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ジャノーリのラヴェル/ラトルのブラームス交響曲/若杉弘~東京フィルの遺産

2010年01月13日 16時23分13秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
 以下は、詩誌『孔雀船』に半年に一度掲載しているクラシックCD新譜雑記です。2010年1月に発売される最新号のために書き終えたばかりの原稿です。詩誌主宰者に了解をいただいているので、私の当ブログに先行掲載します。


《詩誌『孔雀船』2010年1月発売号~「リスニングルーム」》

■レーヌ・ジャノーリの「ラヴェル・ピアノ・リサイタル」
 このピアニストの存在を知ったのは、もう四〇年ほども前のことになる。私がまだ大学生になったばかりの頃、東京・渋谷のハチ公広場に面したところに、「らんぶる」という名の「名曲喫茶」があった。そこでかけていたLPレコードで初めて聴いたピアニストだった。私がリクエストした曲目、メンデルスゾーンの「ピアノ協奏曲第一番」だった。じつは、そのときメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第一番を、なぜ、この店でリクエストしたのかが未だに思い出せないでいる。おそらく、当時、昭和四〇年代の初め頃のNHKのFMか、日本テレビの読響コンサートか、フジテレビの日フィルコンサートで聴いたのだと思う。だが、いつまでも記憶から離れなかった曲をリクエストして聴いて、違和感がなかったどころか、虜になってしまったのが、このピアニストだった。それ以来、中古レコード店で見つけるたびに買い求めてきた。その「ラヴェル」が活動を再開した「日本ウエストミンスター」から、初めてCD復刻された。この人のピアノは、不安定なテンポそのものに、独特の表現が宿っているというもので、これは、不意の加速度と突然の逡巡が生み出す音楽の「揺らぎ」に気づく人にだけ開かれた音楽かもしれないと思う。一八九〇円とは、うれしい。一九五〇年代の録音である。(写真)


■ラトルの「ブラームス全集」は新時代の産物? それとも?
 サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニーの『ブラームス交響曲全集』がEMIから発売された。輸入盤だけではなく、国内盤も発売されたが、CD三枚の他に国内盤のみの特典として、全四曲を完全収録し「メイキング映像」まで付いたDVDが二枚付いて、総額六〇〇〇円というから凄い。これも輸入盤攻勢のおかげだろう。演奏についての第一印象を書くとすれば、まず、このところのラトルの大きな特徴となっている「流れるような」ブラームスが全体を貫いている演奏と言えるだろう。オーケストラがとてつもなくうまい。それはたとえば、カラヤンが磨きに磨きぬいた時代のそれと言ってもいいかもしれない。しなやかで大らかな音楽の深い呼吸が美しい。だが、〈突出した部分がひとつとしてない〉といった充実した響き、これは不思議な感覚だ。のどに刺さった小骨のようなものがないから、かえって、瞬間的に突き抜けるものを感じないで過ぎて行くといった感覚だ。ロマン派の音楽が持っているはずの、ある種いびつなもの、屈折しているものがきれいにそぎ落とされていることに、今、私は戸惑っている。かつて、ストラヴィンスキー『春の祭典』でスイスイと駆け抜けるような疾走感を押し出したラトルが提示するロマン派音楽を素直に聴くには、私自身が老けこんでしまったのかと、少し不安になっている。


■若杉弘と東京フィルハーモニーの「遺産」を聴いて思うこと
 昨年亡くなった指揮者、若杉弘のことを書いておこう。
 私が若杉弘の音楽を初めて聴いたのは東京オリンピックの頃、一九六〇年代の半ばだった。最初は日本テレビ、日曜日朝の読響のクラシックコンサート番組だった。細くしなやかな体躯から導き出される音楽が、とても若々しく新鮮だったのを覚えている。前任の常任指揮者ウィリー・シュタイナーの武骨で不器用な音楽の生真面目さとは打って変わって、どこか飄々とした音楽が、新しい風が吹き抜けて行くような清々しさを感じさせた。
 思えば、そのころが、西洋音楽を見よう見まねで演奏してきた私たち日本人が、自分たちの感性で西洋音楽を演奏し始めた最初だったのだと思う。岩城、若杉、小澤といった同世代が、それぞれの道を歩み始めていた時代だった。すっかり若杉弘の音楽に夢中になった私が高校一年生だった時期に、上野の東京文化会館で聴いた若杉の『エロイカ』に感激して楽屋まで押しかけてしまった話は、もう随分前に書いたことがある。その後、紆余曲折の末にドイツに渡りケルン放送交響楽団の音楽監督となった若杉の里帰り公演を聴いたのも、同じ東京文化会館だった。だが、この時期以降、若杉はドイツ・ヨーロッパでの伝統的な音楽語法を真面目に学び過ぎたのだと、私は思っている。チューリッヒのオーケストラとの末期には、それがマイナス方向に働き、帰国して国内での活動に専念するようになった晩年には、かつての何者にも囚われまいとする力強い確信に溢れた音楽が影を潜めていたように思っていた。だから、しばらく若杉のコンサートから足が遠のいていたのだが、そこに訪れた訃報。今、こうして最晩年とも言うべき二〇〇七年十二月のオペラシティホールでの東京フィルとの最後の定期演奏会でのブルックナー『第九』、シューベルト『未完成』そして、それらの練習風景を聴くと、やはり若杉弘は最後の最後、日本のオーケストラが獲得した自分たちの「西洋音楽」を信じ、その未来を確信するに至っていたのだと思った。迷いが吹っ切れた堂々とした響きからは、半世紀ほど前の日本のオーケストラの非力な音も、もはや聞こえてこない。いつのまに、こんなブルックナーが鳴り響くようになったのだろう。彼らが必死で育ててきた日本のオーケストラの実力の充実を、おそらく若杉は、かなりなところまで満足していたに違いないと思う。そういう自然な力が漲った演奏である。
 今回発売されたCDは東京フィルハーモニーとタワーレコードとの提携によるもので、一枚一二〇〇円で、二種が年末に緊急発売された。一枚は二〇〇六年四月のオーチャード・ホールでのベートーヴェン『第七』と二〇〇七年十二月オペラシティでのシューベルト『未完成』。もう一枚が、そのシューベルトに続いて演奏されたブルックナーの「未完成」ともいうべき『第九』と、その演奏会当日の朝の総練習の一部が収録されている。私にも記憶のある張りのある良く通る声で、二つの「未完成交響曲」の勘所を細かく指示している若杉の声が、ほんの少し聴ける。

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