こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

お花見はいつもより家を早く家を出て

2023年03月31日 | 鎌倉暮らし
昨晩、鎌倉に帰ってきたら夜桜見物の人で段葛はごった返していた。
これではのんびり見ることはできないと、そそくさと帰った。
この先何度見ることができるかなどわからない、今年は今年で桜を目に焼き付けておこうと、いつもより早く出てきた。
十数年来の歩き慣れた風景、ビュースポットはわかっているが、どこも結構人がいて、写真を撮るのに誰かが映り込まないようにするのは工夫がいった。
人が少ない時間にゆっくり見物したいと思うのは誰しも同じ。
見事な桜にしばし見とれていると、癒されるという言葉の意味がわかる。
段葛に桜が植えられたのはほんの100年前(大正7年)で、昔の人がこんなに美しい景色を見ていたら、今の世の中はどうなっていただろうかと思う。
少し歩いて振り返ると三の鳥居の向こう、静御前の舞殿ごしに本殿が見える。

1000年前にこのような構造の街を造った源頼朝という人は、大した人だった。
歴史を振り返れば、頼朝、尊氏、信長、秀吉、家康、それぞれの時代を作った人というのがいずれも傑物だということがわかる。
そして、そういう人物はそうそう世の中に現れるわけではないし、残念ながらそんなリーダーは今の日本にいない。

段葛はかつては一の鳥居まであったというが、今は二の鳥居までのほんの500メートル。
桜を見ながら歩いているといつの間にか終わっている。
出勤前の散歩にはこの程度の時間の方が合っている。

あと何度、桜を見ることができるだろうというのは毎年思うこと。
今年が最後かもしれないし、運がよければ来年も見ることができるかもしれない。
命のありがたさを自覚する

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仕事は探せばいくらでも出てくるもの

2023年03月30日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
昨日、病理診断科の検査技師さんにFISH法による検査の指示出したら、

 来週の予定がよくわからないので、(手のかかるFISH法の検査を)お引き受けできるかどうか・・・

と応じられた。
シフトが厳しいのかと思ってカレンダーを見直したら、なんと来週は4月、私はまだ先週のつもりで話をしていた。
3月も今日明日でおしまい。

この春の異動で、わが病理診断科はスタッフが2名入れ替わる。
たしかに来週の状況はわからないので、手のかかる仕事を頼んだのは良くなかった。
日付の勘違いを含め、あれこれを詫びて、来週あらためて予定を組んでもらうことにした。

3月ももう終わり。
時間は確実に流れている。
若い頃には、この歳になればもう少し仕事は楽になっているだろうと、思っていたが、そんなことはない相変わらずの自転車操業。
以前いた大学病院よりは全体の量が少ないので、仕事が少し楽になったと思えたのは最初だけ、ここ最近は目がまわるような忙しさになってきたような気がする。
私のような末端管理職は、自分でも頑張らなくては、現場は回らないのだ。

年齢による処理能力の低下も要因の一つとしてあるが、仕事のレベルが上がって多くが効率化され、それらの片付くスピードが早くなると、時間ができる。
そして、その時間に新しい仕事を入れるようになる。
進歩を求めず、停滞させておけば苦しむことはないのだが、じゃあそのままにしておいたらいいかといえば、患者さんのことを考えるとそうはいかない。
私にできることは何かないかと探し、それがあればそこを埋めていくようにしなくては意味がない。

命を守るためには私のようなものであっても少しずつでも前に進まなくてはならないのだ。

来年度はやっと自前の遺伝子診断に手をつけられるようになりそうだ。
あくまでも補助的診断なのだが、病理診断を行う際の強力なツールとなる。
周回遅れの技術なのだが、それなりの設備と技術と人材を準備するだけでもそれはそれですばらしいことだ。
病院のバックアップにも感謝している。

そんなわけで、来年度はまた仕事が増える。
新しい技術の導入に加え、後進の指導にも本腰をいれるということもしっかりやっていかなくてはならない。
仕事というもの、やる気になって探せばいくらでもでてくるものだ。
キリがない

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新型コロナも3年で、朝ドラではパリのロックダウン

2023年03月29日 | 自然災害・事故・感染症
3月ももう終わり、朝の連続テレビドラマ”舞いあがれ”も最終週を迎えているが、もともとそれほど伏線を張っていないわかりやすい話だったので、”最後の盛り上がり”というよりは、予定調和的な終わりに向かっている。
物語の最後になって新型コロナのパンデミックが描かれていて、主人公の夫がパリのロックダウンの渦中にいて、無事帰ってこられるだろうかと心配しながらみている。
新型コロナウイルス感染症が始まってから、かれこれ3年あまりが過ぎた。
今になって、失われた3年という思いが強く感じられる。

妻は当時のことを仔細に覚えているが、私は喉元過ぎれば熱さ忘れるではないが、ずいぶんいろんなことを忘れてしまっている。
そこで、以前のエントリーを振り返ってみた。
2020年3月、
2021年3月、何とほぼ同じタイトルで、
2022年3月、

2020年は未知のウイルスの侵入に対する不安と苛立ち、2021年は緊急事態宣言解除後の疑心暗鬼、2022年は蔓延防止等ナントカ措置が解除された時で、ウクライナ戦争が起こった後ということもあり、新型コロナ関連のエントリーはずいぶん減った。
今年はもはやマスクフリーの是非の話になっている。

この3年間で、社会は大きく変容した。
感染拡大時には多くの高齢者が亡くなったが、いまは抑え込みつつある。
先日など、孫のお宮参りに付き合ったあと、銀座三越地下食品売り場をノーマスクでうろうろしたのに感染しなかった。
まあ、ここ最近、また感染者数が増えていて、第9波に入るかもしれない。
おそらくこれは多くの人の進学、就職、異動によるものだろうから致し方あるまい。
2月時点での抗体保有率は42.3%とかで、若い人に限って言えば50%を超えている。
若い人の抗体保有率がもっと高くなって、集団免疫が獲得できることを願う。
ノーマスクの私も、感染者が増えたら、たとえ5類になっていても、またマスクをつける。
こだわるつもりはない

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WBCでのダルビッシュを見て自分の生き方を見直した

2023年03月28日 | スポーツ・健康・ダイエット
今朝も小雨混じりで、花冷えが続く。
それでも、少しでもクリーニング代が安いうちに出そうとまとめた冬物が多く、その料金を考えると頭が痛くなる。
来冬からは着るのは3、4枚に抑え、残りは着ないでしまっておこう。
昨晩は駅から段葛の夜桜をみながら歩いて帰ったが、あんまりたくさんの人がいたので、中程で脇道にはいった。
巷は桜の便りとあとはいまだにWBCの話題で持ちきりだ。
実のところ、持ちきりというよりは、それぐらいしか今の日本には明るい話題、考えるべき話題がないからこうなっているとも言えるのは、今国会の議論の低調さというか茶番のようなくだらなさを振り返れば火を見るより明らかだ。

それはさておき、WBCではそれぞれの選手、監督の行動・発言に注目が集まっている。
日本でも一流の選手たちばかりだから、一家言あって然るべきだし、ましてやそれを束ねた監督ともなったらいうまでもない。
そんな中、後輩の選手たちの指導をして、日本チームを束ねて優勝に導いた、最年長のダルビッシュ有の振る舞いは素晴らしく、多くのことを学ばせてもらった。
所属するパドレスは36歳の彼と6年にわたる長期契約を結んだというが、それは、プレイヤーとしての能力と共に、チームを牽引する力に対するものでもあるという。

後進の指導というのは難しい。
若い才能は教えたら教えただけ伸びる。
教えるといっても、ありきたりのことを教えるだけでは役に立たない。
長年、培ってきたコツ、秘訣、そういったものをそれこそ惜しげもなく公開しなくては誰も聞いてくれなどしない。
もちろん、指導してもわからない人間はいくらでもいて、教えた通りにするのはほんの一握りだ。
優れた才能はそんなにたくさんいらないが、一人でも二人でもそんな後輩がいれば、自分の座は脅かされとってかわられてしまう。
それなのに、現役のうちから後進の指導をしているというダルビッシュは素晴らしい。

以前にも彼の立場を私に置き換えてみたことがあった。
私を指導してくれた先輩病理医は何人かいるが、記憶に残っているのは、熱心に指導してくれた先輩ばかりだ。
熱心に、というのは惜し気もなく知識やコツを教えてくれたということで、今の私があるのはそういった先生方のおかげだ。

私も今、指導している若手の病理医が何人かいる。
その中には、教えた分だけ伸びている人もいて、この調子なら数年後には私に追いつき、さらに勉強すれば、追い越していくだろうと思える。
このまま何も教えなければ、その人を含めて私の周りの若手の伸びは少し鈍化するだろうし、そうすれば私の存在意義も多少は高いままだ。
でも、そんな井の中の蛙的な考えでは、世界と戦うことはできないし、何より患者さんに最高の医療を届けることができない。

秘伝だなんだといったところで、残せなければ意味がない。
それよりも、よりよい技術を後進に伝えることで自分を越えていってもらった方が、世のため人のためになるという考えをもつことがよほどいい。
人のふり見て我がふり直せというが、ダルビッシュの振る舞いをみて、私自身を振り返り、身の振り方を改めるきっかけになった。
大谷翔平のドラマの主人公のような八面六臂の大活躍はもとより、今回のWBCは感動と共に、人としての生き方を伝えてくれた大会だった。
世界一ともなればそれも宜なるかな。
情けは人のためならず

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日本人はそんなに意地悪か?

2023年03月27日 | 人間関係
二日続きの雨がやっと止んだ。
妻が弁当を作ってくれているうちに、花をみがてら掃き掃除をしたら花はだいぶやられていて、パンジーやビオラなどは花びらが溶けてしまっていた。
まさしく花散らしの雨。
でもまだ、これから咲く子はたくさんいるので楽しみ。

先日、ネットをうろうろしていたら、こんな記事があった。
他にも、
2022/5/23(月) Yahoo!ニュース
というのがあった。
どちらももよく納得できた。
なぜなら自分のことだから。
自分が意地悪な衝動を持っていることを私はよく知っている。

だが、私は本当に意地悪か、そして日本人はそんなに意地悪な民族なのだろうか。
そもそも、意地悪とはなんだろう。
わざと人を困らせることだが、困らせるとはどういうことか。
歩きスマホの人が前から来た時、どうするか。
私は相手が普通に歩いてくるという距離感ですれ違うが、大抵はうまくいく。
歩きスマホにモーゼ道を作ってやる必要はない。
これは意地悪だろうか。

日本人はそんなに意地悪ではないと思う。
あおり運転が社会問題になって久しいが、そんなのアメリカでは50年前にスピルバーグが映画にしている(激突!)。
コロナ対策のマスクにしても、”本当に”感染対策だと思っているから着用を薦めるわけで、私も患者さんが歩いているスペースでは必ずマスクをつけている(部屋で一人になったらもちろん外す)。

人間誰しも、嫉妬や羨望の念を持つわけで、その延長上の行動がすべてスパイト(Spite、意地悪)であるわけがない。

様々な考えの人が共に暮らすこの人間社会。
意地悪をしているつもりでなくても意地悪になってしまうことがあれば、意地悪をしているつもりでも意地悪をされていると思わない人もいる。
この日本人のスパイト(意地悪な)行動論議は、ちょっと行き過ぎのような気がする。
むしろ、日本の元気が失われつつあるからこそ、今一度日本人、日本文化の持つ様々な美徳を再認識してより良い社会を呼び戻すことが大切ではないだろうか。

それは、政治の世界も同じで、国会で重箱の隅をほじくり返すようなことをしているより、もっとほかに大切なことがあるのではないかと、心配していう。
日本人としての誇りをもって大丈夫

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鎌倉の桜と椿と新緑と

2023年03月26日 | 鎌倉暮らし
ナタネ梅雨のなか、今朝も段葛の桜を、鶴岡八幡宮を通って見に行った。
源平池の桜、天気がよければ桜が水面に映るのだが、今ひとつ。
それでもそぼ降る雨の中鳩が花見をしていた。
鶴岡八幡宮の桜は7分咲きぐらいで、花冷えのせいで今日は開花はあまり進みそうにない。
これなら来週末まで楽しむことができそう。

ところで、来週末といっても、3月はまだ一週間もある。
あちこちみながら歩いていると椿の花に目が止まる。
花期の長い花だから、めくじらを立てるようなことではないのだが、今年は桜が早すぎて、一緒に咲いているのがちょっと奇異に感じる。

境内を抜けて段葛。
カトリック教会は風情があり、桜ともよく調和している。
雨のせいでさすがに人出は少ない。
それでも今日、結婚式があるようで、正装、振袖の人が八幡宮に向かって歩いていた。
以前の職場で閑職に異動させられ、結局転職したのが、その4月だった。
今がいいのか悪いのか、こうしているのが不思議だが、生きているのだから幸せなのだ。
今年は、新緑が早いような気がする。
5月の連休のような新緑の中の山桜も美しいのだが、ちょっと早すぎるような気がする。
椿と桜と新緑がいっぺんに来ている、これじゃあいっしょくただ。
これも地球温暖化のせいだろうか。

今日は寒い1日だったけど、明日から天気は回復するとのことで楽しみ。
チューリップも

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久しぶりに青春を見て

2023年03月25日 | 家族のこと
鎌倉は朝から雨。
早起きして、ひとけのない時間に見に行ったら、鶴岡八幡宮の段葛の桜は7分咲きぐらいだった。
夕刻、姪のブラスバンド部の演奏会が芸術館であり、妻と娘と一緒に聴きに行った。

そこで見たのは青春そのものだった。

ブラスバンド(吹奏楽)部というのに体育会系の私はちょっとひ弱な印象をもっていたのだが、あにはからんやみんなとてもしっかりがんばっていた。

でも姪が、”部活で部活で”と口癖のように言っていたのがよくわかった。
チームワークの良い、まとまったバンドで2時間足らずの演奏会はあっという間だった。

選曲も良かった。
レ・ミゼラブルのミュージカル曲では、”レミゼ”ファンの私、はからずも涙ぐんでしまった。

アンコールまで、若者たちのまぶしい笑顔に手が痛くなるほど拍手した。

久しぶりに青春を見て、たくさんの元気をもらった。
たまには、こういう時間もいいものだ。
いいものだ

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桜が咲かなくなる日

2023年03月24日 | 日本のこと、世界のこと
雷混じりの台風のような嵐から明けた朝、空気はしっとりしている。
シマトネリコの枝に下げておいたエサ入れが風で庭に落とされ、朝食がないことをシジュウカラが慌てていた。
植木鉢は下に降ろしておいたので、目立った被害はなかった。
まだ、曇り〜雨の日が続きそうとのこと。


先週末には都内の桜はほぼ満開だった。
病院前の桜も見事に咲いている。
鎌倉の段葛の桜は6、7分咲きだった。
明日には満開になるだろうから大変な数の観光客がやってくるだろう。

温暖化がこのまま進むと、100年ほどのちには桜が咲かなくなる可能性があるそうだ。
年中気温が高く、寒暖差がなくなってしまうせいとかで、その時桜は葉を落としたまま無言で立ちすくんでいるのだろうか。

そんな日が来ることは考えたくないが、そうなったりしたら寂しい限りだ。
温暖化を止める手立てとして私たち一人一人は何を持ち合わせているのだろう。
何をしたらいいのか、少しづつでも考えて生活したいが、人間とは自分勝手な生き物だ、自分だけはと考える人がいたらそれだけで手立ては無くなってしまう。
高校の同窓会の打ち合わせで渋谷に。
こんな雨でもスクランブル交差点にはたくさんの人、そしてハチ公前の桜は今年も健気に美しく。
咲いた咲いたサクラが咲いた

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WBCはプレイヤーも観客も、野球の楽しさに魅了された大会だった

2023年03月23日 | スポーツ・健康・ダイエット
久しぶりの濃霧。
やがて小雨がパラつき始め、今日は雨になるという予報。
ウクライナを訪れていた岸田首相は今朝無事帰国したそうで、まずはよかった。

そして、大谷翔平の八面六臂の大活躍により、WBCで優勝した侍ジャパンの面々も帰ってきた。

日本が優勝したからこそ言えることだが、野球というスポーツの楽しさが際立った大会だった。

大谷の、ドラマだったらクサくてたまらないほどの大活躍には目を見張るものがあった。
エースで、打って、ヘルメットを脱ぎ捨てながら全力疾走して、雄叫びをあげる。
巨人の星も、ドカベンも、アストロ球団も、侍ジャイアンツも、ましてやタッチも、どんな野球漫画も描くことのできなかった究極のスーパーヒーローを、内外問わずたくさんの人が目の当たりにすることができた。

さらに選出されたどの選手もフォア・ザ・チームを念頭にそれぞれの立場で活躍し、一生懸命に野球というスポーツに取り組み、さらには楽しんでいた。
あのダルビッシュに象徴されるとおり、どの選手も、野球に対してとても真面目だった。
これほどまとまったチームというものも、これまでに描かれたことのないものだっただろう。

栗山監督に至っては、これ以上の指揮官はいないと言っていいだろう。
結果があるから言えることだが、当然のごとく大谷を二刀流で起用したこと、ヌートバーを1番に据えたこと、村上を最後までクリーンアップから外さなかったこと、吉田を代表として引っ張り出してきたこと、佐々木を3月11日に登板させたこと、最後の最後まで周東をとっておいたこと、その他もろもろのことが、当たった。
それは指揮官としてすべて選手の力を最大限に引き出したことで、選手の潜在能力をさら引き出すことになったように思う。

観客も野球というスポーツを大いに楽しんだ。
私は、野球の面白さはあのダグアウトという他のスポーツにはない空間にあると思っていて。
すぐ横に仲間がいて、あちこちウロウロしながら共に応援して、共に喜ぶ。
そして何より選手は若者だが、それに引き比べると監督コーチはおっさんばかりだということ。
野村監督みたいなおっさんが苦虫を噛みつぶしたような顔で横にいるちょっとだけ若そうなコーチとヒソヒソ話するのを見るのが好きだ。
観客は日本代表の活躍を通じて通じて、人間の成長までをも見ることができたといってもいいだろう。

これほどの大会を経てのレギュラーシーズンに突入するわけで、代表選手は色々な意味で大変だろうが、一回り大きくなった姿で活躍してほしい。
水島新司もみたかったろうに

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岸田首相のウクライナ訪問で考えた日本の立ち位置

2023年03月22日 | 日本のこと、世界のこと
早朝に東逗子で人身事故があったせいで、横須賀線のダイヤがずいぶん乱れた。
朝一番に病理解剖の予約が入っていたので心配だったが、昨日、連絡を受けた時点で、念のため開始時間を遅めにしておいたので、臨床医との約束の時間には間に合った。

昨日、岸田首相がウクライナのキーウを訪問し、ゼレンスキー大統領との会談をもった。
安部元首相だったら半年は早く行っていたんじゃないかと、ちょっと遅きに失したような気もするが、わが身の危険を顧みず、紛争地に乗り込んだことは勇気のいることだっただろう、前向きに考えよう。
日本なりの支援を行うことを伝えたということだが、私はそれでいいと思う。
NATO加盟国などが軍事物資の支援をしているのに、日本は非殺傷の防衛装備の供与などのままでいいのかという意見があるかもしれないが、日本には日本にできることがある。
日本はウクライナの味方であって、ロシアのプーチン大統領による軍事侵攻は認められないということを示すことこそが大切だ。

いっぽう、同じ日に中国の習近平国家主席がプーチン大統領とモスクワで首脳会談をもった。
私の眼には、その映像がなんとも寂しそうな光景に見えた。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻というものが、対話を無視した侵略戦争であるという認識を中国は持つことができないのだろうか。

アメリカがイラクのフセイン政権を倒してから20年になるという。
アメリカだって、というわけではないが、イラクにはアメリカのために犠牲を払わされた人は少なくないだろう(「サダム時代の方がよかった」腐敗や混乱に絶望する市民 イラク戦争から20年     東京新聞 2023年3月20日)。
9.11を経験したアメリカの感情を否定はできないが、戦争をするだけの十分な検証があったのかは疑問だ。

人間は愚かな生き物で、過ちを繰り返す。
そのことがわかっているから、自らを律することを考え、たくさんのルールを作るが、金、権力を握ったものによりそれらは簡単に反故にされる。

曲がりなりにもというか、日本的民主主義が維持されているこの国は、それなりによくやっているのではないかと思うし、岸田首相の今回のウクライナへの”電撃”訪問で、それをなんとか維持することができたのではないだろうか。
あとは少子化対策を

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子供や孫に付き合うのは疲れる

2023年03月21日 | 家族のこと
関東地方南部は雨という予報だったが、薄曇りの1日で、時折り太陽も顔をのぞかせた。

朝から孫のお宮参りに赤坂の日枝神社まで出かけた。
首都高速が湾岸線も羽田線もどちらも事故渋滞で、待ち合わせの時間に間に合うかヒヤヒヤしたがなんとか間に合った。

都内の桜は5分から8分咲き。

娘によると、今日は一粒万倍日、そのせいもあってか参拝客がたくさんいた。

お宮参りの人もおおく、ほかの子供達とともに健やかな成長を祈祷してもらった。
お宮参りが終わってからは東京タワー近くのレストレランでお食い初めの会。
最年長者ということで母が儀式を行った。
お開きの後は、娘の結婚の準備で今度は銀座へ。
外国人観光客の多さに驚かされた。
大混雑の中をマスクなしでウロウロしたが果たして大丈夫だろうか?
でも、都内の感染者数は数百人で、感染者に遭遇することもあるまい。

ほんの10年前には部活の試合の応援だの発表会だのによく行ったのに、へとへとになった。
今にして思うとずいぶん若かったのか、この歳になると子供だの孫だのに付き合うというのはずいぶん疲れるものだ。
休めなかった休日

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どうしてこんなにみんなマスクが好きなのか

2023年03月20日 | 日本のこと、世界のこと
飛び石連休の中日。

昨日に続いての晴天だが、これも今日までで、明日の春分の日はぐずついたてんきになりそうだという。

今日を休めば4連休となるせいか電車は空いている。
そんな車内だが、みなさん、相変わらず頑張ってマスクをつけていて、こちらこそ頑張って外しているが、なんとなく気まずい。
さらには今の季節思い切って外すと、乾燥気味だからか、黄砂と花粉のせいかで喉が痛んで、そのせいで咳が出そうになり、あわててつけ直すことになって面倒臭い。
それにしても日本人はマスクが好きだ。
日本人がマスクで顔を半分隠したがるのはなぜなのだろう。
花粉症の人が多いからか、潔癖症の人が多いからか、それとも電車の乗り降りのたびにつけたり外したりしなくてはならないので、結局つけっぱなしになるのか、などなど考えたが、着用率がほぼ100%というのは尋常じゃない。
もっと切実な理由があるのではないか。

やはり顔の問題だろうか。
日本人は童顔の人が多い。
顔が大きく、くりっとした大きな目は間が離れていて、鼻は低く、口は前に突き出ている。
マスクで鼻から下を隠すと、鼻と口が見えず、童顔がより強調できる。
口紅が不要になるというのもあるだろう。
そういう目で周りを見回すと、ほとんどの女性は同じような顔をしている。
テレビニュースのインタビューではこのことに触れることはないが、これが実際なのではないだろうか?
男性は容姿にあまりこだわらないせいか、鼻マスク、顎マスクも多く、ただ単に外すのがめんどうなだけという人も多いような気がする。

顔はその人の人格を表す重要なパーツだが、日本人の多くがそれを半分隠して生きることを当たり前のように考えている。
そのうちマスクも下着に分類される!?”と嘆いたのは、かれこれ3年近くも前の2020年の8月。
下着に分類されることはなさそうだが、下着同様の感覚でマスクをつけている人は少なくない。
今、私が会う人は、かつてのノーマスクの頃に知り合った人がほとんどだから互いの顔を知っているが、マスク時代になってから知り合った人の素顔はわからない。
この先、マスクで顔を半分隠した人と人間関係を構築していくのは結構難しいのではないかという不安があたまをよぎる。
なんだかよくわからない

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学会は現地での対面形式がいいか、オンライン形式がいいか

2023年03月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
気持ちのいい晴天だが、昨日に引き続き今日も学会で家に蟄居。
昨日の学会は都内で対面+ウェブのハイブリッド形式での開催、今日の学会は完全オンライン。
ベランダで日向ぼっこしながら視聴した。
学会はどこかに集まって対面で行うのがいいのか、それともオンラインで行うのがいいのか、はたしてどちらだろう。
人によって考え方は違うので一概にどちらとはいえない。
会場まで行くのが手間だという人は少なくない、なにより金がかかる。
会を運営する側にしても、会場費のことを考えるとオンラインの方がずっと楽だ。
一方で、ディスカッションが盛り上がるのはやはり対面だろう。
口角泡を飛ばして、という風景はもはや昔のものとなったが、喧々諤々というのは誰が喋っているのかわからなくなるのでオンラインではできない。
それでも逆に考えると、声の大きい人がその場を制する、ということは無くなるので、オンラインで行儀良く発言する方がいいのかもしれない。
それはさておき、昨日は学会が終わってから、数人で食事を食べた。
学問以外の情報交換ができるという意味では、やはり対面の学会の方がいいと思うが、飲み代を考えると家飲みで済むオンライン形式の方がいいのかもしれない。
飲まなきゃいいか

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死者の魂と病理解剖

2023年03月18日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
ナタネ梅雨の走りだろうか、寒の戻りも重なって肌寒い。
昼から都内で学会があり、その前に先日亡くなられたご近所さんのところに、最後のお別れをしにお伺いした。
亡くなられてから数日が経って、魂はまだあたりにいるのかもしれないが、もう体からは抜けてしまっているように見受けられた。

個人的な状況だと魂の存在を感じるが、病理解剖の時はそれを感じることがない。
解剖をする時は病理医という科学者になっていて、科学的にその存在を証明することのできない魂というものは感じることができないのか。
逆に、個人的な状況ではなぜ魂の存在を感じるのか。

おそらくは、個人的な状況では記憶が魂の形成に深く関わっていて、それは思い出と共にやってくるからかもしれない。
病理医として対面するご遺体には記憶はほとんどない。
あったとしても、生前に自分が病理診断を行ったことがあるかどうかぐらいだ。

亡くなった人、ペットは、残された人の心の中に生き続ける、この言葉はその人の記憶が残された人の中で生き続けているということなのだろう。
さようなら

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どうせやること 面倒ならば すぐにやる

2023年03月17日 | 生き方について考える
冬の間に植えた花がここを先途とばかりにあふれんばかりに咲き乱れ、これはちょっと多過ぎたかとも思えるほどだが、毎日楽しみながらそれぞれを愛でている。
花苗から育てた子が多いが、こぼれ種から育っている子もいるし、ホトケノザのようにしっかり根付いて育っている子もいる。

人間至るところに面倒ごとと、人間関係には面倒なことが多い、とつい先日書いたが、それ以外にも世の中には面倒なことがこれでもかというほどある。
面倒なこと、というのを換言すればそれはいつか解決しなくてはならない困難なことで、先延ばしにしておけるのなら面倒でもなんでもない。
いつか取り組む、すなわちどうせやらなくてはいけないことでもすぐにできる簡単なことと、そうでないことがある。

面倒か、面倒でないか。

今私が抱えていることのうち、面倒なことは、
・来月の病理学会の発表準備。
・某研究会の総務幹事としての勉強会開催の準備。
ちょっと面倒なことは、
・研究費の申請書の作成に関すること。
・改訂版執筆のための資料の渉猟。
・来年の還暦同窓会の準備。

職場の自分のデスクに座った途端にまだなにかあるのを思い出すかもしれないが、いまのところざっと挙がるのは、これぐらい。
ほかのことはそう面倒ではないということだろう。
ちなみに、今、面倒でないけれどやらなくてはいけないことはあるが、それは家庭内・家族間のことで、そのうちどうせやること、ここで触れることもあるだろうから、ここでは割愛。

やらなくてはならない面倒なこと、というのはすなわちToDoリストに載ってくることで、結局のところToDoリストがあるということは世の中の多くの人が面倒でやりたくないけど、やらなきゃいけないことをいかに抱えているかということを示している。

ToDoリストのいいところは締め切りが明示されているということだが、そうすると締め切りまでの”猶予期間”がわかってしまい心はつい緩んでしまう。
もちろん、ToDoリストは利用すべきツールだが、頼り過ぎず常に、どうせやるならすぐにやるという習慣を心がけておくのがいい。
さらに、やらなくてはならないことが面倒ならば余計にそうするようにしたらいいだろう。
やる気スイッチ

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