こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

年の瀬は静かに暮れて

2022年12月31日 | 日々思うこと、考えること
曇りがちの大晦日。
ほぼ無風の穏やかで長閑な1日となった。

朝のうちに年賀状用の写真を妻と娘とフィアンセとで鶴岡八幡宮まで撮りに行った。
まだ、8時過ぎだったのに、ずいぶん多くの人がお参りに来ていた。
大掃除に、お墓参りにと朝からあれこれやっていたらいつの間にか紅白が始まっていた。

今年は、コロナ、ウクライナ、安倍元総理の暗殺に統一教会問題、内閣辞任ドミノ。
私的には仕事は無難に終わり、下も入ってくれ余裕ができた。
暮れになって孫が産まれ、娘が今日フィアンセくんから正式にプロポーズされた。
どれも、年を重ねるたらやがてやってくることばかりで、当たり前と言えば当たり前のことだが、健康のうちにこれらのことを迎えることができるのは幸せだろう。

来年は厄年。
好事魔多し、何が起こるかわからない。

短気、意地悪など厳禁、穏やかな気持ちで過ごしたい。
みなさま良いお年を

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今年のボツ記事 2022年

2022年12月30日 | 日々思うこと、考えること
庭仕事は大体終わった。
お節料理の手伝いも適当にやりなたら一日をすごした。
今日は年末恒例の、今年のボツ記事。
今年は、


鼠害ならぬ栗鼠(リス)害対策をどうしよう・・・1月14日
鼠(ネズミ)害という言葉があるが、鎌倉では今、栗鼠(リス)害が深刻だ。栗鼠、すなわちリスはネズミ目の動物でかわいらしく、観光客が喜んで餌をやったり、写真を撮ったりしているが、いい迷惑で、鎌倉のみならず日本各地で増えて、生態系への影響や、社会生活への影響が懸念されている。いるのはタイワンリスというニホンリスよりも大型の個体で、餌が減る特に今の時期に悪さをする。

寒いのはちょっと・・・1月18日
老後は軽井沢か八ヶ岳か北海道に住みたいと思っていたが、このところのそれらの地の気温をみるとおじけづく。

マルチタスク処理能力をもっと有効に使えないか・・・1月24日
ヘッドフォンで音楽を聴きながら通勤電車に乗って、駅に着くと物凄い音量の発車ベルという名のメロディーがホームに流れる。ほぼ同時に発車するから電車から離れろというアナウンスが流れ、車内でも車掌が同じようなことを言っている。
大きな駅だと隣のそのまた向こうのホームからの音も聞こえてきて大変な音量となってその辺りの空気を震わせている。それなのに私の耳はヘッドフォンからの音楽を注意深く聞き分けている。さらにはスマホの画面内の新聞記事を選んでいる。

ブログのお手入れ・・・2月10日
 先日、ブログのテンプレートを新しくしたら、あるブロ友さんにこのブログを名指しで、

 ブログでこれをやっちゃあだめなんだよ

と書かれてしまった。さらに、このブログを友人に勧めていたものの、

 勧められたから読んでいたけど、最近このブログつまらないですね

と話しているということまで書かれた。

 気にしなければいいことだけど、尊敬しているブロガーさんにそう書かれてしまったのには落ち込んでしまった。

ノウハウをいかに商品化するか・・・3月16日
通勤電車の車内広告には、

こうやったら成功する、上手くいく、といった類の書籍が溢れている。

一昔前よりもむしろハードルが下がったのか、出版を目指すことを指南する本もあったのをみて驚いたが、コロナ禍も手伝って、出版業界は寧ろ活況なのではないかと思う。

生きることってむずかしい・・・3月23日
なにげなく息をして、なにげなく眠り目覚める。当たり前のように、空から降ってくる水を飲み、他の命をいただいて、自分の命の糧としていきる。人間誰しも同じようなことをしていて、今まさに多くの人の命を奪う暴君も、その暴君によって命を奪われている人たちもほとんど変わらないのに、今ウクライナで起きていることの悲劇はどうして止めることができないのだろう。

今後の戦況は・・・3月29日
 対空ミサイルスティンガー、対戦車ミサイルジャベリンといった高機能な兵器で戦うウクライナ軍を、ただただ戦車を何両も並べ、携帯電話で連絡を取り合っているようなロシア軍が制圧することはまずないだろう(というか演習だといって連れてこられ、さらにはそんな戦いをやらされているロシア兵も気の毒だ)。今行っている、ミサイルによる無差別爆撃も弾が尽きたら次は生物兵器、化学兵器の使用という非人道的な掟破りの行為が行われ、最終的には死なばもろともと、核兵器の使用も辞さないだろう。

ロシアが次に攻めてくるのはこの国かもしれないとの覚悟を持つ・・・4月18日
 岸田政権は、ロシアによるウクライナ侵攻に対して毅然とした態度で臨むことにした。サハリン2のような未解決の問題は残っているものの、国際社会での行動はロシア制裁に突き進んでいる。欧米の後追いとの論調も一部にはあるものの、体半分程度の遅れで着いて行っているのは大したものだと思う。すなわち、現政権は露中連合との対決を選んだということで、NATO、日本以外のG7と違い極東にポツンとある島国としては相当な覚悟を要する決断だったはずだ。それに、BRICSの残り2か国、すなわちブラジル、インドもロシアに対しては対立を避ける立場を取っているから、もしかするとロシアは経済制裁を耐え抜く可能性だってある。なんといっても独ソ戦を戦い抜いたスターリンの国だ。万が一、経済制裁に失敗してロシアが息を吹き返すようなことがあったら日本はどうなるかを想像しなくてはいけない。対岸の火事とばかりに安閑としていることはできないのだ。国民全員で対ロシア、さらには対中国、対北朝鮮問題を共有し、韓国、台湾、フィリピンなどとの軍事的連携を協議することなどを議論しなくてはならないはずなのだがそういう機運はどうも盛り上がらない。国民一人一人は、心の中で問題意識を持っているのだろうけど、そういう議論をオープンに行う空気を作らなくてはいけない。

 ガソリン高騰で世界中の運送業界が悲鳴を上げている。ロシアによるウクライナ侵攻に伴ったもので、サウジアラビアをはじめとする中東産油諸国が石油増産に踏み切らないため、大変なことになっている。石油備蓄の放出ということで対応するようだが、それもいつまでも続くわけではない。私たちの耐乏生活は案外目前に迫っている。これまで当たり前のように享受してきた生活が縮小し、最後にはそれらが失われてしまったときに私たちは何を考え、どう行動するだろう。そうなったときにウクライナの人たちへの支援を続けることはできるのだろうか。

 ロシアは外交官8人を国外退去処分にした日本に対し、「報復措置をとる」と宣言した。互恵関係がどうのと言っているようだが、北方領土問題が解決できていない状況でこの言い草はあり得ない。
オピニオンリーダーの出現を待つ

結局、やる人はやっていた・・・4月23日
先日、アラ還病理医の挑戦として日本病理学会の認定する分子病理専門医試験に合格したことを報告したが、4月1日付で日本病理学会認定分子病理専門医名簿が病理学会のHPに掲載された。知らない(おそらく多くは若手の)病理医がたくさんいる中で、私と同じぐらいの年の先生の名前もちらほらある。

高度医療の集約化は、患者さんの利益はもとより医療者のQOLの向上、医療費の削減にも必要なことで、上に立つもの率先垂範して資格を取らなくてはならない。

正直者が馬鹿を見るという、では正直者とは誰のことか・・・5月10日
 正直者が馬鹿を見るという言葉がある。この場合の正直者とはどんな人のことを指すのだろう。善良な人?正しい人?間違ったことをしない人?どんな言い方をしても、正直者とはつねに自分自身だ。自分に対して自分は嘘をついていない、自分のしていることは常に正しいし、自分は間違ったことはしていない。自分のしていることを正しくない、間違っていると言われてもそれは他人が決めたことに過ぎない。どんな悪人でも、自分は間違ったことをしているとは思っていない。その過程において間違っていることがあるかもしれないが、そうする理由はある。

善良な人というのにたまに出会うことがある。私自身が後ろぐらい人間なので、後ろ暗い人と話すと、その人自身の後ろぐらさがわかることが多い。善良な人は後ろぐらさの微塵も感じさせない。だが、人の生き方が多様となるに従って、善良であることとはどのようなことなのかが曖昧になってきたように思う。
せめてその時々信念を持っていたらその信念が拠り所になるが、この時代はそれすら無くなってしまった。

その人の人生は後悔することの多いものとなる。そのような信念もしくは夢とも置き換えることができるかもしれないものを持ち続けていたいと思う。

善良であればそれは正しい生き方であるということすら疑われてしまうのが現代社会だ。

誰が高貴で誰が低俗かということも、民主主義の時代にあっては定義することはできない。

他人は他人、自分は自分と考えることが生きていく上では大切だ。

PCスマホタブレットによる”検索”勉強は紙の書籍による勉強に劣る・・・5月17日
病理診断のために標本を診ているとよくわからない所見が突然出現してくる。先日もある組織が特徴的だがしょっちゅう見るわけではない像を呈していた。知っている所見なのだが、それをどう解釈してどのような用語だったかを忘れてしまい、まずはネットで調べてみた。これが、臨床診断のついているような疾患だったらキーワードを入力したら比較的容易に答えに到達できるのだが、その時はたまたま剖検例で、その所見のあった臓器も主病変とは関係なかったので、”答え”は見つからなかった。そのあと、教科書を2,3冊引っ張り出して調べているうちに私の求めていた所見が出てきて診断を進めることが出来た。

 ここで気が付いたことがあった。PCにしてもタブレット、スマホにしても調べごとをするときというのは、最初に来るのは個人個人が想像できる範囲内であって、その範囲外のことはいつまでたってもわからないのだ。

インターネットを使った、”検索”による勉強には限界があるのだ。電子書籍はこれに対抗できるかのように見えるが、紙をばさばさめくるという簡便さには到底かなわない。

エロ漫画広告を見て思うネット広告の進歩・・・6月24日
いわゆる成人雑誌ではなく、

最初は駅売雑誌、コンビニが広がってからは雑誌コーナー、そして今やネットの無料サイトにエロ漫画の広告をよく見る。私が男だから余計にそうなっているのかはわからないが、とにかく上手に読ませようとする。

団塊世代に望む総括という終活・・・7月11日
安倍元首相が暗殺され、良きにつけ悪しきにつけ団塊世代が生まれ育った戦後というものが終わったように思った。
安倍さんは67歳と若く、年齢的には再登板があっても全くおかしくなかったし、不祥事のほとぼりがさめたら実際にそうなっていたかもしれなかった。
ポスト団塊世代として、団塊世代が通り過ぎた昭和、平成の後始末をつけるべく奮闘してきた。

団塊世代の人は、”ダンカイ”として十把一絡げにされるのはいい迷惑だろう。
そもそも好き好んでそんな時期にいっせいのせで生まれたわけではなく、たまたまそうなったに過ぎない。

それはそうなのだが、団塊世代の人は学生運動を満喫し、高度経済成長を満喫し、バブルを満喫し、挙句の果てにその蓄積を食い潰したように見える。
個人個人がそうしようと思ってやったわけではなく、結果としてそうなっただけで、もちろんそれぞれの人がなにか悪いことをしたわけではない。

こうやって団塊世代のことを書くと、少し下の人間はすぐにダンカイ批判をする、あのぐらいの世代の人間は団塊がとにかく大嫌いだから、とか決めつけて、被害者ヅラすらする人もいる。

論点はそんなところではない。

良くも悪くもこの国の価値観を変えてしまったから、他の世代によって批判されるので、アンポやバブルの総括をすべきなのにそういったことはせず、いよいよ後期高齢者となる今は医療費の心配しかしていないように見える。

自分達の世代は自分達の目から見て一体何だったのか、時代の真ん中で生きていた時、何を考えていたか、そして、未来に何を残すことができるのか、いまからなにかできることはないか?
そういうことを考え、発信することはできないのだろうか?

語ってほしいのは、この国の未来についての建設的な考え方だ。
 
安保闘争で爆発させたエネルギー、バブルに浮かれたエネルギーはもう残っていないのか。
このまま、終わったらそれこそ食い逃げではないだろうか。

民主的な方法で選んできた政権に対して今さらどうこう言っても仕方ないのでは?・・・7月20日
近頃のネットでの体制批判にはついていけないものがある。
暗殺された安倍元首相の国葬についても、賛否が分かれているが、分かれているかのように見えているだけのことではないだろうか。
国葬がどんな経緯で決まったことなのかはわからないし、個人的には疑問がないわけではないが、現政権が決めたことであるならば従うべきではないだろうか。

政権の横暴とかなんとか言って、批判するが、公正な選挙を経て選んだ人たちが決めたことなのだから今さらどうしろというのか。
それを少数派の意見だなんだとネットを利用して、いかにも大きなうねりでもがあるかのように見せかけるのは間違っている。

あれこれ声高にいう人はそれ自体が非民主主義的な行動だという事がわかっているのだろうか。

維新の松井代表が、自民党の底力というか地方組織の強さに舌を巻いていたが、自民党はこの国の選挙システムをもっとも正しく有利に使っている。
そしてこの国の民主的な選挙システムというものが正しく機能しているということは、二度の政権交代が証明している。
自民党が悪いわけではなくて、何もしないうちに自滅した野党が不甲斐なかったわけで、こういう議論になるたびに違和感を感じてしまう。

ネットではほんの一握りの人の言い分が大きく、そしてそれがさも正しいかのように聞こえてしまう。

それぞれの事象を、重箱の隅をつついて騒いだところで問題の解決にはまったくなっていない。

暇つぶしに、現政権の悪口を並べ立てたところでなんの解決にもならない。
そんな人たちは、先日の参議院選挙において投票率を上げるために何か努力をしたのだろうかと問いたい。

私など、ほんの一票であっても考えに考えて投票先を選んで入れた。
で、結果はご存知の通りで、松井代表の弁となる。

繰り返しになるが、ほんの20年前には政権交代が行われていたわけで、この国の民主主義は守られている。

みんなで議事堂に行こう

などと扇動する大統領もいない。
非合法的な勢力と結んでいるとかいうが、そんなことをいったらキリがない。

私がブログを読んでもらいたい人(仮)というのが少し見えてきた・・・7月21日
ブログを書いていると、アクセス数とかその順位、いいねの数なんていうのが気になっていたが、最近少しその度合いが薄れてきたように思う。
もちろん、いまでもナイトとコロのいいねボタンを貼り付けているので、その気が全くなくなったわけではないが、少なくとも順位とかそんなのに意味というか、それを目標にしてもしょうがないということがわかってきた。

トップクラスの人のブログを読むと、私のブログとは全く視点が違う。

だいたい、
人生とは、
生き方とは、
なんてのを読みたい人がどれほど世の中にいるだろう。

少しだけ遅刻してしまうこのところの私・・・7月22日
今朝、目の前で若い女性が崩れるように倒れた。声がけしたらすぐに立ち上がってくれたのと、脈を取ったら特に問題なく、聞いたら持病も無いということで、私の降りる次の駅まで座らせて行こうかとしたら、どっかのおばさんが、

そんなことして大丈夫なの?
降りた方がいいんじゃない?

と大声を出しているので仕方なく降ろした。駅にはベンチがないので仕方なく歩いて駅員を探したものの見当たらず、女子トイレに行きたいというのでそこまで連れて行った。そのあと駅員を探してトイレの前まで連れて行ってあとは託したが、大丈夫だっただろうか。

あれは一駅乗せて様子を見てからでもよかったのではないかと思うが終わったことなのでまあ、いいだろう。

それよりもまた遅刻だ。せっかく電車が順調に走っていたのに不意打ちのようなものだ。

昨日は大雨で早めに出たのに、どこかの駅で傘がドアに挟まったとかでやっぱり遅刻。

線路内立ち入りだとかホームからの転落はしょっちゅうだし、今日だって非常ボタンを押してもよかったのだが、それはやめておいた。それはそれで駅員がどこにもいないという事態があるということは勉強になった。

いやそんなことではなく、最近うまくいかずに少しだけ遅刻することが多い。
2、3分なのだが理由を届けないと事務方に呼び出されて嫌味を言われる。またか、みたいな感じだが、仕方ない。

コンコースを早足で歩けるうちは大丈夫か。

犬の一生・・・8月2日
マルチーズのコロが日に日によわっている。
9月の16歳の誕生日を迎えることができるか難しそうだ。

時間切れまで何をしようか・・・8月15日
日本人男性の平均寿命が81歳で、前年より少しだけ短くなったとのこと。
平均寿命なんてずっと先の話だと思っていたが、あと20年ぽっちで自分の生きる力が失われるのが案外すぐなんだと感じる。
それまでどうやって生きたらいいのかよくわからないが、人様から仕事を頼まれている限りはやるしかないだろう。

後回しとは逃げること・・・8月16日
これほどやらなくてはいけないことがあるのに、ついブログのエントリーを書いてしまう。
これが完全に逃避なのは自分でもわかる。

しつこい人の素早い動き・・・8月20日
私の専門分野と重なる領域の研究を行っている人がいる。
以前、私が勤務していた施設には病院と研究所があり、私は病院に勤務していた。
彼女は研究所に勤務する研究者で、かつては臨床医だったが、今は研究者として世界的な研究成果を次々と出し、それこそ日本の研究レベルを支えていて、私がそこを辞めた後もそこでずっと仕事をしている。
論文化して世に出す意義のあるような症例について、その所見をとってくれと依頼してきて、私は彼女の書く論文のうち病理所見の部分を担当して共著者として名前を入れてもらっている。

つい最近、そんな症例がまたあったので仕事を引き受けた。

自分の名前を入れてくれるから、というよりはとにかくしつこい。
難しい所見をどう書いていいかわからないで、2、3日返事を延ばすとあっという間に催促が来る。
そんなことが何度かあったので、今ではもう、彼女からの依頼は断らないようにしている。

だが、しつこいだけはなくて、とにかく早い。
構想はだいぶまとまっている状態で書き始めるのだろうが、顕微鏡写真を送ったその3日後にはドラフトを送ってきて、病理所見に関するところをチェックしろといってくる。

まあ、研究者なんてそれしかやっていないというか論文を書くのが仕事だし、論文は形式さえおさえたらあとは雛形通りに書けばいいからと言ってしまえばそれまでだが、それにしても早い。
できる研究者というのはこういうものなのだと仕事を一緒にするたびに思う。
翻って私はというと、掛け声倒れの気配があり、力不足を日々実感するばかりだ。
研究テーマはあるのだが

偶然見つけた大谷翔平についての過去記事・・・9月12日
エントリーを書くのにあの頃はどうしていただろうかと振り返っていたら、


というタイトルがあったので、開いてみたら、大谷翔平の5年前の足の怪我のことについて書いていた。

安倍元首相の国葬とエリザベス女王の国葬、そして統一教会と英国国教会・・・9月16日
国葬

しがみつきたかったけど、ついに引導を渡されたのか・・・10月26日
旧統一教会との付き合いの深さを否定できないまま辞めることになった。

私たち高齢者の未来に対する責任・・・10月28日
いまさらながのはなしだが、『祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい』(And so, my fellow Americans, ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.)
ジョン・F・ケネディ米大統領の名言として有名ですが、いまの時代にも同じことが言えます。

群衆というものが形成されるシステムとその危険性・・・11月1日
どのぐらいの人が集まると群衆となり、どのぐらいから危険になるのだろう。

上手(うま)く生きたいのか、上手(じょうず)に生きたいのか・・・11月1日
私は自分の人生に自信がない。
生き方に自信のある人などいるのかと思うが、そもそも生き方に自信があるだのないだのということを考えること自体馬鹿馬鹿しいことなのかもしれない。
でも、私は上手に生きることを願っているし、生き方が上手な人が羨ましい。

どんな人が生き方が上手なのかというと、私の基準だと、

会うといつもニコニコしていて愛想がよくて、決して人のことを悪く言うようなことはない人。

これは、私に対してだけそうしているのかもしれないので、

人のことを羨ましいと思う時点で、生き方が下手なのかもしれないが、言い方を変えたら、上手に生きたいということかもしれない。

実際に生き方が上手な人というのがどんな人であるかは実物に会ってみないとわからないが、これまでの人生でそんな人が一人いた。
ならばその人の真似をして、そう生きたらいいのに、私にはそれができない。
なぜだろう。
どうしていつもそんなふうにしてられるのか尋ねたことがあるが、その時は、瑣末なことをいちいち気にしていないということを言っていた。
私のようにいちいち人の揚げ足取りのようなことを考えていてはイライラして笑顔も消えてしまうし、人のことを悪く言ってしまうことになる。
その人のように生きることができないのならば、別の上手な生き方を模索したらいいのだが、なかなかそれが見つからない。

上手に生きているなと思える調子のいい時、というのはある。
だが、好不調があっては生き方が上手だとはいえないし、ただ単にそれはただ単に”上機嫌”ということにすぎない。

難しいものだ。

うなされて目が覚めた・・・11月13日
なんであんな夢を見たのだろう。
病理学会の会場のようなところで

医療への文句にキリがないのはどうしてだろう・・・12月7日
昨晩は外科の腫瘍切除手術が長引いて、迅速診断の依頼を受けていた私たち病理診断科も遅くまでお付き合いした。
病理はこぢんまりしていて、病理医が運ばれてきた検体を処理するためにあれこれ指示して、手を動かして、臨床検査技師がこれを補助する。
一方、手術室の方は外科医のほかに麻酔科も看護師もいるし、外科は術者、外回りといて、大変な人数だ。
考えてみると一人の命を救うために、短時間とはいえ、その一人を囲んで数え切れないほどの人間が関わるのだから医療とはお金がかかっても仕方ない。
医療は人件費がほとんどと言われる所以だ。

男のジレンマとドメスティックバイオレンス・・・12月13日
女性の社会進出はすなわち男性の既得権益を奪うことだ。
人手が足りなくてアップアップしていても、自分の仕事が取られるのは耐えられない。
20年位前、某大企業に勤務していた友人が、年下の女性の上司のもとで働くことになったと

そんな医療への不満が多いのはどうしてだろう。

ウクライナ 暗殺 コロとのお別れ
ボツでもそれなりに

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分不相応というかミスマッチというか

2022年12月29日 | 日々思うこと、考えること
そこいらじゅうの電線に張りめぐらされていた蜘蛛の巣が、いつの間にか消えていた。
隣家の引き込み線にかかっていたわが家のベランダからよく見えていた蜘蛛には1号、2号などと名前をつけて週末ごとに動向を観察していたのだが、それももうできない。

冬至を過ぎたと言っても、日は急に長くならないようで、せっかく休みに入ってゆっくり庭仕事をしたかったが、おひさまが西の山の向こうに入ったらあっという間に冷えてきたので急いで片付けた。

そんなことをしながらも、仕事のことを時々ふと思い出す。
それなりに良い一年だったが、今度はうまくいかなかったこと、新たにやらなくてはならないことを考えてしまう。

近頃わかってきたのは、それぞれの人の能力。
この歳になって、自分の能力と社会的立場がどんなところに落ち着くのかがわかってきた。
この程度の能力だとこの程度のポジション、ということで、できる人はそれなりのポジションにいくし、ダメな人はそれ相応のポジションでしかない。

自分より年下の人がほとんどとなると、大体の人はそれ相応のところにいるが、あんたじゃ無理だよ、というようなことが起こっていると、解決するのはなかなか難しい。

分不相応というかミスマッチというか、そういうことは世の中さまざまなところでみる。
一番分かりやすいのは政治家だが、役人だって、会社だって、いろいろなところで、能力のない人が上に立っているのはよく見る話だ
そういう人に限って自分はそうではないと思っている

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仕事納めの日に寄せて

2022年12月28日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
朝は少し曇りがちだったが、そのおかげでそう冷え込まずに済んだようだ。
昨日、根を詰めて仕事をして、溜まっていたものがずいぶん片付いた。
ずいぶんといっても、件数にしたら大したことはなかったが、最大の難題だった査読を片付けたは自分にとっての朗報だった。
ナントカ詰まりではないが、これでスッキリして次の仕事に着手できそうで、あとは年内に原稿を仕上げてしまい、年明けにはいよいよ著書の改訂版に着手したい。

私は今日が仕事納め。
世間的には暗い話題しか思いつくことのない一年だったが、仕事上は弱音を吐くこともあったが、なんとか一年やってくることができた。
一人病理医でスタートしたが、七月に病理医志望の若手医師が加わった。
初めのうちは、医師として歩んできた道が異なったということもあって、分かり合えず、辛い思いをさせたこともあったが、最近、少しずつ歯車が噛み合ってゆっくりだが回り始めたような気がする。
他の病院からも、専門病院であるここで少し勉強したいと若手の医師が月に二、三度顔を出して標本を見たり、ディスカッションしたりに来るようになった。
知らないことは知らない、と開き直ってここまでやってきたが、彼らの前でも知ったかぶりをしないで必要に応じて一緒に勉強するのがかえっていいのかもしれない。

とはいえ病理医としての全責任は依然として私にあり、相変わらず日々緊張している。
専門病院であるが故に、私自身も個々の症例は経験することが少なく、そんな症例が出てくるとその都度診断に苦労している。
とはいえ、がんゲノム医療連携病院の病理部門の病理医としてはしっかりしなくてはいけない。
せっかく、分子病理専門医という資格もとったわけで、定年まではもう一踏ん張り。

検査科としては今年ISO15189の認定取得に向けて整備してきて、認定まであと一息というところまできた。
専門病院のそう大きくない規模の検査科でこの認定をとることは、当初は大変そうだったが、職員一同よく頑張った。
さらには検査技師のトップである技師長が大変立派な人物で、彼に引っ張られてここまでやってくることができたと、感謝の念に堪えない。

アラを探せばいくらでも出てくるが、考えようによってはどれも塞翁が馬で、結局のところ自分にとって無駄なことはない。
何かとズッコケの多い人生だが、今年は人に恵まれていると実感できたという意味では良い一年になったと言える。
通勤は辛かった

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お弁当はどのぐらいエコか

2022年12月27日 | 家族のこと
お弁当が出来上がり、大急ぎで写真を撮り、蓋をして大判のハンカチで包んでから、水筒・ウェットティッシュ・予備のマスクなどを入れている手製のハンドバッグに入れたら、もう出かけなくてはいけない時間ギリギリだった。
慌てて出てきたら、仕事に持って行くメインのバッグを持たずに、このハンドバッグだけ持って出てきてしまって、朝から妻と大笑いした。
明日のお昼は検査科の職員会から忘年会の代わりのお弁当が出るので、妻に作ってもらうのは今年は今日でおしまい。
1年間、美味しいお弁当をほぼ毎日作ってくれた妻にはとても感謝している。
明日も食べたいのだが、仕方がないし、妻も一日仕事が減ったら、それはそれで多少は楽だろう。
今日はトンカツ弁当。
写真は蓋をする前に撮るので、ソースはかかっていない。
トンカツの下には千切りキャベツが敷いてあって、これが油を吸ってくれるのでいいらしい。
わりと大きな卵焼きは毎日入っている定番メニューだが、ほかは日替わりで、よくぞこれだけバラエティに富んだものが出てくるものだと感心する。
卵焼きにもいろいろ入っていて、今日はしらす。
ちなみに、ご飯は1回で3合ほど炊いて小分けに冷凍しておいたものを、私が解凍し、弁当箱に詰めて用意しておく。
ふりかけは、近所にあるふりかけ専門店のもので、あってもなくてもいいと思っていたが、彩りがなくてはいけないという妻の主張で、こうしてかかっているが、美味しい。
ちなみにご飯は3回に2回ぐらいは私が炊いているのだが、今は、娘のイタリア人のフィアンセ(大学院生)が同居しているので回転が早く、結局妻が炊いてくれている。
当然のことながら若者はよく食べる。
あと、家庭菜園の最後まで頑張っていたミニトマトを入れてもらったのだが、トンカツと卵焼きの間にはまって見えなくなったが、もちろんおいしくいただいた。
ちなみに、これは去年の最終日のお弁当。
妻が使っていた弁当箱で、これだと思い通りのものができないからと、ある日大きなのを買ってきて、それ以来そのまま使っている。
毎日コンビニ弁当を買うよりはよほどエコだろうが、あまり口に合わなくても食堂を使った方が大量生産だからエコになるだろうか、いずれにせよお金の節約にはなっている。
以前の1.5倍ぐらいで、ご飯は180~200グラムになり、ちょっと太ったような気がする。

もしも妻と私の仕事の分担が逆だったとして、毎朝、お弁当を作り、出かける時間までに仕上げて、いつも乗る電車に間に合うよう車で駅まで送るなんてこと、私にできるとは思えない。
帰ってからはあれこれの家事もあるし。

住職近接で、都内のマンションにでも暮らしていたらこうまで忙しくはないだろうと思うが、そうなったらそうなったで、また別のことで忙しくなるだろう。

今週はゴミの回収も順次終わるので、今朝も分別作業が忙しかった。
これぐらいのことは私もやっているが、分別内容は細かくて、出す前に妻のチェックしてもらわなくてはならない。
フィアンセ君は娘が仕事に出かけてしまうとあとはすることがないので、ゴミ捨てを手伝ってくれるが、国では分別などなく、少々不満のようだ。
それだと日本では暮らせない

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次は正月を迎える準備で忙しい

2022年12月26日 | 日々思うこと、考えること
今日も快晴。
冬休みが始まって、通勤電車から学生が消えて駅のホームの混雑も無くなった。
あと3日休みを取れば長い連休となるからか、勤め人もだいぶ減っている。
昨晩は妻と私とで、銀座から丸の内まで彷徨ったが、江ノ島のクリスマスイルミネーションを見に行った娘とフィアンセの彼氏はもっと大変だったみたいだ。
今朝、顔を合わせたら、何もできなかったとぼやいていた。
こういうのは日本だけの話なのだろうか。
そもそもクリスマスという行事は、それぞれの人が属する教会に集まってお祝いするもので、どこか一ヶ所に集中してどうこうするようなものではないような気がする。

鎌倉に戻った時には観光客はほとんど帰っていて、立ち寄ったスーパーの花屋の前には正月飾りが並んでいた。
妻も、今日から正月を迎える準備に入るらしく、フィアンセ君にもいろいろ働いてもらうつもりのようだ。

昨晩、ひとけのない鶴岡八幡宮の境内を歩いていると、屋台の場所を示す白線が引かれていた。
今週末にはここが初詣の人でごった返すのかと思うと気が滅入るが、鶴岡八幡宮には私だって学生時代に何度も初詣に来ていたのだから、こればっかりは文句は言えない。

銀座には外国人がたくさん歩いていて、インバウンド景気は確実に戻ってきていることを実感した。
韓国、台湾からの人が多いようで、同じ東洋人同士あまり目立たないという点ではいいだろう。
日本がどんどん、アジア域内で普通の国になるに従って、中国、東南アジアを含めた国々からの観光客が増える。
日本という国に”商品価値”があるうちに、日本とは逆にどんどん裕福になっていくこれらの国との文化的交流がこの地域の平和と安定に繋がって行ってくれるといいと図らずも考えた。
仕事もやり残したものがないように

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クリスマスディナーは結局わが家で

2022年12月25日 | 日々思うこと、考えること
一昨日、孫が退院したので、嫁の実家まで妻とお袋とで顔を見に行った。
家は都心にあり、妻が帰りにどこかで食事でもしたいというので、電車で行った。

孫はしっかりした顔をした、大きな声でよく泣く元気な子で、ひとまず安心した。

小一時間ほど顔を見て、お袋とも別れて銀座に行った。
渋谷、新宿に比べたら少しは人出も少ないだろうと行ったのだがとんでもない、ものすごい人出だった。
夕食はどこかそこらで食べられるだろうと思っていたら、クリスマスの日に飛び込みで入れるような店はなく、クリスマスディナー難民と化して結局東京駅まで歩いて行った。
コロナのワクチンを打った時に見たいと思っていた、丸の内のイルミネーションまで行ったが、ここもすごい人混みだった。
なんだ、結構景気はいいじゃないかと感じたのは間違いだろうか。

結局、どこにも寄らず、鎌倉に帰り、夕食を駅前のスーパーで惣菜を買って帰った。
妻にはいつもみんなの準備ばかりさせて申し訳ないと思い、たまには私がと、盛り付けをし、二人で結構飲んでしまった。


これはこれでいいもので

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政治について語り合うことのない国

2022年12月24日 | 日本のこと、世界のこと
岸田内閣の支持率が低下し続け、30%を切るところまで来ているそうだ。
閣僚の辞任、代議士の辞職というようなことが続けばそれもそうだと思うが、では、実際どこの誰が支持していないのだろう。
ブロ友さんの中には岸田内閣を全く評価していない人もいるので、私の周りに全くいないというのは正しくはないが、私の周りで支持しないとかどちらかといえば支持しないと広言している人はいない、というよりはコロナ禍に入ってから、対面での会話が激減し、ほかの人がどんなことを考えているのか、わからなくなってしまった。

コロナ禍前ならどうでもいいような飲み会で、どうでもいい話をして、政治のことをちらっと話すようなことがあれば、その人となりを推定することはできるし、世論が反映されていることもわかる。
コロナ禍以来、飲み会というのにはこれまでほとんど参加してこなかったし、参加したとしても主目的に関する話がほとんどで、ある意味余分な景気だの政治だのの話はしない。
そうすると、私たちが世論と思っているのは、テレビ、新聞などのマスコミ情報だけではないだろうか。
これって、そのあたりの記者、ライターが世論を作って、誘導することができるってことなんじゃないだろうか。

そもそも、日本という国は政治の話をすることがはばかられる傾向がある。
職場では政治の話は禁忌、などということを言うような人もいるが、果たしてそうだろうか。
私にしてもこの歳になっていまさら職場で若い医師を捕まえて政治を語るつもりはないが、そもそも政治に対して興味がないのではないかと思うのだ。
政治に対して興味がない、無関心だから政治の話はタブーという、おかしな方向に向かってしまているのがこの国ではないか。

政治について国民同士が語り合うことができない空気が勝手に醸成されているが故に、いつまで経っても自民党は政権維持のために分裂することなくずっと与党のままだし、野党は野党のままだ。
政教分離ができていないことも、皆で話し合うことがないから、ずっと野放しにされてきたのではないだろうか。
政治についてフランクに、誰もが対等の立場で話すことができない。
このことはとても深刻な問題であって、この国を不幸にしているのではないかと憂いは募るばかりだ。
もっと話そう

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東京は人が多くて疲れる

2022年12月23日 | 日々思うこと、考えること
起きたらとてもつよい風が吹いていた。
千葉の方では強風のせいで電車が止まっているらしいし、近所でも電線に工事現場からでも飛んできたような大きな白い布が引っかかってはためいていた。
あたりが停電になりはしないかと心配になった。
昨日の朝はたしか大雨だった。
天気は目まぐるしく変わっていて、日本海側では再び災害級の大雪になるとかで、ニュースでは雪に対する注意を呼びかけていた。
これも気候変動が関わってのことなのだろうか。

昨晩、自由が丘に行った。
渋谷で東横線に乗り換えて行ったのだが、まず山手線渋谷駅のどの出口から出たらいいのかがよくわからず、さらには東急の渋谷駅の構造を忘れていて少し迷った。
それはほんの少し、わずかニ、三歩のことだったが、学生時代は自分の庭のように歩いていた渋谷でスイスイいけなかったのはショックだった。

それにしても東京は人が多い、そして若い人が多いせいもあってか動きが早い。
さらに、ほとんどの人が歩きスマホで、ぶつかりそうになると、急に避けるが、直前まで動きが読めない。
そんな若者に腹を立てたところで仕方がないし、そもそも私だって歩きながらスマホをチラ見することはあるだから、他人のことは言えない。
とにかく、JR山手線の渋谷駅の工事が終わってくれないことにはどうしようもないが、あれは私が生きているうちに終わるのだろうか。
東急渋谷駅の工事はとっくに終わっているので、構造を理解したいのだが、新玉川線という呼称が消えたというのがつらく、東横線が地下に潜ってからはよくわからなくなったきりだし、新しい商業ビルがさらにできて迷宮化はますます進むに違いない。

自由が丘にも人が溢れていた。
鎌倉でいえば小町通りのようで、歩くのも一苦労。
家が近かったので自由が丘にはちょくちょく出かけていたが、今ではとても住もうという気にはなれない。
目的地は西口のバス通りの方で、ピーコックが工事中のせいもあってか空いていて助かった。

私の勤務先は都内にあって、これらの駅は馴染みがないわけではなく、混雑した電車にも乗っているが、通過するのといざ降りて行動するのとでは、話がまったく違う。
日中はともかくとしても、夜はもうついていけない。
渋谷、新宿、自由が丘、昔、肩で風をきって歩いていたのが嘘のようだ。
まあ、年寄りは暗くなったらさっさと帰ってこたつで温まっているべきなのだろう。
横浜はあまり歩かない

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ブログを通して一緒に考えてくれる人、声をかけてくれる人

2022年12月22日 | 電脳化社会
いつ頃からかわからないが、そう遠くない昔からNHKでは二十四節気の暦をあまり言わなくなったように思う。
天気予報ではまだ、季節の節目には触れるものの、ニュースの中ではあまり言わなくなったようだ。
考え過ぎかもしれないし、そもそもどうでもいいことかもしれないが、もう冬至。
北半球はいよいよ本格的な冬に入るが、すでに日本海側では大雪が降って、季節はとっくに真冬になっている。
そんな冬至の朝の鎌倉は大雨。
午後には雨は止んですっかり晴れ、気温は上がるようだが、その後寒波がやってくるみたいだ。

ウクライナのゼレンスキー大統領がアメリカを訪問し、バイデン大統領と会談した。
戦争の当事国の大統領が国を離れるというのは、寝首を掻かれる心配がないという自信の表れだ。
ウクライナの人たちの気持ちを私は十分にわかることができないが、一致団結してロシアに抵抗し、大統領を支持しているのだ。
それが愛国心というものの発露であるのか、そもそも愛国心とは何か、ということを一昨日のエントリーに書いたら、コメントをいくつもいただいた。

コメントをいただくということは、本当にありがたいことだ。
日常の挨拶といった感じの二言三言であることもあれば、私と一緒に真剣に考えてくれたり、不足していることを指摘してくれたり、とさまざまだが、いずれの方も、貴重な時間を割いて、私の考えを読んでくださった上で、コメントしてくれている。

エントリーを読み、考え、時にはコメントしてくれる、そんな読者の方のおかげで、私はずいぶん成長してきた。
このエントリーをいったん公開したら、あの人が、この人が読んでくれるだろうかと思うと、緊張感さえ覚える。
読者におもねるというようなことはしないが、正しいと思う意見は取り入れ、間違っていたことがあったら修正していく。
多くの人が私の思考の成長に手を貸してくださったと考えると感慨深い。
ブログの中では、ともすれば独りよがりになってしまうが、声をかけてくれる、その向こうにある思いを大切にこれからもブログ続けていきたい。

謙虚に感謝

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PCに依存し過ぎて絶望しかけたわたし

2022年12月21日 | 電脳化社会
PCの蓋を開けたら、わけのわからない画面が出てきて、ファイルが全て見えなくなっていて腰を抜かした。
震える手で、OSを確認するとVenturaとかいうのになっていて、デスクトップはまっさらで、書きかけの原稿、今度書こうと思っている本の写真、その他もろもろが消えている。
物理的にファイルが消失することはないだろうとは思っているが、何かの具合で全てなくなってしまっているかもしれない。
クラウドを利用するのが当たり前の、若い人にそんな経験はないだろうが、ほんの30年ほど前にはハードディスクが全部吹っ飛ぶなんてことがあった。

どうしよう、どうなってしまうんだ

PCなど単なる記憶媒体に過ぎないと思っていたが、そんなことはない、とてつもなく依存していて、それが自分の頭脳の延長上にあることを実感した。

とりあえず、再起動しようとしたら、ログアウトの文字が見えたので、そうしたら、コロ健で再ログインでき、ことなきを得た。
この間、わずか4、5分のことだったが、不安が絶望感に変わってしまうのにそう時間はかからなかった。

こういう状況というのはいったいなんなのだろう。
それこそ青くなったり赤くなっていたかもしれないが、取って食われるわけでもないのに、人生が終わってしまったかのうような錯覚に陥っていた。

原稿なんて書き直したらいいし、アーカイブ化していた私の写真は諦め、本を出すのはお断りするか、事情を話して別の形を模索したらいい。
メールだって、よく考えてみたら、gmailと病院のものを使っているのだからスマホが生き残ってたらPCは不要だ。
過去を捨て、未来に生きると決めたら怖いものはないはずで、きわめて便利とはいえ、しょせんは記憶媒体に過ぎないPCに振り回される必要はない。

こうやって、パニックになっていたことを落ち着いて遡及して考えると、PCに依存し過ぎていた自分というのが明確になる。
たかがPCなのだが、されどPCなのである。

バックアップとるか

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愛国心とはなんなのだろう

2022年12月20日 | 日本のこと、世界のこと
今日も寒い。
まだ冬至の前でこれが大寒の頃になったら一体どうなることかと考えると気が萎える。
駅までは毎朝妻に車で送ってもらっている。
野晒しでフロントガラスについた霜をとるため、ゴミ出しの時に車のエンジンをかけてあらかじめ温めておくようになった。

昨晩、NHK映像の世紀バタフライエフェクトで、「戦場の女たち」というのが放送されていた。
先の大戦以降、思っていたより多くの女性が戦場にいたのにはおどろいたが、日本でも先日、女性自衛官への性的虐待が問題になったことを考えると、そのことはもう珍しいことではないのだろう。

男性と女性、どちらが兵士に向いているかというのはよくわからない。
ただ、いずれにしても自らの命をかけて戦うという点では男女に区別はないわけで、その目的は自分の属する国家のためだ。
国家とは何かと言い出すと、ここでは語り尽くせないし、そもそも私はそのようなことを語るだけの知識はない。
ただ、国家を愛する気持ち、愛国心がなくては兵士になることはできないのではないかと思う。

愛国心と一言で言っても、人それぞれだし、年齢や職業、それこそ性別によっても異なる。
私は若い頃、戦争に行けと言われたら行くだろうと漠然と思っていたが、老いつつある今の私が国に対してできることは増税に対応することに変わっている。
これは愛国心の発露であり、愛国心を具体的に表現しているわけではない。
そもそも戦争に行くことは愛国心の発露として正しいあり方だろうか。
とすれば、愛国心とは一体なんなのか。

日本がいい国だ、日本的文化は素晴らしい、といったことを列挙して、だから日本が好き、この国のファンだ、ということでは愛国心を表してはいないように思う。
国土を維持する、同胞を守る、言語・文化を未来に残す、そういったことを目的とするものが愛国心ではないだろうか。

そもそも守るべきものとはなにか、それは命をかけて守る価値のあるものか、というようなことを考えていかなくてはならない。
国は国民をどう守るか

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やっと落ち着くかと思うのだが師走ももう下旬へ

2022年12月19日 | スポーツ・健康・ダイエット
今日は午後からの出勤で、時間があったので家の周りの掃き掃除をしたり、昨日作ったハンギングをぶら下げる場所を探したりしていた。
朝の気温は5度と低かったが、日差しを浴びながら小一時間掃いたら、汗ばんでしまった。
腕も痛くなり、こんな重労働を週に2、3度やっている妻は大したものだと感謝した。
いつものことながら、たまに家事を手伝うをその大変さを身にしみて感じる。
ちなみに昨日のはプリムラが中心で、霜に当てないように軒下を探したらこんなところがあった。
昨晩、というかこの未明、2時ごろにふと目が覚めて、用を足しにいって戻ったら妻がサッカーワールドカップの決勝戦、アルゼンチン対フランスを見ていた。
その時点では、アルゼンチンが2対0で勝っていたので、そのまま終わるかと思って、仕事も午後からだからまあいいかと、うつらうつらしながらみていたら、フランスが追いついて延長へ。
そして、感動の延長戦ののち、PK戦でやっと決着がついた。
こんなものを見せられてはすんなり眠ることもできず、表彰式まで見てやっと眠ったのが4時ごろだったか。
何人かのブロ友さんが速報を入れていたので、観戦ご苦労様の挨拶がわりの簡単なコメントを入れておいた。

準決勝あたりからだと思うが、フランスは大統領が観戦していて、表彰式でも健闘した選手を労っていた。
スタジアムを埋め尽くした数万人の観衆、世界中ではおそらくその何万倍もの人がテレビの前で応援していたのかと想像すると、スポーツというもののもつ力が恐ろしく思えた。
スポーツなんて、と一蹴するのはたやすいが、そこに絶対的な価値を見出す人の前ではことはそう容易ではない。
私のようなあまり熱心でないスポーツファンまで感動させられてしまうのは一体なぜなのかよくわからない。

何はともあれ、なんとなく寝不足気味に過ごしたひと月が終わった。
これにてもうしばらくは落ち着いて過ごすことができるのではないかと思っているが、気がつけば、十二月も残すところ十日余り。
あれもこれもしておかなくてはいけないと思うと気が重くなるばかりだし、今、引き受けるのを先延ばしにしてい論文の査読など、予約も入っている。
孫は生まれるは、娘の彼がまたやって来るわで、一体何をどの順番で片付けていったらいいのかよくわからなくなる。
歳をとるとこういうところの処理能力が落ちているのがよくわかるが、そうはいってもどうしようもないので目の前のことをちょっとづつ片付けていくしかあるまい。
午後は忙しく

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今年はレモンがいよいよ不作

2022年12月18日 | 鎌倉暮らし
昨晩はずいぶん降ったが、朝にはすっかり止んでいて、空はちりひとつなくすっきりしていて、きっぱりとした青空という感じ。
朝から風が強く、昼過ぎに材木座まで散歩したらずいぶん大きな波が立っていた。
こんな嵐のような天気でも、鎌倉には多くの人がやってきていた。
そういえば、今夜は大河ドラマ鎌倉殿の13人の最終回、それに合わせて今日来た人も多いのだろうか。
一昨年、100個近く獲れた庭のレモン、去年は7個となり、今年はわずか2個。
お礼ごやしをしっかりやったつもりだったが、ダメだった。
その2個を収穫したが、さてこれはどうしよう。
昨日今日、とくにこれといったこともせずにのんびり過ごした。
週末に時々仕事が入るが、土日が完全に休みだとやっぱり心身ともに休まる。
以前はこんなのってサボっていると思っていたが、働き方改革もあって罪悪感を感じることは最近ずいぶん減った。
確かに、仕事時間を長くしたらある程度結果は出るものの、疲れてしまっては元も子もない。
こんな週末も悪くない。
そういえば、ワールドカップも決勝戦

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ようこそこの世界に

2022年12月17日 | 電脳化社会
江藤淳のエッセイのなかに、昭和一桁世代の氏が電卓やがてワープロを使うようになったことを、大変な技術進歩の時代に生きているのだと嘆息する一文があった。
その続き、すなわちケータイ、インターネット、ノートPCそしてスマホを使うようになる時代を氏はどう評したかを知りたかったところだが、それはそのうち私が書こうと思うが、それはちょっと荷が重いだろうか。

昨日、孫が生まれた。
以前勤めていた病院を紹介し、そこで無事産まれた。
コロナ対応のため、面会は行けないので会うのはしばらく先のことになりそうだ。
たしかに、じじばばはじめ一族郎党が次々と面会に行ったら大変なことになるだろうから仕方がない。

早速、元気そうな男の子の写真がLINEで送られてきた。
息子と嫁の顔の特徴がそれぞれ含まれていて、この組み合わせだとこういう顔になるのかと興味深く見た。
一仕事終えた嫁の顔を見るとお疲れさま、と声をかけたくなるが、それもとりあえずLINEでお祝いと、ねぎらいの気持ちを伝えた。
この先、長い子育てが始まるが、夫婦力を合わせて頑張っていってもらいたい。

夏休みに続いて、娘のフィアンセがまたやってくる。
遠距離恋愛もものかわ、こちらも順調に続いているみたいだが、やはりインターネットを上手に使っているようで、まったく便利な世の中になったものだ。

昨日生まれた孫などは、この先インターネットとどんな関係性を作って育っていくのだろう。
私なりに大変な変化に対応してきたわけだが、彼が生きる60年、70年後の技術進歩はどうなっているのだろうか、そしてどこまで対応していくことができるだろう。
私としては、彼らがその時代を平和に生きいていることを祈るばかりだ。
元気に育ってくれさえすれば

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