竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

1983年ポーランド政変のころ、ロンドンの聴衆がプロムスで聴いたシマノフスキ、パヌフニク

2010年05月17日 10時59分32秒 | BBC-RADIOクラシックス






 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第1期30点の24枚目です。


【日本盤規格番号】CRCB-6034
【曲目】シマノフスキ:交響曲第4番「シンフォニア・コンチェルタンテ」           :交響曲第3番「夜の歌」
    パヌフニク:「シンフォニア・ヴォティーヴァ」(交響曲第8番)
【演奏】マーク・エルダー指揮・ノーマン・デル・マー指揮・パヌフニク指揮
    BBC交響楽団、ピオトル・パレチュー(pf)、フィリップ・ラングリッジ(テノール)、BBCシンガーズ、BBC交響合唱団
【録音日】1983年2月16日、1983年9月17日、1983年9月14日    

■このCDの演奏についてのメモ
 別項にあるようにイギリスの音楽界は、広く世界の様々な音楽の吸収に、熱心に取り組む歴史を古くから持っているが、このCDは、ポーランドの作曲家の作品を集めたものとなっている。この内、1914年生まれで第2次世界大戦後にイギリスに亡命したパヌフニクの作品は、作曲者自身の指揮による演奏で、しかもイギリス国内初演の記録。亡命後のパヌフニクは、自作を中心に、母国ポーランドの作曲家の作品の指揮をかなり手掛けているという。
 シマノフスキの二つの交響曲の内、ピアノ独奏を加えた交響曲第4番で指揮をしているマーク・エルダーは1947年生まれのイギリスの指揮者。1970年にはレイモン・レッパードの助手としてグラインドボーン・オペラで学び、72年にオーストラリアのシドニー・オペラハウスでヴェルディの「ナブッコ」でデビューしている。その後もオペラ畑でのキャリアが目立つが、アメリカのロチェスター・フィルの音楽監督を89年から94年まで、サイモン・ラトルが率いるバーミンガム市交響楽団の首席客演指揮者を92年から務め、またプロムスにもしばしば登場するなど、活動の場は広い。
 一方、シマノフスキの声楽付きの作品、交響曲第3番を指揮しているベテラン指揮者ノーマン・デル・マーは1919年に生まれたイギリスの指揮者、ホルン奏者。王立音楽学校を卒業後、名指揮者トーマス・ビーチャムに見いだされ、ロイヤル・フィルのホルン奏者をしながら、やがて指揮者となった。夭折の天才ホルン奏者として有名なデニス・ブレインは親友だったという。BBCスコティッシュ交響楽団などで活躍し、後期ロマン派、特にリヒャルト・シュトラウスを得意としていたが、1994年には世を去った。
 なお、この3曲の録音が1983年に集中していることに、ご注目いただきたい。この年は、ポーランドではワレサ委員長の率いる自主管理労組「連帯」が、当時の政府により戒厳令発布後、非合法化されて弾圧を受け、それが国際的に問題化していた時期にあたる。この年のロンドンのプロムスにパヌフニクやシマノフスキの作品が登場したのも、おそらく、その関係だろう。(1995.9.15 執筆)

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 今回分の冒頭にある「別項」とは、もちろん、本日も掲載してある前文に書いてある2010年1月2日付け当ブログ掲載文章のことです。
 イギリスの音楽ジャーナリズムが政治的状況に敏感に反応したプログラムの一端を聴く思いがします。思えば、ロンドンは、多くの亡命者に演奏の機会を与えてきた都市でもあります。