きの書評

備忘録~いつか読んだ本(読書メーターに書ききれなかったもの)~

二葉姫のやしろ~神社に呼ばれる~

2021-01-25 21:50:58 | 旅行

11/11/2020 

 秋学期は大学の映像授業と通学が半々ぐらいだそうで、プレゼンがある日は昼をはさんで数時間家から追い出されて、ひとりお弁当を持ってピクニックに出かける。念願の鞍馬で買った佃煮で作ったおにぎりだ。飯を食べるにあたり飲み物がほしい。と思って上賀茂神社に入ったが、自販機らしきものはない。高床式倉庫みたいな建物の奥に赤い鳥居が見えた。あれが前回行きそこねた何とか神社か。鳥居が連なる坂を上がってみる。

 すぐ着いた。小高い場所にあった。二葉姫稲荷神社という名前らしい。祠の集合体というか、竜神の隣に馬を祭ってたり、不動尊に稲荷など、小さな祠が横1列に並んで、その全てをつぎはぎのトタン屋根で覆っている。集会所みたいなホウキとチリトリがあったり、ずいぶん「私的な管理」という感じの造りだ。

 全部が公式できりっとスマートな上賀茂神社とは違って、統一感がない。鳥居もゆがんでいるし、看板も手書きで、そこらの隅に使ってない用具がまとめて置いてあったりする。人んちの横のお地蔵さんが、布や装飾のデザインも不揃いでずらりと並んだ感じだ。唯一おそろいなのは全員に配られた2つセットのミニ手桶で、新鮮な水と、榊と塩が供えてある。

 祠の端っこの方に、お茶の木が生えて白い花が咲いていた。狭山茶どころで育った人間には、このキンモクセイのような地味な葉の見分けがつくのだよ。二葉姫って、二葉アオイの姫ってことは上賀茂神社の祭神の母親?玉依姫だっけかな?あの貴船に上って行ったのも玉依姫ではなかったかな。ここら一帯で祭っているのか。

 

 いい景色だ。登って行ったら視界が開けた。よく晴れて、薄れたバス停用のベンチに座ると京都が一望できる。木々の緑の額縁の中央に遠く見えるのは京都タワーだ。日射しに照らされて古びた黒瓦が光り、海のさざ波のよう。その向こうに確かに灯台が見えた。

 京都タワーが建った当時、設計者が「京都には海がないから屋根瓦の波を受けて灯台のようになれば」と願ったその意図は、駅周辺がビル群となってしまった現在では叶えられないかに思われたが、北区にはまだ昔ながらの瓦が残っている。

 ぜひここで鞍馬のおにぎりが食べたい!けど、飲み物がないと食べれないので、やっぱりやめようか。迷った末、向こうに曲がりくねった薄暗い小道が坂になって続いているようなので、下りて行ってみた。不気味な滑車が付いた使っていない古井戸と何かの石のオブジェみたいのがあったが、横をすり抜けて急な階段を降りる。

 途中から住宅街に繋がっていて、出口付近にポツンと苔むした古い自動販売機がひとつ立っていたから、そこで炭酸を買ってまた戻ってきた。木の切り株風の桶の隣で食べていると、どんぐりがバラバラ落ちて来てリズミカルに屋根に当たる。♪ちゃんかぽんこ、ちゃんかぽんこ。面白いのでしばらく聞いていた。

 い~な~姫さん、こんな景色毎日見てるんだ~。と思ったら、あのヘンな物置小屋?か社務所が、肝心の稲荷社の視界をふさいで台なしじゃないか。もっと下の方に建てればいいのに。

 さっきまで参拝客がたまにちらほら登ってきていたので、この絶景の感動を分かち合いたいと思い、また誰か来たのかなと勇んで振り向いたら石燈籠だった。これが3回ぐらいあった。

 

 誰もいなくなったので「♪い~ら~かぁぁ~の波と~雲の波ィ~」などと鼻歌を歌いながら、しばらく愛猫のことを考えていた。遺骨を持って色んな所に一緒に旅行している。きっと世界一、京都を旅した猫だろうとは思うが、よく考えたら本人(?)はひとつも喜んでないのでは。景色も何も見えもしないし、そもそも楽しいと思う器官もない。生前は乗り物嫌いだった。もう完全にこっちの自己満足でしかない。そう考えても特にショックでもなく、客観的に見て確かにそうだと思った。

 するとなぜか、そういえばあの人は飼い猫としての人生をオール5で卒業していったようなものだなという考えが急に頭のどこかから湧き出てきて、はからずもほがらかな気分になり、そのあともなんだか安らかな気持ちで1日中過ごしたが、よく考えたら、例えオール5だろうがその後の自己満足の解答にはなっていない。

 

 神社では何も願わない。神に祈るのは努力した最後の最後でいいのではないかと思うから。その代わり、この景色を今まで保っていてくれたことへのお礼に、修繕費の足しとしてお賽銭を入れてきた。建物全部が、こっちが心配になるくらい柔らかそうになってしまった下御霊神社以来だ。

 帰ってネットで調べてみたら、心霊スポットだとかいうことを言っている人もいた。(きの)「へ~、でも何もいなかったよ。」当たり前だ。昼間からどんどん出るようでは困る。

 まずあの水平の出ていない鳥居を何とかして、使ってないものはしまおう。全部が手作りの裏山の民間信仰みたいな感じが恐いのでは?山肌だから風穴にでもなって涼しい風が吹いているのなら、調査してそう明記すればいい。

それでは怪しげな魅力というものも薄れてしまうかな。

 

 2週間ぐらいして日曜にまた行った。今回もどんぐりの演奏で歓迎してくれた。前回来た時から今日まで毎日、毎秒バラバラ落ちてきていたとしたら、山にどんだけどんぐりあんねん(覚えたての関西弁)。よく見たら板に「サルが出るから、ここで食べないで」と書いてあった。古い注意書きだが、前回はなぜか見えなかった。

 3回目に行った時には、もうどんぐりは尽きたのか静かだった。その代わり何の鳥かわからないが、小さい鳥の集団が目の前でやたらに騒いで歌を聞かせてくれた。というか精一杯鳴いて絶叫しているに近かった。何か獲物でも見つけたのだろうか。

 お賽銭の管理の仕方を学びに行った。柱に取り付けた縦長の小さい賽銭箱一つ一つにバールでこじ開けたような跡がついて入り口がヒワヒワになってる。それでも人々は賽銭を入れる。箱のないとこには直接岩の上に置く。

 それを見ている内に、入れていく者とやむにやまれず取って行く者、それを静かに見守るお姫様と地域の世話人、何十年も繰り返されるやり取りの感覚が一気に押し寄せてきて、それぞれの「想い」に中てられたのかショックを受け、帰ってきて発熱。

 なぜか怖かったのは取って行く人ではなく、取られてるのを薄々知ってても、どんどん小銭を置いていく人たちだった。だったら募金箱と書いたら入れないような気がして。何を願っているのか知らないが、維持費は物品の購入で賄い、参拝の証はもう小石にしたらどうか。

 

 

 今日は夕暮れ時に行ってみた。案の定誰もいなく、そして上賀茂神社も閉まっていた。神馬も緊急事態宣言で人混みには出てこないらしい。ちっ。何が気に入ってこの微妙に怪しい空間に何度も来るのか知らないが、考え事があるとここに来るようになってしまった。帰りに鴨川でオオサンショウウオでも探そう。

 またあの特等席に座り、暮れていく風景を見ていたらトタン屋根が新しくなっていることに気づいた。石の祠も一部彫りたて(?)だ。おぉ!新調したのか。浄財が適正に使われて嬉しい。

 屋根の上を見ると、横の崖から斜めに生えてきたひょろ長い木の上の方に、夏みかんらしき果物の丸い影がいくつもぶら下がっているのが見えた。

 

 

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(15 of 14)福岡イル・パラッツォ ~ソーセージを探す旅~ デザインとは何か 

2021-01-21 13:23:28 | 怒涛の京都ホテルめぐり

8/17/2020 8,000円

 今回は実家に帰るにあたり、①感染を避け大阪駅を通らないで移動するのと、②4月にキャンセルになって戻ってきたLCCのポイントを使ってしまいたい、という目的があるので、飛行機で空から舞い降りるという手段に打って出る。もう財源はこっちに移ったが、4月のLCCの予約が娘名義だった為、またしてもおなじみの恣意的な旅行代理店が登場する。

 名前にイル・~と付くが、京都のイル・ヴェルデとは関係がない。イタリア語の冠詞で、英語の The みたいなものらしい。これが門司港ホテルの原型。有名ななんとかいうデザイナーがデザインしたホテルだ。ここも4つ星。どうやってあの門司のおかしな多面体穴あきビルディングに到ったのか、その進化の過程を見せてもらおう。

 予約した後で(娘)「あ!別のプランはバスローブ付いてるって。」(きの)「いぇーい!」(娘)「朝食はアメリカン・ブレックファースト。どうする?変える?値段は一緒。GRANDE SALDI プランだって」イタリア語?(きの)「それ巨大なサラダって言ってないか!?いやだあぁぁ。」もう戦々恐々としている。調べたらイタリア語でバーゲン・セールみたいなことらしい。じゃあそう書けばいいだろう。イタリア語は全然わからない。

 どうせアメリカンと言ったって、大好きな Biscuit & Gravy は出てこない。あれは開拓民の居たところだけだ。パンケーキかいいとこワッフルが関の山。そして、洋食だろうが日本では朝食に絶対サラダが付いてくる(確信)。バスローブは家にある。(きの)「ビュッフェ付きの普通のプランでいいです。自分の食べたいものが食べたい」(娘)「何が食べたいの!」(きの)「ん?ソーセージとご飯」

 そんなの勝手に家で食べればいいだろうという空気が充満する。違うんだぁ~これは軽井沢で確立した黄金の組み合わせで、これを上回るものはない。これでまた個別に千切りを持って来られたらスタイリッシュなロビーで卒倒してやるからな。せいぜい(娘)「いま大変ショックを受けています」とでも説明してくれ。イタリア語で。

 

 荷物の手配。LCCは機内持ち込み手荷物 7kg までだそうな。それ以上は追加料金。せちがらい。夏だし、帰省が長期に及ぶので今回は飼育している淡水ヌマエビと一緒に植物を全部持って移動する。どうせ 7kg を超過するのなら安全に宅急便で送ってしまった方がいい。保安検査で取り上げられたりしたらいけないしな。クールは冷蔵庫の温度だからウツボカズラには冷たすぎるか。前日の夜に近所のコンビニに5箱持って行く。エビは一番温度変化が少ない発泡スチロールの箱に。柑橘類の新芽の箱には凍らせたミネラルウォーターを2本入れて軽くガムテープを貼り、密封はしない。

 品名に「観葉植物」よりも「野菜」と書いたら鮮度にこだわりそうなので、そう書いたら、店員が5個まとめた伝票を作ってくれて、それには自信ありげに「食品」と書き直されていた。だんだん実際の内容から離れていく。エビ達もそれを知ったらショックだろう。食品だと昆布の干物やレトルトなどの温度に強そうなものを連想しないだろうか。この二の腕だけが日焼けした元トラック運転手みたいな店員のあんちゃんよ、信用してもいいのか。

 

 京都駅の八条口からリムジンバスに乗り、1時間半ぐらいで久しぶりの関西空港に到着した。昼飯は気軽に(きの)「空港で食べればいいやー」(関空)「ガラ~ン」広いが薄暗い。人もいないし、ここは使ってない区画かなと思ったが、どうやらここが正面の入り口だ。こんなとこだっけ?日本に着いた時に1回通過したことがあるだけで、あまりよく覚えていない。通路の奥に椅子と机を置き、2階に上がってくる客を関所のごとくサーモセンサーで見張っている人影が見えたので、さりげなく1階に降りる。

 バスの中でずっとマスクをしていたので暑苦しい。その上、ここまで空港内を歩いてきて体温が上がっているのではないか。念のため柱の陰で持ってきた体温計で測ってみると36.8℃。やはり熱がこもっている。ちょっと歩くとすぐに体温が上がり、冬でも寒くない体質なので重宝している。全部筋肉だといいな。しかしこのまま突入しては裏目に出そうだ。息せき切って駆け付けて、37度以上だからダメですと言われるのは不本意だ。自分だけ置いて行かれては困るので、いつもの手を使う。

 

 その前に、思い入れのある検疫の建物を見てみたかった。小枝ちゃんが日本に到着した時に2週間お世話になった空港の外の建物だ。面会に毎日行った。あれはもう20年も前のことなのか。確か空港の右側の海の手前の方にあって、着くまでにフェリー乗場のイスが並んだ建物があった。密入国を見つけたら118番に通報しろとか書いてあるポスターがいっぱい貼ってあり、検疫所の左隣の建物の入り口には「〇〇号、△△号」と書いた警察犬の慰霊碑がある。その3つは独立した1~2階建ての小さな建物だった。しかし、見てみたら近代的な横広のビルしかなく、陽炎の立った原っぱの先を確かめる余裕もなく引き返した。

 20年も前だ。もう建て替えて統合されたのかもしれない。あの日、小枝ちゃんを預けて空港からどんどん離れて行く間に、もしいま津波が来たらあんなに小さな建物はのまれてしまうだろうとか、そんなことばかり考えていた。昨日のようだとまでは思わないが、5年くらい前の気がしていた。検疫が終わって迎えに行った日の、これからはどこへ行こうが自由だという晴れわたる青空のような視界も、いまだによく覚えている。外観を眺めるだけでいいから、もう一度この目で建物がまだあるのを見てみたかった。

 空港の建物に戻り、そろそろチェックインの時間だ。リュックから、叩くと冷たくなるホッカイロのようなものを取り出し、起動させる。それを首に当てて頸動脈を冷やし、トイレに行って顔を洗う。首に巻くのは中尾彬のようなオシャレなストールではない。水で濡らしてある舞鶴で買ってきた自衛隊のタオルだ。なぜなら、サーモグラフィーは人間の両目の上にある空間を見ているだけだからだ。水をガブ飲みして2階へ上がり、検温のかなり前からセカセカと歩いて汗をかき気化熱で額を冷やす。自信満々に談笑しながらも、係員がゆっくり目で追えないぐらいのスピードで集団にまぎれて通過する。

 カウンターでは、あんなに家で計算して7kg以下に抑えてきたのに、荷物の重量を測られなかった。リュックとケースだけだったからか。向こうの入り口で中国人らしき人達が設置してある重量計にスーツケースを乗せて盛んにああだこうだと言い合っていたが。

 昼飯はどうするつもりなのか。この行程を手配した横暴代理店よ。レストランはほとんど閉まっているが、搭乗時間は迫っている。暗にコンビニを示唆してきた。まだ11時だしな。ポテトチップスとマックシェイクを買った。機内に持って行こうと思ったが、(きの)「これは・・・液体だ!」よく考えたら思いっきり液体だったので、その場でジュウジュウすすり込んでゴミ箱に投げ込み、すっかり胃腸が冷えたところで保安検査場へ。パソコンは出され、ポケットの中身を空けて腕時計も外したが、中学時代に友人の祖母からもらった磁気ネックレスを足に巻いていたのは不問だった。あの機械ちゃんと動いているのか。

 難なく通過し、搭乗ゲートからはバスに乗る。前に並んでたアウトドア野郎が指に包帯をしているのを見とがめられ、職員に骨折なのか、入院したのかどうか聞かれ、いいえ、突き指と答えていたが座席番号を控えられていた。待っている義理はないので抜かしてきたが、そいつが振り回していたのは飲みかけの爽健美茶ではないのか?国内線の液体の持ち込みは、実際のところどうなんだろう?

 

 数年前に東京に行った時は帰りが LCC だったが、夜で暗くてよく見えなかった。今回は昼間だから、離陸の様子をよく見といてやろう。狭い。よくこんなに小さい飛行機に3列も席を作ったものだ。大昔の東亜国内航空(JAS)のローカル便をボロくしたような機体だ。このコンクリート打ちっぱなしみたいな古い銀色の鉄板から粗いビスが外れたりしないか。なじんだエグゼクティブ・チェアみたいな黒革のシートがよけいに不安をあおる。暑い滑走路を見ているとエビ達のことが気になる。そこへ最もいやな質問(娘)「ねぇこれ飛ぶの」(きの)「今そんなこと言われても。ハハハハ」すごく降りたい。

 飛行機は好きだ。あの英知の結晶のような機械を見ると心が躍る。よくここまで進化した。こんな鉄の固まりを空に飛ばして、人類の可能性を広げてくれた。みんなよく頑張った、ありがとう!と空港に行くと何目線かわからない感動で胸がいっぱいになる。全日空や日航の純白の巨体が地上係に手を振られ、しずしずと滑走路に滑り込み、一旦呼吸を整えて翼のフラップを出したり引っ込めたりして一連の確認だかパフォーマンスのような動作をしてから、満を持して出力を増して飛び立っていく姿は美しい。

 今回乗った LCC  は、滑走路を迷ったんじゃないかと思うくらい延々と走り回った挙句に、どこかの角を曲がってすぐにそのままちょっと走って、びやぁっっと飛び上がっていった。こんな簡単でいいのか。飛ぶ前の儀式は?飛行の醍醐味とは?全日空ほどキュィーンとかピシュゥゥ~という繊細な機器の動く音もしない。エンジンが違うのか、小型だからか。

 小さい頃はお盆の帰省が年に一回の特別な楽しみで、百貨店の高級フルーツのような粒ぞろいの優しいスチュワーデスのお姉さんに席まで案内してもらい、飛行機の模型をもらって振り回して遊んだ。あの入道雲の向こうの光り輝くような思い出も、今のですべて消し飛んだ。

 ベテランの忌野清志郎みたいな化粧をしたオカッパの(乗務員)「荷物は足の下に置いてくださいよ」アメリカの航空会社並みに横柄だ。しかも飲み物もおしぼりもくれないらしいし(泣)。最終的に出発前に窓のシェードを客に自分達で開けさす体たらく。もうこれは日本という遊園地の、空飛ぶアトラクションだと思った方がいい。

 

 ずいぶん低い所を飛ぶ。下の建物が見えている。雲の上には出ないのか。あの青空と自分しかいないような景色はないんだ。ちっ。しかもだんだん海岸線から離れて山の方へ行く。どうして?こんなに低いのに市街地の上飛んだら危ないしうるさい。国内線は全部瀬戸内海の上を飛ぶものだと思っていたが、航路って、いっぱいあるのかな。

 ふと123便のことが頭をよぎった。あの時代の最大の悪夢だった。ニュースをお盆に帰省している実家で見て、ある会社員のゆれる機内で書いたふるえる文字の直筆メモの写真を朝日新聞で見て以来、父は飛行機に乗るのをやめ、片道6時間もかけて新幹線を使うようになってしまった。

 窓の景色が変だな~と思っているうちに、今度は手前に海岸線が来て向こう側が海になった。すると今までのは四国だったのか??これから機内販売を開始するという放送があって、ワゴンが慌ただしく通過し、学芸会の劇みたいにすぐに引き返して終了した。なぜなら着陸態勢に入るからだそうな。もう!?さっき飛び立ったでしょうが。50分で着くらしい。関空まで来るバスの方が時間がかかった。

 そのうち視界の全部が海になってしまった。しばらく考えて、そういやさっき海岸線を離れる前に、あれは萩ではないか?と思われる三角州や青海島らしきエメラルドグリーンの海域があった。気のせいかと思っていたが、そうすると日本海に出てしまったのか。この飛行機は韓国に行こうとしているのか?なんで??福岡に行きたいだけなのに。

 機体が急旋回を始め、不安はピークに達する。どうしてかわからないけど、日本を横断して海に飛び出し、左側から回り込んで近づこうとしてるんだよね?ね?これが定期航路で、操縦不能になって迷走しているわけじゃないよね。それにしても、こんなぐにゃぐにゃの数字の6みたいなルートで、本当に正しいのか。心配だが聞く相手もいない。乗務員に大声で「この航路で合ってるのか」なんて聞いたら、いらんパニックを誘発するだけだろう。見てると高層ビルのすぐ近くを飛んでドームが近づいてきた。福岡ドーム?っていうか、こんなすれすれをナナメになって飛んだら危ないじゃないか。いろんな初要素が絡んでちっとも落ちつけない。

 

 昔、ちょうど国内線がプロペラからジェット機に切り切り替わった頃、それを知らなかった父は乗ってから何かが違うという違和感にさいなまれ、乗り間違えたのかもしれないが、まわりに聞くわけにもいかず、今さら降ろしてくれとも言えない恐怖と小1時間ばかり戦ったそうだ。今、その気持ちよくわかる。

 いつだったか、お盆の帰省時に高校野球の部員たちが乗ってきて、生まれて初めて飛行機に乗ったような素朴な生徒もいた。80年代は着陸時に派手に逆噴射をやっていて、着陸と同時にエンジンのまわりのカバーが外れ、ガチャーンと後ろに覆いかぶさって勢いを止める(B737-200)。毎回そのメカメカしい動きを楽しみにしていたが、翼もあちこち逆立って傍から見ると故障したようにしか見えない。通路の向こうで、運悪く翼の真後ろの座席からその場面をひとり見てしまった球児が(悲鳴)「うわあぁ壊れた」と絶望したような顔をしているのを見て笑ったが、ちょっと性格が悪かったかもしれない。

 今回も、知らないのは自分だけなのか、それともまわりの乗客はさも当然といった風情で堂々と着席しているが、みんなの窓が開いていないから気づいていないだけではないのかと考えると非常に恐ろしい。いま羽根が気流でひん曲がったように思うが。着陸態勢に入っても窓に貼り付いて注意を怠らない。街中をぐるぐる飛び続け、いつの間にか滑走路に入った。

 普通に着いて嫌な汗をかきながら地下鉄に乗り、博多祇園に到着。バスがあるはずだが、こんなゴチャゴチャの街で面倒くさくて探せない。方向はわかっている。あっちだ。前に1回行ったからもう博多は庭のようなものだ。大みえを切って歩き出し有名な中州の飲み屋街を越えて川を渡り、(娘)「ここじゃない?」何かのビルの建設途中の鉄筋の向こうに、肌色のパルテノン神殿のような石造りの建物が見え、疲労困憊でたどり着く。

 

 フロントに行くには、荷物を持って前面の日当たりの良い巨大階段を登る。(きの)「ヒィ・・・ヒィ・・・2階から・・・入ると・・・何かいいことでもあるのか・・・」門司港ホテルにもこの「渇きの無限階段」が受け継がれている。這い登って来れるものだけが、滞在を許されるのだ。重たいドアを押し開けるとロビーはモントレ以上の真っ暗+ガラス張りの、細い通路の先にスポットライト(光)「ポツン、ポツン。」ディズニーランドのスペース・マウンテンのような宇宙的な世界観だ。だが、眩しい外から入ったらほぼ何も見えない。

 係は外国人ぽいがイタリア人ではなさそう。体温を上品に手首で測り、チェックイン手続きの最後の最後に(係)「では身分証を」えぇ!?初の要求だ。宿泊リストに京都の住所と実家の住所どっちを書いたか咄嗟にわからなくなり、東京かどうかをチェックしたいだけだろうとは思うが、焦ってリュックから取り出そうとしたら、なぜか飛行機の中で食べていたプリングルス・サワークリームオニオンの缶が飛び出してきて、しかもプラスチックの(フタ)「ポロッ」ゾロリと出たチップスを空中で受け止め、見事に戻す。セーフ。

 すごい反射神経だが、IDを見せろと言われて動揺したと思われてはいけないので、急に1人で南京玉すだれのような行為をしておきながら何事もなかったかのように身分証を取り出す。怪しくないんだ!

 無事チェックインし、部屋に入ってくつろぐ。広い。普通のツインが19畳て。昔に建った建物だからか、敷地の使い方にも余裕がある。建った当時は、目の前にビルなどなくて、川が見えていただろうに。今は隙間から少しだけ見える。窓は古い取っ手が付いたオシャレな倉庫のような窓枠で、真ん中のレバーを持って押すとジャバラのように折りたたまれて開く。不二サッシと書いてあったから国産だ。

 洗面所のドアの造りなどを見て、広告デザイナーだった叔父の家を思い出した。もう今は手放してしまったが、あれも濃い茶色の木を白い壁に多用したシックな家だった。今あの家に住んでいる人は、どう思っているだろう。既製品にない空間の使い方に満足してくれていると願いたい。

 それにしても、イタリアには鴨居という発想はないのか。天井から床までドアがある。確か消防法で煙よけの仕切りをつけなければいけないのは、台所だけだったか。

 そして風呂。なぜか壁がガラスで透明だが、そんなことはどうでもいい。きっとイタリア式の解放感を目的としたデザインで、京都七条グラッドワンや二条アーバンホテルの透明シャワー室もそれを参考にしたのだろう。

 問題はバスタブだ。確かにホテルの風呂にバスタブが有ればいいと思っていたが、(きの)「これは・・・」 正直、ありすぎる。モントレ以上の長さだ。Jackson と書いた輸入品で大きいし四角いし、浸かると全身がすっぽり入った上に漂う。蛇口はアナログなタイマーで、ダイヤルを200ℓ~300ℓに合わせると、その量が入ったら自動的に止まる。風呂桶は何に一番よく似ているかといえば(きの)「豆腐屋の桶?」あの豆腐がいっぱい浮いてるやつだ。つめれば体育座りの大人が3人ぐらい入れる。このバスタブに最適なのは190cmの人間だ。

 ドライヤーも湯沸かしケトルも見たことないブランドで、絶対にそこらへんで売ってるようなものは置かないぞという矜持があるからなのか、しかし輸入すると電圧だのコンセントの形だの規格が合わなくて大変だろうに。ドライヤーの内部に、スプリンクラーのように自身の風の流れで方向をランダムに変えるグラグラの部品がついていて、風が出てくるごとに中でシシオドシのようにカクンカクンなって、風が行ったり来たりする。芝生用スプリンクラーのようで面白い。面白いが、見てると目が乾く。

 お腹が空いた。(娘)「ぐったり」行きのバスで寒いなどと言って人のジャケットを奪い取り、そのまま厚着で炎天下の中州を歩いたからじゃないのか?近くのコンビニで冷やしうどんを買ってきて、部屋の無駄に重厚なL字型ソファーですする。そのうち寝てしまわれた。天神様にお礼参りはしなくていいのか。

 クロネコ荷物追跡を見ると、荷物の1個が京都で「調査中」となっている。何を調査しているんだ。何も違法なものは入れてないぞ。調べてみると、破損、誤送、伝票紛失など。

 夜の8時にやおら起きてきて、大学の課題が終わらないとかでパソコンを開いてやり始めた。こんなところまで来て自主的にいつまでも缶詰になっているのか。午後遅くに冷やしうどんを食べたので空腹でもない。エビが心配で食欲もないが、ヒマなので夜にぶらりと出てホテルのパルテノン階段を降りてみる。

 道路を挟んで目の前にイタリア料理らしき店が。入り口はどこなのか。全面キラキラのガラス張りで2つ以上ドアがある上に、スロープをまわり込んで入るようになっている。開店時間なども書いてない。今は9時だから、京都なら全部の店が閉まっている頃だ。

 店の横に暗い路地みたいのがあったから、するりと入ってみた。向こうは川かな。岸にたどり届く直前で(きの)「ごろり」何か白い細い物を踏んだ。覗いてみると暗い川面に対岸のネオンがいくつも映っていた。黒い波がトプトプと打ち寄せる石段は、洗われて角が丸くなり過ぎてもはやガタガタの坂道。賢明な判断ですぐに引き返す。

 店に入って行こうとしているカップルがいたので、ついて入ってみる。断られるのか奴らの反応を見てみよう。しかし3人ですかと言われたら向こうが迷惑だろうから心もち離れておく。カップルは無事入って行った。では(きの)「コホン。何時までやっているのかな。」芸能人でいえばケンコバ似の(ギャルソン)「深夜3時まで」おぉ!外観はイタリアンだが、完全に飲み屋だ。

 店内は川が見えて景色が良い。そして聞こえてくるのは大音量の日本語(ヒップホップ)「♪俺たちはやれるゼ(合いの手)いえぁ~」壁にはエミネムのすさんだ都市の映像が。出勤前の人たちが念入りに化粧をしている。さすが修羅の街。

 メニューに写真がなく文字しかないので、何だかわからないが牛タンの南蛮というメニューが店長一押しだと書いてあったので、頼んでみる。(きの)「南蛮はどんな量なのか」どうせおつまみだから少量だろう。(ヒゲ店員)「多いかも」まぁいい。(きの)「魚のマリネとクランベリージュースと、それとこのアオサのゼッポリーニって何ですか」(ヒゲ)「ピザ生地にアオサを入れて丸めて揚げたものです」アオサって海藻ではないのか?もう海藻饅頭のような姿しか想像できないが、炭水化物はそれしかない。

 さっきのヒゲ店員が持ってきてくれた。南蛮はタルタルソースをかけた小さいから揚げのようなものが10個ぐらい。これなら食べれる。見ると腕に縦一列タトゥーが入っている。そんな位置では日本のプールやビーチに入りにくいだろう。この世界で生きていくんだな。そう決めたのか。うんうん。ゼッポリーニはフリットのようなものに青のりが散りばめられていた。なるほど。これがアオサか。

 ここも全体に薄味だ。気取った所は薄味なんだきっと。牛タンて何だろう。Tongue(舌)のぶつ切り?そういやモツや豚骨、タラコなど、博多は珍しいものを食べる。昔、福岡出身の知人と鍋の話をしていて(知)「そして最後に牛タンを入れるでしょ」と言ったので、その場にいた全員がえぇ!?入れない!と思ったが、この感じだと入れそうだ。

 牛タンがおいしかったので(きの)「これがおいしかったよ。」(Tatooひげ)「ありがとうございます。シェフに言っときます」帰りに横のドアを開けてくれたので(きの)「こっちからも出れるのかー。さっきあっちの奥何だろうと思って行ってみたら思いっきり川だった!はーっはっはっは」(Tatooひげ)「危ないですよ」冷静に注意された。くそう。酔っ払いじゃない。

 いわしのマリネが、揚げた魚かと思ったら鮮魚だった。しかも7匹ぐらい。牛タンはおいしかったが固くてほとんど丸飲み。そして仕上げに氷入りのフルーツジュースをガブ飲みしてしまった。消化不良を起こしそうなパターンだ。コンビニで温かい飲み物と、部屋で缶詰になってる人用の夜食を買おう。裏通りは新宿のような胡散臭いホテルと温泉と深夜保育園というのがあって、あぁ都会だなと思った。コンビニにも派手なドレスを着たおねいちゃんたちがいた。

 部屋に帰って白い湯飲みで熱いほうじ茶をすする。この目玉焼きの黄味部分がズレたような非対称の受皿は、たぶん白山陶器だ。生魚を食べてしまった不安で風呂に5回ぐらい入ったり出たりをくり返し消化を促す。合計で200ℓ×5=1000ℓ(1t)ぐらい使ったが、何をそんなに洗ったのだろう。結局この豪華な部屋でコンビニの食料しか食べていない。博多に何しに来たのか。

 コカコーラの巨大な電飾看板が、キャナルシティーの方向に一晩中瞬いているのを窓から見ながら寝た。エビが心配でたまらない。やっぱりクール宅急便にすればよかった。この手で持って海を渡れば。全部自分のせいだ。もう発泡スチロールが崩壊してエビがもろもろ出ている映像しか頭に浮かんでこない。

 朝になり、8:00amクロネコヤマトに電話。(きの)「どうしたんですかっっ」(ヤマト)「あ、調査中となっていますね」回答を依頼。適当に貼ったガムテープがはがれたのか。それとも凍らせたペットボトルが溶けて結露で段ボールが水濡れ?深夜までかかって課題を仕上げた人が呆然として起きてくる。こんなことなら早めにやればよかったのに。だんだん期末に爆破予告をする人の気持ちがわかるようになってくるだろう。

 

 小さい頃、母の母校の合宿所が軽井沢にあったので、夏に連れて行かれた。うるさい大学生がいっぱいいて飯のマズい、和室の大部屋がある変な旅館だと思っていたが、長じて記憶を総合するに、どうやら母の恩師の教授の計らいで学生用の宿舎に潜り込んで泊まっていたらしい。特にすることもなく毎日パン屋に行ったり自転車に乗ったりして遊んでいたが、長野の夏の空気は澄んでいたことだけは覚えている。同じ手口で山中湖や蓼科にも泊まっていた。

 そこの朝食といわず、晩飯もなにもかもがマズかった。食堂に行くと柔らかいコロッケやくし形に切ったトマト、千切りのキャベツに黄色いたくあんが2枚、1/4に切ったハム、ミリ単位で量ったようなヨーグルトなどの栄養士が作ったような地味な洋食メニューに、毎回大量のご飯がおひつに入ってやってくる。いったいこの大量のお米をどうしたらいいんだという気分になりながら、唯一ソーセージだけが食べれたのでソーセージとご飯ばかりを食べていた。

 いやぁおいしかった。あの太いしょっぱいソーセージを斜めに切って・・・あれ? もしかして、今考えたら魚肉ソーセージかもしれない。とにかく、ソーセージとご飯はよく合うんだよ。

 学生たちはラフな格好で運動をしていたから、体育学部か運動のサークルだったのかもしれない。だから食事が多かったのか。千切りキャベツや食堂の朝食のトラウマはここから来ている気がする。今でも時々具合いが悪くなると、ソーセージとご飯の組み合わせが食べたくなる。あの時、唯一味方でいてくれたソーセージとご飯に、今回もまたおいで願いたい(ハートンがよっぽど嫌だったのか)。

 

 さて、イルパラッツオだが、HPでは九州の味ビュッフェとなっている。九州の味が何かはわからないが、朝からモツ煮込みや牛タンが出てくるのだろうか。しかしビュッフェなら絶対にソーセージはあるだろうと確信している。チェックインの時にも、朝食については何も変更があるとは言われなかったのでしめしめと思って、朝一で2階の黒い宇宙レストランに向かう。

 席に着くと、真ん中寄せの書体でポツンポツンと書かれた、本日のメニューという名の選択肢ではない一方的な宣言がうやうやしく渡され、なぜか知らない間にアメリカン・ブレックファースト(1,800円相当)になっていた。

 地元のお母さんのような優しそうな(店員)「サービスのスペシャル・スムージーですよ。ニコニコ」言い出せない。メニューには(当然)「モーニング・サラダ」いつのサラダでもいやあぁぁ。ソーセージは出てくるのか。問題はそれだけだ。(きの)「この『パンのところをご飯に変更可』って書いてありますよね。では、ご飯で。」意地でも食べてやる。

 どこからか出てきた(シェフ)「本日のメインは宮崎牛のカボス乗せでございます」付け合わせはオクラと冬瓜。もうどこがアメリカンなのかわからない。やっとのことで出してきた皿に1本乗ってた!この貴重なソーセージを重たいナイフでコマ切れにし、存分に味わう(涙)。こんなことなら、ホテルのルームサービスでソーセージとご飯だけ持ってきてもらえば良かったんだ。ブツブツ言いながら食べる。そもそもエビが心配で食欲もない。

 サラダはちぎったレタスが数枚と、鶏肉のササミと何かが大半だった。フルーツもデザートもあり、オレンジとグレープフルーツジュースも飲んだ。スープも手が込んでいて、わざわざ1階で作って運び上げて来ていたようだ。

 部屋に帰り再びヤマトに電話(きの)「どうして2時間経っても返答がないんだ!」(ヤマト)「中継点に催促します。」(きの)「伝言を頼む。それ生ものだから。時間をかけて調査するより、箱が破れてても何でもいいから早く持ってきてほしい」

 チェックアウトし、昨日の恐ろしい川べり階段を見に行くと、夜の喧騒はどこへ行ったのか、静かな流れの澄んだ水に魚が泳いでいる。(看板)「急に深くなるから注意」(きの)「酔っ払いが落ちるといけないからね。ハハハ」あの踏んづけた白い棒は流木だったらしい。道の脇にどけられていた。勤勉なTatooヒゲか。夜に急にホテルを出て滑り落ち、博多湾へと出て行ったら、どうしたのか誰にもわからない。確かに危険だ。

 繁華街は朝はお休みの時間だ。工事の人たちぐらいしかいない。夜中の3時まで起きてる人たちと朝早く起きてくる人たち。理論的に言って同じ面積の地域に2倍の人数が収容できる上に、混み具合は1/2だ。博多は夜と昼とで棲み分けができている。

 電話(ヤマト)「お尋ねの件ですが・・・・少しガムテープがですね、はがれてて」(きの)「そんなことどうでもいいから早く持ってきて(泣)!あ゛ぁ゛よかったぁぁ~。じゃあ、よろしく。」力強く礼を言って電話を切る。後は急いで帰る。

 家に帰って(ヤマト)「まず箱の状態を確認・・・」(きの)「いいえ結構!こっちのミス。ありがとう!」ひったくるようにして持ち帰る。おそるおそる開けて指を突っ込んでみると、エビ水槽の水は冷たかった。箱には全て「なまもの」シールが貼ってある。食品と書くと、もれなく貼られるのではないか。コンビニの元運転手のあんちゃんよ、ありがとう。箱の中の温度も、どちらかと言えば気温より冷たい。

しかし、四六時中気になるので、もう夏に飛行機に乗るのはやめる。

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幻の飯山国際スキー場~未知の生物相~

2021-01-11 17:56:39 | 旅行

 高校の卒業旅行に、友人と4人で行った。デパートのレストランのシェフをしていた友人のお父上が、知り合いから券をもらったとかで行くことになった。その頃はバブルで社会全体が浮かれていたので、そこらじゅうで気前のいいプレゼントが往き交っていた。

 テレホンカードが常に余っていたし、西武の本拠地だったので知り合いの誰かがチケットを持っていて、自分で買ったことなどなかった。だから、タダ券には特に疑問は持たなかった。行く前からそこはかとない不安要素があったが。

 

不安要素その1叔父も知らない。

 長野に別荘を建て、足繫く通う叔父が(叔父)「聞いたことない。そんなのあんの?」さぁたぶん。(叔父)「国際的?」うん。名前が仰々しすぎて詐欺みたいだ。

 

その2当日友人が不調な上に電車の切符を家に忘れてくる。

 それを延々在来線に乗ってやってきて、それから特急に乗り換えようかという段階になって気づく。今さら取りには戻れない。出発数日前にちょっとしたいさかいになったこともあるので、念のために欠席の意思を確認してみる。行く気は十分あるらしい。

 食事付き宿+スキーは前もって別の友人が手配したので、たどり着きさえすれば何とかなる。気づいた時から明らかにびっくりしてオロオロしていたから、余程の演技派でない限り多分本当だろう。

 (きの)「まず、その席は予約してあるのだから、切符本体があろうがなかろうが出発前から誰かが座っているということはないだろう。そこに座って確保して、車掌がやってきたらまたその席を買い直せばいいのでは。切符がないからといって車体に乗り込めない訳ではない。入場券でホームに入れる。持ち合わせがなかったら貸そう。」その作戦で行くことになった。

 途中で切符を拝見、とやってきた車掌に訳を話し、残りの3人と同じ地点からの乗車券と指定券を買い、中央本線は雪道を順調に進む。途中で右側の窓に洋風の廃墟のようなものがあって、何の建物か知らないがいつ通っても、ふと見るとそれがある。長い行程の中で見過ごすこともない。なんだろう。

 

その3誰もいない。

 駅に着いても誰もいない。確か迎えのマイクロバスが来るはずだが。寒い中いつまでも立っててもしかたがないのでタクシーに乗り込む。雪のトンネルを進みホテルに着くと(フロント)「駅に着いたら電話くれればよかったのにー」なるほど。

 ホテルの中でも他の客は居たのか。どうだったのか定かでない。しかし卒業旅行だから3月近辺でシーズンも終わり。しかも学校も休みで後は卒業式に来いというだけだったから、平日だったのか。

 

4愉快な森の住人たち

 運営は地元の人がやってるみたいだ。貸しスキーのおばさんも(オバ)「こんなに何もないとこでーホントに何もなくて困るでしょう~」だから来たんだ。ここまで池袋の通勤ラッシュが伸びてきたらもうおしまいだ。翌日は朝から吹雪いてきた。リフト小屋のお爺さん(爺)「あんたら2日も物好きだな~まず味噌汁を飲め」

 

味噌汁?

 

 急に定食のうち酢の物だけを味わえと言われたみたいで何だろうと思ったが、ストーブの上の鍋から具沢山のスープをよそってくれた。だんだん日本昔話のような温かい世界へと入っていく。

 そのうち雪もやんで晴れてきた。リフトの上からは、針葉樹林の間に誰にも踏み荒らされていない真っ白な雪原が見える。そこにポツポツと一列に連なる小動物のカワイイ足跡が。キツネかな。シカさんかな。ほほえましい気分で見ていると、

 

(きの)「なんだあれは」

 

 1mぐらいの歩幅で、大きな鳥のような足跡が向こうの方へと続いて消えていった。ダチョウ??そんなのいるか?隣にいた切符忘れのボケボケ友人に聞いてみる(きの)「今の見た?」(友)「はぁ?何が?」見てない。どうして!ホラー映画で言ったら今のが伏線だ。

 頂上付近も人が居なかったので、ますます感覚が研ぎ澄まされてくる。景色を見渡してみても木々の一本一本までが愛おしい。この山は自分たちのものだと思った。妄想もいいところだが、自分の世界が広がる感覚というのは新鮮だ。

 滑れないと言っていた友人に、ボーゲンなしのいきなり横滑りの超つづら折りという荒療治(?)が功を奏してなんとか滑れるようになり、こっちの心配をよそに何事もなく全行程を全員で滑り降りて宿に帰り、風呂後にロビーのゲーム機でぷよぷよなどをやってから部屋に戻って寝た。

 しかし布団の中で、どうも得体の知れない恐竜のような鳥類がグゲゲゲなどと奇声を発しながら、月光りの下を我が物顔に走り回る構図しか思い浮かばない。

 恐ろしい所だ。だから空いていたのではないのか。3月になるとそいつが冬眠から覚めて・・・「なんにもないとこで困る」緊急の通信手段が?「あんたら物好きだ」こんな危ないところへ来て!?(きの)「う゛~~ん国際・・・」寝にくい。

 

 

 

 最近知ったが、あれはウサちゃんの足跡らしい。1個の独立した大きな足ではなく、小さな4本足でジグザグに飛ぶから左右の足跡に見えたが、違った。しかも後ろ足が大きいから逆向きに走って行った跡だ。大型鳥類じゃなかった。よかった。雪をよく知らない人間は、何を思うか知れない。

 

飯山国際スキー場は、今はもうない。

 

 地図で探してもなかった。そんな!と思って最近知り合った長野県の人に聞いたら、閉鎖されたらしい。そうなのか。やっぱりあったのかという安堵と共に、寂しい気持ちがした。80年代ほど人々は雪山に熱狂しなくなったからか。自然環境が元に戻って良かったのか。それで雇用はどうなったのか。複雑だ。

 何もなくていいじゃないか。電線もないまっさらな雪景色や、自然に生えてる松や白樺の樹を見に行けば。その価値がわかる人がもう少しだけ多く居たら、あのスキー場は存続したのかもしれない。

 後年、雪の素人は懲りずに凍った雪の壁に頭を突っ込んだり、何が楽しいのかマイナス20℃の雪山のロッジに出かけて行って暖炉一つで夜を明かしたりした。無知な素人の唯一の美徳は、雪に対して楽しい!という純粋な好意しかないことだ。

 もしかして雪山の方が、その気持ちを知る必要があるのではないかな。思いを運ぶ道が閉ざされて残念だ。

 

今でも具が多い味噌汁のことを、心の中で秘かに長野風と呼んでいる。

あの景色を、まだ覚えている。

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飛ぶ夢

2021-01-07 07:03:21 | 日記
12/28/2020
 夢の中の世界では、最近ではもう飛行して神社などにお参りするのが
トレンドとなっている。
 
天狗か。
 
さっそく飛んで行ってみる。
あえて高く飛んでも、ぜったいに落ちない自信があった。
 
かなり低くも飛んでみる。
地面すれすれで地を這う他の参拝客をよけながら、
上手くひるがえって上賀茂神社に入っていく。
 
飛ぶ夢は久しぶりに見たが、楽しい。
 
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