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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

日韓の歴史をたどる⑮ 米の収奪 日本社会の矛盾を朝鮮に転嫁

2019-12-18 15:49:32 | 日韓の歴史をたどる
日韓の歴史をたどる⑮ 米の収奪 日本社会の矛盾を朝鮮に転嫁
洪昌極
ホン・チャングク 1987年生まれ。一橋大学大学院博士後期課程(朝鮮近代史・農業史)。主な論文に「植民地期における朝鮮内農業移民政策と干拓事業」「植民地朝鮮における水利秩序と植民地権力」

日本帝国主義は、1910(明治43)年に韓国を「併合」、1910年代に朝鮮土地調査事業によって日本人大地主が頂点に立つ強力な地主制を確立させることで、植民地経済の制度基盤を整えました。
その上で20年代になると、「産米増殖計画」という国策事業を打ち立て、米を中心とした農産物の収奪を本格化させていきます。その担い手となったのは、警察や地方行政を後ろ盾とした日本人大地主と一部の朝鮮人大地主でした。

借金負わされ小作料地獄に
朝鮮総督府が最も力を入れたのは、水利潅概を改善して少しでも米の増産に適合した土地を作るための水利組合事業です。水利組合の区域内に編入されると、地域住民たちは高額な事業費用を払わされ借金を負うはめになり、経営難に陥って土地を大地主に買収されることになったり、元々土地を持たない農民は高額な小作料地獄に苦しめられることとなりました。
各地で激しい反対運動がわき上がりましたが、それに対して朝鮮総督府や水利組合幹部が取った方法は、平和的なものではありませんでした。
反対する者たちを警察署に連行して監禁したり(『東亜日報』28年3月15日付)、水利組合当局に雇われた請負業者をつかって拳銃・ダイナマイトで、反対する地域住民を「殺す」と脅迫(同29年11月21日付)。実際に死傷者が出ることもありました(同29年11月24日付)。




米増産の一方消費量は激減
「産米増殖計画」が始まってから朝鮮は豊かになったのか。答えは否です。米だけに特化して見れば、確かに生産量は増大の傾向を見せていきます。ただし重大なのは、生産量の増大分をはるかに上回る米が日本に積み出されたことです。生産量が増えれば増えるほど、朝鮮での消費量が減少。1人当たりの米の消費量は1915~19年の4年間を100とすると、30~34年のそれは63まで下がります(朝鮮総督府『朝鮮米穀要覧』41年度版)。朝鮮人の生活は悪化の一途をたどったわけです。
植民地期全体を通じて、土地を持たない農民が一貫して増大していくと同時に、農民が地主に支払う小作料はつり上がっていきます。同時期の日本本国も地主制社会でしたが、小作地率・小作料率において朝鮮の方がはるかに上をいきます。日本人がどんどん朝鮮に移住して地主に転じていくことで、日本の社会問題がいくぶん緩和される一方、朝鮮農民は土地を失い社会問題が深刻化していくという対の関係の下に置かれていたためです。

苦境強いられ日本へと渡航
苦境に立たされた一般の朝鮮人たちは、家計を支えるための副業・兼業に費やす労働時間を増やしていきました。その結果、慢性的な労働力不足を補うための児童労働が横行します。
同時に、家庭内で年齢・性別に基づく分業関係が強化され、成人男性の労働力を重宝する傾向に拍車がかかります。逆に、労働力において男性よりも劣位にあって財産相続からも排除されていた若年女性たちは家庭内でも窮地に追いやられます。
若年女性は、「口減らし」を目的とした10代前半での結婚や、借金のカタに地主への「妾(めかけ)」入りを強要され、工場や性産業への人身売買の対象にもされました。植民地朝鮮の自殺原因で最も多くを占めたのが、男性が「貧困」で女性が「親族の不和」だったという事実は、決して偶然ではないのです。
朝鮮人が故郷を追われて日本や満州へと離散していった背景には、植民地下朝鮮の以上のような悲惨な状況が存在していました。当時の日本での社会調査によれば、在日朝鮮人の渡航理由は、「農業不振」や「生活難」が大半を占めていました。
「韓国併合」前年に800人たらずだった在日朝鮮人人口は、「産米増殖計画」が実施されている1930年には30万人を超えています。厳しい渡航管理体制の中、渡航した朝鮮人たちが仕事にありつけた場合でも、日本人労働者の半分以下の賃金(民族差別賃金)によって雇われていたのです。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年12月11日付掲載


戦前の韓国のコメの増産。しかし日本のための生産。コメつくってコメ食えねえ。
食い口を探しに日本に渡航。しかしそれも劣悪な労働条件。

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