良い仕事をした分は褒めてやらないとな。5:59 pmに木の重いドアを押し開けて最近の定番の挨拶(きの)「やってる?」(店)「今ハッピーアワーが終わりました。今からディナーの時間です」丁度良かった。

(きの)「娘がテレワークで利用して褒めていました。だから今日は本隊が来てみましたよ」。(店長)「うぅ、ありがとう。連休は混んでたけど、その後またお客さん来なくなっちゃって。この後この世はどうなるのでしょうか。」えぇ!?急にそんな深遠な議題。知らないよ。占い師じゃないんだから。

 最近なぜかそういう質問を受けることが多く、日本とユダヤ人は手を洗うから大丈夫でしょうとか、人類は共存することになるなどとまことしやかに答えているが、皆に聞いてまわっているのだろうか。それとも、もうかりまっかみたいな挨拶?しかしおざなりな返答をするのも面白くないので(きの)「経済的に見て、これからどんどん客が来なくなるわけないから、これから増えていく方でしょう。だから大丈夫です」自信満々に言いきった。

 お前に何がわかると言いたいが、一緒になって不安をまきちらしても良くないし、理論的に言って今からますます来なくなったら日本経済が滅びてしまう。それに、わけもない自信が結果を変えることだってある。杉長もそう言っている。

 地道に良い仕事をするんだぞ。そうすれば、いつか誰かが見てくれる。うんうん。それにしてもあの保険屋はどうだ。仕事をする気はあるのか。怒ったらダメだ。怒ったら負けだ。むしゃくしゃして肉料理ばかりを頼んだら、店長が、それはあなたには多いのではないのかというようなことを丁寧な言い回しで伝えてきた。(きの)「大食いだから多分大丈夫ですよ」(店長)「失礼しました」こないだのココン・フランスといいなぜ厳しく制限する。家から通達でも来ているのか。どうせ帰ったら根菜カレーと雑穀米を食べさせられるんだ。出かけている間だけでも好きなものを出してくれ。

 前菜が来た。皿の中央に縦に真っすぐ置いた長い肉と、真ん中から斜めに下がった魚とナス。(きの)「ト?」その上にイクラと何かの新芽と花が散っている。植物に造詣が深いと自負していただけに、何の新芽かわからないのがくやしい。しいて言えば、庭の草むしりをしている時によく見かける雑草?白い花が咲く。そんなもの入れるはずないから食用の何かだろう。濃いピンクの花はザクロのむくんだ花を小さくしたような。毒でない限り、花だろうと何でも食べようと思えば食べれるはずだ。

 肉とどこかのカジキを炙ってナスをどうにかした何か(名前忘れた)は、おいしいがお酢の味しかしない。これに大好きなゆかりをかけたら尚いいだろう。フィンランドでも思ったが、気取っているほど薄味なのか。肉は柔らかいベーコンのような味がした。柔らかさが鮭のハラミに似ている。

 そして、ついにメインのカルボナーラがやってきた。生パスタのチェーン店(ほぼセルフ)や薬膳の店の鍋料理でもない、ちゃんとした人の作ったカルボナーラを食べてみたいという希望がようやくかなえられた。先週の飲み屋で頼みたかったが、他にムール貝やらきのこグラタンやら食べたいものが多すぎて無理だった。待ちに待った黄金のツルツルのノド越し・・・。

 (きの)「!!」やってきたのはスライスしたサラミ大の黒い脳みそに全面覆われたドーム状の物体だった。切片をよけてみると確かに下の方に黄色い麺があるが、もうトリュフが気になってそれしか覚えていない。へんな生のマッシュルームみたいな匂いがするし、食感も、切れ切れのボソボソのアワビの端っこ。自分はトリュフは好きではないと再確認した。

 そういえば、肝心のカルボナーラはどんな味がしたのか覚えてない。またあの前菜の肉を細かくしたようなものが入っていたから、さっきのは豚肉だったのか。ではパンチェッタかグアンチャーレのどちらかだ。ステーキ状の固まりだったから何かよくわからないまま食べてしまったが、そうするとカルボナーラ2人前のベーコンか。だから多すぎると言ったんだな。なるほど。さて次は、選びに選んだレモンのソルベだ。

 途中で店に入ってきた白いポロシャツのオッサンが前に座って食べ始めて(白)「うっチーズが。なかなか来るね」というようなことを言って苦しんでいた。券を見せていたようだから、ホテルから来たんだろうけど、無地の肩章付きの白いポロシャツを全部ズボンに入れるとは、何てセンスが悪いんだと思ったら、店長がよくあなた方を見かけるというようなことを言っていたから、何かの集団の制服なのだろう。舞鶴方面から来たのか。こちらのメニューを参考にしたのか急にソルベを注文し食べて(白)「う~んレモン!」とのけ反っていた。当たり前だ。レモン果汁を凍らしたものだ。さっきから原材料名を叫んでいるだけだが、ちゃんと味わっているのか。

 メニューにレモン・チェッロという酒があったから、この店やるなと思ったが、酒は好きでないのでパインソーダにした。あれをアマルフィーの網棚で育てたレモンでアルコール抜きで作ってほしい。しかし、そもそもの作り方がアルコールでレモンの皮エキスを煮出すようなものだから、無理なんだろうな。レモンの薬効成分は脂溶性なのかな。マムシ酒とただのマムシ水(気持悪っ)の違いみたいなものか。はっ、まさかそれをレモネードと呼ぶのでは。真理をひとつ発見した。

 ソルベの後にカシスの入ったコーヒーを飲み、結局ひとりで酒も飲まないのに5千円分も食べて激しい後悔の念を抱え横断歩道を渡る。ゼッタイ家に帰ったら怒られる。途中、若いホームレスを見かけた。たぶんクツにビニール袋を履いていたので、ラッパーとかではない。京都の街中では珍しい。なぜビジネス街の烏丸なのだろうか。半刻前の自身の暴飲暴食を思いかえしてますます嫌気がさして走って帰る。明日から良い子になる。

 部屋に帰って用事をこなしTVをつけてみる。NHKでマリモの特集をやっていたので熱心に見る。NHKが持ってる超高感度カメラで何十時間も撮影した結果、じっとしていると思われていたマリモはなんと波でグルグル回転しているではないか。なるほど、あれで短い毛並みを維持しているのだな。うちのは不摂生でスーモのようになってしまった。動いたら毛が抜けてそのうちなくなってしまうのかと思っていたが、どうにかして回転させないと。

 しかも、ちぎれてもマリモ、1本でもマリモ、いびつなマリモ、岩に着いたマリモ!ってもうそれコケじゃないのか?本当の目的はバラバラになって増えたり集団で場所を占めて湖の底を統べることらしい。結果的に丸くなったけど、別にかわいくなりたかったわけではないという世知辛い本音を知った。

 朝起きて、さっそくあの食堂に行ってみる。そういえば確認メールでチェックインの時点で洋か和か選べと言われていたが、渡された券には洋食セットと書いてあったから、そうか洋食なのだなと思っていると入り口で(係)「ご飯かパンか選べ」写真にはあまり好きでないバターロールが2個も3個もあったので朝からぱさぱさしたものが食べたくなかったからご飯を選択。通常はバイキングだが、今は個別に1人分ずつ出すそうだ。

 席に着いて外の植え込みの景色を見ながら食べ始めた。朝日が差してきて向かいのテーブルの禿頭のおじさん(おそらく僧侶)の頭に当たって光っている。それを眩しく見ながら食べていたが、そんなに好き嫌いがあるわけでもないのに、なぜか全然食べ終わらない。丼1杯の山盛り千切りサラダ、水菜や大根などの細い具が沢山入った味噌汁(白みそ薄味)、コロッケ大のハッシュポテト(無味)、海苔の袋(これはそのまま食べるのか?)、半生イギリス風卵など、微妙に苦手な要素が組み合わさり、もたつく。昨日の食欲はどうした。食べ過ぎて胃もたれ?

 朝食券は1,200円の昼飯としても使えるとか言ってたから、1,200円分の朝ごはんなのだろう。量が多いのかな。ソーセージやフルーツなど特に高そうにも思えない献立だが。全てが薄味で、味のなさが小さい頃肺炎で入院していた時の病院のごはんに似ている。食堂に下りてきた時にぽつぽつ居た他の客も、一人また一人と食べ終えて旅立っていく中(きの)「ポツン。」7:30すぎから食べ始めて気が付くと9時前になっていた。

 これはいけない。無味のハッシュポテトめ。もさもさとしてお前も気取っているのか。そうだ、塩をかけよう。塩がこの問題を解決してくれるような気がして探して持ってきたが、出ない。すべてがこの梅雨の忌まわしき湿気で固まり、3つある瓶をそれぞれ渾身の力で振り回してみたが出ない。

 しょうがないのでキッコーマンの卓上醤油を(瓶)「ドボッ」なんでこんなに出るんだ。卵かけごはんの原材料のようになってしまったスクランブルエッグをすする。何か飲み物を。そうださっきオレンジジュースの横に置いてあったドイツの健康飲料。急いで取ってきて飲んだら(きの)「ギュワーッ(顔のゆがむ音)」酸っぱい。体にいいのかもしれないが笑顔で飲めない飲料はいただけない。

 コーンフレークを食べて気を取り直そう。(ハンドル)「ばきゃっ。ゾロゾロ」いっぱい出た上に牛乳を入れて苦労して遠くのテーブルまで運んだらプレーン味だった(泣)もう砂糖を取りに行く気力もなくふやけた煎餅を機械的に口に詰め込んで去り際に係の姉ちゃんに(きの)「そこの塩出ませんよ!」捨て台詞を吐いて出て行く。

 コメダでもそうだった。待ち合わせでここで待っているようにと言われ、そこにはコメダ一軒しかなく、前に家の近所の店が開店した時に入って食べたいと思うものが一つもなく以来避けてきたが、有無を言わさず連れてこられた。夜のどのメニューにも山盛りの千切りサラダが付いてきて、食べても食べても減らない。噛んでいるうちにアゴも痛くなり、奥歯が歯ぐきから浮いてくるような歯科治療的な気持ち悪さがあった。後から来た隣の席の親子連れが余裕で食べ終わってもまだシャクシャクやっている。おかしい、さっきと同じ量がある。むしろ増えてないか?なんでみんなこんなもしゃもしゃしたものを上手に食べれるんだ。草をはむ馬のような気分がしてきて泣きそうになりながら食べたあの記憶がよみがえる。

 嗚呼!ハッシュブラウン。サンフランシスコでもそうだった。いつも料理の付け合わせのハッシュブラウン(焦げたジャガイモの千切り)がぱさぱさで食べれないから、ベイクド・ポテトや煮た野菜、ワイルドライスなどを選んでいた。サンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフという最高にオシャレな湾で朝食を、となった時にメニューには山盛りのハッシュブラウンが絶対付いてくると書いてあった。他のと替えてくれと粘ったがいじわるな店員にダメ~~と言われ、外のテーブルの横を飛んでた巨大なカモメの群れにあげてしまった。油とイモだから体に悪いことはないだろうが、あれで味を占めたら困る。

 千切りのものが苦手なのかもしれない。律儀に全部を噛もうとするからいつまで経っても食べ終わらない。だからバイキングでは自分の食べれるものしかよそわないし、店でも食べれるものしか注文しない。しかし意図していないものがこんなに食べれないとは。というか、なんで苦手な食感の物が大集合したのだろう。

 

 チェックアウトが12時だというので、散歩に出た。セミの声がうるさい。街路樹に止まって盛んに鳴いている。昨日は居なかった。どうして梅雨が明けたとわかるのか。在原業平の邸宅跡を訪ねる。写真ではジムの看板の後ろだったから、隣のビルにあるジムのことかと思いその辺りを探し回る。休日の銀行の正面の石段にクツを脱いで座り本を読む初老の男性。彼もホームレスだろうか。気になる。

 知り合いの住職に教えてもらったパン屋に買いに行くが、肝心の西京味噌を練り込んだパンは今の時期は作ってないとのこと。そのまま歩いていたら前に泊ったガーデンホテルの前に出た。そもそもあれが京都に来て最初の外国人扱いされた場所だ。個人経営の植物だらけの個性的なホテルだった。フロントのおじさんがのん気に植物に水をやっていた。営業再開したのか。

 途中でリクシルのショールームがあったので、洗面所の排水口にはめるあのオシャレなステンレス板について聞いてみたかったが、入り口に(貼り紙)「昨今の情勢により予約をした人以外見せない」という主旨のことが書いてあったのでやめる。この通りはショールームが多いのか、昨日も歩いていたらイスがいっぱい並んだイスだけの広いショールームがあって、入ってみたが店員が誰もいなかった。プラスチックでできたイスが2万も3万もして、意外に高いんだなと思いながら見ていたら、しばらくして奥から2、3人出てきてこわごわ対応してくれた。ホテル程人に慣れてないらしい。

 汗をかいたのでハートンの部屋に帰って風呂に入る。このお風呂は左側の蛇口をひねると熱湯が出て右の水と温度調節をしなければならない。どうもこの調節が下手で、いつまで経っても熱湯か水のどちらかにしかならない。洗面所で顔を洗って手近なタオルを手繰り寄せ、ゴシゴシ拭いて後でよく見たら、それだけ緑のラインが入ってる。台拭き?大きさ的にハンドタオルだと思っていたが、どうも、またしても体を洗うタオルだった。くそっどうしてこんな思わせぶりなところに置くんだ!顔がヒリヒリする。父もそうだったが、タオルで体を洗う人の気が知れない。もしゃもしゃして、全然洗った気にならない。

 昼の12時まで居ていいと言われたが、そんなに居てもすることがないので家に帰る。帰って赤味噌の味噌汁をすすり(きの)「っあ~~っ。やっぱおいしおすな~」どこの人だ。レストランのレシートを見たら「トリュフナーラ」そんなメニュー名ではなかったはずだ。

 

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(12of14)Maja(マヤ)ホテル~A Luxury kennel~フィンランドにようこそ!安定の韓国の味。

2020-11-21 00:13:27 | 怒涛の京都ホテルめぐり

 フィンランド風デザインのカプセルホテル(7/29)水。 外観は最近作った黒格子の町屋風ネオ和風鉄筋4階建て。朝食付き8,250円。 モントレ快適で6千円だった。四つ星ホテルより高い金額を払って、カプセルホテルに泊まる必要があるのか。いんちき代理店に質問をぶつけてみたところ(娘)「新築だからじゃないでしょうか」という回答が返って来た。そうなのか。わかったような、わからないような。

 宿泊フロアは木の匂いがする。コンクリート打ちっぱなしの床につやつやのべニアで三角の天井板。立派な犬小・・・。ゴホンゴホン。クッションや小物が紫と黄緑の草間彌生のような色盲検査図系の前衛的な色使い。なぜそんな模様のパジャマにはしないのか。パジャマは普通の高級作業着といった感じだ。ミネラルウォーターと黒の布に大きく「Maja Hotel」と書いたバッグを記念にくれた。

 

 韓国料理の春雨で作った焼きそばみたいなものが食べたかった。京都に来てすぐに駅の向こうのホテル近くの韓国食材店で惣菜を買って、箸がないから手づかみで食べたあの味が忘れられない。今回も用事をこなして二条駅から行くので韓国料理店を通る。しめしめ。聞いてみよう。(きの)「この単品で480円というのはどんな量ですか」韓国は物価が低いのか、売ってる物も妙に安い。ということは(店)「大量」えっ。手で示している大きさは丼に山盛り。そんなには食べれない。あとのメニューは何が入っているのかよくわからない。全部が激辛だったらどうしようという心配があり、唯一食べれそうな(きの)「焼肉弁当をひとつ」結局これでは南禅寺の時と一緒じゃないか!

 駅の老舗菓子処で香典返しの菓子も買い、そこでゼリーを食べたので水分はバッチリだ。おそらくこの辺だろうと思われる四条でバスを降りてお茶屋に向かう。そこからどうにかして四条区画の真ん中らへんのホテルを歩いて探す。寺町商店街のアーケード中の方が少しは涼しいだろうか。蒸し暑くて死にそうだ。この旅を始めた頃は嵐山などを歩いて快適だったが、だんだん梅雨になってくると観光はおろか、生きてホテルにたどりつけるかどうかが問題になってくる。

 新京極の似たような路地裏を歩きまわり、ここだろうという角を曲がりホテルを見つけたが、着いた頃には(きの)「ゼェゼェ」瀕死の状態になっていた。よれよれで到着し体温を測ったら今までで最低の35.0℃。もうこの人は生きてはいない。チェックインし歯ブラシをもらって説明を受ける。カプセルホテルだから部屋(?)で飲み食いしない方がいいだろう。宿泊客が自由に使っていいラウンジがあるはずだから、そこで食べようと予定していたが、それはフロントと同じ階だった。しまった。

 はからずもまた焼肉を持って参上するはめになり、キムチが悪い訳ではないがコンセプトに全然合わないのでやめてくださいと言われても仕方ないと思う。なので、最後の予防線として(きの)「来るときに弁当を持たされてしまったのだが、そこで食べてもいいでしょうか」だって店の人が会計の後に持たせてきた。まるきり嘘ではないが、この言い方だと法事や何かの集まりか催事の折り詰めを知らずに持たせてきた人がいて、そっちの方への顔向けもあるだろうから断りづらい雰囲気が漂う。ふふふ。老獪な大人は今週もまたキムチの処遇に明け暮れる。(フロント)「あっはい、どうぞ」一応許可は取った。

 ラウンジの食器はオシャレなイタリアンブランド・イッタラでそろえている。ワイングラスまであって、何もかもがオシャレ。デザイナーの作品でどこかの美術館に永久保存されている電球の形をしたランプも飾ってある。高そうなスピーカーからはひそやかな音色で時々(低音)「ッボンッボボっ」というシャンソンのようなBGMが流れてくる。この中で今から食べるのかと思うと気が重い。幸い建物は京都特有のウナギの寝床スタイルなので、奥に長いのを利用してフロントからは一番離れたところに座ろう。と思ったら奥は吹き抜けで下の死ぬほどオシャレなデザイナーズ・レストランとキラキラの螺旋階段でつながっている。フィンランド料理とは相いれない香りだ。うぅ、どうしよう。

 しかし、落ち着いて様子をうかがうと、どうやら今は下のレストランに客はいないようだ。従業員同士で喋っている声だけが聞こえる。平均を取ってラウンジの真ん中辺のイスに座り、コーヒー豆があったのでガリガリ挽き、全館によい香りを充満させておいておもむろに弁当を開け、素早く付属のキムチを飲み込み、容器は偶然持っていたジップロックの袋にしまう。後はただの焼肉弁当なのでそれ程お叱りも受けないだろう。最近キムチを飲んでばかりだ。

 気のせいか、食べているうちに下の従業員の会話が外国人客の動向から日韓関係の話になった。キムチの匂いと気づいていたなら、あからさまに名指しのような会話はしないだろうから、無意識に話題が寄って行ったのだろう。人間の脳おそるべし。コーヒーの効果もあっただろう。麻薬犬もコーヒーの匂いでわからなくなるらしいからのう。もっしゅもっしゅ。

 本日のドルチェは、昨日豆大福が急に食べたくなってスーパーで買ってきたのが余ってたからラップにくるんで持ってきてしまった。イタリア製の皿の中央に(大福)「ポツン」重たいナイフとフォークで堂々と食べる。遠目にはチーズケーキだと思うだろう。ワイングラスには100%ブドウジュース。フランクルの本を読もうと持ってきたが、ラウンジには天井からのスポットライトしかなく、その輪から外れると読みにくい。部屋は100ワットぐらいの照明がついているので眩しいし熱い。流しの下に小型の冷蔵庫があった。「名前とチェックアウト日を書くように、それ以外は捨てるぞ」という注意書きがあった。先日のゲストハウスでも見た表現だ。

 押し入れに入って寝るのは好きだから狭い所が苦手なわけではない。よく利用する船の個室以外の部屋は、ベッドに横から入るカプセルホテルのようなものだから、あの密閉感がたまらない。包まれるようにしてよく眠れる。棺桶で眠ってみたいと一度は考えたことがある人は他にも居るはずだ。前に待ち合わせで泊ったことのある繁忙期の大阪難波のカプセルホテルが、何だか雑然として物悲しく、高層ビルの薄暗い地下迷宮のセキュリティー厳重フロアは逃げ場がないだろうなと思った印象が強かったが、結局個室内に入ってしまったらぐぅぐぅ寝てしまった。生粋のドラキュラ伯爵なら、こんな空間はお手の物である。

 その頃、寝る前にNetflixでやってた韓国の不時着のドラマを見ていた。軍隊映画だと思って見始めたらドラマで、いつまで経っても終わらない。最初の北朝鮮への不時着はいいとしても、その後何回か韓国に帰還を試みるも失敗。結局歩いて帰りめでたしめでたしとなるはずが、なぜか殺し屋のような人物が追いかけて来て、向こうで助けてくれた人たちまでもが渡ってきて集団で大暴れ。こんなに簡単に行き来できるものなのか。

 その文化をよく知らないものだから、何が起きてもへ~そうなのか~と感心してしまう。恋愛ドラマはあまり見る気がしないが、前にやってた幽霊が見える刑事やグエムルという身軽なゴジラのような話は面白かった。人々が無駄に暑苦しく、日本の古き良き80年代を生きているようだ。

 物語も佳境に差し掛かり、主人公が何度も死にかけ、全員が泣き、今度は1人ではなく5人以上が無事に帰れるかどうかが話の焦点となってきた。なぜかさっきから飛行機の(音)「ッポ~ン」というような音が20秒ごとに鳴っている。韓国では臨場感を醸し出すためにこんな演出をするのかと思ったが、あまりにうるさいのでパソコンの音を消すと、Majaホテルのスピーカーから秘かな音楽が流れている。曲を聞かせてくれるサービスか。それとも騒音対策か。バッグに忍ばせたイヤホンを取り出す。そうまでして見る必要あるのかと思うが、こんなオシャレな北欧にはTVなんていう無粋なものは存在しないし、読んでいいのかと思った本は売り物のようなのでやたらに触るのをやめた。昔、友人がせっかくエジプトまで行って、なぜかずっとB’zを聴いていたという話を聞いて鼻で笑っていたが、同じ穴のムジナだ。

 

 暑い。エアコンは効いているのだが洞窟の奥まで漂ってはこない。カーテンを閉めているのでなおさらだ。板張りの狭い空間に人体の熱がこもり。水分だけが蒸発していく。そりゃそうだ。今この広いフロアに有機物は自分しかいない。これが鉄筋の気密性か。すごいな。あまりの乾きに肺がパリパリして痛くなり起きた。なぜか左の鼻がつまっていて、息を吸い込める右側の肺の形を意識できる程違和感がある。風呂に入り、湿気を得よう。

 先ほどトイレに入った隙に、自分以外に誰かいるのかと思い、並んだ洗面所もトイレも奥から2番目の1か所だけを使い、イスやフタをわざとズラしたりしておいた。次に来てもやはりその場所しか動かした形跡がないので、貸し切りだったのだろう。掃除も楽だしね。こんな洗練された空間に来ておいて、せっせとすることはそんなセコイ犯人みたいな工作しかないのか。

 シャワーがいっぱいあったが、バスタブが奥に1つあったのでお湯を入れてみたら水色がかっていた。ここも地下水か?多分バスタブが白いからだと思うが、日本で白いバスタブは珍しい。不動産屋によるとだいたい汚れるのを気にしてグレーかピンクにするそうだ。水色は冷たそうだし黄色にはしない。最初から黄ばんで汚れていそうな気がするからだ。輸入物かなと見てみたら、SIAAってこれは国内メーカーの抗菌のマークだし、洗面所もオシャレではあるが国内っぽかった。浴槽に寝そべったら頭の部分になぜか手すりが。トイレのドアの表示が洒落ている。気を使ってデザインしたものは、古びてもそれほど汚らしくはならないんじゃないか。洗面所の平らに並んだシンクを見ながらそう思った。

 大阪難波に泊った時は真冬だったから、カプセルの中で暖かく過ごせたし、朝になって見たら空調の穴が奥の頭側に付いていて、調節弁が閉まっていたが、そんなものには気づかず寝ていた。この小屋にもあるかと壁を探ったが、高級べニアがツヤツヤしているだけで、特に調節できるような装置は見当たらない。通気口なのか丸いものがあるが、空気の流れはない。

 カーテンが邪魔だと開け放ち、逆を向いて寝る。もうセキュリティーも何もあったもんじゃない。ロッカーを使うのがめんどくさかったので荷物を全部ベッドの端の方に置き、書類まみれの中、顔を半分通路に出して寝ている。誰か通ったらびっくりするだろう。

 ラウンジに置いてあった山小屋の宿帳のようなノートには(宿泊者A)「神奈川からはるばるやってきました」とか、(B)「あこがれのデザイナーの作品が見れて感激」、(C)「京都を離れる前に一度泊まってみたかった」など皆さん真剣なイラスト入りで書いている。普段は若者でにぎわっているのだろうな。

 

 朝になり、散歩に出かける。弁慶の岩と坂本龍馬の彼女の実家があるらしい。お龍さんち跡は、人のうちの軒先に石が立ってるだけだった。弁慶はどこかのレンガのモールの入り口に巨大な緑色の岩が立っていた。これが泣いた上に帰ってきたのか?四条の界隈だというのに、一歩入ると古い家が多かった。帰りは三条のあたりから地下鉄に乗ろうと考えていたが市役所でクラスターが発生したとの報道があり、無難にバスで帰るとしよう。

 朝食はホテルの下の件のレストランでいただく。フィンランド料理を選べるらしいが、北欧の朝から冷たいハムやらチーズを固いパンに乗せて食べるメニューは好きではないので、鮭の入った石狩鍋のようなものを食べた。ノルウェーだかフィンランドの「スモァ・ブロー」というような発音の黒パン料理は、パサパサして昔から全然食べる気になれない。

 店内のイスやテーブルが黒とゴールドでビカビカ光って訳もなく高そう。これがフィンランド人デザイナー作である必要があるのか、よくわからないが、上品な80年代ディスコといった雰囲気だ。

 

 この近くに、中学の修学旅行で泊まった杉長という名の宿がある。今回記念に泊まろうとHPを見たら臨時休館となっていた。このままやめてしまうのかと危惧したが次に見た時には、なんと「2023リニューアル・オープン!」となっていて、新しい館内の様子が、不動産デベロッパーが描いた次世代老人ホームのようなイラストで示されていた。自分たちの思い出が壊されることも衝撃だが、修学旅行が中止されるようになった今、団体用の建物ではやっていけないのは確かだ。それにしても、ずいぶん思い切ったことをしたものだ。

 今この時期にどこの銀行が貸したのか知らないが、杉長は何億も借りて、この世界が元に戻る方に賭けたのか。もし新館が完成しても客が来なければ今度こそ終わりだ。50年そこでやってきた実績も、安寧も何もかもそれら一切合切全部を俎上に載せて、また京都の日常を取り戻そうとしている。

 朝食が終わってもしばらくレストランに居座り、奥の箱庭の湿った巨大和風石灯篭とガレキのような石がそぼ降る雨に濡れているのを眺めながら、いつまでもそんなことを考えていた。

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